【完結】たそがれより世紀末まで〜98×99三強カップリングがイチャイチャしたりするかもしれないしドロドロするかもしれないしの幻覚話〜 作:春華ゆが
長きに渡りありがとうございました
きっと、私たちの出会いはたまたまだった。たまたま寮で会話を重ね、たまたま一緒に過ごす時間が多くなっていった。そういうふうに深く変化するのも、あくまで一時的なもの。だからその関係そのものすら一時的なものに過ぎないとしても、何ら不都合はないはずで。
あの天体観測の日から数日が経った。私とあなたが会わなくなってから数日が経った。もっとも普段からそれほど頻繁に会うわけではないから、それほど差があるわけではない。もちろんそれで生活に支障が出ることもない。時々しかなかったものが永遠に失われたとして、それで起こる変化など微弱なものだ。
きっと、あなたは私のことなどそのうち忘れてくれる。そうやって無意味な関係を捨て、意味のある関係に注力できる。これ以上、あなたは傷つかない。そうあるために、私は接触を避けていた。
そう、避けていたのだ。もうそれなりにお互いの生活リズムが一致するタイミングはわかっていたから、それを少しずらすのは容易かった。あるいはあちらも同じことを考えているのかもしれない。だからこそ、私たちはもう出会わない。
きっと、永遠に。今の私はそれを、それだけを心から望んでいた。
※
最近、夜はあまり寝付けなかった。梅雨はもう終わったというのに、気圧の変化に因る体調不良は尾を引いていた。あるいはあの日雨に打たれすぎて風邪を引いてしまったのかもしれない。そうやってくるまっている羽毛布団を手のひらで掴み食みながら、それとは対照的に凍てついた心中を見下し噛み締める。それが最近の私だった。まだ、元には戻れていなかった。ずっと続きそうだったあの日の雨すらも、朝が来る頃には無かったことになっていたのに。
あなたと初めて星見に行ったあの日、あるいは普段なら一人で星見に行くいつもの日。あの日、私はあなたを拒絶した。今まで隠していた負い目を曝け出し、あなたを傷付けてまで。きっと、あなたはあの日を楽しみにしていたのに。嫌な思い出を作ってしまった。だから、早く忘れた方がいいのだ。それはあなただけでなく、きっと私も。
それなのに。毎日毎日ただ暗闇の中で目を開いていた。布団の感触を確かめながら、眠れないのだと何度も認識した。理由は分かりきっていた。このままでは本格的に体調を崩してしまう。それはレースにも差し障りのある事柄だ。
私はあなたのために走らなければいけない。それ以外のことで眼を曇らせるわけにはいかない。だから、これは解決しなければいけない事案だ。きっと、たまたま。その程度だから、時間が経てば消えてゆく。そのはずなのに、いくら経っても終わらなかった。
ずっと、あなたのことを考えてしまっていた。
それでも何とか途切れ途切れの睡眠を取り、無理矢理目を覚ますために朝早くに朝食を取る。……万が一スペシャルウィークさんに会ってしまわないように、場所は寮の自室だ。カレンさんはまだ眠っている。そんな部屋で一人、ぱさぱさとした栄養食を口にしていた。彼女にも今回のことは言っていない。きっと、言ってしまえば彼女にも心配をかけてしまうから。理由はそんなところだろう。
わからなかった。自分のことがわからなかった。あの子のために生きると決めてから、一度もその場所を離れたことなどなかった。そんな自分のことなど、全て知っていると思っていた。そのつもり、だった。
けれど、あなたは私に触れてきて。初めは決して近くない距離だったのに、そこから私に近づくためにはたくさんの痛みを伴ったはずなのに。私の方からは動かないで、彼女にばかり背負わせて。結局私は、どうすれば良いのかわからなかったのだ。あなたと私が取り返しがつかなくなる前に終わらせるには、どうすれば良いのか。だから、ああした。ああするしかなかったのではない、ああする以外の方法を見つけられなかったのだ。
(ねえ、あなたならわかったのかしら)
あっという間に味気ない食事は終わり、また一人の時間がやってくる。あの日断絶を告げたあなたに、届かないとわかっているから私は言葉を投げかける。もう縋っても触れられない。手を取ろうとしても差し伸べられない。だから初めて、私は素直にあなたを見つめられる。ぎこぎこと古びた木製の椅子にもたれながら、思考を伸ばすのは手の届かない方へ。それはいつもはあの子に向けてだけれど、今は違っていた。
