【完結】たそがれより世紀末まで〜98×99三強カップリングがイチャイチャしたりするかもしれないしドロドロするかもしれないしの幻覚話〜   作:春華ゆが

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セイウンスカイとナリタトップロードの安心

 

 ああ、いつ落ちてしまったのだろう。セイウンスカイという存在は、いつどこかに墜落してしまったのだろう。わからない。わからないことばかり。

 わからないことはあの一年で増えていった。復帰のための一年。その次があると思っていた一年。途中で不安を抱えた一年。不安が結果を出した一年。全部同じ一年。最後に生きていた一年。苦しくても胸を張っていた。終わった話になってしまった。

 私は今日も保健室にいる。人の隙間という、誰もいない場所に。誰かに愛されて愛されて愛されて、ここにいる。だからどこかへ向かうのだ。まだ、と言い続ける。

 まだ怖い。まだ不安がある。まだ逃げなければいけない。そういうことで。後ろ向きではないのだ。後ろを見る余裕はないから。それでいいと思う。だから、虚空に手を伸ばす。

「んっ」

 白い天井との間、手のひらは電灯を覆っていた。

 まだ。まだ、私は雲になれる。

 ぎこちない安らぎの中でも、もがく元気は残っている。

 だから、休むのだ。進むために。

 

 

 スカイちゃんのことを知りたい。

 そう思ったから、そんな自分がわかったから、保健室に通う頻度は増えていった。だけども今日は行くわけにはいかない。トレーニングの無い日、他の用事もない日、そう決まっている。今日は自主トレだけれど、勝つためには自主性は義務になっている、というものだ。やるべき。やらなければいけない。その二つは変わらない。

 勝てなかった。そろそろ、「また」になる。それでも、「まだ」だ。まだ勝ちたい、まだ頑張れる、まだ、期待はされている。後ろを向くわけにはいかないから。後ろを向きたくないから。やるべきこととやりたいことが一致しているなら、あとは実現を目指すだけ。単純だから、果てしない。

 何周しても走り足りない。

 それでも、スカイちゃんのことは、何故だか頭から抜けないのだ。

 脚を伸ばす。芝を踏み締める。光って、光を放って、そんなふうに思える地平線を見る。そこには何かがある。走った先に、何かがある。じゃあ走ることのできないあなたは、と。

 それだけは心に残っていた。日に日に彼女が私の中で大きくなっていった。

 だから、だからこそ走り続けた。

 負けたのが悔しいからじゃなくなっても、次は勝ちたいからじゃなくなっても、走るのが理由にならなくても、多分走っていた。走らない私は、いつもの私じゃないから。休むのは、嘆くのは、弱いのは、

 立ち止まるのは、彼女のそばが、

 ふさわしいのだと思う。

 だから、頑張れる。あなたのそばに行くために、疲れ果てられる。

「……よし、もう一回」

 軽く、軽く、何度も走った。完全じゃなくても、完成していなくても、完璧にはほど遠くても、届かなければ届かないほど、ゴールというものは近く感じた。あと少し、手を伸ばす。叶わないように感じる。どうしようもないようにも思う。それでも、まだ墜ちない。駆け上がり、駆け抜ける。

 落日は、あの時空にしか存在しないように。

 走っていれば感じられることはいっぱいあって、たくさんのものを風のうちに過ぎ去らせて、一つ二つと捨てていって、最後に残る感覚はなんだろうと考えてみようとして、考える頭も残っていなかったのに、まだ走れた。走る、走る、走る。限界までじゃなくて、答えが見つかるまで。あとのことは考えなくていい。答えが見つからなかったら、その時にタガが壊れるだけだ。

 力尽きそうになる。体力の前に集中力が切れるのだ、もうすぐ。そうなったらいよいよ走り終えて、ぱっと頭に何かが浮かぶのだろう。答えが見つかる。一生懸命にはならない速度で、半ば惰性になっていても、私は私を置いていく。一秒前より進んで、進む方向がわからなくて、でも進む。なんのためかはわからないけれど、やりたくて、やるべきだ。その二つは違うから、一致していれば素晴らしい。なんとなく、だ。

 姿勢が徐々に前傾になってゆく。脚を回す速度は上がっていく。ただ、一つのものになる。食いしばって、たまに息を吐いて、目を閉じて、見開いて、そういうこともまばらになって、追いつく気持ちはなくて、

 ついに感覚を捨て去った。

 だから、最後に残るのは。

「……はーっ、はーっ、はーっ、はーっ……」

 運命だ。

 故に、私は走るのだ。

 ……明日、あなたに会いに行こう。

 今の私に必要なのは、休息だからだ。

 

