踏み台転生したらなんかバグってた   作:泥人形

43 / 44
ひまりアウェイキング

 

 生まれながらにして主人公。

 世界は自分が活躍する為に用意された舞台。

 

 単なる思い込みや妄想ではなく、純然たる事実として、リオン・ディ・ライズという少年は、それをある日突然理解した。

 予兆や前兆は全くなかった。とある日の朝、まるで稲妻にでも打たれたような衝撃と共に、リオンはそれを、脳を超えた魂レベルで理解した。

 無論、唐突に気が狂った訳ではない。過剰なストレスによって激しい思い違いをしている訳でもなく、何らかの呪術、あるいは魔法魔術によって錯乱させられた訳でもない。

 客観的な事実として、リオンはそれを知ったのである。 

 きっかけは何かと言われれば、間違いなく、この世界に二人の転生者が放り込まれたことだろう。

 二人の転生者──とりわけ、その片割れは悉く原作を破壊しているが、そういった行為とは関係なく、ただ転生者が二人放り込まれ、世界が歪んでしまった。

 その影響が、『蒼天に咲く徒花2(仮称)』の主人公である、リオンには諸に出てしまったという話であった。

 つまり、どういうことなのかと言えば。

 

「ここはゲームの世界で、俺が主人公? ハハッ、冗談だろ……」

 

 リオンは正確に、別次元の視点──分かりやすく言えば、転生前の甘楽に近い視点で、その事実を理解・把握した。

 そして同時にこれが、否定したくとも出来ない事実である、ということも。

 物証はなくとも、脳に焼き刻まれたかのように主張する、この世界についての知識……あるいは、”『蒼天に咲く徒花』という概念”がそれを肯定していた。

 それを頭ごなしに否定するほどリオンは愚かではなく、それを事実として受け入れる方に舵を切れる程度には、賢しい少年だった。

 それが今から約三年前のこと。即ち、日之守甘楽という少年が、転生者として覚醒した日のことである。

 

 原作知識を持たない転生者(くうじょうりつか)

 原作知識を持つ転生者(ひのもりかんら)

 

 この二人に加え、この世界には『原作知識を持つ現地主人公』という存在すら生まれていたという訳だ。

 そりゃ世界も壊れるというものである──あるいは、彼こそが最も、世界が壊れた被害を分かりやすく受けた、最初の一人とも出来るだろうが。

 ただ、少なくともリオンからしてみれば、これは被害と言うよりは、恩恵と言った方が近かったのは、確かなことであった。

 

 リオンはそれから、ひたすらに”理想の主人公像”を体現することに注力するようになった。

 その”理想”は客観的なものであり、同時に主観的なものでもあったと言うべきだろう。

 自身の思う主人公と、誰かが『リオン・ディ・ライズ』というキャラクターに求める主人公性を掛け合わせたものを理想と呼び、かくあるべしと積み上げてきた。

 何故ならリオンは主人公であるのだから。

 ただの思い込みや妄想ではなく、純然たる事実としてそうなのだから、それに応えるべきだとリオンは考えた──と言うのは、装飾するにしても殊勝すぎるか。

 リオン・ディ・ライズは特別な存在であり、それは主人公であるからこそであると、リオンはそう理解したと言った方が正しい。

 

「なにせ俺は、主人公だからな」

 

 だから、そんな言葉がリオンの口癖になるのに、幾許もかからなかった。

 見ず知らずの後輩を助けた時も、謎の転入生とコンビを組むことになった時も、突然の決闘に応じることになった時も、大きな事件に巻き込まれた時も。

 リオンはその言葉一つで全てを受け容れ、全てを解決に導いた。

 当たり前だ、知っているのだから。備えてきたのだから。研鑽してきたのだから。先手を打ってきたのだから。

 時を重ね、交友を重ね、事件を重ね、その度に称賛を浴びた。

 実に主人公らしく、実に物語らしく、実に、()()()()()()

 誰もが偽物に見えた。何もかもが偽物に見えた。自分一人だけが、本物なのだと思った。

 そう考えるようになった時、既にリオンの目には、世界は作り物に見えていた。

 それでも折れることがなかったのは、狂ってしまうことがなかったのは、やはり彼が『主人公』であったからに他ならない。

 あるいは、『主人公であろうとした者』だから、とも言えるだろうが。

 何にせよ、原作との乖離はなかった。これからも無いはずだった──あの日、一発の砲撃が校舎に降ってくるまでは。

 

