マルメロ家だいすき日記2022〜2023   作:大野 紫咲

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ここ最近の体調絡みで、浮き上がったり沈んだりの色々を取り留めなく書き綴った日誌。
とてつもなく長いので、3ページ構成です!

最終ページは、ヨアさん視点のお話です。
本当は前話でハッピーに終わる予定だったのですが、思いがけない事態が発生しまして笑
ここまで書いての一話分となりました。
※2025年から、夜翰さん→ヨアさんの修正作業を始めました!


世界で一番強い人《後編》

*****

 

 それから、また数週間が経ち、月が変わった。

 

 ライブがあったり、結婚式の出席依頼があったりで忙しかったし、その間ムラサキが体調を崩すして辛そうなのを見て、ボクは冷や冷やしたりもしたけれど、とにかくこれで次の通院から、本格的な検査や治療を始められるのだと、彼女は息巻いていた。

 ここまで、病院で先んじてもらったホルモン剤を飲んでもいたので、なんとか行事を乗り切れたのは薬のおかげだったし、また続けて薬を飲めばとりあえず順調に回復するものだと、彼女もボクもそう思っていたのだ。

 

 ——夜羽と恵李朱から、今日で通院と服薬は一旦終了になったという連絡を受け、ボクがサキの家に飛んで帰った時には、もうこちらの世界は夕方近くなっていた。

 

 仕事の撮影があったりで、なかなかここまで抜けられなかったんだ。

 大体の事情は夜羽たちから既に聞いてはいたけど、きっとこの決定に誰よりも辛い思いをしているはずのサキは、いつもとさして変わらない、けれど少しぼーっとした様子で、夕飯の米を研ごうとしているところだった。

 気を利かせて夜羽たちがリビングで過ごしてくれていたので、ボクは台所で付き添いながら、おそるおそるサキに尋ねた。

 

「検査……要らなくなったんだ……って……?」

「うん……そうみたい。薬を飲む前の血液検査の結果見たら、コルチゾールの数値かなり戻ってたから、あの薬を飲むまでもなく、元々ステロイドは出てはいるってことみたい。

『全く出ない病気』っていうのが疑わしかったのに、そのセンが潰れちゃったんだよね。

だからこれ以上は精密検査しても、時間とお金が掛かるだけで空振りになる可能性高いって言われた。

前異様に低かったあれは、多分その時たまたま低かったんだろうって。

薬が効いてたのは……なんだろう。安心感によるプラシーボ効果だったのかな。

とにかく、原因がはっきりしない以上アプローチのしようもないし、ホルモンが出てるんならホルモン剤出すわけにはいかないし、ここで出来ることはもうここまでと、そういうことらしい」

「……」

「参っちゃうよねえ。先生も参ってたけどさ。検査的にはどこも悪くない以上、何も言うことがなくて。

うーん……今までもずっとそうだったから、どこかでこうなる可能性をうっすら想定はしてたんだけど、まさかここまできてこうなるとは」

 

 今度こそ何かわかると思ったんだけどな、と彼女は苦笑を隠さずに言った。

 白菜の外の葉をちぎる手が、滑らかに動く。

 

「ごめんね。なんか心配掛けちゃって。

あれだけ大騒ぎしてたのに、結局また何もわからなかったね」

「そんなこと言わなくていい。あんたが謝るような事じゃない。それは……」

 

 即座に言ったけれど、それは誰が謝るべきことなんだろう。

 サキの体に重大な病気が隠れていなさそうだというのは喜ばしいことで、これまでの診断や結果も、それを検査してきた医者も、ここまで積み重ねたからには、きっと間違ってないと思うのに——それを突き付けられたサキは、ちっとも幸せそうじゃない。

 

 どうして神様は、人の目の前にぶら下げた希望を、こうも簡単に取り上げてしまうのだろう。

 何かを弄ぶかのように、そんな運命は何度も、コロナ禍にあってただでさえ不自由な世界を生きるサキを、何度もそれ以上の絶望に叩き落とす。

 これまでに何度も——きっとボクと出逢う前から何度も何度も何度も、サキはそんな絶望の最中に突き落とされてきたのだろう。

 思ったほどショックを受けていないように見えるのも、涙一つ流さないのも、もうこんな失望や絶望には慣れっこだからなのだと思うと、ボクは諦念の滲んだ横顔を見て、酷く胸が痛くなった。

 

