あれは確か、深夜のコンビニでクソガキたちと遭遇する少し前だったように思う。
教師にとってはマジでかなり少ない完全なオフの日のこと。いつもなら適当にバイクを走らせて気分転換をするところだが、その日は少し気になることがあって渋谷の街を歩いていた。
近所ではあるが、人混みが好きではないので俺が渋谷を歩くことは少ない。久しぶりに見た渋谷は、確かに話に聞いたとおりだった。
「……治安の悪さに磨きが掛かったな」
表向きはそう変わりはない。だが、妙に偉そうに歩く柄の悪いガキどもは多いし、以前にも増して道を歩く人々は路地裏を見ないようにしている感がある。賑やかな繁華街から一歩はずれるだけで大きな落とし穴があることを無意識に理解しているのだろう。
不良が闊歩しているのはそれこそ俺の学生時代から変わりはないが、その「質」は明らかに変わっていた。昔は良かったなんていったらまるで老害のようだが、確かにこれはタチが悪い。無関係な人間相手にガン飛ばすようなガキが妙に増えている。うちの生徒の行動圏内でこれは面倒だなと、頭を掻きながら適当に道を歩いていたときだった。
がしゃ、と派手に聞こえた重い金属の倒れる音。バイクが転倒したときの音に似ているような気がして、ついそちらに目が向いた。
案の定薄暗い路地裏の奥に小さく見えたのは、横倒しのバイク。そしてそれを踏みつけるように乗せられた小汚いブーツ。
「……うわ、」
正直、血まみれの人間踏みつけてる方がいくらかマシだった。遠目でもわかるほどによく磨かれてカスタムもされたバイクは、乗り手にちゃんと愛されていることが見て取れる。それをまさか、土足で踏みつけるとは。
好んでトラブルに飛び込みたくはないが、見てしまった以上は仕方がない。相手が
*
聞こえてきた声はそこそこドスが利いていたが、それでも幼さが混ざる。
どうやら相手は高校生らしい。もしかしたら中退したやつや卒業したやつも混ざっているかもしれないが、まあ見た感じは未成年の集団だ。揃いの
喧嘩をしてるらしいやつらには目もくれず、バイクを踏みつける馬鹿の足をどけさせる。
「な、てめ、何を、」
「はいはい足どかせ。お前な、不良だろうが何だろうがバイク足蹴にすんのはダメだろ。どっかイカれてねーといいけど」
ほこりまみれになったそれを軽く払い、ゆっくりと起き上がらせた。フレームに大きな損傷は見えないのでとりあえずほっとする。しかしソトが無事でもナカまで無事とは限らない。工具があればエンジンまわり確認すんだけどな、と思いながら背後を振り返った。
黒の特攻服のなかに、ひとりだけ違う学ランが見える。他から見てもひとまわり小柄はそいつは、まるで牙を剥く虎のようだった。ただし子虎。
「このバイク、お前の?」
案の定、反応した小柄のリーゼント。触んじゃねえと喚くからにはやはりこいつは彼のなのだろう。そしてざっと見た限り、特攻服を着ていないのはそいつだけ。
つまり、……なるほど、これは。
「年下ひとり相手に
おっと、つい本音が。
は、とすごもうとした隣の顔に、携帯を見せつける。画面に表示されているのは、さてどこの電話番号でしょう。
「ここ、交番近いんだよ。知ってる?」
近隣の交番の場所と番号くらいは知っておくものだ。利用することがないに越したことはないが、必ず調べておくことをおすすめする。
さっと顔色を悪くしたクソガキににっこりと笑いかけて、ゆらゆらと携帯を揺らして見せた。
*
とまあ、この程度のハッタリに騙されてくれるから馬鹿は可愛いというか何というか。伸されて倒れていた数人も綺麗に回収していったことだけは褒めてやろう。仲間のためというよりは、証拠を残すなという雰囲気だったのが何とも言えないところではあるが。
「……似合わねえ
走り去っていく背中の刺繍から無理矢理視線を外し、やれやれと首を振ってまたバイクに向き合った。背後から聞こえてくるつらそうな息づかいに、大丈夫か~、と軽く声を投げる。
「ど、けよ、……触んなっつってんだろ!!」
「
「は、」
「とりあえずパッと見大丈夫そうだけど、……ん~」
ひとつひとつパーツの確認をしながらエンジンを掛ける。問題なく心臓を鳴らしているように見えるが、何となくエンジン音に違和感があった。この型の音をちゃんと聞いたのは初めてなので断言はできないが、本当にエンジンまわりに故障があれば生命に関わる。自己流でカスタムを重ねているようだし、機体含め中古を直して走らせているようだから、今回の横転のことがなくてもやはり一度プロに見せたほうがいいだろう。
お前も気持ちよく走りたいよな、と車体を撫でてエンジンを止めた。立ち上がって振り返ると、子虎が困惑した顔でこちらを見つめている。うわ、こいつ喉もとに虎のスミなんか入れてやがる。そんな生き急がなくてもいいだろうに。
「エンジン音に違和感がある。すぐにヤバい感じではなさそうだけど、一回ちゃんと見てもらった方がいいぞ。バイク屋のアテあるか?」
「……。……まじで何なんだよ、アンタ」
「通りすがりのバイク好き。ひと踏んでるならまだしも、バイク転がして踏みつけるのはねーよな。つい口出しちまった」
