月面ダイダロス基地。
破棄されたこの基地を再利用する形で、現在は地球圏統一同盟軍の管理下に置かれている中、今日も今日とて地球から上がってきた同盟軍が迎え入れられて混雑状況にあった。
先んじてダイダロスに入ったフレイ・アルスターを仲介として、地上をまとめているユーラシア連邦、大西洋連邦の大統領等と連携しカガリとラクスは同盟軍の編成を進めており、受け入れの整備としてオーブ国防軍が取りまとめる。
近いうちに、どうにか同盟軍は編成を終える事になるだろう。
そんな中、所属の確かなアークエンジェル、エターナル、アマテラスの3隻は、月周辺へと移動させてきたファクトリーに係留する形で基地から離れ、各々が決戦に向けた準備を進めていた。
エターナルの格納庫にて。
己の機体フリーダムのコクピットで、キラはキーボードを取り出し必死にシステムを構築していた。
“その制御プログラムをキラに合わせて組んだのは僕だ……全てを熟知している僕に、通用すると思ったか! ”
思い出すは先日の戦闘での事。
まるで全てを見抜かれているかのように、フリーダムのドラグーンに因る攻撃は見切られてしまった。
そう、タケル・アマノはキラ・ヤマトを熟知しているのだ。
初めて戦場に出たのは同じ時。ヘリオポリスでザフトの襲撃を受けたあの日から全ては始まった。
根無し草の逃避行となったアークエンジェルを守る為、ずっと隣でキラとタケルは戦い続けて来た。
ストライク、フリーダム。そして彼がキラの為に生み出したアストレイ-F。
長きを共に戦ってきた、戦友であるのだ。互いの事を理解しているのは当然の事。
増してや彼は技術者でありながらパイロットと言う異端。その慧眼がどれだけキラ事を分析しているのかは、計り知れない。
同じ轍を踏まない為にも、制御システムへの対策は急務であった。
「────おーい、キラ」
「あっ、バルトフェルドさん」
不意にコクピット内のモニターに映し出される男の声に、キラは顔を上げた。
「どうしたんですか?」
「お前にお客さんだ」
「お客さん?」
モニター越しに手招きするバルトフェルドを確認して、キラはキーボードをしまうとコクピットを出て外へと顔を出していく。
「お客さんって……」
機体の足元へと目を向ければ、そこに居たバルトフェルドの隣に見知った顔があった。
顔に大きな傷跡が残る金髪の男性────ムウ・ラ・フラガである。同じく片眼に大きな傷を残すバルトフェルドと並ぶと妙に威圧感が増す光景だ。
「──ムウさん」
「おぅキラ。悪いな、調整中に」
「いえ、それは構いませんけど……」
少しだけ渋るような気配でキラはバルトフェルド、ムウ────そしてその隣へと目を向ける。
「──君は」
桃色の長い髪……コペルニクスで短く切られてしまった為に、今はその面影も無いが、大切な想い人と同じ色合いの髪と容姿。
そこに居たのはラクス・クラインの偽物、ミーア・キャンベルであった。
「あの……その……」
「何?」
「ほらキラ、そんな怖い顔するなよ。彼女が怯えちまうだろ」
「お前がそんな顔するとわかってるから、ラクスに言われて大人のおじさまな俺達が彼女を連れて来たんだぞ」
「別に……そんな怖い顔なんて」
思わず顔を背けるキラに、ムウとバルトフェルドは肩を竦めて顔を見合わせた。
キラの気持ちはわからなくはない。大切な人の、その存在を乗っ取った人間だ。
もっと言うならブリュッセルで行われた会談に置いて、デュランダルが目の前の偽物こそが今はラクスだと突き付けてきたのだ。
彼に対しても、そして目の前の彼女に対しても、決して良い印象等抱けなかった。
「ムウさん、ラクスは何で彼女を?」
できるだけミーアを視界に入れないようにしながら、キラはムウへと問いかけた。
ラクスに言われ連れてきた…………その真意は一体何だと。
嫌がらせ、何てことは有り得ないだろう。ラクスが彼女を寄越したのなら、キラにとっての大事な意味を持つはずであった。
