駆け抜ける『トキ』   作:羊羹mgmg

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羊羹です。

連載ではありますが文字数を鑑みると短編寄りです。よってリクエストや続編への要望には応えかねますので、予めご了承下さい。

事の次第としては、『なんか、駿川さんって綺麗だなぁ……』と作者が思って、ふと書きたくなって書いたものです。多少シリアスでほんの少し湿度が高めですが、ドロドロとまではしてないと信じています。……多分。

では改めて、どうぞ。



本編
ホームストレッチ


 

 

「…………好きです」

 

閑散とした部屋に響く、そんな台詞。

 

少しばかり震える唇を意識して強張らせ、たった四文字の言葉を一文字一文字ひねり出す様にして紡がれた、そんな台詞。

 

心臓の音が異様なほど五月蠅い。先程までうっすらと聞こえていた外の喧騒は遂に跡形もなく消え去り、心臓を、首を、頭を、そしてこめかみを流れる血液が循環する音だけが鼓膜を揺らす。

 

駟不及舌。一度その言葉を声に出してしまった以上、それはもう戻ってこない。今できるのはただ、目の前にいるあなたから返事をもらう事だけ。

 

嗚呼、驚いておられるご様子。それもまあ当然の事かな。何せこうやってはっきりと自分の気持ちを口に出したことなんて、今の今までなかったから。

 

さあ…………どうか。

 

あなたの返答を、聞かせてください。

 

 

 

■□■□■□

 

 

 

時節は桜の蕾が目立つ頃合。日差しに熱を感じ始める卯月の月旦。

 

あと一週間もしないうちにここ、日本ウマ娘トレーニングセンター学園……通称トレセン学園に新入生がやってくる。

 

新入生と侮るなかれ。高難度、高倍率の試験を制した全国からやってくるウマ娘達の上澄みの中の上澄み……その者達だけが中央の門を叩くことのできるのだ。肉体面はまだまだ発展途上ながらも、その才能、精神面、そして努力量、どれをとっても未熟だなんて口が裂けても言えない様なウマ娘達がこの学園の新入生だ。

 

そしてその様な宝石の原石たる新入生たちを磨き上げるのが、トレーナーの仕事と言っていい。

 

一人一人に合わせて原石を丁寧に磨いていき、そして最終的には眩く光り輝く宝石へと仕立て上げる。

 

当然容易なことではない。ここ、中央の敷居を跨ぐのが難しいのはなにもウマ娘に限った話ではなく、トレーナーとしてこの中央に所属する事もまた途方もなく難しいのだ。

 

ただ真面目なだけではない。ただ勉学に秀でているだけではない。ただ親しみやすいだけではない。全てを兼ね備え、トレーナーとして求められる理想像を体現したかのような存在になって初めて、最終選考の舞台に立つことが出来る。

 

「注目!これよりミーティングを始めるッ!」

 

そしてその最終選考では、今まさに「開始!」という文字が書かれた扇子を広げている秋川理事長自らが面接を行うのだ。

 

学園現場職において最も高い位である理事長の席に座っている、秋川やよいという女性。一見あどけない少女に見える……というか、言動もどこか幼さを感じられるが、それでも彼女は正直自分が今まで見てきた中で一番すごい人だと思う。

 

通常業務もさることながら、高官につきながらもその地位に驕ることなく、謙虚に、ひたむきにウマ娘に向き合う様はまさに尊敬の一言。またその決断の早さ、行動力の高さ、そして皆を奮い立たせるリーダーシップ……これこそまさに人の上に立つ者なのだろう。

 

さて、そんな優秀な秋川理事長であるが、個人的に最も凄いと思う部分はその洞察力だ。

 

彼女が最終選考の審査役を務め、その上で見事中央のトレーナーライセンスを取得し、晴れてトレーナーとなった者達を見ていると……そのほぼ全員がトレーナーとしての極致にいる様な人間なのだ。

