またもや1万字超え……。
彼女は左京視点でまだ登場してもなかったし、父親の理事長にばかり目を向けていた穴埋め。ってことでどうか一つ。
私以外の生徒が2週間の旅行を終え学生寮に戻ってきてから……いえ、それ以前からクラスメイトが口々に噂する同級生がいます。
「左京夢月……」
彼ほど名前が話題に上るたびにこちらの判断を狂わせてくる者は、いつか全面白一色の部屋で見た『彼』以来でしょう。
最初に名前を聞いたのは4月。
教室で葛城君に注意された際に戸塚君が漏らし、そこから推察できたのはSシステムの注意喚起と生徒会に入る為の助言。それをしたのが左京君。葛城君だけでも正確な情報と適した切れ端さえ得られれば割り出せたでしょうが、それを早めたのは彼でしょう。
次に聞いたのは6月。
あの平等なお父様が規則違反してまで届けてくれた緊急連絡で、とある生徒がストーカー被害にあっており、被害者をその生徒から逸す為に他に…私に移そうとしていたフシがある生徒がいるので注意するようにと。
この時は情報が少なくはっきり誰かはわかりませんでしたが、神室さん達に調べさせたところ、事件解決後にお父様を打ち上げに誘った生徒がいることが東山先生・星之宮先生から判明。そしてその打ち上げを開催した生徒こそが左京君であり、お父様を誘ったのも注意するように言われた生徒も同一人物の可能性が高い。
その後も恋愛ガチャという低俗な商売を始めた。Dクラスの生徒と喧嘩になって両者停学した。葛城君と一之瀬さんの生徒会入りに絡んでいた。無人島を初日にジャックしようとした。船の特別試験中にグループ全員で昼寝を敢行した。などなど、正確ではないだろう生徒間のものだけでも話題に事欠きません。
特に興味深いのは船上で行われた干支試験において、聞く限りですが常に冷静に人を見て初手で躊躇わず鬼手を切っていることです。しかも会話した橋本君にさえ理解できない意味を込めて。
もしも連絡が遅れるか、私や橋本君が意味を理解せずに葛城君を落とす計画を続行させていれば。おそらく私の派閥にかなりの傷を負わせ、一気に押し込む算段も考えていたはず。
読めない部分はあっても、想定される彼の頭の巡りは決して悪くない。本当に裏切られる可能性は考えていたでしょうね。
その可能性を考えた上で、私を除いたクラスリーダー達に要求を呑ませているのがまず見事。それも纏まっての裏切りはないと見切った上で、です。
このような同級生がいることは想定外。何らかの目的の為に動き出したのか、元からの才能が開花したのか。
いずれにしろ、左京君のいるクラスへはしばらく情報収集…いえ、本人との接触は急務になったといえるでしょう。橋本君や葛城君も、彼を放って置くことは良しとしないでしょうし。
ただ以前から(私自身は会うどころか姿を見かけたことすらありませんでしたが)その話題性に橋本君や珍しく鬼頭君が興味を持って何度かコンタクトを取ろうとしていました。しかし話題には上るくせして、特別試験で確実に遭遇できる根回しをするまでは姿を見ることもできなかった、と橋本君は言います。本当にそんな奴がいるのか、と。
これは左京君の神出鬼没具合もさることながら、彼の側近である東風谷さんや四方君が、Bクラスリーダーの一之瀬さんと協力して妨害したからだと推測することができます。
なぜなら7月に左京君が停学になったことで、経緯とBクラスの雰囲気に興味の湧いた私も出向いてみたことがあるからです。
その時は、彼について「よくわからないけど、まぁ……良い奴?」と口を揃えたかのような反応しか返ってきませんでした。
といってもこの時は半ば以上、左京君は話を切り出すための材料でしかなく、興味深い身体能力と才気を感じる東風谷さん目当てだったので、特に対処はしませんでした。
まぁ、目当てだった綺麗な“黒髪”の女子、東風谷さんには、左京君の名前を出した途端に敵意を向けられ「ぷっ。子供みたいな体型に見合った内面で背伸びしてるんですかぁ? それとも貧乳力が強すぎて内外にも影響しすぎてるのかしら~? 心配ですねぇ」と非常に無礼な対応をされましたが。
