「────はぁ」
長い沈黙。長い溜息。
アラスカ基地の直ぐ近くにある街の一角。小さなバーのカウンターにて。
ナタルは小さなジョッキに満たされたエールをちびちびと口に含みながら、それは大きなため息を吐いていた。
転属命令が出された彼女はアークエンジェルを降り。次の任地へと向かう艦が出港するまでは休暇の様な扱いだ。
下戸の彼女であれば、普段絶対に近寄らないであろう酒精の漂う場所であるが、今日と言うこの日だけはそう言うものにも頼りたくなったのだ。
ため息の理由は様々あった。
軍本部からの命令とはいえ、長い時間を共にし愛着も湧いていた艦を降りたこと。
MSやMA乗りは、自身の愛機に多大な愛着が湧くとムウから聞いた事があったが、なるほど確かに……これは中々に寂しいものだとナタルは思った。
自身の居場所がもうあの艦には無いのだと思うと、チクリと胸が痛むのを感じるものである。
そしてもう一つ。先刻、ボルト・ミュラー准将との会談によって聞かされた事。
“お前達の今後を決める責任者だ”
そう言われて始まった、ミュラーとの会談。
内容はナタルとフレイ。彼女達の転属命令についてである。
「アークエンジェル級二番艦──ドミニオン、か」
それが次に彼女が向かう任地であった。
先日の査問会でも良く分かっていたが地球軍の上層部は既に、ブルーコスモスの手の内である。
いや、少しこれには語弊があると言える。
正確には“地球軍がブルーコスモスを取り込んだ”と言うべきだろうか。
ユニウスセブンの悲劇から端を発した現在まで続く戦争。
数の利にかまけて意気揚々だった地球軍が今や完全なる劣勢へと追い込まれていた。
ザフトのMSに抗う術はなく、性能差を覆せる戦力もない。
地球軍の英雄であったハルバートン率いる月艦隊、第8艦隊すら痛み分けと言うにはあまりにも厳しい戦果を残して全滅をしたのだ。
前線で戦う兵士達の士気をくじくには十分であった。
無論、第8艦隊の最大の戦果はアークエンジェルを地上に降ろせたことであるし、そのおかげでこうしてアラスカ基地まで辿り着くことができた。
単純な彼我の戦力損失だけで考えるのは詮無き事だが、そうして辿り着いた歴戦の英雄であるアークエンジェルも、結局のところ“コーディネーターが守ってきた艦だから”となればいよいよを以て兵士達の士気が死ぬ。
ナチュラルでは、コーディネーターの圧倒的能力に敵わないのだと。
勝てない現実が、地球軍の中に蔓延し始めたのだ。
敵わない恐怖を乗り越える、強烈な劇薬が必要であった──このまま追い詰められ、敗戦となってしまう前に。
そこで地球軍の力となったのがブルーコスモスである。
彼等は末端まで考えるとその全容が把握しきれない程に、狂信的かつ大規模な組織である。
どこから湧いて来るのかはわからないが潤沢な財源を保有し、金にものを言わせ戦力と人員を用意。それにより、連合の上層部に瞬く間にブルーコスモスの思想は浸食していった。
そうして上が染まれば、下も染まる。
敵わない恐怖を、コーディネーター憎しの憎悪で乗り越えて、地球軍の士気は上々となった。
故に、もはや英雄に成りそこなったアークエンジェルは不要となった。
コーディネーターによって穢され堕ちた天使は、籠の中の鳥となりアラスカ守備軍へと編成された。
偏に、これ以上の活躍の場を与えないために。
そして新たに、ザフトとの戦いの先陣を切る天使を用意したわけだ。
それが、アークエンジェル級二番艦『ドミニオン』である。
「ナタル・バジル―ル……
アークエンジェルに乗ったときは少尉であった。
第8艦隊と合流の折に中尉に……そして今や、最新の戦艦の艦長を任命され少佐へと。
何とも輝かしい経歴となったものだろうか──驚く程順調な出世街道に、ナタルは自嘲した。
認められてはいるが、認められてるわけでもない。
そんな奇妙な評価に落ち着いているのが今の彼女だ。
そもそも、ドミニオンの艦長であれば、マリュー・ラミアスで良かっただろう。
これまで散々な苦難の道を潜り抜け、アークエンジェルをここまで引っ張ってきたのだ。
彼女以上に適任者は居ない。
ナタルは勿論、この旨をミュラーに進言したが返答は意外なものであった。
“ラミアス少佐は適任だが、ハルバートンの肝いりだ。彼女をドミニオンの艦長に宛がうのは今の地球軍において反発が強すぎる。サザーランドを見ただろう? ”
そう、能力の問題ではない。ただ単に、マリューを挿げるにはミュラーの力が及ばないと言う事であった。
