青薔薇の恋(From:BanG_Dream!) 作:渋川ジュン
俺、羽沢桐也にはどうしても妹に言わなければならないことがあった。
はっきり言おう――妹に恋愛相談など、プライドを捨てなければ難しいことではあるが。自分だけの視点ではわからないことが、世の中にはいっぱいある。
俺は意を決して、羽沢珈琲店のドアを勢い良く開けた!
「つぐみー、大事な話があるんだけど──」
「えいえいおー!!」
シーン。店は静寂を極めていた。
三人の女子大生が真剣な面持ちでテーブルを取り囲んでいる。ピンク色の髪をした女の子は立ち上がったまま、目を> <にした。
「なんで無視するのー! もうー!」
「いや、他のお客さん来たし……」
「ある意味、これもいつも通りだよね~」
ピンクの女の子が怒っているのを見て、赤メッシュのクール女子と銀髪美少女が笑っている。何だ顔面偏差値の高い空間は。これを拝めるなんて、俺は恵まれている。
……ん? この人たち、どこかで見たことがあるような──
「あ、お兄ちゃん! どうしたのー?」
「お、つぐみ。なんというか、お願いというか。そんな感じだ」
つぐみは少し顎に手を当てて考えると、やがて腑に落ちたように頷いた。
「わかった! 蘭ちゃん達に伝えてくるね」
「?」
彼女はそう言うと、一組の客がいるテーブル席に駆け寄った。
「ごめんね。お兄ちゃんが実家に戻りたいって言うから、ちょっと話し合いを……」
「待て待て待て待て!!」
そんな話してねえだろうが! そう叫ぼうとしたところで、俺は我に返った。
「あ、もしかしてつぐのお兄さんですかー?」
椅子に腰かけている銀髪の女の子が、俺に向かって挑戦的な笑みを浮かべていたのだ。
「……あ、うん。そうだけど」
「こんにちは~! つぐのお兄ちゃん、カッコイイね!」
ピンクの女の子は目を輝かせながら、俺の手を握ってくる。
シンプルに可愛かった。――いや、そうではない。
この子、今、たしかに俺の手を――
「コラ、ひまり。お兄さんが困るようなことしない」
赤メッシュの女の子が諭すようにそう言うと、ピンクの子はあわてて手を離した。
「あ、ごめんなさい……」
「ひーちゃんはいつもこうだからねー。いつか悪い男に騙されそう~」
「ちょ、モカー! 変なこと言わないの~!」
彼女らが盛り上がっている中、俺は確かに動揺していた。それはそうだろう。出合い頭にやたらかわいい女の子に、手を握られたのだ。──いや、落ち着け。俺は曲がりなりにも酒の飲める年齢になった大学生だ。こんなことでいちいち動揺していられるか。
「その、さっきのは気にしないでくれ。いいな──」
「わー! 急に手握ってごめんなさいー!」
ひまりと呼ばれた女の子は平謝りしていた。いかんいかん。この話題から離れないと。
「ところで、つぐみ。この人たちは友達か?」
「うん。私と同じバンド──Afterglowの蘭ちゃん、モカちゃん、ひまりちゃんだよ!」
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
俺はバッグを放り出して後ずさりすると、狼狽した。
「畜生……! 俺はどうして気づけなかったんだ……!」
「つぐのお兄さんって、ちょっとおバカさん~?」
「どうだろうね……」
銀髪の子に悪口を言われながらも、俺は小さく咳払いをした。
「取り乱してすまん……俺は羽沢桐也。つぐみの兄で、ここに顔を出してはよく接客を手伝っている」
「そういえば何回か見たことあるかも」
「話すのは初めてだな~」
美竹蘭さんと上原ひまりさんが相槌を打っていた。Aftergrowのことは楽曲しかほとんど知らなかったから、つい彼女らに気づくのが遅れてしまったのだ。
「本当は五時間ほどアフグロトークをしたいんだけど……あいにく、俺はこのあと用事があってな」
「そうなんですか。もっと話したかったなー」
「もしかしてRoseliaの人たちと練習? それなら駅まで──」
つぐみが盛大に口を滑らせた。たまらず、俺は彼女の口を押さえる。
「バカ! それは内緒にしろと……!」
「むぐむぐ……」
「兄妹喧嘩も愛おしいものですなぁ~」
「Roseliaと練習って……どういう意味ですか?」
案の定、美竹蘭さんが激しく反応していた。俺はすっかりお手上げで、何とかしてもらおうと妹に救いの手を求める。ひとしきり慌てた後、つぐみは思いついたように口を開く。
「そ、そうだ。お兄ちゃんは前からRoseliaが大好きで。よく曲のコピーをしてるんだよね!」
上手い!! つぐみ、ナイス!
