戦争の終結。
それが叶ってから4ヶ月の時が経とうとしていた。
オーブの本島、ヤラファスにある空港にその日1人の女性が到着する。
ショートに切り揃えられた黒髪。紫陽の色合いを見せる瞳と、凛々しい顔付き。
女性としては高い部類である身長に、スラリとした肢体。
スーツ姿がいかにも似合う彼女の名はナタル・バジルール。
嘗ては地球連合の将官であった。
「ナタル、こっちよ」
彼女を呼ぶ声。
聞こえる声へと目を向ければ嘗ての上官、マリュー・ラミアスの姿。
「お久しぶりです、ラミアス艦長」
「ちょっと、やめて頂戴。もう私は艦長なんかじゃないし、貴方も副長じゃないのよ」
「そう、でしたね……失礼しました。それでは何と」
「気軽に、名前で呼んで頂戴」
「それでは、マリュー……改めて、お久しぶりです」
どこかぎこちない呼び方にマリューは笑う。
懐かしいやり取りだった。アークエンジェルで共に過ごした日々を、想起させる。
「えぇ、久しぶりね。元気だった?」
「おかげさまで。退役するのに、時間はかかってしまいましたが」
「私と違って、正規の手続きですものね」
途中で地球軍を離反したマリューとは違い、ナタルはドミニオンの艦長として終戦を迎え、ようやく退役軍人となった。
時間がかかってしまうのも、世界の情勢を考えれば仕方あるまい。
地球軍も、プラントも、組織体系はボロボロになっているのだ。
それほどまでに、戦争の爪痕は大きかった。
「マリューは、どうするのですか?」
「私はまぁ……ね。今の連合であればそう心配することもないのでしょうけど、一応名前は変えてるわ」
敵前逃亡は重罪──時効はない。
出るところに出れば、マリュー・ラミアスは罪に問われるだろう。
「──ですが、ミュラー准将のお陰か、ブルーコスモスに傾倒していた者達も排斥され、今の連合はかなり風通しの良い組織になっているかと思います。それでも、無罪放免とはいかないかもしれませんが」
「良いのよもう。私も、連合に戻る気はないしね」
再会の挨拶もそこそこに2人は空港を出ると、マリューが用意していた車に乗り込んでオーブの街へと出て行った。
「それにしても、聞いたわよ。フレイさんがユーラシア連邦で事務次官になるんですって?」
「気が早いです。まだまだ学ぶことも多く、今はミュラー准将の子飼いみたいな状態で広報官に就く予定です」
「映えるものね、あの子は。融和政策を訴えるって?」
「本人は望むところと言う感じだそうです。相当、あの戦火を目の当たりにしたのが効いたのでしょう」
「強い子だわ。私なんか、もうこりごりなのに」
確かな意志を以て、世界と平和を見据える。
出会ったばかりの頃からは想像もつかない少女の成長ぶりに、マリューもナタルも小さく笑みを浮かべた。
「戦火と言えば、オーブの復興は如何なのですか?」
ふむ、と小さく息をついて、マリューは口を開いた。
「順調……というか、恐るべき速度で復興しているわね」
「それは、何よりですが……恐るべき?」
「えぇ。オノゴロだけだったことも幸いだったし、あの侵攻作戦で、軍事施設の無いオーブ本島をも狙った大西洋連邦は大きく問題とされてね。賠償と復興支援を余儀なくされたもの」
「何とも、耳が痛い話ですね……」
「あなたは居なかったんでしょ?」
「それは……そうですが」
「プラントから核ミサイルを防いでくれた大恩と言う事で、プラントからの支援も篤いわ。こっちは恐らく、ラクスさんからの口添えもあるでしょうけどね」
車はオーブ市街から海岸線を走る道へと変わっていった。
窓の外に見える海を眺めながら、ナタルはオーブに漂う平和の気配を感じ取る。
同時に、これから向かう先の事を考えて、真剣な面持ちとなった。
「────彼は、如何ですか?」
小さく。しかし鋭い声で告げられた問いに、マリューは小さくため息をついた。
