「あらあら、日之守様方はド派手にやり始めましたわね。でしたら、こちらも始めましょうか。ね、ミラ様」
「……そこを退け、リスタリア。オレの標的は
「残念ですが、それがもう、わたくしにとっては、戦う最大の理由になるんですのよ」
目には見えない、けれども確かにそこにある魔力と呪力がせめぎ合う。
ミラ=キュリオ・プリーモは、接近戦を主体とした、実に模範的かつスタンダードな呪術騎士だ。
そして、それは同時に、魔術師にとっては相性の悪い敵ということも意味する。
魔術師の本領は基本的に、中~遠距離。
徹底して近づかせないレアと、半歩ずつでも近寄るミラの熾烈な攻防が幕を開けた。
「呪怨武装:code003────ぶっ
「
呪力を解放した一撃が捉えたレアが、ブワリと解けて消えていく。
超高精度の幻覚──それでいて、ただの目くらましだけではなく、揺らめく炎が掠めるように、ミラの肌に火傷を残して消えた。
(クソッ、視界が嫌に歪みやがる。炎の影響か、あるいは精神干渉系か……!?)
軽く舌打ちをしたミラが、戦斧を床に突き立てる。
中~遠距離に徹するレアに、ただ愚直に接近するのは悪手でしかない。
ガチャリとレバーを入れて、コマンドを叩いて叫べば、それは巨大な銃の形へと変形した。
「呪怨武装:code002────
「貴女様、それ本当に口に出してて辛くなったりしませんの!?」
「なるから! 強ぇんだろうがよぉッ!」
呪力の弾丸が、増え続ける幻覚を根こそぎ消し飛ばす。
呪怨武装──カイウス・ラウレストが作成した呪物の一つでありながら、ミラの
一から十までの形態が存在するそれを、ミラはコンマ数秒も要せずに切り替え、巧みに手繰る。
オーソドックスな呪術騎士でありながら、最も新しい形の呪術騎士。
それが、ミラ=キュリオ・プリーモと名付けられた女である──それを相手するレアは、稀代の天才魔術師でもあるが。
「
「っ
焔で編まれた弾丸が、さながら雨粒のように降り注ぐ中をミラは駆け抜ける。
呪怨武装はcode005。剣に近い形になったそれを、片手に踊るように舞う。
じりじりと、互いの距離は縮まっていた。
厚くなる弾幕を前に、それでもミラは止まらない。
(……速すぎますわね、止められない──ミラ様には、止まる気が無い……? いえ、いいえ。ミラ様にも
レアは既に、《神焔》の魔装を展開している。操る炎は一万度を優に超えている。太陽の表面温度が約六千度であることを考えれば、ほぼ必殺であると考えても問題ないだろう。
直撃すれば火傷程度では済まない──一撃一撃が致命に繋がる。
その中を怯むことなく、防御に徹することもなく、ただ駆け抜けるミラは、明らかに異様だった。
これほどの熱を浴びながら、回避しきれずに焼けて行きながらも、止まるどころか、足を鈍らせすらしない。
悠々と突き進むその様子は、痛みを知らない獣のようですらあった。
常人では有り得ない──異常者代表の日之守やリオンとは別ベクトルで、ミラはおかしい。おかしくなっている。
(ハッ、何も感じねー。壊れる前に
剣を振るいながら、ミラはどこか冷めた様子でレアを追い回す──ミラにも止まれないという、レアの予測は的を射ていた。
今、ミラの身体を突き動かしているのは、ミラ本人の強い意思ではない。
全身の血管を走っているかのように感じる呪力──ミラの呪力ではなく、ラウレストの呪力が、ミラの一挙手一投足をコントロールしていた。
日之守を後ろから刺したその瞬間から、ミラは自由を奪われている。
痛みも感じず、恐怖すら感じず。
ただ、
それが、ミラ=キュリオ・プリーモという、呪術騎士だった。
「──ええ、ええ! 知っています。分かっておりますわ。だからこそ! わたくしが此処にいるのです!」
されども、レアが焦ることはない。このような事態は、レアにとって、想定内であって欲しくなかった、想定内であった。
少なくとも、ミラがこうして敵対することを、ミラがこのように戦うであろうことを、レアは最初から予想できていた。
正確に言うのであれば、レアの他にも、もう一人いるが。
故にこそ、準備は出来ていた。恐らくは、誰よりも。
「少しだけ、ギャンブルになりますわよ。覚悟してくださいませ……!」
散らしていた魔力を、炎を自身に集中させる。
イメージするのは、一年前の自分自身────正確に言うのであれば、第二の破滅。
レアを器とした第二の破滅の戦い方は、魔法魔術師のものではなかった。
けれどもそれが、それこそが、レアの意識に革命を起こす切っ掛けとなったと言って良いだろう。
中~遠距離戦以外は避けるべきという、魔法魔術師にとっての前提を破壊する為の。
苦手意識は気合で乗り越えるのが、レア・ヴァナルガンド・リスタリアという少女のモットーだ。
収斂された炎と、限界を超えて一体化する。
ドレスは近接に向いた、より動きやすいものへ。
露出した肌は、薄く伸ばしながらも硬質な焔で覆い。
懐まで踏み込みながら放たれたミラの一閃を、レアは一点集中させた焔を纏う拳で受け止めた。
「く、ぅぅ……流石に重たいですわね……!?」
「……は?