敵に相応しいかと思い、出向いた先で無駄に煽られた事は絶対に許しません。今でも一言一句、脳裏に刻み込まれています。
最後まで私を坂なんとかと呼び続けた事と合わせ、いずれ然るべき報復を。
と、あの不愉快な東風谷さんは一旦忘れましょう。今は左京君のことでした。
それにしても。
浅知恵で行動を起こす人というように蔑んでいる部分と、先見性豊かな好敵手候補と期待を寄せている部分がせめぎ合っています。
最初から順に私が持った印象を挙げていけば、柔軟な思考を持ち他クラスも助ける愚か…優しさ、自己犠牲を巧みに使いながらも冷酷非情、小銭欲しさに敵に正体を晒すずさんで短絡な策略、先を見ず感情的、先を見据えた周到な手筋、怠惰な快楽主義者。
なんですかこの矛盾の塊は。
と、そう旅行に出発するクラスメイトを見送る時まではそう考えていたのですが、これだけ学生のラインを踏み越える事をされては、もはや放置する猶予は与えないのが上策。搦め手もここまで回避されるのでは、正面から当たるしかありません。
「しかし、わかりませんね」
此度、彼が学校に変革を齎した目的です。これが一向に読めません。
確かにこうすることで、生徒たちに一定の効果があることは認めましょう。ただピースが揃っていないのか、彼をそうさせた理由だけが空白のままです。
『全校生徒の皆さんにお知らせです。一時帰省、ご家族へ連絡、学外活動など、東京都高度育成高等学校敷地内から外出する際は、適切な理由を外出申請書にご記入の上、提出してください。なお、受理には約1週間ほどかかりますのでご了承ください』
旅行より数日後、このような通知が『何通か』学校から届きました。
ホームシックになりかけていた者も、実家と連絡を取りたかった者も、校外へ用事のある者も、旅行から帰ってすぐに来たこの通知には心躍らせたのは想像に難くありません。特に女子からは歓迎の声が聞こえてきますし、部活動で大会などに出場する者も制限・監視が大幅に緩和されてやりやすくなったとも聞きます。
また私にとっても良い退屈しのぎになる命名決闘法案。
大半の生徒はこれらを学校と生徒会によるものだと考えているようですが、もうここまできたら間違いないでしょう。
左京夢月。
彼の仕業です。
入学前に、高円寺君や神崎君など上流階級出身の生徒には監視も付けたというお父様の報告書を見ているので、少なくとも首謀者は完全にノーマークだった一般家庭出身の左京君で確定です。
しかし、それほどのことを起こしながら、彼の目的と利益だけがいまだ見えてこないのです。
さらなる問題は、これ以上があるのかどうか。
左京君を知る誰に聞いても、悪意のある者、野心的な者ではないと言います。ですが、ここまでの行動力の持ち主にこれ以上好き勝手に動かれては退屈しのぎどころではありません。せめて目的を見極めておかなければ、気づいた時には全てが終わっていることもありえます。今回のように。
特にお父様が私の同級生に出し抜かれるなど、初めて聞きました。これだけでも警戒に値するでしょう。
兆候を認識していながら、今まで直接動けなかったもどかしさがありますね。身体的にも一応の責任者としても軽々には動けませんが、それでももっと早くに現場へ出向けていれば、と思わざるを得ません。
「やはり一度、どういう形になっても会っておくべきですね」
事ここに至っては、姿を見たこともない声を聞いたこともないでは話になりません。ちょうど彼と親交のある葛城君が和解を申し出て来たところですし、それに絡めて見極めを。
取り込めるのならよし。私の敵になり得るならそれもよし。ただの凡俗なら裏にいる者の存在を推察できるのでよし。
いくつかの指示を出し終えた私は、機会を作りつつ、待つことにしました。
旅行から1週間ほどが経過し、いまだ彼を捕まえた報告がないまま迎えた8月22日。
葛城君とその派閥との話し合いの場。
「左京夢月君。
