ケ  ツ  デ  カ  し  ず  く   作:ぎののん

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再始(り)動

 

 

 

 

 

 

 

 

「半月板損傷……って聞いたことあります?」

「名前は聞いたことあるけど、詳しくは知らないかな〜……どんな怪我なの?」

「簡単に言えば、膝を守る『皿』の役割を担っている軟骨が、ズタボロになってしまったんです」

 

 とても辛そうな表情で、海里は話し続ける。

 彼方は、このような辛い話になることを承知の上で真実を聞いたが、いつものおちゃらけた態度の海里が見せる深刻な表情に、何も言えなくなってしまった。

 

「手術をすれば、日常生活を送る程度なら大丈夫と言われました。けれど、バスケのような激しい運動は二度と出来ないって言われて」

「……」

「それで辞めました。共に相棒として戦ってきた慶には、申し訳ない気持ちでいっぱいだった」

 

 ギュッと両手を握る。

 血管が浮き出るほど力の込められたその拳を、彼は膝に叩きつけた。

 

「でもあいつは、そんな俺に気をつかって自分も辞めたんです。俺が辛い思いをしているのに自分だけがバスケを楽しむわけにはいかないって」

 

 その表情は、どこか自分を責めるような、後悔が込められたようなものだった。

 

「それは間違ってるって、俺は思いました。けど、自分に気を使ってくれたあいつに、そんな事言えなくて……」

「……結局、柏葉くんもバスケを辞めたんだ」

 

 海里は頷き、力なく項垂れる。

 いつになく元気のない海里を目の当たりにした彼方は、黙り込み、彼の気持ちの整理がつく時間を作ってあげた。

 

「……俺の判断って間違ってたんですかね」

「んー、どうだろうねー。彼方ちゃんはそういう現場にまだ出くわしたことはないからこれといったアトバイスは出来ないけど……」

 

 後方で、ガタッと物音がした。

 この場で彼方だけがそれに気付く。チラッとそちらに視線を向けると、赤い何かが暗闇の中へと消えていくのが見えた。

 彼女は密かに微笑むと、右手を俯く海里の頭の上に置き、満天の夜空を仰ぐように顔を上げる。

 

「後悔してるってことは、間違ってたんじゃないかな?」

 

 ゆっくりと海里の頭を撫でてやりながら、彼方は口を開いた。

 

「何が正しい判断なのか、何が間違っている判断なのかの定義はよく分からないけどさ、それを決断した本人が後悔してしまっているなら、間違っていると彼方ちゃんは思うんだよね」

 

 少しずつ、海里の体が小刻みに震え始める。

 彼を安心させるように優しく撫で続けながら、彼方は続けた。

 

「西宮くんの気持ちも痛いほど理解出来る。だからこそ、自分が間違っていると思う道に進もうとしている相棒を止めてあげた方が、良かったかもね」

 

 海里の握りこぶしに、雫が滴り落ちる。

 小さい嗚咽が、彼の喉元から聞こえてきた。

 

「辛かったね。自分はもう二度と相棒と同じ道を歩めない現実と、自分を思って相棒がバスケを辞めたという事実が。よく耐えたよ。君は本当に、強い男の子だ」

 

 彼方は、海里の頭を自分の肩に寄せ、宥めるように撫で続ける。彼の目からは、とめどなく涙が流れ落ちていた。

 

「まだ間に合うよ。気持ちが落ち着いたら本心を伝えにいこっ。向こうは、向こうで話しているだろうしね」

「……?」

 

 頷きながらも、彼方の言った意味が分からなさそうに、海里は彼女を見つめる。

 

 

 

 それを見て、彼方はニッと笑顔を浮かべて見せた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──────────────────────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 しずくは、結んでいる赤いリボンを揺らしながら、慌てて慶が休んでいるリビングへと足を運ぶ。

 風呂上がりに、身体を冷まそうと縁側に向かった時に聞こえてきた、海里と彼方の会話。自分の知らなかった情報ばかりで、頭がパンクしそうになりながらも、こっそりと彼らの話を聞いていた。

