「10年後、僕はこの毎日を惜しまない」
わたしの誕生日にした雑談で漏らされたこの言葉を思い返す。
10年。わたしからすると、遠い未来のように思える。わたしは、その時に26歳になっている。26歳のわたしは、現在のこの時をどう振り返っているのだろう。何かをやり遂げたと胸を張って言い切れるだろうか。
そして……『僕と俺』と分けて考えている彼はどうだったのだろう。決断したら何物にも囚われず、惜しまない彼は……。
わたし・佐倉愛里は、夢月君と出会ってからこれまでに色んな気づくことがあった。
「ここで本格的に勉強するのは難しいだろうな。それにこの学校に限らず、ほとんどの学校や地位のあるお偉いさんには長期的分野における視野はないよ」
カメラについても本格的に頑張ろうと思って……でも独学以外にどう頑張るのかわからなくて夢月君に助言を求めた時、返ってきたのがこれだった。
「例えば、僕達が産まれた頃にかなり話題になってた民営化だ。
赤字が前提の分野だからこその公営だったのに、それを儲けなくてはならない民営化したら、苦しくなるか最悪失くなるのは火を見るより明らか。持て囃してたメディア含めて資本主義の冷たい部分『しか』見ない奴らは、赤字を失くすってだけを前面に出してたな」
よくわからなくて無言になったわたしに、それでも何かを願うように夢月君は言う。
「───国の財政が黒字になると民間が苦しくなるって経済の常識の逆張りを行ってるとしか思えない。自分のことだけを考えて」
大人の世界を多少でも知ってるからだろう。
ブラック企業や自分のことだけを考える人達に、夢月君はとても厳しい見方をする。殴られたり酷い噂を流されたりしても敵と見ないのに、唯一これを感じさせる相手は『敵』として戦う。
「これが『平等』とかいう冷たく冷徹な価値観の現実だ」
何も手助けできないこの時のわたしには、お互い様にすらなっていないことに負い目と迷いがあった。
「こんな冷たい論理は知った上で無視した方がいい。自分達だけでも、お互い様で公平な見方をするのが長く付き合うコツだと僕は思ってる。迷惑をかけるとか考えず正直に頼み込めば、仲間内ならだいたい応えてくれるさ、多分な」
だから心配になってあえて難しい事からズラして聞いてみた。
だってどうしようもないことをズラして『わたしが理解できないように』話す夢月君はいつも苦しそうだから。
「私の体は暖かい、かな?」
「うーん、どうだろうな。五感が麻痺してるからよくわからない」
「それは……嘘、だよね?」
「ははっ。愛里の洞察能力で分かっちゃうか! 流石だな」
「夢月君の体はすごく、すごく暖かいよ……」
「それも嘘なんだろ?」
この時、わたしはどんな顔になっていたのだろう?
慌てた表情をした夢月君は、照れ隠しするように見抜いた事を嘘だって言ってくれた。
「嘘だって! 普通に暖かいぞ! お互いに生きてるんだから当たり前だけどな!」
「……ふふっ。わたしも」
基礎体温が高いのはわたしの方だから体温的な意味では噓だけど、わたしにとっては暖かく落ち着いた思い出。
冬休みに入ったある日の夢月君の部屋は、不思議と色んな事が思い浮かぶ。
「松雄、栄一郎、清隆。重要業務評価指標…KPIの数字は大体軌道に乗ってきたよな」
「はい、鬼龍院会長の手を借りて年始に大きめの広告を打つので、今季の業績は期待しても良いと思われます」
それはこんな場面でも。
今は桜プロダクションの年末会議で話し合ってたりするが、わたしには夢月君や画面越しの松雄さんが何を言ってるのかわからない。わたしにも関係してるから聞いておいた方がいいのはわかってるけど、どうも頭の中から滑り落ちていく。
それでも夢月君は普通の大人ならできることだ、と言って憚らない。ただ時々こういう会話に混ざったりする清隆君や高円寺君が普通に熟してしまうので、きっとそれも間違ってはいないのだろう。
あの二人は二人で色んな面で常軌を逸してるから、あまり参考にしない方がいいとも夢月君は言っていたのだけども。
「えっと、資金繰りに余裕が出てきたから、人手……櫛田さんを本格的に採用して開発・運用を整え、新分野へ進出してみようってことですか?」
