【完結】たそがれより世紀末まで〜98×99三強カップリングがイチャイチャしたりするかもしれないしドロドロするかもしれないしの幻覚話〜   作:春華ゆが

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次回最終回


セイウンスカイとナリタトップロードの回歴

 朝を迎えて、昼を待って。レース当日というものは、数分のためにその日一日を使う。もちろんそれより前の時間もたくさん使っているけれど、当日が一番長く感じる。平たく言えば緊張だし、格好つければ武者震い。待ち切れないから、長い。

 それはつまりいいことだ。飛び出すように走り切れるなら、きっといい日に違いない。待つだけのことはある、というわけだ。

 いいことだ。走ることは、生きることは、今日までの私は、良い。それは胸を張って言えるだろう。これまで走って得た経験則。勝っても負けても、嬉しくても悔しくても。私たちは確かに、人生の一部を積み上げている。

「若かったんですね。なんでもできる気がしてたんです」

 朝から、一つ、そういう話をしていた。私の万能感の話。昔の私の話。今の私からは遠くて、眩しい話。あれは万能感と言い捨てていいものだった。

 もちろん悪いことじゃない。ただ、根拠がない。気分がいいとか、楽しいとか、感情は根拠にならない。頑張っているだけ。昔の私は、当たり前のように今より子供だ。

「子供だったんだ」

 勝った負けたで結果が出ているつもりになって、じゃあ何が成されているんだ、どういう人物ができあがったんだ、私はなんなんだ。人生というものを積み上げているつもりで、人生の全体像は何一つ浮かんでいない。そういうことは、一つも考えていなかった。

「目的があっても、目標がなかったんですよ」

 遠くを見つめて、やっぱり遠かった。

 トップロードさんを突き刺すような話になっていることは、もちろんわかっていた。今の私は、やることがない。今のあなたに遠ざかってほしくないから縋っている、そういうのももちろんあるだろう。だけど多分なにより、こうなってほしくなかった。今と昔の間がこれだ。あの時の心底不気味な感覚だ。昔を置いて今になった時に感じたなら、今を捨てて昔に戻る時にも感じるだろう。下に落ちていくのと、後ろ向きに進むのと。

 どちらも悪いことじゃない。やっぱり。今の私たちは今の私たちの世界がある。

「だけど、だけど。こうはなりたくないじゃないですか。どっちにもなれない時が、諦められないままが、一番辛い」

 あの一年間を諦めずに過ごしたから、私はそう思うのだ。

 諦められるきっかけを見つけてしまった。届かないと気づいたのが、あの日だ。届かない。空に届かない。私が憧れていたものが見えて、私じゃ無理だとわかった日。あんなに綺麗な空は、私が汚れても綺麗なまま。

 成長して、将来が見えてきて、だから現実も見えた。未来は必ずしも光っていない。昔より今がいいと限らないように。でも昔の方に戻ろうとするのは、とてもとても大変だ。

 それでも走るのだと、そう思い切れれば違ったのかもしれないけれど。心が理由でできなかったことは、私にとっては確実に不可能なことなのだ。心臓が否定したものを動かすことはできない。血が流れない。血が足りない。

「ダメですね、うまく言えなくて。でも気持ちがダメだったらダメなんです。今の私って、何もかも見えない。昔は遠くにあったけれど、今は遠くまで見えるのに、見えない。全部終わっちゃったみたいに」

 ……まあとにかく、青かった。長回ししても言語化しきれないから、今も苦しんでいる。答えを出し切れないでいる。届かない。見えていなかったから幸せだった。

 ──レース前だ。

「一番人気セイウンスカイ、なかなかゲートに入りません」

 嫌だ。

 「走る前に、急に全部嫌になった」

 本当に急に、感覚に理屈はない。ゲート入りの直前、「ライバル」と言葉を交わしたあと。ターフを目の前にして、勝負服の裾を握りしめた。雲が落ちていかないように、立ち止まっていた。ただ、その時狭間に落ちた。昔のように無邪気でも、今のように果ててもいない。割り切れない状態に、なった。一番苦しかった。だから戻りたくないのかもしれない。またあれを通りたくないから。