再会の喜びもそこそこに切り出される、彼女にとっての本題。
「良くは、無いわね……取り繕ってはいる。オーブの復興の為に、頑張ってもいる。
知らない者からすれば、己の責務を必死で全うしているようにしか見えないわ」
誰の事なのかは言わずとも互いに理解していた。
「でも、本質は違うわ。必死に忘れ去ろうとしている。考えない様にしている。
喪ったことを──守れなかったことを」
「聞き及んではいます。もう一人の妹さんが、とは……」
ナタルの言葉に、マリューは小さくうなずいた。
「サヤさんに、オーブの戦役では御父上を2人、共に亡くしてしまった。
戦いを終えて、オーブへと帰還したところで────何もないオノゴロを見て。喪った事を理解して、糸が切れてしまった様なの」
「──今は?」
「キサカさん達の計らいで、仕事から離れて、キラ君やラクスさん達と一緒に休んでるわ……子供たちと一緒に過ごせば、少しは楽になれるんじゃないかって」
マリューの言葉に、ナタルは静かに目を伏せた。
胸が痛くなる──これが、自分達が引き起こした戦いの結果だと思うと。
大切な人の心に、決して癒える事のない傷を残してしまった。
後悔が覚えるには十分な責が、ナタルにもあった。
「正直、敵対してしまった身としては、会いにくいですね」
「何言ってるのよ。誰も気にしないわよ────軍務であった。それだけですもの」
「しかし──」
「それに、貴女を呼んだ理由くらい、わかるでしょ」
試すようなマリューの声音。
ナタルは少しだけ顔を顰める。言いたいことは理解できる。
だが、マリューの話を聞けば聞くほど、それがどれほど難しいかと理解できてくる。
「彼の、支えになれと?」
「そのために来たんでしょ?」
「それはそのつもりでしたが……私なんかで」
「貴女までそんな事でどうするのよ。あの時の彼の言葉、聞こえてなかったわけではないんでしょう?」
「それはそうですが、その……やはり不安で」
「ナタル、背中を蹴られたくなかったらシャンとしなさい。鬼の副長の名が泣くわ」
「なっ、マリューその名前!」
「言っておくけど、私が出所じゃないわよ」
「ですが────いえ、恐れると言うのは、確かに私らしくありませんね」
背筋を正し、ナタルは車が向かう先を見据えた。
海岸沿いにあるコテージ。
そこに、キラ・ヤマトとラクス・クライン──そして、タケル・アマノが住んでいた。
夕日が、オーブの海を染める。
無邪気な声音が、海岸に響いていた。
幼い子供たちが砂浜を忙しなく駆け回り、2人の少年と1人の少女が、そんな子供たちを見守っている。
「やー! 捕まえた!!」
「わーい、タケルが鬼だー!」
砂浜に転ばされた小柄な少年が、小さく笑う。
その頬は少しだけ痩せこけていた。
「あはは、掴まっちゃったか。それじゃ、10数えたら……いく……よ……」
声が途切れていく。
少年は、砂浜の先から向かってくる、1人の女性を見止めて、息を呑んだ。
数メートルの間を取って、女性は少年と向き合った。
「──皆さん、鬼はキラに変わりましたよ。さぁ、お逃げくださいな」
「わーい!」
動きを止めた少年に気を利かせる少女の声が妙に良く聞こえた。
少年は夕日に染まる海岸で、ずっと待ち望んでいた再会を果たしていた。
「びっくりしたな……いつ、こちらへ?」
「今日、先刻だ。退役するのに時間がかかってしまってな。もう少し早く来たかったのだが……遅くなってすまなかった」
「いえ……こうしてまた会えて、本当に良かったです」
酷い顔であった。
もはや、まっすぐとナタルを見つめることすら、少年は出来なかった。
本当なら、もっと再会を喜んで良いはずなのに。
彼女を見ると戦いを思い出す。それが嫌で、再会を心待ちにしていたはずの彼女の顔が見れなかった。