「おいおい……マジかよ、何だ? 何が起こってる!?」

 

 幸い、破壊されたのは誰も使っていない旧校舎であった為、怪我人の一人も出なかったが、それはそれとしてリオンは驚いた。

 いやもうマジでビックリしすぎてリオンは腰を抜かした。

 彼はこの世界で唯一、『蒼天に咲く徒花2(仮称)』のシナリオを知っている人間である。

 だからこそ全てを予定調和に導けた。

 それが当たり前だった。

 それが日常で、だからこそ嘘くさかった日常が、その一撃で滅茶苦茶に消し飛ばされた。

 その日から、リオンの日常は非日常と化した──嬉しかった。

 初めに胸に去来した感情は、喜びだった。

 自分の知らないことが起こることを。

 自身の知らない物語をがあることを。

 この世界は作り物では無いことを教えてくれたようなそれに、リオンは心の底から感謝した。

 

 けれども、次いで訪れたのは絶望だった。

 知らないということは、主人公ではないということだ。

 知らないということは、自分の物語ではないということだ。

 この世界が作り物ではないということは、この世界はリオン・ディ・ライズの世界ではないということだ。

 いつからか、リオンは主人公であることを嫌悪しながらも、主人公であること自体がアイデンティティとなっていた。

 

 自身の存在価値を主人公であることとしていたリオンにとって、日之守甘楽という存在そのものが、福音でありながら、凶報だった。

 愛おしくも憎たらしい。

 そこにいて欲しくもあれば、今すぐ消えて欲しくもある。

 生きていて欲しいし、死んでほしい。

 もっと物語を紡いで欲しい反面、その座を寄越せと叫びたくもなる。

 

 だからリオンは、主人公が好き(きらい)だった。

 だからリオンは、日之守甘楽(しゅじんこう)大嫌い(だいすき)だった。

 

 

 

 

「──だから! だからさぁ! お前が、甘楽が! 俺の前で、主人公らしくするなよ!」

「しっ、らねーよ! 何の話してんだ!」

 

 砲撃と砲撃がぶつかり合う。その間隙に数多の射撃が行われ、その全てが途中で道を阻まれる。

 一度地に叩きつけてから、改めて再開したリオンとの戦闘は、一進一退の攻防に陥っていた。

 互いのベストが同地点にある。故にこそ、中々勝負が決まらない。

 アルティス魔法魔術学園の遥か上空を高速飛行しながら、それでも手を止めることはなかった。

 

「……このままでは埒が明かんぞ、お前様よ」

「分かってる……けど、打開策がない。一応、さっきから全力だからね? 俺」

「分かっとる分かっとる。じゃがな、長期戦になればお前様の方が不利じゃということは、しっかり理解しておけよ」

 

 魔王からの忠告に、僅かに顔を顰める。全く以てその通りだから、反論の一つもしようがない。

 呪術騎士の戦闘は基本的に呪物を介したものであり、だからこそ、戦闘の()()()が良い。

 自身の呪力のみならず、呪物に籠った呪力も使えるのだから当然である。

 それに比べて俺は、魔力は全て自前だし、演算だって多少は杖に任せられるようになったとは言え、ほとんど自身の脳みそでやっている。

 このまま戦っていれば、先に限界が来るのはどちらなのかは目に見えていた。

 その前に、この状況を打破しなければならない。

 

「いざとなったら、余も手を貸すからな」

「勘弁してくれよ……大丈夫。何とかするのが、俺の役目だから」

 

 それに、全くの無策って訳じゃない。リオンは初見の敵じゃない。

 初対面時にも襲われていて、対破滅戦ではコンビを組んだ。

 それならば当然、動きは読める、思考は読める。

 俺の思考を先読みしているだろうリオンの思考くらい、更に読むことくらいは可能であるはずだ。

 

『Ragione trascendentale:ver.di lancia』

「ハ、ハハッ、呪術騎士相手に近接戦闘か!? 大きく出たな、甘楽ァ!」

 