 だからトップロードさんに戻ろうとしてほしくないというのも、あった。私を置いていくとして、苦しんでほしくはなかったから。それはそうだった。置いていかないでほしいエゴイズムと、苦しんでほしくないオルトルイズム。混じり合った願望は、この世で一番強欲だ。

 今一番望むのは、私の話を聞いてくれること。

「急に、ですか」

「理由はわかりませんよ? なんとなく、嫌になった。全部。ふいに。そういうことって、別に珍しくないんじゃないですか」

 そう言うと、トップロードさんは返事をしなかった。続きを促していたのだ。私が吐いて、吐いて、底の底まで溜まった泥を、泥に塗れた大切なものを見つけるための儀式を、ただ。

 急に嫌になったのだ。走ることとか、頑張ることとか、努力そのものじゃなくて、それによって得られるものが、手元に置くには眩しすぎた。遠くがよかった。価値観がそう変わった。本当に、急に。

 でも、理由のない感情で前向きになっていたのだから、理由のない不安感がそれを上書きした、あるいはそれに変質したって、おかしくはなかった。今ならそう思うけれど、今でも結論は出ない。わからない。どちらにせよ根拠はないし、どちらにせよ怖い。ただその日のその瞬間から、

「私、ダメで」

 ──言葉にならないものが、言葉になろうとしている。私の本音、私の軸。何ができなくなったのか。なんで、何が。

「……ごめん、なさいっ……その」

 謝ってでも、喋り続けていたくて。

「聞いてて」

 あなたに、聞いていてほしい。

「はい」

 答えはあった。

 ちゃんと返事はできないけど、それほど大丈夫じゃないけれど。

「どうしても何か足りない。本当に、怖いんです」

 ボロボロだからこそ、全部吐き出せる。

 

 

「私は怖い。怖いです。何がって、何もかも。この世の中全部、世界丸ごと、みたいな。おかしなことを言っているとは思います。おかしいですよね。おかしい。わかってる、わかってるのに、そんなの。だけど止まらない。怖いから。起きるのが怖い。何もないのが怖い。時間が過ぎていくのが怖い。太陽でさえ動いてた。当たり前だって、当たり前が怖い。だから全部怖い。怖い。怖いんだ。今の私と何も合わないみたいで。今の私は前の私と違う。昔の、昔のちゃんとした私がいて、それがみんなほしい。待ってる。だから私は消えなきゃ、変わらなきゃいけない。頑張れてた頃に、嬉しかった頃に、笑えてた頃に。時々思っちゃう。なんでみんな笑えるんだろう、私も笑ってるんだろう、釣られてるんじゃないか、実は何も楽しくないんじゃないか、私といるのだって。今の私だもん。今の私のどこにもいいところがなくて、元気だった昔の私が好きだからそのためにいるんだ。優しくしてる。今の私と昔の私が同じだって信じてる。なのに私はそうは思えない。元に戻るとか、成長するとか、一度落ち込んでるとか、そういうのじゃない。別人みたいに昔の記憶がなるから、思うから、感じるから。根拠だ。気持ち悪いのが根拠だ、眩しいのが根拠だ。今と昔は違うんだ、違うんだよ。接し方を変えるべきなんだよ、みんな。どうしてもどうしても怖いし、みんなも怖い。それも嫌だ。優しいのに、優しくしてくれるのに、怖い。全部怖いよやっぱり。みんなを裏切るのだって怖い。だから嘘を吐くみたいで、それも嫌だ。私はありのままがいい。ありのままって何かわからないけど、今のありのままが、誰かにそのまま見てほしいし、そこで一旦落ち着きたい。とにかく嫌なんだ、今の私がやってしまってることが嫌なんだ。何より、何よりもだって私はもう変わったんだからそんな前みたいになんてどうしていつもいつもいつもそんなふうに思っちゃう自分自身のことが、あの日の、天皇賞のあの日に、潰れちゃったから、それはつまり、」

 わからないことを、わからないまま喋った。絶え絶えで、喚いて、もみくちゃで。魂ごと吐き出すように、怖い、違う、嫌だ、否定を重ねる。でも否定したいものは、自分の丸きり全部じゃない。みんなが大切にしてくれる自分と、これが自分だと感じる自分が、違うこと。多分、何より、