 

 次の日は、トップロードさんが来た。促すまでもなくベッドに座り込んでいた。素早く。なのでとりあえずこう言った。

「変わりましたね」

「やっぱりわかりますか」

 わかりやすすぎるのだ。この人はどうにも、表情と雰囲気に何もかもが出てくれる。感情の裏側の理屈まで、考えていることが顔に書いてある。溌剌として、疲れ果てて、そういう状態。それでここに来た。それも今日の疲れではなくて、今日の達成感ではなくて、それなのに私のところにまで持ち越してきた。詰まるところ、この人はこう言いたいわけだ。

「褒めてくれ」

「はい?」

「トップロードさんが今思ってることですよ」

 本当に、わかりやすい。そう思って、私もそんなものかもしれないとも思った。お互い様。一人と一人。違うからこそ似たもの同士。なんでもいいけど、私の場合は消え去っているのが見え見えだ。あけすけなくらい、伽藍堂。太陽と雲は空によく見える。あなたの充実はわかるとも。多分、何かが見えたのだ。そしてその内容はここにいるあなたのものじゃなくて、頑張っているうちに吐き出したいもの。

 だから、今はただ。

「……よく頑張りました」

 褒めて、あげよう。

 そんな気持ちが喉を通って、お腹と口を繋いでいた。するとあなたは、

「……えへへ」

 照れくさそうに、困ったように、ぎこちなくもあるように、笑って、

「あ、あれ? なんで」

 堰を切ったように、自然と、涙を流していた。

「あはは、困りま、困りましたねっ」

 泣いていた。喜び勇んでやってきて、泣いていた。ああ、覚えがある。笑いながら泣き続けるトップロードさんを見て、おもむろにそう思った。

 いつかの私は、裏側の感情を一括りにしていた。誰にも見せない見えないところなら、矛盾をひとまとめにしてやれた。言わないから、矛盾が矛盾にならなかった。閉じていたから、私は強い私を保っていた。悔しいこととか嬉しいこととか、一つ一つは簡単だ。でも混ざってしまうとわからない。私は混ざってしまった時、全部を笑って隠すようにしていたから。

 だから多分この人が今やっているのは、そういうことなのだ。照れくさくても報われて、勝ちたくても勝てなくて。進みたくても進みたくないから、立ち止まることのできる場所に来た。矛盾。どうにもならない感情。表に出していたのは「褒めてほしい」でも、それより深いところで色々なものが混ざって、その上で一言におさまったりする。その一言は、抱えているだけであらゆる感情を刺激するだろう。

 だからこそ、持ってきた。

「……いいんですよ」

 だってここには、ないまぜを受け止められる伽藍の堂があるのだから。立ち上がって、歩いて、手を伸ばして、その先は虚空ではない。そういうことを、私は。

「ゆっくり、ゆっくり」

 手櫛を通して、上から触れた。

 今日はそういう日らしかった。

 色々なことが世界にはあって、すれ違うまでもなく気づかない。気づかないふりをして目を逸らしているうちに、影の見方はわからなくなる。

 だからこの人を影に引き戻す役が必要なのかもしれないと、そんな気はした。太陽が人を焼かないと誰が決めていないから、たまには日陰に入らないといけない。

 肉のない指の一本一本で、僅かに暖かくてさらさらとしたトップロードさんの髪の毛を感じながら、私の今日が今始まる。午後でも、前の今日から何日経っていても、今だ。今、始まった。そう思った。あなたはどうだろうか。そうも思った。

 空は綺麗な曇り空だった。心地いい。なんであれ空は好きなのかもしれない。そうなると私は昔と案外変わらない。そうではないはずなのだが。

 事実を並べてみると、差異よりも同一性が目につくもの。だとして事実が正しいとは限らない。だから私には信じるものがない。つまるところ、考えても考えなくても無駄な生き物だ。

「……ありがと、う、ございま」

「無理に喋らない」

 ただ、この人は私に委ねているらしい。少なくとも今は。人気者のくせに、私に。私は周りの人を置いていったはずなのに、その先で新しい人に出会う。だから私は多分進歩している。前に歩いている。それを証明してくれるのが、トップロードさん。

 それだけのことかもしれない。名前のつけられない一人と一人に、関係性の意味合いはついていく。この人の髪の毛を手で遊ばせながら、涙の音を聞きながら、そうも思った。

「やっぱり」

 嘆息して、

「雨は嫌いじゃないですね」

 私の言葉の内面は、私からはよく見えない。だから嘘か本当かはあなたが決めていい。私の言う雨の意味も。

「なんで今」

「さあ」

 理由はない。あったとして、別に伝えるつもりのないことだ。私たちはお互いを知らない。正確には、当たり前のお互いを知らない。ここにいる姿だけを見て、ここにいるあなただけで判断する。

