それは戻った心と共に
オーブ国内繁華街。
その日は揚々と天気も良く、気温がやや低いのを日差しが打ち消してくれる気持ちの良い日であった。
建物が密集するスクランブル交差点。
目印となる大きなショッピングモールの前にて、サングラスをかけた女性が1人。
ピシッとスーツを着込み、正にキャリアウーマンといった具合。ショートに切りそろえられた黒髪がその印象を際立たせ、どこか近寄りがたい雰囲気を醸し出していた。
彼女の名は、ナタル・バジル―ル。
代々続く軍人の家系に生まれ、先の戦争でも見事な戦果を見せてきた女傑であった。
それならばこの近寄りがたい雰囲気というのも理解できる。
スラっとした肢体。小さく綺麗に整った顔立ち。
ぱっと見はモデルでも通用しそうな彼女だというのに、道行く男共が声を掛けることは無かった。
「ごめん、ナタル。ちょっと待たせちゃったかな?」
そう、彼以外は。
道行く男たちは目を見開いた。
どことなくまだ少年の気配が抜けない男が、件の女性に物怖じせず声をかけたのだから。
見た所知り合いなのだろう。
だが、知り合いだとしても彼女にそれ程近しい距離感は、取れないのではないだろうか。
件の女性は近寄りがたいと言うかむしろ、周囲を威圧しているのではないかと言うほどヒリついた空気を纏っているのだ。
声をかけようものなら手首を捻られる。そんな気がした。
ちなみに、周囲を威圧せんばかりの雰囲気が、彼女が緊張の途にあったがために放たれていたのは内緒だ。
「いや、私が少し早く来ただけだ。さぁ、いくぞ。時間は待っては──っ!?」
「なんでサングラス何かしてるのさ。そこまで日差しは強くないよ?」
「こ、コラ!? 返せ」
「嫌だよ、せっかくのデートなのにナタルの顔がちゃんと見れないなんて」
白日の下にさらされるその素顔。
切れ長の紫陽の瞳。それが元々わかっていた彼女の印象を引き立てる。
しかも、サングラスを取られてどこか焦った感じが、先程までの印象を180度反転させて周囲の男達を魅了する。
“ギャップ萌えかよ……”
彼女は非常に強力な属性を持っていたと言って差し支えあるまい。
そしてそんな彼女の隣に居る男に嫉妬を向けつつも、彼のお陰で隠された彼女の素顔と属性が露わになったと思うと感謝の念も抱いてしまう。
男は美人の前では形無しなのだ。
「さっ、行こう。時間は待ってはくれないんでしょ?」
「だから、サングラスを返せと!」
「いーやーだ。何なら僕が付けておこうかな」
「それはやめておけ。タケルでは背伸び感が強すぎる」
「ちょっ、それは酷くないかな? こう見えてちゃんと成長してるんだよ?」
「そう言うのならその子供っぽい話し方をやめる事だ」
「ナタルの前でだけだし?」
「ここは街中だ」
「知り合いがいないなら2人きりと変わらないよ」
「随分と都合が良い目をしてるものだ」
「お褒めに預かり光栄だね」
「褒めていない!」
次々と露わにされていく、先程まで近寄りがたかったナタル・バジル―ルの素顔。
見た目の印象などまるっきり当てにならないと、周囲の男たちは胸に留め置くことにした。
さて、すでにご存じの通り、タケル・アマノとナタル・バジル―ルは本日、2人きりでのデートの日であった。
終戦後、タケルもナタルもオーブの復興に奮闘した。
先の大戦の折り、軍事施設はそのほとんどが焼かれ、市街地にも被害が多かった。
それをこの半年必死に駆け抜け、驚くべき速度で復興を果たしたのだ。
これには、プラントの最高評議会議長となったアイリーン・カナーバを筆頭とした新ザフト政権による尽力が大いに影響したと言って良いだろう。
アイリーン・カナーバ等は穏健派だったクラインの後を継ぎ、オーブの復興支援に余すことなく尽力した。
先の大戦、オーブの戦力であったクサナギやその筆頭戦力であったシロガネが核ミサイルを止めたことへの恩義もあるだろう。
支援には惜しみがなかった。
その背後にはラクス・クラインの名の影響もあった事を記しておく。
とにかく、終戦後の半年、オーブはてんやわんやの大騒ぎで復興を進めようやくある程度の活気を取り戻しつつあった。
今日はそんな復興した市街の視察兼デートと言うわけである。
視察兼デートなのか、デート兼視察なのかは本人次第だろう。
「タケル、いくら休暇替わりの視察とは言え、その恰好はどうなのだ?」
