「お? なんだ? 嬢ちゃんのボーイフレンドか?」
「ボ、ボボボ、ボーイフレンドじゃないやい!」
慶は、しずくを庇うように男の前に立ち、睨む。
男の方は不敵な笑みを浮かべており、余裕があるようだった。
「僕は、桜坂さんのヒップフレンドだ!」
「た・だ・の・フ・レ・ン・ド!!」
「すんませっ!?」
勢いよく、慶の後頭部を手持ちのバッグで殴る。
本当に、余計な事を言わないで欲しいと心の底から思ったしずくであった。
「ヒップフレンド……はっはー。お前も嬢ちゃんのケツの良さに気付いたのか」
「当然だ! 桜坂さんのお尻は誰にも負け──」
そこまで口に出て、慶は何かに気が付く。
「……待てよ? 嬢ちゃんのケツの良さって事は……君も桜坂さんのお尻に惹かれたってこと?」
「当然じゃねぇか。プリッとした弾力に、見た目やスタイルに反してデカいケツ。アメリカの女にも負けずとも劣らない、すげぇいいケツだよ」
男の説明を聞き、下を俯く。
ワナワナと彼の体は震えていた。怒ってくれているのかな、と淡い期待をしずくは抱いたが。
「You are the best friend」
「Yeah, thanks bro」
しずくの尻で通じ合うものがあったのか、彼らが手を取り合って和解したのを見て、大きなため息を吐いた。
「ですよねー……」
「桜坂さん。この人いい人だよ」
「はいはい、そうですかそうですか」
「……なんか怒ってる?」
「別に怒ってないっ」
頬を膨らませてそっぽを向くしずく。
慶は彼女に苦笑を浮かべたあと、再び男の方を見る。
「でも、それでもね」
真剣な表情だ。
それでも、しずくは期待はしなかった。
(どうせ私のお尻は誰にも渡さない〜とか、言うんだろうな……)
馬鹿馬鹿しくなり、どさくさに紛れてこの場から立ち去ろうとするしずく。
「桜坂さんは、誰にも渡さない」
しかし、慶から放たれたその言葉が、彼女の立ち去ろうとする足を止めた。
「へっ!?」
そして一気に顔を真っ赤に染め上げる。
「例え桜坂さんのお尻の魅力を共感できる人であろうとも、桜坂さんを譲るつもりはない」
「あっ……えぇ!?」
彼からは予想もしなかった台詞に、しずくの頭は混乱する。顔からは、大量の湯気が立ち上っていた。
「ほーん。なるほどね」
「だから引き下がってくれないか」
「熱烈なアピールご苦労さま。でもお生憎様、俺もこの上玉をみすみす手放す訳にはいかないんだよ」
男と慶の間で視線がぶつかり合い、火花を散らす。
「えへへ。柏葉くんが、ようやく私のお尻以外にも興味を持ってくれた〜えへへへ」
一方その頃、しずくは恥ずかしがりながらもどこか嬉しそうに身体をくねらせていた。
「だから、ゲームで決めよう」
「ゲーム?」
「おう。勝った方がお嬢ちゃんを好きに出来るっていうゲームだ。負けた方はお嬢ちゃんを諦めて引き下がる。それでどうだ?」
少し、慶は考え込む。
「いいだろう。それでなんのゲームをするんだ?」
しずくを賭けたゲーム、という部分があまり納得できなかったが、承諾でもしなければ話が拗れるだろう。そう判断して、慶はその誘いに乗った。
「周りをよく見ろ。ここはどこだと思う」
そう言われて、辺りを見回す。
そして、納得したかのように笑みを浮かべた。
「なるほど。バスケか」
「そういうこった。ニューヨークはバスケの聖地でもある。そして俺は、ここら一帯では最強のストリートだ。それでもこの挑戦を受け入れるか?」
挑発するかのように、指をクイクイと動かす男。
「いいよ。受けて立つ」
慶はその挑発に乗り、スーツとネクタイを脱ぎ捨てた。
「桜坂さん。これお願い」
「わぷっ!?」