「あの日、走るのが、何より怖くなったんです」

 それが、私の根幹になっていた。そこから生まれた方向性に、私は人生を繋いでいる。「走るのが怖い」。そのままの意味でもあるし、もっと比喩的な意味でもある。

「頑張るとか、笑うとか、嬉しいとか、そういうのが、怖い」

 それが、過去と今の違いだ。走ること。精一杯であること。気持ちを前向きに動かすこと。進むこと。積み重ねること。そういうのは素晴らしいはずなのに、怖い。それが一番出るのが走ることだから、怖い。なんとか、なんとか一言にした。私の怖いもの。今の私の怖いもの。置いていかれるのも、私は怖くて走れないから。

 走ることにどれほどの感動があったと思ってもも、世界のすべてがそこにあったと壮大そうに思い返しても。全部過去形。全部今は感じない。感情は理屈ではなかったから、上書きされてしまえば取り戻すこともできない。走ることが楽しかった時の気持ちも。

「……でも、もう一回頑張ろうと思ったんですけどね」

 バカなことを、と自嘲気味に。それを自嘲してしまえるのも、私が昔と変わったしるし。ゲート入り前で突然様子がおかしくなった私は、そのまま五着で天皇賞を終える。そしてしばらく休めとトレーナーさんに言われて休むわけだけれど、これまた運悪く脚を痛める。

 そこから一年。一年間、「休養」が始まった。

「もう一回、もう一回。また、って。今度こそ、って。時間が経つにつれて、昔みたいに、に変わりました。昔と今は違うって。だんだんそればかり思うようになりました」

 休養だ。引退ではない。まだ、まだ、また。それを選んだのは私だ。一人になっても、誰もいなくても、私は走ろうとした。走るのが怖くても、だ。それは、狭間の私を選ぶことだった。一度墜落したのに、もう一度。痛くて痛くてたまらない道のりを、足を引きずって蠢いていた。それでよかったと、あの時は思っていた。まだ、自由が枷じゃなかった。

 あの頃のような私を、取り戻したいと思えていた。負けたままでは、いられないから。獰猛な、貪欲な、ただの負けず嫌い。それだけで、一年間を費やせた。自分自身を心に焚べて、そのために休んだ。今のトップロードさんのように。

「……だから、古い鏡と」

「はい。そのあとの結果はわかっているじゃないですか。……これだとトップロードさんが私みたいになるって言ってるみたいで、嫌ですね」

「いいですよ。菊花賞ウマ娘の先輩と一緒だなんて、光栄です」

「……やだなあ、ほんと」

 最初に出会った時、この人はちゃんと私を知っていたのを思い出した。レースの戦績として、トゥインクル・シリーズの先輩世代として。遠く遠くの彼方から、「昔の私」を知っていたわけだ。

 そしてその功績は、走った結果は、「今の私」も持っている。今と昔の共通点。私が私であると、限りなく示すもの。セイウンスカイというウマ娘が、世界に足跡を残したこと、だ。

 そんなことを、不意に言うものだから。

「知ってたんじゃないですか、私のこと」

「最初からそう言ってます」

「や、そういう意味ではなくてですね」

「一緒に走ったじゃないですか」

「あの情けない走りも、記録に残っていますね」

「それでも、スカイちゃんは走っていました」

 どんなにみっともなくても、頑張っていたらしい。

「別に将来のことを考えるなら、引退したって良かったんです。同期はみんな次のことを考えてました。頑張った次、成果を出した次。……私が成果を上げてないなんて、そんなことはなかったと思うんですけどね」

 トゥインクル・シリーズを引退すれば、私たちには所謂セカンドキャリアが待っている。将来のことだ。学業を頑張って仕事に就いたり、もちろん大学とか、特別目指すならドリームリーグとか。私以外は色々なところにそれぞれ歩みを進めていて、私だけがまだだった。

 それでも私は、雌伏の時を選んだのだ。勝てないからじゃなくて、走りたいからじゃなくて、どんな前向きでも後ろ向きでもない理由で、私は走ろうとした。

 立ち止まったのだ。

 過去は、昔は、過ぎ去らないでと。

 昔と今の狭間で苦しむことを、それでも選んだ。

「私はあの頃が好きだったから」

 それだけだ。過去の私のことを、私自身のことを、私は愛していたのだ。もちろん最初、入学した頃は違った。でも、人に恵まれ、変わっていって、努力をして、悔しいことを悔しいと言える、私に。あれが、私だと。そこからさらに「成長」して今だなんて、絶対に嫌だ。