「ああ。夢月が社長を交代する時、新社長の松雄に業績を挙げさせてあげたいらしくてな。こっそり根回しや資金調達に奔走してたんだ。一度だけだが、オレにまで自由にできる運用資金がないか聞いてきたぞ。ポイントじゃなくな」
「ああっ! それは聞きました。たしかアプリ開発でしたっけ? 綾小路君達は以前に本物のガチャで商売をやったとか」
「……あったな、そんなことも。夏休み前の1ヶ月ほどのことだったが」
しかし例えば、いま一生懸命に経営を学んでいる松雄栄一郎君や、それに答えている清隆君。
夢月君は「ポテンシャルは確実に僕より上の奴ら」と言っていたけど、少なくとも青娥さんと清隆君はそう思っていないみたい。正確には能力やポテンシャルとは違う部分を見てる気がする。
能力と仕事に合った人を探して配置・仲介するのは意外…でもなんでもなく難しいことで、間に入る夢月君がいたからスムースに事が進むのが多かったと色んな大人の人達が褒めていたからだ。
前に清隆君が言っていた。
優秀な者ほど難しい事を簡単そうにこなしてしまうから、無能な者が見れば見るほど簡単な事だと錯覚して優秀な者を馬鹿にするって……。
「勿論、マージンはしっかりと貰ってるし、愛里と青娥さんにも山分けしよう。いやぁ、この調子なら大学進学の費用も早々になんとかなりそうだな」
悪そうな顔で笑う夢月君が、抜け目なく自分に必要なぶんは確保して、本当に必要なぶん以外は経費や投資に使っていると聞いたのはいつ誰からだったか。
夢月君? 青娥さん? 松雄さん? 誰だったとしても、みんな笑顔で教えてくれたと思うけど。
だって桜プロダクションに所属している人はみんな、真剣な時でさえどこか楽しそうだから。
素顔で付き合える人も最近は少しずつ増えているけど、わたしは昔から人付き合いが下手で、いつも1人だった。
夢月君には入学した頃から助けてもらってたりしてたけど、それを当たり前の事みたいにして本当になんとも思ってない。わたしも早苗さん達もそれに影響されているのか、今では仲間内だと自分を飾らなくなっている。
良い傾向かはわからない。でもそれ以上に―――。
わたしは『楽しい』を彼らと共有したい。
だから、わたしが役に立ててるか不安になっていたこともある。
いくら夢月君が魅力がある、天才だと言ってくれても、わたしにその実感はなかった。
だからなのか、わたしは相変わらず自分のクラスで上手くやれなかった。
わたしの周りに人は集まらなかった。
でも夢月君の周りにはいつも人が集まっていた。
夢月君の『一緒にいたい』と思わせる力、人を惹きつける力は、もう確かなものだと思う。
少し変わった人ばかりだけど、いつの間にかわたしもそのうちの1人になっていたくらいには……。
と、ここまでは大人の余裕も感じられる頼り甲斐のある夢月君なんだけど、彼はそれだけでは終わらない。この部分だけで、聞いたとおりに一度は大人を経由したのか疑いたくなる面もある。
それは……言動に反して素直すぎる性格と表情だ。嬉しい時は嬉しそうに笑い、怒った時は周りが見えなくなるくらいに怒る。
そしてなによりも決定的なのは、二人になるといきなり抱きしめたりキスしてきたりもするのに、部屋の外に出るとわたしから手を繋ぐだけで真っ赤になってしまう。
でもわたしの変な声が近くの部屋に響いてしまわないよう口を口で塞いでくれるようになったのも、たしかこの頃だったっけ。何かしらが原因でわたしを取られようものなら悔やんでも悔やみきれんから、って言われてからはキスするのに抵抗(夢月君に対しては元からあまりなかったけど)がなくなった。むしろ嬉しくなってしまって、自分からするようになった。
今でも週の半分くらいはどっちかの部屋で寝泊まりしてる……半同棲してるようなものなのに、あのいつまで経っても女の子に慣れない態度はいったい……。わたしを求めてくれる場合もあるのに、恥ずかしさじゃないナニかを気にしてるみたい。