惚けていたしずくの顔に、慶のスーツとネクタイが覆い被さる。おかげで我に返ったのか、キョトンとした表情で彼の様子を見守る。
「ルールは簡単。1on1の五本先取だ」
「OK。それでいこう」
「待て待て。革靴じゃあバスケはできないだろ。ほれ、これ貸してやる」
「いいの?」
「おう。勝負するからには公平を期したいからな」
「ありがとう。お言葉に甘えるよ」
男からバスケシューズを貰い、履き替えて靴紐を結んでいる慶に向けて、しずくは不思議そうに首を傾げた。
「ね、ねぇ柏葉くん」
「ん?」
「なんでシューズに履き替えてるの?」
「あれ? 聞いてなかった? 今から桜坂さんを賭けてあの男とバスケで勝負するんだよ」
「なんか私の知らないところで勝手に賭け事の報酬にされてる!?」
驚愕したのも束の間、靴紐を結び終えた慶が準備運動も兼ねて、男からボールを受け取って地面につき始める。
このままじゃいけない。直感でそう感じたしずくは、慌てて彼にゲームを放棄するよう提案しようとしたが、彼の真剣な表情を見てその場で立ち止まってしまった。
「……そうだっ!」
しずくはバッグからスマホを取り出し、電話をかける。宛先は海里だった。
『はーいもしもしー。かっこいい海里くんですよ』
数回のコールの後、海里が電話に出る。
しずくは、早口で彼に事情を説明した。
「西宮くん! 大変なの!!」
『かっこいいは無視の方面でいいですかね? それで、何が大変なんだ?』
「えっとね、アメリカで私が男の人に連れ去られちゃって、柏葉くんが助けに来てくれたんだけど、なんだか私を賭けて勝負するみたいで……!」
『ほう。それはそれは』
落ち着いた様子で興味ありげに話す海里に、しずくは不信感を抱く。友人のピンチだというのに、何故ここまで冷静でいられるのだろうか。
『で? 何の勝負なんだ?』
「バスケの勝負なんだけど、アメリカのニューヨークってバスケの聖地なんでしょ!? 柏葉くんがなんでそんな勝負受けたか不思議で……! よければ西宮くんから止めて欲しいの!」
必死に訴えかける。
勝ち筋が全く見えない賭け事をするくらいならば、話し合いで何とか解決するしか道がない。しずくはそう考え、海里に助けを乞うような真似をした。
しかし。
『バスケ? なら全然問題ねぇよしずくちゃん』
しずくの耳元に聞こえてきたのは、自信に満ち溢れた海里の声だった。
「……え?」
『てか、あいつのバスケなんて久しぶりなんじゃね!? ちきしょー! 俺も見たかったー! そうだ! しずくちゃん、通話のカメラ機能を使ってあいつのバスケしてるところ映してくんね?』
「ちょ、ちょっと待って! 問題ないってどういうこと!? 体格も身長も圧倒的に負けてるんだよ!?」
スマホに向かってそう叫んだ直後、バスケコートに何かが叩きつけられたような大きな音が鳴り響く。しずくはその音に一瞬だけ身体を震わせ、コートの方を見た。
──そこには、尻もちをついている男と、リングにぶら下がっている慶の姿が。
予想外の光景に、しずくは呆気に取られてしまう。
一方の海里はというと、興奮気味な声で話し続けていた。
『おっ! 今の音的にダンクシュートしたな!? しずくちゃん、どっちがしたかとか分かるか?』
「……柏葉、くん……」
『やっぱりそうか! うひょー! やっぱりあいつのダンクは見かけによらず豪快だなぁ!』
海里の声が耳に届かないくらい、しずくは目の前の光景に虜になってしまっていた。
しずくは球技が苦手であり、バスケットボールの知識も皆無に等しい。そんな彼女ですら魅入ってしまう程に、慶が男を圧倒していたのだ。
「こんなもんかい? この一帯で最強と呼ばれている君の実力は!」
