マルメロ家だいすき日記2022〜2023   作:大野 紫咲

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手痛い負傷を抱えながらも、逃げたタマミツネを追う矢羽と三日月。
その背後から、不気味な黒煙を纏った人ならざる者たちが襲いかかる。
三日月に場を任せ、矢羽はタマミツネを狩りに向かうものの、謎の敵たちの出現と同時に、何故かタマミツネは急に苦しみ出し…。

果たして勝負の行方は。


幽霊タマミツネの怪《第二話》

***

 

「くっそお……逃したか」

「ううむ。なかなかに手酷くやられたな」

「三日月、怪我は……?」

「俺は見ての通りだ。何、多少衣服を破いたくらいで支障はない。紫苑殿には、繕い物を増やすなと怒られてしまうがなあ」

 

 主にタマミツネの背後を狙っていた弊害か、鋭い背鰭や硬い尻尾の装甲部に切り裂かれた衣装の下から三日月の肌が見えていたが、本人は乱れた髪を直しながら飄々としている。

 回復薬を分け合って一息入れてから、矢羽と三日月はタマミツネが逃げた方角を追って上流へと向かった。

 

「しかし……あいつ、確かに凶暴だが、村の者が言うほど悪戯好きには見えなかったけどなぁ」

 

 思わずそう呟いて、矢羽が目の前の枝を掻き分ける。後方を守っていた三日月が、興味を持ったように相槌を打ってきた。

 

「ほう?」

「噂の通り体表の赤みは強かったが、普通、タマミツネの鰭や耳が変色するのは、興奮や怒り状態で、あいつらの血色が増すからだ。だが見た限り、あいつの動きは冷静さを欠いてはいない。怒り心頭でもないのに俺らにこれだけの傷を負わせたとすれば、相当の手練だぞ。そんな奴が、無作為に村の物を荒らしたりするなど……俺には、どうも考えられんのだが」

「おぬしはどう見る?」

「……まだわからん。だが、何か……本当に幽霊の類と関わりがあるのならば、何者かがあいつに取り憑いている、とか」

 

 自分で予想しておきながら、矢羽は馬鹿げた妄想にぶるぶると首を振った。

 この世界のモンスターは、確かに生態が奇怪なものが多いとはいえ、どれも理屈ある存在なのだ。幽霊や怨霊に憑かれるなど、突拍子もなさすぎる。

 

「いたな。さて、どう仕掛けたものか」

 

 ふと、背後を歩いていた三日月がそう声を掛けた。

 今度は、こちらが獲物を発見するのが先だった。崖下にある滝壺のあたりで、タマミツネは周囲を警戒しつつも魚を獲っている。先ほどよりは、少し落ち着いた様子だ。

 どう追い詰めるか矢羽が策を練っていたその時だった。ぱきり、と背後で枝を踏む音がして、矢羽はばっと振り返った。

 

「誰だッ⁉︎」

 

 その言葉が終わりもしないうちに、黒い煙を纏ったクナイが飛んでくる。

 抜き身でそれをかんっと弾いた三日月は、鋭く目を細めて、茂みの奥を見やった。ぞろぞろと、怪しげな黒い靄を纏った者達が一斉に森の中へ立ち上がる。

 

「お、おい、なんだよ、これ……」

 

 見たこともない、全身が黒に染まった連中だった。それぞれに、大太刀や薙刀など、物騒な武具を構えて唸りを上げている。傘や甲冑を各々纏った彼らの筋肉や体の作りは、あまりにゴツゴツとしていておよそ人間とも思えず、中には四本足の異形や、宙に浮いている小魚のような化け物もいる。

 矢羽によくわかったのは、彼らがおそらく話の通じる連中ではないという事と、明確にこちらに敵意を向けているという事だけだった。

 

「ギャアアア!」

 

 不意に鋭い声が上がって、矢羽は再度、滝壺の方をハッと振り返った。

 こちらに気付かれたかと思ったが、そうではない。タマミツネは、何と闘っているわけでもないのに、湖の中でドタバタと身をのたうち回らせながら、苦しんでいたのだ。その体を、うっすらと覆う黒い靄が見える。その気配は、黒甲冑の者達とよく似通っていた。

 余談なく、光る太刀を構えながら、三日月が敵から目を離さずに言う。

 

「これは、とんだ邪魔が入ってしまったなぁ。矢羽よ、すまんが先に行っておいてはくれまいか。俺は少々、野暮用を片付けねばならん」

「えええ!?」

 

 言うや否や、叫び声を上げてこちらに突進してくる黒甲冑の胴体を、三日月が一閃して薙ぎ払う。

 どう、と崩れては塵になって消える敵軍の中で、三日月は雄々しく、かつ華麗に刀を振り回していた。角を生やした黒甲冑の者らの動きはどう見ても人間離れしているが、三日月のそれも引けを取らない。唖然と見守る矢羽の油断をついて、気が付けばすぐ側まで、刀を振り上げた甲冑が迫っていた。

 

「うわっ……!」

 

 痛みを覚悟して目を閉じた瞬間、悲鳴を上げたのは甲冑の敵の方だった。

 矢羽が目を開ければ、遠くから三日月のぶん投げた刀に喉を貫かれた敵が、木の幹にもたれかかったまま、塵になって崩れ落ちていく。

 生身のまま、腕や足で敵を捌きながらこちらへ向かってきた三日月は、突き刺さった刀を引き抜き、いつもと変わらぬ笑みで微笑んだ。

 

「早く行け。お前が止めねば、奴はまた下流へ降りてしまうかもしれんだろう?」

「ったく……死ぬなよ!」

 

