【完結】たそがれより世紀末まで〜98×99三強カップリングがイチャイチャしたりするかもしれないしドロドロするかもしれないしの幻覚話〜 作:春華ゆが
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その日は雨だった。朝からそういう予報だったので、朝起きた時には保健室で過ごすことが決まっていた。雨の日はどうにも脚がきしむ気がするのだ。だからこうして保健室のベッドの中に脚を潜らせる。まあ、もちろん毎日保健室にいるのだが、いない時間だってないわけじゃなくて、その上で今日はいる。あの人と会ってからは、より通う時間が長くなったかもしれないけれど。
トップロードさんは、あれからここに通うようになった。律儀に来る日を伝えて。もちろん決める必要はないし、守らなくてもいいと思うけど、来る。健康人が保健室に通う、そんなのサボりじゃないかとは思うのだが、私はもちろん人のことは言えない。健康ではないとしても、保健室でサボる理由にはならないと言われたら、そう、みたいな。
どうでもいいけど。
私についてのことは、大体終わっているようにできている。終わってはいけないのに、追い詰められるふりをしないと歩けない。笑わないと進めない。はは。そういうわけで、トップロードさんが来る日は特別だ。後ろ向きになってもいい、所謂チートデイ。
それに今日は雨だ。雨は雨で嫌いじゃない。それは昔からそうだったと思う。青空は綺麗だけれど、雨空だってありのままの姿だと思う。荒れて、曇って、そういうのは本当の自分じゃないなんて、一体全体誰が決めたのだ、ということ。誰もそうは言わないし求めないけれど、薄っすら望まれている気がするから。
ああ、飛び交う会話は作りもののようだ。そんなはずはないのにな。脚に負担のかからないうちの最大限で、始業前の学園を突っ切った。雨音が聴きたい。それだけなのだ、本当に。
だから今日はカーテンを開ける。開けにいく。
一人と雨空だ。
「どうも」
たどり着いた保健室で、保健の先生に許可を取る。顔パスというやつだ。ここも諦められているのかもしれない。だけどこの人も私を一人にしてくれる。落ち着いて眠れるし、保健室のあらゆるものがやはり好きだ。ここは立ち止まれる。そもそも咎められる理由はない。悪いことは数えるほどしかしていない。サボり、仮病、生きていること。何が悪くて偉かろうと、私からすれば十二分に動けない、不可抗力。だからそんなに悪いなら、生きているだけで悪いに決まっている。私じゃないと笑えない。
こつ、こつ。ぽつ、ぽつ。足元から尖らない靴の音がして、窓の外から聴こえるまばらな雨音に近づいた。まだ足がついている。午後からは本降りだったか。今の音は今だけだ、ということだ。
たどり着いて、
全身を横たわらせた。
ああ、今日も一日が始まる。
あらゆるところで何かが起きている、激動の一日が。その中で生きてみているというだけで、私は世界の一員に数えられている。何もしていなくても誰かに影響を与えてしまって、何かしていないと生きていてはいけないような気分になるものだろう。
私は何も生きている時にやっていることがなくなったから、こうしていられるというだけだ。
立ち止まることは歩くことより簡単だなんて、そんなことはない。進むことは苦しいけれど、閉じることはそれほど許されない。許されないから苦痛。雨空がみんなに嫌われるように。早く晴れないかな、世界は進まないかな、そう希われるように。
だから、雨空は好きなのだ。
同類だから。
変わってしまったままでもいい。雨空を眺めて、雲の層を見て、このまま一生晴れないなんて誰も思っていないだろうとか、そういうことばかり考えて、目を閉じて、
耳を澄ませて、眠りについた。
もちろんうまく眠れなかった。
※
あの日以来、たまに保健室に顔を出す。三日に一回くらいだ。一週間に一回の時もある。週を超えることはない、なんとなく。そして、なんでもなく二人で過ごす。一人と一人の関係に、まだ名前はついていない。
まあ、でも、色々ぼんやりと過ごしている。あそこでだけ、ぼんやりしている。私はスカイちゃんに甘えてしまっている、ということかもしれない。何かを見られて何かを抜かれて何かを許されたあの日から、たまに一緒に休んでいる。目が合ったのは、あれきりだけど。彼女の視線は少しこちらとずれている。
今日も行こうか。今日はやめておこうか。そう悩んではみるものの、結局行けそうと伝えた日は保健室に寄ってしまうが。
