「
「えっ、何その話。ちょっと詳しく聞かせてもらっても良いですか!?」
「……甘楽くんって、レアちゃんの話になると食いつき方凄いよね、好きなの?」
「え? そりゃもちろん好きですが……ひぇ」
何だか先日の葛籠織を想起させるような眼差しを向けて来た月ヶ瀬先輩に抱いた感想は、言葉の通り「ひぇ……」であった。
最近、この類の目を向けられることが多いの本当に何なんだよ。
マジで怖いから遠慮して欲しい。
ハイライトが消えてるとか言うレベルじゃないからね?
何か……濁ってるんだよ、瞳が。
午後八時過ぎ。赤の不死鳥寮、女子部屋、個室。
一日のタスクを消化し終え、上手いことぽっかり時間が空いてしまったところ、お誘いがあったのでお邪魔したら、今にも殺人事件が起こりそうな雰囲気が、にわかに漂い始めることになってしまった。
もちろん、この場合死体になりそうなのは俺の方である。
ついでに言えば、女子寮に男子が入るのは普通に規則違反だから、どう転がっても俺が悪いみたいな状況になりかねないんだよな……。
ついこの前、月ヶ瀬先輩の夢を見たばっかりであるだけに、何だか口が上手く回らなかった……あれ? もしかしてこれ、選択肢をミスったら死ぬやつか?
おいおい、急に『蒼天に咲く徒花』っぽくなってきやがったな、と震えてしまう。
「なーんてね、冗談。きみが軽率に好きとか言える子なのは、とっくに知ってるから」
「おっと、まるで俺が軽い男みたいな言い方するじゃないですか」
「いや結構そうだよきみ……」
少なくとも重くはないよね、と笑う月ヶ瀬先輩だった。
そりゃあ、月ヶ瀬先輩と比べたら誰だって軽いに決まっているのだが、流石に口に出す訳にもいかず、苦笑いする。
とはいえ、実際のところ、学園で関わる人間のほとんどが女性であるのだから、そこについても反論は出来ないのだが。
つい先日だって、ネフィリアムと知り合ったばかりである。
元がゲームである以上、ある程度は仕方がないと言えるのだろうが……。
それでも周りにいる男子が立華君だけというのは、幾ら何でも少なすぎるな、と改めて思うのだった。
いやでも、友人とか作ってる暇は結構惜しいしな……。
ただでさえ、気軽に友人を作れる環境では無いのだ、俺の場合。
だから、無理にそこに時間を割くくらいであれば、自分も含めた周りのレベリングに集中したかった。
それは今回の迷宮攻略についてだって、同じことである。
「いや、というか、そう。迷宮ですよ、迷宮。何かこう……具体的にこういう感じ、みたいな話はできませんか?」
「また抽象的なこと言うなあ、甘楽くんは……あまり、聞いても為にならないと思うよ? 迷宮は同ランクと言っても、その中身は千差万別なんだから」
「まあ、それはそうなんでしょうが……」
ゲームだとその辺、あんまり描写されなかったからさ……。
ランクS迷宮に飛ばされた挙句、即負けイベントが始まり、その後は何とか死なないように逃げ回るだけのお話なのである。
二章は鬼門と言われるだけあって、この章の死亡率は滅茶苦茶高く、制作側もそれを分かってるのか、全キャラの個別死亡ムービーが用意されているほどであった。
普通に趣味が悪すぎであるのだが、これはこれで深みが出る内容なので中々文句を言えない。
生死の境目を綱渡りするような絶望的状況であるため、かなり各キャラの解像度が上がる、妙に人気な章なのである。
かく言う俺も、好きな章を三つ上げろと言われたら、必ずこの章を入れることだろう。
無論、今はその原型が欠片も無いのだが……。
ただ、そういうこともあって、普通の迷宮というやつを、少しは知っておきたいのであった────まあ、それも空振りに終わりそうではあるのだが。
同ランクとは言え、参考にすらならないと言われてしまっては、聞くだけ無駄である。
まあ、それはそれとして、月ヶ瀬先輩とレア先輩の面白迷宮攻略トークは、耳にしておきたいところではあるのだが。