きっと、そうして初めて。初めて私はあなたに、あの子の幻影を重ねなかった。姉気取りの先輩ではなく、ちっぽけな関わりを持つ一人として。そうやって、あなたを見れていた。
ねえ、スペシャルウィークさん。あなたはきっと、私によくしてくれていた。そして私もきっと、それに応えたいと思っていた。思っているだけで、何もできなかったけれど。あなたがどれだけ手を差し伸べてくれても、私は変われなかったけど。
それでも最後に、あなたを明確に突き放して。私とあなたの距離は、それで何とか保たれて。あなたは悪くないのだと、なんとかそれは伝えられたはず。あなたを傷付けているのは私。あなたに会うべきでないのは私。そんな価値がないのだと、それだけはわかったはず。それさえ伝えられるのなら、私はどうにだって。
……そうやって、あの時の感覚をリフレインして。私の不器用で嘘ばかりの言葉がちゃんと愚かだったか、確認して。
『だから、ごめんなさい』
──それが彼女の最後の言葉だったことの意味に、私はようやく気がついた。
違う。彼女は私の心無い言葉に謝ったんじゃない。そんな時の彼女は、強く痛々しく棘の中に手を差し伸べられる子だ。私の知るスペシャルウィークさんは、そんな傷は厭わない。だから私はそれを止めようとして、私は。
私は、「あなたには私はわからない」と、決定的な断絶を示したのだ。そしてそれが、彼女が謝ったことの本当の意味に繋がる。彼女は最初から、私の薄っぺらな拒絶など意にも介していなくて。彼女はきっと、己の無力さが断絶を生んだことだけを嘆いていて。
彼女の最後の結論は、自分を悪者にすることで。
私が最後にしたことは、あなたが致命的な自傷をする手助けになってしまっていて。
私の最後の願いは、一つもうまくなんかいってなくて。
「……どうして、なの」
誰にも聞こえない声が漏れる。まだ昇り始めたばかりの日差しすら、私を見てはいないだろう。独りぼっちの世界に、ただただ私の声が響く。どうして、こうなってしまったの。どうして、ずっと気付かなかったの。どうして、全ては取り返しがつかないの。
既にあの日から一週間以上が経った。あなたは酷い人に遭った不幸な事故として、今までのことを忘れているはずだ。それなのに、現実は逆で。あなたはあの日からずっと辿り着いていただろう苦しみを、ようやく私は見つけることができて。
「自分のせいで、この関係は壊れた」
きっと、あなたはそう思っている。本当に今更、そのことに気づいた。
※
それからの私は、今まで以上に走ることだけを考えるようになった。そうしていた。理由は単純かつ愚鈍で、罪の意識に耐えられなかったから。もはや私に希えるのは、もう手の届かないところにいるあなたができるだけ幸せでいてくれること。具体的でなくて曖昧でも、それくらいしか祈れない。
相変わらず、スペシャルウィークさんを見かけることはなかった。一目見てしまえばあなたは自分の失敗だと思い込んだ傷をもう一度自分自身で抉ってしまうし、私はそんなあなたを見ても震えて何も言えないだろう。だからこうするしかない。もう取り返しはつかない。ただ二度と会わないように、ずっと互いの傷だけは開かないように。そういうことだった。
(……ふっ、ふっ)
誰もいない、夜のグラウンド。星明かりと三日月だけが、空から私を見守っている。そんな時間。あれだけのことをして、それでも夜は好きだった。眠れないままでも、落ち着いた。だから私はたびたび夜に外に出る。天体観測も含めて、だ。
「もう少し、走っていこうかしら」
どうしようか。走ることはウマ娘の本能であり、そうしている限り何もかもを忘れられる気がした。けれどオーバーワークは厳禁だ。追加のトレーニングも、あくまで自己管理の範疇だ。そんなことを考えながら、真っ暗な練習用のコースを見渡す。もっともこんな時間には、私以外の人影など──。
(……あれは)
一人、星の下を走る影があった。風を切って、夜を踏み締めていた。どこまでも、どこまでも走っていた。先程までの私と、同じように。そうしてあっという間に私の目の前まで走ってきて、そこで彼女は脚を止める。自分以外のウマ娘が存在することに戸惑っている様子だが、それは私も同感だ。このまま無視して、互いの時間に戻ってもいいのだけど。
「こんばんは。こんな夜更けに走ってる子が、私以外にいるなんて、ね」
「……こんばんは。私も、びっくりしました。運命的な何か……などと言うのは言い過ぎでしょうか」
