マルメロ家だいすき日記2022〜2023   作:大野 紫咲

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後半は、紫咲視点での兼さんとの会話が主になります。
興味がないなぁって読者さんは前半できっと読み飽きてしまうとは思うのですが、後半で語る「愛」の形が、愛……って感じで私はとても好きなので、よろしければ是非見ていって欲しいです。


私たちのこれに、今はまだ名前はない《後編》

「主」

「ん?」

「朝飯と着替えが終わったら、ちぃと話したい事があるんだが。時間空いてるか?」

 

 実家に送ってもらった漢方薬の力を借りて、昨日は久方ぶりに食事らしい食事をできた。今朝は食欲もあり、布団を出て炬燵机に座っている程度の体力がついたので、再度苦くて美味しい食前の漢方と、生きていることの有り難みを白湯で噛み締めていると、兼さんが神妙に私の傍へ座しながら、そんな風に声を掛けてきた。

 なんだろう。優しい兼さんは、今朝も私が目覚めるより先に起きていて、私と目が合うなり挨拶してくれたり、熱を気に掛けてくれたりして、甲斐甲斐しく見守ってくれるが、私もようやく回復の兆しが見え始めたことだし、もしや飽きたから近侍はこれで辞めたいとか、そういう話か。

 

「……」

「おい、そんな顔すんな! べっ、別に、大した事はねーっつーか! 熱出ててもちゃんとあんたがまともに聞けるような話だから心配しなくていい! いいか悪いかってゆーと、多分……いい方の話だろうしな」

「そ、そう……?」

 

 ネガティブな想像をして黙ってしまった私の顔に色々出ていたのか、兼さんは慌ててそう言い足して、すぐ目を逸らしてしまう。いい話だとは言いながら、妙に話しにくそうにも見えるのだけど、本当に何だろう。

 「話がある」って言われたら大体誰にも彼にもトラウマ級のことしか過去には言われた事がないのだけど、兼さんが大した話ではないと言うのなら信じたい。

 結局、朝ご飯を食べてからもしばらく動かずのんびりしたり、久しぶりに洗濯や軽い掃除なども自分で行ったりして、纏った時間を取れるのは午後になった。その間中、兼さんはやっぱり少しそわそわしていたように思う。

 夫の鯨氏が仕事で外出中は、いつものように一人で過ごす家の中。布団を敷きっぱなしの私の寝室じゃ、体の大きな兼さんは随分窮屈そうに見えるな、と思いながら、その正座した臙脂色の装束姿の前に、私は腰を下ろす。いつでも安静になれるよう、一応はまだ布団の上だ。

 

「で、話というのは……?」

「ああ、ええと……。あんた、昨日っていうか最近よく言ってたよな。理由がなくても、オレに近くにいてほしいって」

「あ……う、うん」

(改めて言われるとめちゃくちゃ恥ずかしいな、これ)

 

 自分で言ったくせに、人に言われると改めて、小っ恥ずかしいお願いを正面切ってしたものだと思う。

 気持ちは嘘ではないけど、熱で弱っていなければ漏らすこともなかったかもしれない。ただのどうしようもない憧れで、愛とも恋ともつかない、まだ育ち切ってもいない、何かの途上にあるような気持ち。

 何かを考え考え、兼さんは少し気まずげに片頬を指で掻きながら、先を続けた。

 

「んで、オレなりに考えたんだけどな。あんたはそれでいいかもしれないが、やっぱ何もなしにただ居ろっていうのは、難しいっつーか……オレにはやっぱり理由が要る。あんたの隣に居るだけの理由が」

「うん……ま、普通そうだよね」

 

 何のメリットも楽しみもないのに、請われたからといってはいそうですかと、好んで隣にいる奴はいないだろう。

 私にすら、まだどうなりたいかははっきりとわかっていないのだ。

 兼さんだったら今の段階で応えない事も十分にあり得ると、覚悟はしていたはずだった。むしろはっきりした性格な分、そういうのはきっちり伝えておきたい主義なのかもしれない、と思いながらも俯いてしまう。別に、本丸にさえいてくれるなら、私がそれ以上高望みする事は何もない。仲間でいられるのが一番の幸せなのだから。

 しかし兼さんは、引き続き真面目な声のトーンで、想像もしなかったことを言い始めた。

 

「それでまあ、思ったんだけどよ。なければ作っちまえばいいんじゃねえのか。理由」

「……? へ……? あ、うん……」

(いや、うんって言ったけどどゆこと???)

