【完結】たそがれより世紀末まで〜98×99三強カップリングがイチャイチャしたりするかもしれないしドロドロするかもしれないしの幻覚話〜   作:春華ゆが

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セイウンスカイとナリタトップロードの惑星

ゴールデンウィークだった。日付がひたすらに進んで、無為ではないけど立ち止まる日々。それが続いて、今日から長期休暇。平たく言えば学校は休みだ。私のようなサボり魔については、年中休みのようなものであるということも含めて。

 長期休暇に合わせて、保健室での宿泊届けを出した。そっちの方がゆっくりできる、とかなんとか言って、私はやっぱり保健室にいた。もちろん、他には学校に誰もいない。保健の先生もほとんど休みらしい。この学校ではそれでも問題が起こらない。私も不良としては可愛いもので、一人にしても安心安全。

 だから今、一人だった。ベッドに横たわりカーテンを見つめて、閉じた空間を心地よいと。そう思う。そう思うためにここにいた。

 当たり前のように、あなたはいなかった。そういう日もよくあるから(というかやっぱり来る日の方が頻度は低い)、大丈夫だと思っていたんだ。

「……ああ」

 何かに向けて、声をかけた。虚空に届かない。ふらふらと、どうしても、私は私を見つめられない。だから一人でいい。そう思った。上手くいかないから、これでいいと思ったのだ。

 なのにどこかで求めてしまう気がした。

 断ち切りたかった。

 自分の息だけ聞こえて、

 寂しかった。

 多分そう思っていたけれど、気の迷いということにした。思わないふりを自分にした。

 自分はよく嘘を吐く。私はなんでも言ってしまえる。私自身への言葉にも。どれにも重さが載っていないから。

 

 

 だから開口一番、私はこう言った。

「なんで来たんですか」

 するとこう返ってきた。

「休みだからです」

 やれやれ、と思った。仕様のない人だ、と。保健室には私とトップロードさん以外誰もいない。けれどもっと言えば、私以外誰もいないはずだった。平然と、私はそう言ってのけた。私だけが当たり前で、二人なんて考えられないと。至極当然、もう一人追加されただけで大事件。

 だって、

「せっかくのゴールデンウィークなのに」

 ゴールデンウィーク。連休。休みの連続。すなわち、私にとってはいつもと何も変わらない日々なのだけれど、つまり他のみんなにとっての特別な日々。日常ではない時間。それならいつもと違っていい。あなただって例外ではない。私はそうではないというだけで。

 まあ私にとっても変化はあって、いつもより静かになって、いつもより寂しくなるかもしれない。はは。そのつもりだったのに。

 普通はトレーニングか寮だ。誰も校内に来る必要がない。あなたが来る必要もない。来るわけがない。そう思っていたから、なんで、と。

 真面目を着飾ったようなこの人とは、すれ違うことすらないだろうと思っていたのだけど。なんで、ここにいるんだろう。なのに、なのに。なんで。問いかけて、どうしてと聞いてしまって、だから、

「私も、しばらく休むことにしたんです」

 その答えを、聞いてしまった。誠実と純朴が、浅ましさに浸かる音がした気がした。

 私のせいだ、と。

 そういう答えに聞こえた。

 正気の沙汰ではない。そうだろう。軽く、平坦に、理性を保っているかのように言ったって、あなたがどうしたって。

「……それのどこが、ここに来る理由に」

「なりませんね」

「ほら」

「でも、いいじゃないですか」

 とん、とん、とん。反対側のベッドで足を揺らしながら、言葉を弾ませていた。軽くて、軽くて、何も乗っていないみたい。驚くし、呆れるし、怖がる。私はそういう反応をしようとして、上手くできない。あなたもそれをよしとする。無重力の関係は、ここまでやっても名前がつかない。私が被せた何もかもが、やっぱりあなたにとっても何にもなっていない気がして、

 どうしても私も喜んでいるような気がして。

「外泊届け、出してきましたよ」

 笑っていた。悪い顔をしていた。

 こんな顔ができるように、

 こんな顔をさせてしまった。

「まあ」

 いいか。

 いいんだ。

 一寸何かに捕まって、また自由になる。自由とは内臓がないことを言う。自由の刑だ。なんでもいい、何もない。人は、普通は生きられなくても生きている。生きる理由がないなら、楽しみがないなら、見つければいいだけだから。これが悪いとかこれはいいとかは、自分の自由で決めていい。自分自身で決めるしかない。私たちが自分をわからないつもりでも、決めることができてしまったなら、その選択を歪ませる権利はどこにもない。あってはならない。