すーっと伸びた栗毛の長髪、星の光をも飲み込む小さいけれど静かな意志を秘めた瞳。確かに彼女には、何かどことなく気になる点がある気がする。とはいえそれくらいでは、今までの私なら声をかけることはなかっただろう。
ならばきっと、私がこの見知らぬウマ娘に話しかけるのは。
「自己紹介、なんて柄ではないのだけど。アドマイヤベガよ、よろしく」
「サイレンススズカです、こちらこそよろしくお願いします」
もっと人と関わりたい、そんな変化があなたから与えられたから。そういうものなのかもしれない。
サイレンススズカと名乗る少女は、控えめながら私と会話を始めた。くるりくるりと左回りにうろつきながら。彼女の癖なのだろうか。私もよく喋る方ではないので、その会話は途切れ途切れだった。スペシャルウィークさんの時はこうではなかったな、と思い出してしまった。おそらくサイレンススズカさんにも、そういったよく話す相手がいて、その時は聞き手に回りがちなのだろう。そういう点でも、私たちは似ているのかもしれない。
「それにしても、綺麗な空ですね」
「そうね。天体観測にはもってこい」
「天体観測、ですか。実は私の同室の子が、最近凝ってるみたいで」
サイレンススズカさんの口から、意外な情報が漏れてくる。私のそれは趣味ではないけれど、星見を嗜むウマ娘はそれなりにいるのだろうか。たとえば、スペシャルウィークさんのように。
「スペちゃん……あっ、同室の後輩で、スペシャルウィークって子なんですけど」
……まさかそんな私の思った通りの名前が出てくるなんて、思いもよらなかったけれど。
「……スペシャルウィークさん、ですか」
「はい。スペちゃん、最近毎日夜間外出許可を出してるみたいで。それでどこに行くんだろうって聞いたら、天体観測って」
「毎日? 毎日、天体観測に?」
「……はい。夜更かしのし過ぎはよくないって、本当は先輩として注意してあげなきゃいけないんですけど」
信じられない情報が、スペシャルウィークさんのルームメイトたる彼女の口から発せられる。スペシャルウィークさんは、毎日天体観測に行っている。あの日あれだけの傷を負っても、なお。愕然となる思考回路を、必死に繋ぎ止めて何かを考え続ける。何かはわからなかった。けれど止まっていた、終わっていたはずの何かが動き出していた。
いいや、本当は最初から終わってなどいなかったのだ。スペシャルウィークさんは、まだ諦めていないのだろう。だからきっと、まだ彼女は天体観測を続けている。私が絶とうとしたその繋がりを、それでも決して絶やさないために。
「サイレンススズカさん。スペシャルウィークさんは、今日も天体観測に行ったのかしら」
「……はい。スペちゃんのあの目は、絶対にやり遂げたいことがあるって時の目でした。……あの、もしかして」
「何かしら。行かなければいけないところがあるから、最後に一つだけ聞くわ」
「スペちゃんは、誰かを待ってるんだって言ってました。もしそれがあなたなら、スペちゃんのことをよろしくお願いします」
「……そうね。こんな短時間の会話で、そこまで見抜かれてしまうとは思わなかったけど」
「それと、もう一つ。スペちゃんを酷い目に遭わせたら、私はあなたを絶対許しません」
「それは、約束できるわ」
「はい。いってらっしゃい、アヤベ先輩」
そうして、私は駆け出した。ターフを走り終えたばかりの泥まみれのジャージ姿そのままで、いつもの用意は一つも持たずに。たん、たたん。足音しかわからなかった。一寸先は闇だった。何度も歩いた道とはいえ、それでもライトなしではいくらか怪我を作りながらの道のりだった。それでも注意深く行くよりは、その方が何倍も早く辿り着けるだろう。
まだ、何もわからない。やはり人の痛みを抱える余裕などない私にはあなたの気持ちはわからない。それはある種真実で、私とあなたにはわかり合えないことがある。私はあなたがわからないし、あなたも私をわからない。
けれど、あなたはわかろうとしている。どんなに痛みを伴う方法でも、あなたは私のことを理解しようとしている。そのためにあなたは、独りぼっちで星空を見上げて。孤独を纏う私を見て、それを理解するために孤独になろうとしている。
無理矢理だ。めちゃくちゃだ。そんな方法で、あなたの心はどうなるの。あなたはどうして、そこまでやろうとするの。それはやはりわからない。
だけど、私にも一つだけわかることがある。
あなたは、私を待っている。
きっと、すぐそこで。
※