 

 小首を傾げた私の前で、膝に軽く握った拳を置いたまま、更に言い募る兼さん。

 

「形式だけのもんでも、ないよりはあった方がいいんじゃねーかと思ってな。それを上手く生かせるかは、正直自信がねえが」

「うん……」

「けどまあ、主がオレを大事にしてくれんのと同じで、オレも別に主を大事に思わねえはずはないわけでな?」

「うん。うん……? 何の話?」

 

 何がなんだかわからなくなり、とうとう直接的に疑問を口にする私の前で、兼さんはその特徴的な前髪の頭をバリバリと片手で掻き回しながら、じれったそうに言った。

 

「だァ〜〜ッ! ったくまどろっこしい奴だな! あんたはオレの女になる気はあるかって聞いてんだよ!」

「……っ!? ……え!?!?!?!?!?」

 

 兼さん語を兼さん本人に翻訳された結果、私はものすごい勢いで固まる羽目になった。

 待て待て待て。それはものすごく「大した」話では?

 完全に予想外の方角からのアプローチに、未だ完全復活していない体調も相まって、ひたすら慌てふためくことしかできない。

 

「え、それはつまり……え? え? 兼さんの女……わわわ私が?????」

「オレの主はあんただぞ。あんた以外の女がこの本丸にいるかよ。……あー、一応直生と夜明も女か? でもあいつらはなんか違うんだろ?」

 

 印象で直生「くん」と夜明「さん」ってずっと呼んでるけど、私にとってかけがえのない存在で、既に密な関係でもあるこの二人は、身体女性でありジェンダー不定性だ。少なくとも、この世界においては。

 ついでに言うと、その二人及び他の各マルメロ家メンバーと私とは、いわゆる「付き合っている」と称しても構わない程親密な仲にある。ただそれは不倫とかではなく、我が家の面々も、私のリアルにおける夫も一応は了承していることなのだが、それを知って尚、私に「女」になって欲しいということなのだろうか。

 確認するように、私はおそるおそる尋ねた。

 

「えっ、と……兼さんは、私が表では結婚してて、こっちの世界にも〝好き〟とか〝特別〟な相手が何人もいる事は、知ってる……んだよね……?」

「ああ。あんたから何回も聞いてるし、理解はしてるつもりだ」

「付き合ってる相手の中で、誰が一番っていうのはないんだけど……ていうか、私と〝付き合う〟っていうと一人を独占できるって訳じゃなくてね、その為に今関係を持ってる子と別れるって事もないし、ただそういう諸々の関係性の中に、兼さんも一員として入れ込まれるって事になるんだけど……うち、そういう欲張りで変な家なんだけど……それでも、本当に、いいの……?」

「まあ、そりゃ世間的に流布する考え方じゃねぇのは重々承知の上だが、うちの本丸は〝ここ〟だろ。あんたと過ごすあいつらを見てて、何となくわかったしな。ていうか、元々オレが活躍してたような時代じゃ、妻も妾もいるのは普通だろう。あんたの場合逆みてえだけど」

 

 少し考え込むような表情で、相変わらず照れてそっぽを向きながらも、そう言ってくれる兼さん。

 まさかここまで柔軟に考えてくれるとは思わず、今まで散々兼さんに好かれたいとアピールしておきながらも、急に自信がなくなって声がしぼんでしまう。

 

「ほ、ほんとのほんとに? 私色んな人との距離感とか〝好き〟の範囲がおかしいから、普通に恋人じゃない相手とも刀ともハグするし、べったりくっつくし、相手のことが気になってたりするよ? うちの子らはそれを当たり前と思ってくれてるみたいだけど、でもそのぅ……私は『誰か〝だけ〟の女』じゃないし、文字通りに明確な所有物になる事はできないと思うの」