頻度はあまり高くないのに、行く日の方が印象に残る。今日「も」と言える。むしろだからこそ避けてしまっているのだろうかと、私としてはそんな気もする。あんまりあの子のためにならない気がするのだ。なんとなく。私が許されてしまうことは。
やりたいことは済ませた。やるべきことも済ませた。委員長の業務は滞りなく、元気溌剌。そういう自分の調子を俯瞰的に認識するようになったのは、もしかしたらスカイちゃんと出会ってからの変化、かもしれない。
一人で悩むとして、一人と一人だった。
保健室に入って、迷わず向かった。
「どうも、こんにちは」
「はい。こんにちは、スカイちゃん」
名前を呼んで、応答して。その瞬間、時空が区切られた。
ああ、眠くなってきた。瞼が少し、重くなる。スカイちゃんの声は、いつも私を淵の淵に誘うのだ。
向かい合わせのベッドに座って、枕に向かって寝転がる。そのあたりであちらから声が聞こえる。目を合わせすぎると怒られてしまうから、互いにタイミングを見計らって相手を見る。見計らうのは、合わせるタイミングも含めて。
何度かで、そういうことになった。勝手にそういうことになった。私が見たいのを許してもらえたとも言える。何でもかんでも許されて、ダメになってしまいそう、なんて。
今日は曇天、雨模様。スカイちゃんはそういう日に限ってカーテンを開けているのが、色白い首の奥に見えた。
「雨ですねえ」
「そうですね。今日はみんなトレーニングもお休みでしょうか?」
「風邪をひくわけにはいきませんからね。体調管理は大事です」
他人事のように浮ついた声音で語って、
「自分でわかってることを他人に聞かないでくださいよ」
そこだけ一段トーンを下げてきた。むむ。
「あはは……」
「反論してください」
むう。何かあたりが強い。というわけで、
「別にいいじゃないですか、私の好きに喋ったって」
そんな台詞を口にしてみた。あたりを返す。らしくない。
そういうのが、なんとなくここでは許される。
「下手くそですね」
「やっぱりですか……」
そして、ダメ出し追加。促されて、やってみて、ダメ。はい、私はお手上げです……。らしくないことはできない、そのまま。何度かこう私らしくないことを試してみたけれど、どうにもならない。私は私を超えられない。色々な意味で。
雨音が隙間を埋めてくれるだけで、今日の会話はずいぶんとぎこちない。理由は一つ、スカイちゃんの注文が多いから。いや、まだ一つ(反論してください)だけだが、会話を仕掛けてくるのも珍しいといえば珍しい。
そもそもいつも(いつもというほど彼女のことを知らないと言えばそうだが)は「そうですねえ」「いいんじゃないですか」みたいな調子なのに、今日はどうにもだ。肯定だけが許しではないと、そういう理屈はわかるのだけど。
となれば原因は? スカイちゃんの調子がいつもと違う。苛立っている? 何故? そう考えてみることにした。保健室の薄いベッドは、体重のかけ方を少し変えるだけで軋んでしまう。その音が隣からよく聞こえる。いつもより、だ。
お互いの生活の中で占める割合が、いつもというほどでなくても、私にとってのスカイちゃんの「いつも」が、違和感を感じるだけの材料が、なくはない。だから、考えてみて、
「……雨、嫌いですか?」
大きく吸って、ゆっくりと吐くように。私も、「いつも」とは違う。ここでだけ。元気を少し削いで、弱音を少し膨らませて、そのぶん寄り添えて、寄り添ってもらえる。そんな白い関係性だ。
「根拠は?」
「大したことじゃないですけど、今日はぴりぴりしてるなって」
「テンションが上がってるのかもしれませんね。雨は好きですし」
「そういうこともあるかもしれませんけど、なんとなく、違う気がしたんです」
根拠はと言われて、なんとなくと返す。テンションが上がっているのと、ぴりぴりしているのの違いなんて、本当のところはわからないだろう。
私たちはそんなものだった。雨音は更にうるさくなって、湿気の中に私たちを閉じ込めていくようだった。保健室のベッドは隔離された空間だ。保健委員や先生が同じ部屋にいるのに、ここだけ空気が違う。これもなんとなく。
「なんとなくですか」
「なんとなくですね」
感覚で掴めるくらいには、この場所とあなたが馴染んでいた。だから、あえて、なんとなく。いつもの私じゃわからないことでも、ここにいるあなたと私について、「いつも」と比較して。
「でも」
「はい」
「雨は、好きですよ」