 そして当たり前は今の私だけがノイズなのだから、自己認識さえ例外ではない。自分も自分を知らない。今の私だけを見て、他人のように判断する。俯瞰する。

「で、あなたは何が言いたいんですか」

 だから、すっとそう言えた。私はこの場にいる私をこう思う。ならばあなたはどうか、と。あなたは自分のことを、どう見つめたのかと。芯のついた声で言った。達成感としての結論ではなく、泣き腫らした恨みつらみの根源が聞きたい。そう聞いた。私が聞くのは、あくまでこの保健室に来る理由だ。

「何が言いたくて、今日は来たんですか」

 あなたは伽藍堂ではないと、私はよく知っている。

 気づけば、手のひらの下の頭蓋が動いていた。こちらを向いていた。目が合った。

「目、合わせていいですか」

 そう言われた。

 近かった。

 途方もなく、近かった。

 

 

 ああ、どうしてこうなったのだろう。走って、走って、休みに来て、休む前に泣いて、触れられて、どうにも。どうにもならない。言いたいことがあった気もするのに、本当にどうにも。今の私はどうにもならなくて、何かを頼んだ。眠れないみたいに立ち上がれない。から、一緒に起きていたかった、ような。

 目を合わせていた。ずっとずっと、瞳を瞳で追いかけた。私は何が面白くてこんなことをやっているのであろうか、そう問う間もなく時間は過ぎていく。わからない。ただ、今からわかるようになるのだ。あなたの助けを借りて。あなたが助けてくれて。一人と一人の関係は、こうして二人になっていく。いつか、名前もついていく。

「逃げないでくださいよ」

 返事はない。しかし視線は外される。なんだかそれがおかしくて、また追う。時間が過ぎる。それなのに、視界の色は変わらない。涙はずっと流れたまま。濁りが潤いに変わっても、視界と世界は変わらない。

「私は」

 吐息は多分当たっていて、

「雨、好きですよ」

 あなたの瞳の雨雲をかき消さなかった。それでいい。とにかくいい。私が弱くて弱くてどうにもならないなら、この人は柱になるかもしれない。不意に浮かぶそういう考えは取り留めがないと言えた。他にも寄りかかるとか、わからないな、とか、それでもいいか、とか、投げやりになりつつ。ずっとあなたから目を離したくはなかった。なんとなく自分でも自分がわからなかったけど、

 つまりは甘えていたと思う。

 ちゃんと眠気もあった。保健室は寝るところだからだ。今日は眠かった。雰囲気というものがあるなら、眠くなる雰囲気があったのだ。それでも目を開いていたから、目が合っていた。今日は目が合っていた。今日は眠くて、目を合わせたい。

 そしてスカイちゃんも眠くて、目を逸らさない。逃さなかったのか逃げられなかったのかはどちらでもいい。視界の速さはそのまま生きる速さみたいなものだから、あまり動かないならそれでもいい。ゆっくりしていたい。

 とにかく現状に満足していた。潤んだ瞳が晴れそうになっても、雨雲が覆い隠してくれる。ずっと泣いていられる。そんな感じだ。

「いつまでこうしてるんですか」

「あはは」

 珍しく私が笑った。素直に笑った。よく笑う人だと言われていたのに、ここではあまり笑っていなかったから。目を逸らさないで笑った。

 あなたの顔に当たった声の反響が近さを覚えさせて、ぞくりとした。こんなにも。こんなにも、と。思考は欠け落ちていくように、移ろいでいく。

 乾いているものをみんないいものだと言って、湿り気は日干しにして殺してしまう。晴れがみんな好きだ。だけど私は雨も好きだ。好きになりたい。惨めにならずに泣くことって、そんなにおかしくないはずだ。悔し涙でもなんでもなくて、落ち着いていくための雨。難しいことを洗い流してくれる、涙雨。

 雲が生んでくれる、雨。日陰を作ってやればひんやりと冷たくていい。雲があれば休むところができる。太陽だって、雲のかかっているうちは一息つける。だから涙を止めたくなくて、見ていた。

「何って、運命ですよ」

 暗いところを見つめていた。

「ロマンチックな理由、憧れてたんです」

 止まらないように止まっていた。

「なんとなく、いつもと違って、運命だって思ったんです」

 意味はなくてよかった。

「知らない自分、見つけたいじゃないですか」

 多分今までで一番、あなたの近くにいた。

 運命の雨。

 なんとなくだから、今泣いているのも運命だ。

 

