キラとタケルがザフトの存在を知ってから、数日が経った。
アークエンジェルの整備は終わり万全の状態となり、ストライクもまたモルゲンレーテから午前中には搬送される。
束の間の休息を終え、いよいよを以てアークエンジェルは明日出港の予定となっていた。
「現在の地球の情勢で、最大の不安材料はパナマでしょう。ザフトは宇宙港を押さえる為に大規模作戦を考えてるとのことで、カーペンタリアはその準備の為かかなり慌ただしいです」
タケルとカガリは、世話になったアークエンジェルとの別れを惜しんで最後の挨拶に赴いていた。
自然と今後の動きについても話す場となり、帰国して得られた情報を共有している。
「アマノ二尉、ザフトの動きはどの程度わかっているのですか?」
「詳しくは流石に。ただ……僕も
「中立のオーブではあまり深く探りも入れられない。下手につついて巻き込まれてはかなわないからな……ラミアス艦長達には悪いが兄様の推論ぐらいしか出せる情報は無いんだ。許してくれ」
「そんなきっつい言い方するなよ嬢ちゃん。タケル、また泣いちまうぞ」
「泣きませんよ!」
おかしい──ムウのからかい交じりの言葉にタケルが反論するも、マリューやナタルでさえもどこか微笑ましくタケルを見てくる。まるでそんな強がらなくても良いんだぞと言わんばかりであった。
確かに泣いた回数はそれなりにあったかもしれないが、少なくとも周知の事実となる程では無かったはずだ。
タケルは思い返してみる……が、途中で気づいた。
宇宙でも、砂漠でも、海に出ても。確かに泣いてばかりであった。
「あれ、僕ってそういう認識ですか?」
「ふふ、私達の中じゃ最も脆い軍人として認識されてるわよ」
「もう砂漠降りた辺りからそんな感じだったぜ」
「失礼ですが、ヤマト少尉等学生組よりも余程……その、繊細な人だと私も思っています」
ずーん、と暗い影を纏ってその場にタケルはうずくまった。
オーブの軍人として必死に戦い、必死に取り繕ってきたはずなのに。
蓋を開けてみればこの評価である。ナタルの最大限の配慮が込められた言葉が、いっそ清々しい程にタケルのプライドを打ち砕いた。
「これでショック受けて塞ぎ込むまでが、やっぱり兄様らしいよな」
「そうですね。
それでも、カガリさんとアマノ二尉。お2人が居なければここまで来ることも、こうして無事にオーブから出ていく事もできなかった──本当に、感謝しています」
自然と下げられる艦長であるマリューの頭。
そして続くムウとナタル。その他、艦橋に居たクルー全員。
ノイマン、チャンドラ、トノムラにパル。
サイにトール、カズイにミリアリア。
皆、一緒に苦難を乗り越えてきた仲間であった。
「頭を上げてください。僕達はオーブへと帰るために全力を尽くしたに過ぎません。持ちつ持たれつであっただけです」
「違うだろ兄様──アークエンジェルの皆、私達をここまで運んでくれて、本当にありがとう」
「あぁ、そうだね。本当に、ありがとうございました」
言葉を並べるよりも感謝を伝えろ。そう言うカガリに続いて、タケルも頭を下げた。
「無事にアラスカに辿りつける事を、願っている」
「明日の出航の時には、僕も護衛艦と一緒についていきます。領海内まではきっちりエスコートしますよ」
「最後まで、至れり尽くせりで返す言葉も無いわ」
「助かるぜ、タケル」
「先日お伝えいただいた件も、既に織り込み済みで作戦を立てております。ありがとうございました」
ナタルの言葉にタケルは小さく頷いた。
ミゲルとの遭遇から次の日、マリュー等にはアークエンジェルの所在がザフトへ露見している可能性を伝えている。
ここ数日、タケルの悩みの種であったがアークエンジェル側でも十分に対策を練っているのだろう。
万全──その気配が伺えた。
「それでは、これで失礼します」
互いに敬礼を交わす。それ以上はもう口を開くことは無かった。
艦橋を出ていくタケルとカガリ。
次に会えるのはいつになるだろうか。
