──ぱっと意識を覚醒させると、そこは俺の家だった。一人暮らしのはずなのに何故かひと世代が暮らせる大きさの一軒家を持っていて、俺はそこで始めて親離れをした生活をしていた。いやしている、だ。現在進行系なんだけど、なんか寝起きのせいか頭がぼやけてる。そうしてぼーっとした頭で周囲を見ると、視界のすぐ下に鮮やかなパステルイエローが散らばっているのが見えた。
「あ……ち、千聖さん」
「ん……なぁに? まだ朝早わよ……?」
「ご、ごめん起こした?」
「そうね、でも……幸せな目覚めよ」
俺の腕の中にいたのは女優でアイドルの白鷺千聖さん。だけど、俺にとっての大切だった人──って、幾ら寝ぼけてても過去形にしたら絶対に怒られる。芸能人でありながら男の家に寝泊まりしているという巨大すぎるスキャンダルを常に抱えた彼女は、そんな甘い秘密なんて一切ないかのように俺の唇を奪ってみせた。
「うわ……ちょ、千聖さん、裸……!?」
「あら、
「そ、そうなんだけどさ」
「昨日、疲れて寝てしまったから──もしかして足らなかったかしら?」
そんな刺激的すぎる言葉を脳天に直接叩き込まれるような囁きに俺はクラクラと三半規管が揺れる感覚がした。すごく甘い顔で、甘えん坊の表情で、千聖さんは昨晩と同じように愛をねだり始める。だがそんなロマンチックで、エロスにあふれる朝が訪れることはなく、寝室の扉が勢いよく開けられた。
「いつまでイチャイチャしてるのかな?」
「……いたのね花音」
「おはようが先じゃないかな、千聖ちゃん?」
「おはよう花音、そしておやすみ」
「千聖さん、今日平日ですよ?」
「千聖ちゃんはどうでもいいとして、光博くんが遅刻しちゃうでしょ?」
どうでもよくはないわよと唇を尖らせながら千聖さんは脱ぎ捨てた赤紫の花を拾い集めていく。それすらもアダルトで、妖艶な蝶がひらひらと目的もないようで、花を求めて舞っているような艶やかさがあったけど、それを注視していたら間違いなく花音に怒られるため、俺は起き上がって枕元にあった下着を拾ってついでに着替えていく。
「私がいないとすぐお泊りするんだから」
「いいじゃない、私だって甘えたいのよ」
「光博くんも、千聖ちゃんが甘えたからって安易に泊めちゃダメって言ったよね?」
花音にお説教をされて俺と千聖さんは一応の反省をする。いや恐らく千聖さんは全く反省してないような気がしていた。そして、俺にはそれが愛おしくてたまらないという気持ちになってしまう。普段、というか芸能人としての千聖さんは笑顔を絶やさない美少女で、どんな無茶振りにも微笑みで返す鉄壁の微笑なんて言われる。だけどここではそんな微笑みなんて全然しない。今も不満げな顔で、俺に甘えるような顔で、隣にいてくれる。
「もう、光博くんは千聖ちゃんに甘すぎるよ」
「ごめんね、花音」
「……いいよ」
そして、それは花音も一緒だ。二人とも俺に甘くて、時々ほろ苦い秘密と恋をくれる。俺を共有しているような、でも取り合っているようなそんな三角関係で、俺は花音も千聖さんも選べないくらい大好きで。
──最低だけど、最高に充実していた。最悪のモテ期だなんてリサには笑われてるけど、それでもいいって思えるくらいには。
「行ってらっしゃいふたりとも」
「戸締まりよろしくね」
「ええ」
「二度寝しちゃダメだよ千聖ちゃん」
「そんなヘマはしないわ」
仕事のある千聖さんとは玄関で別れて、俺と花音は途中まで一緒の道を歩く。千聖さんは絶対にしてこない、というかできないんだけど花音は外だろうとお構いなしに手を繋ぎたがる。なんなら腕を組んで歩くこともある。特にこうして千聖さんが朝いると、花音は俺を絡み取って捕食しようとしてるんじゃないかってくらいにくっついて、甘い声で囁く。
「光博くんって今日、バイトないよね?」
「うん」
「私も、今日はなにもないから……」
「わかった、じゃあ学校終わったら迎えに行く」
「……ありがとう♪」
二月末の冷たい風を避けるように、そしてひと目を避けるように、花音は俺が恋をした時の花音とは少し違う色の微笑みを見せてくる。唇が痺れてしまうかのような甘いキスも、噎せ返りそうな毒素を含んだ愛情で、悩ましい誘いを掛けるように千聖さんに負けじと俺から愛を奪い取ろうとする。