「ファクトリーと合流したからな。この嬢ちゃんはファクトリーに保護してもらう事になった。俺達ともここでお別れだ」
「んなもんで、お前に挨拶に来たわけだよ」
「別に挨拶なんて……僕には必要無いですよ」
「だぁから、そんな態度のままで終わって欲しくないから、ラクスの嬢ちゃんがちゃんと引き合わせてくれたんじゃねえか」
こっちを向け、とでも言う様に、ムウはキラの肩へと腕を回すと無理矢理ミーアへ向かせた。
キラとミーアは瞬間的に目を合わせ、互いに気まずそうに瞳を逸らす。
「えっと……キラ・ヤマトさん」
おずおずと、視線を戻したミーアから口を開いていく。
「何? えっと……」
「あっ、ミーアです! ミーア・キャンベル」
「うん、それで? なんでミーアさんは僕の所へ?」
つっけんどんな態度である。
気持ちはわかるがいい加減にしろと、肩に回されていたムウの手がキラの頭へと乗せられた。
「────その、ラクス様から言われまして」
「それは、聞いたけど……」
「貴方に、私の歌を聞いて欲しいんです」
「は?」
何故……歌?
疑問符を浮かべるキラだが、言われた言葉を理解し視線が険しい物へと変わっていった。
「君の歌を? 僕の前で君は、ラクスの歌を歌うと言うの?」
「はい」
迷いなく答えるミーアに、キラから苛立ち交じりのため息が零れる。
ラクスの偽物……未だ納得できていない、卸し切れていない事実だというのに。目の前の少女は再びそれを自身に見せつけ挑発しようとでも言うのか。
押し殺していた筈の憤りがキラの中で渦巻いた。
「キラ、これはラクスから彼女に向けて告げられた要望だ。文句を言うのは筋違いだぞ」
「なんで……ラクスはそんな」
「良いから聞いてみろよ。それでラクスの嬢ちゃんが言いたいことはわかるだろうさ」
「────わかりました」
ムウの言葉に少しの間を置いてから、渋々とキラは頷いた。
どこか投げやりに近くの機材に座り込むと、ミーアが歌い出すのを待つ姿勢を見せる。
不機嫌さは消えていないが、それでも一先ずのその姿勢にミーアも覚悟を決めた様に一度深呼吸をしてみせた。
「さて、頼むぞ嬢ちゃん」
「歌ってみてくれ」
「──はい」
バルトフェルドとムウに促され……偽りの歌姫は静かに目を閉じる。
形の良い口元が音と言葉を口ずさめば、伴奏のない静かなライブが幕を開けた。
透き通る声と繊細なメロディ。誰もが魅了され、音に沈んでいく。
そんな慈しみの歌。平和を願う……希望の舞台。
いつしか格納庫は、偽りの歌姫の舞台に酔いしれていた。
ムウも、バルトフェルドも、格納庫に居た整備班の者も皆。
それはキラとて例外にはならず。偽物だったはずの歌声が素直にキラの耳を揺らしていく────心を解きほぐしていく。
たった1曲の静かな歌で、世界はこんなにも平和に成れるのだと。
平和の象徴、ラクス・クラインの歌がそこにあった。
歌が終われば、その場には万来の拍手が鳴り響いた。
「いかがでしたか、キラ?」
「──ラクス」
飛び込んできた声に、キラは目を見開いてそちらを見つめる。
「なんでこっちに?」
「それはだって…………私も聞きたかったですから。私の代わりに歌い続けてくれた、彼女の歌を」
ねっ? と、言われてしまえば、予定外な本人の登場にミーアは縮こまるばかりであった。
元々ラクスは基地でのあれこれで動けないからムウとバルトフェルドに依頼したはずなのに…………だが、2人はこの状況を予見していたのか、特に驚いている様子はない。
いっぱい食わされたと言う訳である。
「それでキラ、いかがでしたか? ミーアさんの歌は」
「それは…………良かったけど、僕にとってはやっぱり偽物だ。僕はラクスの歌の方が──」
不意にキラの言葉が途切れる。
ラクスの細い指先が、その先を紡ごうとしたキラの口元を抑えていた。
