微妙な人物・設定の崩壊があります。
苦手な方は心構えをするか気にしないでください。
お姉さんは霍 青娥(かく せいが)と名乗り、名刺を出してきた。
この喫茶店のオーナーらしい。
霍ではなく青娥と呼んでほしいとのことだったので、抵抗はあるが青娥さんと呼ばせてもらうことに。初対面の女性ながら、助さん角さんを連想してしまう発音なのでしかたない。
印象としては、普通の人間と違う気配なのはなんとなくわかる。彼女は、これまでに知覚したお化けとも神様とも違う不思議生物な感じがした。悪い気配は……実はちょっとだけ感じるのだが、何かがどうなるわけでもないだろうしと思い、また先輩の方を見てもOKっぽかったので店に入って休ませてもらうことにする。
僕は腰が抜けていて歩けなかったので、両脇を青娥さんと先輩に抱えられるようにして店に入る。
最初は、汗を大量にかいていて崩れ落ちた時の埃にもまみれているからと断ったのだが、そうなると這って店に入る変質者に見えると青娥さんに言われ精神的ダメージを負ったところで、先輩がいつの間にか反対側に入り込んで二人で僕の両脇を支えていた。
こうして挟まれているとハーレム野郎初級者になったかのような妄想も頭をよぎったりもするが、これまでの経緯を考えると青娥さんはともかく、先輩の方はナンパされたと思ったらわけもわからず自分を連れ去ってきた奴を逃がさない為でもあるのかもしれない。
まぁどんな理由だろうと、不思議ともう大丈夫な状況になった気がしているし、特に隠すこともないから聞かれたことには答えていこう(信じるかは置いておいてだが)。それがせめてもの誠意というものだろうと、引っ張ってまだ少し赤っぽい先輩の手を見つめながら大人しく進んでいった。
僕は、ゆったりと腰掛けられるソファー席に案内されて下ろされた。
僅かな時間とはいえ、美女・美少女の至近距離での密着に加え、巨乳二人(特に先輩の乳はヤバかった)のサンドイッチだったが、正直その瞬間はエロいことは思考の1割もなく、その前の醜態と自分の汗の匂いや汚れが心配すぎて、残念ながら役得を感じる余裕がなかった。
しかし、ソファーで少し落ち着いてようやく余裕が戻ってきた時にまず思ったのは、
―――マジで、本当に、真剣に、残念すぎる。
という後悔である。
まるで確変で777が出たというのに、スロット台が物理的に炎上したかのような気分を現在進行形で味わっていた。スロットとかやったことないけども。……体力と気力が万全で余裕がある時に是非とも、もう一度だけでいいのでサンドイッチをやっていただきたい。そうなれば僕は庭駆け回り炬燵で丸くなるくらいに狂喜乱舞の雨あられとなることだろう。
きょろきょろしながら対面に座った先輩や、水やお絞りを取りにカウンターの向こうへ行った青娥さんを眺めて、僕は過ぎ去りし時を求めて改めて思いを馳せた。
青娥さんが出してくれた水を飲み、お絞りで手や顔を拭く。
手はともかく、顔を拭うのはおっさんくさいと思っているが、今日みたいな状態だとむしろ拭わない方が不都合も多いので周囲に遠慮せず実行する。喫茶店に来るたびに、こうしたかったとかは少ししか思っていない。
「あの、さっきはありがとうございます。たぶんわたしを助けてくれた……んですよね?」
僕がスッキリしていると、先輩がお礼を言ってきた。
いつ見ても慌てている印象だったので、僕の行動が善意で受け取られているのが嬉しい。それと同時に僕は彼女を悪く見ていたり、侮っていたかもしれないと、少しだけ反省する気持ちも湧いてくる。
「一応そのつもりでしたけど、さっきの僕の醜態とか、ナンパとか、引っ張って店から連れ出したりとか……その、すいませんでした!」