 

勿論経験が伴っていない分ベテラントレーナーには幾分か見劣りしているのは否定しない。が、彼らもまたトレーナーとしての金の卵。将来性は途轍もなく高い。

 

秋川理事長の「良いトレーナー」を見抜く目は、一級品だ。

 

「では始めに、今年からこのトレセン学園で勤務する事となった新人トレーナーの紹介だ!」

 

だが、それには一つ問題があった。

 

「驚愕!今年の新人トレーナーはいつもより数が多い!なんと、十一人もいるのだッ!」

 

十一人。多くて十一人。

 

少ないのだ。採用されるトレーナーの数が、圧倒的に不足している。

 

トレセン学園に在籍するウマ娘の数は二千人前後。中等部から高等部までで計六学年ある事から、単純計算、六で割っても一学年にウマ娘は軽く三百人を超える数が在籍している。勿論ウマ娘の全員が全員競走バとしての道を歩むわけではないのだが、それでも元々トレーナーの人数もそれほど多くない以上、十一人増えたところで普通に考えて需要過多だ。

 

まあトレーナーの質を下げる訳にはいかないのも、理解はできるんだけどね。しかしながらそのつけがどんどん現役のトレーナー達に回ってきてしまうのだ。

 

だが、トレーナーの数が足りないのは、何もウマ娘の数が多いことだけが原因ではない。

 

それは……

 

「よし、これで十一人全員の紹介は終わったな。では次に…………退職者の方を発表させてもらう……」

 

そう、トレーナーの離職率が異様に高いのだ。

 

「今年は計六名のトレーナーがやむを得ない事情で退職したッ…………ぐうッ、誠に遺憾だ……!」

 

四月一日。世間一般では新しい何かが始まる区切りとして捉えられているだろう。事実トレセン学園でもこうやって入社式の様な事を行っている訳であるし。

 

だがトレーナー諸君にとっては別の意味がある。

 

四月一日……それは既に逝ってしまったトレーナー達への、追悼式の日程だ。

 

高等部三年に所属するウマ娘は三月の末に卒業する。この意味が分かるだろうか?

 

そう、時刻が真夜中の十二時を過ぎて四月一日になった途端、制度上ウマ娘はこの学校の生徒ではなくなる。それ即ち、トレーナーにとっての最後の切り札である「学生の間は担当バと恋仲にはなれない」という断り文句を失うのだ。後はもう……分かるだろう?そういう事だ。

 

ここにも秋川理事長によるトレーナー選考のデメリットが出ている。中央のトレーナー諸君がウマ娘に真摯に向き合う人ばかりだからこそ……ウマ娘は勘違いしてしまう。否、落ちてしまうのだ。

 

何に?……そりゃあ兄ちゃん、「恋」にだよ。

 

言い方は悪いが、トレーナー側は単に彼女らの「強くなりたい」等といった夢や願望に全力で応えているだけで、それ以上もそれ以下も無いのだ。そもそも邪な感情を抱いてトレーナーになろうとする人間は秋川理事長によって弾かれている。「あわよくば担当バと……」などという思いはトレーナー側には皆無。当然恋仲になぞ発展しない。

 

だが残念な事にそうやって真摯に、誠実に、真っ直ぐにウマ娘に向き合う、そんな彼らだからこそ彼女らは落ちる。ウマ娘には眉目秀麗な者も多い。だからこそ彼女らにとって内面を評価されるというのはある種新鮮であり、衝撃的であり、そして魅力的なのだ。

 

またそうでなくとも、ウマ娘……特に中央にやってくる子は闘争心が強い。そしてそれは自らの番を見つけるといった、生物的な本能においても例外ではなかった。そこに思春期と言う名の推進剤がおまけでついてくる。

 

日に日に湿度を帯びていく担当バ。そしてその子達の気持ちをある程度察しつつも受け流していくトレーナー。

 

