真剣に姉を恐がっている灰谷兄弟が見たかっただけです。解釈違い注意。
どれだけの富や権力を得ようとも、そのヒトは必要以上に着飾ることはしなかった。どちらかといえば質の良い品を好みはするものの、華美が過ぎるものは平気で打ち捨てる。
現に革張りのソファで優雅に足を組む彼女はひとつのアクセサリーも身につけておらず、シンプルな黒のセットアップにピンヒールのみ。右に垂らされる黒髪は艶やかに、傷みのひとつも見えはしなかった。優雅に下がる目元は色香を纏うが、施されたメイクも最低限。
飾り立てずとも、自身は在るだけで美しい。在るがままで、他を魅了するには充分だと。ゆるりと微笑む彼女は、全身でそう語っている。
そんな姉とテーブルを挟んで向かい合う弟たちはさすが自分たちの姉貴と思う反面、「ブランド品や宝石で釣れてくれるほうが数億倍ラクなのに」と内心で盛大に嘆いていた。肉親の方が商談も早いだろう、と適当にこの仕事を割り振った九井にはあとで鉛玉を食わせてやると決めて蘭は何とか笑顔をつくる。
「姉弟だけで会うのは久し振りだな~? 姉貴、今日は護衛もいねえの?」
「可愛い弟たちに会うだけなんだからいらないでしょう? 蘭も竜胆も元気そうで良かったわ、お友達がおクスリの味を覚えたって聞いて心配していたの」
「やんねーよクスリなんて。あんなん馬鹿のやるもんじゃん」
竜胆の言葉にそうよね、と頷く彼女の名は灰谷
少なくとも弟たちは、この姉ほど危険な人間はそういないと確信している。
「私、クスリなんてオイタをやる弟は見たくないもの」
誰が思うだろう、この「見たくない」が「今後自分が視界に入れる可能性の一切を潰すために海に沈める」という意味だなどと。「これ俺らがクスリやってるなんてデマが流れただけで殺されるやつ」「クスリ関連の仕事は絶対にまわすなって釘刺しとかないとヤバい死ぬ」と正しく理解した兄弟はにこにこと笑いながら頷くしかない。常の灰谷兄弟を知る人間にとっては信じられない怖れようだが、幼い頃から染みついた恐怖心というのはそう拭えるものではなかった。
灰谷牡丹は華奢な女性であり、腕に覚えがあるわけでもない。力にものをいわせる喧嘩になれば弟たちに敵うはずもなく、実際姉弟喧嘩になって姉の顔に拳を入れたこともあった。ただし、その次の瞬間に必ず弟たちは姉に土下座し、涙ながらに許しを請う。骨の髄まで叩き込まれた姉への畏怖は、かつてイザナへ向けた感情や今梵天の首領へ向ける感情とはまったくの別物。どちらかというと食物連鎖の上位に向ける純粋な死の恐怖に近かった。
姉ちゃん相手に交渉とかまじ無理、と思いながらも仕方なく竜胆は書類の入ったケースをテーブルに置く。手に取る様子も見せない牡丹は、ほんのわずかに首を傾けた。
「あー……見るだけ見て頂けないデショウカ」
「あら竜胆、敬語が使えるようになったなんて偉いわね」
だけど、と血の繋がりを強く思わせる垂れた瞳を緩く細める。しくった、と竜胆はぎくりと肩を揺らした。
「私に指図ができるほど偉くなっていたなんて知らなかったわ」
竜胆も大きくなったのね、と落ちた声に感情はない。やば、と内心で盛大に冷や汗を流す竜胆に呆れながら、蘭はさっと書類ケースを手に取って中身を取り出した。この姉に接するときはいつだって綱渡りだが、これくらいならギリセーフだと蘭は微笑む。
「ごめんって姉貴、俺から説明してもイイ?」
「
目線だけで「サンキュー兄貴」「感謝しろよ~?」と言葉をかわしたふたりは、再び同じ顔で笑みをつくって血の繋がった姉に向かい合う。
木の枝だけでラスボスと戦う羽目になった勇者の気持ちがよくわかる、と後に兄弟は語った。
*
弟たちに物心がついたころ、すでに姉は「王」であり「支配者」であった。
