通信モニター越しに臨める相手を見て、アスランは小さく笑みを浮かべる事が出来た。
「無事だったんだな……ミゲル」
『なんとかな。生きた心地はしなかったがよ』
アイマン隊を乗せた母艦からの通信報告によって、ミゲルの隊は全員機体のシグナルロストが確認されたと聞き及んでおり、アスランはニコルに続いての生死不明の報を聞き酷く落ち込んだものであった。
アスラン達からすれば頼りになる兄貴分の先輩である。戦々恐々となるのも仕方ない。
そんな折、無人島で回収されたミゲルからの通信には、安堵も一入だった。
『ニコルの事は聞いた……気の利いた事は言えねえが、戦場じゃ常だ。重く受け止めすぎるなよ』
「わかってますよ」
『わかってない顔だから言ってるんだぜ。そんな湿気た面して』
「そんなことよりミゲル、そっちは何があったんだ? 全機ロストなんて……」
アスランの問いに、ミゲルは一瞬口を開こうとして、しかし思いとどまる。
言うべきか……宿敵とも言えるアストレイの撃破。強敵の撃破を聞けばアスラン達の戦意も高まるだろう。
だがしかし、ミゲルが乗る母艦にはアストレイのパイロットであるタケルが収容されて治療を受けている。
撃破した事実はあるが、厳密に討ち取ったとは言えない。なんとも中途半端な事態である。
「ミゲル……?」
『ん? いや、なんでもない。こっちは例のアストレイの待ち伏せを受けてな……グゥルもやられてそっちにも援護に行けず、どうにか積年の恨みを果たしたってわけだ」
「仕留めたのか!? オレンジを」
『あ、あぁ……俺の機体も全損だし相討ちみたいなもんだったが、なんとかな」
「それは、さすがですね」
なんとも心地の悪いアスランの賛辞にミゲルはしどろもどろで答えた。
普段のアスランならそのミゲルの様子に違和感を覚えるだろうが、今のアスランはミゲルの戦果の報にストライクへの戦意を高めるだけであった。
『こっちはもう機体もないからカーペンタリアに帰投する。後を任せる事になっちまって悪いな』
「いえ、足つきを仕留めるのは俺の仕事ですから」
思いつめた様子が嫌でもわかるアスランの言葉に、ミゲルは顔を顰めた。
悪い癖だ。責任感が強く、思考が深い。
それ故に、悪い出来事を重く深く受け止めてしまう。
ニコルの戦死を、自身に重く背負っている。
『さっきも言ったが、重く受け止めるな。戦場での戦死は常だ……俺だって、ユーリとアイクが死に一人だけ生き残っちまった』
「っ!? ですが!」
『やけっぱちにはなるなよアスラン。いくら相手が憎くても、自分の命に代えてまで……なんて変な気は起こすな。いいな?』
危うい雰囲気を纏うアスランに向けた、戦場での先達としての言葉にアスランは深く感じ入るも、やはり燻ぶる感情はそれを素直に受け止める事は出来なかった。
「俺は、貴方の様にはできませんよ」
『そうやって死なれて、残された者の気持ちは……お前が今痛い程わかってるはずだぜ』
「──機体の準備がありますので、これで。無事でよかったです」
返す言葉が出てこなかったアスランは半ば強引に通信を切った。
ミゲルへの宣言通りに機体の調整に足を進める辺りは、真面目なアスランらしいが、頭ではミゲルの言葉が反芻する。
「わかっていますよ……どれだけ痛いかなんて」
あのロッカールームで涙を流してから。喪失の悲しみがいつでも、アスランの胸を突き刺していた。
その痛みが気が狂う程に切なくて、アスランに仇を討つことをせがんでいるのだ。
ストライクを──キラ・ヤマトを討つ。
でなければこの痛みは消えない。ニコルの無念も消えない。
胸の中で叫び続ける慟哭が、アスランの心を苛み続けるのだった。
深夜に、薬で眠っていたキラは医務室にて目を覚ます。
「んぅ……あれ、ここ……は?」
「お、気が付いたか。お疲れさん」
目覚めたキラの耳には、様子を見ていたのであろうサイの声が届く。
「サイ。あれ、なんで僕医務室で……あっ」
目覚めの状況に少し混乱するキラであったが、冷静になってなんで今の状況に至ったかを思い出した。