 そういうもので、私にできることは特にない。私たちはお互いを縛らないから、何かを掠め取り合うくらい。私が何も影響を与えない方がいいというのも、結局私の欲求でしかない。あなたは自由だ。私が自由でなくてはならないように。

 だから、あなたが私のそばを選んだことは、

「それがトップロードさんのしたいことなら」

 贖うものでもないし、喜ぶことでもあってはいけない。全部自業自得だから。うまくいってもダメになっても、あなたと私のせいじゃない。

 そばにいることを選んだのではなく、二人とも保健室を選んだだけ。そのはずだ。二人の時空でも、一緒の場所でも、とにかく私たちは一方通行を二つのはず。ここまで私が追い詰められたような気がして、あなたを追い詰めたような気もした。

 逃げる人影、背負う責任、そういうものから解き放たれる。選ぶのは自由だけれど、選ぶタイミングを誘発してしまうのは、鏡合わせの相手だった。

 ああ、それでも、自由だ。

「何をしましょうか」

「お泊まりですからね」

「何も持ってませんが」

「じゃあ、寝ましょうか」

 いつも通りだ。よかった。そう思った。そう思ったことにも、何ら意味はない。これ以上考えないようにする。説き伏せるようで嫌だから、これでおしまい。寝床に入って、相手の方を見る。あちらがこちらを見ないうちに。ベッドの間のカーテンは、いつから閉めなくなっただろうか。

 そう思ったから、今日は閉めた。

 何も変わらない。何も言われない。あなたの「寝ようか」は、一緒じゃなくても良さそうだ。そういうことでいい。なんだかそういうのがいい。そうであってほしい。どれでもいい。本当に。あなたが来るとは思っていなかったから、心が混ざり合っていた。私の本音は、今の私は、どこにいるんだろう。消え去るべき私は何を考えて、取り戻すべき私はどれを思い浮かべたのだろう。

 寝付けなかった。

 静かなのが一人みたいだった。

 

 

 そうして、夕陽が沈む時に目を覚ました。トップロードさんはまだ寝ていた。まだ。ずっと寝ているわけだ。いつもは寝ていて今日は起きない、そんな調整ができるらしい。何が不安なのだろう。順調なのに私は不安だ。人間関係が円滑であることか、私なんかに付きまとうことか、あるいはそもそも何もうまくいっていないのか。

 事実を並べればサボりが増えているくらいなのに、得体の知れない不安がある。経験則が頭から抜けていく。尊んでいない感覚しか頼れなくなる。藁にもすがる。

 要は、目標がない。私もそれくらいのことは怖いのかもしれない。そう思った。とりあえずそう結論づけて、窓の外に意識を放り投げた。やっぱり落日の色は、あなたの瞳と同じだった。

 日差しが無くなるのを見届けるのは一人だった。いつもと同じなのに、それも不安だ。横の人が起きていないことが不安だ。多分。そうだとしたらよくないな、と思う。私に限ってあってはならない。

 今の私は人を頼れないから今の私だ。だから誰にも迷惑をかけきらない。いつか治る、いつか戻る、いつか消える。そういう病だから、その間に関係を作ってはいけない。名前のないままで。いなくなっても大丈夫なように。そうだと、そのはずだと。思い込もうとしたのは何度目だろうか。これも自由だから、生き苦しい。

 一人じゃない方法を取れるようになると、一人が不幸なことに見えてくる。でもそうじゃないと言い続けてきたわけだし、実際ずっとそうじゃなかった。誰かを頼ることはあるとして、自分でなんとかしたい時だってある。それでいいじゃないか。また、言い聞かせる。

 それでもなんだか今は不安だった。どうしても。理屈がわからない。理由がない。ただ、あなたが起きるのを待ってしまう。わからない。わからないけれど、それが今の私だ。正しいのかもわからないから、判断はできない。不思議なものだ。本当に。