端正な顔立ち、柔らかな声音、穏やかな微笑みはまさに美少女という言葉が相応しかったが、それを塗りつぶすほどの気まぐれ、傲慢で尊大、情け容赦のなさ。自分たちも目的のためなら手段を選ばないところはあるが、この姉に比べれば可愛いものだと弟たちは思う。
まず、小学校を出ないうちに牡丹は父親を蹴落とした。灰谷家に母はおらず、父は金払いの良さだけが取り柄の子どもに関心のないろくでなし。ごく稀に家に帰ってきてはテーブルに札束を置き、三人の生存確認だけをして後は必要なときだけ部下に保護者役をさせていた。親子の情など欠片もなかったが、三人に特に不満はなかった。自由に金が使える上に干渉してこないならむしろ都合がいい、そう言っていたにも関わらず牡丹は突如として行動した。
父の無関心を利用して保護者役の部下をそそのかし、地位や富、権力のすべてを奪わせた。全てを失った父は「子どもたちを捨てて夜逃げ」し、全てを奪った部下は自分たちの後見に。後見とはいっても、牡丹のおかげで全てを手に入れた彼はもはや牡丹の言いなり。父がもっていた全てを、牡丹は手中におさめてみせたのだ。
機嫌良くリビングで紅茶のカップを傾ける牡丹に、蘭と竜胆は尋ねた。
『ただ、そうね……父親というだけで偉そうな顔をされたからかしら。何となく勘に障ったのが今だったというだけよ』
灰谷牡丹は自分に命令する者を許さなかった。自分に逆らう者を許さなかった。血縁であろうと恩があろうと関係なかった。自分の欲求にのみ忠実で、しかも一切の容赦をもたなかった。邪魔なものを排除することに抵抗などあるはずもなかった。
だって私は
『牡丹は花のオウサマ、花言葉は《王者の風格》。だったら私もそう在るべきでしょう?』
実際、牡丹は多くの人々を惹きつけた。彼女の容姿、知恵、決断力、威厳、言葉に出来ないあらゆるもので他を魅了した。牡丹が気まぐれに傍らに寄せた雑草たちは、あまねく彼女を崇拝していた。牡丹の目配せひとつで、あらゆる願いを叶えるほどに。
牡丹に刃向かおうとした生徒はいつのまにか学校から消えていた。
牡丹に付きまとおうとした男は牡丹の視界に入る前に消えていた。
牡丹が目をやった店の品は、次の日には牡丹の眼前に積まれていた。
珍しく牡丹が自身の言葉で「頼みごと」をすれば雑草は「王」に「命令」という手間を掛けてしまったことを悔いて涙を流し、即座に頼まれた以上の結果を見せた。
カリスマなどという言葉が陳腐に思えるほどの存在感。彼女の意志に応じなければ、少しでも彼女の意に沿わなければ、どうなるか。崇拝と畏怖の混ざった視線を受けながら、彼女はただ優雅に微笑んでいる。
蘭と竜胆もまた、姉の特異性には幼い頃から気づいていた。基本的には親にかわって自分たちを可愛がってくれる良き姉ではあったが、本能のどこかで「逆らってはいけない」と刻みこまれている。
『いい子ね、ふたりとも』
そう頭をなでてくれるときは良い。ただ、姉の言葉を遮ったり、姉のものを壊したり、姉の言葉に逆らったり、まして命令口調で言葉を投げてはいけない。
自分たちと同じカタチの双眸がわずかに細められたら、すぐに謝らなければならない。包丁が飛んできたりペンやカッターが床や壁に突き立てられるだけならばまだいい。姉を崇拝する雑草のなかでも選りすぐりの腕の立つ者にいたぶられるのもまだいい。幼い頃からの黒歴史を暴露されることも、「六本木のカリスマ兄弟」としては死ぬほど屈辱だがまだいいとしよう。
蘭や竜胆が牡丹を畏れるのは「今はこれで済んでも次は絶対にこの程度では済まされない」という確信があるからだ。牡丹に情け容赦など存在せず、弟だからこれで赦されているのだと、数々の実例を見て理解しているからこそ。
自分たちのことを誰より知り尽くしている牡丹が、本気になって潰しに掛かってきたらどうなるか。想像もつかないことが何よりも恐ろしい。
『あらあら、またやんちゃをしてきたのね』
