血の医療は救いとなるのか   作:4R1ES

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過去編はここまで。次から0巻です。


#6 墓守(玉折2)

 

 

 

 

 

2007年9月 

■■県■■市(旧■■村)

 

 村落内での神隠し、変死が複数発生したという報告を受けて、特級呪術師となった夏油はその地に足を踏み入れた。

 宗派は不明だが教会のある村らしく、夜蛾からは狩人にも警戒するよう言われている。

 自分が出張るほどではない呪霊を祓い終わり、交通機関の整っていない僻地まで遣わされたことにため息をついた夏油は、依頼主を探して夜の村を歩きだした。

 

 住居の並ぶ区画まで来たところで、夏油は村に入ってからの違和感が気のせいではなかったことを確認する。

 まばらにある街灯が照らす家々はシャッターが下ろされ、窓には板が打ちつけられている。

 不在なのか、息を潜めているのか……。中に人がいる気配はない。

 空気の淀みもひどく、いたるところの排水管から覗く白い胞子はカビだろうか。

 ドブネズミの腐った血肉に生えているらしいそれは、劣悪な環境を含め、任務であらゆる場所を訪れてきた夏油も見たことがない。

 厄介事に巻き込まれたのは間違いなかった。

 もう一つため息をつき、遠くに見える灯りのついた建物を目指して坂を上った。

 

 

 集落から離れた位置に建てられていたのは、年季の入った教会。

 遠目からでは確認できなかったが、随所に医療教会のものに似た意匠が見て取れる。

 よく手入れがされているその建物は、村の規模からすれば大きすぎるように感じられた。

 教会に連なる門の前に、何かが落ちているのに気づいて足を止める。

 てるてる坊主に似た、小さな子供が抱えるのにちょうどいいサイズのぬいぐるみを見て、参拝者の落とし物だと当たりをつけた夏油は教会に届けてやろうと手に取った。

 それから灯りの漏れる扉に手を掛けようとして……壊れた鍵と血のにおいに気付いて動きを止める。

 呪霊の気配がないのを確認してから、夏油は教会の扉を開いた。

 

 奥の祭壇から扉の前まで、床に引きずられた血の跡が二つ残っており、それとは別に、入口から足を引きずった跡も奥まで続いている。

 だが注目すべきはそこではない。

 確かに、呪霊の気配はしなかった。

 しかし、夏油は今……祭壇の前にうずくまる狼のような巨大な異形を見上げていた。

 

 教会の扉や窓に壊された部分はないのに、あれはどうやって中に入ったのか。

 夏油が思考を巡らせていれば、彼が入ってきたことに気分を害したらしく、うなり声を上げた獣が振り向く。

 目が合った獣の溶けた瞳孔の奥に理性の光が見えて、夏油は息をのんだ。

 

――血の医療を受けた者は、いつか必ず“獣”(のろい)に身を(やつ)す。

 

 なぜか、九十九(つくも)の言葉がよみがえる。

 獣の首元には褪せた赤色の布が垂れており、動きに合わせて揺れる血に塗れたぼろ布は、人間の衣服のようにも見えた。

 

 姿勢を低くした獣が夏油を――夏油が手にしたぬいぐるみを注視する。

 それまで敵意を感じなかったことで反応が遅れた夏油に、獣が飛びかかった。

 咄嗟に手にしていたぬいぐるみを獣の方へと投げ、相手の背後に回った夏油は呪霊を召喚しようと構える。

 しかし、獣は急に興味を失ったように夏油から離れ、入口の扉を突き破って外へ飛び出した。

 

 

 

 呪霊とは違う異形との邂逅。それも理性的な瞳をもった獣の存在に、夏油は少なからず動揺する。

 だが獣を外に出してしまった今、呆けている場合ではない。自分で両頬を叩いて気を引き締めた。

 

「あれ? 夏油さんですか?」

 

 背後から聞きなれた……聞こえるはずがない声がして、夏油は勢いよく教会の入口を振り返った。

 高専の制服とは違う、黒を基調とした神父服に似た装束。その背中には、医療教会の聖布が翻っているのが見える。

 

「……灰原?」

 

 “教会の黒装束”を身にまとうのは、1ヶ月前に亡くなったはずの後輩。

 持ち手の部分を折りたたんだ無骨なノコギリ――ノコギリ鉈を掴んだ腕には、血に塗れた手術用の白い長手袋をはめている。

 着用している本人も知らないことだが、手袋に施された細かな刺繍は、「直接触れ、取り出す事こそが重要」とした医療者たちを守る呪いだった。

 

「お久しぶりです! ……ちょっと瘦せました?」

 