「いえ、あのですわね……わたくしがいない間に、わたくしの恥ずかしい話を聞き出そうとするのはやめてくださいまし? 動揺しすぎてティーカップ落とすところでしたわよ、マジで」
何とかちょっとだけでも良いから聞かせてくれませんかね……! と交渉していたら、呆れた様子でやってきたレア先輩が、飲み物とお茶菓子を持ってきてくれた。
月ヶ瀬先輩とレア先輩は相部屋であるのだ────というより、俺のように完全に個室になっている方が珍しい、と言うべきだろうか。
赤の不死鳥寮の二年生、奇数だから俺だけ一人部屋なんだよな。
微妙にハブられてる感じがして寂しくはあるのだが、一人の方が楽ではあるし、特に文句は無かった。
いや、まあ、たまに立華君が来たりはするんだけど……。
「隣国から仕入れた珍しい茶葉を使ってみましたの、お味はいかかでしょうか?」
「へぇ、全然違いが分かりませんでした」
「この味音痴さん……ッ!」
レア先輩に、まあまあ目力の籠った視線を受けてしまう俺であった。思わず助けを求めて月ヶ瀬先輩を見たが、呆れたように笑みを返されるばかりである。
えっ? これ、俺が悪いのか……!? と思ったが、言われてみれば日之守家は、まあまあな名家である。
お茶の違いくらい分かって当然だったのかもしれない。
大変だな、お偉いさんの家ってのも。
何となくオリジナルの
「あっ、でもこのクッキーは美味しいですね。ちょい形は不揃いですけど、そこさえ良く見えて来るくらい美味いです」
「あらあら、そうらしいですわよ? 良かったですわね、ひかり」
「ちょっ、レアちゃんも一緒に焼いたやつでしょ、それは!」
顔を赤くした月ヶ瀬先輩が、可愛らしく結っているポニーテールを揺らしながら、レア先輩へと小さく叫ぶ。
何だか珍しい光景である────というのも、この二人の場合、揶揄われるのは大体レア先輩の方であるからだ。
もちろん、この二人との付き合いは、それこそたった一年だけなのだから、本当は珍しくも何でもない、日常的光景であるのかもしれないのだが。
しかし、そうか……。
手作りクッキーか。
そういや『蒼天に咲く徒花』では、睡眠薬入りのクッキーを食わされて連行されるなんてこともあったな、ということを思い出す。
あれは確か……そう、ネフィリアムのルートだっただろうか。
クッキーを食べた主人公が「あ、れ……意識、が……」とか言い始めた瞬間全てを察し、「あー、はいはいはいはい! 監禁されるやつね、終わりでーす!」と叫んだ記憶が鮮明に蘇る。
これ、明らかに犯罪者の手口であるくせに、バッドエンドルート直行という訳では無く、むしろネフィリアムルートの正解なんだよな……。
まあ、その後もかなりシビアな選択の連続を迫られることになるルートではあるのだが……。
そのネフィリアムに、現在本当に好意を持たれているっぽいので、一応気を付けた方が良いのかもしれないな、と思いながらクッキーをモグモグ食べる。
いや、流石にこの二人が俺に薬を盛ることは無いだろうし……。
何より本当に美味しいので仕方がない。
美少女が二人、眼前でわちゃわちゃするのを眺めながら、お菓子を食べるなんて贅沢極まりないな、と思っていれば、
「ああ、そういえば」
と、レア先輩が手を叩いた。
「迷宮ですけれども、わたくしもひかりも入りますわよ」
「!? えっ……え!? 何でですか!?」
「いえ、何でも何も、他の下級生に頼まれましたので……断るのも可哀想ですし、ね?」
「は? 何それ聞いてない……」
「うわっ、甘楽くんとは思えない低い声出てきた!」
ちょっと怖いよ~、と笑う月ヶ瀬先輩に頭を下げながら、これが寝取られってやつか……と奥歯を噛みしめる。
くそっ、二人の人気具合を嘗めていた。
いやもう、どう足掻いても彼女らとは組めなかったのだし、そこは割り切っていたつもりではあったのだが……。
こうやって直接言われると、どうしても悔しさが出てくるな、と思うのであった。
……ああ、でも、これはこれでラッキーではあるのか?
