結婚相手が殺されたのは、これでもう七度目です。私が悪魔に魅入られているから:あるいは、アスモダイオスの身勝手な恋   作:木村直輝

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あとがき

 読んで下さり、ありがとうございます。

 不快でしたら、申し訳ございません。

 

 

 この物語を公開するにあたって、不安だったことがあります。

 

 いや。物語を公開するだけで、誰かに向けて何かを発する時点で、もっと言うなら生きてるだけで、不安なことだらけなのですが……。

 何と言うか、そういう話ではなくて……。

 

 この物語には、「行き遅れる」という言葉が出てきます。

 主人公の女性はそれを気にして、胸がきゅっとなります。

 それはもちろん、彼女に結婚願望と上手くいかない状況があったからだと思いますが、それだけではきっとなくて。根本的に社会通念の影響も大きかったのだろうと思います。

 

 そして、この物語の焦点は主に「三十歳を過ぎても結婚できない女性の苦悩」に当たっています。

 そしてそんな物語は、「素敵な男性との出会い」によって「結婚という幸せ」を手に入れるという結末に落ち着きます。

 

 主人公の胸を絞めつけた「行き遅れ」という概念は、物語の中で最後まで否定されることはありませんでした。そういった価値観はそのままに、物語は結婚というハッピーエンドを迎えました。

 これはある種イジワルな見方をすれば、「行き遅れたけど結婚できてよかったね」という話だと解釈することもできるでしょう。

 

 そんなこの物語を、人によっては「時代遅れな価値観にまみれた作品」だと感じるのではないかなと思います。

 そこに「今の時代にそぐわない時代遅れなメッセージ」を感じて、不快に思われた方もいらっしゃるかもしれません。

 

 まず、不快にしてしまった方に、申し訳ないという思いがあります。

 申し訳ありません。

 

 ただ、その上で。

 なぜ私が、その可能性が頭にありながら、今の時代にわざわざこの物語を書き起こして公開したのかということを申し上げておきたいと思います。

 それは、単なる言い訳でしかないかもれませんが、それでも……。

 

 

 まず、大前提として私には、前述のような価値観は特にありません。

 ですから、そのようなメッセージを込めたという意図も全くありません。

 

 そもそも、私は単に自分が観測して感動した出来事をみなさんと共有したかっただけに過ぎず、テーマやらメッセージなんてものは後付けで、そんなものは私の個人的な思いや考えをこの出来事に重ねた至極個人的な感想でしかありません。

 「作者が作品に込めたメッセージ」なんて嘘っぱちの作りものじみたテーマを強いて挙げるなら、「めっちゃ感動する話見つけたんだけど! えっ、これめっちゃよくない?!」です。

 

 ただ、だとしても。

 この物語に、時代遅れと言うこともできる「結婚観」が色濃く出ていることもまた確かな事実だと思います。

 なので、そういった「結婚観」について、ちょっと私の思いを吐露してみたいなと思います。

 それが、本題に繋がっていると思うからです。

 

 まず、そのような価値観――結婚適齢期や女性の結婚・出産の重要視――などは、私たちが生きている世界でも古今東西、散見されるものだと思います。

 では、何故このような価値観が多くの社会に根付いたのでしょうか?

 

 その主な要因は、産業や流通の未発達と自給自足や一次産業に寄った社会構造、そして公衆衛生や医療の水準の低さなどだったのではないかなと思います。

 まず、産業や流通が未発達で自給自足や一次産業に寄った社会であればあるほど、それぞれの家庭で食材を確保したり日用品を作ったりする割合が高くなり、その効率も悪いので、各家庭でも社会全体でも労働力がたくさん必要になると思います。

 また、公衆衛生や医療の水準が低いほど出産は命懸けになり、年齢を重ねた時のリスクの上り幅も大きくなり、産まれた子供も死んでしまう可能性が高くなると思います。

 

 そのような社会であればあるほど、子供がたくさん生まれなければ個人も社会も困ってしまうと思います。人手がたくさん必要なのに、人、特に妊婦さんや子供はすぐに死んでしまうからです。

 だから、子供産むことができる女性には早く結婚して貰って、たくさん子供を産んで貰わないと、死活問題になってしまうので、必要に迫られて、結婚適齢期や女性の出産の重要視といった価値観が社会に根付いていったのでしょう。

 

 それを裏付けるように、現代でも発展途上国ではその傾向が強いように見えますし、経済成長と共にその傾向が薄れていっているように思えます。

 そして、先進国に数えられる現代日本では、昔に比べればだいぶ古い価値観になってきたように感じられます。

 それでも各地に根強く残っているのは、やはり死活問題で必要に迫られて生まれ、大事にされてきた根深い価値観だからなのだと思います。

 

 もちろん、産業や流通、公衆衛生や医療などの発展により社会が変わり、より多くの選択肢が拓けることは素敵なことだと思います。

 それによって、今まで当然だった価値観によって苦しんでいた人、価値観に順応するしかなかった人が、苦しみから解放されて、自分らしく生きられるようになるのは、とてもよいことだと思います。

 

 しかし、時代遅れの価値観を排除し、アップデートしようとしているように見える今の社会を見て、私は昔よりも素敵な時代になっているとは思い難いです。

 何故なら、それは進歩というより単なる逆転劇ではないかと思うからです。苦しむ層が減って多様化しているというより、これまでと苦しむ層を入れ替えているだけという面が強いと感じるのです。

 もちろん、古い価値観を淘汰して、新しい価値観で世界を塗り潰せば塗り潰すほど、新しい価値観に苦しむ人は減るでしょう。でもそれは、今までと何が違うのでしょうか?

 古い価値観で苦しんでいた人たちを、そのまま塗り潰すのと、何が違うというのでしょうか?

 古い価値観は間違っているから?

 新しい価値観が正しいから?

 

 私には――。

 自分達が傷つける時は、信仰する「正しさ」を武器に盾に免罪符に傷つけることを正当化し。

 自分達が傷つけられる時は、信仰する「正しさ」を武器に盾に免罪符に傷つけることを否定しているように見えます。

 ヒトは、いつまで経ってもそうやって争い、負債を押し付け合い、傷つけ合っているように思えるのです。

 

 ですが、それはしかたがないことなのでしょう。

 ヒトは弱いから。許容することに限界があるから。あちらを立てればこちらが立たずが起こるこの世界で、ヒトは傷つけ合うほかないのでしょう。

 ただ、それが私は悲しいのです。痛いほどに。憤ってしまうほどに。

 そして。傷つけ合うヒトを前に、一匹残らず滅ぼしたくなるほど憤ってしまう私もまた、弱くて罪深い一匹の畜生に他ならないのです……。

 

 そんな今の社会で、時代遅れとも言える価値観が根付くこの「セーラたちの人生」に焦点を当て、切り抜いて、文章に起こし、形に残すことに私は価値を感じます。

 

 時代がどれだけ変わろうと、セーラの、そしてセーラのような思いも考えも幸せも、決して否定されるべきものではないと私は思うから。

 同時に、もしも貴方の思いや考えや幸せが、セーラ達と全く違うものであったとしても、それは決して否定されるべきものではないと私は思うから。

 

 それが、私がこの物語を公開した理由の一つ。

 大切な理由の一つです。

 

 ――長長と、稚拙なあとがきを失礼致しました。

 読んで下さり、ありがとうございます。

 不快でしたら、申し訳ございません。

 

 貴方の人生が、貴方らしく幸せなものでありますように。

 

 

脱稿      二〇二二年 六月一七日

最終加筆修正  二〇二二年 六月二六日

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