「……やっぱり帰りたい」
「それは、ダメ」
「今すぐ……触ってほしい」
「そんな危ないことはしたくない」
俺は必死で遠ざけようとして抵抗しているうちに電車が来る時間になったので花音は名残惜しそうに離れていった。
こうして二人の愛の奪い合いを贅沢に眺めていられる立場として気づいたことがある。それは二人が愛を感じることへの違いで、千聖さんは言葉を、そして花音は行動を重んじていると感じる。
「花音、大丈夫?」
「……あんまり」
「って言われても本当にどうしようもないんだけど」
「ふえぇ、今ならどこでもいいよ……」
「倫理的によくないでしょ」
花音は行動、触れ合うことに愛を感じる。千の愛してるって言葉よりも一度のキスが全てみたいな感じだ。当然その先は幾億の口説き文句よりも価値を見出している。すごく肉欲的だけど嘘がないからなんだと思う。一般論としてじゃなくて、俺が一度気持ち悪いと思ったものの先にある、それでも触れたいという愛情の発露だから、花音はそれをなによりも大事にしている気がする。
逆に千聖さんは俺に嘘を吐かれたからこそ、言葉を大事にしてる。名前を呼ぶこと、愛してると囁くこと、行ってらっしゃいとか、ただいまとか、そういう何気ない日常の中にある言葉で何度も何度も同じ言葉を求めることで、嘘ではないと信じることにしているみたいな感じだと思う。
「じゃあ、待ってるからね」
「待たせちゃうけど、ごめんね」
「いいよ」
宙ぶらりんの二股、そしてそれを二人が咎めない日々を始めてからそろそろ一ヶ月になろうとしていた。
試験もとっくに終わって、自由登校だからさっき花音が言ったやっぱり帰るという選択もできることはできるけど。花音は後輩たちに用事があって、俺も同じような用事があるためこればっかりは仕方がない。
「いいよ……か」
千聖さんと花音の二人同時に恋人のような時間を過ごしていることが、いいことだなんて俺は思ってない。俺が二人を同時に幸せにすることはできないってことはこの一年で痛いほどに感じていた。花音を傷つけて、千聖さんに嘘を吐いて、それでも二人の
「……ごめんね花音、俺はやっぱり嘘つきだからさ」
──そして俺は嘘つきで、最低な男だ。学校なんて嘘だ、用事があるのは本当だけどそれは学校じゃない。俺はそのまま踵を返して、秘密と嘘の両方を知っている人物に会いに行った。気さくで明るいギャルみたいな、でも優しくて世話焼きな友達の元へと。
「ごめんリサ、ちょっと遅くなった」
「時間ぴったしだよ、でも、なんで制服?」
「色々あってさ」
「ま、なんでもいいケド、さ、あがってあがって!」
「おじゃまします」
今井リサの家にあがって、お茶を出してもらう。喫茶店などで会うのは結構あったことだが、家に上げてもらったのは初めてだった。
花音に嘘を吐いてまで女子の部屋に上がり込むとういとまた最低なことをしている気分になるが、今回はそういう恋愛感情的なものじゃない。いや、恋愛相談なのは確かなんだけど。
「で、なんでまたアタシを利用しようとか考えたの?」
「人聞きの悪いこと言わないでくれます?」
「事実でしょ、散々アタシもひまりも、んでもって花音と千聖も振り回しといて、まだなんかするの?」
「まだなんか……ってそもそも解決してないでしょ」
「アタシとしてはあと数年はこのままでもいけそうだけど」
数年じゃダメなんだよ。俺はこの先のことを予言できる。
「アタシ含めて三股とか」
「冗談でもやめてよ」
「別に嫌いじゃないけど」
「そういうのもやめて」
「はいはい、じゃあ本題ね」
「……正直、結局なんにも解決してないからさ」
「でも、千聖も花音もそれでいいって言ってるんじゃないの?」
俺はその言葉に対して首を横に振った。いいって言ってるけどそれは今だけだ。特に、千聖さんはきっとまた傷つけることになると思う。なんとなく予感はしている。時々甘えるって言ってたはずの千聖さんが執拗に甘えてきたり、それこそ一晩に何度も何度も「光博は私のこと、好き?」と訊ねてきたりしてるから。
