境界戦機 外伝:『最果てのニライカナイ』 作:野生のムジナは語彙力がない
あれこそ最後の希望、だから頼むっ……!
それでは、続きをどうぞ……
「うーん、だめか……」
頭部を失った紅いストーカー・カスタム。
暗闇に包まれたコックピットの中で、アリシアは左右の操縦桿をガチャガチャとしきりに動かし、電気系統をやられたのか何も反応がないことを確認すると、どうでもいいといった様子で操縦桿を手放してシートに身を投げた。
「完全に油断してたなぁ……まさか最後にあんな、とびっきりの隠し球を用意していたなんて、うーん……悔しいっ!」
しかし、そう言いつつもアリシアの顔には満足げな表情が浮かんでいた。負けた悔しさに少しだけ頰を膨らませつつも、それ以上に清々しさとまったりとした雰囲気を放っている。
「でも、やられっぱなしってのも嫌だからさ」
最後の力を振り絞ってヘッドセットのスイッチに指を当て、音声入力をオンにする。それから口元のマイクに向かってボソボソと何やら声を吹き込んだ後、ゆっくりと息を吐き体から力を抜いた。
「あはっ、ごめーんね……」
目を閉じ、思考を完全に停止する。
次の瞬間、長らく続いていた緊張を解いたことで、どっと襲いかかってきた適度な疲労感と心地よい気怠さに身を任せ、アリシアはあっさりと意識の紐を手放すのだった。
『再起動、完了』
一方その頃、ユーリはニライカナイをパワーダウンから復帰させると、機体各部のコンディションチェックと最低限のリカバリーを実施した後、ツインアイに微弱なモスグリーンの光を灯した。
壊れかけたその両目は僅かながらも外からの光を取り入れ、それまで暗闇に包まれていたコックピット内部を沈みかけの、うっすらとした夕陽の赤色に染めた。
網膜投影された空間にユーリの姿が再出現する。
青い髪に白いワンピースと、いつもの幼い姿に戻った彼女はゆっくりと目を開け、正面に立つライをジッと見つめた。
『マスター、ご無事ですか?』
「…………」
ユーリの声に応えるようにして、ライは目を開ける。
『……そうですか』
ライの瞳と表情を見て、ユーリは淡々とした表情で彼の前から横に退いた。まだシステムの影響下にあるのだろう、凶悪な色に染まったその姿……彼の視線は目の前のユーリではなく、その先にある大破したクリムゾン機に向けられていた。
「…………」
紅い機体の生体反応に気づいたライは、その場でニタリと笑うと、片足を失ったニライカナイを無理やり起き上がらせた。よろめきつつもバランサーの調整を行い、ニライカナイは左脚だけで機体を支えて甲板上に佇む形となる。
ふと機体の右手に目を移すと、5本の指で構成されたマニピュレータの内、人間でいうところの人差し指と中指に当たる箇所が根本からポッキリと折れ、3本指になってしまっているのが見えた。レールガン発射の衝撃に耐えられなかったのだろう……そう考えてライは舌打ちをするも、両目をギラつかせたまま右肩のアーマーに視線を移し、その中に手を伸ばした。
3本の指を巧みに操作し、ライはアーマー内の武装コンテナから対艦リボルバーライフルを取り出す。ほとんど無傷で眠っていたそれを折り畳まれた状態から狙撃銃へと展開しつつ、動作状況と残弾数の確認を行い、やがてライは満足そうな表情を浮かべた。
『マスター、やめて下さい』
「…………」
そんな彼の様子を見て、ユーリは思わず声を発した。だが、彼女の声がシステムの影響を受け凶暴化したライの耳に届くことはなかった。無駄なこととは知りつつも、しかし、それでもユーリは声かけを止めようとはしなかった。
『敵機沈黙。戦闘は終結しました』
「…………」
『これ以上の戦闘行動は無意味です』
「…………」
『マスター、どうか目を覚まして下さい』
「…………」
ライは対艦リボルバーライフルを肩付けに構え、ストックを肩とアーマーの間に挟み込むようにして銃身を固定し、改めて3本の指でグリップを握りしめ直した。小指と親指でグリップを保持し、薬指をトリガーに当てる。言うまでもなく本来意図していない持ち方であるため、命中精度は最悪。さらに片足がないことも影響して安定感がなく精密射撃は到底不可能だったのだが、倒れて動かない敵を破壊するだけならば十分であった。