 

「そんなの……ひどい……!!」

 

 その時聞いてしまった、どうして慶がバスケを辞めてしまったのかの理由。

 決して、慶の判断が間違いだとは言えない。けれど、結果としてその判断が海里を苦しめているという事実を知り、いてもたってもいられなくなったのだ。

 

「柏葉くんっ!」

 

 勢いよくドアを開けて、リビングに入る。

 そこには、ソファに寝転がってスマホの写真の整理をしている慶の姿があった。

 

「うわぁ!? お、桜坂さん!? ビックリしたんだけど!?」

「どうせ水着姿の私のお尻を拡大して眺めてたんでしょ! そんな事はどうでもいいから、少し話があるの!」

「ちょっと待ってなんでさも当然のようにバレてるんだよ」

 

 驚いて目を丸くする慶に、しずくは詰め寄る。

 

「西宮くんが怪我したからって、なんで柏葉くんがバスケを辞めちゃうの! なんで彼のために続けてあげなかったの! それは西宮くんの想いを踏みにじってるのと同じじゃない!」

 

 その言葉を聞いて、瞬時に慶の表情が険しくなる。

 ゾクッ、としずくの背筋が凍る。今まで向けられてきた自分の尻を舐め回すような視線とは違う、明らかに敵意が込められた鋭い視線に、思わず怯んでしまった。

 

「桜坂さん、それをどこで知ったんだ」

「……今、縁側で西宮くんと彼方さんが話しているのをたまたま聞いて知った」

 

 やっぱりそうか、と呟いてため息を吐く。

 慶はスマホをソファに置くと、真剣な表情でしずくを睨みつけた。

 いつも変態で、でもしずくには優しく、時折恥ずかしがり屋な一面を見せる彼の、未だかつて見た事のない表情に、しずくは。

 

 

 

 ──初めて『怖い』という感情を抱いた。

 

 

 

 思わず後ずさりしてしまう。

 怒りに身を任せて、何も考えずにただ慶を問い詰めてしまった結果がこうなってしまったのだと後悔したが、もう遅い。

 

「……桜坂さんには関係ない」

 

 視線を逸らして、不機嫌なままスマホを触ろうとする慶。

 恐怖で足と喉元が震える。自責と後悔で感情がぐちゃぐちゃになりそうになる。

 

「関係なくないっ!!」

 

 だからこそ、退くわけにはいかなかった。

 震える足に鞭打ち、しずくはスマホを見つめる慶の胸ぐらを掴み、引き寄せた。

 

「だって、西宮くんは私の大事な友達で!」

 

 鬼気迫る勢いに、再び慶が目を丸くする。

 驚いた様子を見せる彼を認識しながらも、しずくは続けた。

 

「慶くんは、私のかけがえのない存在だから!!」

「……!」

「私のお尻に固執する変な性癖を持ってて、時々気持ち悪いような言動をする時もあって! でも! それでも! ()を見てくれる、認めてくれる大切な人だから! だから……!!」

 

 ポタッ、と床に涙が溢れ落ちる。

 

「そんな人の間違いは、正してあげたいの……ッ」

 

 目から涙を溢れさせながら、しずくはギュッと慶の胸ぐらを掴む手に力を込める。

 怒りと哀れみが混じり合った、悲痛の叫び。しかしそれは真っ直ぐ慶には届かなかった。

 

「……なんだよ、それ……ッ」

 

 今度は慶が、自身の胸ぐらを掴むしずくの手首を力強く握る。

 

「いっ……!?」

 

 鈍い痛みに、しずくは顔を顰め手を離す。

 そんな彼女の様子を気にする様子もなく、激高した慶はしずくの手首を持ち上げ、壁に押し付けた。

 

「僕の選択は! 間違いだったとでも言うのかよ! 一生バスケが出来なくなってしまった海里をよそにバスケすることが、正しかったとでも言いたいのかよッ!! 海里のいないバスケなんて無価値なんだよ! 意味が無いんだよ! 全くもって面白くないんだよッ!!」

 

