機動戦士ガンダムSEED カガリの兄様奮闘記   作:水玉模様

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登場キャラクターが増えたからさ……書きたい展開多いのです。話進まないけど許して。
本当は前回のなしでこっちだけ書きたかったんだけど、流石に大きな出来事終えた後のそれぞれを描かないのは描写不足だしってなって。


幕間 取り戻す時間

 

 

 ミネルバのレクリエーションルームにて。

 

 

 ヤヨイ・キサラギは、再び訪れた記憶の波に翻弄されていた。

 

 先の格納庫において。またも自分をサヤと呼ぶ者。

 白銀の機体から降りて来たかと思えば、妖しい笑みを浮かべながら近づいてきて、警戒する間もなく背後へと回り込まれ抱きかかえられていた。

 驚きを通り越して呆けてしまったヤヨイだったが、何とか引き剥がそうと必死に振り返ろうとするも、妖艶といえる美女の豊満な胸元に顔を抱えられ、窒息しそうになる。

 何故だか言い様の無い怒りを覚えたのは内緒だ。

 フィクションでしかありえないような出来事に、酸素不足と併せて混乱の極みに陥ると、そうこうしているうちに、器用にもパイロットスーツを片手で開いて侵入してくる手。

 慣れた手つきで自身の身体を撫でまわす手の早さと言ったら……様々な感触を思い出して、ヤヨイはぞっと背筋を震わせる。

 

 タケル・アマノの言葉によって彼女から解放されたヤヨイは、直後にヨウランから

 

 “このラッキースケベ”

 

 と言われて、不覚にも我を失い同僚の彼を殴りつけていた。

 

 そんなこんなで、筆舌に尽くしがたい悪寒を覚える一幕を終えた彼女は、再び自身に付き纏う名前に戸惑っていた。

 

 

 ────サヤ・アマノ。

 

 

 調べてみれば情報を得るのは容易かった。

 オーブの英雄、タケル・アマノの妹。

 画像などのデータは無かったが、オーブ戦役から終戦まで────その活躍は十分に記録として残っていた。

 

 それが…………ヤヨイ・キサラギの本当の姿。

 

「嘘吐き……何が忘れてですか。すぐ後でこんな……こんな……」

 

 胸に重石が乗せられたように、嫌な圧迫感がヤヨイを襲う。

 再び思い起こされる記憶。

 

 “あの子に良く似た別人ですよ”

 

 淡々とした声音でありながら、そこに乗るのは悲痛と後悔。

 その姿が、またヤヨイを苦しませる。

 

「忘れろと言うのなら、ちゃんと忘れさせてください……変に、思い出させないでください……」

 

 大切な兄が泣いている。

 知らない兄が──悲しんでいる。

 そんな意味不明な事実が、ヤヨイの胸中で感情を溢れさせ暴れまわった。

 

 

「──ヤヨイ?」

 

 

 ふと、飛び込んでくる声。

 ヤヨイはハッとして、滲んだ涙を拭うと声の聞こえた方へと視線を向けた。

 

「シン、レイ、ルナマリアまで……どうしたのですか?」

「どうしたってこっちのセリフだよ。急に格納庫からいなくなったかと思ったら、こんなところで1人何して──」

「バカ! 人前であんなことされたのよ。女の子なら普通傷つくわよ!」

「あんな事って……あの変な女の人に襲われてた事か? そんな事くらいで──痛ぁ"!? 何すんだルナ!」

「そんな事とか言うんじゃない!」

「シン……お前は本当にデリカシーと言うものが無いな。そんなんだからルナマリアに子供扱いされるんだ」

「レイまで……だから何だってんだよ!」

 

 まるで空気の読めない男のレッテルを貼られたシンが、不満そうにレイとルナマリアへと視線を向ける。

 対して2人はやれやれと肩を竦めると、逡巡したレイが口を開いた。

 

「シン、例えばお前に昔から溺愛してくる綺麗なお姉さんが居たとしよう。だが意地っ張りなお前の事だ。そんな事実は恥ずかしくて仲間の誰にも知られたくない。

 そんな折、いきなりそのお姉さんが目の前に現れていつもと変わらぬ勢いでお前を可愛がってくる。突然の事態に周りは唖然としている事だろう。終いには小さい頃の恥ずかしい話まで暴露されるわけだ。そうだな……小さい頃のオネショの記録とかな──さて、お前はその時どう思う?」

