何かちらちら見られているような気はしていた。すれ違う奥様方が、妙に俺の斜め後ろに目をやるような気は確かにしていた、が。
まさか自分の後ろに幼女がくっついてきてるとか考える? いや考えない。
「……お嬢さん、ひとり?」
「お嬢さんじゃなくてルナ」
「……ルナちゃんっていうのか」
庶民の味方の激安スーパーは、その安さだけあって店内はそれなりに混んでいる。大人の目ではそれほど広くない店も、子どもからすれば広く入り組んだ迷路になってしまうのだろう。たまに迷子放送が流れるのを聞いたことがあるし、俺自身も先日迷子をサービスカウンターに連れていったばかりだ。
買い物を終え、カゴをラックに戻したときにふと見えた赤い髪飾り。え、と目線を下げれば、目が合ったのは小学校低学年くらいのツインテールの女の子だった。
なるほど妙に見られてたのはこのせいか~というか俺、ツレの女の子を気に掛けず歩くダメな保護者とかに見られてたのかな~道理で若干冷たい目線だったわけだ〜とちょっと遠い目になる。
いや、とにかく店の外に出る前に気づいて良かったと内心で安堵しながら、膝を折って視線を合わせた。
「今日は誰と来たんだ?」
「ルナ、迷子じゃないし。子ども扱いすんな」
そう言ってふいっとそっぽを向いたツインテ幼女、なるほど口の悪い父親か兄貴がいると見た。
確かに年のわりに話し方ははっきりしているし人見知りな様子もないので、これならあまり子ども扱いをする必要はないのかもしれない。そうでなくても女の子は下手な野郎よりも早熟なものだ。
まあ生意気は生意気のようだが、必要以上に子ども扱いされれば腹も立つだろう。何より、女の子の扱いについては昔じーさんがこう言っていた。
『いいか佑、生まれたての赤ん坊だろうが百歳超えたしわくちゃだろうが
さすが六十過ぎても若い女性の肩抱いて歩いてた色ボケ爺は言うことが違うなとしみじみ思ったものだが、今までの俺の経験から言ってもそうしておいたほうが面倒が少ないのは事実だった。
下手に泣かれて変質者扱いされても困るという本音は胸の奥にしまい込み、それは悪かったと唇を尖らせた小さな
「子ども扱いは失礼だったな。女の子の扱いは慣れてないんだ、悪いねルナちゃん」
「ルナもう大人だし。もう、せっかく逆ナンしてあげよーと思ったのに」
「……今逆ナンって言った?」
「言ったよ」
いや俺まさか幼女に逆ナンされてんの?
逆ナン自体に経験がないとは言わないが、まさかせいぜい小学生くらいの女の子に。これはどんな反応するのが正解なんだよじーさん。いやあの爺なら「喜んで」くらい言いかねないけど、さすがに俺の許容範囲はそこまで広くない。というか普通に犯罪。
引きつりそうになる頬を堪えながら、少し首を傾げてみせた。
「こんな可愛い子に逆ナンされるなんて光栄だけど……何でまた俺を?」
「前に迷子助けてたから」
「迷子? ああ、見てたのか」
「お迎えがくるまで泣いてた子の相手してあげてたでしょ」
いや服の裾掴んだまま大泣きされればそうするほかなかったというか。それで俺なの、と繰り返せば、ルナちゃんは大真面目な顔で頷く。
「子ども助けるならフシンシャじゃないと思って」
「確かに不審者ではないけど、それだけでオトコ信じんのもよくねーと思うよ。実は悪いオトコかもしんねーじゃん」
「本当に悪いオトコはそんなこと言わないもん」
うーん、さすが女の子は口が達者。
逆ナンされてくれないの、とか見え見えの泣き真似をするルナちゃん。しかしこの子口が達者だけじゃなくて芸達者だな、まじで目が潤んでる。いやこの状況を保護者に見られたら誤解しか生まないので本気でやめてほしいんだがどうしようこれ。
えーとな、と俺が頭をかいたところで、きゅっとルナちゃんは俺の袖を掴んだ。涙で潤んだ大きな瞳が、控えめに俺を見上げてくる。
「……ルナじゃダメ……?」
いや、俺を泣き落とそうとか十年早いんだわ。
と、反射的に出そうになった本音をごくりと飲み込んだそのとき、焦りの滲んだ大きな声が店内に響く。