「はっ! 舐められたもんだぜ! まだまだこっからだっつの!」
男の攻撃を完膚なきまでに止め、自身の攻撃では瞬く間に抜き去ってシュートを決める。
それはまるで、一種の華麗なる劇場を見ているかのよう。しずくは海里にビデオ通話をすることも忘れ、ただ慶の姿を見つめていた。
『……こりゃあ、しずくちゃんも慶の本当の姿に見惚れちまったかな?』
海里の、少し嬉しそうな声がスマホから漏れる。
「……すごい……」
それに呼応するかのように、しずくの口からも言葉が零れた。
圧倒的なドリブル技術。まるで流麗なダンスのような動きからの、荒々しく暴れるような動き。その緩急が凄まじいものであり。
そして何よりも、楽しそうな表情でバスケをしている彼の姿に、完全に見惚れてしまっていた。
「はぁ、はぁ……!」
「ふぅ、僕の勝ちだね」
我に返った時には、既に勝敗が決していた。弾かれたように、しずくはスコアボードを確認する。
結果は『5-0』で、慶の圧勝だった。
男は、悔しそうに頭を抱えてその場に寝転がる。しかし、その表情はどこか爽やかなものだった。
「かぁー。自信あったんだけどなぁ。完敗かよ」
「桜坂さんの命運がかかってるからね。本気でいかせてもらったよ」
「まさかジャパニーズにここまで強いやつがいるなんて思いもしなかったぜ。完全に井の中の蛙だったわけだ。ったく、世界は広いな……」
スーツのポケットに入れてあったハンカチで汗をふく慶。その視線は男の方に向けられていたが、途中でチラチラと自身の足元を確認していた。
『それじゃあ、無事勝ったみたいだし電話切るぞ。また日本に帰ったら、慶の勇姿を聞かせてくれな』
「あ、うんっ……」
海里との電話が終わり、しずくは慶の元へと歩み寄ろうとする。
「まぁ、もうバスケは辞めたんだけどね」
しかし、慶の発言を聞き、足を止めてしまった。
「は!? この実力で辞めたのかよ!? 勿体なくねぇか!?」
「どうしてもね、辞めないといけない事情が出来ちゃったんだよ」
以前、ランニングで話した事を思い出す。
昔やっていた部活の名残で、休日のランニングと筋トレは欠かさず行っている、と彼は言っていた。そのやっていた部活の正体はバスケだったのか。しずくは密かにそう思った。
「なるほどなぁ。お前ほどの実力なら、アメリカでも活躍できそうだけど」
「そう言って貰えるだけでも嬉しいよ。それじゃあバッシュ返すね」
「あぁ、それは貰ってくれても構わないぜ」
「えっ!? いいの!?」
驚愕する慶に、男は笑った。
「俺にストレート勝ちした報酬だ。受け取ってくれ。日本じゃ非売品の、現地限定シューズだぞ?」
「でも、悪いよそんなの」
「ったく、ジャパニーズはこういうところ律儀だよな。わーったよ。じゃあ譲る代わりに一つ条件を出させてくれ」
男は立ち上がり、慶の元まで歩み寄る。
そして、もう一度笑みを浮かべたあと、右手を慶に差し出した。
「また、お前がバスケをやるつもりになったならそれを履いて復帰してくれ。そしてアメリカで、今度は味方としてプレーしよう。それが条件だ」
「……いつになるか分からないよ?」
「構わねぇ。俺はお前の復帰をいつまでも待ってやるからよ」
少し、慶は躊躇う様子を見せた。
しかし、その迷いを霧散させるかのように頭を左右に振ったあと、覚悟を決めたように笑みを浮かべ、差し出された手を掴んだ。
「分かった。約束するよ」
「よし。交渉成立だな。ジャクソンだ。ジャクソン・ミラー」
「ケイ。ケイ・カシワバ。またいつか、一緒にバスケをしよう、ジャクソン」
「おう。またな」
男同士の友情のハグを済ませ、慶はしずくの元へと振り返る。
「嬢ちゃん! さっきはセクハラしてすまねぇな! またいつか会おうぜ!」