「──凄く、死にたいです」

「それと似たような感覚だ」

「な、なるほど……」

「えっぐい例え持ってきたわね……レイ」

 

 とても納得したように……シンはレイの話を聞いて顔を引き攣らせ、そして可哀想なものを見るような目をヤヨイへと向けた。

 

「勝手に変な想像をしないでもらえますか? 全然そんな感じじゃないですから」

 

 余りにも荒唐無稽な例え話に表情を失ったヤヨイが、感情のない声で否定を返す。

 と言うか何だ今の例え話は。一体どこからレイはそんなネタを引っ張り出してきたと言うのか。

 

「何だヤヨイ、違うのか?」

「違います」

「本当?」

「嘘偽りなく」

「強がらなくても良いぜヤヨイ。俺だってそんな事あったら絶対──」

「殺しますよ」

 

 殺気交じりに返されて、ずぅん、と影を背負ってシンは崩れ落ちた。

 何故本人が否定しているのに余計な事を言うのだろうか。だから空気が読めないと言われるのだ。

 ルナマリアはバカな少年のバカな思考回路に呆れてものも言えなかった。

 

「それで? 何で泣きべそかいてるのよ? らしくないじゃない」

「泣きべそ? ルナマリアの見間違いでは?」

「強情だな。目元を腫らしてその誤魔化しは流石に通用しない」

「レイも強引ですね。乙女が秘密を隠そうとしているのです。紳士ならここは引き下がる所ではないですか?」

「残念ながら、俺の視界には乙女と呼べる様な女性は見当たらないのだが?」

「あん?」

「はっ?」

「すまない、失言だった」

 

 危ないところだ。もう少しでシン・アスカの二の舞を演じる所であった。

 レイは冷や汗をかきつつ、やんわりと危機を回避してみせる。

 

「じゃ、じゃあ何で泣いてたんだよ、ヤヨイ」

「シン……だから、泣いてなどいないと──」

「あっ、もしかして……あの後アマノ三佐と何かあった?」

 

 瞬間。わかりやすくヤヨイの表情は硬直を見せた。

 

「──いえ、特段何も」

 

 しかしそれも一瞬。鉄面皮である事を自負する彼女は図星を突かれた隙を見事に切り返──

 

「このはっきりしない物言い……やはり何かあった様ね」

「なっ、本当かヤヨイ!」

 

 せなかった。

 流石はルナマリア・ホーク。伊達にお姉ちゃんはやっていない。

 妹のようで小姑の様な少女の機微には聡いらしい。

 そしてそんなルナマリアの言葉にいちいち大きな反応を見せるシン。少しは自身の頭で考えて欲しいものである。

 

「で、ですから……別に大した事ではありません」

「という事は何も無かったわけでは無い様だな」

「それは、そうですが……」

 

 レイにまで詰め寄られ、ヤヨイは俯き気味に言い辛そうに返した。

 何もないわけではない……と言うよりも、はっきりきっぱりと拒絶の姿勢を見せられたのだ。

 思う所はあるし、気分が落ち込むのも無理はない。

 

 しかし、あくまでこれはヤヨイとタケルの個人的な話。

 彼らにわざわざ話す気も起きなかった。

 必然、どこか申し訳なさそうな気配が、ヤヨイからは醸し出され、その表情は陰る。

 

「やっぱりかよ! あの野郎!」

 

 そんなヤヨイの表情に何を思ったのか。

 シンは怒りを露わにしながら、レクリエーションルームを出ていってしまう。

 

 格納庫の一件以来、ヤヨイに対して大きな負い目を感じていたシンは、彼女に対して何かしてやりたいと言う想いが強かったのだろう。

 元々タケルに対して悪感情の方が強いシンであるが、悲しそうに俯いたヤヨイを見て、彼女が涙を流した理由がタケルにあるのだと思い至り、怒り心頭と言うわけだ。

 

「ちょっと、シン! 嘘ぉ……行っちゃったわよあのバカ」

「止めるぞヤヨイ、ルナマリア。これ以上シンが何かをやらかせば本格的にまずいだろう」

「合点承知よ!」

「貴方達は私を慰めに来たのですか? それとも厄介事に巻き込みに来たのですか?」

 

