──真昼の空を、一条の蒼い彗星が切り裂き落ちる。
九尾の狐に第四の破滅が乗り移り、覚醒してから約数十分。誰も決定打の一つも入れられないままであったそれを、ただその一撃が穿ち貫いた。
そうしたのが誰なのかは、考えずとも分かる。
日鞠は、第四の破滅によって召喚された呪霊が自壊していくのを横目に、ただその光景を眺めていた。
かつてないほどに、安定した破滅戦だった。それは良い、彼が──甘楽が傷つかないのならば、それに越したことはない。
けれども、ああ、何故だ?
何故、あそこに自分はいない?
何故、甘楽の戦いを援護したのが自分ではない?
何故、甘楽の隣に立つことが出来ていない?
何故、全力を出し切った甘楽に肩を貸しているのが、自分ではない?
何故、甘楽のあの眼が、自身と同じ者を見る目が向けられているのが、自分ではない?
何故、何故、何故、何故、何故、何故、何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故。
答えは決まっている。
日鞠が弱いからだ。
彼らと同じステージに立てるほどの、実力が無いからだ。
それは単純明快な答えであり、同時に残酷な真実であった。
無論、甘楽と出会ってからの日鞠は、一瞬たりとも驕ったことはない。慢心したことすらない。
日々を丁寧に、出来る限りの努力を以て、積み上げてきた。
けれどもそこに、『甘楽は特別だから』という思いがなかったのかと言われれば、否定できない自分自身がいた。
それは、甘えだったのではないだろうか。
日鞠は自身に問いかける。問いかけ続ける。
甘楽は確かに、「ゆっくりと成長すれば良い」と、そんなことを言ってくれた。
その一言は間違いなく日鞠の精神に安定を齎したし、余裕を持たせてくれた──けれどもそれは、それこそが大間違いだったのだ。
本当であれば、そんなことを言わせてはならなかった。甘楽を、待たせてはいけなかった。待たせてしまうことに安心してしまうのは、それ自体がもう、甘えでしかない。
甘えは自分を弱くする。甘えは自身を弛ませる。甘えは己をなまけさせる。その結果が、これなのだろう。
甘楽は特別ではない──いや、いいや。違う、特別にしてはいけなかった。誰よりも隔絶した力を持つ人間は、往々にして孤独になるということを、日鞠は知っているのだから。
そういった意味では、救われたと言っても良い日鞠には、誰よりもそれが分かっていのだから。
だから、本当は、足踏みしている暇なんてなかったはずなのに。
そこの差が、リオン・ディ・ライズという男の登場によって、ハッキリと視覚化されてしまった。
彼はきっと、恐ろしいほどの研鑽を積んできたのだろう。
戦闘中のリオンは、甘楽をサポートするリオンは、徹底的に甘楽に合わせることに注力していた。
ともすれば、校長やアテナですら付いて行けない時のある甘楽の思考速度にピッタリと合わせ、求められているアクションを、求められた形で、求められた以上の精度で出し続けていた。
言葉にすることは容易い。けれども行うにあたって、これほど難易度の高いことを、日鞠は知らない。
──そして、それを一番初めに行うのは、やはり自分であると、日鞠は考えていた。
だからこれは、眼前に焼き付けられている光景は、日鞠にとって初めての敗北であった。
「────ッ」
握りしめた両拳から、血がポツリと落ちる。
声を上げることはなく、静かに日鞠は涙を流していた。
とめどなく溢れてくるそれを、しかし拭うことはしない。
これは嫉妬であり、後悔であり、羨望であり、そして、決意だ。
二度とこのような思いはしないという、日鞠の決意。
そこは、甘楽の隣は、必ず自分のものにしてみせるという、日鞠の覚悟。
熱を失いかけていた日鞠の奥底で、再びそれが燃え上がる。
憧憬によって潰されていた瞳が光を取り戻す。
日鞠は天才だ。
この世界に生まれた誰よりも、才能に愛されて生まれてきた少女である。
歩み続ければ、どこまでも辿り着くことが出来る、天性の女。
遠すぎる頂を見据えてしまったことで、迷いそうになっていた彼女は、ようやく自身の道を見定めた。
