フレイ・アルスターは、宛がわれた自室の簡易ベッドで横になっていた。
食堂でカズイに諭され、いかに自分が愚かな立ち振る舞いをしていたのかを理解させられた。
言葉の1つ1つ。振る舞いの1つ1つ。
世間を知らず、他人の感情の機微にも疎く。
自らの行いが、どれほどキラを傷つけたのか。それを自覚していた。
キラがどれだけ苦しい思いをして戦っているのか。
カズイの弁でしかフレイは想像できなかったが、同じ立場であればMSに乗って誰かを殺すこと等フレイにできるわけない。あの気弱な少年がそれを強いられて苦痛でないはずがなかった。
「私は、ただ……」
ただ、なんだ?
何を思って生きていた?
何を思って言葉を発していた?
何を思って、キラと接していた?
“都合の良い考え方じゃないのかよ! ”
再び思い出すカズイの言葉。
都合の良い。確かにその通りだった。
前提としてコーディネーターを忌み嫌う思想を持ちながら、艦を守ってくれるキラだけを、都合よく“忌み嫌うコーディネーター”の認識から外しただけだ。
根っこの思想が変わっていない以上、フレイの言葉がキラを傷つける事は自明の理であった。
「皆、ちゃんとあの子の事を見てたのに……私だけは、“都合の良いコーディネーターの子”としか見ていなかった」
食堂で声を荒げたカズイも。
サイもトールもミリアリアも。
オーブ軍人のタケル・アマノやカガリ・アマノも。
ちゃんとキラを見て、キラの事を気にかけていた。
再び涙が滲む。
考えれば考える程、いかに自分が他者を傷つけていたのかをフレイは思い知らされた。
きっとタケルやカガリにも嫌な思いをさせていただろう。
あの時、食堂でカガリがフレイに突っかかってきたのは、彼女自身コーディネーターの兄を持つが故にフレイの言動が許せなかったのもあるのだろう。
「──ごめんなさい」
誰に向けるでもなく、何に向けるでもなく、言葉が零れた。
それは恐らく、自身に向けた謝罪。
これまで何も考えずに生きていた自分を。今の自分を形作ってきた自分を。
過去のものとして決別をするための謝罪。
変わらなければならないと、過去の自分を断じる為の謝罪であった。
暗く静かな部屋で、1人彼女の嗚咽だけが暫く響き続けるのだった。
アークエンジェルの一室。
そこに自覚は無いが軟禁されているラクスは、友達のピンクハロと戯れながら来客を待っていた。
「詰まりませんわね、ピンクちゃん。早くキラ様が来ると良いのですが」
「テヤンデ―」
「まぁ、そんな言い方はダメですよ」
「ミトメタクナイ」
「もう、ピンクちゃんたら」
「失礼します。食事を持ってきました」
丁度良いタイミングでドアの外からキラの声が飛び込んでくる。
ラクスは待ち望んだ来客の知らせにパッと顔を輝かせると、自らの衣装を少し整え居住まいを正した。
「お待ちしていました。どうぞお入りください」
「えっと、失礼します。食事を持ってきたのですが……」
「はい、キラ様」
「はい、そうです。って、何で知ってるんですか?」
「先程、タケル様より聞き及んでおりますわ。キラ様が一緒に食事をしてくれると」
「あ、えぇ、まぁ」
「さぁ、どうぞそちらへ」
対面する形で簡易ベッドを示され、キラはラクスに言われるがままに座った。
本当なら簡易デスクがあり1人はそこで落ち着いて食べられるはずだが、ラクスはトレイを膝に乗せ簡易ベッド越しの対面での食事を希望しているようである。
終始ニコニコと笑顔を見せるラクスに調子が狂うキラだった。
「先程はありがとうございました」
「え、先程って……あぁ、格納庫で」
ふわふわと飛んでいきそうな彼女を慌てて引き寄せたことだろう。
キラにとっては取るに足らない小さなことであるがそんな事でもお礼を言われることが嬉しかった。
「そういえば、さっきはなんで1人で食堂なんかに……ここは地球軍の艦ですし、コーディネーターの貴方が一人でウロウロするのは危ないですよ」
