朝、会社に出ようとしたらドラゴンがいた。
「は?」
意味が分からないと思われることだろうが、それは私——
だけど、どうやら目の前の存在はこちらの事情など知ったとこではないようで。私の困惑をよそに、そのドラゴンは意外にもかわいらしい女の子の声で話しかけてきた。
『おい、コバヤシ。来てやったぞ』
「あっ、はい」
この時の困惑を、少しでもくみ取ってくれたなら幸いだ。何やらドラゴンはこちらを知っているような口調であるが、生憎私は底辺
といっても、相手が対話の可能な存在である以上、何らかの返答をしなくてはならない。そこで二日酔いの頭を何とか動かし、私は何とかその場しのぎの言葉をひねり出した。
「えっと、とりあえず中にどうぞ」
それは、社会人的対応。どんな相手にも取りあえず対処できる、魔法の手段である。
『中か……この姿では入れないな。ちょっと待ってろ』
「えっ」
もう驚きのキャパは一杯一杯だというのに、そのドラゴンは容赦なく更なる驚きを与えてきた。
突如ドラゴンの巨体が光に包まれたかと思うと、次の瞬間、私の前に立っていたのはメイド服を纏った小柄な少女だった。
「どうだコバヤシ。このメイド服、似合っているだろう?」
とてもかわいい少女だった。赤みがかった髪は特徴的にカールしていて、同じく赤い瞳はぱっちりとしていて明るい印象を与える。だけど、その頭頂部からは二本の角が生えており、その両腕にも長くて太い爪が生えているし、メイド服のスカートからは太い尻尾のようなものが覗いていて、彼女がドラゴンであると主張していた。
そんな、明らかに人外の存在である彼女だけど、私はその顔に見覚えがある気がした。迎え入れた部屋の中で対面に座りながら、疑問を投げかける。
「あの……どこかで会ったことある?」
「は?」
私の問いに呆れたような返答をした彼女は、とうとうと「昨晩の出来事」を話し始めた。私はその話を、未だに夢かどうか判断が付かない状態で聞いていた。
「私が? イルルさんに、この家で暮らして良いと言った?」
「ああ。昨日、確かに聞いたぞ」
どうやら、彼女はイルルさんと言うらしい。そう言われれば、確かに彼女とごく最近会ったような気がするけど——
「痛った……あ、頭が……」
「だ、大丈夫かコバヤシ! もしかして、記憶喪失ってやつか?」
「いや、これは二日酔いで……ん?」
ここにきてようやく、私は昨晩の記憶を思い出し始めていた。そうだ、昨日の私はベロンベロンに酔っぱらっていた。
「あれ? それでどうしたんだっけ……うう、頭が痛くて……」
「山だぞ、コバヤシ! 山で会った!!」
「山……? ああ」
そうだった。確かに、私は酔った勢いで山に向かって……それで……あー、いたわドラゴン。
それで酒を飲み交わしている間に意気投合して
——私、行くところが無いんだ……。
——じゃ、うちくる?
って言ったんだった。
「おおおおおおおおお……言ったわ、確かに……」
「思い出したか、コバヤシ! ま、まあ、中々嬉しかったぞ? 早速今日からメイドとして働いてやるから、よろしくな!」
イルルさんは少し頬を赤らめながら、気合を入れるようにガッツポーズをしてみせた。その動作に合わせて規格外なほどの巨乳が大きく揺れる。ドラゴンの年齢なんて分からないけど、その嬉しそうな表情は見た目相応にあどけなかった。
そんなイルルさんのキラキラした顔を見ているとすごく言いづらいけれど、私はしっかりと伝えなくてはいけない。
「それは駄目だよ」
「!?」
「私には人を雇う余裕は無いんだ。というか、何でメイド?」
「わ、私は役に立つぞ!? この街を草木も生えぬ荒野にできるし、全てを焼き尽くすブレスも吐ける!!」
「いや、いらないいらない!!」
「あと、メイドはコバヤシのリクエストに従ったんだが……」
「え、私!?」
昨夜の私はどうかしていたのだろう。一つ深呼吸した私は、真剣な声色で再び切り出した。
「守れない口約束をしたのは悪かった。だけど、分かってほしいんだ……無理なものは無理」
「——!!」
明確な拒絶の言葉に、イルルさんは凍り付いたように動きを止めた。大きく見開かれた赤い瞳が、絶望で陰っていくのが分かった。
数秒ほどして硬直から解放されたイルルさんは、緩慢な動作で椅子から立ち上がった。俯いた姿勢で、その表情を伺うことはできない。
「……いや、急に押しかけた私が悪かったな。すまないコバヤシ……無理を言った」
「……」
これでいい。そのはずなのに、私はどうしようもない罪悪感にさいなまれていた。