『マスター!』
ユーリが叫ぶ、しかしライは止まらない。
機能停止したクリムゾン機めがけてリボルバーライフルを直接照準し、ライは残酷な笑みを浮かべて舌なめずりすると、何の躊躇いもなくトリガーを引き絞った。
次の瞬間、耳をつんざくような轟音と共に長砲身から対艦用炸裂弾が射出され、射線上にある攻撃目標めがけて一直線に飛来した。
命中箇所次第ではあるものの、たった一撃で軍用艦すら撃沈可能なほどの威力を持つ砲弾。直撃を受けて耐えられる機体など、この世に存在するはずがなかった。そうして明確な破壊の意思を持って放たれたその一撃は……どういうわけかクリムゾン機の遥か上空を通り抜け、白い尾を引いて水平線の彼方へと消えていった。
『マスター……?』
全く意図していなかった事態に、ユーリは思わずライへと振り返った。衝撃でバランスが崩れたことによる失中ではない、発射直前にパイロットの手によって意図的にエイムが外されたのだ。
そのお陰で、クリムゾン機は無傷であった。
「……ユーリ、大丈夫」
ユーリに見つめられる中、ライは弱々しくも彼女に心配をかけまいと小さく笑って返事をした。その瞳には理性の色が戻り、暴力的だったその表情にも今は落ち着いた様子が見られた。
「言ったでしょ? システムの中に囚われたりしないって……俺はまだ、ここにいるよ」
操縦桿から手を離し、目の前に漂う彼女に向けて優しく手を振った。
『まさか、システムによる人格支配から単独で脱却した……? 60パーセントの限定起動に耐えられる人間など……? それにバイタルも正常、度重なるドーピングによる副作用の兆候も見られず……マスター、あなたは一体……?』
「ただの人間だよ」
口元にべっとりと張り付いた吐血を掌で拭い、俺はクリムゾンへと視線を移した。圧倒的な戦闘力で終始こちらを圧倒し、俺たちに絶望をもたらした紅い機体。しかし、世界最強と名高いその機体も今や機能停止に陥り、ピクリとも動こうとしない。
俺とユーリ、2人の力で倒したのだ。
しかし、機体の中からは生体反応がある。
モニター越しに敵のパイロットがまだ生きていることを確認すると、俺は小さく息を吐いて操縦桿を手にし、空に向けて上げっぱなしだった対艦ライフルの銃口をゆっくりと下ろし、肩付けの構えを解いた。
『マスター、本当によろしいのですか?』
再び操縦桿を手離すと、ユーリがそう聞いてきた。
『傭兵部隊ウルフパック、その主力メンバーである"クリムゾン"。主に戦争ビジネスを生業とし、世界中の紛争地帯を渡り歩くウルフパックに所属する彼がこの海域に姿を現した……それは即ち、オセアニア軍が彼らと手を組んだと見て間違いないでしょう。そして状況的に、彼らの攻撃目標は恐らく我が方の破壊にあったのでしょう』
「オセアニア軍を本気で怒らせてしまったってことね……俺たちの通商破壊作戦を止めるために」
『はい、我々はやり過ぎてしまったのかもしれません。なので、ここでクリムゾンを生かしてしまえば、我々は再び攻撃を受ける可能性があります。そして敵はあまりにも強大です、クリムゾンと再度戦うとして今回のように上手くいくとは限りません』
そう言ってユーリはこちらに近づくと、小さな手を伸ばして空いた操縦桿に指を触れた。これにより、ニライカナイのコントロールが一部ユーリに預けられる形となる。
『マスターさえ命じてくれれば、私が……』
「いや、いいよ」
俺は操縦桿へと手を伸ばし、先に触れていたユーリの手ごと操縦桿を握りしめる。これにより、機体のコントロール権が再び俺の方に移る。
「俺って、ほんと馬鹿みたいだよね」
『……?』
「俺は沖縄の解放を目指すRLFに所属していて、オセアニア軍を相手に戦争をしている……うん、それはよくわかってるつもりだよ。敵を生かしてしまえば、その生かした敵がまた襲ってきて、俺や俺の仲間たち、そして沖縄の人に危害を加えるかもしれない。殺さなきゃ殺される、だから今、殺せる時に殺さなきゃいけない……それはよく分かってる。けど、それでもやっぱり……俺は人を殺したくない。ユーリにも人殺しをさせたくない……敵とか味方とか関係なく、平和を勝ち取るために他の誰かが犠牲になるのは、どうしても嫌だ」
