夏の暑さが感じられるようになった高専の境内で、一人の少女が拝殿の石階段に腰かけている。
俯く少女の視線は、手に乗せた小さな鐘に向けられていた。
その小さな鐘――“狩人呼びの鐘”を釘崎野薔薇が揺らしたのを、待ち合わせのために向かっていた伏黒は遠目に確認した。
あの鐘は昨日、病院で手当てを受けた釘崎に、灰原が「どうにもできない状況がきたら、鳴らしてほしい」と言って渡したものだ。
彼が狩人になった経緯を考えれば、今回のような目に遭った釘崎にあれを持たせようと思うのも無理はない。
特級呪霊の領域に入ったことで、釘崎も鐘を鳴らすための“啓蒙”を得たと思っていたのだが――鐘の音は鳴らない。
領域に入ることで啓蒙を得るのは狩人だけなのかと、伏黒は狩人と非狩人が啓蒙を得る条件の違いを情報に追加する。
何か思案していた釘崎が伏黒の足音に気付き、顔を上げたため、改めて挨拶を始めた。
軽く挨拶は済ませたが、釘崎はほぼ初対面の相手と会話をする気分ではなく、伏黒も場を和ませようなどと考えるタイプではないため、二人の間に沈黙が落ちる。
しかし、伏黒が少し距離を空けた上段に――釘崎からは話しかけにくい位置に腰かけたことで、彼なりの気遣いを感じた釘崎は黙っていることにした。
釘崎は自分が術式を使い、なんとか祓っていた呪霊たちを一瞬で消し飛ばした灰色の狩人の姿を思い出す。
伊地知の言っていた“頼れる先輩”は、術式を使わなくても、呪力すら使わなくても自分や虎杖より強かった。
彼も高専に通う術師だったらしいが、名乗らなかったということは何かあったのだろう。……自分たちのように、何か。
病院で優しく笑いかけてくれた狩人の顔が、任務終わりに見ていた友人の笑顔と重なる。
彼にもらった鐘を強く握りしめ、虎杖のことへ考えを巡らせたとき、ずっと黙っていた伏黒から声をかけられた。
「釘崎。“全ての人間に平等に与えられている、不平等なもの”って、何だと思う?」
沈黙を破ったかと思えば、最初の話題がそれか。
言葉が喉まで出かかったが、釘崎も相手の意図を汲み取るために、ひとまず考える。
「与えられている」ということは、自分で買ったり作ったりはできないもの、という意味だろうか。
自分で手に入れることができないのに、全員が持っているもの。
不平等なもの。均一でないもの。
自分や伏黒が持っていて、虎杖も持っている……
「……命」
デリカシーがない男だと、上段に座る伏黒を釘崎がにらむと、こちらを見ていた伏黒と目が合った。
「そう。“命の時間”」
人間だけではない。全ての生物には、命の時間が不平等に与えられている。それが現実。
だが、医療教会は人ならざる存在の血の輸血により、“
同じものは一つもない、一番大切で特別な命の時間を……。
命の時間は、その人だけの特別なもの。
だから、もし。消えゆく“命の時間”を、他の誰かが伸ばしたとしたら。
例えば、“拝領“により別のナニカをその身に宿したのだとしたら。
あるいは願いによって、その魂をこの世に縛り付けたのだとしたら。
……それはもう、元の“誰か”ではないかもしれない。
「呪術師に狩人や医療教会を忌諱する者が多いのは、教会の“血の医療”が、虎杖の受肉に近い行為だからだ」
伏黒自身は狩人となるために血の医療を受けた部類だが、自分が
いつか、獣に身を
「呪術界の上の連中は虎杖を消したがっていた。釘崎は不運にも巻き込まれたことになるが……
話が見えずに眉をひそめていた釘崎が、伏黒の言葉に目を見開いた。
「それって……」
虎杖は生きているのかと確認しようとした釘崎が、口をつぐむ。
口元に人差し指を当て、“静かに”のジェスチャーをする伏黒を見て、似合っているのが逆に腹が立つと考える余裕が出てきた。
「
そう言って話を切り上げる伏黒が、強い日差しを浴びる木々に目を向けた。
「……暑いな」
無理やりな話題の転換に、思わず笑みをこぼした釘崎が返した。
「そうね。夏服はまだかしら」
先ほどより雰囲気の和らいだ二人の間で、少しずつ言葉が交わされる。
まだぎこちない二人の前に、一人の女子生徒が立った。
