血の医療は救いとなるのか   作:4R1ES

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#5 血の医療(玉折1)

 

 

 

 

 

 あの日……天元様と星漿体の少女の同化の日。

 満月を迎えた時、“天内理子”は、この世にいなかった。

 

 そして同じ日、ある教会では一人の少女が()()()()()

 目覚めた少女の名前も素性も、知る者はいなかった。

 だが、彼女は確かに“医療教会の孤児院で育った”と、その記録だけが残されている。

 

――“星漿体”としての君は死に、この“夢”を忘れ……誰に庇護されることもない、一人の少女として目覚める。

 

 これは、誰の記憶にも残らない言葉。

 

――すべて、長い夜の夢だったように……。

 

 

 

 

 

2007年 8月 星漿体(せいしょうたい)の少女の()()()()から一年後

 

 髪も整えず、部屋着のまま高専内の休憩所にあるベンチに腰かけた夏油が、ポケットから携帯電話を取り出す。

 今日の日中は、任務の予定は入っていない。少しでも睡眠をとるべきかと思ったが、ひとり自室で過ごす気分にもなれなかった。

 開いた携帯の画面に「新着メッセージあり」の文字が表示されるので、無視して画面を閉じそうになる。

 急な任務かと思って眉間にしわを寄せていた夏油は、差出人の名前を確認して表情を緩めた。

 

 先ほど届いたらしい写真付きのメールは、自分や親友を兄のように慕っている少女からのもの。

 “特別”なところなんて何もない女の子。「また、皆で海に行こう」と、“家族”に撮ってもらったであろう写真に添えられた文字を指先でなぞる。

 

「皆で、か……」

 

 自分以外の人間がいない空間に、夏油の声が響いた。

 

 

 

 あの時の襲撃者――伏黒甚爾(とうじ)との戦いを経て、五条悟は最強となった。

 最近、夏油が彼に会ったのはいつだったか……。今の五条は、任務も全て一人でこなす。

 家入が危険な任務で外に出ることがないのは、前から変わらない。

 だから必然的に、夏油も一人で過ごすことが増えた。

 

 夏油の術式、呪霊操術は降伏した呪霊を取り込み、自在に操る。

 毎日、毎日。蛆のように湧く呪霊を祓い、取り込み、自身の力とする。

 その繰り返し。

 だが、皆は知らない。呪霊の味……。

 吐瀉物を処理した雑巾を丸飲みしている様な……。

 

――呪術は非術師を守るためにある。

 

 親友に言った言葉を、自分自身に言い聞かせる。

 全ての人間を、守りたいと思えるはずがない。醜悪な人間というのは存在する。

 それを知った上で自分は、人々を救う選択をしてきた。

 これは強者(じゅつし)としての責任。……ブレてはいけない。

 

 夏油が一年ほど前に思わず受け取ってしまった小さな鐘――狩人呼びの鐘をポケットから取り出す。

 

――困った時に鳴らしてくれれば、君の元へ()()()いきますよ。

 

 何となく持ち歩いているそれを揺らすが、いつも通り音は鳴らない。

 この鐘の渡し主――後に医療教会に仇なす者を粛清する“処刑隊”だと知ったあの人は、狩人は“主に”呪霊を狩ると言った。

 

――お互い、この街を清潔にいたしましょう……。

 

 あの日から時折、脳裏に響く。……()()()する。

 対象は、呪霊と呪詛師。そして恐らく――。

 

“猿”(ひじゅつし)……」

 

 誰が言ったかも覚えていない言葉がでた。

 それは狩人(かれら)の言葉を借りるなら……“獣”だ。

 

 

 

「あ! 夏油さん!」

 

 自分の思考とは真逆な、明るい声に夏油が顔を上げれば、一年後輩の灰原が駆け寄ってくるのが見える。

 名前を呼ぶと、姿勢を正した彼が元気よく挨拶をくれた。

 肩に入っていた力を抜き、夏油は休憩所の自動販売機に目を向ける。

 

「……何か飲むか?」

 

「えぇ!? 悪いですよ……。コーラで!」

 

 言葉でのみ遠慮して、素直に缶を受け取る手を出してくる後輩に笑いが漏れる。

 隣に座った灰原が話すのを聞いていると、嫌な考えが消えてありがたかった。

 

「それって、何かの呪具ですか?」

 

 手の上で遊ばせていた物を気にする灰原の問いかけに、夏油が答える。

 

「悟が言うには、呪具とは違うらしい。でも、誰にでも鳴らせるわけじゃない」

 

 そう話しながら、夏油は握った鐘を灰原に差し出した。

 

「私と悟と硝子の三人で試したが、この鐘を鳴らせたのは悟だけだった。……何も起こらなかったけどね」

 