『…………』
「なんで俺なんかが、ニライカナイのパイロットに選ばれたりしたんだろう? 機体の操縦だって上手いわけじゃない、相変わらず戦闘は怖いし、正直に言うと死ぬ覚悟だってちゃんと出来ていない。それに、なるべく人を殺さないようにっていうやり方でユーリにも色々と苦労かけてるし……俺って、ほんと戦いに向いてないよね」
『はい、確かに向いていません』
「はは、即答だね」
『ですが、マスターはそれで良いと思います』
「…………うん、そっか」
ユーリのひと言で、少しだけ救われたような気がした。小さく息を吐き、俺はその場で遠くの景色を見渡した。広い海のど真ん中、陽は間もなく水平線の向こうへと沈み、周囲には何の明かりもないこともあって、やがて暗闇が全てを覆い尽くしてしまうことだろう。
『マスター』
「ああ。帰ろう、俺たちの沖縄へ……」
俺たちがそんな言葉を交わした時だった。
突如として、コックピット内に危険を知らせる短いアラーム音が鳴り響いた。
「何!?」
『……我が方へのレーザー照準を感知』
「敵ッ、どこからッ!?」
『2時方向、敵機捕捉』
その場所へ振り返ると、陽が沈んだことで殆ど真っ黒に染まった水上を滑走する何かが見えた。まもなくユーリによって固有識別番号が特定され、その正体が2機の水上型バンイップ・ブーメランであることが判明する。
「あの機体、どこから……!?」
『当該機は作戦開始時点でタンカーに追従していたものと同一です』
ユーリが短く説明する。
それはタンカーの周囲にデコイとして配置されていた内の2機だった。非武装かつノンアクティブ状態でだったこともあり、クリムゾンとの戦闘に集中するべく無視していたのだが……それが今になって突然起動したのは、一体どういう事なのだろうか?
『マスター、すぐさま迎撃を』
「え? いやでも、今の機体コンディションでまともな戦闘なんて、それに敵はレーザー照準してるだけで、何も武装してないし……」
『敵機のオペレーターはクリムゾンです』
「……え?」
ユーリの言葉に、クリムゾンへと振り返る。
『先ほど、こちらの再起動中にクリムゾン機より命令コマンドの発信を確認しています。コマンドの内容は暗号化されているため不明、ですがクリムゾンとの戦闘中に発信されたものと同様の回線を使用していることから、水上型バンイップに何かしらの指示を送ったのは間違いないかと。また、当初の航海予定では駆逐艦が1隻護衛についていたはず……しかし、対象は未だに姿を現していません』
「……まさか、そういうことかッ!」
機能停止に陥る直前にクリムゾンが発した謎のコマンド、非武装の水上型ブーメランから放たれる用途不明なレーザー照準、そして未だに所在不明な1隻の駆逐艦……ユーリの説明から最悪の事態を想定し、俺は慌てて対艦ライフルを構え直した。
「くっ……当たれ!」
水上型ブーメランめがけてその全弾を叩き込む。
しかし、片脚立ちなこともあって照準が安定せず、しかも対AMAIM用の散弾はクリムゾンとの戦闘で使い果たしていたこともあり……辛うじて対艦炸裂弾をブーメランの1機に命中させるも、それが限界だった。
まもなく、水平線の向こうから10発もの対AMAIM用ハイマニューバミサイルが襲来。それは今から数時間前にアリシアが出した指示に従い、タンカーの遥か後方に待機していたオセアニア軍の駆逐艦から放たれたものだった。
ブーメランからのレーザー誘導による高い命中精度と、MD(ミサイルディフェンス)による迎撃網を突破すべく高機動・超高速で飛来するそれに対し、片脚を失ったニライカナイが碌な回避行動を取れるはずもなく……
「……ッ!」
次の瞬間、ミサイルがニライカナイに着弾。
衝撃により青い装甲がズタズタに引き裂かれ、複数の爆炎によって全身を焼かれる。これによってボロボロのマニピュレータは完全に破壊され、残った3本指と共に対艦ライフルがバラバラに砕け散った。
激しい爆風に煽られ、人の形をしたマシーンの残骸がタンカーより落下。周囲に無数の破片を撒き散らしながら機体は黒い海面へと叩きつけられ、そのまま深く暗い海の底へと沈んでいった。
その僅か数秒後……