 杖を槍状に魔導でコーティングすれば、リオンはビームサーベルを抜き放つ。

 一瞬にも満たない睨み合いの末に、中央で互いの獲物はぶつかり合──わない。嘗めんなよ。

 それは先日見た。耐久性も記憶している。であれば、それをぶった切れるくらいにまで瞬間的に出力を上げるくらい、造作もねぇんだよ。

 

「おいおい、嘘だろ!?」

「お前、俺を嘗めすぎ」

 

 リオンの驚愕を聞き流しながら、穂先をリオンの肩に叩き込んだ。装備している軽装にぶつかり合って、火花を上げながらも叩き斬る。

 超上空から大地へと、一直線に空間を断ち切るように、リオンを叩き落とした。

 派手な衝撃と爆風。

 

『Ragione trascendentale:ver.del bombardamento』

 

 それでも構うことはなかった。あの程度じゃ気絶すらしないことは分かっている。

 やるなら徹底的に。

 開いた数十の、砲撃魔導の砲門が墜落したリオンをターゲットして撃ち放たれた。

 それと並行するように、トップスピードで接近する。

 

「お、おお、おおああああああ! 嘗めてるのは、そっちだろ!?」

 

 砲撃が大盾に防がれる。間を縫うように飛ぶ俺に、数多のビットからの光線が追い縋ってくる。

 すべてを夢纏で受けていたら、こっちが先にガス欠を起こす。

 されども、回避に時間をかけすぎていたら先手を取られる。

 

「だから、トップスピードで突っ込む! 受け止めてみせろぉ!」

「あぁ!? クッソ、馬鹿なんじゃねぇのか!? 戦ってる時だけ威勢が良いのは、何なんだよ……ッ!」

 

 渾身の一撃。上乗せさせられるだけの加速をした状態で、槍をただ突き出した。

 数多の光線が身体の端を掠めるように貫いていく。だが致命傷じゃない。掠り傷の範疇。それなら、止まる理由にはなり得ない。

 一枚、三枚、五枚、十枚。

 道を阻む盾状のビットを斬り裂いて、リオンと再びぶつかり合った。

 

「あー、流石に出力足りないか……」

「随分力任せな戦いだな、らしくないんじゃねぇか?」

「でも、やりづらいだろ?」

 

 返答は舌打ちだった。次いで鍔迫り合っていた槍が弾かれ、高速で放たれた刺突の群れが眼前を支配する。

 や、やっべー。

 やっぱり接近戦で呪術騎士に敵う道理はないわ。単純にスキルが、テクニックが違う。

 まともに打ち合うことすら許さない、洗練された動きだ。付いて行ける訳が無い。

 だから、()()()()()()()()

 

『Ragione trascendentale:ver.di tiro』

 

 槍状に圧し固めていた部分をそのまま弾丸へと変化することで、射撃魔導の高速展開を可能とさせる。

 リオンの刺突は、甘く見積もっても秒間十発は放たれている。おまけに呪力を残しているのか、刺突が衝撃となって向かってきていた。

 けれども、コンマ数秒すらかからずに展開できたのは計八十四の魔法陣。

 刺突の中で、目を見開いたリオンが見えた。

 

「悪いな、俺は()()合いより()()合いが専門なんだ」

『Sparare!』

 

 刺突の群れを、射撃の群れが喰い破る。

 ビームサーベルは鋭く弾かれ宙を舞い、身に着けた軽装は加速度的に剥がれ、ついにはリオンを嵐の如く巻き込む。

 質と量。どちらも上回った自信があるそれは、過たずリオンの全身を穿った。

 弾丸と弾丸がぶつかり合い、呪力と魔導がぶつかり合って、爆風が巻き起こる。

 ……これ、俺演算速度上がってるな。魔王の介入は感じないし、魔導が身体に……脳に馴染んできたか?