とは言え、牡丹はふたりの素行にはかなり寛容だった。夜に平気で出歩くどころか喧嘩に明け暮れ、ひとをひとり死に追いやって捕まっても。出所後も更生することなく二人で六本木を仕切り、「天竺」の一員として再び少年院に送られても。それらをやんちゃの一言で全てを片付け、気まぐれに少年院を訪れては差入れを置いていった。
竜胆がおそるおそる怒ってないのかと尋ねても、牡丹はただ柔和に笑うだけ。
『蘭も竜胆も可愛い弟だもの』
他者が聞けば何と弟想いの姉かと思うこの言葉も、「自分に逆らわない可愛い弟であるうちは怒らない」という意味だと理解できてしまった弟たちは堅い笑みを零すしかない。
『まあ昔から口うるせえことは言わねえもんな、姉ちゃん。天竺に入るっつったときも何も言わなかったし。金もふつーにくれたし』
『姉貴からすれば俺らがどこで誰につこうがどうでもいーんだろな、まじで自分に逆らいさえしなければ。もともと去る者は追わねえし、他にいっても俺らのこと忘れねーだけ弟想いのつもりなンだろ』
来る者は拒まず、去る者は追わず、自分の機嫌を損ねさえしなければ好きにしていて構わない。狭量なのか寛容なのかもわからない気まぐれな「王」は、周囲を魅了しながら今なお絢爛に咲き誇っている。
その求心力をもって、彼女はいつしか銀座の夜の街に君臨していた。いくつもの店のオーナーを手がける「王」の縄張りはひどく強固で、彼女に心酔した雑草は決して「王」を裏切らない。その街でどれだけ暴れようと、脅そうと、犯そうと、その一帯だけはいまだ日本最大の犯罪組織の手にも堕ちず。
その「犯罪組織」の幹部である弟たちは姉の逆鱗に触れることを恐れて幾度となく手を引くよう進言したが、その結果がこの「じゃあお前らが懐柔してこい」という死地への特攻と同義の特別任務。
まじ九井コロス、と呪詛を唱えながら蘭はできるかぎり柔和な表現で梵天の提案を説明していく。聞いているのかいないのか、相槌すら打たない牡丹は静かに目を伏せていた。
「て、感じなんだけど、姉貴?」
「ええ、蘭、話は終わり? とても退屈だったわ」
「……だよな~~~~~」
「ご、ごめん姉ちゃん、もう時間も遅いし疲れてるかな」
「あら、ありがとう竜胆。そうね、時間も遅いし、名残惜しいけれど早めにお開きにしましょうか」
蘭ちゃん、と改めて落ちた声につい蘭は身体を堅くする。牡丹は機嫌が悪くなるとこうして昔の呼び名を持ち出した。幼い「わるいこ」に言い聞かせるような、柔らかくも感情の乗らない声。
次の言葉を間違ったらヤバい。兄弟の脳内でアラートが鳴り響く。
「この街の警備を貴方たちに任せる代わりに、お金を払う。とてもありきたりで陳腐な契約ね。貴方たちたってのお願いだからこうして時間をつくってあげたけれど、今のお話にそれだけの価値はあって?」
「……えーっと、」
「私に何ひとつ利益のないつまらない話をしておいて、いい返事を持ち帰らないと殺されちゃうとか泣きついてくれるのかしら? 蘭ちゃん、りんちゃん、お姉ちゃんは哀しいわ。賢い子に成長してくれたと思っていたのに」
「あーっと、……姉ちゃん、いい?」
「なぁに、りんちゃん」
このまま黙ってたら詰むと悟った竜胆はさっと手をあげた。向けられた視線の冷ややかさにぞっとしながらも、これは何とか宥めないとヤバいと言葉を探す。
いい歳をした男として使いたい手ではなかったが、末っ子の自分にしか出来ないことだと恥を捨てる覚悟を決める。
「……な、んでもいいから姉ちゃんに会う口実が欲しかっただけなんだよ、つまんない話してごめん」
あら、と牡丹の目が見開かれた。
「いや、ほら、俺たち立場も立場だからさ、……なかなか姉弟水入らずで話すのとか難しいじゃん。姉ちゃんがこんな契約に乗ってくれねーのはわかってたけどさ、こんな口実でもねーと会ってくれねーかなって……」