「あの、本当にごめんね」
「……いや、気にするな」
トボトボと玄関に向かっていくその背中は、彼女が元から小柄なことを差し引いても、とても小さく見えた。長い尻尾が力なく垂れ下がり床を這っている。
行くところがない、と彼女は言っていた。先ほどのキラキラとしたまなざしを思い返す度に、罪悪感で胸がチクリと痛む。ドラゴンとの対話という空想のような体験が、段々と現実味を帯びてくるのを感じた。
「……ん?」
そして、ふと視線を向けた置時計の時刻が、私の意識を完全に現実に引き戻した。
「やっば! 始業までもう十分無いじゃん!」
時刻は既に八時五十分を切っていた。始業時刻は九時である。私は半ば反射的に、ドアノブに手をかけていた
「イルル!!」
「なっ、何だ?」
「翔べる!?」
イルルは最初、何を言われているか分からないようだった。だけど直ぐに彼女の瞳には先ほどのような光が戻っていき、やがて驚愕から歓喜の色へと変わったのが分かった。
「もちろんだ!! コバヤシ!」
そう言うとイルルは、部屋を出て先ほどのドラゴンの姿になると、私を背中に乗せて大空へと羽ばたいた。
「おおおおお!」
雲を切り裂くようにイルルは翔んでいく。腰痛持ち私には少しつらいが、それ以上の爽快感があった。
「間に合いそー! すっげ、速えー!」
『なんだってー? 良く聞こえないぞ、コバヤシ』
「クソ速ええええ!!」
『そ、そうか! そうだろう!』
飛行機に乗ったことはあるけれど、比較にならない解放感だ。豆粒のような家々が眼下を通り過ぎていく。青空がこんなに綺麗だと思えたのはいつぶりだろうか。
『~♪』
「……あー……」
とてもご機嫌なイルルを見ていると、もう駄目だった。この子にあんな顔をさせたくないと思ってしまう。
だから私は、ことさら小さな声で呟くように言った。
「雇うか……」
『本当か!? コバヤシ!』
「聞こえてるんじゃん……」
明日起きた時に、この子と二人でいられるのなら。それも良いかもしれない……そう思った。
▲〇▽〇▲
そうして始まった共同生活だけど、私は想像以上に満足していた。仕事で疲れて家に帰り、そこに誰か迎えてくれる人(?)がいるというのが、こんなにも嬉しいのだと初めて知った。
最初は少々ドジをすることもあったイルルだが、基本的にハイスペックなドラゴンだけあってすぐに完璧に家事をこなすようになっていた。特に彼女の得意料理のハンバーグは、お店にも負けないクオリティで驚いたものだ。なにより、彼女の明るくて元気な性格が、私にも元気を分けてくれていた。……何となく照れくさくて、本人には言えていないけれど。
「おはよう、コバヤシ。朝飯できてるぞー」
「うん、ありがとう」
そして今日は久しぶりの休日。以前の私だったら一日中寝床でダラダラしていただろうが、最近では普通に起きられるようになった。それは、良い変化なのだと思う。
「フフ……うまいか?」
「美味しいよ。いつもありがとう、イルル」
「そうだろうとも! もう完璧なメイドだろう!」
「いや、それはまだまだだけど」
「えー!」
一緒に暮らしているうちに気づいたが、イルルの尻尾は感情に合わせてよく動く。飛び上がったり垂れ下がったり、見ていて飽きない。
感情豊かなイルルは近所の子どもたちからも人気なようで、私が会社に行っている間はよく一緒に遊んでいるらしい。ただ、今日みたいな休日は私と一緒に遊びたがる。
「なあ、この前買ったゲームやらないか? 二人で協力すると手に入りやすくなるアイテムがあるんだ」
「いいよ。これを食べ終えたらやろっか」
「やった! じゃあ、準備しておくな」
そう言うと、イルルは嬉しそうに尻尾を振りながらゲームをセットし始める。その瞳は、出会った時と同じようにキラキラしていて、とてもかわいらしい。そんなことを思うあたり、私の方も随分彼女に気を許しているんだなあと、朝食を食べながら思った。
その後始めたゲームはとても面白く、お昼ご飯も挟みながらぶっ通しでプレイし続けた結果、気づけば外は夕暮れに差し掛かっていた。
「今日はこのぐらいにしとこっか」
「えー! 私はまだできるぞ!」
「いや、ドラゴン基準は人間には無理があるって。明日も仕事だしさ」
「むー……」
いかにも渋々といった態度のイルルと、ゲーム機を片付ける。その時ふと、私は部屋を見回した。
かつてはビールの缶やらコンビニ弁当のカラなんかが散乱していた部屋は、今や見違えるほどに綺麗になっている。そして、物理的な綺麗さ以上に、この部屋には以前は欠けていた何かが溢れているような気がした。