 長期休暇明けのノリで話しかけてくる後輩に、困惑していた夏油の顔が引きつる。

 

「いや……そうじゃないだろ……」

 

 幽霊でも見たような夏油の反応に、灰原も不思議そうに首を傾げた。

 

「もしかして、七海から聞いていないですか?」

 

 

 

 1ヶ月前。等級違いの任務にあたり、灰原雄は死体も残さずに死んだ。……死んだはずだった。

 

「あの時、自分と周囲の安全を考えて……()()()方が都合がいいと判断しました」

 

 産土神(うぶすながみ)信仰という、その土地について少し調べれば分かる情報が、任務にあたる二人には伏せられていた。

 1年以上も高専に通っていれば、一般家庭から入学した二人にも呪術界の歪んだ考えはなんとなく分かる。

 現代最強と言われる五条の世代で彼に並ぶ実力をもつのは、一般家庭出身である夏油。

 その後輩である灰原と七海も一般家庭の出身。入学して――呪術に触れて一年ほどで2級術師となった。

 あと数年も経験を積めば、1級術師となるのは間違いないと言われている。

 そこに問題があった。

 人手不足を嘆いていながら、血筋と伝統を重んじる“呪術師”たちは、この面白くない状況を放っておかない。 

 誰かが消えるまで、任務での()()()は続くだろう。

 

「ここで七海の出番です」

 

 彼が目の敵にされているのは、他の術師たちに実力を認められている証拠でもある。

 真面目で優秀な彼が「灰原は死んだ」と言えば、上にも大して疑われない。

 それに、死んだという表現も嘘とは言い切れない。

 獣に身を(やつ)す瞬間まで獣と戦うという“契約”により、灰原は生き永らえているからだ。

 “血の医療”を受けた者は、いつか必ず獣に身を(やつ)す。……“獣の病”を発症する。

 灰原がまとう装束は“予防の狩人”のものであり、獣の病の罹患者、その疑いのある者――瞳孔が溶けて崩れた者を探し、病の発症する前に()()()()役割を担う。

 つまり、血の医療を受けた時に、彼らは必ず誰かの手により最期の時を迎えると決まっている。……黒装束は、ヤーナムの昏い狂気そのものだった。

 

「でも、輸血を受け入れたのは七海のためではないですよ。……人は、自分の為になる事しか行わない生き物ですから」

 

 何かを思い出すように呟かれた言葉は、誰かの受け売りだろうか。

 

 

 

 夏油に自分の置かれた状況を話し終えた灰原が、ここに来た目的を明かす。

 

「今日は“ハサバ”さんという、教会(ここ)の“墓守”の方に会いにきたんですけど……」

 

 そう言って、血塗れの祭祀道具と赤い布の切れ端が散らばる祭壇――地下の霊廟への入口の前に立った灰原は、周囲に飛び散った血の跡を見まわした。

 墓守は褪せた赤色のローブをまとい、無数の祭祀道具を背に下げていると聞く。

 既に乾いている血の跡は、()()()()()()()ように、灰原の足元を基点に全方位に広がっていた。

 

「……夏油さん。“獣”を見ましたか?」

 

 それを聞いて、夏油もあれが何だったのかを察する。

 

「狼に似た、溶けた瞳孔の……」

 

 そこまで聞いて、灰原は外へ続く扉へと駆けだした。

 

「すみません! 自分は行きます。……急がないと先輩が死ぬ」

 

 

 

 夏油の任務内容は、「村落内での神隠し、変死の原因となった呪霊の祓除」だ。

 だからこれは、完全に任務外の異常事態。本来なら放っておいても構わない面倒ごとである。

 そう分かっていながら、夏油は駆けだした灰原に続く。

 彼の言う“先輩”は、村の異変を引き起こしている教会地下の霊廟――“地下遺跡”と呼ばれる場所の専門家であるが、戦闘は不得手な非術師である。

 ここまで話を聞いてしまったら、夏油も放っておくことはできない。

 それに“後輩”を助けるのも、先輩の特権の一つである。夜蛾の説教は甘んじて受けいれよう。

 夏油が捜索用の呪霊を放ってすぐに、豪快な破壊音が響く。小さな村のため、場所の特定は容易かった。

 

 

 

 

 

 湿気った空気の漂う暗い座敷牢に、幼い双子の少女――“枷場(はさば)”菜々子と美々子はいた。

 二人の顔には殴られた痕がいくつもあり、血の滲んだそれらが痛々しい。

 身を寄せ合う二人の()()()の下にも、同じように無数のアザが広がっているのだろう。

 襖の開く音を聞き、二人は檻の外へと顔を向ける。

 そこには、村では見かけたことのない人物――灰原が先輩と呼んだ“墓暴き”が、村人と共に立っていた。

 