星空は相変わらずよく見えた。いつも通りの丘だった。違うのは、私が泥と傷だらけの姿なこと。空には新月ではなく、三日月が浮かんでいること。そして、あなたの後ろ姿があること。まだ真新しいレジャーシートを敷いて、その左半分に彼女は座っていた。誰かが来るはずもないのに、誰かのための場所を空けていた。
「横、いいかしら」
不思議とすんなりその言葉は出てきた。出てきた後で、「星見は静かに」という自分の言葉を思い出した。彼女の返事はなかった。けれど僅かに身体を寄せて、もう少しだけ左側に寄って。彼女は静かに待っていた。
なら、私のすることは決まっている。
そう思った。そうするだけだった。
言葉はないまま。私は静かにあと少しの距離を踏んで、やがて泥まみれの靴を脱ぐ。靴下も汚れ切っていたので、一緒に脱いで裸足になる。服についた土を払い、少し切れて血の垂れた頬を擦り。出来るだけ汚れを無くしたあと、私はあなたの隣に腰を下ろす。
疲れ切った身体は、思わず重心を下に下ろしてしまい。私は両の手のひらを腰の近くに置く。
その、片方を。左側に置いた、私の左手を。
ぎゅっと、強く握りしめるものがあった。その手は震えていた。彼女はずっと怖かったのだと、それでもここに独りで待っていたのだと。
あなたの震える右手は、私の左手を上から強く強く握りしめて。決して離さないように、もうどこにも行かないように。まるで押さえつけるかのような、そんな力のこもった手のひらだった。
けれど、それがどこにでもある普通の繋ぎ手になるのには。私があなたの手を握り返すのには、大して時間はかからなかった。
私たちの関係がそこに浮かび上がるのは、あっという間のことだった。
「……ねえ、アヤベさん。本当は静かにするつもりだったんですけど、一つだけいいですか」
「別に、一つじゃなくてもいい。今日の天体観測は、あなたのものなのだから」
空の真ん中には三日月が浮かんでいた。白く大きく、けれど太陽がなければ輝けない。強いようで一人ではいられない。そんな星。私の星見とは無縁のものだ。それを眺めるのはあなたの時間だ。
今日は初めて、私があなたに寄り添うのだ。
「えへへ、じゃあたくさん、たくさん言いたいことはあるんですけど。とりあえず、一つ」
「何かしら、スペシャルウィークさん」
「また私と、お話ししてくれますか? また私と、一緒に」
互いに目線は交わさず、白い白い月を見上げながら。きっとあなたは勇気を出して、その言葉を告げた。そしてそれは、私のための言葉じゃない。あなたがあなたのために、あなた自身のしたいことだ。
なら、私は。
「ええ。私も、あなたと話がしたい。……それくらいなら、言わなくてもわかるわよ」
「……そうですね。なら、もっと別の話、しなきゃですね」
「ええ。話したいことは、たくさんあるの」
「はい。私も、です」
私も私自身の言葉で、あなたと共にいることを願おう。
そうして、私たちの言葉は巡り合う。取り留めのない雑談は、何日分も溜まっていた。きっと、たまたま出会わないと出来ないようななんでもない会話。けれどあなたと出会わなければ、決して出来ないようなかけがえのない会話。今宵の星見は騒がしく、時折空ではなく相手の方を見遣るような賑やかなものだったけど。
それが、あなたの世界なのだろう。あなたにとって私は、今のように笑い合いたい存在なのだ。あなたという太陽に照らされてようやく、けれどしっかりとその顔を輝かせる三日月。きっと、そういう関係だ。
「……ねえ、スペシャルウィークさん」
「なんでしょうか、アヤベさん」
「あの日のこと。あの雨の日の天体観測のこと、なんだけど」
ひとしきり話して、何度か笑い合って。私はまた、静寂を破る。あの日自ら引きちぎった線を、再びあなたと結ぶために。
「はい。あの時は、ごめんなさい。私アヤベさんのこと、何もわからなくて。……だからわかりたくて、でもその方法もわからなくて」
だから彼女は、こうして毎日天体観測を続けていた。何もわからなくてもがむしゃらに、それがあなたの強さだった。……私がもう見ていられないとさえ思ってしまった、あなたの眩しい傷だった。
だけど、だからこそ。私はあなたに言葉をあげられる。あなたにたくさんのものを貰ったように、私からもあなたに何かを返せるのだ。
「いいえ。こちらこそ、ごめんなさい。たくさん酷いことを言った。たくさん酷いことをした。そんなことがあなたのためになるなんて、本気で信じていた」