でも何気に精神的には歳上らしいのに素直にわたしに頼んでくれる(膝枕とか耳掃除とかキスやハグとかの他愛ないこと)からわたしも自然と甘えられる。変に聞こえるかもだけど、ぎゅっ!と抱きついたりしてみると、本当に裏表のない人だと感じて落ち着くのだ。
例えば、二人きりで勉強を教えてくれてる時も、真面目な顔のまま胸やお尻を触りたい気持ちを隠さなくなった。
勿論、最初の頃はお互いに初めて同士だったからあまりそうした方面の解像度は高くなかったけど、自然と『そういう』流れでそうなったわりには、思い出すたびにしばらく顔から火が出そうになっていた。
なぜなら体育祭からこういう関係になったのに、12月頃まで夢月君のその……か、固いのが全部入らなくて、ゆっくりわたしの身体にそれを馴染ませようと頑張ってて……せめて夢月君“も”気持ちよくなってほしくて、色々な事をわたしが自分からシテしまったからだ。
早苗さんや青娥さん、ひよりちゃん、櫛田さんとかと鍛練や仕事をした直後は、彼女らの後押しもあって後から思い出すと散々恥ずかしい事をシテしまった。
だから夢月君のモノが奥の方まで馴染んだ時は、それまでの試行錯誤もあって場違いにも二人でしばらく感動したのを思い出しちゃう。
そして実はわたしもだったけど、彼が元気になりすぎると休憩なしで……その、してしまう。
わたしだってそうだけど、男の人は一度その気になってしまうと大変らしい。夜にどれだけしても、一緒に寝て朝になると大きくなってるし。初めて夢月君に告白した朝も大変そうだったけど、他の男の人のモノもあんなに大きいならたしかに不便かもしれない。
だって夢月君は自分でも言ってた通り、誇張なくエッチだった。特に12月はほとんど毎日のように夢月君の部屋へ行ってたから、そういう時にくっついたりすると反応してるのがすごくよくわかっちゃうし。体育祭のすぐ後に告白した頃はともかく、正式?に付き合いだしてからはお互いにもう我慢できなかったのだ。
そのくせ、一晩で5回以上するとわたしが次の日ダウンしてしまうと学んでからは体力や回数、避妊を気遣うのを基本的に欠かさない人でもあり、そこは大人っぽいのかもしれない。
反面、直前にもっとすごい事してても、外でわたしがちょっと腕とかにくっつくと途端に真っ赤になってワタワタしたりする。
そんな有り様だから、夢月君が誤魔化せてると思ってる友達みんなにはバレバレで。
最近はすごく……すご~く生暖かな目で見られてて、わたしはむしろそっちの方が恥ずかしかった。
一線を越えてからも変わらない部分は全く変わらない夢月君は、裏がないとわかるだけに本当に謎だ。
男の人、というか夢月君の精神構造は普通の人と違うのだろうか。
期末テストや年内にする仕事がひとまず落ち着いた数日後のクリスマスイブ。
結構前からひと月に1度の恒例行事みたいになってきたものがある。
夢月君のクラスでは、それなりの頻度でクラスメイトが集まって遊んだりすることがあるらしいのだが、それとは別に夢月君と一之瀬さんの間には約束があって時々話し合い?しないと駄目らしい。
口に出した約束はできる限り守る夢月君だからそれは良いんだけど、問題はクラスメイトも多数いる中に呼ばれた場合だ。
そういう時の夢月君は、大抵早苗さんや二三矢君に必死に縋りつく。
年の瀬が迫ったこの日にもそれは起こった。
体育祭が終わってから始まった鍛錬で、あいも変わらず早苗さんに何度も投げられてベチャッと潰れている夢月君。
それを見ているわたしと二三矢君の前で。
「次です。立ってください」
えも言われぬ迫力を醸し出す早苗さんの呼び声。次というのは、早く立ち上がって鍛錬を再開しろという意味だ。
あの早苗さんを前に、曲がりなりにも何度も立ち上がる夢月君は何気にすごい。わたしには早苗さんの動きもよく見えないのに、回避と受け身はかなりのモノになっていたことも。
なんせこの時は朝の11時頃だけど、朝の境内の掃除が終わった8時過ぎから数えて、かれこれ2時間半をこうしている。それも時間はバラバラとはいえ、週に数回はこれをやっているのだ。二三矢君は混ざって参加することがあるものの、わたしには到底できない。
そんなことをやっている時だった。
ピリリリリッ!
