オーブ首長国連邦。
その日、オーブには激震が走っていた。
プラントよりもたらされた、ユニウスセブン落下の報。
規格外過ぎる大質量の落下は、未曾有の被害をもたらす事が確実であり、オーブの国民は国防軍の誘導のもと、地下シェルターへの避難に追われていた。
「ふぅ、大体は片付いたか……」
1人静かな家で呟く彼女も避難に急ぐ国民の1人であった。
戦後、タケル・アマノがナタル・バジルールと暮らす為に建てた家には、有事の際の地下シェルターを備えている。
モルゲンレーテ本社の地下シェルターまで通じているというトンデモ仕様のものだ。
見せられたナタルは当初何を考えているのかとタケルを問い詰めたが、タケル曰く“秘密基地ってカッコいいでしょ”、という事であった。
実際には有事の際に自身がモルゲンレーテへと向かうための直通ルートが欲しかったという所ではあるが、らしさを見せる子供っぽい表情に、呆れ半分でありながらナタルがまた惹かれていたのは内緒である。
そんな地下シェルターに、家にある大切な物品を片付けて、ナタルはちょうど今それを終えたところであった。
この家で暮らした時間は決して長くはないが、それでも大切になった物はそれなりに増えてきた。
事態が事態なだけに、取捨選択をしなければいけないのは辛いところでもあった。
「全く────とんでもない事になったな」
事態が見えるわけもないが、ナタルは窓の外の空を見上げた。
こうしている間にも少しずつユニウスセブンは落下して来ているのだろう。
何の変哲もない青空が、酷く心をざわつかせた。
詳細な被害予測など把握していないが、一度はあの残骸を目の当たりにした身だ。
プラント構造体の大きさは重々理解している。あれが落下する被害となれば、想像もつかない程大きな事となる。
落ち着いてはいるが、不安は大きかった。
「──ん?」
ふと、来客を告げる家のブザーが鳴った。
こんな時にいったい誰だろうかと訝しむナタルは、僅かに警戒を見せながら玄関へと向かう。
玄関口のモニターには来客が映っており、見える人物に思わずナタルは首を傾げた。
「マリュー?」
来訪者はマリュー・ラミアス。
かつての上司と部下の関係から、今では親しい友と言えるだろうか。
そんな彼女の来訪に、何事かと疑問符を浮かべてナタルはすぐに扉を開ける。
「あっ、ナタル。良かった……まだ避難していなかったのね」
出迎えたナタルを見て、どこか一安心と言う気配を見せるマリューに、ナタルはさらに怪訝な表情へと変わっていく。
「マリュー、どうしましたか? こんな時に一体…………」
「急ぎの用だから一先ず乗ってくれる? 事情は着いてから話すわ」
乗ってきたのだろう、背後にある車を示してマリューは、真剣な面持ちで切り出した。
「────わかりました、すぐに支度してきます」
やんごとない事情を感じとり、ナタルもまた切長の瞳を細めると静かに頷いた。
ルナマリアを2人揃って退けたタケルとヤヨイは、ミネルバにある展望デッキへと足を運んでいた。
「それで、話とはなんだろうか──ヤヨイ・キサラギ?」
星々の大海を臨みながら、タケルが切り出す。
また少し、タケルは胸が痛んだ。
未だ彼女の名を呼ぶ事は慣れない。サヤ・アマノの姿を持ちながら全くの別人である彼女の名を呼ぶ事は、どうしてもタケルに守れなかった事実を突きつけた。
ここに来るまでの道中で、無表情を貫き続けていたヤヨイは、居住まいを正してタケルへと向き直ると、静かに話を切り出していく。
「──貴方が私の中に見る、サヤと呼ぶ人の事を教えて欲しいのです」
小さく息をのみ、そして視線だけをヤヨイへと向ける。
冗談や揶揄いなどでは無いだろう。そんな人間でもなければ、そんな表情もしていない。
だが、その真意は読み取れずタケルは怪訝な表情を見せた。
「それは何故だ? 君からすれば聞きたい事でもないだろう」
「私には記憶がありません。目覚めた時にはベッドの中でどこの誰とも知れず…………戦場で私を拾ってくれた恩人であるミゲル・アイマンに引き取られ、そうしてこれまでを生きてきました」
「記憶喪失……だな」
本人からの言質もとれ、タケルは内心で小さく呻いた。
やはり彼女は記憶を失ったサヤ・アマノである。その確信がとれた。