―――貴方に命名決闘を申し込みます」
私は橋本君に適当な条件を付けてもいいからと、この場に左京君を呼ぶよう頼んでおきました。条件は『葛城君』との命名決闘で今年度の暫定クラスリーダーを決定し、その立会人としてあえて立場上は部外者で中立の左京君を招く、というもので調整されたようです。
普通なら他のクラスの者を招くのは無理筋な話でしょうが、何故か戸塚君が乗り気になってくれたおかげで実現しました。普段、目障りで短慮な者もたまには役に立つものですね。
それを利用して、他クラスの派閥争いの中だったからか居心地悪そうに現れた左京君に向かって、挨拶もそこそこに新しく導入された命名決闘を申し込んだのです。こうでもしないと、噂に聞くはぐれメタルには逃げの一手があると踏みました。
予想に違わず彼が発案者であるなら、ルールも固まりきっていない今しか断られる選択肢を排除できないでしょう。
「姫様っ! それは」
「なんのつもりだ坂柳!? 今日はAクラス内での和解の話し合いだったはずだ! 他クラスの左京に仲立ちしてくれるよう頼んだのは、こんな非礼を浴びせる目的だったのか!?」
少なくとも今は左京君と敵対しないよう進言していた橋本君と、彼から見ればそういう名目で呼んでいた友人に命名決闘を仕掛けられた葛城君。
全て想定済みの反応です。
尤も、クラス内で私以外に一人、頷いて納得を示す者がいるのはほんの少し意外でしたが。
「和解ですよ? ですが、それだけでは左京君の利がありませんので」
「利だと?」
「はい。私から話しても構いませんが……左京君には理解できるのではありませんか? 敵に塩を送ることになるので、ヒントはあげませんが」
この態度だけでわかります。
やはり葛城君は物事の裏を読むのに決定的に向いていない。基本的に優秀で頭も悪くないのですが、そのままの意味で受け取ってしまう。
勿論、それは強みでもありますが、融通の利かない性質は足を引っ張る事も多い。2度の特別試験の結果や入学直後に生徒会入りを断られたのは、この面が影響していたのでしょう。
さて、その葛城君が目を向けなかった点に気づかせ、点を線で繋いだと思われる左京君はどう返してくるか。
これまでの彼の実績と情報が正しく、他者の思惑をすぐ読み切る思考力と仄暗い部分があるのなら、私の狙いも見抜いて理解を示すはずです。また裏で彼に知恵を与えている人物がいたとしても、この場では左京君自身の考えで答えなくてはならない。
どちらにせよ、見極めには充分といえるでしょう。
「えぇっと、つまり坂柳さんはBクラス…じゃなくて僕か僕達を利用したい、または協力したい、って解釈すればいいってこと? だったら受けるけど、僕より一之瀬の方が良かったんじゃ?」
「うふふ。それでは解答だけですね。途中式はどうですか?」
「ちょっと待て! なんでそうなる!? 一之瀬の名前もどっから出てきた!?」
結果は、私にとって好都合と言えるでしょう。
確かにこれは役者が違います。
周囲にいるのは葛城君含めてAクラスでも指折りの駒がほとんどです。しかし私が短く何を問いかけて、左京君は何を返したのか。解答も途中式もなんのことか理解できていない。
これでは困惑し凡庸な態度で振る舞いつつも、何食わぬ顔で私の思考に迫ってくる左京君の相手はできません。
「そうなる? って言われてもなぁ。
葛城を通してここに呼ばれた時点で、勝負というか情報把握?遊び?目的だってのは予想が付くし、なら一之瀬の方が先だろう。まぁ坂柳さんの反応から考えると、僕関係のナニかっぽいが」
「だからなんでそうなるんだよ!?」
「いや、橋本。
坂柳さんが直接話したいからこの場に僕を呼んだんだろ? 言いたい事があるだけなら葛城でも橋本でも言伝すればいい。聞きたいことがあるならそれも伝言を頼めばいい。メールやチャットもあるんだから、いくらでもやりようはある。
なんせ見るからにフットワークが重そうな坂柳さんなんだ。本アドでなくても適当な捨てアドで充分用件は伝わるさ。