地上と宇宙で軍内部でも派閥や対立があるのは聞き及んでいたが、事ここに居たってもそんな話が出てくるとは……唾棄すべきだとナタルは胸中で憤慨したが、それをミュラーにぶつけても何ら意味はない。
こうして晴れて、ナタルは新造艦ドミニオンの艦長となる事を任命されたのである。
新造艦の艦長が中尉というわけにもいかないと、特別昇進で少佐となったのだ。
取ってつけられたような昇進に、感慨も何も無かった。
「元より命令に服すのが軍人の務め。不服などあるわけはないが……身に余るというものだ」
ふとジョッキを握る右手を放して、食い入るようにその手を見つめた。
また一つナタルの胸に小さな痛みが走る。
「また、君との再会が遠くなってしまったな──タケル」
あの日、オーブで手を握り合い、そして再会を約束した。
だが、転属命令と共に任されたのは、ミュラーが発足した第8艦隊に代わる宇宙艦隊の尖兵となる艦の艦長。
求められているのが、アークエンジェルと同等の活躍だと考えると、自身の死の確率はアークエンジェルに乗っているときと何ら変わらない……むしろ高くなったとすら言えるだろう。
必然、生きて再会すると言う約束からは遠のいてしまった。
「これを知れば、君はまた心配で居ても立っても居られない……なんてことになってくれるのだろうか?」
右手を眺めては、別れたあの日を思い出した。
ナタルが再会を約束すると言った時に見せた、嬉しそうな少年らしい笑顔が脳裏をよぎった。
ふっ、とまた自嘲の笑みがこぼれる。
ナタル・バジル―ルとはこうも我慢弱い人間だったか。
厳格な軍人でありながら、まだまだ少年の域を出ないタケルとの再会を、心が求めて止まなかった。
退艦し、一人酒場で飲んでいる今なら羞恥に塗れることなく自身の気持ちと向き合えた。
自分は────彼に恋い焦がれているのだと。
優しくて、強くて、繊細だけど、どこか猛々しい。
そんな彼と、会いたくてたまらなくなっていると……今のナタルは自覚していた。
「軍人としての私。そんなものは私の一部に過ぎなかったという事か」
以前、砂漠でもタケルに言われた事があった。
本当に軍人としてのナタルしかいないのなら、自分は救われなかったと。
あの日タケルはそう言ってくれた。
今なら、あの言葉の意味がよくわかった。
軍人としての生きてきた自分も、彼を救おうと手を差し伸べた自分も。
そして今こうして、彼に恋焦がれてしまっている自分も。
全て等しくナタル・バジルールなのだと。
今のナタルには軍人として生きる以外にも大きな願いが増えてしまった。
「会いたいな、君と────また君と会って、話がしたい。君の、屈託のない笑顔が見たい」
だから、死ねない。
どれだけ死の可能性が高い戦場であろうと。どれだけ厳しい任務であろうとも。
自分が死んで、彼を泣かす様な真似をしたくはなかった。
先程まで鬱屈していた思考を投げ捨てて、ナタルは手元の小さなジョッキを一気にあおった。
砂漠の時の様にむせかえる感触を覚えるも気合いで押さえつけて一気に飲み下す。
流石に飲み終えたところで少し咳き込んだが、沈んでいた気持ちを吹き飛ばすにはちょうど良い刺激だった。
「マスター、支払いだ」
彼女らしい、よく通る凛々しい声で小ジョッキ1杯分のエール代を払うと、ナタルはすっくと立って店を出た。
その背はいつもの、ナタル・バジルールらしさを取り戻した、綺麗な背中であった。
「────はぁ」
長い沈黙。長いため息。
自身にあてがわれた部屋にて、フレイ・アルスターはそれは大きなため息を吐いていた。
彼女がいる今いる部屋はミュラーの居室のすぐ隣である。
その上部屋の外には彼の腹心の部下が見張りについていると言う。
もはやVIP待遇であった。
なぜこんな事になっているのかと聞かれれば、それは先刻のミュラーとの会談に端を発する。
実のところ、今のフレイの立場は絶妙に危険であった。
父であるジョージ・アルスターが戦火に巻き込まれて戦死。天涯孤独の身となったフレイには後見人もおらず、正に1人の身である。
恋人であるサイとは婚約こそ互いの意思のもとにしているが、現在においてフレイとの公的な繋がりは無い。
つまりは、フリーなのだ。
そして、彼女の存在は地球軍にとって──ブルーコスモスにとって毒にも薬にもなる危険な存在であった。
『戦火に散った父の遺志を継ぐ娘』
これだけ見ればドラマ性の高い貴重な存在だ。ブルーコスモスにとって良いプロパガンダになる。彼女の利用価値は高いだろう。