「キラの気持ちは嬉しいです。でも、ミーアさんの歌が偽物だなんて、私は思いません」
「──ラクス」
どうして、何故そんなにも簡単に許す事ができる。
他ならぬ彼女自身が、愚かな行いによって全てを奪われたと言うのに何故────キラの不満は募った。
「先程の歌も、ミーアさんのこれまでの歌も…………そしてこれまで彼女が、ラクス・クラインとして挙げ続けてきた声と言葉も。全て、私と変わらず平和を願うミーアさんの本物だからです」
「平和を願う…………本物?」
「キラにも伝わったのではありませんか? ミーアさんの歌と想いは、私と何も変わらないと」
言われて、キラは押し黙る。その素振りにはラクスの言葉を肯定する気配が含まれていた。
事実として、確かにミーア・キャンベルはラクス・クラインの替え玉────偽物である。
だが、偽物だとしても。彼女は、全身全霊をかけてラクス・クラインであろうとした。
自らの存在を捨ててまで、歌と言葉に大好きだったラクス・クラインを込めて。
雲隠れしてしまった本物に代わり、世界と向き合ってきた。
自身が認めたその事実を、ラクスはキラにも認めてほしかった。
彼女がラクス・クラインとなった事を、悪く見て欲しく無かったのだ。
それは巡り巡って、逃げ出した自身を責められることと同義だから。
「キラ・ヤマトさん」
「はい」
静かに、ミーアは頭を下げた。
「貴方の大切な人の尊厳を踏み躙りました事、本当に申し訳ありませんでした」
精一杯の謝罪が、キラへと届けられる。
思わずキラは何も言えなくなって、たたらを踏む様に後ろへ下がった。
「──キラ」
「うっ、ラクス…………」
何と答えるべきか────困った顔を見せるキラにも、ラクスはむしろニコニコと笑顔を絶やさなかった。
そんな彼女の笑みを見せられてしまえば、未だわだかまりを抱く自分の方が悪い気分になってくる。キラはすぐに、諦めの境地へと至った。
「キラ、お返事してくださいな」
「うぅ…………わかりました、謝罪を受け入れます────こちらこそ、嫌な態度ばかりでごめんなさい」
ぱぁっ、と顔を輝かせるラクス。
対面でどこか安堵した様な表情を見せるミーアへと駆け寄っていく。
「良かったですわね、ミーアさん」
「は、はい…………何から何まで本当にありがとうございます、ラクス様」
やった事は消えないが、それでも1番迷惑をかけた本人とその想い人への謝罪を済ませて、そして赦しを得た────気持ちの落とし所としては十分であろう。
機会をくれたラクスに心の底から感謝して、ミーアは再び頭を下げた。
「いやー良かった良かった。これで一安心だなフラガ」
「あぁ、キラ君が優しくて良かったなぁバルトフェルド」
ガシガシと2人のおっさんから頭を撫でつけられる。
妙に上機嫌なおっさん2人に、キラは訝しんだ。
「何なんですか2人とも…………ってか、2人には関係ないじゃないですか」
「バカを言っちゃいけねえ」
「関係大有りだ」
「なんせ俺たちは──」
僅かに溜めるおっさん2人。
一体どんな理由があるのだろうと、キラは小さく息を呑んだ。
「「ミーアちゃんのファンだからな!!」」
「──は?」
何を言っているんだこいつらは──ー身構えていたキラの瞳から光が消えた。
身構えたのが見事に馬鹿らしい。と言うか、バルトフェルドはともかくとしてムウはつい先日まで記憶を無くして大西洋連邦秘匿部隊の指揮官だっただろう。
まさかネオ・ロアノークだった時からそうなのか? キラの謎は深まるばかりである。
やれラクスと比べてどこが良いだの。この違いがわかる奴こそコアなファンだのと、言いたい放題である。
少なくとも本人たちの前で語ることではあるまい。
必死に頭を振って、キラはバカ2人の事を思考から追い出した。
2人の事は後で
「ねぇ、ミーアさん」
「あっ、はい…………何でしょうか?」
「キラ、まだ何か?」
「うん、一つだけ。お願いしたい事があるんだ」