夢月君の荷物からデフォルト設定のままの着信音が響いた。
鍛錬をやっていた2人がチラッと見合ってアイコンタクトし、早苗さんが頷くと夢月君が端末を取りにわたしと四方君がいる荷物の所まで来た。そして電話を取ると……無言で二三矢君に押し付ける。
本当に苦手なんだなぁ。着信が誰であろうと、電話を取る時は誰にでもこうする夢月君がわたしの脳裏をよぎる中、ため息を吐いた二三矢君は諦めて電話に出た。
「……もしもし」
「あっ、四方君? これ左京君にかけたつもりだったけど間違えちゃった?」
漏れ聞こえてきたこの活発な声は……たしか夢月君達のクラスの網倉さん、だっけ? あのクラスらしい明るいまとめ役っぽい女の子、だったはず。
「いや、あってる。ただ夢月は電話で話すのが苦手だから押し付けられただけだ」
「押し付けられたって……。でも、じゃあ左京君もそこにいるんだよね? 今月の帆波との話し合いは、急だけど今日にできないかなって伝えてくれるかな?」
「夢月、だそうだが?」
「え、嫌だけd……」
二三矢君に水を向けられ、反射的に断ろうとした夢月君だったが。
「今月はまだだったよね? 聞こえてる? 左京君は反省会も来なかったし、あんまり遅くなると、ね?」
電話の向こうにも聞こえていたらしい。声が変わって、これは一之瀬さんだ。
夢月君は……うわぁ、凄く嫌そうな顔。でも一之瀬さんも夢月君のことがわかってきたから、わざと強引なことしたんだろうなってわかる。よく知らないけど、面倒見の良さそうな人だからこそ大変そう。
「き、聞こえてるし、知ってる……けど」
「けどもなにもない。来るよねっ」
まるで来ること前提の強引さだが、夢月君はこうでもしないとなかなか人の集まりに顔を出そうとしないからしかたない。わたしも人のことは言えないし、彼女としては仲の良さそうなやり取りにちょっとモヤッとしちゃうけど。
「…………はい……」
「うんうん、よろしい。時間と場所はね……」
そうして漏れ聞こえる伝達事項が告げられ、通話は終了した。
ここからわかるように、夢月君が苦手にしてる人は結構多い。その筆頭がよりにもよって彼のクラスのリーダーである一之瀬さんで、女子で交流がない人もほぼ全員避けようとする。これはわたしと付き合う前からだ。
端末を置いて少し考えた夢月君は、振り返ってこう言った。
「あ、の……。四方、早苗、それに愛里? 少し…休憩にして昼飯食べに行かないか? 一之瀬の奢りだ」
「夢月、まさかお前……俺はともかく、早苗や愛里も連れてくつもりか?」
「……ファミレスだそうだ。昼時に偶然来店してもおかしくはない、はず」
「ふぁみれす?」
「うむ。ファミリーレストランの略でちょっとした食事やデザートを食べられる場───はぅあっ!!」
寄ってきた早苗さんに聞き返されて、普通に説明していた夢月君だったが途中で投げられた。
「馬鹿にしてるんですか夢月さん? それくらい私が知らないとでも?」
「う、うんまぁ、ちょっとだけ……」
それは馬鹿にしてる方にかかっているのか、知らないと思う方にかかっているのか。どちらにしても、早苗さんにしたら手が出ちゃうのもしかたない。
「で、あー……。いま僕が呼び出し食らったんだけど、早苗と愛里も一緒に来ないか?」
ちなみに、早苗さん単体だとクラスで誘われることはないらしい。夢月君も少し前は同じく誘われない同盟だったから、早苗さんが来てくれたら四方君以上に心強いのだろう。