もう迷うことはない、減速することはない、下を見ることも、上を見過ぎることも無い。
ただ駆ける、駆け抜ける。最短の距離を、最大の速度で。揺れることのない意思と決意を携えて。
そして、それを彼女の持つすべての才能は、歓迎するだろう。
日鞠の意思が、決意が、全て噛み合うことを待っていた才能たちが、日鞠にこれ以上ないほどの祝福を授けるだろう。
葛籠織日鞠という少女が、この世界の産んだ最大の天才であることが証明されるまで、幾許も無い。
世界は待っている。
星々は待っている。
極光は待っている。
光の果てへと進むべき、ただ一人の少女のことを。
恒例の気絶タイムが発生するかと思ったが、意外とそんなことはなかった。
もちろん、限界まで引っ張り出した全力全開だったので、身体はフラフラとしているのだが。
魔導の代償を魔王に肩代わりしてもらっていたり、今回は杖を使ってみたりと、色々と試行錯誤した結果が出たということだろう。
とはいえ、一番の理由はやはり、リオンの存在なのだろうが。
あまりにもサポートが完璧すぎて、俺がもう一人いるのか? って感じの快適感だったもんな。
初めて戦った時もそうであるが、リオンとは相当息が合うらしい──あるいは、リオンが合わせてくれているだけなのかもしれないが。
そうだったとしても、酷く新鮮な気分だった。
振り返ってみれば、初めて戦った時ですら、リオンには思うところがあった。
自身の限界に、ちょうど同じくらいのステージに立っている人間。
実力が拮抗していることに対する高揚、読み合いも含めて、同じ位置に視線があることへの期待感。
隣に立っていて欲しくなる。これから先も、共に歩んで欲しくなる。
これまでの人生で──転生する前も含めて──こんな感情を抱いたのは、初めてかもしれなかった。
だからこそ、フラつきながらもリオンと顔を合わせた時、自然と笑みが零れ落ちた。
歩み寄ろうとして躓いたが、転ぶことはなく支えられた。
「おいおい、大丈夫か? 無理はしないで、寝転がってても良いんだぜ?」
「平気だ……これまでは問答無用で気絶してたからな。それと比べれば、随分調子は良い方だよ」
「それは比較対象に問題があるんじゃないか……?」
疑問符を浮かべながら、苦笑したリオンに肩を貸してもらう。正直なところリオンの方が背が高いので、若干歩きづらかった。
まあ、文句を言うほどではないのだが……、
俺も成長した方ではあると思うんだけど、やっぱり低い寄りの普通なんだよな。
ま、まあ? 甘楽はここからが成長期だし?
「それにしても、本当に一撃で仕留めちまうとはな。正直、目を疑ったぜ」
「俺も、あんなに上手くいくとは思ってなかったけどな。リオンのお陰で全部込められたから、実質リオンの手柄だ」
「何だそりゃ。そんなこと言ったら、手柄は二人で等分だろ」
ニヤリと笑ったリオンが、握り拳を見せる。その意図を遅まきながら理解して、拳を出した。
コツンとぶつけ合えば、途端に力が抜けたように二人で座り込んだ。
いや、ね。やっぱ無理。
気絶しなかったのは大きな成果ではあるが、言ってしまえばそれは、ギリギリそうならなかっただけだ。
第四の破滅を引っ張ってきた、いわば精神的疲労も残っている気がするし。
それに、リオンだって相当無理をしたことだろう。
俺より先に戦っていただけのみならず、触媒はリオンの片腕でもあったのである。負担が無い訳ない。
むしろ座り込みたかったのは、俺よりもリオンの方かもしれなかった。
「いや、圧倒的に甘楽の方が疲れ切ってるだろ。座り込むと同時に寝転びやがって……」
「仕方ないだろ……何かもう、口以外まともに動かせないんだよ……!」
「ハハッ、意外と体力ないよな、甘楽は」
「これでも体力は付いてきた方なんだが……」
肉体の成長と共に自動的に、とも言えるが。まあ、頻繁に戦う羽目にはなっているので、同年代と比べればそこそこ飛び抜けている自覚はある。
それでも足りないのだから、やはり魔導は色んな意味でリスクが高い。