「そっか……僕、少佐に言われて」
「話は聞いてる……ブリッツのパイロットの事も」
静かに告げてくるサイの言葉にキラは、胸を痛める。
思い出される断末魔。自分達と変わらない年若い少年の悲痛な叫び声。
そして、幻視できそうなアスランの悲しみを湛えた叫び。
向けられるであろう憎しみに恐怖して、キラは身体を震わせた。
「──気持ちはわかる、なんて俺達には言えないけどさ」
「サイ……?」
「前にも言ってたけど、お前は俺達の代わりに……俺達と一緒に戦ってるんだ。一人で背負うなよ」
肩に手を置かれ、かけられる言葉にキラは少しではあるが気持ちを軽くさせた。
友人たちの言葉には砂漠でも助けられた。
敵と戦う事を……命を奪う事に慣れたキラの戸惑いにも、同じように諭されたものであった。
軍人として、地球軍として戦う。だからこそ、戦いの中で責を負う必要はない。
だがそれは同時に、キラが地球軍でありアスランの敵である事を決定づける意味を持つ。
敵であると、そんなことは身に染みてわかっていたはずなのに……心のどこかで、キラはまたアスランと友達に戻れると、根拠のない夢想を信じていた。
こうして、彼から憎しみを向けられるであろう事態に至るまで──信じていたのだ。
「──ありがとう、サイ。もう、大丈夫だから」
「本当か? 少佐からは、キラが起きた時は目を離すなって言われてたんだけど……」
「うん、大丈夫だよ。眠ったおかげで、十分落ち着けたし」
「そっか……それならよかった。あぁ、たまたま俺が居ただけで本当は皆ここに居たんだ。フレイなんか、大した仕事もないからずっと見てるって聞かなくてさ」
「はは、わかってるよ。皆僕の事を心配してくれてるって。
特に、最近のフレイは本当に優しいよね。サイが居なきゃ、僕も好きになってたかもしれない」
「お、おい……それ冗談だよな?」
「サイが居なきゃ、冗談じゃないかもね」
「や、やめろって……笑えないぞ」
片やただのCIC。一方で相手は戦場の花形MSの押しも押されぬエースパイロット。
男としてとても敵う相手ではないと、サイはキラの言葉に俄かに恐怖を覚えた。
「そんな顔しないでよ。さすがに2人の間に割って入るようなことしないよ、サイ」
「今のキラの状況と雰囲気は、冗談に聞こえないんだって、全く……とりあえず大丈夫そうで良かったよ。お腹もすいただろう? 食堂から持ってきてやるよ」
「うん、ありがとう」
食堂へと向かうサイを見送って、キラは一息ついた。
目覚めた時に友人とこうして話せたのは僥倖であった。
1人であればキラは恐らく、思考の渦に沈んでいってしまっただろう。
サイと話すことで、気持ちは上向いてくれたし、一つの決心もついた。
「僕は地球軍。君の敵だ──アスラン」
それは、本当の意味での訣別。
言葉だけではない。軽い気持ちだけの決意ではない。
アスランと友であることを、キラはこの時諦めたのだ。
向かってくるのは憎しみを湛えた敵。応じなければ、自分も仲間も……そして今ここに居る大切な友人達も殺される。
タケルにもカガリにも絆されて夢見ていた現実を、キラは今受け止めた。
「来るなら来い──僕は、戦う」
「必ず討つ──俺が、お前を」
夜は更けていく。
少年たちの心を、戦いと憎しみの連鎖に巻き込みながら。
次なる戦いのときが、最も熾烈な戦いとなる事を予感させながら。
「生死、不明だと……」
それは絶望を孕んだ声だった。
アストレイを降ろした無人島へと捜索に向かった救命部隊、トダカ等の帰還を待っていたカガリはその報告に目を見開いた。
「遺されたのはアストレイと思われる機体の残骸。残骸の量からすると砂浜で戦闘中に爆散した可能性が考えられます。
海中に飛ばされた可能性も──」
「そん、な……」
崩れ落ちるカガリ。その瞳からは涙が零れるではなく流れ落ちた。
消えていく……優しき兄の姿が。
「落ち着けカガリ。まだ死んだと決まったわけじゃ」
「嘘だ……兄様が、そんな」
「カガリ!」
キサカの言葉に我に帰るも、カガリの瞳はまだ動揺に揺れていた。