 地下遺跡に眠る人智を超えた存在、古い上位者たちの神秘を探求するのが、医療教会の“墓暴き”たちである。

 その装束は厚く垂らされた聖布に細かな刺繍と、豪奢な部類に入る。

 しかし全体的に煤け、裾がボロボロになった様子から聖職者らしさは感じられなかった。

 そのためか、村人たちも彼が教会の関係者だとは気づいていないようだ。

 

 「少女たちが不思議な力で村人を襲う」のだと説明する声を聞き流し、墓暴きは座敷牢に近づく。

 続けて「二人の親も不思議な力を使う“化物”だ」と騒ぐ村人の声をかき消すように、彼の振り下ろしたノコギリ鉈が錠前ごと扉を破壊した。

 

 手ぶらだったはずの人物が握る凶器と、こちらを見る目の物々しさに、村人たちも口を閉じる。

 冷や汗を浮かべる村人たちの瞳は、瞳孔が崩れて溶け始めていた。

 

「“墓守”は地下遺跡を守り、遺物(のろい)を外に出さないために存在している」

 

 村人に“霊廟”だと伝えられていた教会地下の遺跡には、現代人たちにとって金銭的な価値のあるものは存在しない。

 だが時代と共に教会への信仰心は薄れ、霊廟に向けられていた畏怖の念は好奇心へと変わった。

 

「それをお前たちは……。“彼女”と娘たちを害して()()()()()

 

 村中に広がった“墓所カビ”は、地下遺跡で腐った死肉に生えるものであり、呪いが持ち出された証拠。現に村人たちは“獣の病”を発症しつつある。

 

「自ら呪いを招いた。……お前たちこそが“獣”だ」

 

 そう言って手に握るノコギリ鉈が村人へ向けられた時、天井が崩れて大きな影と小さな塊――てるてる坊主に似たぬいぐるみが降ってきた。

 

 

 

 巨大な獣が畳を踏み荒らし、襖や壁が破壊されるのを、扉の開いた座敷牢の中から菜々子と美々子は息を潜めて見つめる。

 村人だったものの姿は判別がつかず、獣の爪で切り裂き、弾き飛ばされた墓暴きが座敷牢に肩からぶつかった。

 うめき声をあげる彼を追って歩いてくる獣から……なぜか安心できる気配を感じられる。

 獣の首に、大好きな人の装束と同じ褪せた赤色の布が引っかかっているのを見て、双子の少女は叫んだ。

 

 

 

「お母さん!」

 

 少女の声を聞いた獣が、ピタリと動きを止める。その姿を、空中に浮かぶ呪霊に乗った夏油は自分の目で確認した。

 同じく呪霊に乗っていた灰原が、座敷牢と獣の間に飛び降り武器を振りかざす。

 危なげなく獣の爪を避け、ノコギリ鉈で斬りつける様子から、呪霊なら2級相当の相手であると推察できた。

 

 少女の声を聞いてから明らかに動きの鈍った獣が、目を瞑って倒れ伏す。とどめを刺そうと近づいた灰原が、大きく横へ跳んだ。

 彼の立っていた場所に、先端を輪の形に結んだ縄が落ちる。

 灰原の右腕を背後から狙ったそれは、ぬいぐるみを抱えた黒髪の少女の術式らしい。彼女の前には、金髪の少女が庇うように立っていた。

 視線だけを灰原が寄こせば、二人は肩を震わせる。それからおずおずと口を開いた。

 

「私たちの手で……お別れすることは叶いませんか?」

 

 涙ぐむ幼い少女の言葉に、苦痛をこらえた表情で戦っていた灰原が、悲し気に眉尻を下げる。

 

「お願いします。……狩人様」

 

 祈るように跪く二人に、灰原はどう対応するべきか悩んで視線を彷徨わせる。

 そんな灰原の代わりに、大怪我をしていたはずのもう一人の狩人が、二人の前に出て膝をついた。

 灰がかった装束にはおびただしい量の血が滲んでいるが、怪我を庇う素振りは見られない。爪痕の形に裂けた装束から覗く肌には傷がなかった。

 それは“血の医療”に使用される特別な血液の輸血により回復したものだが、今の夏油の知るところではない。

 

 黙って成り行きを見守っていた夏油が地上へ降り、眠るように静かに息をする獣を間合いに入れる。

 しかし、できるだけ灰原たちから離れた位置で足を止めた。

 

 血に塗れたノコギリ鉈を少女に差し出した墓暴きが口を開く。

 

