翌日、ヴァイスは面倒そうな表情をしながら歩を進めていた。
昨日クレアと別れた時、彼女は未だに不機嫌な様子だった。
理由も分からぬまま不機嫌でいられては、ヴァイスとしても気にしないわけにもいかなかった。加えて、次回の狩猟の事もある。余計なお節介だと自分でも理解しつつも、ヴァイスはクレアを訪ねようとしていたのだ。
頭の中で色々な事を考えると、いつの間にかクレアの住む家が見えてきた。
クレアが子供の頃から変わらず、彼女の両親は今も行商人として世界を旅しているのだという。単身ユクモ村にやって来たのは、この村の訓練所でハンターの知識を学ぶためだという内容の話も、先日渓流からの帰路の途中で聞いたことだった。
外観はヴァイスの過ごしている借家と変わりない、普通に一人暮らしするならば大きすぎる建物だった。
「クレア、俺だ。いるか?」
扉をノックし、ヴァイスは声を出してみる。だが、しばらく経っても返事はない。
太陽はもう高くまで昇っているとはいえ、まだ寝ているかと諦め踵を返そうとした。だが、ヴァイスはその足を突然止めた。
焦げ臭い。いや、ただ焦げ臭いだけならヴァイスも気に留めたりはしない。だが、その臭いはヴァイスの後方、クレアの家から臭ってきていた。
まさかとは思いながら、ヴァイスは改めて扉をノックする。案の定、今回も返事はない。だが取っ手を引いてみると、その扉はいとも簡単に開いてしまった。途端、今しがた感じた焦げ臭さがより一層強まった。
「悪いと思っているが入るぞ……!」
無論、ヴァイスは邪な感情を持った上でクレアの家に入ったわけではない。と言うより、家内から焦げた臭いがするとなれば、誰だって心配になるはずである。
この臭いの元となる要因を考えれば台所がすぐ浮かぶ。家の作りはヴァイスの使用している借家と同じだったため、迷うことなく台所に辿り着くことができた。するとそこには、頭を項垂れさせ、こちらに丸く背を向けたクレアの姿があった。
「お、おい……。大丈夫か……?」
状況が全く飲み込めず、思わず怖ず怖ずといった口調で尋ねてしまった。その声がクレアの耳に届いたのか、彼女は緩りと顔をこちらに向けてきた。
その表情は何とも疲弊に満ちたものだった。こちらに向けられているその眼差しも、どこか気怠そうなものにもヴァイスは感じ取れた。
それからしばらくして、クレアは目の前にヴァイスがいるとようやく認識したのだろう。それまでの表情からは一遍し驚きに満ちたものとなった。あまりに予想だにしない来客だったためか、クレアはまるで幽霊でも見たかのように壁際まで身を退かせてしまった。
「し、師匠!? ど、どうしてここに!?」
「家の中から焦げ臭い臭いが漂ってきていたから、心配になって見に来たんだが……」
ヴァイスは半ば呆れながらそう説明し、そして納得した。
どうやらクレアは料理の最中だったようだ。そこで失敗し、火にかけていたものを焦がしてしまったらしい。
冷静さを取り戻し、改めてヴァイスの表情を窺ったクレアは思わず苦笑いを浮かべる。
「ははは……。私、また失敗しちゃったみたいですね……」
どこか悲しそうにクレアが言う。彼女の口調から察するに、今回のようなことが珍しいことではないらしい。
そして、クレアは申し訳なさそうに頭を下げた。
「師匠。昨日はすいませんでした」
「ああ、機嫌を直してくれたようでなによりだ」
クレアの様子を見る限りでは、昨日のようにご機嫌斜めという状態ではないようだ。ヴァイスにしてもひとまずは安堵する。
「私は、レーナとは子供の頃から仲が悪いんです。それこそ、昔はいつものように口喧嘩していました」
そこまで聞いたヴァイスが納得する。
思い返してみれば、クレアは紅葉荘に行くと言った途端に機嫌を損ねていた気がした。紅葉荘で働いているレーナと仲が悪いならば、クレアの反応もある程度は理解できる。
しかし、ヴァイスも改めて思い返してみて安心した。あのまま二人が口喧嘩に発展しているならば、それこそ昨日のハリスと似たような事態に成りかねない。正直言って、他人の口喧嘩という面倒事に巻き込まれるのは、ヴァイスとしても御免蒙りたい。
「まぁ、俺もそこまで気にしていないから気にしなくても大丈夫だ。すると、気晴らしに料理でも作ろうと思ったのか?」