「あ……で、でも、そこまでがっかりしてるわけじゃないよ。そりゃショックだけど。

薬の有無が関係ないってことは、体調管理次第でホルモンさえちゃんと出てれば、薬飲んでた時みたいに下痢を防げるようになったり、元気に旅行に行って帰ってくることも、可能ではあるってことでしょ。私の体がちゃんとお仕事してくれればだけど。

まあ……それでも気合でどうにもならないくらい具合が悪くなれば、またどっかの医療機関に罹るしかないんだけど……

ま、通院しながら体調と付き合ってたのが、通院なくなっていつも通りの生活に戻るだけだよ。だから、そんなに気にしないで」

 

 やれることはやってみるからと、逆にボクの方が慰められてしまった。

 鍋のスープの素を、流し台の下から探しているサキを見ながら、これじゃダメだと頭を振ってみる。

 サキに気を遣わせず、心配もさせないように。

 サキは、ボクに我慢させるのを嫌だと思っていたみたいだけど、それだって時と場合とか、程度によるでしょ。辛い人間が辛い時に笑顔を浮かべるのがどれだけ大変か、ボクはわかっているつもりだ。そんなサキの前で、余計な心配事や我儘を振り翳すなんて、ますますサキを困らせてしまう。

 どれだけ心に擦り傷を負っても、サキが何度も何度も立ち上がって泣かないと決めたのなら、ボクが泣くわけにはいかない。

 本人の言葉を信じて、頑張りたい時には背を押し、休みたい時には寄り添うこと。ボクに出来るのは、せいぜいそのくらいだ。

 ふー、と小さなため息が聞こえて、ボクは我に返った。

 

「……まあ、絶望も武器にして生きるって、この間言っちゃったばかりだからなあ、直生くんに。

言うは易し、行うは難しってやつね……正直これからの通院で何とかなると思ってたから、実際食らうとキツイわーメンタル」

「こんな状況であんたが反故にしても、直生は怒らないと思うけど……」

「いやいやいや。私は有言実行の女なのでね。ここで引いたら、あの曲を歌ってる人たちにもみんなにも、申し訳が立たないよ」

 

 なんとかポジティブに捉えられないかな、と呟きながら、冷蔵庫を探っている。

 今日も風の中を自転車漕いで、病院の後で在宅のミーティングにも出て疲れているはずなのに、野菜鍋の下拵えを次々と済ませていくサキ。

 これ以上は、ボクも口を出せなかった。きっと何を言っても蒸し返しても、傷付けてしまうのだと思う。きっと、一番辛いのは、痛いのは、本人だから。やすやすとわかったようなフリもできないし、それでサキが慰められるとも思えない。

  

「もうこの時間だし、お肉はまだ昨日のがあるから、鍋は野菜だけにしちゃおっか。

病院でもバランス問わずいっぱい食べた方がいいって言われたし、野菜鍋なら多分永遠に食えるよ私。見てこの素、あごだしだよあごだし。絶対美味しいに決まってるじゃん」

「この間買ってきたやつなんだっけ。一人鍋用の?」

「そう。個包装だから、これを大きい鍋に使えば、味薄でちょうどいいと思って。前、大袋の半分でも結構濃く感じたでしょ? 鯨はあのくらいがいいみたいだけどさ」

「サキの家、普通量だと味濃過ぎるもんね……」

 

 ルーでも何でも、材料表記の倍は薄めてるんじゃないかってぐらい、薄いのがサキの味つけ。でもそれに慣れた今では、不思議とそれが美味しいんだけど。

 

「本当は肉入れた方がいいんだろうけど、今から解凍するの面倒なんだもん。

いいよね手抜きで。足りないかな……? でも豆腐もあるし。春菊も入れようね、ヨハネさんが好きなやつ。あとはえのきと大根と……そうだ葱忘れてたわ」

「既に野菜だけで溢れそうになってない?」

「あはは、いつも入れすぎてこうなるんだよね〜。お肉入れなくて正解。

ていうか今思ったんだけど、余りの葱、小口切りじゃなくてみじん切りにして冷凍しとけば、味噌汁にも納豆にも入れやすくない? 朝卵焼きに入れても火が通りそうだし。天才じゃない???」

「? 玉葱じゃないよね。細長いのに、みじん切りできるの……?」

「だーいぶ前にTwitterか何かで見た。一度あれやってみたかったんだよねえ。

確かあれは十字に切れ目入れてたけど……この葱超太いなぁ。八分割くらいでいっか」

 