 いつもより良く視えてきたし、今ならもっと()()戦えそうだ。

 

「だから、早く出て来いよ。見えてるって、無事なのは」

「ハハッ、厄介だなあ……本当に。主人公は伊達じゃないってか」

「お前の主人公定義、どうなってんの……?」

 

 こんな如何にも踏み台ですみたいな面の、実際に踏み台だった甘楽(おれ)に何を見出してるんだよ。

 初対面の時からそうだったが、俺に何らかの期待をし過ぎなんだよな……。

 あんまり得意じゃないんだよ、期待されるのとか。

 勘弁してほしい限りである。

 

「大体、今は主人公がどうとか関係ないだろ……どういうスケールで物語ってんだよ」

「そりゃあ、世界スケールでだろ? この世界はお前の……いや、俺の為に……そうだよ、俺の、俺の為に! 用意された舞台なんだからさぁ!」

 

 錯乱したかのような絶叫と共に、リオンは盾を地に叩きつけた。大盾は見慣れたビットへと変わり、同時にリオンは右手を天高く掲げた。

 その掌の中にあるのは、板……スマホ? のようなもの。

 え? 何あれ? 急にどうした?

 

「着・装!」

「おあ!? え!? 何!? 何なの!?」

 

 ピカーン! と推定スマホは眩い輝きを放ち、リオンとその周囲を明るく包み込んだ。

 パッと見ふざけた光景であるのだが、俺の本能が全力で「やばい」と叫んでいる。

 反射的に、残していた射撃魔導を発射して、その全てが弾かれる──リオンの振り払いによって。

 その様相は、先程とはガラリと変わっていた。

 

 まず制服姿ではない。ボロボロにした軽装もすっかり姿を消して、リオンの全身を包むのは純白の装甲だった。

 かといって、中世の鎧のようなものではない。もっと機械的な──近未来的な。

 言わばパワードスーツとも言えるような、あるいは小さなロボットとも言えるような。

 ゴテゴテとはしておらず、スマートでありながらも強固さを感じる装甲。

 その背には翼……のようなものが取り付けられている。呪力をそのまま推力としているのか、翼状に呪力が広がっている。

 両手には、見たことのないライフルが二挺。

 ガチャリと音を立てながら、頭部の装甲を被ったリオンが、鋭く俺を見た。 

 

「────最終決戦武装・厭世」

「かっ、かっこいいーーーーーッ!!!!」

 

 思わず絶叫してしまった。おいおい、こんなのあって良いのか!? と状況にそぐわない興奮に全身を包まれてしまう。

 いや、だって……パワードスーツ!? ズルだろそんなの!

 俺もそれ欲しい! と駄々をこねそうになった瞬間だった。

 

「おいおい、油断するなよな」

「──ぁ」

 

 反射すら出来ない速度だった。目は離していなかったし、集中だってしていた。

 全身は上手いことリラックスできていたし、胸を張って言える最高のコンディションではあった。

 だというのに、反応できなかった。

 気付けば銃口が胸に捻じ込まれていて、知らない輝きが視界を灼いた。

 

「…………がっ、ハァッ、ゴボッ。ぐっ、おぇ……」

 

 意識が数回、断続的に飛んだ。直撃した時と、吹っ飛んだ時、それから校舎に叩き込まれた時で、三回。

 痛すぎて飛んだ意識が無理矢理引き戻されるのを連続して行われ、今自分が生きてるのかすら、一瞬分からなくなる。

 大丈夫、生きてる、生きてる。死んでない。

 ワンチャン、全身が消し飛んだかと思ったが、運良く胸に風穴が空くだけで済んだらしい。

 不幸中の幸いだ。今ので決着がついてもおかしくはなかった。

 これならまだ、数分くらいは生きていられる。

 

「おっと、悪いな。これの加減、難しくってさぁ……次は、一撃で消してやる」

「はっ、ラッキーパンチでそんなに喜ぶな、よ!」

『Ragione trascendentale:ver.di tiro』

 

 数十の射撃魔導が一斉に放たれる。ほぼゼロ距離、回避は不可能。三百六十度全方位から迫るそれを、リオンは防ぐことすらしなかった。

 純白の装甲に、射撃魔導は弾かれていく。まるで雨粒みたいに軽々と。

 えー……いや、そうか、ノーダメか……。

 ショックを受けるより先に、そのギミックを理解する。

 これ、鎧に流してる呪力で射撃を一旦受け止めた後、片手に封じ込めてる破滅×2に演算させて魔導を無効化してるな……。

 ズルくね……? いや、それもリオンの武器の一つと言われてしまえば、それまでであるのだが。

 さっきと違って主導権を渡してる訳でもあるまいし。

 