改めて辺りを見回してみてヴァイスが言う。しかし、クレアは首を横に振った。
「私、料理がどうも苦手なんです。でも、レーナはそんな私とは正反対で料理ができます。仲が悪いとは言え、私はレーナが羨ましいんです。そう思うと、私も負けられないって思うんですけどね……」
そう言ってクレアは乾いた笑みを浮かべる。
レーナが料理ができる、というのはヴァイスにも容易に想像が付く。宿屋で働いている以上、彼女の料理の腕前はクレアの言う通りかなりのもののはずだ。一方、そんなレーナとは正反対でクレアは料理が苦手だと言う。
人には得手不得手があり、ハンターであるクレアとそうでないレーナを同じ物差しで比べることは無理もある部分がある。しかし、料理と言うものは、人間であるならば誰でも行うことができる行為である。実際、ヴァイスも幼初期に料理を習い、それなりの物を作ることができた。
「なるほど。それで料理か……」
ヴァイスが理解したように、それでいて呆れたように苦笑いを浮かべる。
話の脈絡を考えれば、クレアがレーナによる対抗心から料理をしていたことが理解できる。クレアの負けず嫌いな性格も、ここまでくればある意味関心できてしまう。
しかし、この様子を見る限りでは、クレア一人では無事に一品作れるかどうかでさえ心配に思えてしまう(実際、彼女には失礼だと思ってはいるのだが)。
「仕方ない。俺が少し教えるよ」
「ほ、本当ですか!?」
悄然としていたクレアが突如、目をアイルーみたいに爛々と輝かせて言う。相変わらず忙しなく感情を上下させるクレアに、ヴァイスは「あ、あぁ……」と若干引き気味に頷く。
「とりあえず、一旦この場所を整理するぞ。そこからだ」
溜め息を一つ吐いてヴァイスは言った。
ということで、ヴァイスによるクレアの料理特訓が開始されるのだった。
「し、師匠! 次はどうすればいいですか!?」
「次はそれを……、今切った白菜の芯の部分を炒めるんだ」
慌てふためくようなクレアとは一転、ヴァイスは冷静に指示をする。
「それで、芯の部分に軽く焼き色がついてきたら白菜の葉を加えて炒め合わせるんだ」
「は、はい!」
クレアもクレアで、何とかヴァイスの指示に付いてきてはいる――ものの、やはりその動きはたどたどしいものだった。見ているこちらが思わず不安を覚えてしまう。
訓練所でも料理は教えたりするものだと思っていたのだが、クレアの様子を見る限りではそれは間違いだったようだ。「はぁ……」と一人溜め息を吐き、ヴァイスは次なる指示をクレアに伝えた。
「うぅ~……」
机にクレアが突っ伏している。それだけならまだ良かったのだが、彼女はその状態で先程からずっとこのように唸り声を上げている。誰の目から見ても分かるとおり、これは明らかに落ち込んでしまっている。
その様子を見たヴァイスは再び溜め息を吐く。
今作っていたのは野菜炒めだ。ヴァイス自身、野菜炒めを作ることはそれほど難しいとは思っていない。
そのはずだったのだが、どうやらクレアにしてみればそうは思えなかったようだ。完成した野菜炒めも食感がグニャグニャしていた。火の入れすぎである。味付けに関しては問題無かったのだが……。
「師匠の指示通りにやったつもりなんですけどねぇ……」
こちらも溜め息を吐きながらクレアが言う。
確かにクレアは、ヴァイスの指示通りにできた。できたのだが、やはり慌てふためいていた様子を見ていて分かるとおり、その動きは一歩遅れていた。
ヴァイスも、その辺りは考慮していたはずなのだが……。
「訓練所では、料理――とまではいかないが、肉焼きくらいは教わるだろう?」
訓練所の役割は、ハンター志望の者に最低限のハンターの知識を授けることである。
希望する武器の扱い方はもちろん、身体能力の向上を図るためのトレーニング、モンスターや狩場に対する知識、調合などといったハンターには必要不可欠な知識を訓練所では教わるはずだ。
かく言うヴァイスは訓練所で知識を蓄えたわけではない。ドンドルマにある学術院でそれらの知識を学んだのだが、それはまた別の話である。
ともかく、訓練所を卒業する――つまりはハンターになるためにはそれらの事を学び、教官に認められる必要がある。その中の一つに、初歩の初歩中である肉焼きが存在しているのだ。