しかし、彼女はもはやブルーコスモスの思想からはかけ離れた想いを抱いている。
アークエンジェルで過ごした時間が、彼女を変えた。
キラを。アマノの兄弟を見て。そして彼らと共に過ごした。
フレイが父の遺志を継いで目指す平和とは、コーディネーターと手を取り合える未来なのだ。
彼女自身は知らぬ話であったが、ジョージ・アルスターはブルーコスモスのシンパであった。
多額の資金も流していたし、後ろ暗い処理も幾度となくしている。
ジョージが目指す世界とは、コーディネーターの存在しない世界のことであり、フレイが言う父の遺志を継ぐというのは、大いに語弊がある内容であった。
そんな父の真実をミュラーより聞かされ、そしてフレイは問われた。
“君が見る平和とは、コーディネーターがいない世界か? それともコーディネーターと手を取り合える世界か? “
平和のために働いていた父の遺志を継ぐ。その真なる意味を自ら決めろと、ミュラーは問うてきたのだ。
そしてフレイは、迷う事なく芯の通った強い声で答えた。
『戦争中だけど……ずっと戦いの最中にあったけど。アークエンジェルの艦内だけは、ナチュラルもコーディネーターも関係ない平和な世界であったと私は思っています。
だから、私が望むのは……私が夢見る平和は。あの艦の様に、ナチュラルとコーディネーターの隔たりが無く過ごせる、そんな平和な世界です』
不安を抱かせない。強く、そして迷いのない答えだった。
その答えに満足した様に笑みを見せたミュラーは、今後の話をフレイに言って聞かせた。
曰く、ブルーコスモスに目をつけられて利用される前にフレイの立ち位置を明確にする。
そしてフレイには、戦後の融和を説くために、ミュラーの下でプロパガンダとなって働いてもらうという事であった。
先のブルーコスモスにおけるフレイの利用価値は捉え様によっては、むしろ真逆の方向性にも作用する話である。
戦火に散った父の遺志を継ぐ。
つまりは、コーディネーターによって最愛の父を奪われながらも、憎しみに堕ちることなく、平和な世界を夢見て手を取り合うことを選んだ。
こうも取れるわけである。
その姿は、コーディネーター憎しで凝り固まる地球の人々へ、融和の道を示してくれる良い象徴となるだろう。
さながら、プラントの歌姫、ラクス・クラインの様に。
フレイ・アルスターの戦いは、今起きている戦火のその先にあった。
危険な道である。
ブルーコスモスを真っ向から否定する。彼らにとって最も邪魔な存在となる。
故に彼女を守るための方策として、フレイにはミュラーの名の下に転属命令が出された。
そして今は、フレイの後見人にボルト・ミュラーの名が記され、同時にフレイは彼の副官となって、発足される新たな月艦隊の旗艦へと同乗することになる。
旗艦として後方に配置されるとはいえ戦場に出る以上危険は付きまとうが、少なくともブルーコスモスに狙われるリスクだけは、ミュラー監視下にいる以上避けられるだろう。
そうして彼の隣で戦争を最後まで見続け、終戦後の平和に向けて見識を広めるというわけだ。
「なんだか、すごい事になっちゃったけど……これが私にできる事なら。ううん、私にしかできない事なら」
思い上がるわけではないが、自身の境遇がもたらした、想像になかった程の大任であった。
元々アークエンジェルでも何もできず燻っていたため、雑用でもなんでも。そんな気持ちでいたフレイだったが、まさかこんな大きな話に巻き込まれるとは思ってもいなかった。
だが同時に、わずかな高揚感が生まれたのも確かであった。
憎むと決めた────コーディネーターではなく、この世界に巻き起こった戦争という無価値な争いを。
父を喪い。友を喪い。涙と悲しみをたくさん目の当たりにしてきた。
平和の礎に自身がなれるというのであれば、今のフレイに否はなかった。
この先、戦争がどうなるか。
どう終わりを迎えるのかは定かではないが、終わった先のことをフレイはすでに見据えていた。
「やってみせるわよ。そのために私は志願したんですもの」
呟かれた決意の言葉は、静かな部屋に響いて消えてくのだった。
いかがでしたか。
恐らく、これまでで一番大きな原作との違いになるかと作者は思っています。ミゲルもいますけどね。
伏線回収などと大それたつもりではありませんが、フレイの変化をようやく繋げる事ができたかなって思います。
今後どうなるかが楽しみですね。
それでは。感想を是非よろしくお願いいたします。