荒涼とした土地に降り立った一人+一振のキャンマラと、巨大な黒い竜との邂逅の記録。
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その日。
Skyの世界に降り立った和泉守の前に、得意げに新しい紺袴の衣装を翻して現れたのは、虹のケープを肩に羽織ったヨアだった。普段の本丸での甚兵衛姿とは一転、虹色の帯を細い腰に差し込んで、ちゃりんと耳元にプリズムの光を放つ大柄なイヤリングを光らせたヨアは、自分と同じく星の子身長に縮んだ和泉守を、腰に手を当てて不敵に見やる。とはいえ、それでも和泉守の方が背の高さは勝っているのだが。
「やあ。見学だって? いつも本丸じゃ世話になってるから、こっちでボクが兼さんを案内できるなんて光栄だね」
「おう。まあ、主が気に入ってる世界を見とくのも、悪くないかと思ってな」
「今日はこの後、〝捨てられた地〟でキャンマラなんだ。あんまり映える場所での仕事じゃないけど、よかったらゆっくりしてってよ」
そう言いながら、和泉守をぐいぐいと祠の方角へ押しやるヨアに、和泉守は首を傾げながら振り返る。
「お、おいヨア?」
「とりあえず、あんたその服じゃ汚れるから着替えた方がいい。紫咲の袴……まあ、最悪サイズは魔法で変えれるからいいか。適当に選んどいてよ。着替えた? そしたら次はケープを……」
「おっ、おいっ、ちょっ、待てって! 随分質素な服だなぁ!?」
ゆっくりしていけと言いながら、スタイリストさながらに着付けを黙々と済ませていくヨアは、本当は和泉守を着せ替えさせてみたいだけなのかもしれなかった。結局、普段ヨアや恵李朱が好んで着ている赤いチュニックと黒のパンツを合わせた後で、ヨアは次に和泉守をケープの祠へ連れて行った。目を白黒させる和泉守の前で、自分たちが持っている数多のケープの中から、黄色の細い縞柄が入った青のケープを引っ張り出すと、肩に掛けてちゃっちゃと肩紐を留め始める。
「新撰組の羽織に似てる色のケープはないんだよね。これで我慢してくれる?」
「いや、別にそこまで気にしなくていいから……そりゃ、あったらあったで嬉しいけどよ。てか、そんなに着替えねえとダメなのか?」
「あんた、羽なしでしょ。まだこの世界との互換性がないから、仕方ないけど。他のエリアならともかく、今から行く先は少しでも、魔力を含んだ衣服で身を守った方がいい。防具の代わりだからね。はい、火鉢持って」
「防具……ってちょっと待ったァ!? おい、オレの本体っていうか刀どこだよ!?」
あまりに怒涛の展開なので気が付いていなかったが、いつも腰に穿いている和泉守兼定——己自身の姿がない。周囲を見渡して慌てる和泉守に、ヨアはちょっと呆れたようなジト目を細めた。この世界の干渉を受けているのか、いつものまっすぐな黒のショートボブが、今日は透けるような銀髪になっている。
「サキが言ってたでしょ。この世界に〝刀〟なんて概念はないんだよ。斬るべきものも斬れるものも存在しないんだから。まあ、槍みたいなものはギリ見たことがあるけど……刀があるとしても、多分今の世界になる前の、戦乱の歴史の中だろうね」
「そ、そうか……わかってはいても、なんか落ちつかねぇもんだな」
「棒状の物がいいなら、ボクの松明と交換してあげようか?」
「いや、その棒っきれで何を倒せと……犬も殺せねえぞこんなんじゃ」
とはいえないよりマシだということで、松明を背負った和泉守を引き連れながら、ヨアは再度、捨てられた地の玄関口となる広場の焚き火へと戻った。きょろりと辺りを見回し、集めるべき赤い大キャンドルの位置を確認する。
「後ろにある……ということは、今日は座礁船はナシか」
小さく呟いたヨアの言うことはわからなかったが、とりあえずその後をついていき、ヨアに倣って次々火の玉状の光を発生させるキャンドルに当たりながら、和泉守はふと思い出したように言った。
「そういや、この間現代への遠征から帰還した時に髭切が言ってたな。でかい竜がどうとかこうとか……」