海面に巨大な水柱が出現。
水柱は天高くそびえ立つような、そのあまりの大きさも相まって、爆心地より遠く離れた海域にいる駆逐艦からでもハッキリと視認できたほどだった。
3時間後……
タンカー甲板上
「まったく……私が苦労してほとんど新品同様の状態にまで整備した機体を、たった1度の戦闘でこんな風にしやがって、あのガキめ……」
アリシアのお目付役であり、専属のメカニックマンである体格に恵まれた女性……マルタは、タンカーの甲板上に横たわる頭部のなくなった紅い機体の隣に立つと、その損傷具合を見て忌々しげに悪態を吐いた。
彼女は護衛の駆逐艦に乗り込み、つい先ほどまでタンカーから送られてくる監視カメラの映像を通して、駆逐艦のクルーたちと共に固唾を飲んでアリシアの戦いを傍観していた。
そして戦闘の終結を見届けると、彼女は船に積まれていた高速連絡艇を拝借し、駆逐艦に先んじていち早くタンカーへと辿り着いていた。
真っ暗な海の上で、ポツンと浮かぶ巨大な船体。
甲板には無数のライトアップが施されており、強烈な光に照らされるようにして、大破したストーカー・カスタムは深淵の中でもひときわ目立つ真紅の輝きを放っていた。
「チッ、あいつ……どこに行きやがった?」
マルタは一通り機体のチェックを行った後、ストーカーの後ろ側に回り込んでコックピットを覗き込むも、その場所にパイロットであるアリシアの姿はなかった。
仕方なく機体の周囲を見て回ると、半分ほど進んだところで甲板の端に佇む少女の姿を見つけた。その場所はつい3時間前、ミサイルの直撃を受けたニライカナイが爆風に煽られ、海へと真っ逆さまに転落した地点に他ならなかった。
「おいクリムゾン! そこで何をしている?」
「ん……あぁマルタ、早かったね?」
アリシアは何やら思いつめた表情で暗い海の底を見つめていた。マルタが大声で呼びかけると、アリシアはそこでようやく彼女の存在に気づいたのか、のんびりとした様子で振り返り、元気そうに手を振った。
「もしかして私のこと心配してくれてた?」
「そんな訳あるか。お前のことなどどうでもいい、私が気になったのは寧ろあっちの方だ」
茶化すように喋りかけるアリシアに対し、マルタは自分の背後に横たわるストーカー・カスタムを指差してそう答えた。
「えぇ〜、ちょっとくらい心配してくれても良いんじゃないの? こうみえても私、1億の個人価値があるんだからね? もしも私の身に何かがあったらウルフパック的にもかなりの損失になると思うんだけど!」
「うるせぇ、無様に負けた奴が言い訳してんじゃないよ」
「うっ……! そ、それは言わないで……」
「いいや言うね。この負け犬が!」
「ぅぅ……」
「ケッ……最初から敵を倒せる機会なんて幾らでもあっただろうに、散々手加減して、敵を弄んだ挙句にこのザマか。ふざけんじゃないよ、お前の機体を修理する身にもなりやがれっての」
「ご……ごめーんね♪ あはは……」
端末を操作して被害額の見積もりをし始めるマルタに、アリシアはそれ以上何も言えず、ただ苦笑いを浮かべることしか出来なかった。
「ところでクリムゾン、1つ聞いていいか?」
「んー? 何?」
「今更だが、お前はあの青い機体にローレライと名付けていたが、そもそもローレライは川の魔物だろう? 海の敵を呼称するならセイレーンの方が相応しいんじゃないのかい?」
「いや、これであってるよ」
「そうか。まあ、呼び名など別に何でも……」
「ところでマルタぁ。私たちの組織の名前は"ウルフパック"なんだけどさ、その元々の意味って知ってる?」
ふと、アリシアはそんなことを尋ねた。
「そりゃ、群狼作戦でしょう? 今から100年以上も前、第二次世界大戦においてナチス・ドイツが考案した、複数の潜水艦を用いて敵輸送船を攻撃するという通商破壊戦術の1つ……だったか?」
「そうそれ! まあ私たちの"ウルフパック"は少数精鋭で量よりも質って感じだから、どちらかというと第二次大戦よりも潜水艦の性能が大幅に向上した冷戦期のアメリカが展開した群狼作戦の方が合ってるけどね。大規模な潜水艦隊を編成する必要がなくなって、早い話が"個々で自由に動いてね"の精神に近いものだから、集団戦法に則った本来の意味とはかけ離れたものになってるのよね」