「でも私は勿論、愛里ちゃんだって誘われてませんよ。確実に浮くじゃないですか」
「頼むよ、早苗。陽キャの只中にいるとゴリゴリMPが削られるんだよぉ。お前らの力を貸してくれ」
「誘われない私を気遣うわけでもなく、愛里ちゃんともっと一緒にいたいわけでもない。一応は馴染んでいる二三矢さんと二人で行くのが心細くて、私達も巻き込もうとする腹ですか」
「う、うぐっ」
「当たりですか。その必死さがより涙ぐましくも痛々しく映りますね」
「うううっせぇ、バーカ! あんな女子多めで居心地悪い食事会もどきに好んで行きたがる男なんか滅多に居ねーよ! 気楽に話せる奴を増やそうとして何が悪い!?」
「ふふん。夢月さんは私が好きすぎますねぇ。困ったものです」
「ぐぎぎ……この女、マジで足元見やがって……!」
それにこんな風に追い詰めてるように見えて、早苗さんが小さく驚きと笑みを浮かべていたのをわたしは見逃していない。きっと誘われたこと自体は嬉しい……んじゃないかな。
「……はぁ、夢月さんはこう言ってますけど、愛里さんは付いて行きます? 私がいれば、多分目立ちませんしね」
「う、うん。いつもありがとう」
なんだかんだで行く気になっている早苗さんは、わたしと一緒で大好きな友達や仲間が頼ってきたら断れないのだ。
早苗さんに手を引かれて別のクラスであるわたしが連れてこられた先は、ごく普通のファミレスだった。
両頬を叩き、深呼吸して真剣な眼差しで入店していった夢月君は普通じゃなかったけども。そして最大まで警戒心を高めた夢月君がすることといえば。
「一之瀬よ、大丈夫。反省など不要だ。僕のモットーは退かぬ、媚びぬ、省みぬ、だからな」
言葉と態度による先制攻撃からの雪崩式・『帰宅』誘導術だ。
「全然大丈夫じゃないから! それにサウザー様だって反省は絶対にご入用だよっ!?」
「……何故、『ご』を付けた?」
「関係ないことで話を逸らさない!」
そこではここに来た直後は少し落ち込んで見えた……噛み合わない会話に“楽しげ”にツッコむ一之瀬さんとどこか逃げ腰な夢月君がいる。
最初こそ網倉さんが主導していたが、一之瀬さんが深呼吸してからは彼女の横に座らされた夢月君にお説教を始めたのだ。聞いてる限り、奔放で意味不明な言動を繰り返してるのを咎めて?いるっぽい。
他に早苗さんや二三矢君、彼らのクラスメイト何人かもいるけど、今は静かに成り行きを見守っていた。夢月君を挟んで反対側に座っているわたしから見る一之瀬さんは、怒った顔をしてるけど言い合うごとにスッキリしてるようにも見えた。
これは多分、反省会してて沈んだ空気を入れ替えてくれることも期待して、網倉さんか誰かが夢月君を呼んだんじゃないかな。普段がどうあれ、夢月君は重い雰囲気をいつも吹き飛ばしてくれるから。
「……なんなんだ、これは。新手の地獄か?」
「むつっ…左京君が作った地獄だねっ!! 私にとっての!」
「ははっ、やっぱりこうなるのか……」
そうそう、こんな風に。夢月君は、自分のクラスでも本当に変わらない。
「いや、待て。よく考えたら、龍園や坂柳さん達と違って物騒さがないぶんまだマシか」
「よく考えないと駄目なレベル!? やっぱり左京君とはいっぺん話し合わないといけないみたいだねっ!」
「ほう……ところで今日はクリスマスイブなわけだが、ここに来ている奴らは全員お一人様なのか? 憐れな」