願い事。キラが切り出したそれにミーアもラクスも首を傾げた。
「君が良ければ何だけど…………これからはラクスの偽物じゃなくて、ラクスの友達になってくれたら嬉しいなって」
「まぁキラ。それはとても良い提案ですわ」
「ミーアさんならわかると思うけど。ラクス…………友達を作れる環境じゃ無かったからさ。せっかく同じ歌を歌えるんだし、歌手仲間として是非、これからラクスと接してもらえたらなって思うんだけど、どうだろう?」
プラントにいた時から、最高評議会議長の娘と言う超絶箱入り娘。
オーブに亡命してからも、人目は忍んで生きてきたし、同年代でやり取りといえばせいぜいがたまに孤児院に来ていたアサギ達くらい。
人並みな友人関係と言うものが望めない──ーそれがラクス・クラインであった。
だが彼女なら。
ラクスに成り替わり、全てを分かち合ったことのある彼女であれば。
ラクスのとってこの上ない理解者になってくれる。キラはそんな気がしていた。
「どう、かな?」
「えっと、私なんかでその…………良いんですか?」
「私は是非に、とお願いしますが」
期待を込められた憧れの人の眼差し。
そして同様に、期待する様なその想い人の眼差し。
いつの間にか不思議な事態になっていることに戸惑いながらも、ミーア・キャンベルが否と言うはずもない。
彼女もまた、大好きなラクスと友達など願っても見ないことだったのだ。
「ではラクス様────是非!」
こうして2人の歌姫は、固い握手交わすのであった。
アークエンジェル艦内。
サヤ・アマノは今日も、仮想敵にデスティニーtype-Lを想定してのシミュレーションを行っていた。
「くっ──っ!?」
頬を伝う汗。やや疲れを見せる表情から、かなりの時間をこれに費やしている事がわかる。
だがそれでも──
「やはり……届きませんか」
結果は惨敗。
シンのデスティニーのステータスから作り上げられた仮想type-Lを相手に、サヤのシンゲツは未だ一度の勝利も得られなかった。
「えぇ、知ってはいましたとも……サヤがお兄様に敵わないことくらい」
誰に聞かせるでもなく1人自嘲して見せる。
サヤ・アマノの人生の中でこれまで、最愛の兄に挑むこと等考えられなかった。兄が自身の敵になること等、有り得ないと……そう信じていた。
有り得ないはずの現実が目の前に迫り、サヤの心は気合とは裏腹に諦めの境地へと至ってしまっていた。
挑むことなど考えられなかった……これには少し語弊がある。正確には挑ませてすらもらえなかったと言うべきだろう。
生身での格闘術においても、MSを用いた戦闘においても────肉体的な面だけではなく、勉学に置いても同様。
サヤ・アマノはタケル・アマノから守るべき妹としか見られていない。
ただの一度たりとて、兄と肩を並べて脅威となる事は無かったのだ。挑むに足る土俵にすら上がれていない。
挑むこと等あり得ない。敵になることなど有り得ない。
それは兄が、ではなくサヤ・アマノが、と言う意味になる。
「貴方の背中は遠すぎます────お兄様」
悔しさに肩を抱く。何度挑もうとも、結果は自身と兄の間にある絶対的な差を叩きつけて来るものとなった。
微細に制御された異次元の全開機動。接近の仕方1つでも、シンの直情的な動きとは違い遥かに練られ洗練された動き。
ドラグーン兵装ライソウと接近時のフラッシュエッジにパルマフィオキーナという少ない武装でありながら、攻め手の複雑さは異常と言う他ない。
全ての攻撃が次なる攻め手への布石と思えるほどに繋がり続ける永続的な波状攻撃は、あのユリス・ラングベルトを追い詰め、仕留めるに至った事実を示す苛烈なもの。
同じ機体を駆るシンとはある程度互角に戦えると言うのに……サヤには突破口の1つも見当たらなかった。
「ヤヨイ、お疲れ」
横合いから飛び込んでくる声────ドリンク片手に、真紅の瞳が心配そうに覗き込んできていた。