「どうって、さすがに軍服で来るわけにも行かないし……似合わないかな?」
手を広げて、己の姿を顧みるタケル。
上下赤紫のスーツ姿。どことなく、ウズミら政府高官の姿をイメージしたのだろうか。
似合わない、わけではないが、ウズミ等と比べると、やはり背伸び感が強い。
「復興したオーブ……父さんの代わりとしてね」
思うことは幾つもあるのだろう。
喪った父の事を口に出して、それでも変わらず少しはにかんで見せるタケルに、ナタルは微笑んだ。
彼女がタケルと想いを交わしてから2ヶ月。
タケルは随分と立ち直っていた。
キラやラクスと共に過ごしていた場所を離れ、タケルは破壊されていたオノゴロの住んでいた屋敷を建て直した。
そうして今は、ナタルと2人で共に暮らしている。
最初はまだ悪夢にうなされ、心身共に弱っていたタケルであったが、ずっと傍に寄り添い続けたナタルの献身と介護の甲斐もあって、徐々に以前の元気を取り戻していった。
最近はアサギやマユラ、ジュリの3人が遊びの誘いに来たりと、ナタルとしては少々不安なイベントも見られるが、概ね今のタケルは回復してきたと言えた。
「せっかく復興してきたから、父さん達にも見せたいなって」
「そうか……それならば、その背伸びした姿も一転してカッコよく見えるものだな」
「あはは、ありがと。それじゃ、いこう!」
「あっ、待て!?」
「ん? どうしたの、ナタル?」
自然と手を取って歩こうとしたところを振り解かれ、疑問符を浮かべたタケル。
そんなタケルに、あっ、とナタルは焦るもどこかはっきりとせずに口ごもった。
「あっ、その、だな……」
「ん? あっ、ごめん!?」
タケルはナタルのその様子に、数秒を掛けてその意図を理解した。
「今日のナタルは素敵だね。いつもより綺麗でカッコ良く見えるよ!」
屈託なく笑う少年の笑顔に、思わずナタルは見惚れた。
良い年した大人が、まだ少年の域をでない彼にいちいちドギマギさせられる。
と言うのも、互いに相愛となって、更には元気になってからと言うもの、タケルのナタルへの愛情表現は溢れんばかりであるのだ。
元よりカガリやサヤ……つまりは家族である身内に対しては、その親愛の情を余す事なく表に出すタケルであるが故に、今自身の想い人として傍にいるナタルに、タケルが羞恥や躊躇をするわけはない。
愛する人に対して、タケルはある意味無敵の羞恥心を持っているのだ。
「そ、そうか……ありがと、な。そう言ってもらえると、嬉しいぞ」
「うん、それで照れる姿も可愛いよね」
「こ、こら。大人をからかうな!?」
「さっ、行こう!」
さらりと握られる手。
こうして2人はオノゴロの街へと繰り出した。
繁華街。
デートとは言え視察を兼ねてる2人はまず最初に街を歩いた。
ナタルは復興された街並みを。タケルは行き交う人々を。
それぞれに眺めては、復興した事実をヒシヒシと感じていた。
「見てよナタル。皆笑顔で過ごしてくれてるよ」
「街並みも見事なものだな。よくぞここまで」
「あっ、ナタル。あそこのカフェのテラスでのんびりしながら眺めない?」
「ふむ、日和も悪くないからな。良いだろう」
「それじゃ何を飲む?」
「コーヒーで良い。ミルクだけつけてもらってくれ」
「分かったよ、席を取っておいて」
そう言って一旦別れるタケル。
良く見るとそれなりに人気の店なのかレジ周りは結構混雑しているのが見て取れた。
ナタルはテラス席でも一番通りに近いテーブルへと向かい、席を確保した。
「(なかなか、気が抜けないな。いざデートなどと考えると、妙に身構えてしまう。タケルは見事に自然体だというのに……これでは身構えている私の方が余裕がないみたいじゃないか)」
先程からどうにも対応が硬い。
どこかナタル・バジル―ルを演じているというか、タケルにだけは見せるはずの素顔が出せないでいる。
家で2人きり等となればまた別なのだが、人目がある街中ではどうしても仮面を被ってしまうのだ。
長年そう生きてきたナタルには、まだ本当の意味での公私の切り替えが難しいのである。
「おやおや、こんなところで美人さんが1人でいるなんて……待ち合わせかな。どう? その人が来るまで俺とおしゃべりでも──」
聞こえてくる声に、ナタルは小さくため息一つ。
「何をふざけている、タケル」
「いや、デートじゃこんな感じで彼女に絡む奴が出現するんだってラクスに言われたから。
