呪いの“女王”か……どうしてこうなった。
#7 血族(憂太と里香)
聖血を得よ。
祝福を望み、よく祈るのなら、拝領は与えられん。拝領は与えられん。
密かなる聖血が、血の乾きだけが我らを満たし、また我らを鎮める。
聖血を得よ。
だが、人々は注意せよ。君たちは弱く、また幼い。
冒涜の獣は蜜を囁き、深みから誘うだろう。
だから、人々は注意せよ。君たちは弱く、また幼い。
恐れを失くせば、誰一人君を嘆くことはない。
祈りの声が届く教会の庭で、楽しげに笑う子供たちの声が響く。
孤児院で暮らす、あるいは参拝者に連れられてきた……そして、退院していった子供たち。
その中に“聖歌隊”が姿を現せば、遊びの手を止めた子供たちが「先生」と呼んで集まった。
屈んだその人の美しい
時折現れる、
子供たちの笑顔を映す瞳は、それぞれの未来を視ているようで恐ろしくもあった。
2012年 3月7日
「こっちよ憂太!」
早く、と急かしながら手を取って走り出す少女を、少年が慌てて追いかける。
「待ってよ里香ちゃん」
そんな二人の様子を、教会の参拝者たちが微笑ましく見守った。
仲良く駆けているのは、乙骨憂太と祈本里香。
二人は小学校に入学して間もなく、お互いが入院していた病院内で知り合い、すぐに一緒にいるのが当たり前なほど仲良くなった。
退院から数年が経った今も教会に通うことを続けているのは、“医療教会”が、保護者達が二人だけで遠出するのを許した唯一の場所だからだ。
二人の首元には、おそろいのチェーンに通された結婚指輪――乙骨への誕生日プレゼントとして渡された、里香の母の形見が光る。
大きくなったら結婚する……“ずっと一緒にいる”と、今朝に約束を交わした証だった。
繋いだ手と反対の手には、今日も子供たちの前に姿を見せた星空の瞳をもつ不思議な人――大人の参拝者たちの前には殆ど姿を現すことがないという“聖歌隊”からもらった“招待状”が握られている。
それは高級そうな封筒に、乙骨には何語か読めない文字が書かれ、血のように赤い封蝋がされていた。
少し怪しい雰囲気はあるが、映画の中でしか見たことがないアイテムに心が躍る。
だた、この招待状を差し出された時に見た星空の瞳の奥に、
“先生”に言われた通りに、二人は参道の石畳を外れて森の中を進む。
しばらくすれば芝草の色が濃くなり、この辺りには人の出入りが多くないことがわかった。
時折、木々の間を流れる風が心地よいとはいえ、今日は3月にしては日差しが強く暖かい。
家を出るときはノースリーブのワンピースでいる里香を心配したが、今は長袖で来た乙骨の服装が失敗だった。
乙骨が暑さで弱音を吐きそうになっていると、木々に遮られていた視界が開け、石レンガのアーチが見えた。
――その先で、君たちの“ずっと一緒”を叶える一つを見せてあげましょう。
二人に招待状が渡された際に、行き先と共に伝えられた言葉。
ここにあるのは建物の出入口だったものらしいが、最初からこの部分しか存在しなかったように、周りの地面はまっさらだ。
アーチ以外はほとんどが崩れてしまった石壁の向こうに、こちらに背面を向ける玉座が見えて、乙骨は目を瞬いた。
彼が“呪術師”であったならば、この場所が“領域”との境であると警戒して、これ以上進むことはなかっただろう。
アーチを通り抜けた先の芝草を、二人が踏んだ。
踏みしめた地面の感触に、なぜかこれ以上進むのはよくない気がした乙骨が立ち止まる。……肌を撫でる風が変わった。
汗で張り付いていた服が急激に冷え、吐く息が白くなる。
「里香ちゃん、戻って!」
半ば叫ぶようにして里香の腕を掴み、急いで来た道を引き返そうと思った乙骨が振り返れば、濃い霧が流れてきて二人を包んだ。
数秒、肌を刺す痛みに耐え、閉じてしまった瞼を開く。
ずっと芝草の上を駆けてきたはずなのに、足元は雪に覆われた石畳に変わっていた。
周りを見渡せば、荘厳だがどこか見捨てられた雰囲気のある中世の城――廃城カインハースト。その中心に位置する建物の屋根の上に立っている。
そして目の前には、かつて“処刑隊”に……
――君たちそれぞれの“血”が、離れ難い業となるでしょう……。
不安げに乙骨の肩を掴んで寄り添っていた里香が、扉の意匠を見て一歩前に出る。
