しかし、今回の話のメモはゼロだったので、捻り出すのに時間がかかりました。
順平くんに言わせたいセリフが大量にある……。
2018年 7月
西東京市 英集少年院
雨の降り続ける中、その場所を見上げるのは、呪術高専一年の虎杖と釘崎。
特級仮想怨霊の呪胎が確認される緊急事態のために派遣された二人だが、彼らはまだ入学してから二週間ほどしか経っていなかった。
今回の任務内容は、呪胎と共に宿舎に取り残された5名の生存確認と救出。
特級に相当する呪霊に成ると予想される中、「絶対に戦わないこと」を補助監督である伊地知が念押しした。
「今回の任務も、伏黒君がいればよかったのですが……」
やるせない表情で呟いた伊地知の声を、釘崎が拾う。
「伏黒って、明日、転入予定の?」
「はい。彼は狩人のため
それは、彼が「死んでも勝つ」ことができる術師だと、五条が言外に示したものだったが、三人が知ることではない。
「特級に楽勝って……どんなバケモンよ」
顔を引き攣らせる釘崎に、不思議そうに話を聞いていた虎杖が声をかけた。
「俺、イマイチ分かってねぇんだけどさ、その二級とか特級って何?」
通常兵器が呪霊に有効だと仮定した場合、4級呪霊は木製バットでも祓える余裕な相手で、1級呪霊となれば戦車でも心細い。
特級呪霊はそれ以上の存在であり、まず間違いなく術式を扱う知性があると見ていい。
伊地知の説明を受けた虎杖が、神妙な顔になる。
「つまり、今回のは五条先生とか夏油さんの受ける任務ってこと?」
同じく神妙な顔でうなずく二人に、虎杖が遠い目で呟いた。
「……無謀じゃね?」
「呪術師は人手が足りないんだから、相手が特級でも下見ぐらいは私たちでやれってことでしょ」
普段は気の強い釘崎が表情を硬くするのを見て、釈然としない気持ちを訴えようとしていた虎杖は言葉を飲み込んだ。
「残念ながら、呪術師が手に余る任務を請け負うことは多々あります。とはいえ、今回は緊急事態で異常事態です」
そう言って眼鏡のフレームを指で押し上げた伊地知に、二人の視線が集まる。
「『絶対に戦わないこと』。特級と会敵した時の選択肢は、『逃げる』か『死ぬ』かです」
固唾をのんだ二人に、少し逡巡してから伊地知が告げた。
「あと……高専を基点にしている術師ではありませんが、個人的に頼れる先輩を呼びました。……ですが、あまり期待しないでください」
来てもらえるかは分からないと言う伊地知に、釘崎は過去に問題を起こした術師なのかとあたりをつける。
期待するなと言いながらも伊地知が告げたのは、何があっても諦めるなと、二人に希望をもたせるためだ。
しかし、失意の中で見る不確かな希望ほど、残酷なものはないのも確かだった。
2階建ての寮内に足を踏み入れた虎杖と釘崎の前に広がるのは、雑然としたビルの路地裏のような空間。
明らかに
術式を付与した生得領域を呪力で周囲に構築したもの――呪術戦の頂点と言われる「領域展開」。
今の自分たちでは、領域に入った瞬間に死んでいてもおかしくないが、まだ生きている上に呪霊も見当たらない。
数時間前まで相手が呪胎だったことから、不完全な領域なのだと考えられた。
「呪霊を祓えば、外に出られるんでしょうけど……」
もし遭遇すれば、今度こそ自分たちは死ぬだろう。
伊地知の言う“頼れる先輩”が、どれ程の強さなのかは知らないが、彼が呼ぼうと思ったのなら勝算はあるはずだ。
それなら、来てくれることに賭けて大人しく待っていた方がいい。
そう言って口元に手を当てた釘崎は、呪術師の先輩として冷静に状況を分析しているように見える。
しかし、その手がわずかに震えていることに気づいた虎杖は、自分のために無理して気丈に振舞わせてしまっていることに唇を嚙んだ。
領域に入ってから数十分が経ち、無言で歩く二人が振り返れば、来た道がなくなっている。
この空間に出口があるとは思えないが、立ち止まっているよりは気持ちが楽だからと、気配を殺して歩いた。
呪霊がどこから来るか分からないため、周囲の物陰や上空を常に警戒する。
そんな慣れないことを続けたせいだろうか。足元に現れた黒い水溜まりに気付くのが遅れた釘崎は、穴に落ちるように
「釘……崎?」
振り返り、姿の消えた仲間の名前を呼ぶ虎杖の声が広い空間にむなしく響く。
その直後に巨大な気配が背後に現れたことで、硬直した虎杖の頬を冷や汗が流れた。
まだ呪力の使えない虎杖が呪霊を祓う唯一の手段、呪具は彼の左手と共に
簡易的な止血しかできていないため、傷口は酷く痛んだはずだが、今は感覚があるかも分からない。
相手は“狩り”でも楽しんでいるつもりなのだろう。断続的に特級呪霊から与えられる苦痛の中で、先日、夏油から聞いた言葉が虎杖の脳裏をかすめる。
――自分の為になる事しか行わなくても、誰も君を責めはしない。
自分の為……。宿儺と代われば、確かに自分は助かるだろう。
あの五条が「宿儺を使えばその辺の呪霊なんて瞬殺だ」と言ったのだ。目の前の特級呪霊だって難なく祓えるに違いない。
……その後は?