それが面と向かって話したいことがあるとすれば、理由も限られるってものだよ」
状況把握や対応能力は、過去にお会いしたお父様の交渉相手や優秀な部下の方々と比べても遜色ないどころか部分的に凌駕している。
それでいて実力者の凄みを感じない。実績を考慮に入れれば、あって然るべき風格が彼にはない。あるのは普段と変わらないだろう自然体で要点を見抜いてくる不気味さだけ。
「ほう? ではその理由とは?」
「……あー、葛城の前では言いにくいんだが」
「なに? 俺が関係するのか?」
「関係っていうか多分坂柳さんへの印象が悪化しちゃうんじゃっていう。あと坂柳さんも不快に感じるかも」
「ふふっ。そうなっても構いませんから言ってください。後でフォローさせてもらいますので。ああ、私に関しても大丈夫です」
「えぇ……?」
「悪化……」
及第点とはいえ紳士的な気遣いもできる。
想定はしていましたが、本当に『彼』以来の当たりを引いたかもしれないですね。
「んー、あっと、じゃあ僕の想像だと念頭に置いてもらった上でだからな?」
葛城君と私を見て言い辛そうに前置き、諦めたように左京君は話し出しました。
「まずどういう関係かはわからないけど、坂柳さんのお父さんや学校自体を…あえてこう言うけど、誑かした僕に興味が湧いたんじゃないか? そんで僕『以外』が僕に入れ知恵しているなら、そいつらがいるかも確認したい。こんな感じかな、と」
「続けてください」
「その為に効率的なのは、僕の友達や知り合いが極力少ない状況を作る必要がある。これなら僕一人の能力を最初に見定められる可能性は高い。夏休みにいきなりこんな状況になる想定なんか誰もしていないから、僕に入れ知恵しておくなんてのもほぼ不可能だ」
「ふふ……続けて」
「だから坂柳さんは出会い頭にできたばかりの命名決闘を申し込み、試すような聞き方をしてきた。僕自身が有能であるか無能であるかの確認と―――もう一つの理由で」
「…………もう一つの理由?」
驚愕している最中の葛城君がかろうじて絞り出した問いかけ。
これに至っている時点で、条件には達している。
「僕が敵か味方の『どちらか』になり得るかどうかだ。
そして基準以上に有能であり敵か味方の条件を満たしていた場合、何種かの下準備をしておかない理由はない。初対面であることも利用して、多少強引で……あー。い、陰湿な手も視野に入れるはずだ」
「なるほど……なるほど。これは」
口ではそう言っても、私への負の感情は見えない。必要なことだと理解しているからでしょう。
またここでお父様や学校に対してした一件を詳しく出さなかったことも評価できる。私が情に流されない性質であると見られている証明になるからです。
「つまるところ今回の話は、クラス内の決着をつけるついでに軽く勝負して、僕の能力を確認した上で自分に―――坂柳さんに付け、寝返れってことなんじゃないか?」
「パーフェクトです、左京君」
「……ふはっ。か、感謝の極み」
わざと口に出さなかったと思われる葛城君に関してと……彼も私を認めているからでしょうか? 笑いを零し妙に芝居がかっていた最後以外は。
ま、葛城君の方は左京君の立ち位置では言えないでしょうから、手落ちの類いではありません。
それに私の狙いを言い当てたことで周囲を絶句と驚きの中に置き去っていますので、正式な手段を誤魔化したことに誰かが気づくとしても時間を要するでしょう。
ただ命名決闘の真意をあらわにされた以上、今ここで私が言うべきことも限られてしまったわけですが。
「それでは返答はどうなりますか? 左京夢月君」
「NOに決まってるだろう。坂柳有栖さん」
そしてここまでに分析できた左京君の性格上、効率的でお互いの最善に通じる解答が返ってくると想定していた私まで、即答の「NO」には不覚にも目を見開いてしまいました。
私は静かに驚きとともに息を吐き出し、得られた情報を整理して切り替えていく。