「それは、今んとこは気にしてない。ていうか、正直言うと、オレも〝好き〟が何かって言われたら、よくわかんねえ」

 

 きっぱりと、いっそ清々しいほどに兼さんは私をまっすぐ見てそう言ってみせる。

 あまりに迷いのない眼差しに、ふと湧き上がった疑問符を、私は頭の上にいっぱい浮かべた。

 

「わかってないけど、恋人になれ、と……???」

「あー、いや。なんつうか、言い方が悪かったな」

 

 再度、途方に暮れたように頭を掻いて言葉を探している兼さんを、私は前に膝を崩して座ったまま、のんびり待つことにする。わからなくてもこうして声を掛け、自分なりに提案してくれたということは、何か考えている事があるはずなのだ。

 私が慌てもせず、気長ににこにこしているのを兼さんは不思議そうに見ていたが、それで焦って言葉を出す必要もないと感じてくれたのか、少し安心した様子を見せながら、ぽつりぽつりと話し始めてくれた。

 

「あんたがオレに向けてくる好意を受け取るのは、率直に言うと悪い気分じゃなかった。主としても好感はあるが、そうじゃなくともあんたはその……なんか面白ぇし」

「面白いかな……?」

 

 可愛いとか綺麗とか格好良いとかではなく、「面白い」って女性への口説き文句としてどうなんだ。そういえば、リアルにいる夫に、私と付き合おうと思った動機を尋ねた時も、返答は「なんか面白い人だなぁと思ったから」だった。

 そんなに面白いんだろうか、私は。そもそも、面白いなんて言われて喜ぶ人間……いや、ここにいるな。もういいや、それを嬉しいと思ってしまう時点で私は変人ということで。

 勝手に納得しておいて、私は兼さんの話の続きに耳を傾ける。

 

「そいで、悪い気分じゃねーけど、どう返したらいいのかはわかんなくて……」

「だったら別に、無理にお近づきになろうとしなくてもいーんじゃ……?」

「それは嫌なんだよ。嫌っつーか……オレが一番困ってんのは、口実がないと、これ以上下手にあんたに近付けねぇと思ってるからで」

 

 どうも、兼さんの中では「恋人」以上になることは決定事項らしい。

 何があってそこまで拘っているのだろう、と小さく首を傾げると、兼さんはもぞりと体格のいい肩を動かし、ガタイの良さの割に儚く線の細く見える顔をあらぬ方角に向けながら、何度か唇を開いてはつぐみ、言葉を紡ごうと試みているようだった。

 

「……その」

「……?」

「夜明とか直生とか! あいつらその……平然とあんたに抱き付いたり、口吸いとかするだろう」

 

 思い切ったようにそれを問いかける兼さんも必死で恥ずかしそうだったが、公然の事実とはいえ知られていて全く恥ずかしくない訳でもないので、面食らった私も顔が熱くなってくる。

 

「ま、まあ……お互い、そういうことしてもいい間柄っていう、同意の上だから」

「それが今のオレじゃできねーって話なんだよ! だいたいなあ、きちんと交際を申し込んでもねえのに、あんなにベタベタベタベタ触れてたら破廉恥だろうがッ!」

「はれんち……」

 

 見た目はこんな大柄でしっかりした男の人なのに、真っ赤になりながら耐え切れないという風に声を荒げるので、思わず私は鸚鵡返しに呟いてしまった。

 うちの兼さん、なんだかんだで交際に関する観念めちゃくちゃ清いな。なあなあのうちに私に手を出してきて、なあなあのうちに隣に居座ってた直生くんとか、愛情が先行し過ぎて付き合う前から相方同然だった夜明さんとは、また全然違う。

 