「そーそー、竜胆が姉貴に会いたいって愚図るからさ~」
「兄貴、」
「時間もらってごめんな姉貴、末っ子の可愛いわがままなんだって」
なぁ竜胆、と肩を組んで笑顔を見せる蘭。このいいとこ取り、と竜胆は内心で毒づくが、牡丹の機嫌が目に見えて良くなったことだけはわかる。
まあそうなの、と僅かな愉悦を含んだ柔和な声が応接室に響いた。
「いいわ、気分がいいからその言い訳で赦してあげる。いい歳の弟が恥を忍んで甘えてきたんだもの、あんまり意地悪言っちゃ可哀想ね」
「……姉ちゃん」
「ふふ、拗ねないで竜胆。蘭、可愛い弟に感謝なさい? 今日の話は論外だけれど、もう一度くらいなら話を聞いてあげてもいいわ」
「はーい、りょーかい。じゃあ今日は帰るな、姉貴」
書類を片付けて立ち上がった弟たちに、牡丹は緩やかな微笑みを向ける。時間があるなら飲んでいってもいいわよ、と高級クラブである店舗の方を指さしたが、残念だけど今日はやめとく、とまだ少し拗ねた顔をした竜胆が唇を尖らせた。その姿にまたふふ、と牡丹は愉快そうに肩を揺らす。
機嫌のいいうちに退散しねーと、と蘭はするりと後ろのドアを開き、竜胆もそれに続く。いつの間にか随分と大きくなったスーツの背中に、優しい姉を気取る牡丹は声を掛けた。
「次はもう少し早い時間にいらっしゃい。ご飯くらいはご馳走してあげる」
「お、姉貴の奢りなら期待していーよな?」
「姉ちゃん俺寿司がいい!」
「はいはい。気を付けて帰りなさいね」
たとえ相手が恐怖の対象であろうと、恐れて遠ざけるばかりでないのはさすがこの姉の弟たちというところだろうか。
揃いの顔で笑った兄弟は、そのままドアの前で控えていた黒服に連れられて部屋を後にする。一気に静かになった部屋で、牡丹は改めてソファの背もたれに身を預けた。
「終わったわ。入っていいわよ」
応接室のさらに奥にある、牡丹の執務室。そのドアを開けて入ってきたのは、少し前から牡丹の護衛として働いている背の高い男だった。
「ばはっアイツらまじでアンタに頭あがんねーんだな。オモロ~」
*
犬を拾ったようなものだ、と牡丹は言う。
弟たちがどこで誰とチームを組もうが誰と抗争しようが牡丹にとってはどうでもいいことだが、それでもお節介な雑草たちが気を利かせて弟たちの話を持ってくることはある。
黒川イザナ率いる「天竺」、無敵のマイキー率いる「東京卍會」。ふたつのチームがぶつかり合った「関東事変」、裏で糸を引いていた稀咲鉄太、その腹心たる半間修二。
関東事変において稀咲は死亡したが、半間は殺人の共犯者として逃亡中__だったのを拾い上げたのが牡丹だ。使われる気があるなら使ってあげる、自分に刃向かいさえしなければ何をしても構わない__そんな曖昧な契約で、半間は牡丹の下についた。
生きられるならそれでいい、それくらいの気持ちで拾われた半間だったが、牡丹が提供した生活は思いのほか快適だった。牡丹の下にいる限りは警察も手が出せず、衣食住も保証され、牡丹に近づく人間を威嚇してたまに排除すればそれだけで給料も出る。もはや存分に牡丹の王国で羽を伸ばしていた。
「可愛い弟たちでしょう?」
「めちゃくちゃ怖がられてる弟に『可愛い』とかウケんだけど」
「だから可愛いんじゃない。こんなに優しくしてあげてるのにあの子たちったらいつまでたっても私に怯えて……チワワみたいよね」
小動物よろしくぷるぷると震える灰谷兄弟を想像してしまった半間はさっと口元をおさえる。犬耳の生えた野郎の姿まで浮かんでしまった。構わず「ね、可愛いでしょう」と繰り返す牡丹に、半間は一生懸命に笑いを喉の奥に押し込んだ。
笑うこと自体にとやかく言うような飼い主ではないが、大声で笑ったが最後「騒がしい」と機嫌を急降下させることは目に見えている。この飼い主の機嫌を損ねることは得策ではない。それは半間もすでに理解していた。
