新しくうちに来た、セイのことが少し書かれています。
どんな子になるのか、どんな関わりになるのか、これから楽しみです。色々固まりつつはあるんだけど。
久しぶりに酷い夢を見て、涙の中で溺れそうになりながら目が覚めた。
呼吸が浅く、体がどっと疲れている。
隣でヨルくん達や夜翰さんが寝息を立てる中、頭が切り替えられないまま、勝手に涙だけがどんどん溢れてくる。夢の中では泣いていなかったはずなのに、目が覚めてから結局泣いてしまった。
隣で寝ていた大柄な青年の、赤褐色の長髪から伸びていた大きな獣の耳が、何かを察したようにぴくりと小さく動いた。
眠たげな声が、静かな洞窟の奥底から響いてくる水滴の音のように、一つ問い掛けた。
「どうした」
「……」
「どこか痛むのか」
「いや……何か変な夢見て。ごめん、今めちゃくちゃ死にたいんだけど、私、もしかしてどうにかなっちゃってる?」
「俺の見た感じ、特に何の変化もないが」
低く揺蕩う声でそう答えた主——神龍の
鱗の下にふっさりと毛の生えた、龍らしい尻尾を慮るように体に被せながら、セイが言う。
「大丈夫……大丈夫だ。ここにはお前を害すものは何もない。夜羽も、恵李朱も、夜明も、皆お前を愛してここで朝を待っている」
私の心中の怖れを、体内の水の流れと涙から見て取ったのか、波紋のように静かに、セイの声が語り掛ける。揺れていた現実の位相が少しずつ元に戻り始めて、私は背中を撫でる大きな掌に導かれるまま、ゆっくりと呼吸を繰り返した。
「だいぶ荒れていたようだな。これで少しは落ち着くか」
「ん……少しね。何だったんだろう、本当に。なんか、こんなに絶望的な気持ちしかないことって世界にはあるんだなって、久しぶりに思っちゃった」
頭のコントロールが効かない、と言うべきなのだろうか。
目が覚めた直後、「死にたい」という視界でしか物事を見られない自分を、もう一人の自分が平坦な目で見ていた。
これは一時的な“状態”の一種なのだ、まさかこれで本当に死ぬはずはないだろうと頭ではわかっているのだが、その視野狭窄度と絶望感だけは本物で、何の前触れもなしにそうなってしまった事に、純粋に驚いてショックを受けた。
親から役立たずだと責められる夢なんて、最近とんと見ていなかったから油断した。夢の中で嫌な顔をされ、こんな状態でこの先どうやって生きていくつもりなのかと詰られる事に、何の心の準備も出来ていなかった。今の自分の在り方を、親からも責められ、かつての先生からも責められ、漸く目が覚める。わかりやすい悪夢だ。
「何か、お前に心当たりみたいなものはないのか」
「全然。だって最近、体調も少し良くなってきてずっと楽しかったし。昨日だって寝る前に見たかったライブの配信みんなで見たばっかだし……熱出して不調だったから、少し無理はしたかもしれないけど」
熱を出して凹むことも、数ヶ月前よりは少し減ったと思ったのに。
そう考えながら首を傾げると、セイは私と同じように、うつ伏せで肘を立てて寝転がったまま、ゆるりと首を傾けた。
「むしろ、そのせいじゃないか」
「?」
「完全なる快調には程遠いとはいえ、多少普段通りに体が動くようになってきたのならば、働くなり仕事を見つけるなり、自分と誰かのために、金の糧になる手段を見つけなければと、そう考え始める人間だろう、お前は」
そう言われて、少し驚いた。
確かに、そう思っていたのは否めない。いくら体調が悪いとはいえ、こんなに毎日家で夫の稼ぎに甘えてごろごろ過ごしていることは本来許されなくて、多少無理をしてでも社会復帰しておかなければ、後々本当に家族が働けなくなった時に困ったことになるんじゃないか、と。
それは普段あまり意識し過ぎないようにしている事で、自分を追い詰めないよう、心の深い奥底に鍵を掛けて押しやっていた。今回、自分でも知らないうちに、その蓋が少し開いていたのかもしれない。