「なんだ今年の一年は辛気臭いな」
そう言って発破をかけてきたのは、二年生である禪院真希。
「そんなんじゃ交流会でボコられんぞ」
この人は誰なのか。交流会とは何か。
状況が飲み込めていない二人に言葉を続けようとした真希が、近くの木陰に隠れるパンダに呼び止められた。
「いやー。スマンな喪中に」
許して。と言いながらおねだりポーズをするパンダの姿に、釘崎の中で可愛さよりも疑問が勝る。
先ほど声をかけてきたのが、禪院真希。
おにぎりの具しか語彙がない狗巻棘。
ハネムーン中で海外に行っている乙骨憂太と祈本里香。
パンダ。
以上が東京校の二年生だ。……疑問しかない。
パンダの話を聞けば、高専の東京校、京都校の二、三年生メインで行われる“京都姉妹校交流会”に参加するメンバーが足りないため、一年生の二人にも声がかかったらしい。
交流会は、「殺す以外なら何をしてもいい呪術合戦」。
それに向けての特訓のお誘いだ。
「やるだろ? 仲間が死んだんだもんな」
挑発するような笑みを浮かべる真希に、二人の視線が鋭くなる。
「やる」
即答する二人の声が重なった。
誰にも殺されないよう、誰も殺させないよう強くなる。
……そして必ず、仲間を
2018年 8月
特訓の日々が過ぎ、生徒同士の中も深まってきた頃。
真希を相手にやり過ぎた伏黒は、お詫びとして休憩所の自販機に飲み物を買いに来ていた。
自分も喉が渇いたからと、釘崎も同行している。
自販機から缶を取り出しつつ、釘崎は伏黒を横目に見る。
“烏羽の狩人”
狩人の中でも特別な役割をもつという伏黒は、体術だけでも頭一つ抜けている。
そこに術式の強さも上乗せされるというのに、
雑談をしながらいくつか飲み物を選んでいると、見慣れない人物が二人、休憩所の入口に現れた。
「コイツらが、乙骨と三年の代打……ね」
値踏みするように見てくる筋骨隆々の男と、静かに立つ華奢な女性。
高専の制服を着ているので、京都校の生徒だろうか。
不審そうに二人を見ていた釘崎は、女性の顔立ちが真希と似ているのに気が付いて顔をほころばせた。
「もしかして、真依さんですか?」
接点のないはずの少女たちが楽しそうに話す姿に、さすがの東堂も虚をつかれる。
しかし直ぐに気持ちを切り替え、咳ばらいをして注目を引いた。
「真依。その話は後にしろ。俺はただ、コイツらが乙骨の代わり足りうるのか。それが知りたい」
そう言って一歩前に踏み出した東堂には、体格に見合った力強い闘志がある。
「伏黒……とか言ったか」
丸腰の釘崎を庇うように立った伏黒を、東堂の真剣な目が見据えた。
「どんな女がタイプだ? 返答……」
「津美紀」
「えっ?」
伏黒が迷わず答えたことで、質問した東堂よりも先に釘崎が驚きの声をあげた。
「……誰よそれ」
「幼なじみだ」
東堂から視線を外さず、照れる素振りも見せない伏黒に、聞いているこちらの方が恥ずかしい気分になる。
「乙骨といい、あいつといい……なぜお前たち狩人は、『好みのタイプ』を聞かれて『好きな相手』の名を答えるんだ?」
俺がしたいのは恋バナではないという不満の声が、休憩所に響いた。
2018年 9月
神奈川県川崎市 キネマシネマ
封鎖された映画館の入口に、一級呪術師 七海建人が立つ。
「凄惨な現場です。覚悟はいいですか?」
彼がそう声をかけたのは、赤いフードのついた制服の少年――。
「虎杖君」
■補足■
「静かに」
烏羽の狩人が教えてくれるジェスチャー
「一年生、二年生の初対面について」
真希の「お通夜かよ」は、気心の知れている伏黒が相手だから言った冗談だと思います。
ほぼ初対面の狩人伏黒に言ってしまうと、伏黒がキレそうなのでやめました。
真依のセリフも同様。「半分呪いの化物でしょ」とか。
「真希と真依、釘崎の仲について」
菜々子と美々子が自由にしているので、それぞれと仲良くなる。→一緒に出掛けるようになる。
そのため、真希と真依の仲はこじれていない。
釘崎と真依は会ったことがなかったけど、お互いに存在は知っていた。
この後、三人で出掛けるけど、話が脱線するし、書ききれなかった。(三輪は仕事があるから不参加)