「いた、ルナ! お前離れるなって……誰だテメェ!!」
ルナちゃんよりさらに幼い女の子を抱えたそいつは、そういえば何度かこのスーパーで見た覚えがある。
どう見てもせいぜい中学生の小柄の身体には珍しい銀髪に、片耳を飾るピアス。そのくせいつも自分より幼い子たちを連れてこんなスーパーに買い物に来ているとなれば、そりゃあ印象にも残る。そうか、ルナちゃんはこいつの妹の片割れだったか。兄貴に抱っこされながらじっとこちらを見ている女の子の顔は、確かにルナちゃんにそっくりだった。
詰め寄るように大股でこっちに向かってきたそいつに、さてどう弁明するか遠い目をしながら立ち上がる。ため息交じりに口を開き掛けたところで、ルナちゃんが俺を庇うようにばっと前に出た。
「殴っちゃダメ!」
「ルナ!? そいつは、」
「ルナが逆ナンしたの! だから殴っちゃダメ!」
第一声が「殴っちゃダメ」なあたりでもうだいぶルナちゃんも毒されてるなあと。この銀髪のガキ、喧嘩も普通にするタイプの不良らしい。
こんな細身でよく、とは思うが、素人同士の喧嘩なんて結局はビビらなかった方の勝ちだ。たとえ妹のためでも自分より上背のある俺に怯まず向かってきたあたり、それなりに喧嘩慣れしているのだろう。いや慣れてるからって
ルナちゃんの言葉に目を剥いた
「……逆ナンってお前意味わかって言ってんの……?」
「わかってるし! ルナは彼氏と遊んでくるからお兄ちゃんはマナと帰ったらいーじゃん!」
「いやいやいや。何馬鹿言ってんだよ」
「ルナ馬鹿じゃないもん!」
いや俺いつのまに彼氏に昇格したの、と口を挟むことも出来ず。
ヒートアップしてきたルナちゃんの声に、末っ子の女の子の肩がびくりと揺れる。周囲の視線も何となくこちらに向いていて、さすがに居たたまれなくなって手を挙げた。
「……あー、いいか?」
「、すんません、俺勘違いして……妹がご迷惑をお掛けしました!」
はっと俺に気づいた子犬は抱えた妹ごとばっと頭を下げる。不良は不良でもちゃんと礼儀を心得ている不良らしい。ちゃんと謝罪ができるのはいいことです。
迷惑じゃないもん、と頬を膨らませるルナちゃんに苦笑しながら、それはいいけどと片手を振った。
「兄妹で買い物に来てたんだな。ダメだろルナちゃん、兄ちゃんから勝手に離れたら」
「……だって」
「うん、ダメだってわかってたんだよな。それでも離れたのは、どうして?」
また視線を合わせるようにしてそう言うと、ルナちゃんはか細い声でだって、と繰り返して少し俯く。
「……妹ふたりの面倒見るのは大変でしょって、近所のおばさんが……」
言葉の足りない説明だったが、どうやら近所のおばさんとやらが大変余計なことを言ってくれたらしい。
妹たちを連れた子犬の姿はちょくちょくこのスーパーで見かけていたから、おそらく日頃からちゃんと妹たちの面倒を見ているのだろう。親が忙しいのかいないのか、とにかくそんな姿を見ていての言葉と言ったところだろうか。
そのひと的には単純に「よく妹の面倒見ていて偉い」くらいの意味だったのかもしれないが、ルナちゃんに聞こえるところで言ったのは良くなかった。悪い意味で言葉を受け取ってしまった彼女はつい兄貴から離れ、とりあえず不審者ではなさそうな俺に声を掛けたというわけだ。妹がひとりでも減れば、とか考えたのかもしれない。
額に青筋を浮かべた子犬の口から低い声が漏れる。まあ落ち着けよ、という意味を込めて視線をやれば、子犬はぐっと口をつぐんだ。そのガラの悪さを妹の前で出すんじゃない。
「そっか。兄ちゃん想いだな、ルナちゃんは。まー兄ちゃん的には言いたいこといっぱいあると思うけど、それは後で本人に任せるとして、」
にこりと笑顔を作って、拗ねた顔の
「とりあえず今日は兄ちゃんと帰りな」
「、えー!!」
「いや~逆ナンしてくれんのは嬉しいけどな? さすがに本命がいるコとデートは出来ねえな~」
「本命って、」
「兄ちゃんのこと、大好きだろ?」