「ふふ、有り得ないなんてことは、有り得ませんのよ? ミラ様」
誰もが知る由も無いが、レアはかの黒帝──ノエル・ヴァルトリク・リスタリアの遺伝子を、もっと言えば才能を、最も色濃く受け継いだ、ただ一人の魔法魔術師である。
しかし、これまでレアは、理論を突き詰めるタイプのノエルとは違い、感覚で魔術を手繰ってきた。
それが第二の破滅に憑依され、器となったことで、第二の破滅が持ちうる理論が強制的に共有された。
レアがこれまで積み上げてきた努力と、感性だけで魔装へと至った才能。
そこに突き詰められた理論を、ポイと渡されればどうなるか。
当然、それらは相乗する。
これ以上ないほどに、それらは噛み合う。
魔術を超え、魔法を超え、
その
媒体を一つも使用しない、レア自身の脳だけでは、それが限界であった──けれども、それだけで十分でもあった。
あらゆるものを焼き尽くし、絶無へと還す焔は、しかし手繰り手の意思に従い、邪なるもののみを焼き焦がす。
「────ッ!?」
故に、再び振るわれていたミラの剣は一瞬にして焦げ落ちた。跡形も無く舐め尽くす焔は、ミラの全身すら絡めとる。
煌々と燃ゆる焔は、しかしミラに傷を残すことはなく、呪いだけは焼き祓った。
呆然と立ち尽くしたミラの額に指を当てたレアが、小さく笑う。
「勝負あり、ですわね。ミラ様」
「なっ……オレは、まだ──」
「いいえ、終わりです。武器を失った呪術騎士は、正直言って怖くありませんわ──それに、戦う理由はもう、無くなったでしょう?」
「──嘘だろ、ジジイの呪力を、焼き切ったのかよ」
有り得ない──と、再び零しそうにあなった言葉を、ミラは呑み込んだ。
いかに認めずとも、事実ミラの身体は自由を得ている。抑え込まれていた痛覚も仕事をし始めたようで、あちこちが訴えてくる痛みに、ミラは顔を顰めた。
「ミラ様に一つ、聞きたいことがございます」
「……良いぜ。勝者の特権だ、それは」
「もしかしたら、話しづらいことかもしれませんが……転身体の製造計画について、と聞けば、ミラ様には分かるでしょうか?」
「──っ、な、んで、それを、知ってる!?」
展開していた魔装を解きながら、レアは小さく息を吐く。
ミラがこの学校にやってきてから、レアがアテナに依頼されていた
それは、呪術騎士学校校長:カイウス・ラウレストについてであった。
『根拠とかはないんだけど、あのお爺ちゃん、どーにもきな臭いんだよねぇ……そういう訳で、せんせー的にはちょっと調べて欲しいって訳。頼んだよ、レア』
そのような、実に軽い口調によるお願いであったが、これも第七秘匿機関の任務としてレアは承諾し、ありとあらゆる手段でこれに迫った。
結果的にレアは、ラウレストの思惑には辿り着くことは出来なかったが、代わりに、かつてラウレストが極秘裏に行っていた、『転身体の製造計画』という実験の存在を知った。
「まだ、触り程度しか調べられていませんが……ミラ様は、その実験で作られた
「……良く調べてンな。隠しても仕方ねぇ──ああ、大正解だぜ」
はったりでも何でもないことを確信したミラが、パタリと仰向けに倒れる。
戦う意志はなかった。いいや、元よりそんなもの、ミラには無かったと言って良いだろう。
この場において、ミラだけが、自身の裡から生まれた戦う理由が存在しなかった──あるいは、失くしてしまった。
「良いぜ、教える──ジジイの思想と、オレの存在は切っても切り離せねぇだろうしな」
それからミラは、訥々と語り始める。
自身の出自を含めた、カイウス・ラウレストのことを。
「さて、おはよう、
今から数えてきっかり六年前。ミラ=キュリオ・プリーモは、カイウス・ラウレストと、それに協力する技術者たちの手によって、この世に生まれ落ちた。