生きていたことは嬉しくもあるが、記憶を失われたとなればそれはもはや別人。
少なくとも今この時においては、サヤ・アマノは生きてはいない。
「(引き取られたと言ったけどまさか、ミゲル……手は出してないよね?)」
切り出された話に、タケルは胸中でミゲルに対して疑念を膨らませる。
嘗て彼は、アサギ達についても子供は趣味じゃ無いとタケルに言ってのけたはずだ。
確かミゲルは現在21歳。ヤヨイ、と言うかサヤは今年で16だから、彼の守備範囲には入っていないはずである…………が、目の前に居るのは兄としての贔屓目抜きに超絶美少女な妹だ。
タケルとしては、そこへの不安は尽きなかった。
「あの、何か気になることでも?」
ミゲルへの疑念が顔に出ていたのだろう。少し考える素振りを見せていたタケルに、ヤヨイは訝しんでいた。
「いや、ルナマリアからもそこら辺は少し聞いていた。それでミゲルから色々と教わってきたらしいな」
「それは唯の噂です。記憶を失っていても、私の能力は失われていなかったので、体の良い言い訳を彼がくれただけです」
「なるほどね……」
聞く限り、保護者の気配が強いだろうか────先ほど抱いたミゲルへの疑念を払拭して、タケルは内心で安堵のため息を吐く。
「それで、なんでサヤの事を?」
再び、その理由を問いかける。
努めて、タケルは表情を変えないように意識した。
対するヤヨイは、タケルの問いにどこか迷うように。
視線を巡らせ、顔を俯かせ、次いで目を閉じた。
「────いのです」
「何?」
呟かれたのは、消え入るような小さくか細い声であった。
「苦しいのです。貴方を見ていると……」
今度ははっきりと聞こえる。震えるような声音であった。
タケルはヤヨイの心中を読み切れずただ少しだけ、群青の双眸を細める。
「貴方を目にする度に、脳裏に知らない記憶が過る。知らない自分が写る────知らないはずの貴方が戦う姿が、思い起こされる」
それは、タケルと出会った事がきっかけだったのだろう。
忘れ去られた記憶の扉が微かに隙間を開けて、そうして漏れ出た知らない記憶が、ヤヨイの脳裏に知らない自分を甦らせた。
「貴方の悲しそうな顔を見ると、胸の内で誰かが叫ぶのです。目を覚ませとでも言うように、頭を叩き、何か大切な事を思い起こさせようとしてくる……」
忘れた記憶は混乱を及ぼし、更には彼女の心を蝕んだ。
過ぎる光景が身に覚えのない感情を生み出し、ヤヨイの心はタケルとの些細なやりとりにですら振り回されてく。
「ヤヨイ・キサラギ。もしかして記憶が──」
「近づかないでください!」
強く、声高く。
僅かに喜色を浮かべたタケルが伸ばそうとした手を、ヤヨイは拒絶した。
その言葉に呆然とするタケルを見て、ヤヨイの胸はまたどうしようもない罪悪感にかき乱される。
「私は貴方が嫌いです! 記憶の無い私にとって、ミゲルとミネルバに居る仲間だけが私の全てなのです!」
だからザフトに入った。助けられた自身の命に報いる為に、ミゲルの力となる為。
だから同期の仲間が好きであった。何もない自身にとって唯一の繋がりであるから。
突然現れたタケルに……仲間を傷つけたタケルに、ヤヨイが良い感情を抱けるはずもなかった。
「卸し切れない想いを抱える
綺麗な顔を僅かに歪ませ、黒曜の瞳を鋭くさせ、ヤヨイはタケルへと怒りの瞳を向ける。
だがそれも束の間、堪えきれないようにヤヨイは再び俯き、その身を震わせた。
「なのに────どうして! どうして貴方を見ると、私の胸はこんなに苦しいのですか!」
またも叫んだ声は涙交じりであった。
物静かなヤヨイ・キサラギにとって考えられない──自身の感情に揺り動かされ、自分でも理解し難い想いに惑う姿。
「どうして私は……貴方の悲しい顔を見ると……こんなにも胸が苦しく、切なく痛むのですか」
張り裂けそうな心の動きにヤヨイは胸を抑える。
目の前で自分を見つめる群青の瞳が、申し訳なさそうにヤヨイから視線を逸らした──その一動ですら、ヤヨイの心を苛んだ。
「教えてください……貴方なら、この胸の痛みの理由を知っているのではないですか」
消え行くように呟かれた声と共に、ヤヨイの瞳からは一筋の涙が溢れた。
「────ごめんね」
「ぇ?」