別に一つの迷宮につき、一つのパーティが割り振られる訳では無いからな……というか、そんなにたくさん迷宮があったとしたら、世の中は大迷宮時代に突入しているというものである。
迷宮は、稀少と言うほどではないが、かといって気軽に幾つも用意できるものではない。
ただでさえ、人工的に作れるものでは無く、自然発生したものであるのだから、それも当然と言えるだろう。
だから、その、何だ。
つまるところ、ワンチャン月ヶ瀬先輩とレア先輩。この二人と同じ迷宮になる可能性はあるということである。
とはいえ、もしそうなったとしても、助け合い等をすることはないのだろうが────今回に限って言えば、パーティ間での助け合いは基本NGだ。
ランクBダンジョンくらい、一パーティだけで攻略するか、あるいは生き残ってみせろという主旨の授業であるのだから、それも仕方がないだろう。
あるいは、もっと端的に、
競争心こそが人を一番成長させるさかいな~、なんてことを、校長は言っていただろうか。
かなり人を選びそうな、実に武闘派な理論である……しかし、そうだとしも、迷宮での二人の活躍をこの目で見られるというのなら、それも全然許せるというものであった。
やれやれ。
ちょっと楽しみになってきちゃったな。
「言いづらいですけれども、怖い顔した後に無言でじわじわと笑顔になるの、本当に怖いからやめた方が良いと思いますわよ……?」
「余計なお世話すぎる……先輩たちの前くらいでしかならないので、ギリギリセーフになりませんか?」
「う~ん、ギリギリアウトかなあ」
ギリギリアウトだった。
そんなにヤバい顔だったかな……と頬を何度か揉めば、レア先輩が吹き出すようにして笑う。
「ふ、ふふ、そうしていますと、まるで英雄様とは思えませんわね?」
「……えっ、何!? 何ですか、その大層なあだ名は……!?」
「あれ、甘楽くん、知らないの? あの一件以来、結構みんなそうやって呼んでるよ、きみのこと」
「マジで知らない、怖すぎる情報が出てきたな……」
滅茶苦茶誰が言い出したんだよ、みたいな呼び名だった。
普通に恥ずかしいのでやめて欲しい。
学園最強とか、学園最優よりずっと恥ずかしいんですけど……。
ポエマーだけ選んで入学させてるのか? この学園はよ。
「明日からどんな顔で学園歩けば良いのか分からなくなってきたんですけど……」
「あはは、嫌なの?」
「嫌じゃない訳ないでしょうが……!」
むしろこれを良しとするやつ、早々いないだろ。
せめて原作主人公の方をそう呼んであげて欲しかった。
彼の場合、既に勇者だなんだと持ち上げられていたので、ダメージも無いだろうし。
「そうは言いましても、わたくしは日之守様に、ピッタリだと思いますわよ?」
「微妙に嬉しくない褒め言葉だ……」
「──いえ、いいえ。本当に、真面目にわたくしは、そう思うのです。だって、少なくともわたくしにとって、日之守様は英雄なんですもの、ね?」
有無を言わせぬ語調で、レア先輩は真っ直ぐ、俺の目を見ながらそう言った。
驚いたことに反論する余地しか無いのだが、そのせいでどうにも言葉が出ずに、黙り込んでしまう。
英雄……英雄、ね。
俺に限らず、人ひとりを指すにはあまりにも綺麗で、重たい名前だと、そう思う。
だから、全くこれっぽっちも嬉しくないという訳でも無いが、些か恐れ多さがあるのも事実だった。
というか、身に余り過ぎる──なんてことも、そんな目で見られたら、言える訳も無いのだが……。
何だか面倒な状況になってきたな、と俺はお茶を飲みながら、何とも言えない曖昧な笑みを返すのだった。
この世に
誰であろうとも、構わず手を取ってくれるような人はどこにもいないのだと。
どれだけ苦しく、絶望的な状況であっても、助けてくれる人はいないのだと。
息苦しい暗闇から連れ出してくれる王子様は、どこにもいないのだと。
リスタリア家の長女。レア・ヴァナルガンド・リスタリアは、十歳にも満たない内から、そのようなことを芯の髄まで思い知らされていた。
黒帝の起こした『百鬼夜行』を契機に、リスタリアの名は地に落ちた。
信用を失い、価値を失い、魔法魔術師の間では最も恨まれる名として、歴史に刻まれることとなった。