 不承不承と言う様に。ヤヨイは冷めた視線を2人に向けながら後に続いた。

 

 

 バカな少年と保護者な2人────優しい彼等とのやり取りに、ヤヨイはいつの間にか沈んだ気持ちを忘れているのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ミネルバのとある士官室。

 

 そこは今、絶対零度の空気の中一人の男が正座させられていた。

 

 男の名はタケル・アマノ。

 開発からパイロット。更には国政にまで影響を与え得る、オーブ国防の全てを担うと言っても過言ではない男である。

 

 とは言っても、今この時においてそのような肩書が役に立つはずもない。

 

 眼前に居並ぶのは、そのオーブにおける最高位である代表首長と、権威など全く意に介すことのない女性だからだ。

 ついでに仏頂面で睨みつけてくる護衛の男も追記しておこう。

 

 とにもかくにもタケル・アマノを囲う包囲網に晒され、彼は現在、完全に畏縮しながら正座をさせられているわけだ。

 

「──で、何か申し開きはあるか、兄様?」

「えっと、申し開きというかその……」

 

 ここに居るのは身内のみ。必然、カガリがタケルへと向ける呼称は変わる。

 つまりは公的な立場を取っ払った、本音で話せの合図である。

 

「坊や、一応確認しておくけど、あの子はサヤで間違いないんでしょう?」

「いや、確証まではまだないわけで……」

 

 普段の掴みどころのない気配は微塵も感じられない、肌を刺す様な冷たいアイシャの視線がタケルを射抜いた。

 

「確信はしてるんだろ、兄様!」

「はっきりなさい、坊や!」

 

 ひぃ、と2人の恫喝にタケルは再び畏縮。

 自分が一体何故こんな追及をされているのか理解できていないタケル(バカ)は、必死に巡らない思考を回すものの、答えはでてこなかった。

 

「カガリ、アイシャも……少し落ち着こう。こいつは、何で怒られてるのか理解できてないぞ」

「さ、さすがアスラン。僕の事を良くわかってくれて──」

「言っておくが、理解できていない事の方が問題だからな」

「あうっ」

 

 差し伸べられたはずの手が無情にも払われ、タケルは撃沈。

 正座のまま静かに俯く事しかできなかった。

 

 そんなタケルを見てカガリは1つ大きく溜め息を溢しながら、口を開いていく。

 

「はぁ……兄様、私達が知らない間に彼女と何かあっただろう?」

「い、いや……特に何もないよ」

 

 必死に平静を取り繕おうとしているのがわかる気配。

 カガリの視線がまた一際鋭くなった。

 

「本当にそれで誤魔化せると思ってるなら甘く見過ぎだぞタケル。俺ですら、お前が何かを押し殺してるのは察しが付く」

「アスランがそんな察しが良いとは思えないけどね……普段どれだけカガリに朴念仁って言われてると思ってるのさ?」

「こらっ! 茶化さないの。私にだってわかるわよ──坊や、一体何を隠してるの?」

 

 アイシャから、今度は寄り添うような声音で追及をされて、タケルは観念した様に目を伏せる。

 敵わないなぁ、とタケルは胸中で諸手を上げて降参した。

 

 以前からカガリには隠し事ができない、と言うよりは看破されていたがそれがいつしかアイシャにも……遂にはアスランにまで見抜かれる様になるとは。

 それ程に自身はわかり易いのだろうと、観念せざるを得なかった。

 勿論ナタルなど、カガリ以上にタケルの機微に聡い。

 仕事から帰宅したらタケルの顔色だけで、その日の出来事を5段階評価できるくらいは聡い。もはや一種のエスパーである。

 

 そんな彼等に囲まれ、隠し通す事を断念したタケルは、ようやくおずおずと話を切り出した。

 

「えっと……ユニウスの作戦準備が始まる前に、彼女に呼び出されて聞きたいことがあるって言われて……彼女は、サヤの事を知りたがっていたんだ」

「サヤの事を? どう言う事だ兄様」

「僕の顔を見る度に知らない記憶が脳裏を過って、僕の顔を見る度に胸の内で何かが暴れているかのように苦しくなるって」

「兄様、それって……」

「うん、中途半端にだけど記憶を思い出しかけているんだと思う」

「だったら──」

「でもそのせいで、今の彼女はとても苦しんでる。知らない記憶と想いに振り回され、今の彼女をサヤの記憶が侵そうとしているんだよ」

 