「そいつなら、ここから先で出逢えるよ。……ただ、生きて帰れる保証はないけど」
ざっと荒廃した土を踏み締め、こちらを流し目でちらりと振り返るヨアの瞳に、和泉守は思わずごくりと唾を飲んだ。建物の足場は崩れ、地面があるべき場所には台風の目のような風が、雲を巻き込んでごうごうと渦を巻いている。いくら誇り高き負け知らずの刀といっても、遡行軍というわかりやすい敵に相対する時と、未知なる世界を前にした時では、緊張の種類や度合いが違っていた。
妖しい目で唇に凄みのある笑みを浮かべていたヨアは、不意にそれを苦笑に和らげてから、安心させるように和泉守の腕をつついた。
「冗談だよ。まあ、ボクがいれば何とか避けてみるから大丈夫。準備はいい?」
「お、おう」
当たり前だが、刀の時も人の身を得てからも、投げられたことこそあれ空を飛んだ経験などない。本当に飛べるのか、と半信半疑で不気味な光の渦巻く雲間を眺めていると、ヨアが何でもないかのようにひょいと手を差し出した。
「はい」
「あ?」
「繋いで」
差し出された褐色の掌を前に、意味がわからないというように一瞬固まった和泉守だったが、すぐにその意図するところに気付いてぶわっと頭に血を昇らせる。半分ほど声が裏返りそうになっていた。
「はあ!? オレにお前と仲良く手ぇ繋げって!?」
「そうしないと魔法が適用されないんだから仕方ないでしょ。あんた一人で飛ばせるわけにもいかないし。何、紫咲だったらよかったわけ?」
「そーいうわけじゃねーけどっ!」
「別に、こっちの世界だったら兼さんだって子どもサイズに縮んでんだから今更気にする必要ないでしょ?」
「そっ!!! ……れは、そうだが……」
唐突に審神者の名前を出されてますます赤らみながらも、年下の青年に手を引かれる照れにはどうしても抗えず、ぐぐぐと唸る和泉守相手に、ヨアは何かを思いついたような顔で人差し指を立てた。
「あ、もう一つ方法はあるか。リトル面付けておんぶでも離れずに済むからね。好きな方を選ばせてあげるよ」
「……手繋ぎで」
これ以上体を縮められた挙句おんぶされるのはさすがに耐えきれなかったらしい。大人しく差し出された和泉守の手を取って、ヨアが雲の中に飛び込む。
「しっかり掴まっててね」
「うわっ……!?」
間もなく、照れなど感じている余裕がなくなる程度の衝撃と暴風が二人を襲う。和泉守の力をもってしても掴んでいるのも精一杯だ。洗濯機に振り回されているような遠心力と風に吹き飛ばされ、流され、気が付けば砂漠の土の上に投げ出されていた。やむをえず顔面から着地した和泉守は、体こそ丈夫でどこも怪我をしていないものの、さらさらの砂が口いっぱいに入ってじゃりじゃりになっている。
「うおえっ……ぺっぺっ」
「荒っぽくてごめん。ここしか入るルートないんだよね」
対するヨアは既に何度も来て慣れているのか、着地こそ腹から突っ伏して無様なものの、何事もなかったかのように服の砂を払っている。
即座に和泉守に手を差し出したヨアは、縁が虹の七色で染まった空色のケープを翼のように羽ばたかせ、一気に砂地から飛び立った。
あまりにあっさりと体が地面から離れるので和泉守は驚いたが、纏ったケープが風を捉えて、特に何かをしようと思わなくとも、ヨアの横を綺麗に飛んでいられる。
緑色のどんよりした空が広がり、薄暗く足元すらよく見えない荒野を、ヨアは目に止まらないような速さでぎゅんぎゅんと引っ張り回して進んだ。体は勝手に動くが、急カーブや急回転もあってついて行くのに精一杯だ。
ふと物陰に溜まった火の玉を集めたヨアが、黒々とした帯のような地帯を滑空していくのを見て、和泉守は初めてそこが土ではなく水だということに気付く。
「きたねえけど、随分広い川だな」
「その黒い水は、触らない方がいいよ」
言いながらもヨアは、わざと足元を掠らせるようにして、川の水にぼしゃりと服の裾を付けながら滑走した。途端、赤色の光が散って、びりっと痺れるような感覚が和泉守を襲う。すぐに羽ばたいて上昇したことで一瞬の虚脱感はすぐに去ったが、確かに水に触れている間、体から生気が抜けていくような感じがした。