でも、誰も居なかったからそれはそれでナタルが軽く見られてるみたいで面白くないしと思って……演じてみたんだけど」
購入してきたコーヒーが注がれているプラコップと、自身の分で買ったのであろうココアをテーブルへと置いて、タケルは何かおかしい? とでも言う様に首を傾げていた。
「クライン嬢は変な本の見過ぎで知識が偏っているだけだ。現実にそんな希少種と出会う事はまずない」
「あ、そうなんだ。それじゃ、安心──」
「ねぇ、そこの綺麗なお姉さん。そんなガキンチョほっといて俺達と遊ばない? 今ならお友達もたくさんついてくるぜ」
タケルの声に割って入るように。しかもあろうことかタケルを押しのけてナタルの目の前に現れるチャラけた男が一人。
ナタルは希少種の出現に目を丸くし、タケルは押しのけられたことで不意をくらったのか尻餅をついた。
「何だ貴様は。私は忙しいんだ、どこの誰ともわからない奴と話している時間などない」
「うお、気が強い感じ? でもいいね、その感じも見た目の雰囲気とあっててめっちゃ可愛いじゃん」
「言葉が通じないのか? わかり易く言ってやる、私の目の前から失せろ」
「そんな堅い事言わずにさぁ。俺のダチと一緒にイイコトしようぜって──」
無礼にも、チャラけた男はナタルに手を伸ばそうとした。怖いもの知らずにも程があると言うものだ。
瞬間的にその手を取り捻り上げようと意識を回したナタルだったが、先にその手は別の人間によって止められる。
「い、いででで!?」
「希少種居たね、ナタル」
「そのようだな。私の認識が甘かったらしい」
「やっぱりラクスは間違ってなかったんだね」
「それだけは絶対違うからな」
勿論、手を取って捻り上げたのはタケル・アマノ17歳。
初めての彼女を守るべく、意気揚々とナイト気取りであった。
「ねぇ君、ナタルに目を付けたのは凄く賢い選択だと思うよ。こんな綺麗で可愛い人滅多にいないだろうからね」
「や、やめろタケル……さすがにそれは恥ずかしい」
「おっふ」
目の前で頬を赤らめる美女、もといナタルの姿に思わず奇妙なため息をもらすチャラ男。
そんな男の様子に、タケルはご満悦の笑みを見せた。
「ね、可愛いでしょ? でも手を出すのは賢い選択とは言えないよね。ちゃんと僕がいたのが見えなかった?」
「悪いな、小さくて見えな──あががががばだば!?」
「今何か言おうとした? 小さいとか言いかけた?」
「いっでない、いっでないでず!!」
ナタルと出会ってから早1年と少し。
現在タケル・アマノの公式資料では身長は168㎝となっている。
勿論嘘だ。軍靴の底で誤魔化しているにすぎず実際の身長は165㎝である。
殊更小さいと言うほどでもない、はずなのだがトダカを筆頭にウズミやユウキと言った父親たちと比べると明らかに小さい。
そして何より同年代でオーブに居るキラやアスランと比べても小さい事が、酷くタケルの自尊心を傷つけていた。
「ふっ、安心しろタケル。タケルの魅力はその身長の低さにもあるとマリューが言っていた。意味は良くわからなかったがつまりは嘆く事ではないという事だ」
「ぎゃふん!?」
吐血────ナタルの無自覚な口撃がタケルの心を深々と抉った。
待ち合わせの時にもナタルが言っていたように、タケルは未だ子供っぽさが消えていない。
身長が伸び悩んでいる中、口調だけでも凛々しくしようとウズミを真似た所、背伸び感が強すぎるとカガリに言われて以来、タケルは等身大で生きる事を決めたが、そのせいで本格的にマリューからは子供扱いされ始めているのだ。
“フラガが居ない事への穴埋めで気が合う兄様を構っているんだ。好きにさせてやれ”
等とカガリに言われては、タケルとしても構ってくるマリューを邪険にはできない。
結果、子離れできない親の様に何かにつけてはモルゲンレーテへと顔をだしては、マリューがタケルを構っていくのだと言う。
だが、子供っぽい事を魅力と言われて喜ぶ男児がいるだろうか。いや、居ない。
ナタルのフォローは致命の一撃となり、タケルはチャラ男を制しながら座り込んで影を背負うという器用な事をやってのけるのだった。
「あー、少年。元気出せよ。後で良い整体師紹介してやろうか?」
「ぇ……整体師で身長が伸びるんですか?」