だから三月三十一日、もとい四月一日の夜は騒動が起こる。在学中に受け流されて行き場を失った鬱憤が積もりに積もり、最終的には完全に掛かり状態となったウマ娘が自身の担当トレーナーを拉致してしまうのだ。

 

「嘘だろっ……先輩が、先輩がいないっ!」

「糞っ……あいつは俺が育てた、未来あるトレーナーだったってのによぉ……!」

「救いは無いのですか……?」

 

このミーティングが始まった時点で数人のトレーナーの姿が無かった。その時点である程度察しはつくのだが、それでも嘘だと信じたいのがトレーナーの性。だが秋川理事長自らの口によって退職……もといドナドナ宣告されたからにはもう希望が無い。新人トレーナー達が呆然としている中、前年度からトレーナーとして勤めている者達は一斉に追悼の言葉を発していく。…………あれ、メイショウドトウがいたような……?

 

「静粛!確かに悲しい事ではあるが……我々は前に進むしかないのだッ!」

 

秋川理事長のおかげもありパニックにはならなかったものの、やはり衝撃は大きい。が、そこはちゃんと社会人。学生の様にダラダラと引き摺る事無く、直ぐに静けさを取り戻して秋川理事長の言葉に耳を傾ける。

 

「気を取り直して、次は……」

 

最初に退職リストを聞いた分、その後の教員や事務員等に対する重要事項の業務連絡は恙なく進んでいった。一応途中にトレーナーの昇進やチーム発足の許可、或いは任命等々衝撃的なことはあったが、おおよそ予定通りにミーティングは進行していった。

 

 

 

そして。

 

「……うむ!これにて今日は以上とするッ!詳細事項は各自配布したファイルに目を通しておいてくれ!改めて新人トレーナーの諸君、トレセン学園へようこそ!歓迎するッ!」

 

秋川理事長は「終了!」と書かれた扇子を広げ、そのまま席を立った。そしてそれに合わせて皆も順次起立していく。勿論俺も起立し、頭を下げる。

 

在籍するトレーナー全員、そしてトレセン学園に所属する職員のほぼ全員を収容できるくらいの大講堂が、少しずつ賑やかさを取り戻していく。

 

そしてそのままトレーナー達はその大講堂を順次後にする。どうやらこの後、中堅及びベテラントレーナー達によって新人トレーナーの歓迎会が行われるようだ。如何に将来のライバル候補と言えど、ベテラントレーナーはこれ以上離職率を増やさないためにも最低限のノウハウは教えておきたいところだろうし、新人トレーナーも貴重な話が聞けるという事で、ほとんどのトレーナーが歓迎会に参加するようだ。

 

 

 

…………懐かしいな。

 

「……さて」

 

持ってきた荷物を手に取る。その中に先程もらった資料を放り込み。

 

俺は彼らとは逆方向に、足を進めたのだった。

 

 

 

■□■□■□

 

 

 

学園内の大講堂を後にして、今は一人で学園をふらふらと歩いている。

 

視界の端にはトラックがあり、そこで今もウマ娘が数人トレーニングに励んでいる。耳には彼女らの掛け声が途切れ途切れで入ってきて、どこか寂寥感を感じさせられる。

 

トレセン学園は全寮制だ。それに今この学園の中にいるウマ娘が皆在学生である以上、春のレースへの意気込みは猛烈に上がっている。四月一日と言えど彼女らがトレーニングをしていても何ら不思議ではない。まあ当然今は彼女らのトレーナーが懇親会に赴いている以上、過度な練習は控えて勘を鈍らせない程度に抑えているだろうが。

 

そんな彼女らを尻目に、俺は近くにあった自動販売機でコーヒーを買って近くのベンチに座る。カコッ、という間の抜けた音と共に缶の口が開き、そしてそのまま口に付けて……

 

「…………げっ」

 

間違えた。このコーヒー、微糖だ。

 