「この場所、来たことがある。……“夢”の中で」
そう呟いて扉に触れる里香の手は、吹雪の中に居ても震えていない。
少しの力を加えて押せば、二人を迎え入れるように重い扉が開いた。
中へ入れば暖かく、隅々まで磨き上げ、手入れが行き届いた様子に驚いた。
窓からの淡い光だけに照らされた、騎士像の並ぶ薄暗い上り階段を前にして、乙骨の足がすくむ。
しかし、ここまで来ては進むしかなく、生き物の気配がしない中、二人は一段ずつ階段を上がった。
少しうつむきながら里香に手を引かれていた乙骨は、目の前に影が迫ったことに気づいて立ち止まった。
「どうしたの憂太?」
心配する里香に言葉を返す余裕もなく、乙骨が階段の下を凝視している。
金糸の刺繍を細部にまでほどこし、黒と赤を基調にした中世の貴族のような出立ち。
フリルタイに留められたブローチの宝石は、血のように赤かった。
美と名誉に彩られたそれは、獣の処理を“血塗れの退廃芸術”としたカインハーストの“騎士装束”だ。
その騎士――“血の狩人”が自分の体を
「なんでもないよ里香ちゃん。……進もう」
階段を上り切った先に広がっていたのは、大理石の石像と燭台が数多に並ぶ玉座の間。
紋章の入った絨毯をたどって最奥を見上げれば、ステンドグラスを背景にした三層の壇の上に、二つの玉座が並んでいる。
「ちょっと暗くて恐いけど、素敵な場所でしょ?」
慣れた様子で乙骨に笑顔を向ける里香は、どうやってここに来たのかを忘れてしまっているように……“夢”でも見ているように落ち着いていた。
ふらふらと玉座のほうへ歩いていく里香を引き留めるため、乙骨が繋いだ手を引く。
自分の勘なんてあてにならないと知っているが、今回は違う。これ以上、進んではいけない。
……知ってはいけない。
「里香ちゃ……」
――訪問者よ。
不意に落ち着いた女性の声が聞こえて、乙骨は口をつぐんだ。
誰もいないはずの玉座から聞こえるその声は、心をかき乱されるような、不思議な魅力がある。
――人無きとて、ここは玉座の間……故なくばそのまま去り、あるいは我が前に跪くがよい……。
声に引き寄せられるように、乙骨の手を抜け出した里香が壇を上がった。
その背中を追って手を伸ばすが、足が縫い留められたように動かない。
座する者のいない玉座の前に立った里香の足元に、おびただしい量の血が溢れ出た。
……知ってはいけない。
乙骨が玉座から視線を外せずにいれば、すり潰され、肉片となった誰かの姿が里香と重なる。
――如何にお前が不死だとて、このままずっと生きるのなら、何ものも誑かせないだろう!
医療教会の聖布をまとう誰かが、血肉に塗れた姿で笑い声をあげるのが見える。
自分にしか見えないそれが……繰り返されてきた“悪夢”のように思えて背筋が凍った。
「……そろそろ、帰る時間ですよ」
優しく頭を撫でていた手が離れると同時に“先生”の声がして、ゆっくりと瞼を開ける。
何か長い夢を見ていたようで、身体を起こした乙骨と里香はまだ呆けていた。どうやら、教会の庭の木陰で居眠りをしていたらしい。
結婚指輪が手元にあるのを確認してから、強く握りすぎて少しよれた招待状を鞄に仕舞う。
「……どこからが夢だったんだろう」
どちらともなく呟き、帰りの挨拶をした二人は手を繋いで歩き出す。
互いに握った手が、なぜかいつもより冷たく感じた。
いつも通りの、教会から駅までの帰り道。
「……里香ちゃん?」
渡り慣れた横断歩道で“夢”のことを考えていた乙骨は、里香よりも歩き出すのが
救急車を、もう助からないと騒ぐ人々の言葉が理解できない。
さっきまで繋いでいた手の持ち主が血の海に沈んでいることに、声が震える。
「……死んじゃダメだ」
助けなきゃと思うのに、何ができるかなんて分からない。ただ「死んじゃダメだ」と繰り返し、彼女の“死を拒む”。
そうして立ち尽くし、呼吸の荒くなっていた自分の足を……何かが掴んだ。
周囲の人々にも見ることができたなら、恐ろしいと口をそろえるであろう姿を――“里香”がそこにいるのを見て、乙骨はなぜか安心するとともに冷静になった。
……どうすればいいかなんて、
身体の震えが止まり、呼吸が落ち着く。
――まだ、やることがあるでしょう?