戦時中である。これが今生の別れとなっても不思議ではない。
名残惜しさ──カガリはその言葉を思い浮かべて、隣で歩くタケルを伺うも、その表情に変化はない。
変化は無い……という事は転じて、それはタケルが必死に取り繕っている仮面だとカガリは悟った。
情に脆いタケルが別れ際に平静であるはずがないのである。
「──兄様」
「ん? なに?」
「寂しいんだろ? 泣いて良いんだぞ」
「失敬な。こんな事で泣かないよ」
「でも顔が凄い事になってる」
「厳格な軍人を演出しているだけさ」
「無理するなよ。誰も見てないし」
「うっ」
誰も見ていない。
カガリが言い放ったそれを免罪符として、タケルの瞳からは一筋の涙が零れた。
やっぱり取り繕っていたのだ。
戦いを、戦争を知っているタケルは。カガリより余程、今日の別れが今生の別れになり得る事を知っている。
次にまた会える可能性が低い事を知っているのだ。
「カガリってずるいよね。辛いときの僕の事がすぐわかっちゃってさ」
「わかり易い兄様のせいだ。私は何も悪くない」
「でも今は泣きたくないんだ、本当に。
笑って別れたいし、次にまた会えることを信じたいから。泣いて別れたら、これが最後だと認めたみたいで嫌じゃない?」
「じゃあちゃんと抑えろよ。向こうからキラも歩いてきてるぞ」
「えっ、嘘!?」
アークエンジェルのハッチを通って、連絡橋を渡ってる最中、こちらへと歩いてくる人影を見つけた。
ストライクの搬入も終わったのだろう。
キラもようやくモルゲンレーテから艦へと戻ってきたわけである。
慌ててそっぽを向いて、零れた涙を拭いタケルは何食わぬ顔でキラと合流する。
「あぁ、タケルにカガリも。艦長達に会いに?」
「うん。明日出航だから挨拶にね」
「そっちはストライクの搬入も終わってか?」
「うん。ハンガーに乗せて送って貰って。それでようやく」
「そっか……お疲れ様」
3人共が、互いに神妙な顔となる。
別れ際、本当なら言いたいこともたくさんあるのだが、何故か言葉が出てこない。
そんな空気であった。
「とりあえず2人とも……これまで、ありがとう。
2人がいなかったら、僕はきっとここまで戦えなかっただろうし。今よりずっと心に余裕がなかったと思うから」
「それを言うならお互い様だろ。兄様だって、キラが居たからこそがんばれた様なものだしな」
「うん。砂漠じゃキラに任せっきりになっちゃったしね……カガリが乗るアークエンジェルを守ってくれて、本当にありがとうキラ」
最初はそれこそ、民間人でありながら戦場に出る事になったキラを守る為に、タケルも必死で前に出続けた。
カガリを守るだけでなく、オーブ国民を守る事こそが軍人である自身の務めであるという矜持があった。
だが、守るべき対象であったキラは、サイ達と共に自ら戦う事を決め守る側へと変わり。
そしていつしかタケルと肩を並べて戦えるようになっていた。
キラがタケルに助けられたのと同様、タケルもまたキラによって守る事に押しつぶされそうなギリギリの状態を救われていたのだ。
お互いに、感謝しかなかった。
「そうだ、キラ。ラミアス少佐達にはもう伝えてあるんだけど、オーブの領海を出たらきっと──」
「ザフトに襲われる、でしょ。わかってるよ僕も」
機先を制するキラの言葉に僅かに目を見開くも、タケルは納得したようにうなずいた。
アークエンジェルで唯一のMSパイロットだ。マリュー達が知らせていないはずがない。
「もう、聞いてたんだね」
「聞いてたし、知ってた。良かったよ、タケルのお陰で、僕から艦長達に話すことにならなくて……」
「それって、カガリが言ってた友達の話?」
「うん。この間モルゲンレーテでアスランに見つかっちゃったからさ。艦長達にイージスのパイロットを見たから、何て言えないし」
「やっぱり、か。ずっと疑問には思っていたんだ。イージスのストライクへの動きはずっと中途半端だった。
やっぱり、キラと関係のある人だったんだね」