 ちょっと勝てないかもな、と思った。

 弱気になった自分を、しかし叱咤できなかった。

 絶望したというか、冷静に勝ち目が見えない。

 かつてないほどに俺の思考は回っていて、その上でまともにやり合える可能性が絶無であると、俺の頭は至極冷静に判断していた。

 

「まさか、もう終わりじゃないだろ? なあ、主人公(かんら)。それとも、やっぱりこの世界は、俺のものか?」 

「……お前、さっきから、言ってること、滅茶苦茶だぞ……」

 

 自分が主人公だって言ったり、俺が主人公だって言ったり、どっちなのかハッキリしろよ──いや、あるいは、どちらであっても欲しくないのかもしれないが。

 リオンにとって主人公というのは、酷く大切な物でありながら、誰かに押し付けたいものであるのだろう。

 まあ、元々リオンのものでも無ければ、俺のものでもないんだが……。

 主人公は一人だけ。決まってる。

 でも、あー、まずい。目が霞んできてる。明らかに失血しすぎてる。ダメージがデカすぎて、思考が散発になってきてる。

 というか冷静に考えて、動ける怪我じゃない。流石に心臓からはズラしたけど、肺とか吹き飛んだろ。

 今、呼吸出来てるか? 分からない。

 ちゃんと立ち上がれてるか? 分からない。

 まだ戦えるか? 分からない……いや、無────

 

「……!!?」

『Ragione trascendentale:ver.del bombardamento』

 

 反射的に砲撃魔導を撃ち放っていた。標的はリオン──()()()()。その先に見えた、巨大な獣の掌。

 鋭く振るわれたそれを押し留めるように砲撃は空を駆け、そのままリオンをスルーして地を蹴った。

 空へと飛び出る。空を蹴る。

 砲撃魔導が減衰するのと同時、叩き潰されそうだった日鞠を抱きかかえた。

 反転、跳躍、飛翔。

 紙一重で九尾の一撃を躱し、一息吐いた。ついでにせり上がってきた血が意志に反して零れ落ちる。

 

「……へい、きか? 日鞠……怪我は、ない?」

 

 

 

 

 

 

 

 満身創痍を超えて、死に体の甘楽に抱えられた日鞠は、すぐさまポジションを逆転させ、甘楽を抱き抱えた形で距離を取った。

 やった。やらかした。やってしまった!

 九尾に押されるあまり、日鞠たちは甘楽とリオンの戦闘領域にまで押し込まれていた。

 これほどまでの怪我を負ってなお、自身を守るために動いた甘楽は、ギリギリ意識があるかないかといった様子。

 呼吸は浅く、胸に空いた穴からはとめどなく血が零れている。

 このままでは、甘楽は死ぬだろう。間違いなく、それほどの時間も必要とせずに。

 

「かんかん!? しっかりして、ねぇ、甘楽!」

 

 即座に回復魔法を発動させるものの、あまりの傷の深さにほとんど意味を成さない。

 この場で最も回復に長けているのは立華だ。

 そう判断するより早く立華を見つけ、日鞠は甘楽を押し付けるように預けた。

 

「治療! 早く!」

「──っ、了解!」

 

 正確に言えば、立華は回復を得意としている訳ではない。

 立華や甘楽を含め、誰もがまだ気づいてはいないことではあるが、立華がその身に宿した勇者の力……『悪性への特攻』の本質が、ここに作用していた。

 悪性への特攻、その本質──即ちそれは、使()()()()()()()()()()()()()()()()

 それは概念にも、事象にも作用する、この世界における最大最強の力。

 立華がそれを悪だと断じれば、それは悪となる。

 悪に対する特攻とは、それに行うムーブによって決まる。

 立華がその傷を悪だと断じれば、それに行われる立華の回復は、桁違いの効果を発揮する。

 この世界であろうとも、有り得ない速度で傷が塞がれていく。それを一瞥した日鞠は、小さく息を吐きながら、ひかりと共に杖を構え直した。

 

「へぇ……九尾だけでも手こずってたってのに、俺も含めて相手してくれるのかい? そりゃ嬉しいが……力不足だと思うぜ」

「小僧、邪魔だァ! この小娘らは、俺様の獲物だぞォ!」

「そう言うなって、共同戦線ってのも悪くはないだろう?」

 