そしてそれに頼らないと、決め手に欠ける現状はシンプルにヤバかった。
もっと魔導を改良するか、さっさと成長するしかない。
第四の破滅は討伐できたが、あと三つも残っていることを思えば大分憂鬱だった。
というか、今回は本当の本当に根回しが完璧だったからこそ、ある意味あっさりとも言える勝利を手に出来た訳だしな。
次からはそうはいかないだろう。
「ま、それよりだ。約束は覚えてるか? 甘楽」
「約束? ……あぁ、相棒がどうとかいうやつ」
「そうそう。俺は、合格点だったか?」
珍しく、少々不安げに瞳を揺らすリオンだった。それがあんまりにも面白くて、思わず声を出して笑ってしまった。
あんまりにも今更過ぎる。ていうか、不安になる要素無いし。
結果が全てだと言うのなら、正しくこの結果こそが、全てを表していた。
「合格点も何も、戦ってて分からなかったか? 俺はリオンに、途中から全幅の信頼を置いてたんだけどな」
「──ハハッ、だよな。そうだよな! いやぁ、俺の勘違いじゃなくて良かったぜ……っつっても、それが分かったからこそ、余計に緊張したんだけどな、俺は」
「何でだよ、リオンが望んだことだろ……」
「ばっかお前、いきなり命をポンと預けられて動揺せずにいられるか! そのせいで最後の最後でミスって、わざわざ飛び込む羽目になったんだからな!」
お陰で全身が未だに痺れてんだぞ……と死んだ目をするリオン。テンション上がり過ぎて突っ込んできたのかと思ったのだが、もっと切実な理由だったらしい。
まあ、あそこで守ってもらってなかったら、俺の全身ぐちゃぐちゃになってたからな。
全リソースを魔導に注ぎ込んでいたせいで、回避も防御もまともに出来なかったこと間違いなしである。
「でも、完璧だった。助かったよ、
「おぉ……随分とあっさりデレてくれるな、甘楽」
「喧しいな……良いんだよ。それくらい、嬉しかったから」
全く同じ次元で、肩を並べて、背中を預けて、戦えたことが。
酷く傲慢な考えであることは承知で、そう思う。
その余韻が、今も俺の心を綺麗に頭の先まで浸らせていた。
「そんなリオンより強いらしい、寝取られ先輩とも会っておきたいところだな……」
「ばっ、だからっ! あれは不意を打たれただけで! 俺の方が強いんだっての!」
「勝ち星拾ってから言えよな、そういうことは」
「くっ、クソッ……!! 俺の相棒の座が、取られる……!? これが寝取られ……!?」
「連想の仕方が気持ち悪いなお前……」
寝取られ先輩が寝取り先輩になることを危惧してんじゃないよ。というか、俺が寝取られるみたいな言い方をするのはやめろ!
まるで俺があちこちで寝てる不埒なやつだと思われちゃうだろうが。
誰とも付き合ってすらいない、ピュアピュアな少年だというのに……。
「でも甘楽、婚約者はいるし、いっつも女の子に囲まれてるよな?」
「お前どこからそんな情報得て……あっ、ミラか!?」
「御名答。あいつからの報告書は俺も目を通してるからな」
「何で一生徒のリオンが見てんだよ……」
情報管理がガバガバじゃねぇかと思ったものの、そう言えばリオンも第七秘匿機関の一員であった。
そりゃ見るわな……いや、見るか? まあ良い。
しかし、冷静に考えてもみれば、ミラは俺のことを調べ過ぎである。
探偵もかくやって感じの調査力なんだけど?
あいつ、マジで何なんだよ……。
「ああ見えて、真面目なやつなんだ。護衛の件についてだって、かなり前向きだったろ?」
「前向きすぎて暴走してたも同然だったけどな……」
恋人とか言い出すものだから、最悪の修羅場が発生するところだった。後輩の教育はちゃんとしておいて欲しいものである。
いや、まあ、俺からすればミラは先輩であるのだが……。
ただそれはそれとして、何だかんだと助けられた場面は多い。流石に忍者みたいに出てきた時はドン引きしてしまったが。
「おいおい、何だ? オレの悪口大会か?」
「いや、甘楽にミラが滅茶苦茶美人で困るって相談をされてただけだ」
「!!?」
「なぁっ!?」
息をするように嘘を吐くな! と叫びそうになったが、頬を赤く染めたミラによって声を呑み込んでしまった。