「海も捜索はしましたが、見つからず……日暮と共に捜索を打ち切りました」
「アストレイのコクピットは!?」
「見つかりませんでした」
「そんな……」
絶望が色濃くなる。
コクピットごと爆発に巻き込まれたとあってはもはや死体が残ってるかすら怪しいだろう。
トダカの報告一つ一つが、タケル・アマノの生存率を下げていく。
「明日、日が昇り次第捜索を再開します。姫様、希望を捨てず今はお待ちください」
「イヤだ! 明日は待たないぞ。私も探しにいく!」
「姫様、なりません!」
万が一にも死体を見つけるようなことをしてしまえば、その光景は永遠にカガリの脳裏に刻まれるだろう。
ただでさえ機体が爆散した事は明らかなのだ。生きている可能性も、残された身体が形を保っている可能性も、低い。
大切に過ぎる存在であるが故に、カガリにとっては心に深い傷を負わせる事態になりかねない。
「カガリ! 決めたはずだ。大人しく待つと」
「そんな事はわかっている! 覚悟もできている! だが、ザフトと鉢合わせる可能性があるのだろう……なら、私が同行する事にも意味があるはずだ!」
オーブの代表首長の娘。
その肩書きはラクス・クラインの様に有名な存在ではなくとも、政治的に価値のある存在だ。
少なくとも、戦力を持たぬ救命艇に乗る彼女に銃火を向ける様な所業は、前線の将校に決断できる様な事ではない。
「捜索の邪魔などさせない。それに、私も邪魔はしない。だから……私も連れて行ってくれトダカ!」
涙交じりに吠えるカガリに、トダカは目を伏せた。
必死に不安と恐怖を振り払い、何かしたいと思う焦燥を理屈に変えて、同行を願い出るカガリ。
その気持ちはタケルをよく知るトダカだからこそ、痛いほど理解できる。
同じ事がカガリに起きればタケルはもっと酷い事になるのだから。
心の強さこそ違えど、互いを想い合う強さは変わらない2人を知っているなら、その気持ちはよく理解できる。
トダカは逡巡しキサカを見やると、キサカもその意図を察して小さく頷いた。
「わかりました、同行を許可します。現場ではキサカの指示に従ってください」
「私は諦めないぞ。トダカ──絶対に、兄様は生きているはずだ」
「仰る通りです。あの御方は易々と死にはしません……姫様を悲しませる事、誰よりも良しとしないお人です」
カガリ、トダカ、キサカの3人は日の出が来るのを必死に待ち続けた。
眠る事などできず、ただただ胸の内に湧き上がってくる不安を押し殺す事に努めた。
生きている可能性が低いのは理解している。
それでも一縷の望みに賭け、タケルが生きている事を信じたいのだ。
「兄様……信じてるからな」
不安を振り払う必死な声は、静かな夜に虚しく溶けて消えていく。
時刻は、夜明けを迎える直前の事である。
アークエンジェルを追うザラ隊を乗せたボズゴロフ級潜水母艦が、遂にセンサーでその足取りを捉えた。
「センサーに艦影。足つきです!」
「小島だらけの海域か、日の出前に補足できたのは僥倖と言える。仕掛けるには有利だ」
艦長の言葉に、隣で報告を聞いていたアスランは頷いた。
待ち望んだ報告である。
ザラ隊の面々は休息も十分取り体調は万全。
そして戦意は著しく高い。
弔い合戦である。
それは何もニコルの事だけではない。
ヘリオポリスでのオノール。砂漠でのバルトフェルド。インド洋でモラシム。
それら全てを、精算する。イザークもディアッカもその心積もりなのだ。
そして無論、アスラン・ザラも。
「今日で片をつけるぞ、ストライク!」
「ニコルの分もお前の傷の礼も、俺がまとめて取ってやる!」
「必ず作戦を完遂する! ストライクと足つき、俺達の手で必ず仕留める。出撃するぞ!」
応と重なる声。
この時初めて、ザラ隊は一つとなって作戦へと向かう。
皮肉なものであった。仲間であるニコルの死によって、ようやく隊として纏まることができたのだから。
だがこうなった以上、彼らにもう付け入る隙は無い。
これまで個々でしか戦っていなかった彼らが隊として初めて纏まり、アークエンジェルへと牙を剥くのだ。