「──シン」
「大丈夫か? 疲れた顔してるぞ」
あの意地っ張りな少年にしては珍しい……素直な優しさの載せられた、心配の声であった。
「別に、疲れてなど…………」
「少し根詰めすぎじゃないのか?」
「放っておいてください。シンと違い、私は火事場の馬鹿力でどうにかなる様なポテンシャルは秘めていないのです。
こうでもしなければ、お兄様を止めること等──」
シミュレーターから這い出したところで、不意にサヤの身体がフラついた。
思わずそれを支えるシンに、サヤはどうにも歯がゆい情けなさで一杯になった。
兄であればこの程度でフラつくこと等あり得ないだろう。わかりやすい疲労の影響に、こんな所でも敵わないのかとサヤは胸中で己に毒吐く。
「なぁヤヨイ……あんまり無理するなよ」
簡単に発せられたつまらない心配の言葉に、思わずサヤの表情は険しいものへと変わった。
「無理? 貴方に何がわかると言うのです……私は、これまで不変であった上下関係に抗おうとしているのです。生半で覆せるはずがありません。無理を押してでも強くなろうとしなければ、この手は何も掴むこと能わずに終わってしまうでは無いですか」
「だからって、焦って頑張っても仕方ないだろ」
「ならどうしろと言うのです! お兄様を取り戻すために必死になるのが、無駄だとでも──」
「そうじゃなくて! 大切な人と戦うなんて────ヤヨイだって、辛い筈じゃないのかよ? l
慮る気配と共に、シンが投げかけてくる言葉にサヤの表情は固まった。
これまでがどれだけ鉄面皮であったとしても、シンに取ってヤヨイ・キサラギは仲間思いの心優しき少女である。
それは、記憶を取り戻したところで大きくは変わらない。
常に冷静を振舞ってはいるが、彼女もまた身内には……大切な人には甘く、脆い。
増してや今は、生涯をかけて愛してきた最愛の人を敵見定めているのだ。その為の訓練ですら、鬱屈として辛い筈である。
それをどうにか、兄を取り戻すという大義名分で誤魔化しているに過ぎない。
疲労が色濃く残る程の密度で訓練を繰り返すサヤの姿は、シンからすれば痛ましいものであった。
「シン……私は……辛いなどと……」
「大丈夫だから。今度は俺が────俺が絶対に、あの人を助けて見せるから」
強がりばかりで平静を装い、内にある感情をなかなか曝してくれない目の前の少女に、少年は誓って見せる。
嘗て救われた心。助けられた恩義に報いる為────何より、目の前の少女の為。
少年は遥か高みへとその手を伸ばそうとしていた。
「俺がやる。あの人を……お前の大切な人を、助けて見せるから────だからそんな風に無理しないでくれ」
つぅ、と頬を涙が伝う────ハッとするのはシンであった。
「──あっ、なん、で」
流れ出した涙の意味がわからず、サヤ・アマノは惑った。
何故、どうして…………自身の胸に去来する何かに心を揺さぶられ。どうにかなけなしのプライドを総動員させると、溢れる涙を拭って無かったものにしようとした。
しかし、拭っても拭っても一度堰を切った涙は流れるのを止めてはくれなかった。
「なんで…………どうして、私……」
これがきっと、強がり続けた結果なのだろう。
全てはあの日から────オーブが撃たれ失われたかの日から溜め込んできた、彼女の後悔の念の証であった。
愛する兄の状態に気がつけなかった。再会の喜びに浮かれてしまった────それが、サヤ・アマノの消せない罪。
胸を穿った愚かな自身に向けた失望を、これまではどうにか押し殺し己を保って来た。
無様に嘆くのは、父ユウキの実子であるプライドが許さなかったのだ。
だがどう足掻いても、サヤにとってタケル・アマノの存在は大きすぎた。
文字通り、サヤ・アマノにとっての全て。命を投げ出す事も厭わぬ大切な存在。