「うっぐぅ! 唐突な当て擦りに切り替えてきたぁ!?」
「うんうん、僕を羨むのもしかたないさ」
「羨んでないから!」
「へぇ~。じゃあ、もしこんな日に集まらなかったら、一之瀬はなにしてたんだ?」
「そ、それは勿論、生徒会所属の高校生として他の生徒の規範となるべく……」
「同性多数の中で喪女代表として寂しく一人寝か、可哀想に」
「なっ、なんてこと言うの左京君!!」
嗚呼、思いきり一之瀬さんの発言に被せてまた煽ってる。
こういうところだよ、夢月君。
「私は楽しいし、みんなだって」
「いみじくも正解を言い当ててしまったようだな。いつもの聖人みたいな雰囲気が薄いぞ?」
「そ、そんなの普段からないもん!!」
あの一之瀬さんとギャーギャー言い合っている夢月君を見て。あんなにキリッとした人を子供扱いして“甘えさせる”のは、夢月君以外には難しいだろう。
「まぁ、本来のクリスマスは家族と過ごすものだしな。別に間違っちゃいない」
「そうだよっ! クラスメイトは家族みたいなモノで、こういう日だからこそみんなで和やかに過ごすのが正しいんだよ!」
「尤も、全寮制である以上、この学校の敷地内で本物の家族なんている奴は極少数なわけだが。学のところの兄妹くらいか」
「ぐぬ、ぐぬぬぬ。この人、ああ言えばこう言ってくるぅ……!」
「ほ、帆波ちゃん。ちょっと落ち着いた方が……」
「そうよ、左京君を口でやり込めようとするのは無謀だって。むしろ帆波がボロを出しまくってるわよ」
それにしても何故か必死の弁明になってきてる一之瀬さんだけど、ちゃんと周りが見えているのだろうか? 見てる限り、この場にいるのはクラスの中心付近の人だけとはいえ、前みたいに後で真っ赤になったまま呆然とすることになるかもしれない。
わたしも何度か乗せられたから他人事に思えない。
「というわけで、僕は帰らせてもらう。せっかくのイブはゆっくりと過ごしたい」
「……一人で?」
「妥当だろ? 炬燵でゴロゴロするのに相手はいらない。数人程度までならいても別にいいけどな」
即答だった。最初からそうだったが夢月君の価値観は、あまり特別な日やイベントに左右されない。誕生日でさえ当日からズラしたりしていた。
でもぶっちゃけ、わたし達天文部員はだいたいみんなそうだ。むしろ、こういう日こそ人が多く出歩くから一人静かに部屋に引きこもる。夢月君と付き合う事が決まった時も、この部分は解釈一致して笑い合ったものだ。
「んじゃ、さらば」
「ちょ、ちょっと待って! こんな日に呼んで悪かったけど、左京君に用はあるの! 話しだけでも聞いて」
「え、なんか嫌な予感が……。やっぱり帰らせ」
「待ちなさいってば!! 今日は絶対逃がさないから!」
そう言うと、決意?を全身から迸らせた一之瀬さんが立とうとした夢月君に突進する。
「ごへっ!? は、腹に頭突きって、おま……」
「あ、ごめん。でも話を聞いてもらえるまで、このまま拘束させてもらうね?」
頭突きには申し訳なさそうにしながらも、一之瀬さんは夢月君の背中に手を回し、逃げられないようしがみついた。たしかにそれは夢月君相手だと最適解の一つだけど、その様はまるで……。
「なに言ってんだ、鬱陶しい! てか、ギャンブル狂いの彼氏を必死に引き留める都合の良い女かよ一之瀬は!」
そう! 二人には悪いけど、端から見た印象はまさにそれ!
