ネタが被ってしまうのと、時系列の関係でここに挟みます。
そのため乙骨と里香も出てきますが、今回は順平と連盟員がメインです。
――僕には、人の「澱」が見える。
里桜高校に入学して、しばらくが経った頃。僕――吉野順平は、友人たちと共に映像研を発足した。
所属するのは、学校を卒業すればクラスメイトにも忘れられそうな、主張の強くない一年生が三人。
だから、暇つぶしに丁度良い“弱者”だと判断されたのだろう。
部室を不良たちのたまり場にされることに反抗した僕らは……いや
自分の努力で得たわけじゃない。たまたま親が“持っていた”
反抗なんてせずに、ヘラヘラと笑って調子を合わせるのが賢い生き方なのかもしれない。
でも、それで……自分があいつらと同じ存在になるのが嫌だったんだ。
2017年 7月
順平がいつも通りに学校へ行く支度をし、いつも通り、憂鬱な気分を顔に出さないよう気をつけながら玄関へ向かおうとしたとき。母――吉野凪に呼び止められた。
「ねぇ順平。今日さ、学校サボって遊びに行かない?」
「えっ」
唐突な提案に、学校へ行きなくないと思っているのが……いじめを隠しているのがバレたのかと内心焦る。
「……いや、来週から夏休みなのに何を言ってるんだよ母さん」
焦りながらも順平が取り繕っていると、母は酔っ払いのように絡んできた。
「テスト終わったんだからいいじゃん! 夏休み前だから、今なら空いてるって!」
ね、と念押ししながら、無駄に上手いウィンクをきめる母に、強張っていた順平の表情が緩む。
高校に入ってから素気なくなったと不満を訴える母に、渋々了承した体を装って「今日だけ」だと答えてから自室に戻る。
着替えるために向かうその足取りは、先ほど玄関へ向けたものよりも軽かった。
人気店や有名店の立ち並ぶ通りには、平日の昼間だというのに人が溢れる。
自分たちのように遊びに来ている人。仕事中なのか、足早に歩く人……。
すぐ側にある交差点には車通りも多く、信号待ちをしている間に大型のトラックが何台も通り過ぎていく。
赤信号で立ち止まっていた順平たちの前に、身なりの良いスーツ姿の青年が立つ。
スマホを片手に通話するその人が、楽し気に週末の予定を立てているらしいのが聞こえる。
高校に入学したころは、自分もあんな風に友人と映画館に行く予定を立てたものだと、少しうらやましく思った。
そんな暗い気分に浸っていると、不意に右足から“虫”が這い上がってくるような……悍ましい感覚がして誰もいないはずの右隣を振り向いた。
目深にかぶった灰色のパーカーに、濃い色のジーンズ。視界に入っているのに、そこには誰にもいないと錯覚する。
透明人間のように気配のない人物が、ポケットに入れていた手を胸の前に掲げ……目の前の青年を
「あっ……」
声を漏らした自分と、青年を突き飛ばした人物の目が合う。フードに隠れていた顔が、自分と同じ年頃の少年のものだとわかる。
……気付いたことに、気付かれた。
そう思ったときには、自分の背中も
大型トラックのクラクションが鳴り響き、事態に気付いたらしい周囲の人々の喧騒が静まる。
「順平!」
近くで叫ぶ母の声が遠くに感じて――腕を掴んだ誰かに身体を引き戻された。
自分と入れ替わるように母が道路へと飛び出し、トラックの側面に当たって跳ね飛ばされる姿が目に焼き付く。
――何だこれは?
うつぶせに倒れた母に訳も分からず駆け寄って、名前を呼ぶ。
――何が起きている?
そっと触れた母の身体の下に、赤い水溜まりができていくのが分かる。
――これは……現実なのか?
手足が震え、動けずにいる自分の視界の端に、うずまきのボタンをした白い学生服が映った。
“医療教会”。そこで治療を受けた母の眠るベッドの側に順平が座るが、ここまでの記憶が夢でも見ていたかのように曖昧だ。
先に
周囲に居た人から聞いたという話と、自分の見たものが全く違ったことに、返事をする気力も起きなかったけれど……。
歩行者用の信号機の色は赤。横断歩道へ大型トラックが差し掛かった時、青年が道路へと
怪我をした女性は、青年に
……誰も見ていないのか? 誰にも……見えていなかったのか?