飲めないわけではない……というかむしろ微糖の方が好きなんだが、今はこの靄がかった思考をクリアにするためにも一発苦いのを入れておきたかった。

 

まあもういいかな……と半ばやけくそになったその時。

 

「こんにちは、紫月トレーナー」

「…………駿川さん」

 

隣からするりと顔を出してきたのは先程まで理事長の隣で資料配布や音響機材等の補佐を行っていた、駿川たづなさん。

 

鹿毛。身長は中の上と言ったところで、エメラルドを思わせる柔らかい瞳が特徴的だ。年齢は……怒りそうなので明言は避けるが、若くして理事長秘書の職についているだけあってかなり優秀だ。…………色んな意味で。

 

「失礼しますね」

 

そう言って彼女は俺の隣に腰を掛ける。その動きにぎこちなさは皆無だった。

 

「俺はもうトレーナーではありませんよ」

「………嫌味ですか?貴方はそんな狭量な方ではないと信じていましたが……」

 

よよよ、とわざとらしく右手を目尻にあてて噓泣きをする。ここで「す、すみません!」などと言って取り乱しでもしたらこの人は直ぐに嬉しそうな顔をするので要注意だ。十分に気を付けたまえ。

 

「はぁ……違いますよ。自慢しているみたいで居心地悪いだけです」

「あら、でもトレーナーライセンスはまだお持ちですよね?なら全部が全部嘘ではないでしょう?」

 

確かに持っている。何年も前に取得した中央のトレーナーライセンスだが、そう簡単に捨てられる代物ではない。

 

自分だって例に漏れず血反吐を吐く思いで勉強し、そして縁あって掴み取れたライセンスだ。有効期限は丁度あと一年もすれば切れてしまうだろうが、あれは一種の思い出の品としてこの先も俺の手元に残り続けるだろう。

 

だが、それは最早思い出だ。思い出は過去の物。今の自分はもう、トレーナーではない。

 

「過去の栄光に縋る様は、他人から見れば滑稽なだけですよ」

「……………………そんなこと、言うんですか」

 

っ…………まずい。地雷を踏んだか。

 

周辺の空気が一気に凍り付く。その表情は不満半分、そして悲しさが半分、と言ったところだろうか。

 

……糞。最近になってやっと、見えない尻尾と耳に慣れたと思っていたんだがな。

 

「そんな風に思っていたのですね、紫月トレーナー。貴方にとってトレーナーはすでに過去のものだと、そういうのですか」

「……いや、断じてそういう訳では。単にひけらかす意味がないと言ったまでです。一旦落ち着いて下さい」

「過去の栄光に縋る私を、貴方はずっと滑稽だと思っていたんですか」

「そんなことっ……!」

「貴方は私を……捨てるんですか……?」

「っっ…………」

 

今度は嘘でもなんでもなく……彼女は泣いていた。

 

先程まで俺の隣で詰め寄っていた駿川さんはその威圧感をどこかへと放り出し、目尻に涙を蓄えて俯いてしまった。

 

苦しい。彼女をこんな姿に追いやった自分がどうしようもなく嫌で、俺は一人勝手に苦しむのだ。そこに自己満足以外の何も存在しないのに。

 

「っ…………はぁっ……」

 

連打される深呼吸。明滅する視界。フラッシュバックする記憶。

 

苦しい。苦しい。苦しい。

 

 

 

 

 

…………だが、一番苦しんでいるのは彼女だろう?