 いつも無理やり鍋に押し込んで具を詰めていたムラサキだけど、さすがに少し学習したらしい。

 首を傾げるボクの前で、サキは葱の筋に沿って縦方向に、器用に切れ目を入れた。先が広がって、花か房飾りみたいになっている。それを直角に刻んでいけば……たしかにみじん切りだ。サキが感心したような声を上げる。

 

「おー、すごいすごい。ほんとに細かく切れてる。これは楽だ。もっと早く思い出せばよかった」

「そういうのって、急に思い出すものだからね。むしろあんたはよく覚えてたと思うけど」

「へへー。汁物は弁当にできないから、豆サラダでも作って入れようかと……げ。豆の期限切れてる。前いたとこのスーパーで買って、買った後使おうと思ってたら1年ぐらい経っちゃってた。大丈夫かな?」

「不安ならやめとけば?」

「いやでも……葱が勿体無い。もう入れちゃった」

「ほんの数センチ分でしょ、そんなの!」

「んー、食べた感じ、古い味はするけど傷んでるようでは……とりあえず作っといて鯨に毒味させるか」

「あんたの旦那、ほんとに体よく使われてるね……」

 

 あまり変なものを食べて、お腹壊して欲しくないんだけど。

 たしか、まだ期限の切れていない缶詰の豆が、あと一つくらいは残っていたはずだ。丈夫そうな鯨さんはともかく、サキの分はそちらを使わせるべきか……と本気で悩んでいたら、切った春菊を水切り網に移していたサキが、ふと手を止めた。

 

「……ねえ。ヨアさんはさ」

「うん?」

「……私が笑ってると、嬉しい、かな」

「うん。それは……嬉しいに決まってるでしょ」

 

 いつもなら少し照れる質問だけど、今日に限っては嘘を吐く気にもなれない。

 水を注いだ鍋が、ことりと揺れる。

 ガスコンロの火が、銀色の鍋の下でゆらゆら踊る。

 微かなガスの音だけが、こぢんまりした照明の弱い台所に響いていた。

 暗いだの、床がボロボロだの、文句を言いながらも、シンクやガスが広くて快適だと、自分なりにいいところも見つけて自分のものにしてきたサキの台所は、まさしくサキの人生のようだった。

 そんな中で、ふと伺った隣の小さな肩が、震えているのをボクは見た。

 

「っ、だ、から……っ、私が笑って、誰かが幸せに……なるなら、私、笑ってなきゃ……って……っ」

「笑えてないじゃん。ねえ」

「今だけなのっっっ!」

 

 潤んだ瞳から、細い筋になって流れ落ちる涙を、彼女は乱暴に拭った。

 刃物があるから、さすがに抱き締めるのは憚られたけど、本当は今すぐ抱き締めてあげたかった。

 子供のようにわんわん泣いてしまいたい自分を、サキはボクら以外の前では絶対に見せない。

 ままならない現状におろおろして、本当は八つ当たりしてしまいたいだろうに、表では明るく振る舞いながら、見えない場所でただじっと耐えている。

 そういう姿を、ずっと見てきた。それでもサキは、生きることにどこまでも真剣で、気が付いた時には背筋も伸びて、消えない光が瞳に宿っている。その目はいつも、サキがこれまで出逢った誰かを、焦がれる相手を、前に見つめ続けている。

 その人たちの全員が倒れない限り、サキが諦めることもないのだろう。

 

「本当に、それだけ、なの。

無理とかじゃ、なくて……自分の笑顔が、誰かを幸せにするなら、笑っていたいの。

私が幸せだって思って、誰かが安心するなら……

だって、私が辛い顔ばっかりしてたら、ヨルくんやエリくんだって、この世界は辛い事ばかりなんだって思っちゃう。折角、自分で選んで、この世界に生まれてきてくれたのに。

だから……最後は笑って生きられるんだって、思って欲しいの。笑える世界を作るために、頑張ってきた人達の背中を……なかったことにしたくない。

だから私は、泣かない。嘆かない。

泣いても……乗り越えられることは、全部乗り越えて、向こう側に行く。無理って思っても、やれる事は一生懸命やって、味わえる幸せいっぱい噛み締めて。全部を大事にして、辛い時こそ笑うの。

そういう自分になりたい。それが、私の望む私だから」

 

 鼻を啜って、もうぎこちない笑顔を作ってみせようとする。

 包丁とまな板を洗ってから、目の前にやってきたサキの向かいに、ボクはゆっくりと立った。濡れたまつ毛で俯く顔を、じっと見つめる。

 心配には、なる。心配するなと言われても、無理な話だ。

 けれど、今のサキは去年の冬よりずっと、生きる強い力に溢れている。自分を御する方法を知って、この町でこの町なりの楽しさを知って。きっとボクが案ずる以上に、サキはずっと強い。今まで知る中で一番だって直生は言ったけど、ボクからすれば今までどころか、世界で一番をあげたいくらいだ。