 目が覚めてからずっとそういう焦燥感があった。起きなければよかった、そう思うくらい。

「……ああ、おはようございます」

 だから、その声で、心底ホッとした。

 ああ、と。

 私は一人じゃない。

 ついに、そう過ぎった。

「おはようございます」

 何もなかったように返事をして、

「よく寝てましたね」

 つい、待っていたと、先に起きていたと、告げてしまった。

「昼寝と思ったんですが、がっつりでしたね」

 心境の変化、というものだろうか。今までで一番よく寝ていた。ゆっくりと。安らかに。いつか語った安心が、深まっていく。

 休養に入ると決めて、トップロードさんは変わったということが、当たり前のようにわかるだろう。端的に言えば割り切り。諦めとは言いたくないだろう。今は休む、そうあなたは決めた。休むのだからしっかりと、そんな些細な変化があった。迷わなくなった。

 そういうふうに前向きに捉えてやる。私はあなたの鏡だからだ。今のあなたを、弱いあなたを、ここに存在させる楔だからだ。

「思い切りが良くなったんですね」

 でも、

 本当にそれが新しいあなたかなんて、私にはわからない。

 元からそういう人だったのだろうと、つい先日までがおかしかったのだろうと、そんな気もするのだ。私は彼女のことを何も知らない。だけど知らないなりに、ここのあなたは知っている。それと違うものになっていることはわかる。それは変化か、消え去るのか、止まり切らないのか、わからない。やっぱりわからない。ただ、立ち止まりを前向きに捉えるのは眩しくて、

 ああ、

 そんなのが嫌なのか。

 深く考えないようにしたかった。トップロードさんはちゃんと返事をしてくれる。投げかけたものに応じたことを返してくれる。誰にでも分け隔てなく。そういう人だと、聞いたことがある。

 今のあなたと、「本当の」あなたが、一致していく。

「そういうもの、かもですね」

「いいことが起きたと思っておくんですよ」

「休養を、ですか」

「自分の努力でしょう」

 たしなめて、おしなべて。なんでも変わりはないと、あなたを通して私に説き伏せる。あなたに何かを見ていても、私に何かを見られていても、何事も最後にやるのは自分だ。決めるのは自分だ。誰に背中を押されても、私がやると言わなければできない。私が永遠に足踏みするように。それが自由だ。この世界の苦しさだ。運ばれていかない美しさだ。なんでもいい。

 自由だから、私たちが担う自分自身の決断というものを、自尊にする人もいれば、重荷にする人もいるだろう。どちらにせよ事実としてあるのは、どれほど行動を促されて押されて縛られても、選ぶのは私だという事実だ。全部を振り切ることだって、思ったより難しくないのだろう。

 だって、

 あなたは、すんなりと、立ち止まって休んでいたのに、私と同じところにいたのに、

 進み始めた。

 ふと、そういう話が漏れて。

「トップロードさんは、後悔していませんか?」

 おもむろに、私が吐き出した。

 問いかけるように、話し相手を連れ込んだ。ベッドの反対側には、夕陽を受けるあなたがいる。

「……まだ、わかりませんね。どうあれ、しばらく走れなくなって。忘れた頃に悔しくなるかも」

「嘘吐き。まるで今は悔しくないみたいな」

「むう。それでも後悔してるかと言われたら、違うと思いますけど。こう、後悔よりも前向きが多い感じ」

「悔しくはあるけれど、引きずる悔いではないと」

 そう来なくては、と思う。思ってやった。遠くにいればいるほどいい。その方がいいに決まっている。やっぱりあなたは笑っていた。私だって笑いたいのに。いいことだと。

 私の鏡なんてない方がいい。

 そうだ、そうだ、そうに決まっている。

「走るのを、勝つのを一旦諦めた、そう言うこともできると思います」

「はい」

「でも、私はそう思いませんから」

 自認が大事だ。自認がすべてだ。行動を決めるのは、私自身なのだから。自由だから。そういうことを重ねたように、私とあなたで感覚を重ね合わせるように、応答は肯定と同意で為されていた。こんなにも薄暗い空間なのに。

 私の心が置いていかれるように、あなたの心は進んでいく。進んで、進んで、光の中に向かう。ゴールへ。消え去るところへ。病気の役目は、休む時間は、正気じゃない自分は、前向きになれば捨て去られる。

