青薔薇の恋(From:BanG_Dream!) 作:渋川ジュン
午前十時の喫茶店。俺は、例のバンドスコアを落とした美人と出くわしていた。
「えっ────は?」
何とかごまかしていきたいところだったが、人間、本当に焦ると言葉が出てこないものである。実際に理解不能なシチュエーションと、二日連続でのハプニングに俺の思考回路は完全に崩壊していた。
「…………」
店内に気まずい雰囲気が流れる。彼女は怪訝そうな目で俺を見つめていたが、やがて思い出したように、口元を隠した。
「貴方は昨日会った──」
「つぐみ。あとは頼んだッ!」
「えっ!?」
俺はアイスコーヒーを爆速で淹れて二人に届けると、リビングの方へと走り去っていった。
クソ、臆病者だとかキモオタだとか、そういった罵倒も今だけは受け入れてやる! 昨日のことは何とか思い出話に終わることができるはずだったのに、どうして彼女がここにいるんだ。まったく、人生とは思い通りにいかないものだ!
*
パニックになったお兄ちゃんが走り去った後。私、羽沢つぐみと紗夜さんはテーブル席で向かい合っていた。いつもと違う不穏な空気が流れている。紗夜さんが眉をひそめているのを見て、私はあわてて目をそらした。
「ええと、つぐみさんと彼はお付き合いを……?」
「ち、違いますよ!」
何を言い出すのかと思えば。何やら紗夜さんは大きな勘違いをしているらしい。
「あれは、私のお兄ちゃんです」
「そうですか。……それにしては随分親しげにしていましたね」
「き、気のせいだと思います!」
本当に気のせいです。
それならいいんですが、と言って紗夜さんはコーヒーに口をつける。なんとか疑念を晴らすことができたようで、私は少し安堵した。
「驚きました。まさか、あの方がつぐみさんのお兄さんだなんて……」
「あはは……たしかに、あんまり似てないかもしれないですね」
「いいえ。そんなことはありませんよ。今にして思えば、髪の色や雰囲気は似ている気がします」
紗夜さんはそう言った。真顔でジロジロ見られて、少し恥ずかしい。私は話を逸らすことにした。
「……そうそう、お兄ちゃんはさっきまで、『イベントで美人さんに会ってな。バンドスコア探しのお手伝いをしたんだけど、いやあ、実にいい出会いをしたよ!』みたいなことを話していたんですよ!」
「え、それって……」
「はい、紗夜さんのことです!」
「……! そ、そうですか」
紗夜さんはフッと笑うと、小さな声でこう呟いた。
「素敵な方ですね」
思わず私は呆気に取られた。
彼女に自覚は無いのかもしれない。しかしその声色、表情は普段のものとは明らかに違った。絶対にないとは思うけど。そりゃあ、一日の出会いで恋に落ちるなんて、絶対にないとは思うけど。
それでも、その可能性に期待しないではいられなかった。
「もしかして、紗夜さんって――」
「待ってください。さっき、バンドスコアと言いましたか?」
「はい。そうですけど……」
やがていつものキリッとした姿に戻ると、紗夜さんはため息をついた。
「どうしてわかったのかしら……」
「あはは……」
パッと見ただけでは楽譜としか思わないはずなのに、と紗夜さんは不思議がった。
「そういえば、彼は何か音楽活動をしているのかしら?」
「特には……あ、でもドラムは叩いているみたいですよ」
あまり話してくれないからよく分からないんですけどね、と私は付け加えた。
「なるほど……」
紗夜さんはしばらく顎に指を添えたまま長考していたが、やがて自分のこめかみをぐっと押した。
「野暮というものですね。金輪際、彼のプライベートに関心を向けないことにします」
と言いつつも視線はお兄ちゃんが消えたリビングの方へと向けられている。身体は正直だなぁ……
「あ、そうだ。今度の休日にクッキーを焼くんですけど、よかったら紗夜さんも来ませんか?」
気まずい雰囲気を跳ねのけようと、私は話題転換を試みる。
「……良いんですか? 実は近々、大学の友人に差し入れようと思っていて」
「なら、ちょうどいいですね。一緒に頑張りましょう!」
ええ、と彼女は頷く。やはり紗夜さんはカッコいい。その凛とした姿を見て思う。
真面目で一生懸命で、そして、誰よりも努力家で──。
「ところで、つぐみさん」
「はい?」
話が落ち着いたあと、紗夜さんが深刻そうな面持ちで口を開いた。
「……好きな男性の
!?
突然、何!?
「ご、ごめんなさい! 私、そういうのあんまり分からなくて……!」
「そうですか。失礼しました」
び、びっくりした……! 急に何を言い出すのかと思ったら!
「そうだ。紗夜さんは、どんな人がタイプですか?」
「わ、私?」
「はい。人に訊いたんですから、自分も言わないと!」
我ながらナイスな質問! 紗夜さんは照れたように俯いている。やはり人に何か尋ねる時は、まず自分の立場を表明してからじゃないとね!
「ええと、私は――」
やがて、紗夜さんは震えるような声で呟いた。
「常識があって、清潔で、それから──」
ごくり。私は固唾を呑んで、その言葉の続きに耳を傾ける。
「やっぱり、恥ずかしいのですが……」
「最後までちゃんと言ってください!」
照れ隠しか紗夜さんはお茶を濁した。今もなお、本当にこの問いに答えるべきか葛藤しているみたいだ……。
――さて。この辺で少し考察をしたいと思う。
まず、ここで一番重要なのは、紗夜さんの好きな男性のタイプがお兄ちゃんに当てはまっているかどうかだ。
たとえば先ほど彼女が挙げていた『常識があって──』という点。お兄ちゃんは特に変なこともしないし、(多分)常識人だ。
そして『清潔で──』についても当てはまっていると言えるだろう。茶髪でちょっと背が高くて……潔癖とまでは行かないが、見た目には人並みに気を使っているはずだ。
……結論を出すには時期尚早かもしれないけれど、暫定意見としてはお兄ちゃんが紗夜さんの理想の人かどうかはかなり黒に近いと言える、ということだ。本来喜ばしいことなのだろうが、なんとなく心にモヤモヤとするものがあった。
「ではわかりました。私の好きな男性の
やがて堪忍したのか、紗夜さんはゆっくりと口を開いた。
不意打ちのようにそう言われたものだから、私は慌てふためいた。
――ま、待ってください!
そう言おうと思ったが言い出せなかった。まだ心の準備ができていない。しかし簡単にできるものでもないのだろう。だから、どんな答えでも受け入れたいところだけど――。
「理想《タイプ》は、つぐみさんのように、親切な人────です」
憧れの先輩は頬を赤らめてそう呟いた。
――そっか。そういうことか。
普段は冷静な紗夜さんがここまで取り乱しているのだ。おそらくは
「恋って、いいですね!」
「だからそんなんじゃ……」
彼女はブンブンと首を横に振った。なんだか可愛くて、笑みがこぼれた。
よく、恋愛は人を変えると言う。紗夜さんに何か変わることがあるとすれば……いや、これ以上は考えても仕方がない。それこそ野暮というものだろう。
とにかく、私に出来るのは応援することだけだ。恋愛に無頓着なお兄ちゃんと、憧れの先輩がどのように仲良くなっていくのか──少しでも近くから、見守っていたい。