静かに、タケルは仮面を剥いで自身の気持ちを漏らした。
その一言だけ告げると、タケルは再び仮面を被る。
「覚えていないなら、君は知らなくて良い事だ」
「でも!」
「忘れて良い……私の事も、記憶の事も――――今の君には大切なものがあるのだから」
静かに、タケルもまたヤヨイの願いを拒絶した。
気にするなと。そんな記憶は忘れてしまえと。
記憶に悩まされて、涙を流す嘗ての最愛の妹────別人となろうとも、タケルにサヤ・アマノを苦しめる事はできない。
「事が終われば私達はミネルバから降りる。どうせもう、あと僅かの時だ。そうして私と会う事も無くなれば、くだらない感情に悩まされる事もないだろう」
不安を与えない様に。ヤヨイの感情を揺り動かさない様に。
タケルは悲しみを押し殺して、必死に表情と声音を取り繕った。
我慢できる時間はもう僅かであった。
「残る時間も、できるだけ顔を合わせない様に配慮しよう」
「そんな──」
「話はこれだけか? それでは、これで失礼するよ」
隠し通す限界を悟って、タケルは背を向ける。
既に涙は溢れそうであった。
記憶を呼び起こし始めたヤヨイに、サヤの存在を確かに感じるも、それが今の彼女を苦しめる。
であれば、タケルにとってそれは最良ではない。
記憶があろうとなかろうと、タケルが願うのはサヤ・アマノの幸せなのだから。
今の彼女が大切なものを持っていると言うのなら、それが彼女の幸せにつながる。
記憶を失った彼女にとって、自身はもう邪魔な存在でしかない。
決別するべきであった。
ずっと己に縛り続けてしまった、最愛の妹から。
「僕の事は全部忘れて、今を生きて────サヤ」
静かに、決別のために小さく呟いたタケルの言葉は、静かな通路に溶けて消えた。
「どうして、そんな辛そうな顔をしておきながら…………貴方は…………」
悲しげな声は、確かにヤヨイ・キサラギの耳に届いていたのだった。
オーブ首長国連邦。
オノゴロ島モルゲンレーテ本社。
マリューより連れ出されたナタルは、会議室へと連れて来られていた。
そこで待って居たのは、懐かしい顔ぶればかり。
「タケルとは結構会ってましたけど、お久しぶりです、ナタルさん」
「ご無沙汰しておりますわ。バジルールさん」
「キラ・ヤマト。それにクライン嬢も」
「久しぶりだなぁ、バジルール……さんよ」
「お久しぶりです」
「マードックにノイマン……トノムラにチャンドラ、パルもか。マリュー、一体これは」
何とも懐かしい顔ぶれ。さながら同窓会気分すら呼び起こされる。
他にもミリアリアやカズイのヘリオポリス学生組も居る。
ナタルが連れて来られた会議室には、嘗てのアークエンジェルクルーが揃い踏みであった。
「驚くのも仕方ないけど、まぁ説明はキサカ一佐とエリカ・シモンズ主任からよ」
居並ぶアークエンジェルクルーの中に同席していた国防軍の軍服を見に纏うキサカと、モルゲンレーテのエリカ。
マリューの声に会議室は鎮まり、2人はブリーフィング用のモニターに状況を映し出した。
「知っての通り、プラントからの報告でユニウスセブンの地球への落下が確実とされているわ」
「国防軍は現在、国民の避難を最優先で進めているが…………被害がどこにどの程度出るのかもわからない現状、対応は難しい」
キサカは表情を険しくさせる。
ユニウスセブンが1つの塊としてそのまま落ちてくるのなら軌道計算で被害箇所は想定できる。
無論、そのまま落ちる様な事があれば被害箇所云々ではなく地球の終わりだろう。
だがプラントの対応によってユニウスセブンの破砕等が行われれば、被害規模は下がるだろうが被害箇所は予測がつかなくなる。
どの程度砕けるのかも、どの程度バラけてくるのかもわからないのだ。
地球に降り注ぐまで、どこに落下してくるかわからないのである。
そうなれば逃げる場所など地下にしかないが、それほど大規模な地下シェルターがあるはずもない。
宇宙からの飛来物の衝撃に耐えられる地下シェルターとなると、十分な深度のものを要求される。
戦後の復興すらまだ完全ではないオーブに、そんなものが用意できるわけもないのだ。
「とは言え、何もしないわけにもいかないわ。島国であるオーブは津波による被害も懸念される。国民の避難は必須。国防軍はもう手一杯」