 辛いのだと。切ないのだと。

 タケルの悲しい顔を見て、ヤヨイは自身を蝕む苦しみに喘いでいた。

 

 確かに、記憶が戻りかけているのならタケルにとっては嬉しい事である。

 だが同時にそれは、ヤヨイ・キサラギを殺す事にも繋がる──記憶の覚醒は、現人格の上書きになりうるのだ。

 タケルにとって、サヤ・アマノもヤヨイ・キサラギも大切な妹である事に変わりはない。

 サヤの記憶でヤヨイを塗り潰す様な事……サヤによってヤヨイを殺す様な事を、タケルは良しとする事はできなかった。

 

「だから────忘れてって言ったんだ」

「何だと?」

 

 俄かに、唸る様なカガリの声が響くが、タケルは自嘲したまま続けた。

 

「僕の事は忘れてって。顔を会わせなければ、思い出しかけてる記憶もいずれなりを潜めるはずだ。そうしてヤヨイ・キサラギとして生きてもらえれば、僕はもう──」

 

 タケルの独白が途中で途切れる。

 

 重い打撃音と共にタケルの頭部は揺れ、無様にも背後へと転がった。

 見れば、カガリが正面から拳を叩きつけていた。

 

「──目は醒めたか、バカ兄様」

「痛いな……なにすんのさ」

「なぁカガリ、俺も……」

「いいぞ、思いっきりやってくれ」

「へっ、ちょっとアスランの本気はまず──へぶっ!?」

 

 振り抜かれた蹴撃。起こした身体の腹部を貫いたそれに、タケルの身体は宙を浮いて背後の壁へと叩きつけられた。

 

「ん~じゃあ私は……こうね」

 

 ずるずると崩れ落ちたタケルの顎に触れるアイシャ。

 くいっと顔を上げさせれば後はそのままズキュンと言った感じに唇を合わせて見せる。

 

 なぁっ、とアスランとタケルが表情だけで驚愕の声を挙げる中、カガリはすかさず携帯端末を取り出して激写。

 アイシャがタケルの唇を徹底的に嬲る瞬間を、画像どころか動画で撮影することに成功した。

 

「ぷはっ?! えっ、な、ななな何で──」

「脅迫材料よ。これ……ナタルに見せたらどうなるかしらね」

「なんて悪辣な!?」

 

 ゾクリと、総毛立つ程の恐怖感がタケルを襲う。

 

 少し考えればわかるだろう。先程の映像だろうが写真だろうが、見せられたところでナタルの信頼は揺らがない。

 大体普段のアイシャを知っていれば、どう考えてもタケルが被害者である事は自明の理だ。

 ナタルからすれば、先の映像など何の交渉材料にもならない。

 しかし、タケルに対しては効果が高すぎる。

 いくら不意をつかれ一方的にされるがままだったとしても、愛する人への明確な裏切り行為の証拠だ。

 大切な人を喪えないタケルにとって、これ以上の物はない脅迫材料である。

 

「──何が、望みですか?」

「そうね……サヤに泣きついて、忘れろって言った話は無かったことにしてもらうとか?」

「僕を羞恥で殺す気ですか!?」

「いや、まだ足りないだろう。この際ザフトに入って、彼女の傍で一緒に戦うのはどうだ。記憶が戻る助けになるかもしれん」

「良いなアスランそれ。私から議長に正式依頼を──」

「カガリまで何バカな事言ってるんだよ! 大体僕にはオーブでの立場も仕事も──」

「兄様!!」

「ひゃい!?」

 

 一喝するようなカガリの声に、タケルは思わず背筋を伸ばした。

 獅子の双眸が、タケルに向けるには珍しい憤怒を湛えて向けられる。

 

「兄様……兄様にとってサヤはその程度の存在なのか?」

 

 獅子の娘が……否、現オーブの獅子が。タケルに向かって厳しい声で問いかける。

 琥珀の瞳が鋭く、群青の瞳を射抜いていた。

 