それらは全て、横にいるイルルのおかげだと思う。
「イルル」
「んー?」
「いつも、ほんとにありがとね」
「! なっ、なんだ突然!」
「いや、何となくだよ、何となく」
思わず口を突いて出た感謝の言葉に、イルルが激しく動揺している。ちょっと私らしくなかったかな、なんて思ったけど悪い気分じゃない。むしろ——
「そ、そうだった! 肉が切らしてたから、買ってくる!」
「あっ、ちょっとイルル」
「いってきます!」
イルルは何かを誤魔化すように、勢いよく出て行ってしまった。残された私は苦笑しながら、彼女の帰りを待つことにした。
それから十分ほど経った頃。インターフォンの鳴る音が私の耳に届いた。イルルはカギを持っているはずなので、宅配便か何かだろうか。「はーい、いま出まーす」と声を掛けながら私は玄関のドアを開けた。
「どちら様で——!!」
ドアの向こうにいたのは、真っ黒い服を纏った長身の男性だった。それだけなら別に驚くことも無いのだが、その男性の頭部には一対の角が生えていた。コスプレにしては妙に質感が生々しい。何より、いつも
「えっと、どんなご用件でしょう?」
「混沌の竜に魅入られた哀れな人間よ、恐れることはない。我は
「調和、ですか」
以前イルルが話してくれた、ドラゴンの勢力。イルルが混沌勢で、このドラゴンは調和……つまり、イルルの敵だ。
「あの、何のことだか分からないのですが?」
「話さないように脅迫でもされているのか? だが人間よ、誤魔化す必要はない。既にかの害竜がここを拠点にしていることは調べが付いているのだ」
どうやら、知らないふりは通用しないらしい。だけど、どうすればいいのだろうか。力に訴えられたら、人間の私では到底太刀打ちできないことなど分かり切っている。
「……」
「どうした、人間? 害竜は今何処にいる? 早く話したまえ……それとも、もしや庇っているのではあるまいな?」
「——!!」
その瞬間、目の前のドラゴンから強烈な殺気が放たれた。からからに乾いた口で、なんとか言葉を紡ぐ。
「もし、そうだと言ったら……?」
「貴様も駆除することになるだろう。さあ、賢い選択をするんだな」
殺気が一段階重くなったのを感じた。本当に勘弁してほしい。私はただのSEなんだ。ただ、ささやかな幸せのある日々の生活を送れればいい——イルルと、一緒に。
その思考と同時に、自分の中で覚悟が決まったのが分かった。思考がクリアになり、普段はしないような不敵な笑みを無理やり浮かべる。
「嫌だね」
「……何だと?」
「調和だかなんだか知らないが、私には関係ない! あの子を、イルルをどうするって? ふざけたことぬかすなって、言ってるんだ!!」
「愚かな」
「ガッ!!」
私の言葉を聞いたドラゴンは、心底軽蔑したような声色と共に殴りつけてきた。痛いなんてものじゃない。死のイメージが明確によぎった。
「哀れな人間よ。もう一度だけ、チャンスをやろうじゃないか。あの竜を差し出せば命だけは助けて——」
「いらないね」
「……まだ言うか」
「当たり前だ! イルルは家族だ! 家族を差し出すなんて、するわけないだろうが!!」
「残念だな」
そう言うと、ドラゴンはもう一度腕を振るった。それがスローモーションのように見えて、あと少しで死ぬなと思った時。
「やめろおおおお!!!」
「ぐあっ!」
横合いから飛び込んできた赤い影が、目の前のドラゴンを吹き飛ばした。それが誰かなんて確認するまでもない。
「イルル!」
「コバヤシ!!」
先ほどまでのドラゴンと入れ替わるように、私の前には涙を一杯にためたイルルがこちらを見上げる格好で立っていた。彼女は私の方を気づかわしげに見た後、さっきのドラゴンが吹っ飛んでいた方向を睨みつけた。これほどの憤怒の表情をみたのは初めてだった。
「コバヤシは家に入って待っていてくれ。なに、すぐ終わるさ」
「う、うん」
その気迫に若干気圧されながらも頷いた私は、大人しく家の中に引っ込むことにした。閉じた扉の向こうは不気味なほどに静かで、覗く気にもなれない。
そうして数十秒後。ほんとうに「すぐ」イルルは家の中に入ってきた。だけど、いつものメイド服がところどころ真っ赤に染まっていたし、その手は初めて会った時のような鋭い爪が生えたものに変わっていた。
「こ、殺しちゃったの?」
「……そうしたかったが、足が付くと不味い。記憶を消して、あちらの世界に送り返しておいた。まあ、相応の報いは受けさせたがな」
「そっか」
私にはそのあたりの事情は良く分からないし、イルルがそうしたのならそれでいいのだろう。