「そうだな。で、それがどうした?」
「1つ、前々から気になっていたことがあるの」
やけに前のめりな様子のアリシアを見て、マルタは咄嗟に興味のない風を装ってタブレットに視線を落とし無視を決め込み始めた。しかし、アリシアは「あはっ、気になる?」「聞きたい? 聞きたいよね?」など、しつこくウザ絡みし始めた為、やがて根負けするような形で顔を上げた。
「ハァ、一応聞いてやろう」
「ありがと。それで……私たちってさぁ"ウルフパック"っていう名前の割に、何だかんだで潜水艦って持ってないじゃん。それって何か勿体なくない?」
「まあウチに海軍はないからな。内陸国に存在している上に、専門の設備もそれを整備できるスタッフもいないから、所有する必要性もないし……いや待て、クリムゾンお前一体何を考えている?」
そこで妙に生き生きとしたアリシアの様子に気づき、何だか嫌な予感がしてマルタは眉を潜めた。
「……いやぁ、別に何も? ただ、私たちのホームにあの機体を持って行って、ライン川に浮かべてみたいなって思って」
「そういうことか……だが残念なことに、あの機体はお前とオセアニア軍の手によって破壊された。あれだけのミサイルを束にしたんだ、それに駆逐艦からも見えたあの爆発……きっと海の藻屑となっていることだろうよ」
「それはどうかな?」
「何だと……?」
意味深なアリシアの呟きに、マルタはハッとした表情を浮かべた。
「まさか、奴はまだ生きているとでも?」
「んー、多分ね」
「なぜ分かる?」
「え、だって……私たちもう結ばれてるから」
「何だって?」
「だから、運命の赤い糸で結ばれてるから」
「は?」
意味がわからないと言った様子で疑問符を浮かべるマルタに対し、アリシアは自信たっぷりな様子でニライカナイが消えた海を見つめた。
海の上に手を伸ばし、その瞳に紅い輝きを灯す。
すると彼女の目には運命の糸にも似た赤いオーラが見えるようになり、小指に巻きついたそれは穏やかな海風に吹かれながらも、糸の先はまっすぐ海中深くへと伸びていた。
「待っててね。次は、ちゃんと本気出すから! 君の身も心も、次は全力で君の全てを奪いに行くから!」
だから、必ず生き残ってね……!
沖縄近海
深度███メートル
俺たちは、暗い海の中をひたすら漂っていた。
敵艦からのミサイル攻撃を受けた時、咄嗟に右腕と対艦ライフルを盾にして致命傷を避けつつ、爆風に抗うことなく後方へ跳躍、かなりのダメージを負いつつも爆風が良い隠れ蓑となったことで、オセアニア軍からの逃走を果たしていた。
水面に吹き上がった巨大な水柱は、ニライカナイが爆発したものではなく、残っていた魚雷を遠隔で起動させた際に生じたものだった。クリムゾンとの戦闘で発射管が破壊され、投棄することもできず、左肩部アーマーの中でただの重りになっていた数発の魚雷。それをアーマーごと放棄し爆破することで、敵にニライカナイの撃墜を認識させると共に、さらに機体の残骸を残すことで撃墜の信憑性を高めさせた。
その甲斐あってオセアニア軍の追跡もなく、俺たちは作戦海域からの離脱に成功していた。あとは沖縄に帰るだけなのだが、ここにきて新たな問題が生じていた。
「ユーリ、どう?」
『正直に申し上げますと、かなり厳しい状況です』
「頑張って、少しでも沖縄の近くに……」
『…………はい』
ニライカナイのメンインスラスターはその半分が破壊または放棄され、現状は右アーマーのスラスターと左脚のスクリュー、そして機体各部に配置されたサブスラスターで辛うじてスピードを補っている程度だった。
様々な問題から、超空洞膜を用いた高速潜行は使用不能。水中行動の際、水の抵抗を減らすために機体の上半身を覆い2枚1組となる両肩のアーマーは、その片側が失われたことで機能せず。さらに機体のパワーダウンにより、スクリューの回転数がなかなか上がらない状態に陥っていた。
現在、ニライカナイの航行速度は9から11ノットほど、キロメートルに換算すると時速20キロがやっとという程だった。
超空洞技術の部分導入により、水中での鬼ごっこでは誰にも負けることはないと言われていたニライカナイが、もはや自転車並みの速度しか出せていないのだ。