「そうですかあ」
言い張られたら、お手上げなのだけれど。
「雨が好きな人と嫌いな人の二種類がいるとして、私は前者だというだけです」
「根拠は」
「それはもちろん、」
そこでまた、ベッドが軋む音がした。
「なんとなく、ですよ」
瞳と笑顔が、目の前にあった。
それで、私がいつのまにか、あなたのいる方を向いていたのに気づいた。
「あんまり見ないでくださいね」
あなたにはずっと気づかれたまま許されていたとも、わかった。
自分自身では気づいていないことを、傍らにいる人は知っている。知り合いとは相手のことを知っている同士の間柄だとすれば、私たちはまだ知り合いではない。私は何も、あなたのことに気づいていないから。
的外れ。違うこと。うまくいかない関係。名前がつかない空白。故にまだ一人と一人。知り合いに満たない何か。何かが何かわからない。
ああ。好きなことや嫌いなものさえもどうやらわからないと、彼方に向けてため息を吐くような。私の感覚は、気づいていないことは、見えないものは、
「これで一つ、スカイちゃんのことがわかりましたね」
これから、変えていくしかないようだ。
「スカイちゃんのこと、もっと知りたいです」
多分、これが今の私に言えること。
あるいは、言いたいこと。
言うべきこと。
よくわからないけれど、そう思った。なんとなく。
なんとなくでいい。少なくとも私は、私をそう許したのだ。だってあなたが最初に許した私は、不意の行動で流されるような、主体性のない人だから。
「急ですね」
「それなりの付き合いですから」
「お、ちゃんとらしい反論だ」
合わせた目は空の色をしていて、けれど深いところに沈んでいるようにも思えた。水の中。雨の中。青空は雨中に沈んでいる。見えない。晴れない。いつか晴れるかなんて、そんな保証はどこにもない。太陽が頑張って照らさなければ、青空と雲は映りきらない。
ああ、そうか。
「じゃあ、そういうことで」
「はい。おやすみなさい」
その目を知っていたから、雨が嫌いだと、
私が思ったのだ。
今の私は、雨が嫌いだ。
※
目を閉じると、視界は黒くなる。世界がさらに闇の中になる。感覚が消えていって、雨の音だけ。雨の音だけでいい。だって雨は嫌いじゃない。暗くなるようで、終わりかけるみたいで、でも宙で消える。そんなものだ。
だからいい。意識を流してくれる。何かが聞こえていてほしいだけ。昔と変わらない。私がそう嘘を吐く時、雨だけは暗いまま。汚してしまうまま。だから好きだろう。私は変わったのだから。
変わる。視界を閉じると、世界の感覚は変わるのだ。においとか、聞こえる音とか。そういうものだけで感じてみると、埋もれた何かと触れ合える。私はそうやって自分を沈めている。そんな事実確認を、今日はしていた。
私の一日はどこで区切られるのだろう。そう考えてみると、保健室にいる時以外、時間を認識していないようだった。他は平べったい。朝起きたから、雨が降り始めたから、そういう理由での時間の経過はない。
来るか来ないかわからない人を待っている。どちらかわからないのに、期待するだけ無駄なのに、教えてくれた予定を信じている。縋っている。黙っている。言わないまま。
騙されるに決まっているという感覚が私の中に生まれて、それをちゃんと経験則で説き伏せている。誰も私を裏切らないと、何度も何度も何度も言い聞かせる。いつもこうだ。大切にするために。
ただ、あなたは新しいから。
何が起こるかわからなくて、取り返しがつかなくなるかもしれない。
ぼやけた頭の中心に、そんな望みを点けてみた。本当はどうだか知らない。本当というものの見分け方も。私のことは何も知らない。今の私は誰も教えていない。
『……雨、嫌いですか?』
そうかもしれない。
雨を聞くのを止めると、代わりに誰かの寝息が聞こえた。
一人が横にいた。
今の私は、雨が嫌いかもしれない。
淵霞み
まだ。
まだ頑張れる。頑張らなきゃ。頑張りたい。
どこにも落ちていかないで。
泣いて、泣いて、泣いて、泣いて、泣いて泣いて泣いて。笑う数より増えたって、まだ涙は枯れない。だから私は立ち上がれる。
「京都大賞典、一着は──」
道は途切れていないはず。
霞んでいて、見えない。
ああ、
ちゃんと晴れている。
追い続けろ。果ての果てまで。
進むということは、そういうことだ。
あなたのイチオシの幻覚症状は?
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