「カ……ガリ?」

「忘れろって……そんな簡単に切り捨てられる程、軽い存在だったのか? だとしたら、私も記憶を喪えば簡単に兄様の妹ではなくなってしまうのだろうな」

「そんな事……ないよ」

 

 そんな筈はない。

 最も大切な存在なのだ。記憶を失おうが何だろうが、その存在は揺るがない。

 

「お前はいつまでお利口さんで居るつもりだ。タケルが今の立場を手に入れたのは、タケル自身が大切な人を守りたかったからじゃないのか」

「そう、だけど……」

 

 周りが望む自身を演じる。

 嘗て自身の父親と、親子ではなく公人としてしか接することのできなかったアスランは、自身と同じ過ちをするなと言外に告げてくる。

 

「自分の本心を隠すのは坊やの悪い癖よ。何でもかんでも尤もらしい言い訳を並べて……そんなので納得してるのは坊やだけじゃないかしら?」

「つまり、皆は僕の言った事に納得していないと?」

 

 タケルは、居並ぶ3人に問いかけた。

 

「当たり前だ」

「当然だろう」

「納得すると思ってるの?」

「すいませんでした」

 

 三者三様で返される全力の否定に、タケルは平謝りであった。

 一分の隙も無く完全に、自らの辛い選択を否定されてタケルは消沈。

 

 そうしてガックリと項垂れたタケルが、情けなさを痛感しているところへ、大きな声が飛び込んでくる。

 

 

『すいません! シンです、シン・アスカです! タケル・アマノは居ますか!』

 

 

 飛び込んできた声。

 少年のぶっきらぼうな呼び声に、彼らは怪訝な表情を浮かべた。

 

「シン? えらい剣幕だな……何事だ?」

「さぁな……兄様、とにかく早く出てやれ」

「あっ、うん」

 

 一応の所、この部屋はタケルに宛てがわれた部屋だ。部屋主であるタケルが応対するのが筋だろう。

 

 出入り口のドアへと向かい、タケルはドアを開いた。

 走ってきたのか少し息を切らせた様子。だが何より、怒れる瞳は、タケルを見た瞬間に更なる炎を宿すのだった。

 

「何用だシン・アスカ? 今こちらは取り込み中──」

「あんたって人はぁあ!!」

「へぶっ!?」

 

 出会い頭、強烈な右ストレートがタケルの顔を撃ち抜いた。

 綺麗に錐揉み一回転。見事な威力を秘めた拳を受けて、タケルの身体が宙を舞う。

 

「いっ、痛ぅ……いきなりご挨拶だな。一体どういうつもりだ?」

「どういうつもりはこっちのセリフだ! あんた……よくもヤヨイを泣かせたな!」

 

 一体どの立ち位置からの発言なのだろうか。

 まるで痴情の縺れを思わせるやり取りに、一瞬アイシャが噴出しかけたのは内緒だ。

 しかしながらタケルにとって、今のシンの言葉は先程のカガリ達とのやり取りもあって、ストンと胸に落ちていく。

 

「────すまない。反省はしている」

「っ! ふっざけんな!」

 

 再びの拳。

 謝罪した……つまりタケルは罪を認めた。

 これによりシンは、タケルがヤヨイに対して何かしかの不貞を働いたと理解。

 怒りを燃やし、感情のままにタケルへとそれをぶつけた。

 

「ちょっと、シン! やめなさい!」

「落ち着けシン! これ以上厄介事を起こすな!」

「うるさい! ヤヨイを泣かせた責任、とってもらうからな!」

 

 完全に暴走モードである。しかも見事なまでにすれ違っている。

 シンの早とちりと、タケルが申し訳なさそうに謝罪をした事が、見事なまでに噛み合っていた。いや、この場合噛み合っていないと言うべきか。

 

「ねぇ、えっと……ヤヨイ?」

「ひっ!? な、なんですか?」

「そんなに怯えないでよ。もう何もしないわ。それより彼。何か勘違いしてない?」

「えぇ、まぁ、それは……多分」

「止めなくて良いの?」

「私もあの人から一方的に告げられたので、鬱憤を晴らすには丁度いいですから」

「あらまぁ……記憶を失ってても根っこは変わらないのね、貴女」

 

