2017年 8月
ステンドグラス越しに夕日が差し込む静かな教会で、乱れの一切ない官憲隊の制服を身に着けた狩人が祈りを捧げている。
祭壇に置かれているのは“連盟の杖”で、握りの中には、連盟員の名を記した名簿が隠されていた。
「“血の医療”を受けても狩人になる必要はなく……狩人となっても連盟に名を連ねる必要はない」
唐突に声を上げた連盟員が意識を向けるのは、入口に佇む一人の少年。
学校帰りに訪ねてきたのか、吉野順平は半袖のシャツにスクールバッグを提げており……左腕には止血用の包帯が巻かれている。
「それでも僕は、見えていないことを理由に、目を逸らさないと決めました」
矛盾して聞こえる言葉を紡ぐ少年に、狩人が振り返った。
現時点で、高専が特に動向を注視している狩人は三人いる。
呪術師を狩人に引き入れることにも、呪霊の蔓延る街を
そして、術師と非術師に関わらず、
今、順平の目の前にいる連盟員がその一人であり、呪術を使えない身でありながら、見えない人々にとっての危険を数え切れぬほど取り除いてきた。
今までもきっと、自分たちは知らぬ間に助けられてきたのだろう。
「僕にも……同じことができますか?」
覚悟を決めた、真剣な顔をする順平に、連盟員が突き放すように返した。
「もう一度言う。『虫』が見えるからといって、君が連盟に名を連ねる必要はない」
仲間へ誘うように話しかけていた以前との違いに、順平がなぜなのかと言いたげな顔をする。
その様子を見ながら、連盟員が興味なさそうに続けた。
「大勢が進む流れに乗って生きるというのも、人間の美徳だ」
あの夜の苛烈さの欠片もない姿に、順平は落胆のような、苛立ちのような……何とも言えない感情が湧く。
人間の美徳?
最初から流されて生きることができていたら、理不尽に目をつぶることができていたら……。自分がここに立っていることも、母が事件に巻き込まれることもなかった。
そして自分が
不愉快さを表情に出した順平に、連盟員が笑みを浮かべた。
「……先ほどよりは、よい目になったな」
“連盟”とは、狩りの夜に轟く汚物すべてを根絶やしにするための協約。
「『虫』を潰し、潰し。潰し潰し……君も汚物塗れの人の世を知るだろう」
そこに正義感など必要ない。
絶えず狩りと殺しを続ける血濡れの使命の中で、ただ折れぬ狩人であればいい。
「それでも君が連盟の使命を受け入れ、仲間になるなら……」
いつか、自らの内に「虫」を見出し、自らの手で引きずり出すであろう道を進むというなら――。
「『淀み』をその身に刻むといい……」
“秘文字の工房道具”を頭に当て、脳裏に連盟のカレル文字を、人ならざるものの声を刻む。
その大それた行いにより、
生まれながら
「淀み」を刻んだ痛みに肩で息をしていた順平が、不意に頭に浮かんだ言葉を口にした。
「……“
少し掠れた声で呟けば、手のひらほどの大きさの、淡く発光するクラゲが現れる。
宙に浮かぶ式神の姿に、出した本人である順平が驚きに目を見開いた。
「……素晴らしい」
感嘆の声を上げた連盟員に驚いた様子はなく、満足そうに手にしていたものを順平に差し出す。
持ち手の飾りが外された“連盟の杖”を、順平は反射的に受け取った。
杖から覗く紙を引っ張り出せば、異国の文字で名前らしきものが書き連ねてあるのが分かる。
「新しい同志を、皆歓迎するだろう」
そう言われて何枚にも及ぶ名簿の最後を確認すれば……すでに吉野順平の名が記されていた。
「存分に励んでくれよ……」
――同志たち、連盟の狩人が協力するのだから。
京都の姉妹校との交流会を一カ月後に控えた東京の高専では、一年生でありながら交流会へ参加する“狩人”乙骨に注目が集まった。
校内を訪れている先輩呪術師たちの視線を意に介さず歩き、乙骨は教室の扉を開く。