 五条悟には鳴らせた。その事実が、自分と彼とでは立っている場所が違うと言われたようで引っかかる。

 今さらだが、律儀に持ち歩いているのも馬鹿らしくなってきた。

 

「……明日も任務かい?」

 

 話題を変えようと思って問いかければ、同期との任務が楽しいらしく、笑顔で返される。

 

「はい! 明日の任務は、結構遠出なんですよ」

 

「そうか……。なら、移動中に七海と二人でこの鐘を調べて、鳴らし方を探してくれないか?」

 

 五条にだけ鳴らせるというのも悔しいと、適当に手放す理由をつけて灰原の手に握らせる。

 帰ってきたら結果報告を頼むと続けた夏油に、灰原が大きくうなずいた。

 

 

 

 受け取った鐘を丁寧にポケットに仕舞う灰原と、その様子を眺める夏油が口をつぐむ。

 

「……灰原。呪術師、やっていけそうか? ……辛くないか?」

 

 沈黙を破った夏油の唐突な質問に、灰原は少し驚いてから、口元に手を当てて考える。

 

「自分はあまり、物事を深く考えない性質(タチ)なので……。自分にできることを精一杯頑張るのは気持ちがいいです」

 

 そう言って向けられたのは、自分がいつの間にか忘れてしまった想い――ただ目の前にいる人を、家族や友人を守りたいという純粋な想いに満ちた瞳。

 夏油がまぶしさに顔を背け、視線を落とした。

 

「そうか。……そうだな」

 

 なんとか返事をしたところで、誰かが靴音を響かせて近づいてくるのが分かる。

 

「君が夏油君?」

 

 目の前で立ち止まり、声をかけてきたのは、会ったことのない長身の女性。

 不敵な笑みを浮かべる彼女が、口を開いた。

 

「どんな女が……好み(タイプ)かな?」

 

 返答に困る質問をする人だが、天元様の結界に反応がないということは、おそらく高専の関係者だろう。

 だが、何の警戒もしていない後輩との間にいつでも入れるように、夏油は壁に預けていた身体を起こした。

 

 

 

 灰原と入れ替わるように夏油の隣に座ったのは、特級呪術師の九十九(つくも)由基(ゆき)

 高専とは方針が合わないと言う彼女が語るのは、呪霊の原因療法――発生した呪霊を狩るのではなく、呪霊の発生しない世界を作ることについて。

 そもそも呪霊とは、人間から漏出した呪力が(おり)のように積み重なり、形を成したもの。ならば、呪霊の生まれない世界の作り方は二つ。

 

1.全人類から呪力をなくす。

 

2.全人類に呪力のコントロールを可能にさせる。

 

 ちなみに、今の九十九の方針は「全人類に呪力のコントロールを可能にさせる」ことである。

 

「知ってる? 術師からは呪霊は生まれないんだよ。……もちろん、術師本人が死後呪いに転ずるのを除いてね」

 

 術師は非術師と比べて、呪力の漏出が極端に少ない。つまり、全人類が術師になれば呪いは生まれない。

 その言葉を聞いて、夏油の頭に呪いを生むことしかできない、醜悪な“猿”(ひじゅつし)たちの顔が浮かんだ。

 

「じゃあ……非術師を皆殺しにすればいいじゃないですか」

 

 思わず出た声に、口を滑らせたと夏油が焦る。

 しかし、返ってきたのは「それは“アリ”だ」という肯定の言葉だった。

 驚きで固まった夏油を気にせず、九十九は「非術師を間引き続け、生存戦略として術師に適応させる“進化”を促す」ことが一番簡単(イージー)な方法だと語る。

 

 「だが残念ながら、私はそこまでイカれていない。それに“狩人”たちを皆殺しにするのは、骨が折れると思うよ」

 

 そう言って肩をすくめる九十九は、狩人たちの何を見たのだろうか。

 

 

「彼らは……“狩人”とは、何なのでしょうか」

 

 夏油の呟きを聞きながら、九十九は一度、姿勢を正し、後ろの壁に背中を預けて足を組みなおす。

 

「“呪い”だよ」

 

 人の道を捨て、怪しい医療に頼ってでも、叶えたい何かを抱えていた呪い。

 

「その中でも、呪いと戦うことを選んだ“獣”(のろい)かな」

 

 非術師が狩人になるには、血の医療を受ける必要がある。だが、血の医療を受けたもの全てが、狩人になる訳ではない。

 

「普通に生活する傍ら、高専で言う“窓”のようなことをしている者も多いからね。でも……」

 

 血の医療を受けた者は、いつか必ず“獣”(のろい)に身を(やつ)す。

 

「だから信者たちは、獣を狩る“狩人”たちに礼を尽くすのさ」

 

 だが、どれだけ呪われていようと、呪術規定に基づけば狩人は“非術師”である。

 

「……夏油君。君は呪詛師になった友人を、その場で殺すことができるかい?」

 