お前もバイク好きなんだろ、と笑って言っても、子虎はただただ戸惑った表情を浮かべるだけ。ついさっきまでの威嚇はなりを潜め、俺が敵か味方かを決めかねているようにも見えた。まあ無免の中坊がバイクとかそりゃいい顔なんかされるはずもないから、大人からこんな反応をされたのは初めてなのかもしれない。……いや俺は運転してるとこ見てないので無免の見逃しとかではないです、本当に。非行を見逃す教師とかいるはずないだろ、といったい誰に弁明しているんだ俺は。
実は俺マジで面倒な立場だななどと思いながら、で、と同じ質問を重ねる。
「メンテのアテあんの? アテがねーなら俺のダチやってるとこ教えるけど。無免うるさく言うやつじゃねーし」
「……ねえ、けど」
「そうか。ちょっと待てよ」
メモの類いなど持ってはいないが、確か財布に名刺の一枚二枚くらい入れていたはず。適当に取り出したそれの裏に、腐れ縁が続いてしまっている悪友が開く店の名前と電話番号、それと簡単な地図を書いた。たまに店に行ってバイクに触らせてもらうかわりに簡単な手伝いをすることもあるが、こんな営業活動までやってやる俺、まじで心が広すぎる。
ほら、とそれを差し出しても、子虎は俺の顔とメモを繰り返し見比べるだけ。
「サヤの紹介っつっとけ。それで通じる」
「……サヤ?」
「そう呼ばれてる。ちょっとエンジンまわり見るくらいなら金もとらねーだろ」
まあアイツなら修理やパーツ交換があっても無償でやっちまいそうな気もするが。いつも金のねー奴相手には出世払いがどうだと言い訳を並べやがって、まったくあの馬鹿は商売っ気がなくていけない。店を維持する気があるのだろうか。
視線をせわしく揺らすそいつの目の前で名刺を揺らしてみせると、子虎は反射的にそれをひったくった。俺のことが信用できるかどうかはさておいても、やはり自分の愛機の不調と言われれば聞き逃せないらしい。思わず小さく噴き出すと、幼い大きな瞳がちょっと悔しそうにこちらを睨みつけた。歯を見せて威嚇してくる姿が、どこか
そういや、と改めて崩れかけのリーゼントに視線をやった。
「お前、頭から血ィ出てっけど痛くねーの?」
「うっせ痛くねーし!! つか言うの今かよ!!」
元気ににゃーにゃーわめき始めた子虎は、どうしたって微笑ましい。まったく、
「大事にしろよ。バイクも、自分のこともな」
それだけ言った俺の背中を、子虎がじっと見つめていたことには気づかなかった。
***
そして、これが深夜のコンビニでクソガキたちと遭遇したすぐ後のこと。
綺麗に磨かれたバイクが何台も並ぶ「S・S MOTORS」はいつも何かと騒がしい店だが、今日はいつにも増して騒がしかった。何故ってそりゃあ、静かにすることを知らないガキどもが店に来てしまったからである。
「……は!? 何でいんだよセンセー!!」
「あ、アンタ……って、え、センセー? ……こいつ先公なの嘘だろ!?」
「何だサヤ、お前圭介の先生だったんか」
「シンイチロー、センセーのこと知ってんの?」
「俺のダチだよ。あ、紹介したことなかったよなサヤ、こいつ万次郎っつって俺の弟」
「……お前は呑気でいーよな、真一郎」
いや俺が紹介した子虎はともかく、まさかこんなところで自分の教え子やそのダチと会うとは思わねーだろと。俺って昔からタイミング悪いとこあるんだよな~そんなに日頃の行い悪いかな~と遠い目をするしかない。
にゃーにゃー鳴き始めた小動物たちに何と言ったものかと頭を抱えていると、そのへんの工具箱に座っていたマンジローが軽く立ち上がって駆け寄ってきた。ねえ、と低いところからこちらを見上げる目は、言われてみれば確かに真一郎と同じカタチをしている。
「シンイチローのダチってことは、アンタも不良だったの?」
「違えけど。……おうコラ真一郎、何言ってんだコイツって顔すんな」
「いやだってサヤお前、あんだけいろいろやっといて」
「その99%はお前が巻き込んだんだろーが」
そうだっけ、とか笑って抜かした馬鹿は後でシメるとして、とりあえず俺は相変わらず俺をじっと見つめる目に視線を戻す。深すぎる黒は、何を考えているのかよくわからない。
ふうん、と首を傾げたマンジローは、相変わらず俺の顔をじっと見つめている。
「じゃあ、アンタは
ずいぶんと抽象的な質問につい片眉をあげるが、マンジローはごくごく真面目に聞いているようだった。質問の意図はよくわからないが、まあ真面目に答えてやろう。
長年の悪友と同じ色の、ただただまっすぐな目を見て口を開く。
「
強いて言うならちょっとバイク好きのと付け加えると、バイクが縁で知り合った悪友からちょっとじゃねえだろとヤジが飛んだ。
*
「で、真一郎」
「何だよ」
「もう黒龍には関わってねえんだよな」
「そりゃ、とっくに引退した人間が口出すとかダセェだろ」
「ふーん」
「……よくねえ噂だけは聞いてるよ」
「まあ、いる人間が変わればチームも変わる。それは仕方ねえ。ただ、―――お前の作った黒龍が、お前の弟のダチに目ェ付けたのは、偶然か?」
「―――さすがに偶然、だろ。今のトップが誰なのかは知らねーけどさ」
「そうか。……ならいい」