 怒鳴る。

 相手が女子だということもお構い無しに、ただ自分のプライドを守るために、彼は叫ぶ。

 

「悩んで悩んで、色々気持ちに整理をつけて選択した僕の道を、ぽっと出の桜坂さんなんかに否定されてたまるかッ!! その時を見ていない人に、間違いだなんて言われてたまるかッ!!」

 

 荒い呼吸を繰り返し、鬼の形相でしずくを睨み続ける慶。

 

(あぁ、そうか)

 

 彼の言葉を聞き、しずくは痛感する。

 

(まだ私は……彼にとってのかけがえのない存在に、なれていないのね……)

 

 それは、彼女にとって、あまりにも非情な告白だった。

 まだ、過去の秘密を話すほど信用されていなかったという真実が、彼女の心を容赦なく襲う。気が抜けると泣き崩れてしまいそうになる。

 でも、ここで自分が泣き崩れてしまえば、誰が慶を救えるだろうか。だから必死になって堪え、しずくは解決の糸口を探った。

 

「だからもう……この話はやめてくれ……」

 

 またしても手首を拘束する手に力が入り、その痛みに彼女は顔を歪める。

 

「……これで良かったんだよ。これで、良かったんだ……ッ」

 

 彼が放つ怒気に混じり、ほんの少しだけ垣間見えた寂寞の感情。

 

 

 

 ──しずくはそれを見逃さなかった。

 

 

 

 痛みをグッとこらえて、しずくは口を開く。

 

「じゃあさ、慶くん……ッ」

「なんだよッ!!」

「慶くんは、バスケが嫌いになったの……ッ?」

 

 彼女が口にしたのは、たったの一言。

 されど、それは今の彼に突き刺さるには十分な一言だった。

 

「私はそうには見えなかった。アメリカに留学しに行った時に、私を助けるためとはいえバスケをプレーしていたあなたは、とてもバスケが嫌いになったような様子には見えなかった。私には、もっとバスケを楽しみたい、そう言っているようにも見えた」

「……!」

「確かに私は、昔のあなたのことは分からない。実際にその現場を見た訳でもない。けれど、今のあなたなら、この目でずっと見てきた。だから分かる」

 

 慶の体が小刻みに震え始める。

 しずくを拘束している手の力も、徐々に弱まっていき、いつしか彼は、その手を離していた。

 

「あの時、本当にバスケが嫌になったのなら無理にでもシューズを返却するはず。でもあなたは、それをしなかった。それはどこか自分が、心のどこかでバスケがしたいと思ってるからじゃないの?」

 

 しずくは真っ直ぐ、その瞳で慶を見据える。

 そして、優しく包み込むような口調で、ゆっくりと自分の意見を口に出した。

 

「どう? バスケは好き?」

 

 しずくは、慶の頭を包み込むように抱きしめる。彼は彼女の胸に顔を埋めながら、小さく頷いた。

 それを見て安心したように、しずくは微笑む。その答えが聞けただけで、彼女は救われた気分になった。

 

「なら、辞めちゃダメだよ」

「……」

「自分に嘘をついちゃダメ。自分を押し殺して違う自分を演じることの辛さは、私が一番知っているから(・・・・・・・・・・・)……」

 

 気が付いた時には、手首に走っていた痛みも消え失せていた。

 目に溜まった涙も、ゆっくりと頬を伝って滴り落ちていく。それは干からびた大地を潤すように、慶の服に吸収された。

 

「……ごめん、桜坂さん……僕が間違ってた……」

 

 力ない口調で、慶は謝罪する。

 

「ううん。例えそれが間違いであったとしても、慶くんの思いやりはちゃんと伝わったよ。私にも、そして西宮くんにも」

「……うん」

「それにね、慶くん」

 

 優しく微笑みながら、しずくはリビングの扉の方を指差す。

 

「慶くんにバスケを続けて欲しいのは、私だけの願いじゃないんだよ」

 

 ゆっくりと顔を上げ、慶はそちらに顔を向ける。

 そこには、満足気に微笑む彼方と、目の辺りを腫れさせている海里の姿があった。

 