「だから、僕達……何ですよね、キサカさん」
キラの問いに、キサカは小さく頷いた。
「国防軍は動かせない。だがこの事態に、被害が出るまでオーブとしても手をこまねいているわけにもいかない。そんな折、プラント経由で現在ザフトの艦船ミネルバに居るアスハ代表から電文が届いた」
「“私達も現地に向かう。できる限りの助力を”だそうです」
それは、援軍要請であった。
国防軍は避難に動けないのは百も承知。だが、彼らは別だ。
今は地球軍を離れ、民間人として生きていながら、しかしそれをできるだけの力を持つ。
オーブに住み、カガリ・ユラ・アスハを慕う者達とでも言えば良いだろうか。
軍人ではないが、有事に際には最大限の助力をしてくれる、カガリ個人の私兵。
そして、モルゲンレーテの地下には大戦後修復されて眠っているアークエンジェルがある。
「皆さんには最大限の戦力を伴って、アークエンジェルでユニウスセブン落下阻止の任に就くことをお願いしたく思います」
「危険も伴い、心苦しくはあるが、どうかオーブを……地球の人々を救ってもらいたい」
頭を下げるエリカとキサカの両名に、会議室は静まり返る。
とは言ってもそれは、是非を問う時間ではない。
やるやらないと言った選択肢は、彼等の頭には無かった。
「ナタル、どう考える?」
「難しいですね。砕くしかないと考えますが、あの残骸を目にしたものとしては、容易ではないと言わざるを得ません」
即座に考えるのは、どうすれば良いか。
マリューはナタルへと問いかけ、ナタルもまた建設的な見解を述べる。
「外側からの攻撃ばかりじゃ焼石に水でしょうよ。掘削系の特殊兵装かなんかねえと……」
「そうなると、作業者としてMS部隊は欲しいでしょう。ヤマトが優秀なのは知ってるが人数が欲しいです」
技師として、こういった事には見識のあるマードックからの意見。
次いでノイマンからも声が挙がった。
「でしたら、モルゲンレーテから彼女達にお願いしてはいかがですか。どうでしょうシモンズさん?」
「勿論、動かせるわよ」
次々と話を進めていく。
地球の危機……何より自分達が住まうオーブの危機を前に、彼等に迷うことなど無い。
できるだけの力を持つのなら、できることをやる。
それは嘗ての大戦で胸に誓ったことであった。
「キラ、この特殊弾頭なら破砕に使えないかな?
「え、どんなの…………これって……」
カズイが手元の端末に映したデータを見て、キラは目を見張った。
「以前、アマノ三佐と地下資源確保用の掘削方法について進めてた時があってさ。一緒に開発を進めてたんだ。確か、試作したのを国防軍で接収して保管されてるって」
「これ、使えると思う……こんなの作ってたんだ、凄いよカズイ!」
「あはは、アマノ三佐からのアイデアがあったからだけど……」
「マリューさん、ナタルさん、これ見てください」
「これは…………キサカさん、すぐにこれを持ち出せますか?」
「問題ない。すぐに指示を出す」
キサカの肯定に、手立ては決まった。
後はそれを成す準備を進めるのみ。
「よし、これを元に破砕作業のプランを考えるぞ。ノイマン達は艦の準備を進めろ! マードック、ヤマト、バスカークはこれを用いた時の効果のシミュレートを! マリュー、私はユニウスセブン到着時の状況を想定して、作戦プランを検討します」
「お願いね。私は協力者への事情説明と応援要請に向かうから」
任務を見据えて動き出す一行。
後は時間との勝負だ。
刻一刻と事態は進んでいく。最速で準備を進めて向かわなくては、何もできずに事が終わってしまう。
「(ユニウスセブン……静かに眠る犠牲者達の墓標。これがまた、新たな火種とならなければ良いのですが……)」
動き出す彼等を見つめながら、ラクスは新たなる火種を抱えた世界の未来を憂いていた。
本作だとキラが潰れてないからね。大切な双子の姉と義理の兄の国の為に動くのは当然ですわ
あとサイ君はハブられてるわけじゃないよ。
地味にSEED編からのカズイ伏線回収。多分ここくらいの活躍
久々にナタルさんが鬼の副長になってくれるよ。まぁ、もうずいぶん丸くなってしまわれましたが…
そして主人公は涙ながらにお別れを告げ…いと悲し。
感想よろしくお願いします。
前回更新で、皆アスラン好きすぎて嬉しい