そう言うと、ルナちゃんはちょっと驚いたように瞬きをひとつ。その反応にまた少し笑って、言葉を続けた。
「さすがに俺より好きなひとがいるんじゃな~どんないいオンナでも手は出せねーワ。しかもどうやらその恋敵、めちゃくちゃいいオトコみてーだし。今の俺じゃ敵わねえな~」
その「近所のおばさん」ではないが、中学生のガキが親に代わって妹ふたりの面倒を見るなんてなかなか出来ることじゃない。見れば兄貴にだっこされたままの末っ子ちゃんは慣れた様子で大人しく腕におさまっているし、ルナちゃんの「逆ナン」だって兄貴を想っているからこそ。こうも妹たちから慕われるのは、それだけ「いい兄貴」をやっているという証拠だ。
ただ家族であるというだけで慕ってくれるほど、子どもは甘くない。ちゃんと大切に接しているからこそ、家族は家族して仲良くやっていけるのだ。
そうだろ、と笑いかければ、ちょっと恥ずかしそうな様子のルナちゃんは何も言わずに俯いた。視界の隅で兄貴が同じ顔をして目を背けたのが面白い。
そっとルナちゃんの頭に手を置いた。
「だからさ、俺が兄ちゃんよりいいオトコになったらまた声掛けてよ。俺ももっと男を磨くからさ」
な、と出来る限り優しく言えば、ルナちゃんは拗ねた顔のまま唇を尖らせる。これは了承と見ていいだろう、よし頑張った俺。泣かせずに納得させたことに内心でガッツポーズを決める。学校の先生やってても子どもの相手が得意とは限らないんです残念ながら。
拗ねた顔のまま俺を見たルナちゃんは、小さな声で名前なんて言うの、と呟いた。まあそれくらいいいか、と軽く答える。
「鞘谷佑だよ」
「た、く……たすく」
「呼びにくいだろ。サヤでいいよ、そう呼ばれてるから」
「……サヤくん」
「うん」
「……はやくお兄ちゃんよりいいオトコになってよね」
「頑張るワ」
また笑顔を見せてくれた
そう思ったところで、何か変な顔をした子犬がおそるおそると言った様子で小さく手を挙げた。立ち上がりながら何、と尋ねれば、もしかしてなんですけど、と前置いて言う。
「サヤ……くんて、……ひょっとして、教師とかしてたりします? 中学の」
何で知ってんだ、と思うより先に背筋に冷たいものが走る。
どう見ても喧嘩慣れした不良の中学生、しかもここは学区こそ違えど俺が勤める中学からほど近い。サヤ、という呼び名に反応したことを考えても、もしかして。
否定してくれることを祈りながら、俺は心当たりの名前を並べた。
「……場地圭介、羽宮一虎、佐野万次郎、……知ってたりする?」
「チームの仲間。ダチです」
たっぷり数秒、沈黙が落ちる。
世間が狭いにもほどというものがあるのだがどうだろうか。よりにもよって問題児どものダチと偶然知り合うとか、さすがにちょっと出来過ぎでは。俺のタイミングの悪さ、運の悪さは今さらだが、もうちょっと何とかならんのか。
死んだ眼で天を仰いだ俺に、子犬はにっと口角を上げる。
「あの問題児どものダチかよ……」
「はは、すっげー偶然!」
場地たちから噂聞いて会ってみたいと思ってたんすよ、と軽く笑った子犬は三ツ谷隆、ちょっと人見知りの様子の末っ子はマナちゃんと言うらしい。
ちなみに俺の愛機はインパルスですって、良い趣味だと思うけどそういうこと言わなくていいんだよ馬鹿野郎。こちとら無免の運転を必死で見ないようにしてるっつーのに。
頭を抱えた俺に構うことなく、サヤくん兄ちゃんのダチの知り合いだったわ~と愉快そうにルナちゃんに言う三ツ谷。いやルナちゃんもそこで目を輝かせないで欲しい。これでいつでも会えるなとか、お前何勝手なこと言ってんだ。
「いろいろ聞いてますよ、場地に何とか勉強叩き込んでるとか、いいバイク乗ってるとか、実はライテクがすげーとか」
「勝手にひとの噂してんじゃねーよって言っといて」
嬉しそうに足に抱きついてきたルナちゃんの頭にぽんと手を置き、もうどうにでもなれという気持ちで投げやりに言う。
にししと笑った悪戯っ子は、それから、ともったいぶった口調で続けた。
「不良のために教師になったって」
「待てそれ誰から聞いた」