問題はそれだけではない。
俺は今、頭に網膜投影用のヘッドセットを装着している為、コックピット内部の様子は見えていないのだが……つい先程から、自分の足元が恐ろしい程に冷たくなっていることに気づいていた。
機体内部への浸水が始まっているのだ。
海水が損傷箇所から機体内部へと侵入し、その分だけ機体が重くなる。コックピットへの浸水は、ユーリがブロックと機体を隔てる空間へ水に反応して固まる性質を持った特殊なジェルを流し込むことで、今のところ最小限にとどまっているものの、あくまでも応急処置であるため長くはもたなかった。
俺の隣では、ユーリが暗闇の中で目を青く光らせていた。一見すると何もしていないように見えるが、ユーリのタスクデータを確認すると何やら膨大な数の処理作業をおこなっているのが分かった。ざっと見た限りだと、機能停止に陥った回路を別の回路へと移し替えたりだとか、余計なエネルギーの消耗に繋がる機能をカットし、その分を生命維持と航行能力に充てたり、さらに付近の海流データから一分一秒でも早く沖縄に辿り着くことができるルートを構築するなど、持てる全ての力を使って問題の解決を試みているのが分かった。
それに対し、俺はユーリの頑張りを信じて、ただ彼女が示してくれた沖縄への帰路に従って機体の舵を切り続けることしかできなかった。
沖縄本島まで残り1000キロ程。
途方もない距離だが、RLFの緊急作戦規定により那覇港から漁師に偽装した救助隊が出動していることだろう。この近くに工作艦……いや、小型漁船の1隻さえ近づいてくれれば、ユーリはそれを感知することができる。そうすれば後は曳航して貰い、ニライカナイ共々、俺もユーリも沖縄に帰ることができるはずだ。
僅かな希望を胸に、操縦桿を握り続ける。
それから、さらに数十時間が経過した。
「……?」
何の前触れもなく、その時は訪れた。
突然、握っていた操縦桿の効きが鈍くなったかと思うと、スクリューの回転速度が急激に減少し、スラスターはまるで息が抜けてしまったかのように噴出を止めてしまった。その他の補助推進装置に関しても、1つ……また1つと次々に機能を停止していく……
「ユーリ……?」
『……申し訳ありません、マスター。最前を尽くしたつもりですが、どうやらここまでのようです』
やがてスクリューの回転が完全に停止した。
その瞬間、ニライカナイのジェネレーターが完全に停止し、視界が失われると共にコックピットは完全な暗闇に包まれてしまう。
その直後、非常電源が作動しコックピット内部に小さな光が生まれる。網膜投影された俺の視界の中では、レトロなテーブルランプを持ったユーリの姿が出現していた。
『残ったエネルギーを全て生命維持装置に割り振ります。さらにコックピットをコールドスリープ状態へと移行させることで、可能な限り長時間の生存を図ります。予想される生存可能時間は、酸素残量の消費速度から逆算し約5日と14時間ほどとなります』
「そっか……それまでに回収されなければ、少なくとも俺は終わりってことね」
小さく息を吐き、操縦桿から手を離した。
『マスター、このような結果になり……』
「いや、謝らなくていいよ。全部俺が未熟だったのがいけない、俺がもっとニライカナイの力を上手く扱えてさえいればこんな事にはならなかった。それに戦いに身を置いている以上、いつかこうなるのは……まあ、何となく分かってた」
『…………』
ユーリは俺のことをジッと見つめていた。
何か言いたげな様子ではあったが無言をつらぬき、テーブルランプをその場に置くと、どこからともなくカクテルとは別の薬品が収められた圧縮式注射器を取り出した。
ユーリの目配せに手招きをしてあげると、彼女は俺の右側に回り込んで首筋に注射器を打ち込んだ。薬品の正体は睡眠導入剤かなにかなのだろう、緊張が解け、心臓の鼓動が弱まり、少しずつ頭が重くなっていく……
『マスター、今は眠って下さい』
ユーリの小さな掌が俺の目元に近づく。
反射的に目を閉じ、体から力を抜いた。
ミシリ……ミシリ……
慣性航行が停止したことで、機体が沈降を始めたのだろう。薄れゆく意識の中で、少しずつ機体にかかる水圧が強まっていく気配を感じた。