「“夜にありて迷わず、血に塗れて酔わず”……呪いの枷となり、呪いを枷とする“墓守”の娘たちよ」

 

 彼の意図を理解して、不本意そうな灰原も得物を少女に差し出した。

 

「“獣は呪い。呪いは(くびき)”そうして――」

 

 

 ノコギリ鉈の柄に、小さな少女たちの手がのせられる。

 “軛”は自由を束縛するもの。……“枷”を名前に持つ少女たちが、ふらつくことなく重い武器を持ち上げる。

 呪力で強化することなく、片手でノコギリ鉈を握る彼女たちの姿に、すでに“血の医療”を受けた狩人なのだと分かった。

 瞼を開けた獣の瞳に、幼い狩人――涙でぬれた、ぎこちない笑顔の愛する娘たちが映る。

 

「……大好き」

 

――そうして、君たちは教会の剣とならん。

 

 

 

 

 

 残暑も衰えかけた高専内で、休憩所のベンチに腰かける七海の前に人影が立った。

 目の前に差し出された“缶入りのコーラ”を確認してから、人物の顔を見上げる。

 

「元気そうだっだよ。……それなりにね」

 

 そう言って力なく笑う夏油からコーラを受け取り、普段は口にしないそれを開封した。

 隣に夏油が座るのを待ってから、七海が口を開く。

 

「私はあなたも五条さんも、家入さんのことも信用しているし、信頼しています」

 

 そこで言葉を区切った七海が、短く息を吐いた。

 

「上層部にも一目置かれるあなたたちが“彼は死んだ”と認識している。……その事実が欲しかったんです」

 

「……彼のため、か」

 

「違います。……これで自分は大丈夫だと、安心したかっただけです」

 

 自分の発言に嫌悪感を抱いた表情を浮かべる不器用な後輩に、夏油も困り顔になる。

 

「……人は、自分の為になる事しか行わない生き物ですから」

 

 目の前の後輩に、同じことを言いながら“誰かのため”に動くもう一人の後輩の姿が重なった。

 

 

 

 うつむいていた七海が顔をあげ、「狩人の“呪い”について知っているか」と問う。

 うなずく夏油を見る七海の瞳に、仄暗い意志が宿った。

 

「いつか彼が“獣”になる時がきたら……私の手で殺します」

 

 そう宣言する七海の言葉に、先月に聞いた九十九の言葉がよみがえる。

 

――君は呪詛師になった友人を、その場で殺すことができるかい?

 

 あの時……()()自分にできていない覚悟が、そこにあった。

 

 

 

 

 

「傑、ちょっと痩せた?」

 

 ぬるくなったコーラの缶を持つ夏油の隣に、今度は数週間ぶりに見る顔が座った。

 

「……大丈夫か?」

 

 何が起きようと変わらない五条の態度に、苛立ちを感じることもある。だが、今はそれが有り難い。

 

「これからどうしようかと思ってね……」

 

 自分に呪術師が続けられるのか。

 守りたくもない“猿”(ひじゅつし)のために戦えるのか。

 

「何? 暇ならマリカでもする?」

 

「今、真面目な話をしているんだ。……後でやろう」

 

 自分の大切だと思える人を助ける。高専で呪術師をしていては、これを成すのが難しい。

 それに、()()()()“猿”は嫌い。不満は他にもある。

 

「とりあえず、私は上の連中が嫌いなんだ」

 

「それは俺もだけど……呪術師やめんの?」

 

 普段から飄々とした態度を崩さない五条の顔に影が落ちる。

 彼は望むと望まざるとに関わらず、最強の呪術師であることを――五条悟をやめられない。

 

「呪術師はやめないさ。ただ自分のやりたいことだけやろうかな、と……」

 

 “人は、自分の為になる事しか行わない生き物”なのだから。

 ……今さら気づいたが、五条はまさにこれである。

 

 夏油から呪術師をやめるつもりはないと聞いて、五条が表情を明るくする。

 それから悪だくみをするように、にやりと笑った。

 

「傑、やりたいことだけやるには?」

 

「そうだな……。高専、やめるかい?」

 

 飽きるまでマリカができると夏油が冗談で付け足せば、五条が夏油の腕を掴んで勢いよく立ち上がった。

 

「よっし! 夜蛾先生に言えばいい?」

 

「いや、悟……さすがに冗談……」

 

 そのまま五条に掴まれた腕を振り払う気にもなれず、夏油は意気揚々と職員室を目指す親友について行く。

 担任の雷が落ち、たまたま通りがかった同級生の笑い声が響くまで、あと数分。

 

 

 

 

 

 

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