「自習」と書かれた黒板を見て、一応、教科書を開きながらも、一年生たちは話に花を咲かせた。
自分や里香には「人の命を奪っているという自覚が無い」と、連盟員に言われた言葉を思い出す。
“狩人”としての乙骨の目的は、「血の穢れ」を集めることだ。
呪詛師を殺すことに疑問を持つ必要はないが、これが利己的で、忌避される行為であることを忘れてはいけない。
それを忘れた時、人間の
“呪術師”乙骨の任務内容も、呪詛師の討伐がほとんどのため、やることは狩人の時と大して変わらないが……。
「皆は、呪術師として誰かを助けたいとか……高専に来た目的があるのかな?」
ペンを走らせる手を止めて投げかけられた質問に、真希が怪訝な顔をする。
「あ? 別に私のおかげで誰が助かろうと知ったこっちゃねぇよ」
聞かなきゃよかった。
笑顔のまま固まった乙骨の頬を、里香が指先でつつく。
いつも通りな二人を慣れた様子で眺めてから、真希は誰にも話していなかった入学理由を語った。
「……私は性格
尊大ともとれる発言だが、ひたむきな努力を続ける真希が言えば、不快に思うことはない。
「そんで内から禪院家ブッ潰してやる……」
不敵な笑みを浮かべる真希の瞳は真っすぐで、強い意志が表れていた。
真希に続いて、高専から出ることが少ないパンダも過去を振り返る。
「俺も助けたいとかは特にないなぁ……。ぶっちゃけ、オマエら以外の人間って、よく知らんし」
「ツナマヨ……」
それもそうかと、納得してうなずいた狗巻が乙骨と里香を見た。それに続いて、パンダと真希の視線も集まる。
「オマエらが
聞くまでもなく呪詛師の討伐だろうと思っている同級生に、乙骨が入学した一番の理由を答えた。
「僕が里香ちゃんに贈る、“婚姻の指輪”を探しに行くためだよ」
「……はぁ?」
上位者と呼ばれる人ならぬ何者かが、特別な意味を込めた“婚姻の指輪”。
古い上位者たちの眠る“地下遺跡”のどこかにあるとされるそれは、狩人が“血の女王”に求婚する際に贈られたともいう。
国内の遺跡はすべて回ったため、見逃していない限り、指輪があるとすれば海外の遺跡だ。
「高専からの任務を受けるなら、来年には海外への渡航費が出るって五条先生が」
「遺跡に潜る合間に、呪霊討伐ツアーね」
にこにこと、乙骨に続いて答える里香はハネムーン気分である。……物騒すぎないか?
「あとは、そうだな……」
同級生の驚く顔を見て満足した乙骨が、五条の誘いに乗って呪術師になることを決めた日を思い出す。
教会に所属する狩人たちに派閥はあるが、組織的には敵対していない。
しかし、血にまつわる記憶というのは厄介なもので、カレル文字を刻んだ者たちの間では、何となく気が合わないというか……気に入らないといった意識が芽生えやすい。
特に、乙骨たち“血の狩人”――異端とされるカインハーストの装束と、“穢れた血族”に対する態度は顕著だった。
時代が時代なら、“処刑隊”とは殺し合っていただろう。
呪いと戦うという
では、“呪術師”としての乙骨憂太と祈本里香は、何がしたいと思ったか。
何が欲しくて、何を叶えたいと思ったのか。
人によっては「ささやかな願い」になるであろうそれは……「自分たち以外の、誰かと関わりたい」。
「誰かに必要とされて……生きてていいって、自信が欲しかったんだ……」
そう呟く乙骨に、狩人としても呪術師としても上位の強さを誇りながら、頼りない雰囲気だった初日の姿が重なる。
「……で、その自信はついたのか?」
机に片肘をつきながら問いかける真希に、乙骨と里香は下げていた視線を向ける。
両隣で同じように微笑みを浮かべる狗巻とパンダも合わせて、出会ってから半年にも満たない付き合いであるのに、彼らには敵わないと思った。