マルメロ家だいすき日記2022〜2023   作:大野 紫咲

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右手の痛い主に、思うところがある兼さんの話。
前話からの続きです。
※この本丸オリジナルの人物や設定が色々出ます
※仲は良いですが、恋愛っぽい要素は薄いかなりゆるめの兼さに


剣とペン

「はあ……」

「どうしたの兼さん、人の誕生日に盛大に溜息なんか吐いて」

「いやな、主が三十路になって初めての修行にはオレが行きたかったってのに、前田の奴に先を越されちまったなぁ、と思ってよ」

「あらやだ、兼さんてばそんな事考えてたの?」

 

 思わず右隣の影を見上げると、月影(つきあかり)の中でも浮かび上がって見える程美しい睫毛に縁取られた、兼さんこと和泉守兼定の憂愁の顔つきが、仄かな溜息を吐きながらぼんやりと遠くの星空を見上げていた。

 隣に座ったまま、大きな掌が守るように私の右手を包み込んでいる。

 私が大きく体調を崩した時に、日々看病に寄り添ってくれてから数ヶ月。あの頃のような窮状は脱して、常に兼さんの助けを必要とするような状況はなんとか避けられているけれど、それでも兼さんは、時々こうやって黙って傍にいてくれていた。

 隣に座って、手を握り合う以上に大きな接触や進展はない。お互い、声を大にして関係性を主張するようなこともない。それでも、何となくわかる。別に恋愛や色めいたあれこれがなくても、お互いのことは大切に想っていて、このつかず離れずの穏やかな距離感が、一番心地良いのだと。

 

 修行に旅立つ前田くんを見送った日の晩、確かめるように私の右手をするすると触りながら、並んで本丸の月見をしていた兼さんの大きな体を見上げながら、私は言った。

 臙脂と黒の軽装姿とひとまとめの黒髪が、涼しげでよく似合っている。

 

「でも、前田くんは私の誕生日より前に出発して、丁度誕生日を跨いでから戻ってくる予定でしょ。だったら、その後で兼さんが修行に旅立てば、私が三十路になってからこの本丸で初めて、修行に出た刀ってことになるんじゃない?」

「そうだけどよ。なんかこう、タイミングってもんがあるだろ? 主の誕生日は、どのみち過ぎちまうわけだし」

「じゃあ、この本丸ができて二周年とか、兼さんが来て二周年とかの時にするのは?」

「来月か。まあ、本丸の周年祝いに合わせるのは、確かにアリかもしんねえなあ」

 

 何かを考え込むように遠くを見ていた兼さんはそっと視線を引き戻すと、ゆっくりと私の方を見て、軒下の行燈の明かりに照らされながら、微かに唇の端を緩めた。

 

「主。オレが、あんたが右手を思い通り動かせないことを知って、何を考えたか教えてやろうか?」

「え……前田くんは『猿の手』の話みたいだって言ってたけど、兼さんも何かあるの?」

 

 文字通りの猿手と、それによる神経への圧迫。まあ100%猿腕が原因と決まったわけじゃないのだけど、生まれつきの骨の曲がり方が、腕や手の不調の原因になるとは、去年医者で聞いた事がある。

 それをたとえて前田くんが、「猿の手」の話をしてくれた訳だけど、兼さんは兼さんで別の思いがあるようだ。

 きょとんと見上げると、星のように静かに微笑んだ兼さんは、滔々と話し始めた。

 

「あんたがこの本丸に直生(なお)を連れて来た頃、あいつが剣術を教えてくれって、頼んできたことがあったろ」

「ああ。そういえばそんな事……でもたしかあの時、兼さん最初は嫌がってたよね? 芝居向けの剣を教えるなんて自分の柄じゃないって」

「オレのは、実践殺法だからなぁ。芝居や演技重視の剣術とは訳が違う。本気で向かえば、血も流れるし傷も負う。遡行軍みたいな敵を相手にしてんだ、手加減なしで容赦なく叩き込めば、直生みてえな普通の人間じゃひとたまりもない。……と思ってたが、今思えば、本当の理由は別のとこにあったかもしんねぇな」

「別のところ?」

「心の何処かで舐め腐ってたんだよ。芝居なんかとオレらの剣を一緒くたにするな、人前で見せるための剣技と、命のやり取りしてる剣技じゃ訳が違うんだ、ってな」

 