「ううん。最初はびっくりしちゃったけど、その、わたしも嫌な感じがして逃げようとしてたし、あの店員の人が見てた事に気づいてからの……ええと、君? あなた? が何かで真剣になってるのはなんとなくわかっちゃったから」
先輩はあのお化けには気づいていなくても、危険については察知して自分でも逃げようとしていたようだ。確かに女子の身から見た場合、お化けなんて非科学的なモノより通り魔やストーカーの方が恐ろしいかもしれない。そしてその危険に気づいていたからこそ、僕の不自然な行動が良い方向に解釈されてしまったのだと推測できる。
……しかしあの時の僕は、何故に連れ出すのに下種いナンパの演技などという不自然かつアホな手段をとったのだろうか。今思い返しても錯乱していたとしか思えない。
まぁ、それはともかく。
「すいません。まだ名乗ってもいませんでした。
僕は1年のBクラス、左京夢月といいます。良ければ先輩のお名前を教えてもらってもよろし……」
「そう! それも!」
「は? どれです?」
僕をどう呼べばいいのか困ってるっぽかったので、名乗ってついでに先輩の名前を聞こうとしたところ、今までの引っ込み思案な印象を覆す力強さでさえぎられた。
「なんでわたしを先輩って思ったんですか!?」
「え? だってこの時期に高価な機器のコーナーにいたり、部活動説明会とか新しい友達の交流を気にしない新入生ってあんまりいないかなって」
「それ、左京君にも言えますよね」
「僕は説明会の途中で抜けて天体望遠鏡を見に行っただけで、友人だって1人。拡大解釈(葛城と戸塚)で3人。無理やり付け加えて(東風谷)4人もできてますよ!」
「……そうですか」
こちらをなんともいえない目で見てくるのだが、何だというのだろう。
先輩はしばらく無言だったが、おもむろに口を開いた。
「改めまして。『1年』Dクラス、佐倉愛里です」
「……うん? 1年生?」
「うん。1年生」
発音と意味が違う同じ言葉が即レスで返ってきた。
≪驚報。先輩は同級生だった≫
徐々に意味が脳に浸透してきて変な電波を受信したが、もう先輩呼びが定着しかけている時分だったので、ちょっと考えて一応提案してみることにする。
「……佐倉愛里さんか。これからがあるかはわからないが、佐倉先輩と呼んでも?」
「意外とかたくなっ!? ダメだから! 佐倉でも愛里でもいいから先輩はヤメテ」
「仕方ないか。では佐倉と。それと同級生とわかったからには、敬語は打ち止めにさせてくれ。慣れていないので無駄に疲れる。……敬語はともかく、しばらくは先輩呼びが口をついてくる事はあるかもしれないが」
「しかたない、とか! いや、だから、ダメだからね! 敬語はないほうがいいけど!」
ブフッ。
僕と佐倉が言い争っていると、カウンターを拭いていた青娥さんが突っ伏して震えているのが見えた。先ほどの音は、彼女が何かに吹き出した音だろう。
佐倉も気づいて、引っ込み思案な部分が再発したのか顔を赤くして小さくなっている。
少し経って状況が落ち着いたと判断したのか青娥さんがカップを3つ持ってこちらへ寄ってきた。
「お待たせしました。お話中だったから控えていたのですけれど、ちゃんと淹れたてですわ。ミルクと砂糖もお好みで入れてくださいまし」
「ありがとうございます」
「……ありがとうございます」
青娥さんが出してくれたのはコーヒーだった。
少し離れたところからしばらく動いていなかったような気もしているが、コーヒー好きの一人としても満足できる味と熱さだ。というか、これはブルマンNO.1だ。まさか初めて入った喫茶店にあるとは予想外である。
しかしもちろん嬉しいし、僕には全く問題ないのだが、ブルマンNO.1は結構お高いはず。佐倉に嗜好品にそこそこの額を出す余裕があるのか脇に置いてある買い物袋を見ながら心配になったので、青娥さんに確認を取っておく。