「そうなのですか?」
「そうですよ、今は敵同士だし……フレイみたいに、コーディネーターが嫌いな人だって……たくさんいるんですから」
言葉にして、キラの胸がまた痛む。
思い出したくない光景と声を振り払えず、キラは俄かに俯いた。
「難しいですのね。私はコーディネーターではありますが、ザフトではありません。
あの方も、地球軍ではないのでしょう?」
「はい、そうです」
「軍人でないのならば、私たちは手を取り合えると思うのですが」
「えっ、無理ですよそんなの! さっきだって、貴方にあんな風に」
「ですが、キラ様はコーディネーターでもあの方と仲良くされてるのではありませんか」
「仲良くなんて……」
「違うのですか?」
違う──そう否定したい自分と否定したくない自分がいることをキラは自覚する。
アルテミスでの一件を謝罪した彼女が、キラの答えに見せた笑顔。
それを見たとき、キラは彼女にどこか見惚れていた。あの笑顔を崩したくないと思っていた。
だが、彼女と近づけば近づくほど、彼女のコーディネーター嫌いが強く感じられる。
仲良くなりたい。だが仲良くなるほど辛い思いをするだろう。
板挟みとなる感情にキラは苛まれる。
「貴方は、優しいのですね」
「優しい? 僕が?」
「自分よりも誰かを、自分よりも友達を。そうして思い悩み、苦しんでいる」
「苦しんでなんか、いないです」
絞り出すように返すキラの言葉に、説得力は欠片もなかった。
食事をするキラの手は止まり、何かをこらえる様に肩を震わせている。
「──タケル様には口止めされているのですが、お話し致します。
タケル様は、心身ともに疲れ切っているキラ様に安らいで欲しいと私に告げ、ここに食事を運ばせると」
「そう、なんですか。タケルは、本当にお見通しなんだね」
「いいえ、違います。タケル様でなくとも、今のキラ様が疲れ切っているのは誰にもわかります」
どこかタケルに対して、劣等感にも似た感情を抱いたキラだったが、ラクスの言葉に俯いた顔を見上げた。
目の前には薄く笑みを浮かべ、キラを見つめる慈愛の瞳があった。
「タケル様はキラ様の事を誰よりも心配しておられます。その彼から私は貴方を託されました。
なので少しだけ、私も本気でお力になりたいと存じます」
何を言っているのか。キラが疑念を解くまえに、ラクスが先に行動を起こした。
キラの元へと近づくと、ひとつも進んでいない食事のトレイを優しく奪い去りカートへと片付ける。
続いてキラの傍らへと座り込むと、優しくその頭を抱き上げそっと自分の方へと寄せる。
ふわりと、優しく彼女の香りを感じながら、キラはラクスの脚へと頭を乗せられていた。
「食事も喉を通らないのでしょう。ならば少しお眠りください。その間、私は子守唄を歌って差し上げますから」
「いや、えっ、ちょっと──」
状況への混乱。突然のラクスの申し出にも混乱。
思わず声を上げ暴れようとするキラだったが、ラクスはそれを人差し指1本で制した。
「──お静かに」
キラの口元に添えられた白く細い指。
少し冷たく、だけど温かい。
正面には綺麗で小さな顔が慈愛を湛えて広がっていた。
どこか有無を言わせぬ彼女の気配にキラは押し黙ってしまう。
「良い子ですね──それでは」
そこから先の記憶をキラはよく覚えていなかった。
聞こえたのは、清らかな声が奏でる旋律。
優しく、緩やかで、まるで全身を包むような声音がキラの耳を通って感じ入った。
ものの数分も経たぬうちに、キラは先程までの混乱など露ほども感じさせない、穏やかな寝息をたてていた。
「おやすみなさいませ。心優しきナイト様」
静かな寝息が途切れるまで、優しい歌声が途切れることも無かった。
「それで、どうしたんだ兄様?」
「ん、何が?」
突然のカガリの問いかけ。意味がわからないとタケルは白を切った。