「なんていうか……兼さんってめちゃくちゃきちんとしてるんだね」

「普通だ普通。あんただって年頃の女だろ」

「年頃も年頃というか、もう三十路も近いんですけど」

「幾つでも関係ねえって。妙齢の女が、何の約束も取り決めもなしに、オレみたいなかっこいい刀を傍に置くもんじゃねえ」

「……ねえ、『妙齢』って本来若い女性に向けて使う言葉らしいんだけど、今年で30代の女を指して言うのはアレじゃない? それとも現代の用法に合わせて、微妙な年頃だからそう言ってる?」

「だーーッいちいち揚げ足を取るなっっっ!」

 

 わざわざスマホで調べて聞いたのに怒られた。

 何はともあれ、これで兼さんの突然の交際宣言の理由はわかった。好きだからそうしたいと思ったというよりは、私と距離を縮めるためにわざわざそうしてくれるという事らしい。律儀というか、何というか。

 やけくそのように、兼さんがキッと私を睨む。その仕草が、普段の戦闘でドスを利かせる感じとは違って、妙に子供っぽい。

 

「とにかくなあ! 好意を持った男女の間柄ってのは、それなりにケジメが要るだろうが。告白だのプロポーズだの、そのためにあるんだろ?」

「そ……そうだけど、ちょっと待って。ええと、兼さんはスキンシップなり何なり、私とこれ以上の距離を縮めるのに口実が必要だから、形式的に恋人関係に収まって欲しいと、そういうことで合ってる?」

「まあ口実っていう言い方はアレだけど、そういうことになるな」

 

 なんかうまい言い方ねえかなー、と本気で悩んでいるようだった。

 「形だけの仮の恋人」という概念が、私を傷付けるかもしれないと思ったのかもしれないけど、言いたいことは何となくわかる。伝わっているという事を示すために、私も一緒になって考えながら、首を捻った。

 

「んーと……恋人って縛りがないと、触れたり抱き寄せたりするのは落ち着かない、ってことだよね」

「だってよ、普通そこまで親しくない相手に、平気で口吸いしたり添い寝したり、悩みを打ち明けあったりしないだろ?」

「まあ、それはそう……って事は、そういうことをしたいとは思ってくれてるの?」

 

 兼さんの思う「スキンシップ」がどこまでの範疇を指しているかわからないが、大前提の確認としてそう尋ねてみると、再び後退りそうになりながら真っ赤になる兼さん。最近関わりができたことで薄々感じてはいたが、うちの和泉守兼定は、元の主のモテ男伝説に反してだいぶ初心らしい。ものすごく。不器用にも程がある。でも、それだけに実直さと真面目さを感じられるところが、私はとても好きだった。

 

「そっ! いやっ、必ずしもそういう訳じゃ……! オレはなぁ、夜明達がそうやって接してるのを見て、あんたがそうすると喜ぶと思ったから……っ!」

「でも、私が喜びそうなことは考えてくれたんだ」

「うぐ……それはまあ……だってそのくらいしか思いつかねえしよ。オレは敵を斬るのが本来の仕事なんだぜ?」

 

 自分の専門外のことであれ、主の命であればこなしてみせる。この身と心を得て日が浅くはないとはいえ、彼ら自身のこれまでの刀生から見れば、顕現してからの日々の方が圧倒的に短いはずだ。その慣れぬ生活の中、指示通り闘ってさえいれば本来主とは関わりを持つ義理もないであろうに、こうして考え、手を差し伸べてくれようとする刀がいる。未熟な主の私を、ここまで慕ってくれることが本当に嬉しくて、ありがたくて、涙ぐみそうになりながら、私は微笑んだ。

 

「……うん。わかった。兼さんが、もっと近くにいるために必要だって思うなら、〝特別〟になろっか、私達は。今は、名前がないけどさ。でも、一つだけ言っておきたいの。別に、だからって無理して恋人らしい振る舞いはしなくていいんだよ。私は、兼さんのことは好きだけど、いっぱい好きだけど、もっとこう……恋だけに拘らないで、色んな愛を長く持てたらなって思ってるから」