初めてとなるヘリオポリスでの戦い。その時から既に違和感はあった。
キラはとてもパイロットとして戦える技量に無いはずだというのに、訓練を受けたエリート部隊の人間が駆るMSを相手にして、損傷の1つも無かった事。
その時点で、戦闘中に戦闘をしていない事は確定的である。
その後も、ヘリオポリス崩壊後の宇宙戦や先遣隊襲撃時の戦闘等、挙げれば幾つも違和感はあるのだ。
キラとイージスのパイロットに何らかの関係があるのは、タケルも把握していた。
「小さい頃月の幼年学校に居た時から、ずっと……アスランのお母さんはいつも忙しい人で、母さん同士が仲良いもんだから。アスランは半ば僕の家に預けられてる感じでさ。
僕はいつもアスランに助けられてばかりだったんだ」
「それが……今や敵同士、なんだね」
「うん。ヘリオポリスでザフトになったアスランと再会。それからずっと、僕はストライクに乗ってアスランはイージスに乗って」
「辛い、よね」
「お互いに守りたいものがあるから、余計にね。でもカガリが教えてくれたから」
沈痛な面持ちを消して、キラは努めて明るい声を出した。
「えっ、カガリが……何を?」
「敵同士になったからって、友達でなくなるわけじゃないだろって。だから、今は戦うんだ……いつかまた友達に戻れると信じて」
タケルは思わずカガリの方へと振り返る。
そこにはどこか……なんというか僅かばかりに誇らしそうな空気を醸し出すカガリの姿があった。
なるほど、また何かキラの悩みを吹き飛ばす様な事でも言ってくれたのだろうと。
我が妹ながら凄い子だと思う反面、カガリの言葉で強く在れる様になったキラにもまた、タケルは感心した。
「本当に、強くなったね」
「タケルが隣で歩いてくれて、カガリが前を向かせてくれたからね……だから僕はこれまでも、これからも頑張れるんだ」
「何それ、恥ずかしいからやめて」
「だって、本当の事だから。皆言ってるよ。タケルとカガリの姿を見てると、自分達も頑張ろうって気になるんだって。マードック曹長なんか特に」
「いいよ、もう良いって」
気恥ずかしい。
そんな周りに良い影響を与えていたみたいな、褒め方はどうにもむず痒い、とタケルは手と首を総動員してキラの賛辞を拒絶した。
タケルはただ、必死だっただけなのだ。そしてカガリもまた、そんなタケルが必死に守ろうとする艦の為に行動していただけ。
そんな風に褒められるような大層な人間ではない。
いっそ迷惑をたくさんかけているのだ。
「も、もう行くよカガリ。それじゃ、キラ……元気でね」
「はぁ、相変わらず褒められ慣れてないんだよな兄様は──それじゃ、キラ。絶対に死ぬなよ。生きて必ず再会する。約束だ」
「うん、ありがとうカガリ。2人も元気でね」
割とあっさりと、名残惜しさを見せる事無くタケルとカガリはキラと別れた。
こんな風でいい。こんな感じで良い。
名残惜しさを見せれば、それはどんどん重くなって、別れるのが辛くなるから。
タケルが先に言ったように、再会することを信じて、今は簡単に別れたかったのだろう。
「はぁ、これで本当にお別れだね」
アークエンジェルに背を向けて歩きながら、タケルは感慨深く呟いた。
アークエンジェルは地球軍の艦船だ。もう二度と、オーブに寄港する様な事態は無いだろう。
終戦すれば、是非オーブに来てもらって再会したい。
タケルはそんな夢を見る事を止められなかった。
「兄様、感慨にふけっている所悪いんだがな」
「ん? 何、カガリ?」
「兄様にはまだやるべきことがある」
「やるべき、事?」
疑問符を浮かべるタケル。
やり残したことに皆目見当がつかないタケルが首を傾げる中、カガリは人差し指を1つ立ててタケルへと詰め寄った。
「バジル―ル中尉に、何も言わなくて良いのか?」
「へっ? バジル―ル中尉に? 何で?」
「とぼけるな! 気が付いてるはずだ。私以外に、兄様が弱い姿を見せた女性だぞ。なんとも思っていないはずがない」