 仕方なく三日月を置いて、矢羽は草叢から湖へと走り出す。

 太く長い体でのたうち回るタマミツネは、あの滑る泡を四方八方に吐き出しながら、激しく水を巻き上げている。浅い湖底は抉れ、水が当たった岩が砕けそうな勢いだ。

 何もない場所だからまだいいものの、この体躯で田畑や櫓の側で暴れられれば、確かに小さな村の設備などひとたまりもないだろう。

 

(何としても、ここで仕留めるしかない)

 

 噂が本当かは知らないが、噂通りであるなら倒すことはできるはずだ。息を吹き込んで命を宿し、紫の光を発して燃え盛る相棒の柄に、矢羽は軽く口付けてから、じゃらんと琵琶の弦を鳴らした。

 泡の中で旋回を繰り返していたタマミツネが、音に反応して振り返る。ギロリとした目は血のような赤に爛々と輝いており、常軌を逸した殺気が、黒い煙と共に立ち昇った。先ほどの翠の目をしていた時とは、顔つきが違う。しかし、矢羽は躊躇わなかった。

 

「いくら脅されようと、俺は紫苑と望寧のところに、生きて帰らなきゃならねぇんでね。幽霊なんぞにビビってたまるかよ!」

 

 突進を間一髪かわし、大きく身を反らせながら飛びかかろうとするタマミツネの腹部へと、矢羽は勇猛果敢に翔蟲を放って飛び込む。内臓を殴りつける度、粉の詰まった袋をはたいた時のように、その体から黒い靄が上がって、矢羽は目を見張った。

 

(これは……?)

 

 初めての経験に戸惑いながらも、殊更高い位置にある頭部へリーチが届くよう、矢羽は全身の筋肉と反動をうまく使い、笛を頭上へと振り回した。

 びょおびょおと風が唸るような音が鳴り、太い笛の胴体がもろに頭部へ直撃したタマミツネは、怒りを露わにしながら牙を剥く。あっと思った瞬間、その口から激しい水流が発射された。

 旋回する水鉄砲の攻撃を受け、さらに地響きを立てながら振り下ろされた尻尾の一撃を食らい、湖へ叩きつけられた矢羽の体。目の前に翳された鋭い爪に、何とか躱そうと身を捩ったその時、タマミツネが叫び声を上げながらひっくり返った。

 

「矢羽。大丈夫か」

「三日月……!」

 

 血を振り落としながら、湖水へと着地した三日月がこちらを振り返る。そこには分断された尻尾と、傍で痛みに捩れるタマミツネの姿があり、その体内から次々と、黒い靄が空へと吸い込まれていくのが見えた。

 

「遅くなってすまなかった。一気に畳み掛けるぞ」

「ああ!」

 

 再度、旋律で己を奮い立たせて立ち上がり、矢羽は笛を担いだままで一気に突進する。月を背景に、すらりとした刀身を持ち上げた三日月は、目にも止まらぬ速さで、暴れ回るタマミツネの胴体を切り裂いた。あまりの見事さに、息をすることすら忘れたような様子でバランスを崩したタマミツネの首元へと、矢羽は笛を叩きつける。

 

「でやああああっ!」

 

 禍々しく奏でる禍ツ琵琶の旋律に気押されたかのように、タマミツネのか細い悲鳴が止んだ。どう、と激しい音がして、その体が水中に没し辺りが静まり返る。

 

「終わった……か……?」

「そのようだな」

 

 ボロボロの体を引き摺りながら、改めて矢羽は、狩猟したタマミツネを観察した。

 頭から尻尾の先あたりまでを歩いてみると、七十尺はゆうに超えているだろうか。メートル法に換算すれば二十メートル近くだ。

 心なしか、体からあの黒い煙が抜けるに従って、鰭や鱗の赤みも鮮やかになり、美しさを取り戻していったような気がする。

 そう思って矢羽が鱗に触れた途端、タマミツネの体は、そこからぱらぱらと崩れて風に舞い始めた。岩が風化するように、あるいは灰が吹き散らかされていくようにして、瞬く間に矢羽たちの前から削れてなくなっていく。それと同時に、削れたはずの川底が不思議な光に包まれ、時間が巻き戻ったかのように元通りになった。

 

「な……おい……! あいつ、消えちまった……! 本当にこんな事が……」

 

 狩猟笛の柄を携えたままで、唖然と矢羽が立ち尽くす。確かに、この手にモンスターにトドメを刺した時の、絶命の感覚があった。それなのに、煙のように消えてしまった。闘った痕跡も、あの大柄な体も、綺麗さっぱりと。

 共に斬撃を加えたはずの三日月は、矢羽に反して慌てることもなく、まるでそれが最初からわかっていた事であるかのように、月夜の元でからりと笑っている。

 

「はっはっは。消えてしまったなぁ」

「笑ってる場合か! ああもう、あんたまた服も泡でドロドロだし……」

 

 強い御仁であることに間違いはないが、どうにも世話が焼ける。

 苛立たしげに川の水を掛けて、衣服についた泡やられの部分を流し取る矢羽のするに任せていた三日月は、嬉しげに微笑みながら、その神秘的な瞳を細めて、矢羽にこう問い掛けた。

 

「なあ、矢羽よ。一つ、お前に尋ねてみたいことがあるのだが。その上で、俺に付き合ってはくれぬか」

「な……何だよ」

「ここの近くで、忘れ去られている古びた祠のような場所はないか?」

 

 三日月の問いかけは、およそ狩猟ともタマミツネとも、何の関係もなさそうなもので。思いもがけぬ質問に、矢羽は水に濡らした手拭いをその手に握ったまま、ぽかんと三日月の顔を見上げたのだった。

 

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