 兄に対して甘いばかりではなかったサヤ。

 その片鱗を感じて、アイシャは不敵に笑みを深めた。

 

 レイとルナマリアが必死にシンを止めようとする中、どこか温かな気持ちで殴り殴られる2人を眺めるヤヨイであった。

 

 

 

 

 

 ミネルバ艦橋。

 

「何やら艦内が騒がしい気がするわね」

「艦長?」

「メイリン、誰かがバカをやっていないか、ちょっと見回りに行ってくれるかしら」

「えっ、あっ、はい!」

 

 どこか鬼気迫る表情でメイリンへと指示を出すタリア。

 そんなタリアに、アーサーは不思議そうに首を傾げた。

 

「どうしたのですか、艦長」

「嫌な予感がするのよ……こういう時の勘は良く当たるわ」

 

 確かに当たってはいるが、残念ながら時既に遅し。

 事は既に始まり、もうすぐ収束していく頃合いである。

 

 10分後には焦りに焦った表情を讃えてメイリン・ホークが帰還する事を、彼らはまだ知る由も無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 所は戻り、タケル・アマノの部屋の前。

 

 

「それで、申し開きはあるかシン・アスカ?」

「な、ない……です」

 

 やや腫れを見せる頬を押さえながら、タケルは厳しい目をシンへと向けていた。

 

 当然であろう。タケルとヤヨイの話は当人同士の問題。

 ましてやシンが想像した様な事実など欠片も存在してはいないのだから。

 事態を収集し、全ての事情が明かされた時、シンの顔からは血の気が引いた。

 

「他国の軍人に手をあげるその所業……まぁ、まだ代表への暴言に比べればマシだろうが、決して軽くはないぞ」

「だ、だったら、あんたがヤヨイを泣かせたことはどうなんだよ?」

「私と彼女の問題だ。君が関与するべきことではない」

「はぁ? 大事な仲間の事だ、関係無いで済むかよ!」

「君はさして彼女と仲が深いわけでもないだろう。どちらかと言えばそれはレイ・ザ・バレルの方だと聞いた。君が気にする必要はやはり無い筈だ」

「なっ、なんだよそれ! 一体何の──」

 

 言い募ろうとした所で、タケルとシンの間にヤヨイが割って入る。

 

「もう良いですよシン。私の為に怒ってくれてありがとうございます」

「ヤヨイ……」

「アマノ三佐、どこからの情報かは知れませんが私にとってはシンもレイも等しく大切な仲間です。そこに優劣はありません」

「そうだったか。それはすまなかったな」

 

 肩を竦めて、軽い声音で謝罪を口にするタケル。ついでに誤情報の出元であるルナマリアへと一瞬だけ睨みを利かせてやった。

 

「それと今一度、貴方と話したい事があります」

 

 真剣な表情を携え、ヤヨイはタケルと視線を交わしながら告げた。

 退く気のない視線だった。

 

 暴走してタケルへと突っかかったシンを見て、ヤヨイの胸の内はどこか清々しい気分であった。

 胸を埋める切なさに、柄にもなくナイーブになっていたのだろう。

 失われた記憶は自身のものだ。忘れるも思い出すも自分が決める事だろう。

 例え縁深いと思われる彼であっても、それを決める権利はない。

 

「奇遇だな。こちらも君とはもう一度話す事が出来た」

 

 対するタケルも、先のカガリ達とのやり取りの中で己の過ちに気づかされていた。

 ヤヨイからの申し出は、彼にとっても都合が良かった。

 

「では、同行願えますか?」

「あぁ」

 

 行き先は言わずともわかる。

 互いに足並みを揃えた2人は、その場の全員が視線で追う中、目的地へと向かい歩き始めた。

 

 

 

 

 

「ふむ……良くやってくれたシン・アスカ」

「えっ?」

 

 歩き去っていく2人が見えなくなった所で、カガリは心底嬉しそうにシンの肩へと手を置いた。

 

「そうだな……本当によくやったぞ、シン」

「はぁ? あんた等何言って」

 

 逆の肩にはアスランの手が乗せられ、こちらも心底穏やかな顔つきで、何度も力強く肩を叩いてくる。

 