何でそんな真っ当な反応をするんだ……。
俺まで恥ずかしくなってくるからやめて欲しかった。
「面白いだろ? 意外とピュアなんだよ、ミラは。こうやって褒められると、すぐ真っ赤になっちゃうくらいにはな」
「っうぅ、おい、
「悪かった悪かった、そう怒るな。で、もう撤収か?」
「ああ。あの死体はジジイの方で片付けておくから、さっさと帰って休めだと。特に、アルティス組はな」
くたびれた様子でミラが言う。ただ戦っただけではなく、俺が爆睡してる間、守っていてくれたのだから、他と比べても一段と疲労が溜まっているのだろう。
申し訳なさと有難さが入り混じる。
けれども流石に気が抜けたのか、ぐったりとすることしか出来なかった。
「ンだよ情けねぇな……ってのは違うか。ご苦労さん、
「そっちもな……悪いんだけど、負ぶってくれない? もう身体を起こすことすら出来ないんだよね」
「
とか何とか、文句を言いつつも負ぶってくれるミラだった。その隣で、軽くふらつきながらリオンも立ち上がる。
いや、すげーな。もう立てるのかよ。
「じゃあ、またな。俺もすぐ近い内にそっちに行くから、その時はよろしく」
「その時は、今度は俺の方から襲撃してやるよ」
「なっ、根に持つなぁ……悪かったって。勘弁してくれ」
困ったように笑ったリオンと別れを告げて、ミラの背に身体を預ける。
特段窮地に陥ることはなく、珍しく万事上手くいったお陰か、達成感に満ち満ちていた。
珍しいというか、初めての気分だ──初めて、戦闘が楽しいと思えた。
これを収穫と言って良いのかは分からないが、悪い気分ではない。
ただそれはそれとして、修学旅行中にこんなイベントぶち込んできてんじゃねぇよ、と校長には愚痴ってやろうと思った。
「……は? なんやそれ、聞いてへんで」
「えっ?」
アルティス魔法魔術学園、校長室。
あれから無事帰って来た俺は、たっぷり三日ほどの休息をとってから、報告を兼ねた愚痴を叩きに来たところ、本当に意味不明なんだけど? みたいな顔を向けられていた。
「そやさかい、そないな話聞いてへんって。そもそも、第三の破滅の報告かて来てへんし。その上、第四の破滅? いやいやいやいや、情報共有がされてなさ過ぎやろ」
「えぇ……? いやでも、ラウレストおじいちゃん先生の方で話は通してるって」
「知らへんな。だいたい、仮に話来とったとしても、許可出す訳あらへんやろ。修学旅行云々以前に、甘楽にそないなリスキーなことはさせられんし、させるならもっと時間をかけるのが道理や。
ついでに言うたら、戦うにしたって、こっちからも援軍出して、もっと盤石の態勢を敷くやろ、普通。その一件、なんもかもが性急すぎる──甘楽、あんた気付かんかったんか?」
「や、流石に違和感はあるなと思いましたけど、疑うほどではないかなって……」
──そう、違和感はあった。
何もかもが都合良く事が運んでいたことにも、あの戦場に、魔法魔術組が俺たちしかいなかったことも。
おかしくはあったが、しかし、自己解釈で呑み込める程度のことではあった。
それに、そもそも疑うこと自体するべきではないと、そう思っていたというのもある。
「えぇ、じゃあこれって……」
「一杯食わされたな。チッ、そやさかい、あのジジイとはつるみとうなかったんや。ガキンチョの頃から、ずぅぅっと小狡い奴なんや、あいつ」
「ガキンチョって、アンタの方が歳下だろ……」
「はぁ? うちの方が上やで。気付いてへんかったんか? 良う見ぃ、この耳。うちはエルフや。基本的に公式年齢×10がうちの歳やで」
「は!!??!?」
突然明かされた衝撃の事実に絶叫してしまう。は!? エルフ!? 知らん知らん! デザイン上、ちょっと区別付けるために耳を尖らせてたとかじゃないんだ!?
そんな設定出てきたことないだろ! いい加減にしろ!
謎多きキャラなのはそうだが、こんなところでポロっとそういうことを言うのはやめて欲しかった。
真面目な話題と衝撃が混ざり合うんだよ。
今俺、どんな顔すれば良いのか分かってないからね?