「まあ、取りあえず一件落ちゃ——あれ?」
「コバヤシ!!」
安心したからだろうか。さっき殴られた部分から今頃になって血が噴き出し、私の意識は闇に飲まれていった。
咄嗟に駆け寄ってくるイルルの顔が驚愕と恐怖に染まっていたのを、申し訳なく思った。
▼〇▽〇▼
瞼ごしに光を感じる。あれ、今何時だろう。何で寝てたんだっけ。
そう思ったところで、私はゆっくりと目を開けた。
「う……ん」
ガチャン、と私の側で音がした。反射的にそちらを見ると、どうやらイルルが手に持った
「そっか、私……気を失ってたんだね。ありがと、イルル。看病してくれ——って」
「コバヤシ! 良かった!!」
イルルは勢いよく飛びついてきた。衝撃で肺から空気が漏れるけど、それだけ心配させてしまったということなんだろう。甘んじて受ける。
私の胸元に縋りつくようにして泣き出すイルルの涙で、私の服はどんどん濡れ始めた。だけど私は彼女を離すつもりはなく、むしろ軽く抱きしめるようにして、彼女の頭をゆっくりと撫でた。
「ごめんコバヤシ……痛かっただろ? 本当に、ごめん……」
「イルル……」
「私のせいなんだ……。私がいるから奴はここを訪ねてきた。もしかしたら、これからも同じことがあるかもしれない。私があの日、ここにいたいなんて言ったから……」
「イルル」
「やっぱり、ドラゴンはこの世界にいちゃいけないんだ……。それに、もうコバヤシにこんな目に遭ってほしくない。全部、全部私のせいなんだ。だから、私、ここから——」
「イルル!!」
まるで懺悔する罪人のように弱々しいイルルの呟きを、私は大声で制止した。イルルはきっと誤解している。
「あのさ、イルル」
「……何だ」
「誰のせい、とか関係ないよ。私はもう平気だし、あのドラゴンはイルルが追っ払ってくれた。これで十分でしょ?」
「でも、コバヤシはあと少しで死ぬところだった……」
「死ななかったんだから言いっこなし! てか、デスマの方がよっぽど死にかけるから」
それに、と私は続ける。
「そりゃ、私だって怖かったよ。こちとら、完全なる一般人だし……だけどね、それよりもずっと怖いことがあるって、あの時気づいたんだ」
「……怖いこと?」
「イルルがいなくなっちゃうこと。それが、私には一番怖い」
「——!!」
「殺されるより怖いこと……なのにイルルは帰っちゃうの?」
我ながらずるい言い方だと思う。だけどイルルの様子は本当に切羽詰まっていて、このくらい言わなきゃだめだと思った。
私の言葉に、電撃を受けたようにびくりと震えたイルルは、やがてゆっくりと顔を上げた。その目は泣いていたせいで赤く腫れていたが、表情はいつもの明るいイルルに戻っていた。それを見て私は、内心ほっと胸をなでおろした。
「ありがとう、コバヤシ」
「こちらこそ。改めて、よろしくねイルル」
「ああ! これからも一緒だ!!」
これにて本当に一件落着、と思ったらイルルの瞳に怪しい光が宿ったのが分かった。それは今まで見たことの無いもので、喜びのような羞恥のような興奮のような……どうしたんだろう?
「なあ、コバヤシ。ところでなんだが……」
「ん?」
「生やそう」
「はっ?」
「大丈夫だ、すぐに終わる。天井のシミを見ていればあっという間だ」
「ちょ、生やすって何を」
「ナニをだ」
「やめっ——力強いなドラゴン!!」
「私はそろそろ子を産み、育てる歳なんだ。何も問題は無い。私に身を任せていろ」
「問題大有りだわ!! ヤメロォォ!!」
「先っちょだけ、先っちょだけだコバヤシ!! ほら、この胸が魅力的に見えてきたんじゃないか? ほれほれ」
「うわああ!! 男の性欲なんぞに負けるかあああ!!」
イルルの巨大な胸に吸い寄せられる視線を何とか離し、少しの隙をついて私は部屋の外に飛び出た。外はすっかり夜になり、星々が空に輝いている。
「待つんだコバヤシ! それとも、外での方が……」
「違うから!! 頭冷やしてくるだけだから!!」
本当に、イルルとの日々は楽しいけれど騒がしい。
夜の街に向かって走り出した私の口角は、確かに上がっていたのだった。
小林さんとの相性って、個人的に
トール>イルル≧カンナ>エルマ>ルコアさん>(越えられない壁)>ファフニールさん
だと思います。異論は認める。
ちなみに、名前は出せませんでしたが「調和の竜」はもちろんクレメネさんです。弱ってるだろうと思って来たら、想像以上にイルルが元気で返り討ちに遭いました。「さん」付けしてるくらいには、個人的に好きなキャラです。