『何も心配する必要はありません。コックピットの耐圧能力は正常に作動しています、そして我々がいるこの場所は比較的浅い海なので、理論上では着底しても爆縮が起きるようなことはありません……』
ユーリが安心させようと語りかけてくれるが、実のところ俺はそこまで怖くはなかった。数十時間にも及ぶ潜航の末に覚悟が決まっていたというのもあるが、よくよく思い返せば俺の命はとっくの昔に……幼い頃、夜の海に落ちたあの日、既に喪われていたはずだったのだ。
ここまで生きてこれただけでも奇跡なのだ。
『海』この地球上に存在する全ての生命の源であり、美しさと厳しさが入り混じった混沌の世界。そして奇跡を齎し、俺を生かしてくれたこの場所へ、ついに命を返す時が来たのかもしれない。
「…………ねえ、ユーリ」
『はい』
「……俺は、誰かの役に立てたかな……?」
『はい。マスターの活躍によって沖縄を実行支配するオセアニア軍の活動は大きく制限され、兵の士気を低下させると共に、勢力の拡大を停止せざるを得ない状況に追い込んだものと思われます。さらに、ニライカナイの実戦データはRLFでの更なる戦力の増強に多大な貢献を……』
そこまで言いかけたところで、まるで息を呑んだようにユーリは口を噤んでしまった。俺は彼女が正直に答えてくれたことに感謝しつつ、満足したように笑みを浮かべてみせた。
「そっか……教えてくれて、ありがと…………」
最後にそれだけ言って、俺は意識を失った。
『マスター』
死んだように眠るライを前に、ただ一人暗闇の中に残される形となったユーリは、そこで何を思ったのか彼の背後に回り込むと、その首元に腕を回して後ろから抱きしめるかの如く身を寄せた。
『マスター、貴方は1人ではありません』
そして、彼女は彼の耳元でそう囁く。
『暗い海の底にひとりっきりは、さぞお辛いことでしょう……貴方も、そして私自身も。これが、機械である私に与えられた最後の役割。マスター、どこまでもお供致します。そして貴方と出逢えたこと、最後の時を過ごすことが出来ること、心から嬉しく思います』
ライの髪を愛おしげに撫で、首元に顔を埋めるようにして、彼の背中でユーリはゆっくと瞼を閉じた。
『マスターの行き着く先、それが例えニライカナイ……根の国、ヒトの命が行き着く先であろうと。機械である私は壊れるだけで、貴方と同じ場所に一緒に行くことは出来ません……ですが貴方の中にある私の心、そして記憶だけは永遠に貴方と共に在り続けます……だから』
おやすみなさい
ニライカナイが沈む。
暗く、深い、深淵に包まれた海の底へと……
やがてランプに灯された小さな火が、フッと暗闇の中に消えた。
第12話:深淵ーネノクニー
END
MIA:喜舎場ライ(享年17歳)、I−LeS"ユーリ"
【エピローグ】
この後、オセアニア軍が展開した反体制勢力への掃討作戦により、沖縄の各地に潜伏していたレジスタンス組織は圧倒的な軍事力を前に次々と炙り出され、ことごとく散っていった。
それはRLFも同様であり、ただ1人の生存者を残して組織は壊滅。それと同時に沖縄で開発されたAMAIM"ニライカナイ"の情報、及びその戦闘データはオセアニア軍の襲撃に際して全損。そこに残されていた"ライ"と"ユーリ"の生きた記憶諸共、無残にも灰燼に帰してしまうのだった。
しかし、沖縄における反抗の芽は完全に潰えた訳ではなかった。かつて反戦の歌で溢れかえり、そこに住まう人々が平和を享受していたこの島は、海の外から来る"敵"の『理不尽な悪意』を学んだことで憎悪に駆られ、さらに大勢の人々が武力を欲して行動を開始した。
琉球処分、沖縄戦、そしてオセアニア軍の統治下にある現状。何世代にも渡って他者からの憎しみに耐え続け、それでもなお他者のことを信じ続けようとした沖縄の民は、三度裏切られたことで世界に絶望した。最早、沖縄に『言葉』や『想い』だけで戦争を止められると思う者はおらず、憎悪に染まった島に反戦の歌が響き渡ることはなかった。
→『境界戦機 極鋼ノ装鬼』へ続く……
あるいは、別の結末があったのかもしれない
→第12話:深淵ーBルートー