「ダメなの?」
「……俺の好きって言葉、根っこでは信用してないってことでしょ」
「あ……確かにね」
「それに花音も……というか花音は、どこかで千聖さんの幸せを優先しようとしてる」
「ん、花音ってそういうとこ確かにあるよね」
これを放っておいたらいずれは崩壊する。崩壊しても、大したことにはならないかもしれない。それぞれがぞれぞれに別の形で幸せになる可能性だってある、いやむしろそっちの方が確実に可能性が高い。俺のせいで一生幸せになれないほど、人生は短くないし、出会いがないわけじゃないんだから。
「でもさ……これはエゴなんだけど」
「千聖か花音のどっちかは、せめてどっちかだけでも幸せにしたい……ってとこ?」
「うん、まぁそうだね」
「それは、エゴだね〜」
けれど、リサの言葉が何故か嬉しそうな響きに感じた。まるでその答えを待っていたかのような、優しい響きに俺がちょっと驚いていると、リサは続けて俺のエゴを肯定してくれた。
「いいんだよ、わがままでも。その方が花音も千聖も、笑ってくれると思う」
「いいのかな……俺が、幸せにしたいなんて」
「誰かに任せちゃうのが、正解かもしれない。もしかしたら、もっと幸せにしてくれる人が現れるかも」
「……そうだね」
「でも、二人は今、誰と一緒にいるのが幸せなのか、ちゃんと考えてあげなよ」
そうだよな。花音も千聖さんも、俺のことを好きだって言ってくれる。俺のことを求めてくれる。本当の愛情を、嘘のない甘い恋を。だったら俺も、その愛情に、恋に手を伸ばしていきたい。例え千聖さんに最後まで言葉を信用されなくても、花音には最後まで言葉を求められなくても、俺は二人の想いにちゃんとした言葉と行動で示したい。
「ん、いい覚悟だ! 傷つくこといっぱいあると思うケド、迷った時はまたアタシでもなんでも頼っていいからね」
「……ありがとう、リサ」
「全然お礼なんていらないって〜、それとも、アタシもお嫁さん候補にしてくれる?」
「だからそういう冗談はいいって」
「あはは、そういうところは変わってないね〜」
お昼まで一緒に食べて、それから俺は花咲川へと向かう。途中で千聖さんからまた週末には泊まりに来ると連絡があったから俺は待ってるよと返事をした。リサと話していて、俺は俺の中で何かのスイッチが切り替わるような感覚がしていた。
──俺は拒まない。どんな苦い秘密も、甘い秘密も、恋も、全部飲み干す。
「花音」
「あ、光博くん」
「おまたせ」
「ふふ、大丈夫だよ」
千聖さんがもし俺の言葉を信じてくれないとしても、俺は千聖さんに嘘で愛してるなんて絶対に言わない。嘘で愛してないなんてことも言わない。花音にも、俺が本気で愛している限り、花音を求め続ける。触れ合うことも躊躇わない。
みんな同じ大学に行くんだから、どうせならもっともっと欲張りで贅沢に、二人のことを幸せにしようと頑張ってみようと、俺は本気で考えていた。
「……どうしたの光博くん?」
「いや、なんでもない。それより、どこか寄り道はする?」
「ううん、朝の続き欲しくて……たまらないから」
「そんな顔されると、俺も家まで我慢できなくなりそうだから」
「えへへ、大好きだよ光博くん」
「俺も」
これが、この決意が未来にどういう影響を残すかなんてわからないけど、せめて、俺と千聖さんと花音の三人が笑って映る写真が飾れることを祈っている。
──俺を愛してくれる大切な人が、後悔せずに幸せを掴んでくれるように、俺は覚悟を新たにしていった。
すごく仄暗い話を書いたなという気分でしたが、自分の作品は大別すると三パターンくらいなので、王道と言えばそうかもしれません。
本編はこのあとの時系列で二人とも離れてしまい、とある人物と付き合ってビターエンドという流れでした。こちらはご依頼もありましたので後日「千聖ルート」を執筆予定で、今回のお話はそのための分岐点の前提みたいなものを書かせていただきました。光博くんの覚悟完了し、あとは千聖の気持ち次第というところですね。
次回は「おっぱいはせいぎ」を投稿しますのでよろしくお願いします。