 それは同時に、鏡の役割も必要なくなることを、意味していた。

 一人で回復する。要らなくなる。旅立つ。「今の私」は、置いていかれる。たとえどれほどあとで私に関わろうとしても、怪物の思考は怪物にしかなぞれない。魔法が解けて人間に戻ったあなたは、そんなものは捨てていい。

 いかなきゃ。

 先があるから、あなたは行かなきゃいけない。

「なんでしょうね、そういうの」

 だからつい言葉に詰まった。

「……スカイちゃんは、どうですか?」

 当たり前のように問われた。

「あはは。私はあれです、古い鏡を見ているようなものですよ」

「えーと、つまり」

「私のようにはならないようにってことですよ」

 あまりにもわかりやすい自罰だった。

 古い鏡。昔の私。そんな言葉ばかりがどんどん湧いてきて、自分が追い詰められていると今更のように気づく。こういう時、私がするのはどんなものだったか。昔の私というものは捨て去ったとして、使えなくなったからなのか、とか。今の私は、じゃあ、使えなくならないのか、とか。

 どうにも今日は後ろ向きだ。いつも崩れかけではあるけれど、特に気分が沈んでいる。わからない。でも、止まらない。あなたが進むのを見て、追い立てられているのか。

 あるいは、だった。私と同じように前向きに休む。そう見えたのだ。昔の私は、前向きに休むことを選んだから。そして、取り返しがつかなくなったから。こうなったから。今の私のような人間になりかけているなら、止めるべきだ。正気を取り戻すべきだ。

 だって「私」になってしまえば、元に戻ることを怖がってしまうんだから。

「……む」

 ……トップロードさんは、ちゃんと私のおかしさを見ていたらしい。じろっと見て、少し目つきが鋭くて、身震いしそうになって、どうにも身体が重くて。

 そう、身体が重かった。

「体温計持ってきますね」

 だから、不意をつかれた気がした。その言葉に、やることに。もう予想はできないし、自分で自分を決められている、とも。

 悪いことばかり考える理由は、やはり病気ではあったみたいだけど。

「たいおんけい」

「さっきからずっと見てましたけど、顔色悪いですもん」

 そう言って、立ち上がった。眩しい人の歩き方だった。ぼんやり、さらにぼんやり。曖昧だ。私は多分、考える余裕がなかった。多分もう少し冷静であれば、自分で自分をわかっただろうけれど。体調不良も認知できないくらいよっぽど体調が悪いか、あるいは心が病み切っているか。

 なんにせよ、ひどい状態らしい。だからトップロードさんはこう言う。

「脇、開けてください」

 任せてください、と。

 差し出された体温計を、言われるがままに腕の隙間に入れる。入れてもらう、というべきか、入れさせられた、というべきか。ともあれ私がやったことではない。つまるところ選択権はなく、こういうものをままならないという。自由なのに上手く行かない。つまり自由ではない。病気だ。私のことだ。私自身が病気のようなものだ。

 本当に悪い思考が止まらない。

『38.9℃』

 あっという間に結果は出た。

「熱ですね」

「何を他人事みたいに言ってるんですか」

「いや、自分じゃなんとも気づかなくて」

「それは逆によっぽどですよ!」

 体調不良。まあ私の平熱は(ウマ娘としては)低めなので、これでもそれなりの熱症状だ。頭が回らず気持ちが落ち着かず、寝ても寝ても苦しいとは、つまり根本的な体調の問題。病は気から、気は病から、だ。それでいい。もうそれでいいや。なんであれ、今の私は正気じゃないということで。向き合ってやる価値のないということで、

「とりあえず、ゆっくり休んでください。保健の先生も呼んできて、薬もらってきますし」

 なら、私の鏡は必要ない。

 保健室は急にまともな病人の居場所になり、保健医登場の運びとなった。わざわざ休みなのに呼んできたらしい。私たちの時空を崩すことに、あなたはなんの躊躇いもなかったようだった。こうなると閉じた空間などは嘘っぱちで、ここも世界の一部にある。逃げられない。

 ……みたいな思考は全部、体調のせいにしてしまおう。

 体調が悪いのなら、気分が悪くなっても仕方ない。悪様でいい、悪者でいい、病気でいい。労わられて当然。いつものように正当化しようとするから、本当の病気も私をなぞるように痛かった。どこまで落ちてもちゃんと治ると、命綱がついた気がした。