 

 知らない自分、と言われた。それは私を鏡にして見つけるものらしい、とわかる。つまり、私を見つめて。

 私が何もしなくても、私を見つめているうちにやりたいことはわかるということ。教えないように冷たいように振る舞って、なお涼むために誰かがいるということ。太陽と雨雲は相容れないだろうに。そういうことではないのだと言っていた。

「私は」

 ……私も、だった。

 慰めているようで、慰めているだけじゃなくて、振り返って向き合って、何かが遠くて、それは嫌で、近くて嬉しい。

 嬉しい。何のためにかはわからなくても、頑張りたかった。嬉しいから。立ち止まっているフリをしてきたから、本当に立ち止まるのは嫌だった。

 誤魔化しでもあった。理由や理屈はあとからついてきて、経験則も主観入り。本当のところは、なんでもよかった。なんでもいいから、動いていたかった。

 肯定でも否定でも。自由みたいに受容してほしくなかった。ありのままではないものをありのままにしたくなかった。すべき、したい、するな、したくない、それだけ。今は何もない。

 今の自分は知らない自分だ。何を見つけてあなたが生きようとするのか、わからない。私の中に鏡を見つけて、それは壊れていないだろうか。あなたを壊さないだろうか。不安だと思う。そういう不安はある。そういう不安だけがあった。だから、

「私は、何もないですよ」

 真実であるはずのことを述べて、終わりにした。遠ざけたい。口ごもって、浮かばないから、何もない。知らない自分とやらの手がかりはない。そのままだ。何もない。受け止めるための伽藍堂に、伽藍堂自身の何かはない。私からあなたを見て受け取るものはないはず。なら曖昧な距離でいい。

 不思議なものだとも思う。何かを見つけようとするあなたの瞳が、好奇や希望に光っていない。もがいているようにも思えた。あなたのことは何でもわかった。私には何もないのに。

「何もないですか」

「そうですね」

 それでいい。何もなくていい。一人と一人のままでいい。共通の話題をたまに持ち寄るくらいでいい。双方の一方通行でいい。そうしてほしい。そうすべきだ。違う二つが一致している。なら、世界は素晴らしい。

「……というか、私の話なんですけど」

 それでも、

「私にした話は私も関わる話ですよ」

 私も、話し続けていた。

「それはそうですけど、そうじゃなくて」

 陽だまりより、吐息が熱い。

「ただ、私は」

 呼吸が聞こえる。

「スカイちゃんと、何かになりたいんです」

 言葉は、お互いに向けられている。

 そういうことらしかった。けれど、どうにもならないと思った。なのに瞳は瞳とぶつかっている。まだ離れない、雨が目の前にある。嫌いじゃない。離れないだけじゃなくて、離せない。

 私はあなたのなんなんだ、と思う。離れない、離せない、それじゃあくっついてしまう。あまりいいことではない。私はそんなにいいものではない。名前のない関係性だから、私はこれを肯定していたのに。

 だけど、あなたは言うのだ。

「知らない自分、ここだけの私。何となく、そんなのがある気がして。それって、」

「私の有無」

「……はい。保健室は、スカイちゃんのいるところです」

 なるほど。この人はつまり、あんな泣き方をしたことがなかったのだ。極まって、安らいで、吐き出して、流してしまうような、台無しを肯定する泣き方を。その理由が私。私の前では、だめになる。

「それはよくないですね」

 可哀想だろう。それは人に寄りかかって出すものじゃない。いつかの私のように、一人で内側に叫んだ方がいい。見えたとして見ないふりをしてもらうものだ。ましてやこんなふうに近くでなんて。そう思うのに、逃がしてはくれない。

 私も逃げていない。何かを喜んでいた。見下ろすのではなく見守る形で、今更。本当に今更。理性か堕落が、私の経験則をどうでもいいと言う。手を伸ばす理由はなかった。振り解く理由も。とにかく、なるようになるだけだ。

「いいんですよ」

 よくない、と言った上辺は、いいのだ、と内面の肯定で閉じた。会話は閉じた。丁寧に、しっかり、二人だけの時空に蓋をして。二人のものを作った。

 私の言葉を否定することが、私を肯定することになるらしい。論理倫理は複雑だ。許容であり拒絶である。どうでもいいからどうにもならない。自由に投げ出された逸れものは信念がないといけない、そんな話。

 そんな中に、あなたと会った。誰も彼もを捨て去って、宝箱の中に入れたのに、あなたもまた許さない。世界の何もかもから逃げたいのに、最後にあなたから逃げることだけはどうしても許されない。そういう人に会った。