ぷるりと顔を振って、空を連れ去られながら和泉守が黒い川を振り返る。
「なんだ、今の……」
「闇で汚染された水に触れるとああなるんだ。他の地方じゃ限られた場所にしか見られないけど、捨てられた地にある水はほぼ全部コレだから。紫咲なんか、初めて来た時に、夜だから暗いだけだと思って突っ込んだら溺れかけたらしい」
「うおっ、怖っ! あの野郎、ただでさえ体弱ぇのに心臓に悪いことやりすぎだろ! なんつうか、服が汚れるっつー意味でも触りたくねえな」
「それは完全に同意。ボクも、本当はお気に入りの服であのドブ沼に突っ込みたくなんかないね。まあ、火の玉を集めるためだから仕方ないけど」
クールにそう言って、さっきから宙に浮く火の玉の箇所へ順に寄りながら集めているヨアは、どうやらその位置を完全に覚えているらしい。迷いのない効率的な道筋と、時折ヨアの手元に光りながら降ってくるキャンドルを見て、和泉守は尋ねた。
「さっきから熱心に回ってっけど、その蝋燭は何に使うんだ?」
「ん、大侵寇の時に聞かなかった? この火の玉を集めて精錬しておくと、破魔の力を持つキャンドルになるんだ。まあ、結局本丸に輸入して使う暇はなかったみたいだけど」
「ほお……闇を祓う蝋燭ねぇ」
「本丸でも何かの足しにはなるかもしれないし、こっちでも入り用だから備蓄してるんだけど、恵李朱は炎が好物だからたまにつまみ食いして頭から齧ってるね」
「おまえんち色々おかしくね??? 恵李朱は悪魔なんだろ? なんで破魔の蝋燭が好物なんだよ」
やいのやいの言いながら、ヨアが白くうじゃうじゃと岩場に群がる蟹の群れを飛び越える。さっと近づいて火の玉を回収しただけで相手にもしなかったが、和泉守は奇声を上げて行き交う蟹を眺めながら口を出した。
「おい、まさかと思うけどそこに群がってるちっけぇ蟹がヤバい奴とか言うんじゃないだろうな」
「まさか。あれは大鳴きすれば倒せるんだ。一回ひっくり返せばジタバタしてるだけで襲ってこない。まあ、追い込まれてる時に群がられると結構厄介なんだけどね。本命は次のエリアだから」
今のところ、雰囲気がおどろおどろしく荒廃しているだけで、驚異になりそうなものは和泉守の目には見当たらない。崩れ落ちた人工的な建物の入り口を迷いなく潜り、中を走っていくヨアに手を引かれながら、和泉守は左右に立つ門兵のような巨像を見上げる。確かに、その手には武器のようなものが携えられていた。
「なあ、まだかー? 結構……まあ、歩いてるんじゃなくて飛んでるから体感がよくわかんねえけど、かなり進んだんじゃねえか?」
「そんなに慌てなくても。この先に行けばすぐ会える。……ほら、おでましだよ」
ごおおお、と地の果てから響いてくるような音が轟いたのは、その瞬間だった。足を止めたヨアの目の前、廃墟が佇む池のど真ん中から、巨大な黒い影が立ち上がる。巨大も巨大、それはどんなものを前にしても足が竦むことなどないと自負していた和泉守の、予想を遥かに超えていた。時間遡行軍が現れる際には、上空の時空の歪みができるのを見たことがある。その大きな歪みを埋めてしまうのではないかと思えるほどの巨躯だった。さすがの和泉守も、どう斬りかかれば有効かさえすぐには算段できない。
「で、でけ……でけえ。なんだ、こいつ……」
「でかいよね。あの光に当たるとマズいから、こっちに逃げよう」
鼠を追い込むようにして、巨大な青い光が迫るのを、ヨアは和泉守の手を引っ張ることで手早く避けた。図体がでかすぎて全貌を把握できないが、触角のようなものがついた頭から、青い光が射出されている。
「マズいって……どんな風に?」
「ここに隠れて見てな。あいつが恐れられてる理由がわかるから」
柱の影に身を隠したヨアが、先ほどすれ違う形で追い越した巨大な生物を振り返る。不気味な音を立てながら、生物はうじゃうじゃと沢山ある脚を動かしながら、狙いを一点に定めて動きを止めているようだった。青ではなく赤い光の点滅が浴びせられたその先を見て、和泉守の心臓が早鐘を打つ。