 「今の私」が嫌いなのは、私の意思なんだ。

 眩しくならないよう、掴んでいたかった。

「……春の天皇賞、そんなに覚えていますか」

 結果はブービー。惨敗だ。走り始めた時、昔のように走れると錯覚した。追いつけないものがあるなんて、やっぱり見えなくなった。再び、もう一度。過去に縋った。

 だけど周りは様変わりしていた。見たくないものから目を逸らして、途中でそれはいけないと目を向けて、どうしてもどうしても周りが遠くて、だけど走っているうちの青い空だけは変わらなかった。走る光景は変わらない。なのに感じるものは変わっている。私は変わったのだと思った。変わってしまったのだと。

「覚えています。頑張っていた」

「頑張ってるだけですよ」

「……それでも、頑張ったんですよ」

 ほとんど言い聞かせるだけのような問答だった。それでも。ああ、そうだ。そうだとも。それでも。

 それでも、走った。相変わらず理屈はない。ただ、私の感じるものは変わっていた。あの場所に戻った時。昔に戻った。完全じゃないけれど、狭間から登り始めていた。

 だけど。

「そこまでやって。そこまでやっておいて、走り終わったら元に戻ったんです。怖かった私に。昔の私は遠くて。なんで走ったんだ、なんでこのために一年使ったんだ、って」

 トップロードさんも負けたとして、私ほどじゃない。私の方がひどい。私の方が惨めだ。今も、そう思った。最低の発想だろう。不幸自慢だ、みっともない、やりたくない。でも、でも。

「頑張ったって、また落ちるなら。なら、ならなら……やりたくないじゃないですか。やりたいなんて、思わないじゃないですか。なんで、なんでそんなふうに思わなきゃいけないんですか。頑張ったことを、誇らないといけないんですか」

 次のためにまた頑張らなきゃいけない、頑張ろうと言ったから。頑張るのが、みんなの好きな私だから。

 また、溢れ出す。

「私のことをみんな心配してくれるんですよ。でも、みんな昔の私に戻ってほしいんです。自分の知ってる私に。何事もなく走って、思わせぶりに笑って、楽しそうにしている私に、戻ってほしい」

 堰を切る。

「悔しがれって。笑えって。それが素直だって。そうじゃなきゃおかしいって。何も思わない、何も嬉しくない、そんなの私じゃないって。じゃあ今の私は誰なんだ、今頑張ってる私は誰なんだ」

 一線を越えて、誰かに当たり散らす。

「みんなそう思ってる。私の中の私を見て、今の私はそぶりだって。そりゃそんなふうにいつも振る舞ってた私も悪いけど、今はこれが私だよ」

 要領を得なくても、吐き出して、

「……どうして、正気じゃないといけないんですかね」

 多分、そういうことだった。がくりとうなだれて、最後が漏れた。

 まともじゃないと自覚することは、辛い。

 

 

 私はずっと押し黙っていた。聞き入っていた、と言えるのかもしれない。初めて聞いた、スカイちゃんの爆発だ。

 私もそう思っていた、と気づいた。彼女の言うように、別の彼女を見ようとしていた。「彼女を知りたい」そう思ったのは、私の前で見せていないものがたくさんあると思っていたからだ。保健室のスカイちゃんは、彼女の一部に過ぎないと。

「……逆だったんですね」

「何が、ですか」

「色々と」

 逆だった。私は彼女のことを知ろうとして、うまくいかないように思っていた。でも、そんなことはなかった。こうして逃げて、避けて、なんでもない距離感を保ちたいあなたが、あなたのことを、今のあなたのことを、私は日々深めていた。

 逆だった。遠く遠く、届かないともがいていたのは、過去を追いかけていたのは、私だと思っていた。その姿は、誰にでも言えることだった。むしろ私は、あなたほど様変わりしていないし、あなたほど一人で頑張っていない。

「スカイちゃんは、私を追いかけていた」

 自分の二の舞になってほしくなかったんだ。

 そう言うと、スカイちゃんはバツが悪そうに、

「そうですね、多分」

 概ね肯定した。多分、くらいでいい。きっぱりとした本心がなくても、確固たる自信がなくても、彼女は思ったことを素直に言っている。私の前では。この場所では。二人きりでは。