聞き慣れた幼馴染の声が、血の香りのように甘く魅惑的に響く。
「“悪夢”の続き……」
人々の騒々しい声が、時が止まったように聞こえなくなった。
いつも訪れる教会よりも大きい、近づいてはいけないと言われていた“大聖堂”に、乙骨が足を踏み入れる。
どうやってここまで来たのか、彼の記憶は“夢”を見ていたように曖昧だ。
だが、血塗れの手にのせられた肉片――呪われたように熱い“里香”が、夢ではないと告げていた。
息を切らせて大聖堂を進む乙骨を、“先生”――医療教会の上位会派“聖歌隊”が振り返る。
少年の手に握られたものを見てうっすら笑うと、導くように聖堂の奥の扉を開いた。
暗い空間の奥に安置された、“墓所カビ”の生える巨大な何か。
それは、かつて聖歌隊が星の娘と共に祈りを捧げた“嘆きの祭壇”。
いつもの乙骨なら逃げだす見た目のおぞましい死骸が、今は輝いて見える。
台座にのった頭らしき部分の横に“里香”を捧げる乙骨の背中を、星空の瞳が楽し気に見つめた。
「……“素晴らしきかな不死、
カインハーストの血族の身に流れるのは、元を正せば医療教会が“拝領”として施す血の医療と同じ、禁断の血。
ある時、裏切りによってもたらされた禁断の血は、古くから血を嗜む彼らにひどく馴染んだ。
それが、教会の血の救いを穢す存在だと……“穢れた血族”だと呼ばれた彼らが不死と称される理由。
どれ程すり潰されたとしても……その“肉片”の時間は
だが遠縁とも呼べないほど血の薄れた少女は、その血の恩恵を得られないはずだった。
……愛するものに“呪われて”いなければ。
肉体の形は、魂の形に引っ張られる。
肉体に魂が宿るのではなく、魂に体が肉付けされている。故に……。
ひとりの少年が「ずっと一緒にいたい」と願った姿が、縛り付けた魂の形が――少女と、その身に流れる血の時間を
再び訪れた玉座の間では、迎えを待つ里香が物憂い気に血濡れの玉座に腰かけている。
儀式の流れに沿い、形式的に拝謁の姿勢をとる乙骨を真っ直ぐに見つめる瞳は、自分に流れる血が何なのかを理解していた。
「里香が憂太の呪いを受け入れたのだから……憂太も里香の呪いを受け入れてくれるでしょう?」
サイズの合わない指輪をはめた少女の小さな左手が、ゆっくりと乙骨に伸ばされる。
彼女が求めるのは、狩人の死血から女王に捧げる「穢れ」を見出す、カインハーストの“血の契約”。
差し出された手をとった乙骨が跪き、口づけるようにそっと、魅惑的な甘い香りに舌を伸ばした。
「これで本当に“ずっと一緒”よ憂太。だから、ほら……」
――穢れた我が血を啜るがよい。
■補足
「血の女王と医療教会」
医療教会によって粛清された“血の女王”は、その肉片を“医療教会”の工房の奥、聖堂街上層の嘆きの祭壇に捧げることで復活します。
「里香が指輪を渡した日について」
・指輪は乙骨の誕生日にプレゼントした(3月7日)
・里香 享年11歳(誕生日不明)
・2016年11月 ロッカー詰め事件(乙骨 高校一年生 15歳)
・2017年 乙骨が高専一年に転入(乙骨 留年 16歳)
・2018年 10月31日 渋谷事変(キャラブックで17歳)
・里香が亡くなった年:2017年の回想で「6年前」→2011年
なのですが、2011年3月7日だと乙骨が10歳になる年のため、2012年にしました。
(※乙骨と里香ちゃんは同い年とする)
「血の女王と呪いの女王」
“血の女王”は肉片となった姿に「このままずっと生きるのなら、何ものも誑かせないだろう」やら、他にも色々と“魅惑的だった”のだと推察される暴言を吐かれています。
“呪いの女王”である里香も「自分の容姿に自覚的で、時折、意図的に大人でさえ操るような言動がみられた」とあるので、魅惑的なんだろうなと。