あの青年は、フードを目深にかぶった少年に
母の眠るベッドの縁を握って考えに沈もうとしたとき、病室の扉をノックする音がして、看護師が面会時間の終わりを告げに来たのかと振り返る。
しかし扉を開けて立っていたのは、あの時、救急車を呼んでくれた白い学生服の少年と少女だった。
お辞儀をした少年が病室に入り、順平の視線が向けられたのを見てから口を開く。
「初めまして。呪術高専の乙骨と祈本です。吉野順平さん、あなたに確認したいことがあって来ました」
「……呪術?」
そう言った少年の言葉に困惑していると、乙骨が椅子に座る自分の前まできて片膝をつく。
「お母様が大変な時に申し訳ありません。ですが、少しでも思い出してください」
彼の行動は上から見下ろす威圧感を与えないためのものだろうが、洗練された動作が本物の騎士のようだと、状況も忘れて場違いなことを考えた。
そんな少年に続いて病室に入ってきた美しい少女が、扉を閉めてこちらに歩み寄る。
「例えば……誰かに
日本国内での怪死者・行方不明者は年平均一万人を超える。
その殆どが、人間から流れ出た負の感情――“呪い”による被害だ。
多くの人間には見ることもできない“呪い”。人々を襲うそれらを見つけ出し、祓うことを生業にしているのが、乙骨たち“呪術師”である。
「僕たち呪術師は、呪術……超能力のようなものを用いて呪いを祓います」
その力は強力なものも多く、“呪術”と呼ばれるだけあって、他者を呪い殺すことも可能だ。
「今回、吉野さんが見たのは悪質な呪術師……“呪詛師”だと思われます」
あの呪詛師……。吉野順平に
その後、すぐに消えて居なくなったことから、恐らく“存在を消す術式”を持っている。
同級生に「呪力探知が超ザル」と言われる乙骨だが、呪霊や生物の“気配”には聡い。
そして呪力コントロールにより呪力量を一般人程度に抑え、周囲に紛れていたなら里香には感知できる。
それが、二人とも気配を追えなくなった。
一見、強力に思える術式だが、呪具を持ったり、拳や得物に呪力を籠めれば探知され、術式で気配を消した意味がなくなる。
“呪術師”として生きていくには、使い勝手がいいとは言えない術式。だが“非術師”が相手となれば、話は変わってくる。
人が人を
そこに残るのは、人が“飛び出した”という不幸な“事故”のみだ。
呪術師としての素養が高いとは言えない“窓”では、“事故現場”の、時間が経過してさらに薄くなった残穢を見ることは難しい。
放っておけば、呪詛師はこれからも
呪い。呪術師と呪詛師。呪術……。
人間を呪う化物と、化物を呪う人間。それから、人間を呪う人間……。
それらは順平にとっては突拍子もない話で、意味も理解できていない。けれど――。
「母がこんな目に合う原因を作った奴を、あなたたちは追うんですよね?」
表情の読み取りにくい乙骨と里香が小さくうなずくのを確認して、順平が視線を下げる。
怪我をしたのが自分だったなら、相手にこれほどの怒りを覚えることはなかっただろう。
怒りを覚えるどころか、情けなく怯え、震えていたかもしれない。
だから、こんなことを口走るなんて……きっと気が動転していたんだ。
「僕にも……できることはありますか?」
非術師である吉野順平が「呪詛師の討伐に協力したい」と申し出るのを聞いて、乙骨と里香が困った顔になる。
彼は今回の事件の被害者であるため、呪術についても説明をしたが、あまり深入りさせては乙骨たちが呪術規定に違反する。
呪術師として、彼の協力や任務への同行を許可することはできない。
「申し出はありがたいですが、協力をお願いすることは――」
ない。と続けようとしたとき、病室の扉が開くと共に声がかけられた。
「“連盟”は君の協力に感謝する」
音もなく現れた狩人に順平は驚き、乙骨と里香の表情が強ばった。
里香の呪力探知の範囲には一般人しか居らず、乙骨にも気配を悟られていない。
先日は相手の雰囲気にのまれて気にする余裕がなかったが……技量が高いだけの“非術師”だ。
「許可も得ずに入室して申し訳ない……。しかし、すぐに伝えねばと思ってね」
そう続ける連盟員の雰囲気は、規律正しい官憲隊のそれであり、先日の薄気味悪い姿は鳴りを潜めている。
順平が連盟員に注目すると、その人が残念そうに乙骨と里香を見ていた。
「そこの
一般人の殺しを請け負ったあの呪詛師は、標的である治療中の青年と、目撃者である吉野順平を消すつもりでいる。
吉野凪は事情を知る訳ではないが、彼女も目撃者として消される可能性は高い。
だが入院中の二人については、“医療教会”にいる限り危険に晒されることはない。