カガリは確信を持って、タケルへと詰め寄った。
タケル・アマノは弱い。それはもうとてつもなくである。
それを必死で押し殺し、強く在ろうとするのが、タケル・アマノの生き方だ。
カガリが居るから強く在れる。そして代わりに、カガリの前でだけは弱みを見せる。
そんなタケルを見てきたカガリの中で、唯一カガリ以外にタケルが弱さを見せて縋った女性。
それこそがナタル・バジル―ルだ。
カガリからすればこれはあり得ない事であった。
仲の良い女性というなら、アサギ達が居る。エリカ・シモンズだって十分に良好な関係だろう。
だが彼女達の前では、タケルは強がりの仮面を取らない。
オーブの軍人であるタケル・アマノ二尉としての肩書から崩れない。
カガリが見た中でナタルだけが唯一、タケルがもつ不可侵とも言える領域に。
タケルが弱さを見せる事ができるカガリと同じ位置に立てるのだ。
「兄様は余計な事ばかり考えるから自覚が無いのかもしれないが、私にははっきりわかるぞ。絶対に兄様は彼女を好いている」
「どうして僕より僕の気持ちがわかるのさ。いくらカガリでもそれは無理でしょ」
「いいや、無理じゃない。気が付いてないみたいだが彼女と話している時の兄様はアサギ達と一緒に居る時とは全然違うぞ。
凄く自然に話している。立場の上からでも、彼女と話してる時だけは、兄様は仮面を被っていない」
「そんなこと…………そう、なのかな?」
自覚がない。そうカガリに言われて、タケルはこれまでを思い返した。
確かに、彼女には情けない姿を晒した。それは成り行きもあったし曝け出されたと言った方が近いかもしれない。
だがそれでも、砂漠で酒精に酔った時は明確に“ナタル”の手を求めた。
カガリではなく──ナタルの手を。
思い返せば、タケルが最初にナタルの事を気にしたのはヘリオポリスを出た直後であった。
先への不安に表情を曇らせる彼女を助けたい。
そんな風に思ったのは、それこそタケルが彼女に対して何かしかの特別な想いを抱いていたからでは無いだろうかと。カガリは当時から考えていた。
そしてこれまでを見ても……タケルがナタルに抱いている感情は仲間の1人と言う範疇には収まらないものである。
「彼女が同じ想いかはわからない。だが少なくとも、兄様の想いは私にはわかる。砂漠で彼女に救われた兄様は間違いなく特別な感情を抱いてるはずだ」
「だからって、それを伝えるべきなの?」
「何ぃ?」
「だって、僕はオーブの人間。彼女は地球軍でしょ。立場が違いすぎるし」
タケルの言葉に、カガリは怒りにも似た表情を浮かべてタケルへとさらに詰め寄った。
「どこまでお利口さんでいるつもりだ。明日別れてもう二度と会えないかもしれない相手に、今伝えないでいつ想いを伝えるんだ兄様」
「伝えることが必ずしも正しいの? 確かに僕は彼女に特別好意を抱いてるかもしれないけど、それが真っ当に叶うものでないのなら──」
「う・る・さ・い・んだよ! 叶うも叶わないも、伝える伝えないも全部兄様の問題だ。立場とか関係ないだろう。
兄様が伝えたいかどうかを私は聞いている!」
ウダウダとごねてはいるが結局のところは一つ。
タケルは想いを伝える事が怖いだけであった。
失う事が怖いのである。これまでの関係性を……これまでの温かい思い出を。
想いを伝えて、仮に拒絶されてそれらを失うくらいなら、タケルは進展が無い事を選ぶ。
そういう臆病な人間なのだ。
「今日の20時。バジル―ル中尉にハッチの所に来てもらうように言ってある。散々世話になったんだ、言いたいことはあるはずだ……もう一度会って確かめて来い、兄様。
自分の気持ちを……伝えるか伝えないかを」
「──わかったよ」
考え込む素振りを見せながら、タケルはカガリの言葉に頷いた。
半ば押し切られた……と言うか、既に約束まで取り付けられては行くしか無いのは間違いがない。
明日には出港だと言うのに、カガリのせいで余計な時間を取らせたく無いのも本音である。