「また、辛そうな顔をしているな」
「何言ってるんですか。さっきまであの子達と笑って遊んでいましたよ?」
「無理をするな。顔に出ていなくても、君が泣いてる事なんて、声でわかる」
ナタルの言葉に、少年は驚きの顔を見せ、次いで静かに俯いた。
「酷いな……ずっと抑えて我慢していたって言うのに」
声はすぐに、涙を湛え始めていた。
「皆がそれを知っていた。ただ、誰もそれを言わなかった──できなかった。
君がそうして、悲しみを湛えたまま笑おうとするから」
やせ細った身体。
悪夢にうなされ、食事すらまともに取れてないと一目でわかる。
嘗て砂漠で見た時よりよほどひどい有様にナタルは思えた。
「だったら、そのまま……笑ったままでいさせてくださいよ」
小さく呟かれた声は、もう隠しきれない涙を湛えていた。
ナタルは、それを静かに聞き入る。
「もう、喪った悲しみで泣くのは嫌なんですよ。もう、泣いて思い出したくないんですよ。守れなかった自分に憎しみを向けるのは……もう疲れたんですよ。
────笑ったままで、いさせてくださいよ」
どれだけ自身を殺そうと思ったのだろうか。
どれだけ自分を憎んだのだろうか。
疲れ切って、枯れはてて、命を感じない声であった。
その余りにも見るに堪えない……聞くに堪えない彼の言葉に、知らずナタルの瞳にも涙が浮かび、身体は彼を胸に掻き抱くべく動いていた。
夕日で引き延ばされた、2つの影が重なった。
「泣けばいい。泣いてくれればいい────君が見せたがらない泣き顔は、私がまた隠してやるから」
壊れモノを扱う様に、ナタルは少年を抱きしめた。
「ナタル……さん」
胸の内で涙に震える少年の何と頼りない事か──何と小さい事か。
この身で必死に世界を守る為に戦い、その身に必死に世界を背負って、そうして守り切れなかったとして、誰が責めると言うのか。
ナタルはそれを伝える様に、必死に、だが壊れない様に、少年を抱きしめる腕に力を込めた。
「私は、君が泣いてくれる方がずっと嬉しい。そうして泣いて、立ち上がって、また笑顔で前を向いてくれる君がみたい────私は、そんな君の笑顔が好きなのだ」
少年は目を見開いた。
奇しくもそれは、喪われたはずの言葉であった。
心の奥底に封じた言葉を引き出され、少年の胸を喪った悲しみが埋める。
しかし同時に、最も温かい言葉となって、少年の心に熱を帯びさせていく。
「だから、泣いてくれタケル。今度はずっと傍に居る。
君が泣くのを止めるまで。君が前を向ける様になるまで。私がずっと傍に居る。
そして前を向けたら、その時は────共に笑顔になろう」
胸に灯る温かい熱が、それであることは。
ずっと以前から2人は知っていた。
「私は君を────愛しているのだから」
届いた言葉は、少年の心を救いあげ。
「ありがとう……ございます。僕も、ずっと貴女のことが──」
少年も、彼女の胸で泣く事を選んでいた。
「貴女のことが好きでした────ナタルさん」
取り戻せない過去を乗り越えて
涙と共に、少年は前を向いたのだった
これにて、カガリの兄様奮闘記。
完結となります。
ちょっと最後の展開には物申したい方も多いかもしれませんが、ひとまずはこれで完結です。
御読了、本当にありがとうございました。
次回にちょっと作品への後書きと、細かな主人公設定など、書き綴ろうかと思います。
また、もしよろしければ、最後まで御読了頂けた読者様。
是非、面白かったところのひとつでも感想を頂けたら、
もしよろしければ評価と共にいただけたら
作者は光栄に思います。
どうぞよろしくお願いします。
カガリの兄様奮闘記。 面白くなってきたのはどこから
-
プロローグ
-
砂漠編
-
オーブの帰国編
-
オーブの帰国(2回目)
-
オーブ戦役
-
メンデル編
-
ヤキン攻防戦