「わかりやすいんだ兄様は。らしくもなくおどけて、らしくもなくふざけて。
今回は一体何を抱え込んでる?」
「あーなるほど。らしくない……ね。次からは気を付けよう」
「ふざけるな」
ぐいっとタケルを自身へと向き直らせるカガリ。
正面から見つめると、タケルは目を泳がせた。
「言う気はないと?」
「いや、なんて言えばいいかまとまってないだけ」
「なら待つ。早く言え」
「待つって言ってるのに早く言えって……」
「うるさい!」
茶化すタケルに少し本気になったカガリの怒気が伝わる。
タケルは言葉を探すようにおずおずと口を開いた。
「あのフレイって子の言葉を聞いてね、僕もちょっと思い出しちゃって……」
「思い出した? 何をだ?」
「小さいころ、カガリにずっと嫌われていた事」
「うっ!? 何で今更そんな事を……」
「仕方ないでしょ、言ってる事そっくりなんだから」
嘗て、まだ幼少の頃。
タケルとカガリは、今では想像もできないほど仲が悪かった。
いや、仲が悪いとは正確な表現ではない。実際にはカガリがタケルを忌み嫌っていた。と言う方が正しい。
幼い頃から、コーディネーターであるタケルは何でもそつなくこなした。
勉強しかり、運動しかり、習い事から何から、できないことなど無いとカガリは思っていた。
良くタケルと比べられカガリは常に肩身の狭い思いを感じていた。
そんなカガリの気持ちなど露知らず、無邪気に接してくるタケルが疎ましくて、カガリはタケルと距離を置いた。
“コーディネーターの兄様なんて大っ嫌いだ! ”
一度気持ちが爆発して不意に口から飛び出したカガリの言葉である。
以降、2人が仲直りのきっかけとなる事件が訪れるまで、タケルがカガリに話しかける事は無かった。
カガリもまた同じく。吐いた言葉は飲み込めず、素直に謝る事も出来ず。悶々と後悔だけを抱き続ける事となった。
最終的には、虐めの件ですっかり仲良くなるのだが、それまでの日々はカガリの事が大好きなタケルにとって辛く悲しい日々だったのだろう。
フレイの言葉で、ある種トラウマに近い日々を思い出し、人知れず沈んだ気持ちを持ち上げようと無理に振舞っていたのが、カガリにはバレバレだったわけである。
「その……今更かもしれないが、あの時はすまなかった。私はなんでもできる兄様が疎ましくて、ついあんな傷つけるような事を言ってしまって……勿論今は違う。兄様の事を私は大切に思っている」
「うん、大丈夫だよ。それはもう良くわかってるから……ただちょっと、思い出しちゃっただけ」
隠していた本心を曝け出されて、先程までの元気な様子など面影もない程弱弱しく見えるタケルの姿。
空元気だったのだろうと、カガリは良く良く理解した。
「全く、今ここで私が兄様を大切だと言っているんだ。過去の失言に対してこれ以上の証明は無いだろうに」
「だから、大丈夫だって……わっ!?」
突然カガリに引き寄せられ、タケルは簡易ベッドに横にさせられた。
「え、な、なに?」
「仕方ないから不安なんて忘れさせてやる。言ってわからなきゃ実力行使だ」
簡易ベッドでタケルの頭を抱え込むと、カガリはそのまま己の足元へと引き寄せる。
ストンと胡坐をかいた足の中にタケルの頭を収めた。
「あーもしかしてこのまま?」
「疲れているだろ? 今回だって兄様は大忙しだったからな」
「まぁ、ね……」
「少し寝ると良い……このままこうしていてやるから」
「そっか……ありがとう」
別にもう変な疑いも持っていないのだが、してくれると言うなら素直に享受しよう──タケルはそのまま静かに目を閉じた。
寝息が聞こえるまで、さしたる時間はかからず、カガリはその間静かにタケルの頭を撫でつけてやる。
我が子をあやす母のような姿であった。
2人の少女と2人の少年が。
静かに、本当に静かに休息の時を送っていた。
あぁ、女神。そんなお話