だが何よりも、アマノ二尉ではなくタケル・アマノとして。彼女にもう一度会ってお礼を言いたい。
これまでの様々を思い出して、タケルはそう思った。
夕暮れ時を過ぎ、夜の帳が下りる。
約束の時間を迎えて、タケルは静かになった艦船ドックへと来ていた。
もうアークエンジェルの修理も終わり、技師の人間は機密のことも考えて原則艦へと近寄らない様に厳命されている。
周囲に人影はなかった。
そんな中をひっそりと忍び込む様に訪れたタケルは、ライトの類を携帯することもなく、アークエンジェルのハッチへと忍び寄る。
とは言え、タケルにはもうハッチ解放の権限はない。仕方なくその場で待っていると、約束の時間丁度の所でひとりでにハッチが開かれた。
「あっ、どうも……バジルール中尉」
「こんな時間に訪れるとは。夜遊びは火傷の元ですよ、アマノ二尉」
そこには軍帽も被り、いつも通りの姿で迎えてくれた、ナタル・バジルールの姿があった。
「カガリに呼ばれて、ですよね? 急にすいませんでした。明日から大変だと言うのに」
「構いません。この時間ならまだ起きている人間も多いですから」
「えっとですね、ここに呼んだのはその、改めてお礼をと思いまして……」
「お礼、ですか?」
ここに来て……ナタルの姿を見たタケルはこれまで通りの会話ができないことに気がつく。
カガリの言葉によって意識せずにいた様々な部分に気がついてしまい、まともにナタルを見ることができなかった。
惹き込まれるほど綺麗な紫の双眸。端正な顔立ちにスラリとした肢体。艦橋に響かせる声は凛としていて、その居住まいは軍人らしく凛々しい姿である。
元々綺麗な女性だと認識していた。タケルにとって魅力のある人だとは理解していた。
だがそれも、今までは気にせずにいられたものだ。
彼女が自身の想い人だと認識していなかったのだから。
だが今は違う。曲がりなりにも意中の女性だという認識が見え隠れしている今。これまでなら見つめることができた彼女の顔を直視できずにいた。
タケルは折角の状況だと言うのに視線を逸らしながら口を開いた。
「その……ずっと、僕個人がバジルール中尉には大分お世話になったと言うか……助けてもらったと言うか……だから、その……お礼をと思って」
「落ち着いてくれ、タケル・アマノ。私は逃げたりしない」
いつもの様に人懐っこい調子では無いタケルの様子に、ナタルは微笑んで見せた。
目の前で見せるこの姿こそが、タケル・アマノの本当の素顔なのだろう。
そこらの少年と何ら変わらない。いっそ、一般的な少年よりもずっと心が弱いであろう事は良く知っている。
だからこそナタルは、安心させるように肩書を省いてタケルの名を呼んだ。
落ち着かせる様に向けられたナタルの声と表情に、タケルは一つ深呼吸をして緊張を呑み下すと、改めて口を開いた。
「バジル―ル中尉、ありがとうございました。貴女のお陰で、僕はここまで戦い抜くことが出来ました。ちゃんと、カガリを守り抜くことができました」
心からのお礼として頭を下げる。
これまでの旅路。きっと彼女の助けがなくてはタケルは自身で背負った重圧に押しつぶされていただろう。
きっと、オーブにこうして無事に戻れることも無かったはずだ。
「君の力だよ。私は手を差し伸べることしかできなかった」
「でもそれで、僕はとても……救われましたから」
タケルがナタルを意識する様になった決定的な出来事。
砂漠での事を思い出して、タケルはまた気持ち温かになった。
落ち着いて、改めて彼女を見て。やはりカガリが言う様にタケルはナタルの事が好きなのだと言う事を自覚する。
再び直視できなくなる羞恥に見舞われ、視線を逸らすと、ナタルもまた感慨深く呟いた。
「君との時間は、楽しかったよ。とても」
大変な事ばかりの旅路であった。が、次々と予想外な展開をもたらすタケルの所業は、ナタルの目を惹きつけた。
戦場での戦果も、間に合わせで次々と機体を弄る手腕も。ナタルやマリューを大いに驚かせたものだ。