自分でもわからずにいた焦りを言い当てたセイに、小さく溜息を吐くと、傍で見守っていた翡翠の瞳は、カーテン越しの朝方の光の中で、きらりと輝きながら私を見下ろしていた。
「お前、真面目すぎるんじゃないか」
「私よりよっぽど大真面目なセイに言われたくないよ」
「俺が真面目なのかどうかは知らんが」
人に裏切られた経験を持ち、それでも今も尚、主としての私や皆の傍にいることを選んでくれる青雨は、十分に優しく真面目だと思う。
よくわかっていない顔で耳を動かす本人を、私は苦笑いで残して布団から這い出し、机の上の白湯を一口飲んだ。冷房はつけっぱなしとはいえ、一晩飲まず食わずでは喉が乾く。ピルを飲んでいるから、血栓症も心配なところだ。ヨルくん達を踏まないよう注意しつつ、もう一度布団に戻った。
一度身じろぎしたセイは、腕の中に戻ってきた私を着物の袖に覆うようにしながら、頭を抱いてぽそりと呟く。
「……俺は、良い神ではないのだろうな」
「なんで? どしたの、突然」
「お前にとって何の力にもならんとわかっていても、お前が苦しいとき、俺はどうにかお前の苦しみを取り除けないかと考える。だが、良き神というのは本来、ハクのように幅広く大勢の人間の幸せを願うものだ」
ふと寝返りを打って振り返れば、噂の主が、ヨルくんと恵李朱くんに囲まれて、派手な寝相で眠っている。亜麻色の髪から生える白い耳。小柄な体を丸めてふにゃふにゃ眠っているこの子——
そっと胸の方へ向き直ると、微かにはだけた浴衣の胸元から肌を覗かせたセイは、やや自重的な微笑みを含んだまま、私の髪をゆるりと撫でた。
「俺のように、一人の人間に執着するのは、お世辞にも良い神とは言えん。たった一人だけを幸福であって欲しいと願うのは、一番神らしからぬ振る舞いだろう」
「う〜ん……まあ、そうかもしれないけど、今のセイは龍であっても正式な神様じゃないんだし、そんなに偉い神様みたく模範的なこと考えなくてもいいんじゃない?」
私に青雨のことを教えてくれた、古くからの知り合いであるらしい伽々未さんも言っていた。セイは、龍でありながらその在り方は人に近い、変わり者の神だったと。
とはいえ生態は龍だから、未だ人の身に慣れずに生活面ではド天然をかましているところもよく見かけるけれど、そうまでして人の傍にいようとしてくれる人間臭い神様を、私は酷く愛おしいと思う。
ひやりとした体温の低い体に、私はぎゅっと両腕を回して抱きついた。
「私は、そんなセイが好きだよ」
「……」
「それに、うちには人間を大好きでいてくれたり、主のためにって必死で命を張ってくれる付喪神さんだって、いっぱいいるんだし。別に神様が一人の人間を好きだっていいと思うよ」
「まあ、それもそうかもしれんな」
くぐもった低い声でそう言って、セイは私を抱く力を強めた。少しだけ笑ったようだった。
「まだ、朝を迎えるには早い。多少眩しいだろうが、もう少しだけ休むといい」
寡黙なセイでも、こうして体に触れ合っていると、色んなことがわかる。心臓の鼓動の代わりに、体を流れる水の音色が聞こえてきて、しゃらしゃらちりちりと、私の心を静めていく。
それは、セイの記憶や感情を奏でる水音とも重なり合っている。穏やかで優しい音。どんなに表情から見えなくても、縋るように腕を伸ばして耳を澄ませばすぐにわかる。この優しい龍が、どんなに愛おしい目で、私を眺めてくれているのかということは。
少しでも涼しく眠りやすいようにと、氷が水の中で触れ合う音を、触れた体から響かせてくれる青雨。その音色が全身に染み渡っていくよう、そして私の周りで眠るみんなの中にも流れていくようにと願いながら、私は朝の微睡の中で目を閉じた。