「主……」

「だから、その〝特別〟が何かは今すぐわかんなくてもいいし、うちの子の真似をしようと思わなくていい。戸惑ってていいから、そのままの兼さんを伝えて欲しい。それで、もっと仲良くなりたい。好きになる理由も、ドキドキする理由もいっぱい知りたい。私今、怖いけどすごくワクワクしてるの」

 

 今の文脈に沿わない響きに、兼さんが一瞬、形の良い眉を微かに跳ね上げた。

 

「怖い?」

「そりゃあまあ……私はすぐに誰かを好きになれるから、恋に落ちるのはいつだって簡単だけど、簡単すぎて踏み出す時はいつも怖いよ。上手くいかなかったらどうしようとか、マンネリ化したり、大事にできなかったり、億が一嫌いになっちゃったらどうしようとか」

「それこそ、あんたがそんな心配する必要ないだろ。いいか? オレらのこれは試験運用みてえなもんだ。試みにやった事が失敗するのはある意味当然だし、それで誰が悪いって訳でもねぇ。別に、無理だと思ったらその段階で切ってくれて構わねえよ。オレから頼んだ事なんだ」

「ええ〜! 理屈はわかるけど、それは何か気が引けるというか、そんなあってもなくてもどっちでもいいみたいな……いやでも、その方が依存度的には丁度いいのかな……? ああっ、難しいっ……」

 

 頭を抱え始める私の前で、ふと見上げると兼さんは、あろうことかちょっと楽しげにくっくっと肩を揺らして笑っていた。え、ここ笑うとこ?と思いながらぽかんとしていたら、口元に手をやりながら笑うという、ちょっと控え目で珍しい動作を見せつけながら、兼さんが顔を綻ばせる。

 

「相っ変わらず、なんつーか……主は面白い奴だな」

「ねえそれ本当に面白いの!?」

「我儘なんだか謙虚なんだか。全然わかんなくて面白えよ。オレみたいな奴相手に、そこまで真剣に考えて悩んでる人間も、初めて見た」

「……私は、何も手放したくないだけの最強の我儘野郎だよ。面白いっていうか、ただ迷惑掛けてるだけの人間かと……」

 

 口を開きかけた私の唇を、長い人差し指が縦に触れて塞いでいた。それが兼さんの指だと気付いて驚いている間に、目の前に悪戯っぽく顔を寄せた兼さんがふわりと微笑む。あまりに柔らかい笑み方で、花のような儚さを感じて、二度びっくりした。

 

「そうかもしんねーけど、それだけじゃねえ。主は主なりに、上手くやってくれてると思う」

「……」

「信じらんねーっつう顔だなぁ? あんまり自己評価が低くちゃ、オレみてえなかっこよくて強ぅい刀も使いこなせねえぜ?」

 

 今度は歯を見せながら無邪気に笑って、私の頭を大きな手でぽんぽん叩いてみせる。前はこんなにくるくると豊かに表情が変わる刀だとは思ってなくて、ああ、これが私は好きなんだな、と今更のように気が付いた。

 

「オレを前線に出せて部隊も回せてる時点で、あんたは有能だ。少なくともそこは自信持ってくれよ」

「でも……ずっと走り続けられる訳じゃないし」

 

 現に、ちょっと風邪を引いただけでこんなに不調が長引いてしまっている。療養が終わっても、完全に元の暮らしに戻れるほど回復するには更にまた数週間や一月以上時間が掛かるとしか思えず、いつだって自分が元気でいられるビジョンも、明るく皆を率い続けられる未来も、今は見えない。

 それでも、兼さんは力強く笑って、隣に座ると私の背を叩いてみせる。

 

「まあ、こう体が弱くちゃ、度重なる不調で自信を喪失すんのも仕方ねえけど。けど、前も言ったろ。オレはあんたを役立たずなんて思った事はない。あんたが自分をダメだって思ってんなら、信じられるまで何遍でも言ってやる。

それであんたが一番辛い時、他の奴らはよくて、オレがあんたの心の一番近い場所にいてやれねえのは、不公平だろう。あんたがオレを、求めたんだろう?」

 