不謹慎ではあるが、そんなタケルの活躍に次はどんなことをしでかすのかと興味が湧いていたのは否めない。
「僕も……貴方との時間は、とても心地よかったです」
「あぁ、そうだな。私も、そう思う」
タケル同様に、ナタルもまたタケルとのこの時間に心が揺れていた。
必死に戦い、必死に強く在ろうともがくタケルからいつも目が離せなかった。
打ちひしがれる姿に居てもたってもいられず、手を伸ばしたのは、偏に彼の事を助けたい一心であった。
救われたと言ってくれることに────柄にもなく素直な心の高揚を感じていた。
そして、軍人としての彼女の仮面を引き剝がし、容易く懐へと入り込んでくるタケルの人懐っこさに、ナタルはいつの間にか絆されていた。
強がる少年の弱さを垣間見て。
厳格な彼女の優しさに触れて。
2人は互いに、いつしか惹かれあっていたのだ。
示し合わせたわけでも無いのに、2人は手を伸ばして互いの手を取った。
「平和となった時には、またいつか会えると良いな」
「その時は是非オーブに。僕が案内しますよ」
「ふふ、気が早い事だ。まだ戦いが終わる気配も無いというのに」
触れ合う手の温もりが気持ちを伝えてくれるような気がした。
互いが互いを想っている。それをなんとなくだが感じ取る。
するとタケルは我慢ができないように、ナタルの手を両の手で握りしめた。
「──死なないでくださいね」
身体を震わせて、今にも泣き出さんばかりに震える。
それは、好意を抱く相手だから……大切な人だと認識してしまったがために抱いてしまう恐怖。
失う事を受け入れられないタケルにとって、絶対的に避けられない失う事への恐怖の体現であった。
自身はオーブに残り、彼女は明日オーブを去る。
そして再び戦火の中へ……
タケルがカガリの言葉を躱して逃れようとしたのも、自身の気持ちに気づいてこうなる事を予期していたからなのかもしれない。
「難しい注文だな。私とて死にたくはないが」
「──また生きて、会いたいんです」
「確約はできないさ。そう言う立場にいる」
「それでも……」
年相応……むしろ逆の意味で不相応とも言えるタケルの姿であるが、ナタルにはむしろ心地が良かった。
自身をこれほどまでに求めてくれる少年の姿に、ナタルの気持ちは再び揺れ動く。
「わかった。必ず生き残って、また君と会う事を約束しよう」
「はい! またいつか、必ず!」
タケルがぱっと顔を輝かせたのも束の間、艦内通路から向かってくる足音を2人は聞き取った。
この状況を見られれば色々とまずいだろう。
タケルがここに居たと知れれば、厳命に背いたことになる。罰は免れない。
無論、ここに居たのがタケルならアークエンジェルにそんな報告をするような輩は居ないと思うが、それにしてもナタルがここでタケルと会っていた等と知れたら、ナタルとしてもやはり体裁はよろしくない。
「これまでだな」
「約束ですよ。“ナタル”さん」
ハッチが閉じられ、その場からタケルは離れていく。
そうして2人は初めての逢瀬を終えた。
タケルは名残惜しさを感じながらも、暗闇の中を走りその場を去って、ナタルもまた同じように名残惜しく感じながらも平静を装って近づいてくる足音を待った。
「またいつか……か。それが許される世界が訪れれば、良いのだがな」
「あら、寂しいのかしら?」
足音の主の声を聞いて、ナタルはやはりかと思う反面どこか安心も感じた。
彼女であったのならいっそもうしばらくタケルと話していても良かったのではないかと考えるも、思い返せば彼女の発言には振り舞わされてばかりだ。
あの場を見られたならもっと面倒なことになった気がしなくも無かった。
「艦長、また趣味の悪い……モニターででも見ていたのですか?」
「たまたまよ」
「たまたまでこんなハッチの所まで艦長が来る事があると?」
「貴方が一人でハッチに向かっていくのが見えたから何用かと思っただけよ、ホント」
「そう言う事にしておきます」