「アヤベさんが私のことを気遣ってくれてることくらい、わかります。ずっとわかってます。アヤベさんは、そういう人です。アヤベさんがそうじゃないって言い張っても、私にはそれがわかってます。……やっぱりわかりますよ、あれだけ一緒にいるんですから」
「そうね。多分私も、あなたのことをわかってしまっていた。……あなたは、優しい。そして、正しい。優しすぎて、正しすぎるの。だからこうやって他人の痛みばかり見つけて、自分の傷に無頓着で」
真横を向く。あなたと目が合う。繋いでいたままの手を握り締める。星は、あなたの瞳に見えている。それはわかった。なんとか判別できた。
私の視界が、涙に滲んでいたとしても。自分の意志で泣いたのは、初めてのことかもしれなかった。けれどそんなことはもう、どうでもいいことだった。
「あなたは、いつも! 今日までだって毎日夜に出歩いて、それがどれだけ自分自身を傷つけてるか知らないで! 心配をかけてしまう相手のことばかり気にして、心配されている自分のことは気にもかけないで! ……それは、嫌なの。私はあなたに、危うい道を選んで欲しくないの。いいえ、私だけじゃない。誰だって、あなたが傷つくのは嫌なはず。あなたは皆に好かれているんだから。だから。だからあなたはもっと、自分を大切にしてほしい」
ざーっと滝のように流れた感情は、それもまた初めての感覚で。言葉にならない言葉。でも確かに、届いていた。
「ごめんなさい。……そして、ありがとうございます。やっぱりアヤベさんは、優しい人ですね」
「それはあなたの方よ」
「それならお互い様ってことにしましょう。私もアヤベさんに言いたいことがありますし。これもお互い様、の話題です」
「……じゃあ、さっきの私の話は聞いてくれるの」
「……はい。確かに私、誰かのためばっかりだったかもしれません。実は昔、似たようなことを言われたことがあるんです。『私の夢はお母ちゃんの夢であって、自分自身のものじゃない』って」
「そう、だったの」
「でも、それはやっぱり私にとっても大事な夢だってわかって。だから私は多分、今も走れています。……けれどそれは、走りのことだけじゃなかった。『日本一のウマ娘』を目指すなら、自分自身が一番って自信がなきゃいけないのに。ありがとうございます、アヤベさん。アヤベさんのおかげで、気づけたことかもしれません」
「それなら、良かった」
「でも、それはそれとして。私もアヤベさんに言いたいことがあるので、言わせてもらいます。こんなことを言われた手前ですが、アヤベさんは自分を大事にしなさすぎです。自分なんて価値がないとか、そんなことばっかり言って。……そんなわけないじゃないですか。アヤベさんみたいな素敵な人が、意味がないわけないじゃないですか」
それはきっと、先程私が言ったのと似た台詞。つまりあなたがそれを受け入れるなら、私もそれを受け入れる必要がある。仕方ない、というわけだ。
「お互い様、ですけど。アヤベさんも、自分を大切にしてください。私も、自分を大切にします。約束、です」
繋いだ手は離さないまま、もう片方の手であなたは小指を差し出す。それも、私とあなたで繋いで。
両の手が繋がる。私たちは、一つだった。
「……ねえ、アヤベさん」
「何かしら、スペシャルウィークさん」
また、会話はしばらく途切れて。二人で星を見て、あの日とは確かに違う空を見て。
「月、綺麗ですね」
やがて始まったそれは、話題も出尽くした最後の出涸らしだったけど。
「そうね。このまま、もう少し」
それでも限りなく、私とあなたを満たしてゆく。
そのまま、手を繋いでいた。同じ月を見ていた。同じ時間を過ごしていた。ずっと。ずっと。
きっと、私たちの出会いはたまたまだった。運命的なきっかけはなく、時折の会話から偶発的に始まったものだ。一度出会っただけでは全ては決まらない。たとえば百回繰り返しても、私たちがそのうち出会えるのは一度あるかもわからない。薄くて、か細くて、あっという間にちぎれてしまいそうな関係だ。
それでも今、一緒にいる。必然じゃなくて偶然でも、ここにある事実は確実なもの。そんな幾億の可能性の果てに、私たちが確かに出会うなら。
それが運命でないのなら、奇跡と呼ぶのが相応しい。
ご愛読ありがとうございましたこれにてアヤスペの幻覚は一区切りになります
本当にありがとうございました感想評価とても励みになりました
次回、キンオペ
なのですが更新はこれにて一区切りとさせていただきます再開したらその時はよろしくお願いします
あなたのイチオシの幻覚症状は?
-
アヤスペ
-
キンオペ
-
セイトプ