 寄り添ってくれる広い掌が、温かかった。

 私は、私を信じられない。信じても、いつだって簡単に裏切られてしまう。

 それでも、私をダメじゃないと言ってくれる存在を、その想いを否定したくはない。応えられるようになりたい。同じくらい、私が〝好き〟だと思った気持ちにも、嘘をつきたくない。熱い涙が頬を伝うのを感じながら、私は頷いた。

 

「その線引きが、あんたの言う〝特別〟かそうじゃないかって基準なら、オレはいくらでもあんたの特別になってやる。ていうか、それで力にならせてくれよ、主。どうするべきかは分からなくとも、気持ちが分からなくとも。あんたの力になりたいって気持ちは、嘘じゃない」

 

 足を引いて私の前に正座した兼さんは、同じように布団の上で正座した私の両手を包み、瞳を真正面から真剣に見据えた。浅葱色の瞳は、いつだって光差す水底の瑠璃のように輝いている。どんなに照れていても、恥ずかしがっていても、口下手でも、伝えなければならない事からは絶対に逃げない、逸らさない瞳。

 

「これでもまだ疑うか?」

「疑っ……兼さんの事疑ってなんてないけど! 私が信じられないのは、どちらかというと自分の方で!」

「じゃーとりあえず近くに置いとけ。それで困る事がありゃ後々色々決めればいいだろう」

「そんな適当に〜〜!?」

 

 確かに、私が寝込んでる間はほぼ兼さんが近侍みたいなものだったし、これからも傍にいてくれる機会があるなら、やぶさかではないどころか願ったりだけども。

 まだ迷いを押しやれないまま、結局はその瞳の迫力に押されて頷いた私の前へ、広い掌が差し出された。

 

「ええと……まあ、じゃあ、今後とも宜しくってことで?」

 

 形だけの交際宣言から始まった、初めてのスキンシップが握手。堅い。堅すぎる。あまりにも真面目で実に兼さんらしい。告白成功した瞬間、それを免罪符と言わんばかりに浮かれて甘ったるいハグだのキスだのしてくる男も私の人生にはいたというのに、なんて真面目なんだ。

 戸惑いがちなその手に、未だ病の熱を孕んだ手をおそるおそる差し出すと、私が掴むより先にぎゅっと握り返された。力強い握手だ。不安も迷いも包み込んでしまうような、あったかい手。

 と、何の心の準備もなかった私は、不意にその手をぎゅっと引っ張り込まれ、思いっきり兼さんの腕の中に抱き締められてから面くらった。どさっと音を立てながら倒れ込むような形で激突してしまったけど、頼もしい体はびくともしない。それまでは何て事ないという様子だったのに、その腕の力は思ったより強かった。羽織からほんの少し、薫きしめた香の薫りがした。

 

「紫咲」

「……は、はい」

 

 熱くなった耳元に寄せられた唇から、不意に真剣みを帯びた声が流れ込む。

 そういえば、主、ではなく名前を呼ばれるのは初めてだな、と気が付いた時、その緊張が吐息と共にふわりと緩んだ。

 

「あのなあ。本来だったら、刀に真名を握らせるのも他の本丸だったら禁忌だったりすんだからな? 格下とはいえ、オレらは神様なんだからよ」

「ん〜〜……でも、うちはうちだし。一応それ、戸籍上の名前とは違うから真名でもないし。ていうか、兼さん私の名前なんてずーっと呼ばないから、忘れてんのかと」

「忘れるわけねぇだろ。オレの中じゃ、あんたの名前を呼ぶのも『刀と主』の関係の範疇に入ってなかっただけだ」

「……じゃあ、今は少なくともそれ以上?」

「……ん」

 

 戦いに慣れた掌が、そ〜っと私の頭を撫でる。床に寝付いている間手入れもできず、ガサガサになってしまった私の髪の毛を、指先で漉いて解いていく。きっと本当はそこまで不器用じゃないだろうに、下手をしたら壊れてしまうんじゃないかと危惧しているかのように、慎重な手つきだ。