 

 

 

 

 

息を整える。

 

 

 

「一旦、落ち着きましょう」

 

誰に言っているんだ。自分に言い聞かせているわけじゃないだろう?ならちゃんと彼女の顔を見て、はっきり言え。

 

「俺は……あの頃を無かったことにしようだなんて、微塵も思ってませんよ」

 

涙を湛える彼女の目を真っ直ぐに射抜き、そう答える。

 

ぴくり、と彼女の肩が震える。

 

「あなたのトレーナーになれた事……本気で、誇らしいと思っています」

 

……嗚呼。全くもって変わらないな。

 

君のトレーナーとして専属契約して、初めてのレースに勝った時も。

 

君が初めてG1を制した時も。

 

君の足が故障して、トレセン学園卒業後でのレース出場が絶望的になったその時も。

 

 

 

…………君の告白を、俺が断ったあの時も。

 

 

 

君の流す涙に、俺はいつも弱いままだ。

 

「だから……泣かないでくれ、トキ」

 

「!…………ずるいです」

 

トキ。それは嘗て俺が彼女のトレーナーだった時の呼び名。契約当初は毎回毎回フルネームで呼んでいたのだが、「何だか壁を感じてしまいます」と言われた事で出来た愛称だ。

 

……まあ、後になって「どうやら『トキノ』っていう名前がついてる子は他にもいるみたいなので、トキって言うのは他の女も呼んでる感じがするので嫌です」と言われたのだが……もうなんかしっくりきちゃったのでずっとそのままだった。

 

他人が聞けばバ鹿らしいと感じるかもしれないけど、俺達にとっては立派な思い出がこもった愛称。俺と彼女がトレーナーと担当バだったことを示す、ちっぽけな証。

 

「ごめんな。言い方が悪かったよ」

「……いえ、私も少々掛かり気味でした。お互い様という事にしておきましょう」

 

涙を拭い、「……よしっ」と掛け声を一言。駿川さんは先程までの気持ちを切り替え、その顔にはいつもの微笑を湛える。

 

「まったく。貴方といるとやはり、いつもの調子が狂ってしまいますね」

「俺のせいですか?」

「ええ、貴方のせいですよ。ふふ、責任取ってくれますか?」

「冗談を……」

「あら、私はいつでも本気ですよ?」

 

にこにこしながら俺の顔を覗き込む駿川さん。昔はもっと可愛げがあったのに……今は何というか、立派な大人になってしまったな。

 

「それで……大分遠回りしてしまいましたが、どういった用件で?」

「むっ、あからさまに話題を逸らさないで下さい」

「そうは言っても、あなたももう立派な理事長秘書なんですから。暇じゃないでしょう?」

「それはそうですが……」

 

特に今の時期は新入生の受け入れに関する事で忙しいはずだ。勿論入学手続き等は終わらせてあるだろうが、丁度昨日にウマ娘達が卒業したことにより寮の空き部屋ができるはず。それに付随して新しい子へ割り振る為の部屋のチェック等も必要なはずだ。

 

「とは言っても、今日は本当に貴方の様子を見に来ただけですよ?大層な用件はありませんし」

「……?」

「個人的に心配になっただけです。貴方が昨夜ウマ娘に連れ去られていないか……念の為ですが、しっかりと確認しておきたかったので」

「朝メールで確認しましたよね?というか、昨晩から明朝までずっと数分おきにメールを送るのは止めてくださいよ」

「ちゃんと顔を見て、声を聴いて、貴方に触れて、確かめたかったのです。あとメールはちゃんと全部返してください」

「俺に寝るなと言うんですか……?」

「ええ、昨夜くらいは完徹してください」

「……まじかよ」

「まじです」

 

ぷんすか!といった感じで頬を小さく膨らませて抗議の意を俺に向けてくる駿川さん。これに関しては一体俺の何が悪いってんだ……?

 

「大丈夫ですよ。今更連れ去られたりしませんって」

「貴方の自分の事に関する『大丈夫』は信用できません」

「いや……俺をウマ娘による拉致から守るために、トレーナーから教官にジョブチェンジさせたのはあなたでしょう?忘れたんですか?」

 

そう、俺は彼女の要望もあってトレーナーを辞退し、半ば強制的に教官になったのだ。最終的には俺自身も了承したが、逆にあのまま了承しなければ強硬手段が取られていたのではないかと思えるほど、あの時の駿川さんは鬼気迫る勢いだった。どうか彼女の提案に頷く事しか出来なかった俺を許してほしい。

 

「勿論覚えていますよ。他にも貴方の担当ウマ娘を逐次変更したり、貴方の住むスタッフ寮の部屋を特注にしたり、理事長に無理言って貴方のスケジュール調整を一任してもらったり……色々しています」

「えぇぇ……最後のは初耳なんですが」

「それは勿論、言ってませんでしたから」

 

職権乱用じゃん。何やってんの?