呪霊を祓い、領域から出られたとしても、自分が宿儺を抑えられなかったら?
それ以前に、宿儺が特級呪霊を祓う保証もない。
呪霊が祓われることもなく、釘崎をさらに危険に追い込むだけではないのか?
気まぐれで呪霊が祓われたとしても、釘崎や伊地知が危険に晒されることに変わりはない。しかも辺りは市街地だ。
“宿儺を殺せる”存在が近くにいないのに、無責任なことはしたくない。
来るかも分からない助けを待ち、耐えることを選んだ虎杖が前にかざす右手の先を、呪霊の呪力が塵にした。
真っ暗な空間の中で、不思議と呪霊の姿だけはっきりと見える。
落とし穴に吸い込まれてからすぐに始まった大量の呪霊との戦いは、多少の怪我はあるものの釘崎の優勢で進んでいた。
その証拠に、辺りには消滅しかけた呪霊の残骸と、大量の釘が散らばっている。
しかし、呪霊を見据えながら腰に付けたポーチの中身を探っていた釘崎の指が、ため息と共に戻された。
……釘が尽きた。
「近接戦って、あんまり得意じゃないのよね……」
そう呟いて右手に持った金槌を握りなおし、構えた釘崎の隣で銃声が響いた。
音に驚いて息を止めた釘崎の前で、時折、銃弾を放つ槍――“銃槍”を手にした人物の灰に塗れた装束が翻る。
全体的にささくれた装束――“灰の狩装束”はみすぼらしく見えそうなものだが、獲物を狩る力強い姿が狼のように魅せた。
残っていた全ての呪霊を祓った人物が“灰狼の帽子”をずらし、隠されていた顔を出す。
歳は五条と同じくらいだろうか。
連れていた式神らしき白の大型犬が遠吠えするのをなだめ、人好きのする笑みを浮かべた顔は、同級生を思わせる。
高専を基点にしている術師ではないが、伊地知の個人的に頼れる先輩――灰原雄だった。
満身創痍で振るった拳が呪霊に受け止められ、悪態をついた虎杖の耳に犬の遠吠えが届く。
呪霊の出した声かもしれない。だが「伏黒の式神だ」と、なぜか確信できた。
宿儺と代わって誰かが死ぬくらいなら、自分が死んだ方がいい。
……死にたくない。
自分と他人の命を天秤にかけて、自分では選べなくて、頭がぐるぐるする。
でも、宿儺を殺せる狩人、伏黒がいるなら……。自分を
……今だけは、彼を頼りにしたい。
玉犬が遠吠えをしてから数分も経たないうちに、生得領域が閉じた。
怪我をした釘崎を伊地知の待つ車まで運び、見送った灰原は、宿舎の前に立つ後輩を振り返る。
烏羽の狩人――伏黒恵がうなずいたのを見て、自分は生得領域から街に放たれた呪霊を狩るために駆けだした。
「暫くぶりだな。……鴉」
少し話そうと声を掛けてきた虎杖――宿儺に、伏黒がゆっくりと向き直る。
灰原につけた玉犬のあげた救出完了の合図、遠吠えの直後に膨らんだ呪力は、やはり両面宿儺のものだった。
機嫌よく話す宿儺の話を聞けば、なんの
「しかしまぁ、それも時間の問題だろ」
そう言った宿儺が自身の胸に手を突き刺し、大切な
“嘴の仮面”の下で目を見開いた伏黒の前で、脈打つそれは投げ捨てられた。
「俺は
虎杖自身を人質とした宿儺が、見覚えのあるものを取り出す。
特級呪霊が取り込んでいたらしい両面宿儺の指を、一息に飲み込んだ。
狩人狩りの“仕事”をする時に、仲間を狩る時には必ず着用している“嘴の仮面”を、伏黒が外した。
仮面を
その手に握ったのは“慈悲の刃”ではなく、身の丈以上の大鎌――“葬送の刃”。
「虎杖。俺は特級を相手に時間稼ぎをしようと考える程、自分の力に
そう話す伏黒の視線は宿儺に向いているが、彼を見てはいない。
「だから、“せめて安らかに眠り、二度と辛い悪夢に目覚めぬように”……オマエを送ろう」
最初の狩人が獣を弔うために振るった武器を、
「それが嫌なら、人として死にたいなら……