 しつこい日差しだ。私を焼く。

 逃げるのを諦めるまで捕まえられる。そのくせ一緒に落ちていく。多分どこでも明るいけれど、私の前では夕陽のようになる。落日のようになる。地平に影を伸ばし、影の先までたどり着くような、暗い暗い光になる。私と二人だと。

 ずっと眺めていられない、光だ。

 嫌だな。

 ああ、嫌だ。

「まあ」

 この人をこうしたのも嫌だ。

 嫌だ、嫌だ、嫌なのに──。

「寝ましょうよ」

 だから、

 ぽふん、と。

 誤魔化すように、あなたのベッドに押しかかった。倒れるように。巻き込むように。

 これでいい。本当に、せめて、ここまでで。

 二人ぶんの重みが、一人ぶんの寝床にのしかかった。覆い被さるように。腕をついて見つめたままだった。身体の下には私より大きな身体があった。まだ瞳が綺麗だった。完全に影を作ってやっても綺麗だったから、

「ね」

 ごろりとその横に転がって、ようやく視線を外して。そろそろ眠かったのだ。ここは眠る場所。休む場所。閉じる場所。だからとにかく、私は目を閉じたい。今すぐあなたを感じていても構わないから。それでもいい。それとも、それがいいのか。

 雪崩れ込むように、同じベッドの空いた場所を奪った。天井を見上げて、見えなくなった。それでも声は届くから、小さく虚空に呟いた。私が完全に一人にならないように、あなたの望みを叶えていた。

「おやすみなさい」

「はい、おやすみなさい」

 わざわざ宣言して、しっかり拾われた。互いの脚だけをベットから投げ出して、身体は雑に本来の角度と90ズレていて。多分同時に目をつぶった。何かを一致させてみた。どうでもいいことだった。それでも心地よいのなら、よかったのだと思う。

 私はどうだっただろうか。役割があるのだろうか。何かなのだろうか。何者かになってしまったのだろうか。問いかけて、問いかけて、無能の私は答えない。答えは出るはずがなくて、そのぶん未練と後悔になる。きっと。

 私がまだまともなら違ったかもしれない。諦めそうになって、だからそこで思考を止めた。諦める前に考えなければ、永遠に諦めることはない。頑張らなきゃいけない。止まるわけにはいかない。だから、だから生き続ける。

 生きるために途方もないものに向き合い続けている。

 やっぱりあなたは近かった。そのせいでまだ立ち止まりきらなかった。とにかく、この人がいて、私は進むような気がしていた。進むのだからいい。思考していなくても、感覚だけでも、安らぐのだから、動くに決まっている。

 安心していたのだ。

 だから、よく眠れた。

 初めて、二人で眠っていた。

 

 

 難しいことは難しい。簡単なことは簡単だ。だから休んでいる時は、難しいことを考えられない。安らいでいる。楽をできている。故に安樂。眠気に酔う。進んでいても止まっていても、どちらもいっせーのでやってくれる。スカイちゃんと私は、一致しているように見えてくれる。

 安樂に心酔することを、安心と云う。

 だから、よく眠れた。

 泣いた隙間に、少しずつあなたから貰っていく。

 この夜、二人になった。

 




星向い

 星が見える。眠らなければ寮からでも見える。夜眠らなくなったのはもちろん最近だ。星も詳しくないからわからない。ただ、星には手が届かないとは、わかる。逆も然りだとも。
 私たちが走って、何かになって、走って、誰かは落ちていって、それでも走る人はいて、お互いは結局離れ離れになる。そう思ってもおかしくはないと思う。こうにもなると、誰にでもあり得る感覚だ。要は変に星に例えなくても、疎遠になるきっかけはどこにでも転がっているということなのだけれど。
 隣のベッドを見ると、ローレルさんが眠っていた。今日も帰ってきた時、一日のことを聞かれた。何をしたのか、何があったのか、どれも何も毎日変わらないはずなのに。トップロードさんのことは言わないのに、誰かを見つけたことまで察していた。いつまでもいつまでも、私が嫌がる寸前まで引き留めてくれる。
 だから嫌になれない。見捨てたって嫌わないだろうけど、見捨てていいものを見捨てない人たちを嫌いになれるわけがない。あの子も、あの子も、あの子も。
 誰も嫌いじゃない。自分を責めるのも間違っている。ただ、今が結果というだけだ。報われるとか諦めるとかではなくて、絶対値として今はダメだ。今という、結果は、ダメだ。
 ゴールはどこにあるのだろう。
 目標も失敗もないまま、未来は光に満ちていく。ああ、それはどれほど、
 浮かばないから、一番怖い。
 星より遠いと思った。

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