 

「ともかく、貴方が無事で安心しました。これで私も仕事に身が入ります」

「無理はなさらないように」

「勿論ですよ、紫月トレーナー。貴方の教えを私が破ったことがありましたか?」

「…………ありましたよ、沢山」

「むぅ、そう言っていじわるするトレーナーさんには……えいっ」

 

不意に立ち上がったと思ったら、駿川さんはそのまま俺の飲みかけの缶コーヒーを引っ手繰る。あっ、返せ。

 

「また微糖ですか。まだまだおこちゃまですね~~♪」

「今日はブラックを飲む気だったんですよ」

「はいはい。聞き飽きましたよ、その台詞。それじゃあ失礼しますね♪」

「あっ……もう行ったか」

 

既に近くに駿川さんの姿は無く、遠い先にある絶賛走行中の小さな背中が目に入る。

 

速い。あの人本当に隠す気あるんだろうか。

 

「…………」

 

なぁ、トキ。

 

俺達……どうすればいいんだろうな。

 

君はきっと、俺が君のトレーナーだった頃から抜け出せないんだろう?

 

俺が君の告白を断っても、きっと君は諦めきれなかったんだろう。かと言って拉致監禁の類の暴挙に走ることはせずに、第三の選択肢……トレセン学園の職員となり今度は俺の同僚として関係を築くという、逃げの一手に走ったのだ。

 

そして俺が他のウマ娘を担当するつもりだと知った時……君は掛かり気味で言ったよな。教官になれ、と。私以外の担当バは認めない、と。

 

教官として受け持つウマ娘を、他の教官では有り得ない程短いスパンで交代させて少しでも俺に癒着させないようにした。スタッフ寮にある俺の部屋も、ウマ娘の襲撃に耐えられるように特注で改装した。

 

 

 

そして俺は、君の願いを断り切れない。

 

たった一つ、君が俺に送った告白という例外を除き、俺は君の要望を殆ど受け入れた。教官になれと言われた時も幸いまだ誰を担当バにするかは決まっていなかったが、それでもスカウトする直前に貰った君からの要望を俺は受諾し、すぐ理事長に教官になりたいと頭を下げた。

 

それは別に、駿川さんが俺を脅していたわけではない。

 

俺には……彼女の足を壊し、バ生を、未来を、奪ってしまった責任がある。

 

いや、責任などという立派なものでもないな。単純に彼女の未来を奪い、歪めてしまった自分を慰めるための自己陶酔。責任などと言う客観性に満ちたものとは微塵も相容れない、限りなく利己的で醜悪で偽善的な欲望。その欲望に抗う事もせず、俺はずっと逃げているんだ。

 

俺が彼女の告白を受け入れられなかったのは……君の目に映る俺のトレーナー像を、自分が否定したかったから。

 

君のトレーナーは碌な者では無かったんだと、そう自分に言い聞かせたかった。これもまた俺の中に燻り続ける、かの欲望が故。

 

 

 

君は、俺がトレーナーだった時が忘れられない。

 

俺は、君が俺をトレーナーとして見ている限り、自分で自分を許せない。

 

 

 

俺達の時間は……君が足を壊したあの時からずっと、止まったままだ。

 

 

 

 





はい、始まりました。

一話目にして難解だと思います。正直他人に読んでもらう代物ではないですね。

厚かましいですが、最後まで読んでからもう一度戻ってきてもらうと分かりやすいかと思います。



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