「なるほど~」
青葉モカさんは小さく頷くと、どこからか持ってきたパンを頬張りながらこう言った。
「Roseliaのサポートドラマーですか~」
なんでバレてやがる……!! (二回目)
「そういえば、この前スタジオから出てきた時に男の人いたかも!」
「あれ、つぐみのお兄さんだったんだ……」
ひまりさんや反骨の赤メッシュも気づき始めていた。
どうやら、誤魔化すのは無理みたいだ。
「……頼む。Roseliaのファンや他の人には黙っててくれ」
「どうしてですか?」
「一応ガールズバンドだからさ。男がいるって公になったらマズいんだよ」
チュチュや日菜さんにもバレてるし、もう手遅れかもしれないけど。
「わかりましたよ~。ところで、ステージ上では女装とかしてるんですか~?」
「お恥ずかしながら」
まだ練習しかしていないとはいえ、そろそろ女の格好にも慣れてきた頃合いだ。こんなものには慣れたくなかったがな。
「別に、恥ずかしがる必要はないと思いますけどね~」
「青葉さん──」
包容力に満ちている。カッコいいぞこの子。
「女装って、男の人にしかできないじゃないですか~」
「ま、まぁ……そうだけども」
話の終着点が見えない。モカさんはニヤリとすると、俺の顔を指さした。
「だから、女装は一番男らしい行為なんですよ~」
「んなわけあるか!!」
「モカちゃんジョーク。なんちゃって~」
彼女は、言うまでもなく変人だ。これだけは、間違いない。
「あと、女装はスタジオの外でもした方がいいと思いますよ~」
「なんで?」俺ではなく、美竹蘭さんが突っかかる。
「バンド関係者じゃない人に女装がバレたら、拡散が止められないと思いまして~」
「……たしかに」
「うんうん。SNSって怖いもんねー!」
気づけば、『俺の女装をどれだけ上手く隠し通すか』ということで大いに話が盛り上がっていた。俺は本当につぐみに言いたいことが言えないまま、練習場に向かうことになった。
◾︎
「……というわけなんだ」
「はは。さすがに気にし過ぎだと思うけどね~」
講義が無かった俺とリサは一足先にCIRCLEに乗り込んでいた。二人しかいないのにスタジオに入るのもあれなので、テーブルに座ってひたすらに駄弁る。
「いくらアタシたちが注目されてるって言っても、プロじゃないし。ていうか最悪バレてもおっけーじゃん?」
「俺の社会的地位は消滅するがな」
ネットのおもちゃ確定だろ。
「それより、最近の練習かなりしんどくないか? 新曲のTAB譜がイジメみたいになっていたが」
「あー、あれね。リズム取るのが難しいよね」
「……上手くやれるか不安になってきたよ」
そう。Roseliaは、プロにも引けを取らないくらい絶大な人気を誇るグループだ。演奏は学祭の有志バンドとは比較にならないほど激しいし、高い技術を要求される。
「何回も反復して、身体に覚えさせるしかないね~」
「わかってるんだけどさ。なかなか、身体が追いつかなくて」
俺はそう言ってため息をついた。
「珍しいね。桐也が愚痴吐くなんて」
「あー、すまん。みっともないことをしたな」
「いいのいいの。たまには吐き出すことも大事だから」
リサは自分のベースをタオルで綺麗に拭いていた。休日に愛車の洗浄をしている人みたいだ。
「でも、練習がきついのはしょうがないよ。その分、それを乗り越えた時の景色は最高にいいんだから!」
「そういうもんなのかな……?」
「うん。虹が見たいなら、雨を我慢しなくちゃね」
これで良し、とリサは満足そうに笑った。膝の上には光沢のある赤いベースがある。
「んじゃ、今日も練習♪」
「あぁ。そうだな」