「まぁ、色々と期待していたのは確かだけどね。
それで、結局大事なことは伝えたのかしら?」
「そうですね。今は、あれで十分です」
「今は?」
タケルもナタルも、確かに自身の想いを自覚した。
だが、それを感じ取ってはいても伝えるまでには至らなかった。
それはやはり、再び会う約束と共に、戦いが終わった後で伝えたかったからだろう。
「生きるも死ぬも、わからぬ情勢なのですから」
「でも死にたくはなくなったんでしょう?」
「我々が死ねば、彼はまた泣くでしょうね」
「私が、ではなくて?」
「いえ、そこまでは……彼にそう思ってもらえる存在であれば、とは願いますが」
「あの子にとって、もう貴方は十分特別だと思うわよ」
詰めてくるようなマリューの言葉に、ナタルは背を向けて返した。
「戯言はやめましょう。これ以上は未練になります」
「その言葉が聞けただけで、私は満足だわ」
ナタルが僅かに羞恥の表情を見せたのを、マリューは見逃さなかった。
そしてそんなマリューの嬉しそうに上擦った声に、ナタルは暫くからかわれることを悟って、小さくため息を吐くのだった。
「言えなかっただぁ?」
怒髪天を衝くとはこの事か。
オノゴロの夜道を歩きながら、太陽の様に綺麗な黄金の髪を逆立たせるような形相で、戻ってきたタケルの報告を聞いたカガリは憤慨した。
「何を! 馬鹿な! 事を! やっているんだぁ!!」
「うわぁあ、落ち着いてってカガリ!」
「落ち着いていられるか! 折角の最後のお膳立てまでしてやったというのに、いくら兄様でも腑抜けて良い時と悪い時があるだろ!」
「腑抜けって、それ普通に傷つくからやめよう?」
「うるさい!」
はぁはぁと息も絶え絶えで昇りつめた怒りをどうにか消化していき、カガリは一息ついた。
全く、自分はそれこそ男の影も形もないというのに何故こうも他人様の事情にうるさいのか。
タケルもまたカガリに合わせてため息を吐いた。
「で、何で言わなかったんだよ?」
「言えなかった。時間がなくて」
「はぁ? 貴様というやつはぁー!」
「わぁああ、だから落ち着いてよカガリ」
再びのやり取りを繰り返し、また一息を入れて落ち着く。
話が進まないとタケルが半ばうんざりし始めているのは内緒である。
「今はあれで良いんだ。僕もナタルさんも、お互いの気持ちには気づけたから」
「何でそんな事がわかるんだよ。言葉にしてないくせに」
「言葉無くてもわかる事はあるでしょ。僕達みたいに」
「──まぁな」
タケルの言葉に、カガリは押し黙った。
確かに口にせずとも相手の気持ちがわかるのはむしろタケルやカガリの方が良く理解できる話だ。
「本当に伝えあうのは、やっぱり平和になって、何の憂いも無くなってからの方が良いと思って」
「呆れた……後悔しても知らないぞ」
「後悔したくなかったからね。伝えて、相手に想いだけ残したまま死んでしまったら、きっと伝えたことを後悔するから」
「死んでたらもう後悔も何も無いだろう」
「死んだ後も、相手を縛り付けたくは無いでしょ?」
「むぅ……まぁな」
「だから良いんだ。今はこれで」
「──そうか」
納得したようなカガリの呟きに、タケルは小さく満足げな笑みを浮かべた。
「後は、彼女の為に僕が頑張るだけだから」
夜空を照らす月明かりを見ながら、タケルは小さな決意を秘めて呟くのだった。
ナタルさんとはこれで良い。
そして次回からいよいよ物語は進んでいきます。
オーブ編長かったと思ったけど……意外と短い。とは言えこれからもオーブでのお話はたくさんあるわけですけども。
感想よろしくお願いします。
あとアンケへのご回答ありがとうございました。
やはりナタルさんが強い模様ですね。ですがオーブ編で一気にアサギ達も人気伸び伸び。
第3回では感想にも要望があったのでエリカさんも加えます。
多分時期的にはオーブ攻防戦辺り。またその時までに読者の皆様のお心に変化をもたらすヒロイン勢を描きたいと思います。