クレアを教えた教官はシュットだと断定できる。彼女は、クレアに肉焼きの方法を教えているはずである。
「教わったには教わったんですけど……。シュット先生にも、肉焼き位なら何とかなるだろうってことで免除してもらったんです」
「実際何とかなる気配が無いんだがな……」
クレアに聞かれぬよう小声でヴァイスが嘆いた。
シュットもどうやら、彼女の肉焼きの指導に関しては諦めざるを得なかったようだ。これは、ヴァイスにとっては非常に厄介な要素である。
「ご、ごめんなさい! 私なんかのためにつき合わせてしまって!」
困窮としたヴァイスの表情を見たクレアが頭を下げる。
無論、クレアに悪気があるわけではない。だからこそ、見ているこちらが彼女のことをかわいそうに思ってしまうのだ。
「……とにかく、今日は俺が有り合わせで何か作ろう。お前の料理特訓は、また別の機会にでも行うさ」
「は、はい! よろしくお願いします!」
その言葉でクレアの表情が明るくなる。
悲喜交々至るといったクレアの様子を見たヴァイスが再三溜め息を吐く。
なかなか厄介な仕事が増えてしまったと思う。だが、これも彼女の師として与えられた使命だろうと腹を括り、彼女の料理の腕前の向上を手助けしようと決意するヴァイスであった。
その翌日。集会浴場にヴァイスの姿はあった。
結局昨日は、ほとんど進展がないままクレアの料理特訓(一回目)は幕を閉じた。だが、ヴァイスたちの本来の目的は狩猟にある。料理云々の話は一旦置いておき、次の狩猟の準備をしなくてはならない。
昼餉の時間帯を過ぎ、集会浴場にもちらほらとハンターの姿が見受けられた。最近になって、ユクモ村を訪れるハンターの数も増加したのだという。
そのうちの新人ハンターと思しき三人組のハンターがひそひそと話しているのが目に入った。盗み聞きするつもりはなかったのだが、その内容はヴァイスも聞き取れた。案の定、その話の内容が自分のことだと分かると、ヴァイスは周りを一瞥することもなくカウンターに向かって行った。
「この依頼を頼む。同行者は一人だ」
「はい。分かりました! 手続きを行いますので、少々お待ちください」
受付嬢が手際良く手続きを行っていく。その間、いつもの通りカウンターに座ったギルドマネージャーがヴァイスを冷やかす。
「ひょっ、ひょっ。チミは人気者だな」
「そうでもないですよ」
と、ヴァイスも冷静にギルドマネージャーの冷やかしを受け流す。
ヴァイスにしてみれば、この程度の冷やかしでは動揺などしない。ギルドマネージャーも関心したように飄々と笑い声を上げる。
「次の依頼が決まったようだが、一体何の狩猟依頼なんだい?」
「孤島でロアルドロスの狩猟です」
ヴァイスが言うと、ギルドマネージャーは「チミも厳しいな」と笑う。
「将来有望だとは言え、もうロアルドロスの狩猟か。クレアにとっては、アオアシラ以上に辛い狩猟になるだろうな」
ギルドマネージャーは何かを見透かしているかのような口調で言った。
確かにギルドマネージャーの言うとおりである。ロアルドロスはアオアシラよりも手強いモンスターだ。クレアにとっては、先日以上に苦戦を強いられる要素がいくつもあることが事実である。
だが、クレアなら大丈夫だとヴァイスは確信していた。だからこそ、あえてこの依頼を受注することを決定したのだ。
「まぁ、チミのことだ。何か考えがあるんだろう」
「ええ、それなりには」
そこで受付嬢がヴァイスに声を掛ける。どうやら手続きが終了したようだ。
依頼書を受付嬢から受け取ろうとしたとき、ギルドマネージャーが口を開いた。
「ああ、チミに一つ忠告だ。最近、ギルドでも未知のモンスターが目撃されたという報告が多数ある。チミの行く孤島での目撃報告は無いが、その可能性がゼロだとは断言できない。いざと言う時にはチミ、クレアの事を頼むぞ」
「……なるほど。なら、依頼書とは別のこの用紙は、その件に関することだな?」
ヴァイスが尋ねると受付嬢が重々しく首肯した。
依頼書とは別に受け取った一枚の用紙にヴァイスは簡単に目を通す。しばらくして、ヴァイスは静かに「分かりました」と言う。
「ああ。くれぐれも、気を付けて行けよ」
ギルドマネージャーもまた物静かな口調で言った。
二人の間に漂った重々しい雰囲気が、事の重大さを物語っているようだった。