吉野順平についても、ほとぼりが冷めるまで教会が保護することを約束し、彼が望むのであれば、見てしまった「嫌なものを忘れる」こともできる。
その申し出を断り、乙骨たちが止めるのも聞かずに呪詛師をおびき出すことに協力すると決めたのは順平自身だった。
自身が危険に晒されることだけは、理解したつもりになっていたのだが……。
囮の役割を終えた順平と里香が待つ古いガレージで、積まれた瓦礫が派手な音を上げて崩れる。
その原因を作った連盟員が、慌てた様子の乙骨を押しのけ、外から引きずってきた何かを順平に投げ寄こした。
「君……。先程この
重苦しい雰囲気に息をのんだ順平の前に、血塗れになった呪詛師の少年が倒れ伏す。力の入っていないその背中を、連盟員が踏みつけた。
「この“人殺し”が、いくらであの青年を
異常な空間の中、予想していなかった質問の内容に順平が固まるが、連盟員は気にせずに話を続ける。
「50万だ」
「……は?」
金額が高ければ許されるという訳ではない。
だが、明らかに安すぎるだろうと、後ろで聞いていた乙骨と里香も、順平と似たような顔をしている。
その50万円という金額は少年の取り分だ。仲介役が相当な上前をはねていたため、さすがに依頼料は何倍にもなるが……。
「一流の“
だから依頼主は大金を積んで優秀な仲介役を探し、仲介役は依頼に最も適した殺し屋を雇う。
殺し屋は依頼失敗のリスクを下げるために大金と時間を使い、あらゆる策を講じて確実に仕事をこなす。
見られたからと、己の不手際で無関係な人間を殺すのはただの“人殺し”。“
「自覚がないんだよこいつらは! それだけの事をしているという自覚が!」
たまたま“持って生まれた”だけの呪術という才能で、何も考えずに他人から奪っていく。
「私が
踏みつけられた呪詛師の作る血だまりが広がったことで、さすがに止めようと動いた乙骨を連盟員が振り返る。
「
あのくらい、呪術師なら
恨みがましく吐きだされる連盟員の言葉が、乙骨と里香の胸に刺さる。
二人は“狩人”として呪詛師の討伐依頼を受けているため、連盟員が言うように呪術師として高専に守られることはない。
だが、狩人としても呪術師としても……「殺す」ことが日常となり、「死」への忌避が薄くなっているのは事実だ。
「人の命を奪っているという自覚が無い」というのは、他人ごとに思えなかった。
血だまりの中に大きな百足が――「虫」が跳ねたのを見て、使命を思い出した連盟員が口を閉ざす。
威圧感が収まり、熱くなってしまったと詫びる相手に、順平は曖昧に返事をした。
視線を落とすと広がる血だまりの中に、日常でも時折見かける何かがうごめくのが見えて、逸らそうとした顔がそちらへ向く。
「君……この『虫』が見えているな?」
そう囁いた連盟員の靴先が血だまりを跳ね、溺れながら這うそれを踏み潰した。
力を求める狩人は、人ならぬ上位者の声を表音した秘文字――カレル文字を脳裏に焼き、神秘の力を得ることがある。
血族である乙骨が、里香との“血の契約”により「穢れ」をその身に宿したように。
連盟員は「汚物の内に隠れ轟く、人の淀みの根源」――すべての「虫」を踏み潰し、もはや「虫」などいないと分かるまで、狩りと殺しを続けることを「淀み」に誓う。
契約によって「虫」を見ることは、目標を失った狩人たちへの慈悲なのだろうか。……
それ故に、「淀み」を宿すことなく「虫」が見えるとは、彼は
「吉野順平。君には三つの選択肢ができた」
そう語る連盟員は、いつになく機嫌が良さそうに見える。
1.このまま母親の待つ病院へ戻り、今までと同じ生活を続けること。
2.今夜見た「すべてを忘れ」、昨日までの日常を取り戻すこと。
3.連盟の仲間として、共にすべての「虫」を踏み潰すこと。
「ひとまず今夜は病院まで私が……。いや、そちらの二人が適任か。君たちに彼の送迎を頼みたい」
緊張した面持ちで乙骨と里香がうなずくのを確認して、連盟員が順平に向き直る。
「何かあれば教会を訪ねるといい。目的が何であれ、我々は君を歓迎する……」
乙骨と里香に並んで歩きながら、順平は連盟員が去り際に呟いた言葉を心の内で反芻する。
――我々は人の内に、何を見ているというのだろうな……。
あの呪詛師が隣に立った時に感じた、虫が這いあがってくるようなおぞましい感覚。
特別な状況下におかれた、願う者にだけ見えるらしい「虫」が、以前からなぜか自分には見えていた。
このことに意味や理由なんて、ないかもしれないけれど……。
今わかっていることは、ただ一つ。
――僕には、人の「澱」が見える。