 けれど、ほっとした。

 当たり前のようにほっとした。

 一人で待つ時間じゃないからだった。

 世界が閉じていないことに、私がほっとしていた。不思議だ。もうほとんど考えられないから、何もかもわからないし、不思議だ。熱っぽい。

 薬をもらって、しばらくするとお粥が出てきた。トップロードさんが作ったらしい。当たり前みたいにそう言って、差し出してくれた。

「これはどうも」

「いえ、困った時はお互い様ですから」

 そういう問題だろうか。フィフティフィフティというには、恩は売られてばかりだが。バランスを取って、いいことをして、仕方ない理由で休んで。そういう時の方が生きているようだ。私も含めて。私は今のあなたの鏡だから、今のあなたに引きずられるのだろうか。そうであったなら、病気の私たちは二人で完治する。消えてなくなる。それもいいか。なんでもいい。救われたいのか救われなきゃいけないのか、よくわからない。本当に落ち込んでいる。

 早く治さなければなるまいと、それはわかった。

「あちっ」

 こともあろうに自分が猫舌なのを忘れていた。だから痛みがあった。また生きているようだ。一つ一つ確認する。生命感を逐一感じる。本当に不安は大きい。安全と安心を確かめるほど、だ。安樂はそこにはないはずだから。

「冷ましておきましょうか」

「それより先に寝てしまいそうですね」

「それならラップをかけておきますし。私はよく昼寝しましたから」

「妙に優しい。今日のトップロードさんは」

「そういう今日のスカイちゃんは、なんだかわがままですね」

 そうらしかった。自覚はないが、今はなんでもいい。息が苦しい。でも喉は大丈夫だ。病床に伏せると、感情と理屈が混濁する。捨てたいものと捨てなきゃいけないものの区別がつかなくなる。

 だから、

「トップロードさんは、本当に後悔してないですか?」

 縋り方を間違えてもいい。

 自分のおかしさに身を委ねて、私からあなたに甘えていた。守ってほしい、置いていかないでほしい、一緒に狂って一緒に消え去りたい。病気の私は、そう言っている。頭が少し冴えたぶん、明確な気持ちが一つ心の中にあった。

 私とあなたは、本当に合わせ鏡で、一緒なのかと。

 だって古い鏡のような気もしたから。だって私より未来のような気もしたから。どちらにせよ、私と違う人。色々な不安は根拠がないけれど、どうしてもどうしても聞きたいのだ。

 多分、耐えてくれる。傷つけるような問いであっても。そんな嫌がらせのような信頼が、私のほつれを思い出させた。思い出させたのだ。昔の私と今の私の間にある、本当に苦しんでいた自由のない私のことを。

 普通から病気への過渡期が、私にはあった。

「それは、えっと」

 ずっとあった。

「……いや、」

 本当に、調子が悪い。

「また今度で」

 ……なら、あなたにもあるのだろうか?

 今と昔が混ざり合った状態を、進んでいると言う。

 

 

 スカイちゃんは、少し体調が落ち着いたようだった。ただ、そのぶん言いたいことがあるみたいだった。そのぶん、だ。それを無理に押さないのも、ちょっと正気になったからだろう、と思った。心身ともに落ち着いたから、今目の前で安らかに眠っている。

 弱気になったぶん。弱気から戻ったぶん。正気の反対は弱気で、その間に私たちはいるのかもしれない、と思う。どこかでバランスを崩したら、あっという間に落ち込んでしまう。

 そして、ずっと落ち込んでいた。立ち止まっていた。この保健室で。二人の時空で。バランスを崩して弱気になっていたから、私たちは一緒にいた。そして、そのおかげで吐き出せた。けれど吐き出してしまえば、私たちは正気に戻っていく。正気と弱気の間にいるのかもしれない、そういうことだ。私は少しずつ、正気に戻っている。

 だから、それなら、休みを終える時が来る。休むとしっかり決めたなら、絶対に休みの終わりが来る。この保健室という閉じた場所から、立ち上がってそれぞれの場所に行く。

 つまり、私たちは離れ離れになっていく。弱気の時しか、一緒にいないから。

 相手を見失わないために。自分を見失わないために。お互いをお互いの鏡にするみたいに、互いを確かめるために互いがいる。だから自分で確かめられるなら、私たちの居場所はそれぞれに戻る。