「お、おい、あいつ襲われるんじゃ……」
白い羽根を持つ、マンタのような生物が宙を泳いでいた。もちろん人ではなく動物らしき生き物だが、それでも巨大な竜よりは明らかに弱々しく見えるそのマンタを見て、和泉守が嫌な予感を募らせたその瞬間。断末魔のような声と共に、風を纏った巨体が突進してきて、その光は綺麗に消え失せていた。何も泳いでいない空中を、ヨアは驚くこともなく淡々と眺めている。その様子を見て、和泉守はヨアの行動の意図を知った。
「お、お前、わかってたのになんで……!」
「ああなったら誰にも止められないんだ。この世界の誰にもね。あの突進を防ぐ方法はどこにもない。唯一、攻撃を無効にする魔法はあるけどそれも時間制限付きだし……ボクらならともかく、あのマンタみたいな光の生物は、ただ食われることしかできない」
「だからって、何も見殺しに……!」
責めるような口調になった和泉守の背後から、また青い光が闇を横切る。今は言い争っている場合じゃない、と我に返った和泉守を連れて、ヨアは無言で廃墟の中まで一直線に飛んだ。直後、青色の光が舐めるように石壁の中に反射して、二人のいた場所を執拗に辿っていく。
「だから、こうやって隙を見て移動して、あいつらのサーチライトに当たらないように身を潜めるんだ」
話すヨアの頭上を、ガラガラガラと不気味な音を立てながら、黒い煤のようなものを溢して竜が通過した。愕然と見上げる和泉守の横で、身を守るように抱き寄せていたヨアは、小声で囁いた。
「あの光に当たると感知されるけど、逆に当たらなければ真下にいても気付かれることはない。センサーみたいなものかな。今のうちに行こう」
上方にある廃屋の出口に向かって、ヨアは和泉守の手を引いたまま一気に駆け上がった。軽く息を切らせた和泉守は、背後で再び不気味な不協和音を耳にして立ち止まる。それに合わせて、ヨアも一瞬だけ、耳を澄ませるようにじっと足を止めた。やがて場が静かになると、ヨアは砂丘が下り坂になったようなエリアの先へと、再び足を進ませた。
「……誰か狙われてる。まあ、羽が散った音はしないから、多分大丈夫でしょ。ボクらは先に行くよ」
「なあ、あいつらは……あの目玉から発する光で、何を感知しようとしてるんだ。野生生物の捕食本能だとして、なんでそこらへんに生えてる草とか蟹じゃなくて、光ってる生き物や人間を食らうんだよ? お前らも……あいつの獲物なのか?」
一匹どころではない、さっきの巨大な竜がうようよと巡回する砂原には、建物ほどに大きな、太古の生物らしき骨が幾つも転がっている。そのうちの一つに身を潜め、外の様子を伺いながら、瓦礫の壊れるような耳障りな音を立てて通過していく竜たちの気配を警戒しつつ、ヨアは和泉守に説明した。
「あいつらに、悪意なんてない。意図も邪悪さもない分、遡行軍よりタチが悪いかもね。
あの生物は、……暗黒竜は、幸福や喜びを食らうんだ。底なしの胃袋みたいに果てがない。ただ、いくら取り込んでも満たされない乾きと飢えを抱えて、本能のままに光を追い掛けてくる。幸福っていうと抽象的だけど、要は生きるのに必要な気力とか、希望とか、エネルギーとか……そういうもの全部」
闇の花を燃やして火の玉を回収する間にも、青いサーチライトの光と音が迫る。慌てることもなく、ヨアは岩壁を挟みながら竜の背後に回ると、その姿を追い掛けるように、慎重に距離を取って荒れ地を進み始めた。獲物を見つけない限りは、ただ順路を巡るだけでその挙動は大人しいものだ。エビにも似た造形で、硬い甲殻をしならせて蛇行していく暗黒竜を、和泉守は観察していた。
「髭切の奴、あんなヤベーもんを本丸で飼うとか言ってやがったのか……」
「まあ、ハロウィンの時背中に乗せてくれた奴もいたし、星の子に友好的な個体もいるらしいんだけど……最近あれがぬいぐるみとして発売された影響で、幼体の頃から星の子と絆を結んで育つ暗黒竜の事例も観測できたって、紫咲言ってたし。そういうのを指して言ってるんじゃないかな。だとしても、おっかないことに変わりはないけどね……」