 自分の青臭さを振り返るような、苦い笑みを浮かべて兼さんが言う。

 今でこそ仲が良いけれど、表の世界で役者をしている直生くんと、そんな彼の気高さや豪快さとどこか似た面を持つ兼さんとは、意外なことに少し溝があったらしい。

 最初の頃、気のいい短刀や打刀達が、外の鍛錬場で直生くんとの打ち合いの稽古に付き合ってくれている様子を、兼さんは屋敷の中から眺めていたのだという。

 

「今じゃあいつが芝居にどれだけ命懸けてるかわかるつもりだが、付き合いが出来たばかりの頃は、とてもそうは思えなかった。所詮、芝居は芝居。オレが何か教えたところで、学べる所なんかない。……チンケで安い矜持だと思うだろ」

「いやいや、そうは思わないけど。実際に命張ってる兼さんがそう思うのも、無理はないことだと思うし。それで……?」

 

 何せ、あの土方歳三の刀なのだ。気さくで面倒見のよいところがあるとはいえ、数々の血生臭い戦場を駆け抜けてきた本刀(ほんにん)には、譲れないプライドだってあるだろう。

 それがどう折り合いをつけたのだろう、と言葉の続きを待っていると、兼さんは少し思い出すような沈黙を差し挟み、庭の方を向いたままゆっくりと瞼を閉じてから、浅葱色の綺麗な瞳を開いた。

 

「あいつのなぁ、手を見てた」

「直生くんの手……?」

「直生は、あんたと違って左利きだけどな。何度、加州や秋田や前田たちにボコボコに打ちのめされても、あいつは決して刀を手放そうとしない。地面に倒れ伏したまま、空いた手で爪を立てるみてぇに、乾いた砂を掴んでた。あの真っ青な瞳だけは、どんな埃に塗れてもギラギラしててな。

悔しさで硬く握り締められた拳と、血と汗に滲んだ掌で竹刀の柄を掴む様を見ているうちに、オレは気付いたんだよ」

 

 まるでその時の情景を思い浮かべるように、眩しそうな目で広い庭を眺めていた兼さんは、その目をゆっくりと私へと向けた。

 

「前にな、あいつの鍛錬中に、あんたが横に来て小説を書いてた事があったろう」

「ああ……何回か、外が見える場所に布団敷きながら、携帯とかタブレットで書いてたよね。あの時は、連載抱えてたから必死で」

 

 体調は悪かったが、一度休んでしまえばもう二度と原稿のペースを取り戻すことができなくなりそうだったので、初志貫徹の精神で、何とか参加する企画の分の話は粗方書き上げた。

 その時は、ただひたすら自室に籠って寝込みながら作業をするのも憂鬱だったので、兼さんやまんばちゃんに付き添われながら、外の景色が見える日当たりのよい座敷部屋で、執筆をしていたこともあったのだ。

 まあ、実際にそれで原稿がちゃんと進んだのか、それともネタ出し程度で終わってしまったのかは、頭が朦朧としていたので記憶が定かではないのだけど。

 

「それと何か関係が?」

「オレの隣で這いつくばったまま、あんたはどんなに熱に浮かされても、ペンを離そうとしない。常人じゃ立ってるのもしんどくなるような熱が出てんのにだぞ。どれだけ無理すんなっつっても、『これを書いてた方が元気が出る』『自分がやるって決めたことだから、絶対にやんなきゃ』って、あんたは言う。その、止められねぇほど仄暗い執念が宿った瞳と、必死で縋るみてぇにペンを握り締めるあんたの手が——直生と、似てると思ったんだ」

 

 舞台役者に相応しく全身が堅強な直生くんと、病弱すぎる私とでは、欠片も共通点なんか見当たらない。

 そう思っていたから、思いもがけない評価にびっくりした。兼さんの視線が知らぬうちに注がれていた右の掌を、私はじっと見つめる。執筆や家事の余韻で、まだ筋肉が熱を持つような仄かな張りと痛みがある。

 その下から、私が痛がらぬようにと掬い上げるように慎重に掌で包んだ兼さんは、微かに息を吐き出した。

 

「あん時に気付いたんだ。現実も虚構も、実戦も芝居も、領域が違うだけで“戦い”である事に変わりはない。どちらがより重大だとか、そういうことじゃねーんだって。直生は直生の芝居で人を元気にするし、主は主の物語でオレらを生かしてる。……オレには剣を使った戦いしか出来ねえが、それは他人の戦場をバカにしていい理由にはならない」