彼女としては怒るべきかもしれない状態なのに、夢月君がどうにか逃げようと四苦八苦してるのがわかるせいで、不思議と一之瀬さんを応援したくなってきた。
「かかか彼氏……! な、なんてこと言うの! わたっ、わたたた……コホン。私はただ夢月君に……」
「ふぅ……。結局、お前は何が言いたいんだよ。こうなったらもう聞くだけ聞くから拘束を解け。主に白波の眼光が怖い」
それは多分、この体勢になってから夢月君を鋭く睨み付けてる女の子のことだろう。直接話したことはないけど、彼女が一之瀬さんを大好きなのは何度かのニアミスでわたしも知っている。
一方、自分のやったことが恥ずかしくなったのか、少し赤くなった一之瀬さんは手で顔を扇ぎながら、誤魔化そうとしつつ用件を切り出す。
「…………とりあえず、南雲先輩からの言伝てから。クリスマスに堀北先輩とちょっとした『前哨戦』やるから、夢つ…左京君も新生徒会でやる内々のイベントの打ち合わせに顔を出してほしいんだって」
「んぁ? 新生徒会に南雲と学? 僕、関係ないじゃん」
「でも前に四方君と野球?した時に先輩達も守備を手伝ってくれてたじゃない? 何をするかは私も知らないけど、左京君の借りを返したいって気持ちからすれば、呼ばれたのは好都合……だと思うんだけど、どう?」
南雲先輩。プールといい、体育祭といい、夢月君といると時々聞く名前で出くわすこともあり、ついでに現在の生徒会長だ。
それと少し前に生徒会選挙があって、わたしや早苗さんとも縁があった3年生の橘茜先輩の引き継ぎ後にもちらっと話を聞いたことがある。
生徒会役員の繋がりで夢月君と同じクラスの一之瀬さんへ伝言を頼んだのが、今回の突然な呼び出しの発端でもあったようだ。
「まぁ、確かにそれはそう。でも、できれば南雲とは関わり合いになりたくないなぁ」
「体育祭前からそれはもう不可能だったと思うよ? あの南雲先輩がそこそこの頻度で左京君の名前を口に出してるし」
「何故だ。僕は何もしてないつもりなのに」
「いや、あれだけ煽りまくられたら誰でも目を付けるから。南雲先輩ならなおさら……」
「それ含めて水に流したのになぁ」
「それ、左京君だけがそう思ってるんだよ? だって私でさえ無理もないと感じてるんだもの。きっと早めになんとかしておいた方がいいよ」
「……わかったよ。行くよ。行けばいいんだろ!」
「うん! じゃあ行こうか左京君! 他は追々、ね!」
会話とは全く関係ないけど、不承不承乗せられて了解した夢月君が手を引っ張られて行く様は、まるで盗んだバイクで走り出して連行される問題児とその保護者のようだった。
ところでわたし、こんなところに居ていいんだろうか? この場のほとんどと別のクラスでもあるわたしが居ていいのかな?