どれだけ必死に取り繕おうとも、タケルと敵対すると言う現実は彼女の心に深い絶望を与えるものであり、取り繕っていた無理を看破されたサヤの心は、押さえつけていた感情を律する事ができなくなってしまっていた。
「ダメ、です……見ないで下さい、シン」
押し殺していた感情を。抑えつけていた胸の痛みを、涙と変えて溢れさせたサヤ・アマノを見て────反射的にシンは彼女を掻き抱いた。
小柄な少女の身体は、何の抵抗もなく腕の中に収まり、小さくみじろぎを1度すると黙り込む。
決して深い思慮があったわけでは無い。彼女の胸中に渦巻く想いが、シンにはほとんど理解できていない。
タケルにしてもサヤにしても、大切な兄妹と撃ち合うのは身を切るより辛い筈だと。そんな運命に乗せられてしまったサヤの胸中を、自身に置き換え推し量っただけである。
ミネルバでタケルを問い詰めた時と同様。一巻してシンの胸にあったのは、アマノの性を持つ2人が撃ち合うのだけはさせてはならないと言う忌避感。自身が既に大切な妹喪っているが故の、悲しい現実への反抗。
だがそれが、どうしようもなくサヤ・アマノの心を打つ。
「(あぁ、やはり……あの男の言う事は正しかったのですね)」
どこか諦めの境地に至りながら、サヤはシンの抱擁を受け入れていた。
伝わる熱に。背筋を上って来る高揚感に。サヤは己の底にある本音を悟る。
もうヤヨイ・キサラギの感情などと、自身の心に嘘はつけない。何故なら、どうしようもない程にサヤの胸は嬉しさと愛しさに高鳴ってしまっているのだから。
変わらずに、最愛の兄を想う気持ちに一切の曇りは無いが……それと同じくらい目の前の少年に心惹かれてしまっている。
鉄壁で防いでいた筈の心に踏み込んで来た彼の言葉に、絆されてしまっている。
これが遺伝子が織りなす究極の相性の力とでも言うのなら、なんとも厄介なものだ。
感情と言うよりももっと芯根……本能に近い部分で揺さぶられた心。
その疼きは抗いがたく、サヤの腕は少年の背へと回されてしまう。
胸に顔を埋めれば少年の匂いが感じられた。途端に、サヤの脳裏に甘い痺れが過る。少年からはサヤを惑わすフェロモンでも出ているのだろうか。
遺伝子的究極の相性はこんな所でも、サヤに対して猛威を振るっていた。
「シン、女性をいきなり抱きしめるのは破廉恥です」
「あっ、ごめ──」
慌てて離そうとしたシンを、今度はサヤが背に回した腕で締め付ける。
逃すものかと万力の如く締められた腕の力にシンは抗えず、シンは胸の内の少女を視線だけ向けて伺った。
「離さないで下さい。一度サヤを胸の内に招いた以上、貴方から離すことは許しません」
いつも通りの不遜な言葉────だが、言葉とは裏腹に静かで安心した様な、どこかねだる声音。
応えるように、シンもまた腕に力を込めてみる。
「ヤヨイ、俺──」
「サヤと呼んでください。貴方にもこの名を許します────もう、自分に嘘は吐けなくなりましたから」
「あ、あぁわかったよ、サヤ」
鼓膜を揺らす甘美な響きに、サヤの背筋が震える。想いを自覚した途端こうまで変わるのかと、サヤは内心で狼狽えた。
相手となるシンにその兆候が見られないのは恐らくまだサヤの様に想いへの自覚が無いからなのだろう。兄と同じくこの少年にとってもまた、サヤ・アマノはまだ守るべき対象でしかないのだ。
それはそれで面白くはないのだが、甘えたくなるのも女の子の性と言う所。
どこか気持ちを示す様に、また1つ彼を締め付ける腕の力が増した。
「いっ!? さ、サヤ?」
「──本当に、助けてくれますか?」
不安を湛えた声────それは自分と、そして最愛の兄の事も含めた問い。
当たり前だと、シンの胸は滾った。
「あぁ、必ず」
「ですが、今のシンではお兄様に敵いませんよ」
「甘く見るなよ。この間キラさんには勝てるかもって言ってもらえた」
「そんなのリップサービスです。私達とあの方達ではまだ大きな差があります」
「そのくらい埋めて見せるさ。お前の為なら」