 あたたかさに身を委ねていると、不意にちらりと、目の端に白いものを捉えた。抱き締められたまま肩口から見上げれば、ちらりちらりと、薄い色の花びらが降ってくる。そのうち一枚が、ぺたりと鼻の頭にとまって、私は呆気に取られながら、兼さんの頭上から雨のように次々と降ってくる桜を浴びていた。

 

「う、嬉しいの……?」

「!!! ばっ……、ちがっ、これは勝手に!」

 

 慌てて私を引き離してから、ぱたぱた袖や髪の桜を払ってるけど、あまり意味ないと思う。

 たったこれだけで舞い上がってくれるなんて、なんだか僭越だし恥ずかしい気もするけれど、兼さんが喜んでくれるのなら私も嬉しい。

 少しほっとした気持ちで、私は胸の前に両手を抱きしめながら、兼さんを見上げた。

 

「あなたが強くなってくれるのを、これからも楽しみにしてる。ゆっくりだけど、一緒にがんばっていこ。よろしくね——和泉守兼定」

 

 ふわりと微笑んだ瞬間、兼さんがその瞳を、一度瞬いて驚いたように見開いた。

 

「……あんたこそ、オレの名前覚えてたのか」

「忘れるわけないでしょー? みんなが親しみ込めて『兼さん』って呼ぶから私も呼んでるだけだよ。当番表の木札に〝和〟って漢字を見つけるだけで私どきどきしてるんだから」

 

 今はまだ、ハグが精一杯で。

 でも、それ以上になろうとならなかろうと、私達の間にあるものは揺らいだりしないのだろう。誰が知らずとも、理解されなくとも、それでいい。本当に大事なものは、いっぱいに花開いた恋のきっとその先に、いくらでも咲き乱れているはずだから。

 様々に変化していく先の未来を、これからも一緒に生きられるように。兼さんと照れたような瞳を互いに見交わし、思わず笑い合いながら、私はそう願っていた。




タイトルには「まだ」って銘打ってるのですが、もしかしたらずっと関係性に名前は付かないかもしれません。
名前がなくても愛は育める、と思って、その気持ちのままをタイトルに込めました。
私はずっと夢小説という名目で、刀剣乱舞やその他ジャンルでも二次創作小説を書いてきておりますが、その中に包括されるものが「恋」だけじゃなくてもいいじゃないか、というのが私の考えです。
むしろ、「恋」で終わってしまうのではなくて、長い長い人生をずっと一緒に生きていけるように、深い愛を燃やして互いの生を楽しめるように、その過程にあるのは別に恋でも恋じゃなくても、もしくは曖昧な形のハーフアンドハーフであっても何だっていい、ぐらいの気持ちで創作に向き合っています。
重要なのは、相手を大切に思う気持ちと絆かな、と。それを結べるのなら、どんな「好き」だっていっぱいあればあるほどいいよね、という思いで活動してきました。
まあ、嫉妬や独占欲をだいぶ度外視している時点で、現実的ではないので、世間的な需要はないに等しいとは思っていますが…。
それでも誰かの目に留まることを願って、こうしてぽつぽつと、我ららしい本丸を公開していけたらなと思います。

ちなみになのですが、ここの兼さんと紫咲の関係について、あえて名称を探すとするなれば、世間的には「ズッキーニ」というものが当てはまるかと思います。あまり有名ではありませんが。
ネットで検索すると、「いわゆる恋愛関係ではないが親密で感情的な絆が存在する関係」と説明されています。アセクシャル(相手に性的欲求を感じない人)やアロマンティック(相手に恋愛感情を感じない人)の界隈でよく使われているようです。
今のところ、紫咲から兼さんに対しては、恋愛感情も性的欲求もないわけではないのと、それ以前に二人の親密度に関してはこれから親しくなっていくところだろうと思うので、完璧にズッキーニかと言われたら「・・・?」な感じですが、感覚的には現状これが近いしここを目指していくのかなと思います。恋愛的な欲求が満たされなくても、ハグや会話で十分満足していますしね。
もちろん、現状は現状でしかないので、今後変わっていく可能性は大いにありますが。どうなろうと、あたたかく見守っていただけますと幸いです。
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