もう一つ回りたい場所がある、と口にしたヨアは、土管を抜けた先にある黒々とした海で、座礁した船の傍の火の玉を回収してから、廃工場の土管のような場所を登り始めた。足元にべちゃべちゃと泥が纏わり付き、ごぽごぽとパイプが音を立てるその場所は、裸足で降り立つのも嫌になるほどだったが、服を汚したくないと喚いていたはずのヨアは、何故か神妙な顔で騒がずに和泉守に言った。
「あいつらがどうやって生まれたのか、ボクも知らない。でも一説では、人間の負の感情や憎み合う心があの虚無を生み出したとか、人間に搾取された生物がその恨みであの姿に変わったとか、そういう風にも言われてるんだ」
「人間の……」
見晴らしのいいパイプの上から黒々とした海原を振り返り、和泉守はこの世界が、現実離れしていながらも妙に現実味を帯びていることに気付く。特にこの〝捨てられた地〟は、単なる石積みや魔法を使ったものだけではなく、工業的かつ人工的な建造物が目立つのだ。化学工場。船。滅んだ生物。干からびた砂地。時代の中で、和泉守も多かれ少なかれ、その流れは目にしてきた。
「……この先には、何があるんだ?」
「来てみればわかるよ」
汗っぽい掌を繋ぎ直したヨアが、和泉守を最後の場所へと誘う。パイプを登り切った先に続く砂の道。鮮やかな色彩のケープを翻して、和泉守たちが上空から目にしたのは、色を失った荒涼地帯。見渡す限りの砂漠に、盾や槍のようなものがところどころ埋まり、柄に結ばれた紐が虚しく風に靡いている。
遠方には、機能していないらしいものの、砦のようなものが聳えていた。和泉守が、砂地の上で長髪を靡かせながら目を細める。
「戦場の跡……か?」
「ボクはAURORAのコンサートの中でしか見たことないけど、そうらしいんだよね。何のために戦っているのかもわからなくなるぐらい、ひどい戦争だった。沢山の人が殺し合って、沢山の人が死んだ。地上に繁栄してた生物が全部死んでも、残された人や子供達がどれだけ泣いても、戦争で傷付いた世界は簡単には元に戻らない。それを忘れさせないためのエリアなんだと、ボクは思ってる」
遥か上空、砦のてっぺんまで手を繋いで飛び立つと、ヨアはその石積みの上にふわりと降り立つ。見下ろせばその内側は、地面に突き刺さった武器や残骸だけが目立つ、寂しい遺跡だ。遥か砦の上方まで舞い立つほど激しい砂埃を浴びながら、ヨアは強風に髪を押さえ、無人の廃墟を眺めながら呟いた。
「……ねえ。兼さん達がやってること、ボクは間違ってるとは思わないよ。誇り高い使命だと思う。ボクだって、抗わないと自分や大切な人が殺されるって言われたら、武器を持って闘うだろうし、今までだってそうやって生きてきた。
だけど……一つだけ覚えておいて欲しいんだ。戦を経た世界は、もしかしたらこうなるかもしれないってこと。ボク達が戦って散らせた命の陰で生み出された世界は、もしかしたら取り返しのつかないものかもしれなくて、無慈悲に大切なものを奪われて苦しみ続けてる人達も、必ずいるんだってことを」
「夜明……」
いくら正しい歴史を守ろうとしたところで、その過程で守れぬものもあり、救えなかった命がある。幾度もそれを経験した和泉守が、知らぬはずはなかった。それでもヨアは、主を支える者として、自らこの本丸に関与する者として、言わずにはいられなかったのだろう。
ふっと力の抜けた笑いを浮かべて、ヨアは自嘲するように、涼やかなケープを纏った肩をすくめた。
「……なーんて。偉そうに語っちゃったけど、ボクが言うまでもないよね。兼さんはボクよりうんと長く、戦の世界を知ってるんだからさ」
「そうでもないさ。他の刀連中に比べたら、オレの方がうんと歳下なんだ。……けど、そうだな。戦ってのは、どっちかが勝って決着する。勝った方が正しい歴史になる。そして、勝ったとしてもその犠牲は絶対に消えねえ。……痛いぐらいわかってるさ」