数回深呼吸を繰り返した半間は、牡丹の座るソファの背もたれに手をつき、気を取り直して上から花の顔を覗き込む。
「にしても牡丹サン、刃向かうのは赦さねーくせに弟クンたちが
「あら、私はそんなに狭量じゃないわよ」
どうせあの子たち、どこにいようと私に逆らえないもの。
少しも巫山戯ている様子のない言葉に、あの感じだとまじでそうなんだろうな、と半間は思う。
天竺にいるときも大して会話をしたわけではないが、少なくとも灰谷兄弟は悪戯に誰かを恐れるような類いの人間ではない。イザナの圧倒的な暴力の前に頭を垂れることはあっても、それは恐怖というより憧れのほうが強いように見えた。
恐れ知らずに見える兄弟が唯一、機嫌を損ねてはならないと震える相手。左の首元から背中へと、真っ黒に咲き誇る牡丹を背負う「花の王」。腰元には獅子もいるのよと悪戯っぽく宣った言葉が真実なのかはわからないが、いてもおかしくないと半間は思う。
百獣の王に、百花の王。傲慢が過ぎる入れ墨も、牡丹が背負うなら美しい。
「なぁに修二、じっと見て」
「いや~? 牡丹サンみてぇな優しい姉ちゃんもってアイツらも幸せだな~って」
「らしくもなく持ち上げてくれるのね。欲しいものでもあるの?」
「うわ、全然信用ねえじゃんショック~」
半間はすっと身をかがめ、ピアス穴も空いていない綺麗な耳元に口を寄せる。
「……梵天の情報、集めさせとく?」
「必要ないわ。最低限の情報は勝手に集めているでしょうし、梵天なんてただの泥船だもの。もう数年も保たないわよ」
「ンだよ、梵天やべえの?」
「あら修二、貴方、ここ数年の佐野万次郎の顔を見たことあって?」
ねーけど、と軽く言えば牡丹は嘲るように鼻で笑る。近いわ、と半間の頬をぺちりとはたいて、そのまま自身の頬に指を添えた。
「ひどい顔よ。もう死んでいるようなものね」
しばらく前、牡丹は一瞬だけその顔を見かけたことがある。もともと東卍時代の顔くらいは知っていたが、もはや別人かと思うほどの変貌ぶりにはさすがに瞬きをした。
真っ白の髪はともかくとして、落ちくぼんだ眼に色濃く残る隈、健康的とは到底言えない顔色。生命力に溢れていた過去とは違う、まるで死の隣りで息をしているような。
弟たちの動きと勝手に入ってくる情報から梵天結成へと至ったおおよその経緯と事情は察していたが、これが「無敵」の末路かといっそ哀れにすら思ったものだ。
「身体が先に悲鳴をあげるか、精神が堪えきれずに崩壊するか。どちらにしろ彼がいなければ梵天は終わりよ。王を継ぐ器の人間がいるならとっくにその座を奪っているでしょうし」
「フーン。……あのマイキーがねえ」
かつて牡丹が渋谷の街で見かけた「無敵のマイキー」は、たくさんの仲間に囲まれて笑っていたように思う。その仲間たちを遠ざけ、空虚とともに「王」となった彼。梵天も彼自身もどうなろうと知ったことではないが、全く馬鹿な人間だと。
己の思うまま好き勝手やればいい。王たる素質があるのなら、周囲の雑草なんて勝手についてきて崇めてくれる。たまに気まぐれに声を掛けてやれば感涙にむせび、機嫌を損ねる何かがあれば排除はすぐさま行われる。
欲しいものは欲しいと言えばいい。気にくわないものは気にくわないと言えばいい。掴みたい未来があるのなら手を伸ばし、邪魔する全てを取り除くだけ。手のひらにあるものを動かし、駒が足りなければ拾い集め、不可能を「不可能」とする要因を叩き潰すのだ。
欲しいものを諦めなくても、自身の少しの努力と勝手な周囲の尽力によってそれは叶えられる。それこそが「王」だというのに、何故彼は妥協をしてしまったのだろう。
「……まあ、どうでもいいのだけれど」
どうしてあの
ある犯罪組織のトップが身を投げたというニュースが流れたのは、牡丹がそう呟いてから数ヶ月後のことだった。