「骨格が歪んでる奴なんかはな。意外と普段の生活の中で背骨何かは歪んでたりするんだ。そのせいで成長阻害の可能性だってあるし、少年まだ成長期だろ? まだまだ可能性はあるだろうさ」
「是非! 紹介してください! 明日国防軍に来てもらえますか? 受付に言えば僕が──アイタ!?」
「公私混同をするんじゃない……全く。失礼した、これが私の連絡先だ。後程、アポを取ってくれ」
「えっ、良いんすか? 連絡先何ていきなりもらっちゃって」
「勘違いするな、仕事用だ。
だが、これで大事な夫の悩みが解決するというのなら──つ、妻としても嬉しい限りだからな」
クールな物言いの中に織り交ぜる羞恥の顔こそ至高であると、チャラ男はその時悟った。
チャラ男に対する突き放す様な言葉の中で、最後に見せた恥じらいの表情。
彼女が見せる全てが、1人の少年の為のものだとしても。この表情を見れただけで、チャラ男は本日最大の勝利を手にしたと言っても過言ではあるまい。
「さぁ、それに免じて今日は帰ってくれないか。私はタケルとの大切な時間を過ごしている」
「イェス、マム!」
ルンルン気分と言った調子でその場を去っていくチャラ男を見送り、ナタルは一息ついた。
ちなみに、ナタルが発した夫と妻の発言と、更には自身を想って連絡先を仕事用とは言え連絡先を差し出したナタルの対応に、タケル・アマノが終始ご機嫌であった事を記しておこう。
そんな一幕を終えながら、2人はしばらくその店で談笑をして、再び歩き出すのだった。
「よし、ちょっとヒヤッとしたが、良い感じじゃないか!」
「そうか? 俺にはバジルールさんがそこまで楽しんでる様には見えなかったが……l
2人から少し離れた建物にて、双眼鏡片手にタケルとナタルの2人を監視する不穏……な気配は一切ない2人組。
カガリ・ユラ・アスハとアスラン・ザラである。
ちなみにこの2人も本日は休みの日を合わせてデート中だ。
とは言っても、タケルとナタルの事を聞き及んだカガリが、敬愛する兄と義姉になるかもしれないナタルの仲を気にするのは必然。
急遽2人のデートを見守る予定となり、アスランは少しだけ面白くない気分であった。
「ナタル義姉さんは厳格な人だしな。表情はあまり豊かではないが、それでも私にはわかる。あれは間違いなく楽しめているさ」
「なんでそう言える?」
「義姉さんが楽しめてなかったら、兄様があんな顔してると思うか?」
「そりゃあまぁ……タケルだったら、想い人の機微には聡いだろうけど……」
「あんなに嬉しそうに笑う兄様、久しぶりだし……本当よかった」
「な、なぁカガリ。前にも言ったがせっかくの俺との時間なのに余りタケルの事ばかりと言うのも」
「なんだよ? 文句あるのか? 言っておくが────昨日の事、私はまだ許してないからな」
「────ごめん」
静かに、謝罪の言葉だけこぼして、アスランは押し黙った。
昨日。
それはキラやラクスと共に食事の準備をしていた時のことだ。
仕事を終えてキラ達と合流してきたカガリが、私室で動きやすい普段着へと着替えているところにノックもせずに入るアスラン。
結果、綺麗な恋人の下着姿を視界に収めたのは彼にとって幸福だったのか不幸だったのか。
もちろん両頬に手形をつけられたし、しばらくは口を聞いてもらえなかった。
そうして不機嫌をこれでもかと示してくるカガリが、本日のデート監視作戦を提案し出して、ラクスとキラもそれに便乗。ちなみに2人も別の地点で仲良く談笑でもしながら監視をしている頃だろう。
せっかくの自分達のデートを、なぜそんな事にと反論しようとしたアスランだったが、事を聞き及んだ親友から──
『今日のこと、タケルが聞いたらどうなるだろうね?』
等と聞かされた時にはもうアスランに選択肢は無かった。
「お、移動するみたいだ。行くぞ、アスラン!」
「あぁ、了解だ」
渋々と、アスランはどこか楽しげで嬉しそうなカガリの後を追うのであった。
「まぁ、本当によく笑っていますわね」
「うん、そうだね……ちょっとだけ、安心したかな」
別地点から覗く、もう1組の男女。
もちろん、キラ・ヤマトとラクス・クラインである。
こちらは良く、仲睦まじい雰囲気であった。
タケルの事を、恐らくは一番に心配していたカガリ。
だが同様に、サヤの事を守れなかったキラも、タケルがどんどんとやつれていく様にずっと遣る瀬無い想いを抱えていた。
大切な友であり、2人の関係性を捉えるなら兄弟でもある。