何を以てすれば「守る」ことになるのか。先代の主の時から、和泉守が突き付けられてきた命題でもある。今、人の身を得て、心という物を覚え、自分の意志で動けるようになってからも、考え続けている。それに囚われて動けぬようになっては本末転倒だと思いながらも、時々は立ち止まって問い掛けずにいられない。そしてその問いに思いを馳せるのが、今は自分一振ではないことも、彼はまたわかっていた。
応えるように、ヨアが隣で強くその手を握る。
「さて。おしゃべりはこのぐらいにして、そろそろ行こうか。ここは早めに抜けてしまわないと厄介なんだ」
高所から飛び降りても重力に従うことなく、ケープを広げて滑空したヨアは、大きな闇花の側を通り、このエリア最後の大きなキャンドルの側で火種を回収してから、ちらりと周囲を窺って呟いた。
「……マズいな。花が全部燃やされてる」
「? さっきだって、先に通過した奴らが燃やしてった後は、似たような状態だったろう」
現に他の星の子の気配があり、彼らが燃やして先に行ったのだろうと想像がつくし、燃やされたところで後に残る火の玉さえ回収出来れば何の問題もない。同じように巡って来たこれまでのエリアを思い出して首を傾げる和泉守だが、それに反してヨアは慌てているようだ。
「そうなんだけど……ここはちょっと、あまり誰かに先行されるとこの先の仕掛けがね。とにかく急ごう」
訳のわからぬままヨアに豪速球で手を引っ張られた和泉守は、あっという間に荒地の先を進んでいた星の子の影に追いついた。そう思った瞬間、エリアの突き当たりにあった神殿の、鋼鉄製の檻のような門が、ゴゴゴと大きな音を立てながら上方に持ち上がって開いていく。
「ヤッバ!」
「おいおいおい、何をそんな慌ててんだよ? ここにはあの竜はいないんだろ?」
この神殿がエリアの終着点である事は聞かされていたが、だとしたら尚更急ぐ必要はないのではないかと思う和泉守に答える余裕もないまま、ヨアは大慌てで、他の星の子と協力しながら門の手前にある闇花を燃やし、火の玉を回収する。
前を行く星の子に続いて、閉まり始める門の下を間一髪でびゅんとすり抜け、神殿の中に潜り込んだヨア達の背後で、ガラガラと檻の閉まる音がした。蝋燭の薄明かりが灯る階段で軽く息を切らしたヨハネは、服の埃を払って立ち上がりながら、ただ静かな声で和泉守にこう告げた。
「後ろ向いてごらん」
向けなかった。言われるまでもなく背後の妙な気配に和泉守は気付いていたのだが、あまりのおぞましさに躊躇したのである。
それでも首を捻って振り返れば、何もいなかったはずの荒地に、四つの青い丸が浮かんでいた。何度も見た、サーチライトの光だ。
どこから現れたのか、触覚と幾本もの腕を威嚇するように持ち上げた暗黒竜は、あの真っ青な一つ目で、心なしか一斉にじっと門内の和泉守の方を眺めていた。
まるで、自分たちをこんな姿に追い込んだ人間を恨み、安全圏に逃げ込んだ獲物を非難するかのような眼差しで——
*****
その後、本丸に戻った和泉守は、直生に今日のことを話してみた。
最近になり、やっと鍛錬以外のことでもあれこれ話すようになった直生は、事のあらましを聞いて容赦ない顰めっ面をその顔に浮かべていた。
「げーっ!? ヨアの奴、兼さん連れて捨て地なんか行ったのかよ!? なんでわざわざあんな辛気臭ぇ場所を……もっと他に遊べそうな場所も、綺麗な場所も幾らでもあるじゃねーか」
「いやぁ、オレは結構楽しめたけどな。それにまぁ、あいつがあそこを案内したのも、それなりに意図があっての事だったんだろ」
苦笑する和泉守に、直生は首を傾げている。縁側で共に食べ終わったおやつの団子の串を指先で振りながら、和泉守が言った。
「同じものを守りたいと思ってんのは、別にオレだけじゃねえってことさ」
「ふーん? まぁ、兼さんが楽しめたんならいいけど……」
今度はオレとも遊覧飛行しようぜ、と無邪気に笑う直生に約束しながら、和泉守はあの淀んだ空と、そこで寂しげに揺蕩う巨大な黒い影を思い出していた。