「それで……直生くんの殺陣の練習に、付き合ってくれるようになったの?」

「まあ、あいつオレの想像を遥かに超えて、飲み込みが早かったんだけどな。ここまではいいっつってんのに、実践剣法まで覚えようとするし。あくまで人間としては、って話だけど、直生はなかなかに筋がいい」

 

 ついつい熱くなってしまう兼さんのその現場を思い出して私が笑うと、兼さんも釣られたように笑い声を上げた。ひとしきり笑ってから、兼さんが軽く包み込んだ私の掌を振る。

 

「だからな。あんたは、その……」

「うん」

「その……」

「……?」

 

 なんか、急に歯切れが悪くなったな。

 不思議に思って顔を上げると、長くて豊かな髪の隙間から覗く耳が、ほんの僅かに赤い。

 唸るように一度首を振った兼さんは、握った手に微かに力を込めたまま、振り向いた私をじっと見つめた。

 

「負けず嫌いで、執念深いあんたの()が好きだ。誰にも言わねえようなことも、苦悩も、必死で全部隠し込んで生きてる。せめてそれを隣で知っとけるように在りたいと思うし、……それだけじゃなくて、あんたを守れるように。もっと、強く」

 

 ぐっと低くなった声が、すぐ傍でそう囁いた。

 星の瞬く空の下で、その瞳は大きな感情の動きを見せないまま、けれど熱く燃え盛って、きらきら光る一番星みたいに見える。具体的な言葉にせずとも、その目が、真剣な表情が、何よりも雄弁に兼さんの気持ちを語っていて、胸が熱くなった。

 

「オレが折れても、この手だけは絶対に折らせない。あんたの筆も、直生の剣も。

今のままで守れるなら、それでもいいと思ってた。けど、オレが修行に出て更に強くなることで、守るための選択肢が増えるんだとしたら、それに越したことはない。今はそう思う」

「……ありがと。嬉しい。でも、折れるのだけはやめてね? そんなの、何を引き換えにされるより悲しいに決まってる」 

「はっ、わぁってるよ。そんな簡単に、オレがやられちまうわけねーだろ?」

 

 そう安心させるようにくしゃくしゃっと笑った兼さんは、すぐにお兄ちゃんみたいに私の頭を大きな掌で撫でてみせる。まあ実際はお兄ちゃんどころかうんと歳上なのだけれど、こんな風に時折見せてくれる近しさを感じる表情や仕草が、私は好きだ。

 今まで、何度重傷になっても、ボロボロにされても、帰って来た。だからこれから先もずっと帰って来るように、私は采配を誤らぬよう、審神者としての勤めを果たすだけ。

 こんなに中途半端でも、誰かが愛しんでくれる事を幸せに思いながら、私はぽすっと肩に寄り掛かり、件の右手を伸ばして兼さんの髪先をそっと弄んだ。

 

「あ〜あ……てことは、この下ろしたロングヘアともついにお別れかぁ。寂しいなぁ」

「おいおい、別に本丸にいる間ぐらい、髪型は自由だろ。見たきゃいくらでも下ろしといてやるよ。ずっとポニーテールでいなきゃならねえ規則でもあるまいし」

「そーだけど、私兼さんの下ろした髪と、あの袖のない羽織が本当に好きなんだもん。修行には行って欲しいけど、それだけが心残りだよ」

 

 修行から帰ってくると、みんな少しずつ今の姿とは見目が変わる。まんばちゃんなんてその最たるものだが、兼さんもどう変わるのか、他の本丸の極個体を見て知っている私には、十分名残惜しいものがあった。

 どっちも好きだが、初の姿をあまりにも気に入っていて、どうしても手放し難いのだ。けれど、こんな我儘にもいい加減ケリをつけるべき時なのかもしれない。

 兼さんが、苦笑気味に私の頭をぽんぽんと軽く叩いた。

 

「カッコよくて強いオレに、変わりはねえだろ? 何ならもっと、カッコよくて強い刀になって帰って来るからよ」

「それじゃ、遠慮なく期待しとくね」

「おう。今のうちに、好きなだけ焼き付けといてくれていいんだぜ」

 

 そんな事を言いながら、得意げに凛と胸を張ってみせる兼さんに、思わず肩を揺らして笑いながら、私は縁側に垂らした足先に、秋の夜風の涼しさを感じていた。

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