 わけがわからない──シンは両サイドから嬉しそうな笑みを向けてくる2人に混乱した。

 遂には肩まで組み始めてくるではないか。

 一体何がどうなっているのやら。シンの混乱は増すばかりである。

 

 

 だが、カガリ達からすれば。先のやり取りは正に感謝せざるを得ない出来事であった。

 どんな形で在れ、どんな事情で在れ、タケルとのやり取りでヤヨイが涙を流した事。

 それを仲間の怒りと言う形でタケルへと叩きつけてくれたこと。

 シンの怖いもの知らずな行動が、タケルにとって大きな気付け薬となった事だろう。

 

 それを受けたタケルが、何も思わぬはずがない。

 きっとこの後タケルは、自身の気持ちと彼女の気持ちに、真摯に向き合ってくれるはず──その確信があった。

 

「ふふ、いい仕事をしたわね、ザフトの坊や」

「なぁっ! 俺は坊やなんかじゃ──」

「あぁ、やめといた方が良いぞシン……アイシャに付き合ってたら疲れるだけだからな」

「もう、子猫ちゃんも相変わらず生意気」

「その呼び方はやめろと言っている!」

 

 

 やんややんやと言い合うオーブの代表とアイシャに、シンは未だ理解の出来ぬ混乱に惑うばかりであった。

 

 ちなみにその頃、駆け込んで来たメイリンへと、レイとルナマリアが事のあらましを全て報告していた。

 

 どんな事情があったとしても、他国の人間に問答無用で殴り掛かること等あってはならない。

 事情を知ったカガリが温情を掛けてやるものの、怒り心頭となったタリアによって、後にシン・アスカにはそれは厳しい罰則が与えられたそうな。

 

 

 

 

 

 

 

 

「それで、話したい事とは?」

 

 二度目となる展望デッキ。

 そこに着いたところで開口一番、タケルはヤヨイへと問いかける。

 

「──もう一度お聞きします。サヤ・アマノについて教えてください」

 

 タケルへと向き直ると、ヤヨイは迷いを感じさせない声音で、嘗てと同じ問いを投げかけた。

 

「──聞くのが辛いのではないのか?」

「辛いのは……もちろんあります。ですが、あのように一方的に告げられて引き下がる程、私は聞き分けの良い人間ではありません」

 

 毅然と返してくるヤヨイに、タケルは懐かしさを覚える。

 

 嘗て、オーブで2人暮らしだった時もそうだ。譲らない所は徹底して頑なであった。

 特に、自身の身を顧みないタケルを心配するときは顕著と言えよう。

 そんなサヤの本質が、今の彼女からも感じられ、タケルは嬉しさを覚え、微かに笑みを浮かべる。

 

「──やっぱり、あの子と同じなんだね」

「同じかどうかなど知りません。ですが、少なくとも私はあの程度で引き下がる様なお利口さんではないのです」

「お利口さん、ね────わかったよヤヨイ。サヤの事、全部教えてあげる」

 

 逡巡、タケルはヤヨイの気持ちに応える事を決めた。

 僅かに喜色を浮かべるヤヨイ。それを見ればやはり、タケルにとって嬉しいものであった。

 

「その代わり、僕にも教えて貰えるかな?」

「……何を、でしょうか?」

「記憶を失った君が覚えているこれまでを。ザフトのアカデミーへと入って、今こうしてミネルバでMSに乗ってパイロットをやる事になった経緯をね」

「──良いでしょう、わかりました」

 

 二つ返事でヤヨイが了承をみせると、タケルは大きく一息ついてから展望デッキから臨める海へと目をやった。

 ヤヨイはそんなタケルの横顔に既視感を覚えながら、静かに彼が語り出すのを待った。

 

「ふぅ……それじゃ、僕から話そうか。

 そうだね、僕が初めてサヤと出会ったのは──」

 

 

 

 こうしてすれ違った兄妹は、失われた2人の時間を僅かながらに取り戻す。

 

 未だ払拭しきれないぎこちなさがありながらも、自然にこぼれる笑みは嘗て共に過ごした時と同じ、優しい色を湛えていた。

 

 




真面目だけどギャグなんだよなぁ。
まだまだシン君の頭はパッパラパーの様で。
次回はオーブの帰国の予定。今度こそ話が進んでいくぞ……多分。

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