 じっとりと、嫌な汗が流れ落ちる。並んだ一人と一匹に、濃厚な死の気配を日鞠は感じていた。

 勝てない。そのことが、ただの事実として分かる。

 ──恐ろしい。

 本能のままに一歩引きそうになった日鞠の肩を、誰かがポンと叩いて前に出た。

 

「良いな、それ。どっちもまとめて叩き潰せて、都合が良い」

 

 甘楽だった。傷口はまだ塞がり切っていない。あちこちの傷はそのままで、胸からはとめどなく血が滴っていた。

 だというのに、その声は力強く。

 霞み切っていた瞳は、今や強い輝きを取り戻していた。

 

「……何だよ、何でまだ、立ち上がるんだよ。何で立ち上がれるんだ! お前は、俺には勝てない! 分かるだろう!?」

「勝てる勝てないの戦いじゃないだろ、勝つ。その為の戦いだ」

「──そういうところが! 癪に障るんだ! いい加減、黙って死ねよ!」

 

 放たれた攻撃を、甘楽は紙一重で躱し、防ぎ、弾き返す。

 先程まで、全くと言って良いほど反応できていなかったリオンの速度に、甘楽は既に追いついていた。

 火事場の馬鹿力とでも言うべきなのか、彼の演算速度は追い詰められれば追い詰められるほどに加速する。

 目で追えずとも、半ば未来予測をしているかの如く、リオンの遠近交えた攻撃をほとんど完璧に捌いていた。

 一対一のままであれば、あるいは勝機はあったかもしれない。

 けれども敵は今、明確にもう一ついた。

 

「落ちろ」

 

 軽やかに空を舞う甘楽が、不意に重力を思い出す。ガクンと不自然に落ちながら、それでもリオンの一撃を辛うじて回避していた。

 危うい戦況でありながらも、決して堕ちることはない。

 こちらに流れ弾一つも寄越せないその背中はまるで、「後は全部任せて」と言っているようだった。

 気が抜けそうになる、全てを任せそうになる──そう思ってしまう自分が、日鞠は心底許せなかった。

 ()()()()()()()()()()()()()

 自分がいるべきなのは、甘楽の後ろじゃない。

 自分がいるべきなのは、甘楽の隣であるべきだ。

 一方的に、守られる対象であってはいけない。

 互いに守り合えるようにならないといけない。

 

 退くな。

 任せるな。

 託すな。

 甘えるな。

 背負え。

 前を向け。

 戦え!

 

 今、彼の隣に立たずに、いつ立てる!?

 

 一人の少女は、静かに一歩踏み出した。

 臆することはない。

 怯えることはない。

 ただ、自身の信念の為に。自身の理想の為に。

 葛籠織日鞠という少女は、憧れた彼の隣に、ようやく並び立つ。

 

「甘楽の隣は日鞠のもの。ね、そうでしょ~?」

「や、今は下がってて──うおっ」

「そうだって、言って欲しいな~」

「……ああ、そうだよ。あの時言った言葉に、嘘はない。俺の隣に並んでくれるのは、日鞠だ」

 

 言葉には力が宿る。

 大きな言葉には、相応の力が秘められている。

 その力はきっと、全てを照らす光にも、全てを覆う暗闇になり得るものだ。

 人が、環境が、想いが、それを決定するのだろう。

 であれば。

 だとするのならば。

 その一言はきっと、日鞠にとってはかけがえのない輝きで。

 背中をそっと押してくれる、優しい力なのだった。

 

 世界が待ちわびていた瞬間が来る。

 星々が待ち続けていた瞬間が来る。

 極光が心待ちにしてた瞬間が来る。

 

 物語が一つ、道を踏み外す音がした。

 運命が、切り替わる音がした。

 光の果てへと、少女は一歩踏み込んだ。

 

接続(アクセス)────極光満ちる星天の姫(セレスティア・アグライア)

 

 日鞠の全身が、輝きに彩られていく。極光による衣服が、星々による宝飾が仕立てられていく。

 純白のドレスに、淡い光のベール。

 彼女に手向けられた光は、世界を塗り潰した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。