それと同時に、ジャクソンはしずくにニカッと笑いながら、謝罪をして手を振った。
「え、あ、はいっ!」
思わずしずくは、反射的に返事をしてしまう。
しかし、釘を刺すように慶はジャクソンを睨みつけた。
「でも今度は接触禁止だからな! いくらジャクソンでもそれは許さないから!」
「わーってるよ! じゃあな! See you bros!」
本当にわかってるのかな、と小さく呟き苦笑を浮かべる慶。そのまま革靴に履き替え、バスケシューズを箱に大切に入れた。
「お待たせ桜坂さん。行こっか」
「う、うん」
しずくに畳んでもらっていたスーツを受け取り、二人はバスケコートを後にする。
しばらくの沈黙。先程よりも緊張した様子を見せる慶と目が合ったが、すぐさま照れ隠しをするようにしずくから視線を逸らしてしまった。
「……柏葉くん?」
「ご、ごめん。桜坂さんは誰のものでもないのに、勝手に誰にも渡さないとか格好つけちゃって……」
慶は人差し指で頬を掻きながら、煮え切らない様子で口をモゴモゴさせる。
「ぷっ」
そんな彼の様子を見て、しずくは面白おかしく笑った。彼の中身は何も変わってないと思うと、微笑ましい気持ちになったからだ。
「な、なんで笑うの!?」
「ごめんごめん! やっぱり柏葉くんは柏葉くんなんだなって思うと、思わず笑いが込み上げちゃって」
「な、なんだよそれぇ……」
彼女の脳裏に、汗を流しながら、まるで別人に変貌したかのような表情でバスケを楽しむ彼の姿が想起される。
何故バスケを辞めてしまったのか、などといったまだまだ知らないことが浮き彫りになりもしたが、とりあえずそれは後回しにして、彼に抱いた率直な感想をぶつける事にする。
「かっこよかったよ。
ピトッ、と彼の肩に頭をくっつける。
途端、まるで茹でダコのように顔を真っ赤にした慶を見て、しずくは再び面白おかしく笑った。
「お、おおおおお、桜坂しゃん!?」
「あははっ! 慌てすぎて噛んじゃってるよ?」
「だ、だって今! 僕のことを下の名前で!?」
「さぁ〜。そのような記憶はございません〜。柏葉くんの妄想だったりするんじゃない?」
「も、もぉ〜!! お尻の事ばかり褒めたのは謝るから、許してくださーい!!」
夜になり、賑やかになるニューヨークのブロードウェイ。
周りの建物の照明が付き始め、とても幻想的な風景が広がるその真ん中で。
まるで、この地に慣れている俳優と女優が歩いていると錯覚する程に、彼らは楽しそうに声を上げて歩いていた。
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「ケイがバスケを辞めた理由、か」
ジャクソンは一人、満天の星空をバスケコートで眺めていた。
おおよそ、見当はついている。しかし、自身の言葉だけでは彼を動かすことが出来ないということも自覚していた。
だからこそ、ジャクソンは慶にきっかけを与えた。再び彼がバスケの舞台に舞い戻ってくるための、種をまいた。
「頼むぜ、嬢ちゃん」
あとは彼自身の気持ちの変化、そして彼女の働き次第だろう。
あれほどの才能を持った逸材を腐らせるのはあまりにも惜しい。思わぬ副産物だったが、だからこそジャクソンは、大人しくしずく争奪戦から引き下がり、彼女に全てを託すことにした。
「まさか、あの嬢ちゃんのケツがデカくてナンパしたとこから、ここまで奇跡的な出会いができるなんてな」
ニッと笑い、再びジャクソンは天を仰ぐ。
「絶対に帰ってこいよ、ケイ。お前を信じて俺は待ち続けるぜ」
夜空に向かって、手を伸ばすジャクソン。
そんな彼の手を横切るかのように、一機の飛行機が赤と白の光を点滅させながら、飛び立っていった。