ほぼ私の狙いを見抜いた上でこの返答になるということは、左京君はリアリストで効率主義者の一方、理屈でも感情でもないなにか理解できないモノを行動指針にしている。それでいて自分を隠すことなく明快に晒すとともに、相手にも隠すことを許さず見抜いてくる。
結論。彼は、間違いなく天才・鬼才の類と言えるでしょう。
「会ったばかりなのはまだしも、葛城や戸塚と対立してたってわかってるんだ。そもそも、そっちに付くわけがない。リスク少なく葛城達に借りを返せるかもって思ったから命名決闘自体は受けるけど、僕の利はこれだけで充分。これ以上は不要だ」
利益が大きい道筋を理解しながら、迷いなく自分には不要と言い放つ左京君。
あの斜に構えた癖の強い橋本君、何度か彼を見た程度の鬼藤君や神室さんまで、彼との対立に反対するわけだとようやく納得できました。
自分のみならず他者の展望を推察し、流れを組み立てる思考力。たった一人でアウェーな状況をくぐり抜ける度胸。確たる武器もなく、この場で唯一頼れる友人である葛城君にすら全面的には頼れない状況で自分を通す沈着冷静な立ち回り。
僅かな片鱗でも目撃してしまえば、慎重にもなるでしょう。
それにこうした要素は分析できましたが……それよりも強く感じたのは面と向かった時のナニか。おそらく見ているだけではわからない説明できない雰囲気もあります。
橋本君が船で彼と会話して、言語化できないと言い辛そうに零していたそれ。尤も、橋本君をあしらった程度では、お父様を出し抜いた時ほどの本領は発揮していないでしょうが。
あり得ない事ですが、もしも万が一、私が『彼』を葬れなければ。天才の証明ができない状況に陥れば。
今、目の前にいる左京君が全てを持っていくだろう……という根拠も確証もない曖昧な直感すら湧き出してきています。
冷静な部分では乗せられないように思えていても。憶測だと判断できていても。
この時の私は、いつになく漠然としたモノにペースを乱されていた、と後々に思い至ることになる初対面の印象を持たされました。
思考に沈んだ隙を突かれた教訓と一緒に……。
「それで話を戻すけど、命名決闘ってなにするの?」
あからさまに話題を逸らされましたが、これ以上は選択肢を潰されると判断しましたか。
私は少し考えて、左京君の分析と並行しつつ、望む方向への軽い議論誘導を仕掛けてみました。
「……左京君ならどんな勝負を選びますか?」
「僕が好きに選べて相手が坂柳さん一人なら、腕相撲とかフィジカルオンリーで短時間の勝負を選ぶな」
「流石にそれは受けられませんね」
「だろう? でも坂柳さんをよく知らない僕じゃ見た瞬間にわかる弱点を攻めるしかない。だから一度、命名決闘の筋が通るように話をしよう」
「筋とは」
「情報をある程度開示した上で、坂柳さんが望むやり方に僕が納得のいく調整を加えるってことだ」
そうしてわかってきたことは、左京君はとにかく遠慮がないこと。
何を考えているのか、なりふり構わずあり得ない案を混ぜてくる。初対面の私は勿論、下手をすれば後ろで話を聞いている葛城君や戸塚君の不信を買いかねないことでもあっけらかんと。
そういう当たり前にある風評や印象を気にする素振りが一切見えない。
案外、だからこそ葛城君達の信頼を得たと言えるかもしれません。
「知ってるかもしれないけど、改めて言おう。
僕は葛城のような高潔な奴じゃないし、意識高い指向性もない。ある友達曰く、リアリストっぽいナチュラリストらしいぞ。あと学力はそこそこ上位、運動は苦手寄りの普通。
うん。こんなところか」
「つまりその情報を参考に私が提案するのですか。
……ふむ。学力に自信ありならチェスなどの盤上遊戯はどうでしょう?」
「あー。それなら、できれば囲碁か将棋がいい。チェスは駒の動かし方くらいしか知らないから、それなりに覚えがある奴だと相手にならないと思う。そうやって提案するってことは、坂柳さんは自信あるんだろ?」
「それは残念。
ま、結構です。それなら将棋にしましょうか」