その脅威、これまでとは比較にならないだろう。
アークエンジェルに今、最大の危機が迫る。
アスラン達が出撃する同時刻。
アークエンジェルの方も、センサーが反応を拾い、事態の変化を察知していた。
「センサーに感。ボズゴロフ級潜水母艦です!」
トノムラの報告に、艦橋は即座に戦闘体制に。
既に警戒は成されていた。マリューもナタルも、ザラ隊の追撃を確実にあるものだと予測し構えていたのだ。
「総員、第一戦闘配備!」
「フラガ少佐、ヤマト少尉は搭乗機にてスタンバイ!」
アラートが鳴り、聞きなれたナタルの指示で迎撃の艦載砲が起動していく。
その最中、副操舵席に座るトールは立ち上がりマリューへと向き直った。
「艦長、自分にも出撃準備の許可を!」
「却下します、ケーニヒ二等兵……まだ状況はそこまで見えていないわ。必要とあれば判断を下します」
「でも、キラがあんな状態で──」
「ケーニヒ二等兵! 艦長はなんと言った! 今貴官がすべき事は艦長の判断に異を唱えることでは無いはずだ!」
マリューへと追い縋ろうとしたトールへ、ナタルは一喝する。
戦闘体勢をとっている今、艦長の判断に子供の理屈で異を唱える事など許されない。
彼らはあくまで軍属である。上官の命令はある種の絶対的な意味を持ち、トールの様に上官の決定に楯突く様な行為は本来許されない。
艦長がマリュー・ラミアスであるが故に許されている部分はあるだろうが、事ここに至ってそれが許される状況では無いのである。
「座りなさい、ケーニヒ二等兵。これは命令です」
「──了解、です」
萎縮して席へと座るトールに、マリューは小さくため息を吐いた。
別にトールがどうこうというわけでは無い。
どちらかと言うと、マリューとしては彼の言う事が良く良く理解できる話ではあった。
今のキラは決して十分に戦える精神状態では無い。それがマリューとムウ、ナタルの見解である。
故に本来であればトールが乗れるスカイグラスパー2号機も戦力として数えたいところであった。
だが、他ならぬキラがマリュー達の考えを覆す具申をしてきた。
曰く、敵は敵討ちに士気も高く全力で落としにくるだろう。
そんな敵部隊との戦い。戦場に出てはトールでは確実に落とされる。
トールが出撃してしまうと、自身の集中が削がれるから出撃させない様にしてくれ。
と言う事であった。
友人を心配するあまり、戦闘に集中できなくなる。
それはキラの性格を考えれば大いにありうる。
マリュー達は渋々ではあるが、ストライクの戦力を当てにするためにもキラの要望を了承。
トールには待機を命じたわけである。
「敵影、数3。5時方向距離3000!」
「フラガ少佐、ヤマト少尉は出撃を。少尉──やれるわね?」
ストライクへと通信を繋ぎ、マリューはキラへと問う。
体調を気遣う確認では無い。約束通りの状況を作ったことへの確認である。
『大丈夫です。ありがとうございます、艦長』
「奮戦を期待します」
『了解です』
かけたくも無いプレッシャーを与える言葉に、マリューは自身を呪う。
年端もいかぬ少年に艦の命を背負わせ、その上さらに追い詰める。
それしか艦長としてできることがない事が、あまりにも悔しかった。
それでも今日ここで。今一度、この時だけは……何としても乗り越えて欲しい。
そう、切に願った。
『キラ・ヤマト。行きます!』
慣れた出撃の声と共に発進していくストライク。
それを見送り、マリューは瞬時に意識を切り替えた。
ここからは余計な事を考える余裕などない。
徹頭徹尾戦いに集中しなくてはならない。
「アラスカへの最後の壁である。各員、奮起せよ!」
「艦尾ミサイル発射管、ウォンバット装填! イーゲルシュテルン起動、バリアント照準!」
ナタルの声がいつもより強く艦橋に響き渡る。クルー全員が火蓋を切られる戦いに身構えた。
「迎撃、開始!」
「バリアント、てぇー!」
後方より接近してくるザラ隊目掛けて、バリアントの砲撃が放たれる。
アークエンジェルとザラ隊。
因縁深き両者の死闘が、今幕を開けた。
次回、いよいよ閃光の刻