「でも、それなら」

 それなら、私から言えることがある。朝の中で、話し込むうちに時間が過ぎて、今日も終わるのかもしれない。二人で朝を迎えて、だんだんと頭が冴えてくる。ならば、

「……私から言いたいことを言ってもいいですか!」

 朝は元気に。私は、そういう私だ。

「いいですよ」

「そんな投げやりじゃなくて、しっかり受け止めてください。私は怒ってますから」

「まあ、怒られるようなことは言ったかも」

「それでちゃんとしっかり聞いて、引っ張られてください」

 引っ張ろう、と言った。私は、あなたを、引っ張る。立ち止まるための関係が、変わっていく。名前のつかない関係だから、まだ固まっていないから、変わっていい。人それぞれみたいに。

 息を吸う。吐く。胸と腹を使って。

「大仰」

「こういうものなんですよ、私って」

 うん。そうなんだ。そうなんですよ、スカイちゃん。

 私の「私らしさ」に、着いてきて。

 保健室という時空は、立ち止まるための場所だった。ここでだけ流れる時間と、ここにしかない空間。私たち。ここにしかいない、今の私たち。いつか私が自分をわからなくなったみたいに、スカイちゃんも自分をわからない。古い鏡と言われたけれど、その実私たちは昔を取り戻すために進むのだから、古くても何もおかしくない。ただ、

「私は、何度でも立ち上がりますから」

 あなたの不安を払拭するのに、鏡の丈夫さは欠かせないだろう。それを証明するから、私の旅立ちを見ていてほしい。立ち止まる時空から解き放たれても、大丈夫なように。

 長い、儚い、会話が始まった。

 二人だった。

「私は、休養を選びました。多分、スカイちゃんに似た理由で。ちゃんと走るために。元のように。でも、それって何もおかしくないと思うんです」

「そうですか?」

「はい。だって、それも努力じゃないですか。よくある努力。いい状態、いい体調、いい気分。そういうのを、ちゃんと持ってくる。私はそのために立ち止まることが怖かったんですけど、確かに今でも苦手ですけど。でも、うまく立ち止まれたんです」

 言うまでもなく、あなたのおかげだ。低迷すること、焦ること、そういうことを経験した、あなた。先輩。昔を取り戻すということを、私より先にやっている。私が追いかけられている間、眩しいと思われている間、

「私は、スカイちゃんに手を伸ばした」

 私も、あなたを追いかけていたのだと、思う。

「……そうですか」

「……頑張ったじゃないですか」

 だって。

「だって。だって、私たち、頑張ったじゃないですか!」

 だって、と、叫べ。

「頑張って、頑張って、休むのだって、みんなの期待に応えたくて、自分も納得いかなくて、それでも取り戻すために」

 私は、あなたは、私たちは。

「今! 私たちが! 頑張ってるんじゃないですか!」

 「今」、頑張っている。

 病床に伏せる病人は、回復のために全身全霊を尽くす。今の自分はダメだと自覚してても、うまくいかないしうまくできないとわかっていても、それでも頑張るからまた立ち上がれるようになる。保健室から、出ていける。

 そういうことを言った。そういうことが、多分ずっと言いたかった。私は、あなたと、ここでずっと立ち止まりたいんじゃない。

「走っていたスカイちゃんが、また見たい」

 何がなんでも、そう言った。

 スカイちゃんは押し黙っていた。少し威勢が良すぎたかもしれない。考えてみれば体調を崩しているのに。ただ、伝わったとは思う。根拠はない。なんとなく。なんとなく、私の気持ちは届いたと、思う。

「……治っちゃったら、別の自分にならないですかね。今の私が頑張ったことって誰も覚えてなくて、いなくなって清々する。元気な時が別人みたいに思うのと同じで、元気じゃない時は別人になったりしませんか」

「そうですね。誰も見ていなかったら、そうかもしれません」

「じゃあ、私って」

 確かに、別人と言えるかもしれない。正気じゃない、病んでいる。後ろ向きだと、後ろ向きな考えになる。その時くよくよしたことって、あとで思い出になればいい方で、大体「なんて無駄な時間を」とか、そうなる。