あっさり望んだ方向に進んだ話と併せて、遠慮のない問いかけに内心の呆れと関心を呼び起こされます。ですが、正直から繋げてきた彼の友人への気遣いを無下にすることもありません。
私は最上に近い一つの想定、それを受け入れ―――。
結果論ですが、この時の私は多少なりとも私と左京君双方の実力を知る葛城君が口を出してこなかった事をもっと深く考えるべきでした。
それから始まった一局は、私が見極めを重視していたこともあり、30手ほどまでは様子見。
ここまでで将棋に関しては大した打ち手ではないと判断できたので、じわりじわりと少しずつ追い詰めています。
『盤上には生き方が表れる』
と言われることもありますが、左京君にそこまで求めるのは酷でしょう。あくまで趣味・教養レベルで身に付けたものと、彼の真価は別のところで発揮されます。
チェスの片手間に覚えた程度の私に及ばなくとも、評価は変わりません。
「これは俺の……」
「葛城さん?」
なぜなら盤面を見ている葛城君と戸塚君が思わずといったように零したことで、葛城君との対戦経験を基に発展させた戦法なのだろうと推察できます。経験を糧にして実力を底上げできるのですから、それだけでも一角の人物でしょう。
それでも現状、こちらの戦法は居飛車で持ち駒は飛車・角1つずつに有用な駒7つ。左京君の戦法は“穴熊”寄りの守備陣形で持ち駒は歩が2つ。戦局もそれを証明するように私の優勢……いえ、左京君は詰んでいないだけで、すでに逃げ惑うのみになっています。
純粋な地力の差が勝敗を分けたということですね。
尤も、拍子抜けする弱さというほどでもありません。
それにいまだ真剣な表情で盤面を睨む左京君の目は、決して諦めていない。
かといって、もはや私の勝利は揺るぎないでしょう。
積み上げた優位は少々のことではどうにもならない。まして彼の悪足掻きでジリ貧を覆すには―――。
柄でもありませんが、潔く終わらせてあげるのが情けというものでしょうかね。
そう引導を渡す為に本気で詰めにかかりましたが、どうしてか詰めきれない。攻めかかっても最後の一線だけは守られる。先を読み、逃げ道を塞ごうとしても、損害を出しつつ左京君の玉だけは逃がされる。
攻めを捨て、逃げと守りに注力したかのような無駄な足掻きに、少しずつ苛立ちが募ってきます。
というか、左京君の実力ならすでに勝負がついていることもわかるはずです。
葛城君の進退に差が生まれる予測から負けられない心情は理解できますが、投了して条件に口を出す方が私の心証も良くなる。
何故、悪足掻きを止めず逃げ回っているのか。
あらかた見切られた状態で、私に無駄な時間を使わせるほど自分の評価を落とすと、彼が気づかないはずがない。
わけのわからない判断基準に苛立つ。私が有能と認めた左京君が、愚か者のような手を打つことが何故だか癇に障る。それとも彼には何か違うものを見えているとでも。
その後も左京君の玉は30手、時間にして20分近く逃げ回り、僅かだった私の苛立ちも表出しかねない域に到達しつつありました。
こうして勝負はついたと盤上から意識を逸して精神を乱したことが、あのような結果に導いたのでしょう。
―――その一手。私は左京君の玉から離れた勝負の行方に何も貢献しない自陣に一手を打ってしまいました。
打ってしまった瞬間、自分の失策を悟りましたが、それはあまりにも―――あまりにも遅すぎました。
これは言うなれば、トドメを刺す寸前に手を緩め、反撃の隙を作る愚策。
ひたすら好機を待ち続け、逃げと守りに徹していた左京君がこの隙を見逃すわけがない。
そこからはこれまでと打って変わって、考え抜いていたと思われる苛烈で的確な早指し。立て直そうにも、急かすようにノータイムで急所を狙ってきて対処を迫られる。
左京君が即座に自陣の穴を塞いで攻勢に転じ、数手で立て直し途中で緩んでいた私の防壁を突き破った頃には、盤上の支配者は入れ替わっていました。
私が。いかに最も得意なチェスではなかったとはいえ、なんて致命的なミス……を? いえ、これはまさか私の集中が途切れる瞬間を作り出された!?