「青娥さん。すごい美味しいんですけど……おいくらですか?」
「お金はいりませんわ。その代わり、私と少しお話していただけませんか?」
「お話ですか?」
あっポイントっていうんでしたか。
そんな呟きが漏れ聞こえる。やはり学生と違って、商業関係の仕事をしている人は現金での取引かそれに代わる何かもあるのだろう。
「はい。うちの店はほとんどお客さんが来ないので、たまに来るお客さんとお話しすることが最近の私の楽しみなのですわ」
そういって朗らかな笑みを浮かべる青娥さんの頼みを、僕は佐倉と頷きあって了承()した。
この後は、3人でコーヒーを楽しみつつ、青娥さんが追加で出してくれたサンドイッチやするめで腹を満たし色々話した。
僕はコーヒーやお茶、天体やアルバイト探しの事なんかを話し、佐倉はカメラ(これが買っていた物品だった)に昔から興味があった話や自撮りというものをやるつもりだと話していた。
青娥さんの話はキョンシーや死神とかのお化けの話に、和歌や聖徳太子の話とジャンルとしてはホラーか歴史寄りの話が多かった印象だが、初めて聞く発想や説なのに何気に整合性がとれているのを感じてちょっと戸惑う。
佐倉はホラーも歴史も結構好きなのか、日が落ちる頃には青娥さんと楽しそうに過ごす事ができるようになっていた。
また「遅くまで話してしまったので夕食もどうぞ」と言われて夕食までご馳走になっている時には「アルバイトはうちの店で手を打ちません?」と誘われたり、意外にも佐倉がそれに乗ってきたりして二人とも雇ってもらえることになったり。
正直、あまりにも親切すぎるし、とんとん拍子に上手くいき過ぎていて、青娥さんの雪崩のごとき“恩”パレードが怖い。帰りにも僕と佐倉にお土産として、それぞれコーヒー豆と化粧品をくれたし、バイトまで世話してもらっているのに、僕の勘でも引っかかる部分はあっても裏を感じない善意に思えるところが得体が知れない。
バイトの手続きに関しては休日のほうがいいだろうと、必要な書類の事や都合の良い勤務時間を話し合うのは明日の土曜日に決まり、二人と連絡先も交換したのでおそらく問題はないだろう。
何気にこの学校に来て最初の連絡先交換が仕事関係の青娥さんと佐倉なあたりに、前の人生におけるブラック企業の呪いを感じたりもしたが、少なくとも表面上は美女と美少女である。ブラック云々は関係ないと思っておこう。
暗くなっていたから佐倉を送るついでに、やっとこさ寮まで帰ってきた。
佐倉は青娥さんが余程気に入ったのか、これからのバイト楽しみとか、明日学校に行ったら書類もらってくるから一緒に行こうとか別れ際まで控えめにはしゃぎながら、女子エリアである学生寮の上層階へとエレベーターで上がっていった。
エレベーターが閉まり佐倉を見送った後、僕はのんびりと自室に向けて歩き出す。
一つ、佐倉には言えなかったことがある。
それに何か証拠とかがあるわけでもない。
だが、僕には青娥さんがあの店員にお化けをくっ付けた黒幕だという確信があった。最初は勘でしかなかったが、佐倉も交えて話すごとに材料が増えて確信へと変わっていた。
しかし同時に、朗らかな笑みで楽しく話していた時や親切の“恩”パレードをしてくれた青娥さんにも嘘はなかったと判断している。
そして僕がそう思っていることも青娥さんは察知していたような気がする。
まぁ、だからどうというわけでも何かするわけでもないのだが。
青娥さんは何かで僕か佐倉が奇貨になりそうだと判断して、愉快犯から恩を売りまくる方針に変更した。
……とかだったら平和でいいなぁ。
心からの願望でこぼした独り言は、見上げた月へと吸い込まれていくようだった。