また普通に聞けば歯の浮くようなセリフを無自覚で溢して来る。裏の無い言葉な分、普通に聞くよりいっそ性質が悪い。
何の根拠もないのに、信じてしまうではないか────サヤの心はまた揺り動かされた。
「シン、ルナマリアとはどうするのですか?」
「ルナ? なんでルナが今出て来るんだ?」」
見上げてみれば、小首を傾げるワンコの表情……サヤは高鳴っていた胸が急速に冷めていくのを感じていた。
あぁ、この少年も大概ニブチンであったか。
アスラン・ザラも、キラ・ヤマトも、シン・アスカも。自身の周りはニブチンだらけである。
「あっちもこっちも────殿方としての格はやはりお兄様に遠く及びませんね」
神格化する兄への信仰心によるガバ評価を付け加えて、サヤはどこかなじる様にシンへと吐き捨てる。
目の前の少年と、あの赤毛の姉もどき。サヤがミネルバを離れてから関係性が深くなっていたのはレクイエム攻略作戦の時にも見て取れていた。
恐らくは自身の脱走が切っ掛けとなったのであろうが……未だ目の前の少年は色恋にどうも疎いらしい。
ひょんなことから自身の想いに気が付かされたサヤは、お節介な姉代わりに胸中で平謝りであった。
「サヤ?」
「良いです、的外れでした、気にしないで下さい────後で自らケリを付けますので」
後半は聞こえぬ様潜めて呟いてから、サヤはもう一度甘い痺れを齎す少年の匂いを嗅いだ。字面にするとやたら変態チックである。
鼻腔を満たしたそれに安堵を覚えるのは、兄に通じるものがあり、やっぱりサヤの心は温かい熱に満たされた。
「シン────もう少しだけ、こうして居て良いですか?」
「あ、あぁ……もち、ろん」
「感謝します」
今更になって、自分が今どんな状況に至っているかを自覚した少年は、一気に顔へ熱の赤味を増していく。
腕の中には掛け値なしの超美少女。これまでは不遜な態度でそう言った目で見た事はあまりなかったが、今の庇護欲をそそる姿を見せられればどんな少年だって眩暈がする程の魅力を感じる様相だ。
「(なんか……すっごい悪い事してる様な気分に……)」
少女に魅力を気が付いてしまった少年は、湧き上がる様々な情欲に流されぬ様、暫くの間頭の中で素数を数え続けるのであった。
アス「シン、ようこそこっち(シスコン兄貴被害者の会)側へ」
シン「な、何言ってんだアンタ! 俺は隊長公認ーー」
キラ「シン、それ以上は危険だよ。後早くデスティニーに乗って逃げた方が良い」
シン「はぁ? アンタ等揃いも揃ってどれだけビビってーー」
タケ「この駄犬がぁあああ!」
と、想像できそうなギャグは置いておいて、
サヤちゃん籠絡…………これがデスティニープランの力の一端。
いや本人としてはお兄様ゾッコンラブも変わらずな訳で、堂々の二股宣言と言うか、遺伝子の相性がもたらしたもう一つの愛情を認めざるを得なくなってしまったと言う話。
でもシンはシンでサヤとルナマリアに自覚まで至らぬ十分な好意を秘めていると言う。
三角形どころかもはや恋愛多角形な模様。
ラクスとミーアは戦後ミゲルプロデュースでユニット組ませよう。そうだそうしよう。
さて、準備編も次で最後。
そこから先は決戦模様となります。どうぞお楽しみに。
完結後、読みたい話は? (どれから書くか参考までに)
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後日談の日常回
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オリジナルプロットの劇場版
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SEED FREEDOM
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企画:タケルユリスinOO世界