そんな彼が立ち直り、本当に楽しそうに笑みを浮かべている。
それが本当に、嬉しかった。
「良かったですね、キラ」
「うん。本当に……」
「私は、キラの事も心配でしたわ」
「ラクス?」
「タケルがやつれていくにつれて、キラも次第に悲しさを増していきましたから」
「それは……まぁ、そうだね。やっぱり、守ってあげられなかったから」
それが自身に課せられた役目であったのに。
及ばなかった。届かなかった。
そう思う分、タケルの辛さが自身に乗っかってきた。
「キラも、タケルも……悲しい夢が多すぎますわ」
「そう、かもね」
「だから、寄りかかってくださいな。今のタケルが愛する人に身を預けている様に。キラ、あなたも私に寄りかかってください」
「──ラクス」
静かに、キラはラクスの肩を抱き、身体ではなく心を寄せた。
ありがとう──聞こえてくる声無き感謝の言葉に、ラクスは小さく微笑むのだった。
「はぁー、楽しかった。ナタルと一緒にいると、時間なんか忘れちゃうなぁ」
夕暮れ時の海岸線。家路となる道を並んで歩く。
あの後も、市街でショッピングを楽しみ、食事を楽しみ、そうしてまた街を散策して。
戦いの傷跡の残る場所も目にして、2人は街の視察を終えた。
「こら、視察目的だったんだぞ。大っぴらに楽しかったなどと──」
「えっ、もしかしてナタルは楽しく無かったの?」
「いや、そ、そうは言っていないが……」
「別に復興した街の視察とデートは両立して良いでしょ? 僕達が楽しめなきゃ、国民の皆だって、この街で楽しく生きていけないじゃないか」
「確かに、そうかもしれないが」
「もしかして僕、1人ではしゃぎすぎちゃってたかな…………その、もしそうだったら、ごめん」
途端にしおらしくなるタケルの姿が、ナタルの罪悪感をひどく掻き立てた。
そう言うわけではない。
これまでの人生でこれ程心穏やかに、楽しい気持ちで過ごせた日は無かったし、それが目の前の想い人のお陰である事は言うまでもない。
ただ単に、視察という名目でデートをした以上、生真面目なナタルはデートよりも視察の結果を求めてしまっただけである。
「────えぇいもう、大丈夫だ! 私も楽しかったぞ。安心してくれ」
「本当っ!? 良かった……」
途端に、この少年は顔を輝かせてくるのだから、いじらしい。
だが同時に、そんな彼がナタルは愛おしいのである。
「本当に、君は私の心を掴んで離さないな」
「何言ってるの? ナタルが離さない限り、僕が離す事なんかないよ」
「そうか? 最近は彼女達とも仲が良いじゃないか?」
「えっ、もしかしてアサギ達との事を疑ってるの! この間だってただ護衛がわりに買い物に付き合わされただけで、僕達は別に何もないよ。
大体、さっきも言った様にナタルが離さない限り、僕が離す事は無いし。僕は毎日ナタルに離されないようにって必死なんだよ」
「何をバカな事を。それこそ、そんな心配しなくて良い」
「でも、ナタルは綺麗だし……今日だってナンパ──」
言葉が途切れる。
不意にもたらされた、唇への感触にタケルは目を丸くした。
数秒──至近で見えるナタルの端正な顔を見つめながら、タケルは柔らかな感触に意識を捉えられた。
ちゅっ、と小さく奏でられるリップノイズが妙に耳に残り、離されていく唇の余韻を引き立てる。
「────安心しろ。私が愛しているのはタケルだけだ」
「う、うん……」
親愛の言葉を出すには無敵なはずのタケルだが、行為となると途端に初心になる。
突然ナタルからもたらされた口付けと、そこから伝えられる愛情に、耳まで真っ赤にして俯いた。
そんな少年の姿を見て、ナタルは再び微笑んだ。
「安心できたか? それなら帰るぞ」
「うぇっ!? ま、待ってよナタル!」
踵を返したナタルに置いていかれぬように、タケルは慌てて隣に並び立った。
少しだけ、期待の眼差しがナタルへと向けられるのはご愛嬌だ。
そんないじらしい雰囲気のタケルに、ナタルが嗜虐心を抱くのは無理もない事なのかもしれない。
夕暮れ時のオノゴロを、仲睦まじく2人は歩いていくのだった。
待ち望んだ平穏の中にあるイチャイチャ。
描き始めたらもう止まれませんでした。
完結とエピローグの余韻を吹っ飛ばして、ニヤニヤしながら書いてた作者は欲望に塗れていますが、どうぞご容赦ください。
主人公が幸せそうで泣ける(書いてるの自分だけど