「何を……?」

 

 ある狩人は獣となった友を狩り、その血も乾かぬうちに友の頭皮・獣皮を被った。

 

「イカれてるで済む話じゃないだろう? 親兄弟についても、例外はない」

 

 それでも彼らは“非術師”である。そして……最も呪いの近くにいるのは、呪術師ではなく彼らだ。

 

 

「非術師は嫌いかい? 夏油君」

 

「……分からないです」

 

 呪術は非術師を守るためにある。

 

「昨年まではそう考えていましたが、今は私の中で非術師の定義と……価値のようなものが揺らいでいます」

 

 非術師には弱者故の尊さと醜さがある。

 その考えが根底から覆される、非術師でありながら呪いと戦う“狩人”という存在。

 

「非術師を見下す自分、それを否定する自分……何が本音か分からない」

 

 頭を抱えた夏油に、九十九から結論を出すには早計だと声がかけられる。

 

「非術師を見下す君、それを否定する君……これらはただの思考された可能性だ」

 

 視線だけを寄こした夏油に、九十九が食えない笑顔を向けた。

 

「どちらを本音にするのかは、君がこれから選択するんだよ」

 

 

 

 

 

 夕刻に差し掛かった高専の廊下を、任務へと向かう夏油が重い足どりで進む。

 

「夏油さん」

 

 名前を呼ばれて振り返れば、任務帰りなのか、あちこちにガーゼや包帯を巻きつけた七海が立っている。

 一人で声を掛けてくるのは珍しいと夏油が思っていると、七海が何かを握った右手を差し出してきた。

 

「これ、お返しします」

 

 そう言って夏油の手にのせられたのは、昨日、もう一人の後輩に渡した小さな鐘。

 

「……灰原はどうした?」

 

 声が震えなかったのは、先輩としての意地だ。

 視線を合せた後輩の、その瞳に映るのは悲しみか、怒りか。

 

「なんてことはない、2級呪霊の討伐任務のはずだったんです……」

 

 自分に言い聞かせるように呟いた彼が、これほど感情を表に出しているのを見たことがない。

 

「……呪術師、灰原雄は死にました」

 

 

 

 

 

 産土神(うぶすながみ)信仰。生まれる前から死後の世界まで、いつも助け、見守って下さると信じられている、「生まれた土地」に根付いた神様への信仰。

 相手が1級以上の案件――土地神だと灰原たちが気づいた時には遅かった。

 血を流し過ぎたのか、思考がまとまらない。自分の身体にすぐ動かせそうな感覚はなく、友は敵を挟んだ向こう側に倒れている。

 

 今までも、死というものを知っていた。

 だが、死とは何か、本当の意味で理解してはいなかった。

 自分の死に際になって初めて理解する。

 それは、人として生きている限り、おおよそ知り得ることのない知識。

 死を、“己の理解を超えた知識”を認識する。

 人の身でありながら……狩人たちと同じく“啓蒙”を得る。

 

 敵が七海の方を向いたのを見て、灰原はこちらに気を引こうと投げられるものを探す。

 手の届く範囲に小石などは落ちていない。だが、夏油から預かった鐘――狩人呼びの鐘がポケットに入っているのを思い出して、震える手で掴んだ。

 この神秘の鐘を鳴らすため、人の身では“啓蒙”を必要とする。

 故に、灰原の手を離れ、宙を舞う鐘は鳴り響く。

 決して大きな音ではないのに、時空を超えてしまうような、そんな有り得ないことをやって退けそうな、どこまでも響く繊細で不気味な音色。

 誰も逃がさないと言うように鐘を中心に白い霧が立ち込め、警戒した敵が灰原を振り返る。

 灰原のすぐ側の地面が波打ち、青白く発光すれば、聖布をまとう“処刑隊”の姿が現れた。

 

 

 

「“君は正しく、そして幸運だ”」

 

 意識が朦朧とする灰原に声を掛けたのは、虫の息となった敵に背中を向ける、血塗れの聖職者。

 

「向こうに倒れている彼は、すぐに手当てをしなければ危険ですよ。君が動くしかない」

 

 それのどこが幸運だと言うのか。動けない灰原に酷なことを告げるその人は、薄い笑みを浮かべている。

 

「しかし君は動くことが出来ず、このままでは死んでしまう。故に……」

 

 ヤーナムの“血の医療”、その秘密だけが……君を導くだろう。

 

「だから君。その身を呪いに(やつ)しても叶えたい望みがあるなら……。まずは我ら、ヤーナムの血を受け入れたまえよ……」

 

 狂気の血に塗れた手が、灰原の前に差し出される。

 

「さあ、契約書を……」

 

 友を助けることができる。

 その甘い誘惑に、握られた一枚の紙に考えることなく手を伸ばす。

 

 

――“呪術師”、灰原雄は死にました。

 

 

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