 だから、ボクが言えるとすれば——

 

「……サキ。あんたがどんな顔でも、ボクは好きだよ。泣いてる顔も怒ってる顔も、ボクは好きだ。

でも、笑っててくれたらもっと嬉しい」

 

 顔の横の髪を撫でると、サキは照れたように笑った。

 ボクが言えるとすれば、笑い顔だけじゃなくて、どんな表情もどんなサキも、愛しいと思っているから心配ないってこと。夜明けの後には笑えるって、どんな時でも一緒に信じているってこと。

 

「それから……サキが笑ってるのはボクも嬉しいけど、泣きたいほど辛い時にまで、無理して笑って欲しくはない。それはわかるよね?」

「はい。なのでさっき泣きました」

「ふっ……そっか」

 

 しゃあしゃあと答えるので、思わず笑ってしまった。もうすっかり涙は乾いたみたいだ。

 別にもっと泣いてくれてもいいけれど、本人の気が済んだならそれでいい。

 相変わらずの切り替えの早さには舌を巻くけれど、本人的にはボクがいない間にもっと時間が掛かっていたようで、リビングに戻りながらサキは言った。

 

「さっきヨルくんたちの前でも泣いたし。あとは耐えられなくなって4人くらいLINEして、それからありとあらゆるSNSに書き込んで同情誘っといたから大丈夫。悲劇のヒロイン演じてだいぶ気が済んだ」

「それでなんとかなるんだ……」

「だっれからも反応ないと『あ……世間的にはそんなもんなんだね、ハイ……』てスンッてなって冷静になれるから、意外とおすすめだよ。

自分の悩みをしっかり向き合って聞いてくれる相手と、この程度大したことないと思わせてくれる環境のバランスが大事。どっちかだけだと辛くなるけどね。前者だけだと、自分はこんなに辛いんだ……って思いすぎて結局しんどくなるし、後者だけだと、誰も自分を気にかけてくれない……ってなってしんどくなる」

「なるほど?」

 

 転勤族だと人脈を作るのすら苦労すると思うけど、サキは家から一歩も出ずとも、それなりに上手く人との縁を利用しているらしかった。

 寄ってきた夜羽と恵李朱を抱き締めながら、ムラサキは炬燵で首をストレッチして傾けている。

 

「私も昔はかなり悲観的な性格だったし、まあそうなるに相応の出来事もいろいろあったわけだけど、結局それでいつまでもウジウジ泣いてたり、どうにもならない事で苦しんでたりしても、あんまりいいことないのよねー。

私はこんなに大変なんですって嘆くよりは、嘆いてる暇使ってなんか楽しいことした方が健康にもいいよなって、今はそう思ってるだけ」

「サキ、楽しいことを見つける達人だもんね」

「そう。楽しいことならいくらでも湧いてくる。それを『叶わないだろう』じゃなくて、『叶えられる』にしなくちゃね。スキマのライブには、行って帰って来れたんだし。

たとえ前向きになろうがならなかろうが叶わないんだとしても、それだったら尚更、前向きでいた方が精神衛生的にはいいじゃないの」

 

 そう言って、夜羽の目を見つめながら頭を撫でているサキは、もうその隣からスマホを持った恵李朱に、セーターワンピースの袖を引っ張られていた。

 

「ねえ見て( ˙꒳˙)やばい( ˙꒳˙)大阪城80階までいった( ˙꒳˙)今剣が誉取った」

「はいはいはい、ちょっと待ってねー。ていうかそんなに行ったの!? すごない!? 去年50階までしか行けなかったよね!? 弊本丸の極短刀部隊やばいな!?」

 

 合間を縫いながら、審神者業にも精を出しているようだ。サキが心を込めて育て上げた刀剣の世界を、ボクも時々覗いている。

 

「元気なのはいいけど、ほどほどに。無理しないようにね」

「はーい」

 

 いつでも元気じゃなくていいから、こんな風に楽しげに輝く瞳を、これからも傍で見ていたい。苦しいことも、辛いこともあるかもしれないけど、楽しいことをその何倍も、こうやって一緒に共有できるように。

 そんな決意も新たに、こめかみに小さくキスを贈れば、何も知らない彼女はその愛おしい瞳で、きょとんとボクを見上げたのだった。

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