俺は重い腰を上げた。たしかに、考えていても仕方ない。弱い自分を認めて、前に進んでいかないと。
「あ、そういえば聞き忘れてたんだけどさ」
リサは振り向くと、不意に呟いた。
「桐也って、紗夜のこと好きなの?」
「!?」
……なんだよ急に。
「ずっと気になってたんだよねー。けっこう仲良いみたいだしさー」
彼女がどこまで知っているのかはわからなかった。肩出しセーターの隙間から肌色を覗かせながら、憂い気な表情を浮かべている。
すると、奥から男性のスタッフさんが歩いてくるのが見えた。しかし、気を使ったのかどこかへ消えてしまった。申し訳ないことをしたな。
「リサ。俺がどういう人間なのか理解した上でそれを言っているのか?」
「……どういう意味?」
「恋愛経験ゼロの俺にそういう自覚があると思うか?」
確かに、と言って彼女は笑った。
この機会だ。仮にもリサとは大学で出会った唯一の女子友達で、少しくらいは想いを打ち明けてもいいかなと思った。
「やっぱり、自分では分からないものなのかな~」
「あぁ。でも一つだけ言えるのは」
俺はその続きを言わなかった。
いや、言えなかったのだ。言葉にするには、あまりにも覚悟が足りず、震えていた。
俺は急いで荷物を持つと、スタジオに向かって歩いた。
「ち、ちょっと待ってよ!」
「悪い。なんだか恥ずかしくてな」
「今更!?」
仕方ないだろ、と情けなく呟く。あぁそうだ。俺は自分のことさえもよく分からないのだ。
しかし、もう、どうとでもなれ。そう思っている自分がいるのも事実だ。
「今、一つだけ言えるのは──俺は、紗夜さんのことを心から尊敬してる。厳格さとかストイックさとか、俺には足りない部分が彼女にはあって──って、一つじゃないな」
「別にいいよ。聞かせて」
渡り廊下のど真ん中で立ち止まって、俺は再び口を開く。
心なしか、リサの顔が不安げに映った。
「叱ってくれるところとか、好きなものに真剣なところとか、面白いところとか──魅力が山ほどあって」
話の途中で深呼吸をした。わかってる。いつか言わなきゃいけない時が来るってことは。
「……あのさ!」
リサはまだ女装していない俺の服の袖を引っ張って、こう言った。
「嘘はつかないで────それだけでいいから」
リサの言葉が骨の髄まで染み渡った。
もうやめよう。自分に嘘をつくのは。
「俺は」
震える声で、それでもその言葉を吐き出したくて。
喉の奥に詰まったそれを、必死に引きずり出そうとしていた。
色々理由をつけて、例えば逃げ出したり、話を逸らしたり、そう言ったことはいくらでも思いつく。
とにかく恥ずかしいのだ。自分の想いを誰かに打ち明けるってことに慣れていなくて。今まで、ずっとひとりぼっちだったから。
声に出したら言葉が死んでしまいそうで、それでも、それでも。
『桐也くん。我慢しなくていいから』
こんな時に思い出す顔でさえも、好きな人のもので。
桐也くん、桐也くん──水色の髪が揺れて、それで抱きしめてくれて。
ぬくもりを知ってしまった。何も無かった俺の人生に意味をくれたのは、紛れもなく彼女だ。
あぁクソ! とっくに答えは決まっている!
「紗夜さんのことが――好きだ」
最初から答えは決まっていた。
何を血迷っていたのか──最初からこれで良かったんだ。
「…………」
リサは俺の後ろで、何も言わずにいた。
顔は見えない。仕草も分からない。
俺がこれを伝えることで、リサにとって何かが変わるのかと言われればそれはわからない。
こんなことに意味があるのかさえも。
……そして、長い静寂を経て、彼女が呟いたのは。
「そっか」
それだけだった。