そんな────レアからすれば、顔も声も知らない人間のせいで。
家は没落し、都の中心から辺境に居を移すこととなり、それでも親は日に日に窶れ、自分でさえも、常に多くから排斥されてきた。
生まれた時からそうだったのだから、これから先もそうなのだろうということは、幼い彼女でさえも容易に理解できた。
だから、だろうか。
今となってはもう、そうした理由さえも忘れてしまったけれど。
それでも、ほんの少しでも、そんな現実に抗おうと思って、声を大きくしたのだと思う。
父と母に叩き込まれた礼儀作法を、いついかなる時も忘れず、心の無い言葉にだって笑みを向けることにした。
折れてはならないと。
屈してはならないと。
本能的か、あるいは理性的な部分でそう判断し、魂に火をつけたように振舞って来た。
それを、後悔したことは無い。
唯一無二の親友を得ることが出来たのは、きっとその成果なのだから────けれども、それは同時に、そこが限界であるのだという、裏付けでもあることに、レアは気が付いてしまった。
学園に入ってからも折れず、曲がらず、自身の道を貫いてきた。
かの黒帝と、自分は全くの別であるのだと。
ただ自分自身を見て欲しいのだと、そう叫ぶように重ねてきた努力は、しかし、こういう形でしか実らなかったのだと、そう感じるようになった。
生まれてからずっと晒されてきた、敵意や悪意にレアの精神は、至極当然のように弱っていたが故に。
それをレアは、自覚できていなかった訳ではない。
常に気丈に振舞おうと努力してきたレアは、何よりも先にそのことに気付き、しかし、受け容れそうにすらなっていた。
頑張ることは得意だった。けれども、疲れないという訳ではない。
前を向くのは得意だった。けれども、辛くなかったという訳ではない。
頼れるのは自分だけだということくらい、分かっていた。けれども、助けを求めていなかった訳では無い。
そういう、ひた隠しにし続けていた弱さはきっと、大きくなり過ぎていた。
だから、ちょっとした衝撃で零れてしまったのだと、レアは思う……否、あれはちょっとどころの衝撃では無かったが。
とにかくレアは、助けを求めてしまった。あろうことか、初対面の下級生に。
とはいえそこに、大きな期待をしていた訳では無い。気の迷いそのものだ。
どうにもならないということは、どうしようもならないということは、とっくに分かり切っていたことなのだから。
『だから、そこをひっくり返そうというんです』
────それなのにあの少年は、気軽に文字通り、全部ひっくり返してしまった。
これまでの苦悩を全部、あたかも埃でも払うかのように解決してくれた。
無意識のうちに伸ばしてしまった手を、当たり前のように掴んでくれた。引っ張り上げてくれた。
生きる世界が変わった。息苦しさは、いつの間にか無くなっていた。
暗闇の真っただ中から、気付けばレアは光の中に連れ出されていた。
救われたのだ、完膚なきまでに。
助けられたのだ、これ以上ないほどに。
さりとて、ここで勘違いするほど、レアは盲目的ではない────あの少年が、レアだからと言って、助けてくれたのではないことくらい、考えるまでも無く分かったから。
助けを求められれば、誰だって助けてしまう少年であるのだ。
彼は、レアだけの王子様ではない。
彼は、レアだけの
日之守甘楽は、誰か個人の為の英雄ではない。
それでも、レアにとっては唯一の英雄であるのだ。焦がれに焦がれた、王子様であるのだ。
誰でも救う? そんなこと、当たり前だろう。彼は文字通り、英雄なのだから。
だから、自分だけのものになって欲しいんだなんて、口が裂けても言えない。
独占したいという気持ちはあれども、表に出すことは生涯無いだろう。
ただ、傍にいさせて欲しいと思うだけだ。
強いことと、傷つかないことはイコールではないから。
妙な図太さと、妙な繊細さを兼ね備えたこの少年が、いつか倒れてしまいそうな時に、支えられるところにいたい、と。
レア・ヴァナルガンド・リスタリアは、心の底からそう思う。
その感情を何と呼ぶのかは、彼女自身でさえも、まだ分からない。
さっき気付いたんですけど、アルティス魔法魔術学園なら校長じゃなくて学園長なんじゃないか? 余裕が出来次第修正していきます。