「ガキンチョの頃のジジイと会うて、暫く遊び相手やってから、魔法魔術を学んで今に至るって経緯なんや。秘密やで? エルフはもう、うちの他にほとんどおらへんのやし」
「おぉ、少年の初恋とか人生とか滅茶苦茶にするタイプの人外仕草だ……」
「喧しいわ。っちゅーか、今の話がほんまなら──」
拙いかもな、という一言と。
校長室が爆炎に呑まれたのは、全く同時のことだった。
刹那に展開された守護魔法が無ければ、今頃丸焦げになっていただろう。
「よっ、遊びに来たぜ」
頑強に造られた上に、魔力でコーティングされた一室は綺麗に消し飛んでいて、開かれた空には見慣れた灰髪の男が不敵に笑っていた。
片腕は真っ白なまま、もう片腕は見慣れない、奇妙な黒色に染まっている。
数秒、思考が止まった。次いで、意図的に回し始める。
あー、そっか。そうなるのか。そうなっちゃうのかー。
……何だよ、それ。バッカみてぇ。
「ふむ、流石にこれで仕留めるのは不可能じゃったか。やはり小僧も、良い腕しておるの──いや、むしろ小僧に助けられたか? ナタリア」
「人ん家訪ねる時はまずアポを取れって、大昔に教えてやったはずやけどなあ。もう忘れたか? ガキンチョ」
「もうガキと言うほどの歳でもないわい──じゃが、夢はまだ見れたらしい。ここで死ね、ナタリア。世界と共に」
言葉と共に、呪術騎士が軒並み現れる。先日、戦場で見た数とは桁違いだ。
校舎のあちこちで爆音が響き渡っている。
そして、何よりも──。
「何で九尾がまだいるんだよ……」
第四の破滅として殺したはずの九尾の狐が、明らかに完全な状態へと復旧した姿で、こちらを睨んでいた。
この前見た時より、数倍はデカいんだけど……。あれ、第四の破滅が取り憑いてた時より強いだろ。
じわりと嫌な汗が流れ落ちる。
逃げるにしたって、ここは学園だ。下手に逃げ回ればその分だけ被害は拡大し続ける。
尤も、アルティス魔法魔術学園の教員は優秀だから、既に生徒を退避させつつも臨戦態勢に入っているだろうが。
「おい、ジジイ。何だ、これは……? 返答次第じゃ、ぶった斬るぞ」
さてどうするか、という思考を回していれば、呆然としたようにミラが姿を現した。傍にはいなくとも、近くにはいたのだろう。
これだけの騒ぎだ、駆け付けてくるのはおかしくない。
少なくともミラは、リオン側ではないらしいのが、その反応から良く分かった。
「そういえば、まだ命令中だったのぅ。良いぞ、
「あん? 何言ってんだって、オレは聞いて──」
「お前様ッ!」
「えっ?」
実に間抜けな一音を発してしまったのは、やはり俺だった。
若干の怒りを滲ませたミラが、カツカツと歩いて来て、そのまま当たり前のように、ごく自然に俺を刺したのだから、それも仕方のないことだろう。
確実に急所だった。完全に油断していた、背後からの一撃。
せり上がった血が、勢いよく吐き出される。
いち早く気付いた魔王が、舌打ちと共にミラの手を蹴り飛ばせば、カランと小刀が落ちた。
見て取れる程の呪力が込められている、上級の呪物。
「うむ、うむ。全く、我ながら都合の良い、良く出来た道具じゃよ、一号は。文字通り、使い勝手が良い。儂の呪力も良く馴染む」
「──は? どう、ぐ? 何、で、オレ。ちがっ、身体が、勝手に!」
「は、ぁ? 何言って、あぁ、くそっ、一番怠い、やつ……」
ガクンと身体が崩れ落ちる。刺されただけならまだ良かったが、全身を異物が駆け巡っている様な不快感が、四肢から力を奪っていた。
これ、呪力が入ってきてるのか? 全身の魔力と喧嘩して、魔力神経が暴走してる。
あー、やばい、無理。立てない。目が回る、吐き気がする、思考が、緩やかになっていく。
『Magia della schiavitù:Distribuzione quintuplicata』
瞬間、ミラの全身が束縛魔法で拘束された。橙色の魔法色は、校長のものだ。
「ごめんなあ、うちも動揺してるみたいや。止められへんかった……一先ずこれ、飲んどき」
取り出した小瓶から液体を流し込まれる。味は最悪だったが、それだけで身体の不快感がマシになっていくのを感じられた。
それでも万全とは言い難いが、自分で息は出来るようになる。
「魔王、甘楽を医務室へ。それから本部の方にいるアテナ、呼んで来い──全面戦争や。身の程っちゅーもんも教えたるわ」
魔力が跳ね上がる。橙色の魔力が噴き出るようにして、場を支配せんとしていた呪力を押し返した。
ナタリア・ステラスオーノ。名実ともに、魔法魔術界最強の女が、静かに吼える。
「まとめてかかってこいや、田舎もん共が。ここでテメェらの血筋、全部途絶えさせたる」
爆発的に膨れ上がっていた魔力が、不意に存在感を失う。
しかし、ただ消えた訳ではない。この場で渦巻いていた呪力ごと消えていて、圧がさっぱりと消えていた。
凪のように、静かな空間が出来上がる。
その中で、静かにナタリア校長は口を開いた。
「根源魔装五重展開───《五塵の相》」