自分の犯した勝敗を分ける重大なミス。攻守も入れ替わり急激に悪化する戦局。勝ちを確信し苛立っていたところからの急速な変化。
集中力を欠き、終わったものとして片付けていた私。
なにより―――守りながらも。逃げながらも。考えることを止めなかった左京君の鋭い一転攻勢。
もはや盤上の勢力図は一変しています。
これからもう一度本気になったとしても、戦局を覆すのは至難と言わざるを得ないでしょう。
私自身でさえ信じられない自分の悪手から、僅か10数手。
「参り……ました」
「対局ありがとうございました」
なんとか結果を受け入れて切り替えた私は、左京君に掠れてしまった声で負けを認めていました。手遅れになってからとはいえ、短時間で思考を全力で回転させてしまった為か喉がカラカラです。
しかし悔しさは感じていますが、納得と心地良さの方が遥かに大きい決着は久しぶり……初めての体験かもしれません。
嘘を見抜いて利用する者はこれまででいくらか知っています。ですが正直から真実を見抜き、推論を組み立てて細い道筋から流れを構築してくる者は。表から裏を読んで隙を作る者は予想外でした。
ここへ誘い出された件を持ち出して、感情豊かに葛城君へ夕食奢りを強請る姿からはやはり小物の雰囲気しか感じませんが、まさに人は見かけによらぬものでしたね。
ともあれ、これで少なくとも2年生になるまでは葛城君がクラスリーダーです。
命名決闘は口実でも、最初から『どれか』の結末に落着させる予定でした。その予定の中には、確率は低いと考えながらも私が下に付くというサブプランも用意してあります。
気を遣う必要は発生しますが、元々のプランに修正を加えて整えれば、葛城君を操ることは容易でしょう。読みきってきた左京君の動きを加味しても、他クラスと彼がクラスリーダーではないという壁があります。守りに寄りすぎている葛城君が相手ならそこまで難しくありません。
ただ、今の一局を結果だけで見ていた戸塚君や他数人ははしゃいでいますが、頭の回る者が呆然としているのもわかります。
これからクラス同士で当たる機会があれば、左京君は強敵として立ち塞がるかもしれないのですから。
橋本君のように違う意味で考えることが増えた者は別かもしれませんが。
さしあたっての私の役目は、葛城君の『補佐』としてクラスを纏め上げ、実績を得ていくのが良さそうですね。
今なら、団結するなら外敵を作れという鉄則で、今回の一件も最大限活用できるでしょう。
別れの挨拶を交わした左京君を含む半分ほどの人数が去ってから、私は周りを気にせず、先程の一局を振り返り余韻に耽る。
様子見の序盤で敗色濃厚とみるや、対戦者の私自身に活路を見出して好機の種をまいて耐える戦術に切り替え、最後は正攻法での逆転劇。それも葛城君の守りを彷彿とさせるやり方で。
これが入学からたかが数ヶ月で、お父様の受け継いだこの学校に変革を齎したイレギュラー、ですか。
話には聞いていました。実際に会話してその実力を認めたつもりでした。
ですが、言い訳しようもなく完全に舐めていたということでしょう。彼自身の実力は大したこともないと『見切らされ』隙を作り出されてしまったことに、最後の最後まで気づけませんでした。
考え抜くことで細い道筋を照らし出した左京夢月。
そして最大のモノを除いて、徹底的に私の弱みを突き、強みを薄れさせ、一撃で勝負を決する。
確かにまんまとしてやられた屈辱を晴らしたい思いもありますが……。
「これはまた面白いお相手が現れてくれたものですね。
―――ふふ。うふふふ」
それ以上に、ちょうど退屈していたところです。
完膚なきまでに敗北したというのに笑い続ける私は、残って訝しげに見てくる周囲すら気にならないくらい、葛城君達と去っていった凡庸を装う勝者への期待が抑えられませんでした。
果たして『彼』以外の“天才”は、これからも私の渇きを潤してくれるのでしょうか―――。
将棋やってる人はもしかしたら勝負のからくりがわかるかもですが、次で左京側の考えは出すつもりなので答えはそこで。これは嘘みたいな私の実体験で、1回だけ似たような事が起こったのを基にしてます。
油断はともかく、こういう勘違いをする坂柳じゃないとは思うのですが、一応吃驚させられた直後なので多目に見てください。前々から思ってましたが、頭が良すぎる者には私の思考能力が追いつかないとよくわかりました。
それでも書き進めた結果、今回は特に酷い「ようキャ」内で唯一、左京を天才認定する坂柳というアレな勘違いが発生しちゃったという。頭が良いキャラを上手く描ける人ってすごいですね。