一般的な生み出され方ではなく、技術を駆使した末に作り上げられた、人工生命体。
彼女の名に『
端的に言って、ミラ=キュリオ・プリーモは
転身体製造計画──Project-Eternitàと名付けられていたそれの目的は、文字通り『人工的に転身体を生み出すこと』である。
人の手による『不老不死』を実現する為に、カイウス・ラウレストとそれに協力した呪術騎士・研究者が、いつか見た夢のお話。
その過程で生み出されたのが──カイウス・ラウレストの転身体として造られたのが、ミラ=キュリオ・プリーモだ。
作り上げられた肉体に欠損はなく、不具合はなく、脳は正常に稼働し、内臓も問題なく、魔力は保有せず、戦闘センスに恵まれ、そして何より、ラウレストの呪力に適合した、ほとんど完璧な人工生命体。
けれども、決定的に誰かの魂を受け容れることは出来ない、誰かの次の器になり得ない、致命的な欠陥品であった。
ミラは、普通の手段で生み出されなかったが、しかし、その在り方は通常の人間と遜色なさすぎた。
故にこそ失敗作。けれどもそれ以降、ミラほど完璧な肉体は、一つたりとも生まれなかった。
「……潮時じゃな。転身体を人の手で作り上げるのは、現時点では不可能と考えるべきじゃろう。これ以上を追求するには、また果てしない時間がかかる……儂にはもう、そこまでの時間は残されておらん」
ラウレストが溜息交じりにそう断じたのは、ミラが生み出されてから約二年後のことである。
この時、ミラの肉体年齢は六歳──飽くまで実験体であるミラの肉体成長速度は、常人の三倍に設定されていた。
一年の内に、ミラは三つ歳をとる。
とはいえ、ラウレストを含む研究員に、徹底された教育を受けていたミラの頭脳は肉体相応であった──精神年齢は別であったが。
「のう、プリーモ。儂のことは好きか?」
「んー? ま、そうだな! じじいのことは嫌いじゃねぇぜ!」
「うむ、うむ。であれば、プリーモ。儂の剣になってくれんかのう?」
いつも通りの優しげな声で、そう告げられた日のことを、ミラは良く覚えている。
ほんの、三年ほど前のことだ。
これを快諾したミラはその日から、呪術騎士としての鍛錬が一日の大半を占めるようになった。
狂ったように武器を振るった。
寝る間も惜しんで呪力を使い込んだ。
血反吐を吐いても鍛錬は終わらなかった。
「いや? やめたいとかは思わねーよ。じじいに毎日毎日
いつか、誰かに「もうやめたいとは思わないのか」と聞かれた時、ミラは屈託のない笑顔と共に、そう返したことを覚えている。
それほどまでに、ミラにとってラウレストは本当に、親であり、祖父であり、家族であった。
ラウレストはとうの昔に道徳に背いた人間ではあったが、かといって、何もかもが破綻している人間ではなかった。
計画を進めるにあたり、多くの命を身勝手に費やしてきたが、それでもラウレストを裏切った人間が一人もいなかったことが、その証左だろう。
自身が特別な出自であることを理解した上で、それでもラウレストに付き従ったミラのように。
ラウレストの周りにいた誰しもが、ラウレストを嫌悪することはなかった。
カイウス・ラウレストは、度し難い人格者であった。
もしくは人の心を容易く手懐けることが出来てしまう、狂人だったのかもしれないが────いや、いいや。
事実、狂人ではあったのだろう。あるいは悪人か。
どちらにせよ、ただならぬ人間であり、罪を重ねた人間であり、許されてはならない人間であるのは間違いないことだった。
──それでも、ミラにとって、カイウス・ラウレストという男は、これ以上のない、ただ一人の家族であったのだ。
悪人であろうと、狂人であろうと、罪人であろうとも、子供が親を信じたいという気持ちは、間違っているだろうか?