「……海里……」

「……慶……」

 

 二人の親友は、お互い見つめ合う。

 そして、最初に口を開いたのは。

 

「てめぇ!! なにしずくちゃんの胸に顔を埋めてんだ!! 羨まし……じゃなくて! 羨ましいぞ!!」

「西宮くん、平然と本音漏れてるよ。それ繕った意味ないよ」

 

 全て台無しにする海里の発言に、慶は呆然としてしまい、しずくは小さく噴き出して笑った。

 

「それに思い上がってんじゃねぇよバーカ! バスケ出来なくなった俺が可哀想だからバスケを辞めるだァ? 別に俺の人生はバスケだけじゃねぇんだよ!」

 

 中指を立てながら挑発的に告げる海里。

 未だに呆然としてしまっている慶の表情を見て、海里はため息を吐くと、視線を逸らし、少し照れくさそうに呟いた。

 

「だからお前は……その……バスケ出来なくなった俺の分まで……高みに向かって進み続けろよな……」

 

 そんな彼の様子を見て、今度は慶が我慢できなくなったのか噴き出してしまった。

 

「て、てめぇ!! なに笑ってんだ!! 真面目な話だろうが!!」

「ご、ごめんごめん。なんでそれを一年越しに聞かされないといけないんだろって思うと面白くてさ」

「うぐっ……! あ、あの時は俺も色々荒れてたから言えなかったんだよ! 悪かったな!」

 

 腹を押えて笑う慶に、海里は飛び蹴りを決行する。それを難なく避けた慶は、顔を上げた。

 その表情にもう迷いはなかった。吹っ切れたような清々しい表情を見て、しずくは胸を撫で下ろす。

 

「ありがとう。海里」

「ふんっ。そう思うならさっさと復活しやがれ。変幻自在のトリックスターさん」

「……そのあだ名、嫌いだからやめてくれない?」

 

 嫌がる様子を見せる慶に、海里は畳み掛ける。

 

「それはそうと、どうしてしずくちゃんの胸に顔を埋めてたのか聞かせてもらおうかなトリックスターさんや?」

「いや、だからさ」

「何とか言えやトリックスター!」

「だからやめろって……」

「トーリック、スタァ。トーリック、スタァ」

「てめぇ! ぶち殺してやる!!」

「上等だ! かかってこいや喧嘩雑魚がよォ! 胸の感触どんなのだったか感想聞かせろやゴラァ!!」

 

 両者我慢できなくなったのか、いつもの取っ組み合いを繰り広げる彼らを見て、しずくは楽しそうに笑う。そんな彼女に、彼方は近寄った。

 

「一部聞いてたよ〜。さすがしずくちゃんだねぇ」

「いえ、そんな……」

「でも、しずくちゃんにとっては辛いこと言われたね〜。ぽっと出とかなんとか」

「それは……確かに辛かったですけど」

 

 目に残っていた少量の涙を浴衣で拭い、しずくは晴れ晴れとした表情でこう告げた。

 

「だからこそ、火がつきました! これから、たくさん柏葉くんと思い出を作って、彼にとってかけがえのない存在になってみせます!」

 

 しずくのポジティブ思考に少しばかり驚きながらも、彼方は小さく笑った。

 

「そっか。頑張ってねしずくちゃん」

「はいっ。彼方さんもありがとうございました」

「いいってことよ〜どんとこいだぜ〜」

 

 二人して、喧嘩している男どもを眺める。

 彼らに向けられている視線は、どこか温もりに満ちているような、女神の慈愛にも似たものだった。

 

 

 

「……にしても、どさくさに紛れて柏葉くんの事を下の名前で呼んでたね? しずくちゃん〜」

「うぐっ! お、思い返すと恥ずかしさで死んでしまいそうだからやめてください〜!」

 

 

 

 赤面するしずくを見て、彼方は。

 

 

 

(こりゃ、柏葉くんとしずくちゃんがくっつくのはまだまだ先かな〜)

 

 

 

 なんて事を考えながら、ニヤニヤしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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