と、こっそり疑問に思っていると、早苗さんが話しかけてきた。
「愛里さん。今更ですが、本当に夢月さんでいいんですか? アレですよ? 確かに頼り甲斐はありますし、浮気もまずないですが……きっとすごく大変ですよ?」
うん、それはそう。
色んな意味で大変なのはわかってる。夢月君といるのは、楽しいけど楽じゃない。早苗さんは夏休み前から一貫して、わたし達が付き合うのに反対するわけでもなくただ心配してくれていた。きっと早苗さん視点では、未知数な部分が多いのだろう。
それでも、わたしが本気で迫れば夢月君は必ず応えてくれるから、と早苗さんも背中を押してくれた一人だ。
早苗さんは、わたし達が付き合うきっかけになったとはいえ、同じ好きでも片方がLOVEじゃなくLIKEのまま深い仲になった良し悪しの判断が付かないらしい。夢月君を尊重し認めつつも、わたしだけがLOVEなことに迷っているんだと思う。
でもそんなことは些細な事だ。
初めてする前に夢月君が確認を取ってくれた。
「僕だけかもしれんけど、一度大人になっちゃうとLOVEって感情が湧かなくなるのかもなぁ。愛里が大事で好きなのは間違いないんだが、理解と実感に微妙に届いてないというか。それでもいいなら付き合うのは大歓迎だけど、その……二人でいる時に愛里にくっ付かれると、もういい加減我慢できないから、襲われたくないならなんとか僕が自分を抑えてるうちに帰って。5分後に帰ってなければ……うん、わかるよな?」
と言われた。これは夢月君が喫茶・芳香でわたし達にカミングアウトした後、改めて部屋を訪ねたわたしが好きだと告白した時のことだ。
ただ、それを言う夢月君の目はとても優しい。
わたしを大事に思っていることは、過去の彼自身の言動によって疑いようもなく、わたしの心の一番奥に染み込んでいる。
彼にとっての必須条件をクリアしないうちは、何をしようと、どれだけ我慢することになろうと、夢月君は受け入れないと言っていた早苗さんや青娥さんは正しかった。この前後の数日で、わたしも自分の心と身をもって本当の意味で気づかされた。
彼は常々言っている矜持と美学を確固とした意思で貫き通す人だと。
「ふふっ、うん! 大変なのはわかってるし、わたしにどうこうできるとは思えないけど、最近はすごく楽しいから」
「楽しい……後悔とかは……してなさそうですね、よかった」
ちなみに、わたしの出した答えは言うまでもないだろう。現在の関係が全てを物語っている。
「心配しすぎだよ、早苗さん。楽しくなかったら、楽しくすればいい。夢月君がそういう人だってわかってるでしょ?」
「あ、それ」
「そう、夢月君が言ってくれたの」
「夢月さんが……なんというか、らしいですね」
形は違えど、早苗さんも何度か彼の『らしい』部分に触れたのだろう。
大なり小なり、わたし達は惹き付けられている。
なんというか、わたしにとっての夢月君はまさに名前の通り、夢のお月様みたいな人だから安心できるのだ。
ただ────どうしてなんだろう?
女の勘……の一種なのかなぁ。
彼女の贔屓目も入ってるかもしれないけど、普段はどうあれ夢月君はここぞという時に頼りになるし、信じられないほどの行動力を発揮する人だ。
その夢月君の助けを必要としてるのは、わたしより『一之瀬さん』なんじゃないかという想像が最近浮かんでくる。観戦する事の多かった体育祭や先日の噂の後に彼を見つめる一之瀬さんからは、どこか切羽詰まった何かをわたしは感じていた。
考えすぎだとは思うけど、それを見ないフリして夢月君と、その……付き合う事になったのに対して言い様のない罪悪感みたいなモノが……。
あっ、恋愛絡みとかじゃなくてね? なんというか何かにすがりたい時、何故かいつも目の前に来てる夢月君は、ふとした時にもの憂げな表情を見せている一之瀬さんの助けになりそうというか、良くない予感を一之瀬さんに感じてるというか……。
それはそれとして、櫛田さんに教えてもらったわかる人にはわかる付き合ってるアピールは、恥ずかしくても念入りにしておくけども。
だって一之瀬さんは少し話しただけでわかる素敵な人だし、わたしとは比べ物にならないくらい格好良い人だ。正直、夢月君が助けちゃうと、本気で取られちゃいそうな心配もなくはない……けど。間接的にわたしにこう考える余裕を作ってくれた。
別のクラスとはいえ、あんな良い人が影で苦しむようなのはわたしが嫌だ。
わたしが何かするわけでもないのに、身勝手な考えだとは思う。
でも、わたしも夢月君みたいに努力している人を助けたいと思う。たとえそれがお人好しなのだとしても。
だってわたしはもう何度も助けてもらったから。
だったら、わたしもできることをやる。夢月君に可能な限りの信頼を乗せて、背中を押してあげるんだ。
大切な友達みんなに恥ずかしくない自分になるために。
10年後、この大切な毎日を惜しまないために。