子供が親の為に力になりたいと、そう思う気持ちは間違っているだろうか?
間違っている訳が無い。
間違いであって良いはずがない──だからこそ、ミラの幼い心に傷は残った。
ミラがラウレストのことを家族として見ていた一方、ラウレストは飽くまで、ミラのことを
だから、間違いだというのであれば。
ミラ=キュリオ・プリーモという少女が、カイウス・ラウレストという男のことを、家族として愛してしまったこと。
そこからがもう、間違いであったと、そう言うべきなのだろう。
「──なんてな。ま、勝手に家族だって勘違いした、玩具の戯言だ。悪ぃーな、大したこと知らなくてよ」
「いえ、いいえ。良くありませんわね。決めつけるのは、早計だと思いますわよ?」
長く深くため息を吐いたミラは、そっと手を握ったレアに、力強く引っ張り起こされた。
半ば抱きかかえられる形で、ミラは立ち上がる。
ミラの震える背中を、レアが優しく叩いた。
「どれだけ親しい人であろうとも、人間である以上、齟齬無き相互理解は不可能ですもの。たった一つや二つの言葉で言い表せられるほど、誰かが誰かを思う気持ちは単純ではありませんわ。共に過ごした時が、積み重なれば積み重なるほど、想いというのは複雑になるものなんですから」
だから、直接会って聞きましょう。問い質しましょう。話し合いましょう。腹を割りましょう──と、レアは言う。
それは恐ろしい行為であると、ミラには分かる。いいや、レアにだって分かっている。
それで本当に、改めて、心の底から否定されてしまったら?
ミラにはどうすればいいのかも、あるいは自身がどうなってしまうのかすらも、分からない。
けれども分からないまま、碌に言葉を交わすこともなく、ただ投げやりに放られた言葉だけを真に受けて終わることも、また恐ろしい。
どちらを選ぼうとも恐怖しかなかった。
どちらに進もうとも正解とは思えずに、ミラはレアにしがみつく。
「大丈夫。怖いのなら、わたくしも一緒に行きますわ。嘗めたことを言うようなら、わたくしがグーで分からせて差し上げましょう」
「……何だ、そりゃ。そもそも、何でリスタリアがオレに、そこまでするんだよ。オレ、一応敵だぜ?」
「敵も味方もありませんわよ──だって、ミラ様。貴女ずっと、泣いているんですのよ?」
そう言われて初めてミラは、頬が濡れていることに気が付いた。
歪む視界はレアの魔術によるものではなく、自身の涙であったことに、ようやく気付く。
気付くと同時に、歯止めは利かなくなった。
ボロボロと、嗚咽と共に涙は零れ落ちる。
そんなミラを、レアは優しく抱きしめた。
「だから、力をお貸しします。わたくしが、ミラ様の助けになりますわ。わたくしがミラ様を救うことは出来ないかもしれませんが、ミラ様が一人で立てるまでの、お力添えくらいは出来るでしょうから」
人は、人に繋がれたものを、次の誰かに繋げるものだ。
かつてレアが、一人の少年に救われたように。
次はレアが、一人の少女に救いの手を差し伸べる。
繋げるもの次第で、世界は変わるものだから。
繋がれたもの次第で、人は変わるものだから。
それを知っているからこそ、この小さな少女を、レアはうんと強く抱きしめた。