 でも、それだって頑張りだったんだ。立ち止まること、休むこと、それも頑張り。スカイちゃん、あなたが教えてくれたことだよ。

「だから、私は忘れませんよ」

 私は「今」、あなたと出逢ったのだから。

 出逢った時の相手のことなんて、絶対に忘れるはずがない。

 そう、言った。

 ……ああ。

 すっとした。

 全部、全部、多分お互いの全部、吐いた。もちろん答えは出ない。わからないまま。これからも立ち止まる。いつか終わりが来るとして、まだ来ない。まだ。まだ、一緒の時空にいる。

「……寝ませんか?」

 だから、私からそう誘って、

「一緒に」

 さも当然みたいに、ベッドの半分を開けてみた。ぎぃ、と、重心が崩れる音がした。

 あなたが収まらないと崩れたままだ。

「朝ですよねまだ。しかも私、体調不良ですよ」

「風邪じゃないと思います」

「狭いのは嫌いですが」

「閉じ込めるわけじゃないですよ」

「寝苦しくないですか?」

「スカイちゃん、そういうタイプじゃないので」

「私の何を知ってるのやら」

「寝相は知ってますよ」

「……強情」

「ふふ。私の勝ちですね」

 そういうことで、収まった。背中側から寄りかかって、目を合わせるのは流石に恥ずかしかったようだけど。

 体調不良と言われたが、むしろだからこそ一緒にいたい。あなたを近くで感じたい。体温計より、直で。熱をあなたからもらうように、私もあなたに気持ちをあげる。元気をあげる。そういうことなら、私からあなたに移してあげられるものもあるかもしれない。互いに違うものを与え合う、いつもと違う一方通行二つだ。

 私より小さい背中が私の手中にあって、この後ろ姿を抱きしめようと思えば抱きしめられるな、と思った。小さい。大切だ。大人しくしている。少し可愛らしい。色々思うけれど、穏やかだ。一緒にいてよかったな、と思う。

 なんとなく、安心するから。私はそう思うから、こうした。あなたもそうだったらいいな、と思う。少しわがまま。小さくて、大きな、私に対しての気持ちの、わがままだ。

 小さくて、薄くて、

 暖かかった。




微睡



 果てしなく、絶え間なく、私は私を追いかける夢を見る。目が覚める。また目を閉じる。眠りたいのか、夢に戻りたいのか。朝から眠れるわけがないと思っていたのに、もう眠っているのはわかった。
 あるいは過去に戻りたいと思っているのかもしれない。トップロードさんは、どうだろうか。負け続きより昔の方が良くて、走れないより走れる方がいいのだろうか。
 そう考えていたのに、全部話すとは思わなかった。だからこれは過去の夢。現実の夢。私がさっき一番見たくなかった夢と同じ、昔の夢。
 それを上書きしてくれている。
 一緒に寝たら、流石にあなたの夢を見た。
 追いかける先にいたのは、トップロードさんだった。
 今の彼女が休養を取るからこそ、今一緒のベッドで寝てさえいる。再び走るため。そして、今はゆっくりと休むため。昔と今、どちらも同じらしい。病人は病気と共に消え去るなんて、そんなことはない。病室で出会った人とは再会するらしい。私がここでもがいていたのを見ていて、覚えてくれているらしい。
 そうしたいからだと。そしてもしかしたら、私にもそうしてほしいのだと。
 あなたは私を覚えている。私はあなたを覚えている。
 忘れないことで、今と昔は、
 二人の間でだけ、繋がるようになる。
 どちらにせよ、あなたのためだったら、それが一番いい。この休息が、あなたのため。
 たとえば私と一緒の時間を過ごすためだったとしても、あなたのためかもしれないと、思った。
 嫌な想像にも思えて、玉虫色の夢想にも思えた。非現実な妄想の可能性ももちろんある。朧げなものは判断がつかない。
 でも確かに、あなたは私を大切にする。私も、あなたを大切にする。
 そうだとしても、あなたのためだったら、と思う。
 欲張りな献身があった。
 夢の中で、望みは一番大きく出る。夢の中でしか、覚えていない。
 けれど夢うつつなら、起きていても覚えていたりするものだ。
 微睡むのが、幸せだった。

あなたのイチオシの幻覚症状は?

  • アヤスペ
  • キンオペ
  • セイトプ
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