 つまり、

「いいですよ」

 あなたも、戻れる。

「スカイちゃんの話、聞きましょうか」

 見返りがある。釣り合いが取れている。冷たい関係になっても成立する仕組みを作っている。だからここには、仄暗い熱がこもっている。

「……はい。明日」

「はい。明日、ですね」

 私が、あなたのそばにいよう。

 互いの軌道がかけ離れないから、私たちは惑えていた。

 「おやすみなさい」

 すとん、と、あなたは眠りに落ちた。

 

 

 いい朝だ。気持ちのいい朝だ。今日は十月三十一日、爽やかな秋空が私たちを見守る日。

「まあ、今日も頑張りますか!」

 天皇賞、秋。当日だ。

 青い空と白い雲、青雲は群青を貫いている。瞳を開けて窓を開けよ。冷たい風は切るものだ。多分、そんな感じ。意気揚々と口上もどきを並べてみて、結局一言「頑張りますか」。まあ、それが私だ。何を考え何を企み、そういうものは語らない。自由に、気ままに、大胆不敵に笑っていたい。

 ポーカーフェイス。スマイルメイク。トリックスター。同期のライバル達と鎬を削って得た私というものは、場を支配するが故に道化である、と。定義した。たどり着いた。その先を目指した。

 そんな志が、

「……嫌だな」

 ──「今の私」と、あまりにも遠い。

 どんな悪夢より、私が見たくない夢がある。覚えていられない悪夢より、実在しない悪夢より、暗く救いのない悪夢より、救いようがあったはずだから嫌になる。

 昔の私という、現実だ。

 目を覚ました時、頬を伝う雫があった。

「……大丈夫、じゃないですよね」

 けれど、あなたがそばにいる。

 今は。

 今はあなたがそばにいるから、

「おはようございます、トップロードさん」

「おはようございます、スカイちゃん」

 吐き出せる、はずだ。

 それまでどうか、置いていかないで。




終着は遠く



「はい、これで手続きは終わりだよ」
「ありがとうございます」
「毎回律儀に礼を言うの、スカイちゃんのいいところだね」
 そんなところを褒められて、前はそうではなかったはずだ、と思ったが、実際どうだったか。昔の私と今の私の差は感じるけれど、具体的なことは思い出せない。ほとんど別人だ。どちらにもなれる時は、信じがたい苦しみに身を包んでいる間だけ。
 とはいえこうしてローレルさんに保健室での宿泊願いの諸々を頼む時は、ちゃんと礼を言う人だったかもしれない。ローレルさんはその一瞬だけ笑って、私の瞳に目を合わせた。また。雲を掴むように。
 掴めないとわかっていても、まだ。
「諦めないんですね」
「諦めないから私がいるんだよ」
「……みんなそうなんですかね、ああ見えて」
 あの子もあの子も、私を待っている。不器用で、不真面目で、そういうものが全部なくなったあとに残る、本当の私を。そう思って、一つ疑問が湧いた。
 本当の私とは、昔の私のことを指すのだろうか、と。
 本性はなんだろうか。性根は腐っていないだろうか。外面を整えるのがうまい人種に、内面の良さを期待できるのか。今の私だってみんなを悪様に捉えようとして、うまくいかないのは事実だが。だからといって、今の私は悪い。昔の私は悪くない。そのはずなのに、
「……今の私に、いいところを見つけるんですね」
「いつ何があるかわからないんだよ」
 そうローレルさんが言った。
「スカイちゃんが諦めない理由も、そこにある」
 そんなことも言った。
 私は諦めていないらしい。終わっていないらしい。たどり着いていないらしい。そうらしい。わからない。いつも通り、わからない。わからないけれど、わかる方法はある。
 ああ、
 早く未来がほしい。
 昔の私の先でも、今の私の先でも、結論があるといい。間に挟まれている時が、一番苦しいから。
 だから切り替える。今の私、に。
「……もう少し、待っててください」
 多分その言葉は、絞り出したのではなく、
「うん」
 本音が漏れたのだ。
「いってらっしゃい」
 いってきます。行かなきゃ。
 少なくとも、今はあなたに選ばれている。
 今の私を、終着させよう。

あなたのイチオシの幻覚症状は?

  • アヤスペ
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