エリア6。そこは、ヴァイスたちが今回雪山に足を踏み入れてから初めてやって来た積雪地帯だ。エリアとして指定された区域の面積は広く、周囲は岩肌の露出した岩壁に囲まれている。エリア7やエリア8に比べれば、比較的立ち回りやすい場所だと言える。
そのエリア6の中央。積雪の中を走り抜ける青い痩躯の姿を視界に捉えた。
「追いついた……!」
覚悟を改めるように、誰かがぽつりと呟く。
お互いがお互いを見渡すと頷き返し、それが狩猟再開の合図となった。ヴァイス、ルナ、ノエルの三人は各々の武器を構え、こちらの存在に気付いたドスギアノスに向かって走り寄る。一方、アーヴィンは剣士の三人とは対照的にドスギアノスから距離を取り、援護射撃に適した位置に移動した。
「行きます!」
射撃に適した位置に付いてボーンシューターを構えると、深呼吸をして神経を研ぎ澄ませる。
スコープの先に見えるドスギアノスは、未だに頽れる様子を見せない。だがそれでも、必ずこの狩猟を成功させる。その想いを乗せ、ボーンシューターの引き金を振り絞る。弾倉に装填されていた火炎弾が銃口から放たれると、それから間を置かずにドスギアノスの横腹から炎が爆ぜた。
「キャアアアァァァァァァァッ!」
初手の一発で怯んだ隙を見計らい、剣士の三人が一気に間合いを詰めた。盾を持つアーヴィンは正面に陣取り、残る二人はそれぞれ左右からドスギアノスを挟撃する。
だが、ドスギアノスもすぐさま反撃する。正面に立つノエルを蹴散らし、側面に位置するヴァイスとルナをも振り切ると、ドスギアノスは転じて突進を開始する。
「うおっ!?」
しかし、その突進に間一髪の差で対応したノエルが盾を構え、ドスギアノスを押さえ込むことに成功する。動きが止まったドスギアノスに対して、再びヴァイスとルナは肉薄を試みる。
一方、ドスギアノスもまた更なる動きを見せる。正面の進路を妨害されたドスギアノスは跳躍して一旦後退するが、そこから再び歩を進め、今度はアーヴィンに向かって突っ込んで行く。
「行ったわよ!」
剣士の三人もドスギアノスを追おうとするものの、雪原を駆ける速度ではドスギアノスでは到底敵わない。警告を飛ばしたルナに対して、アーヴィンもボーンシューターを折り畳んで移動を開始した。
両者の距離は十分であったが、さすがに大型モンスターを簡単に振り切れることは出来ない。ドスギアノスが接触する寸前、アーヴィンは身体を地面に投げ出すように跳躍することで、何とかドスギアノスから逃げ切ることに成功した。
「おい、大丈夫か!?」
頭から積雪に突っ込んだアーヴィンに対して、近くにいたノエルが駆け寄って来る。
「えぇ、まぁ……。あまり格好は決まりませんでしたが……」
ははは、と苦い笑みを浮かべながら、アーヴィンは身体を起こす。
見たところ、傷を負った様子は見られない。これならすぐに体勢を立て直し、援護を再開出来るだろう。そう判断したノエルが、「無理すんなよ」とだけ声を掛け、改めてドスギアノスに向かって行く。
そんなノエルの背中を一人見送り、アーヴィンは一つ息を吐き、周囲を見渡した。
ドスギアノスに追われたため、いつの間にかすぐ背後に岩肌が迫っていた。改めて視線をドスギアノスに戻してみれば、開けた視界の中で、ヴァイスとルナ、遅れて加わったノエルがドスギアノスと対峙していた。
「ここが、援護に適した位置かもしれませんね」
このエリア6のように開けた場所では、仲間の援護に気を取られている間に、背後から迫る敵に奇襲される可能性も否定出来ない。だが、アーヴィンの背後に迫るのは、直角に切り立った岩肌である。この場において、アーヴィンの背後を取るのは不可能であった。
唯一気にかける点があるとすれば、周囲を包囲された時である。だが、このように開けた視界ならば、周囲を包囲される前に移動を開始することが可能であるとアーヴィンは見立てた。
絶好の狙撃ポイントを意図せず発見したアーヴィンは、すぐさま狙撃体勢に入る。火炎弾を弾倉に装填し、スコープに視線を落として照準を合わせると、おもむろに引き金を引く。
銃口から放たれた火炎弾は一直線にドスギアノスに飛来し、その横腹に着弾すると炎が弾け飛んだ。狙い通りの部位に火炎弾が着弾したことを確認すると、連続で引き金を引いていく。
「ギャアアァァァァァッ!」
火炎弾が立て続けにドスギアノスの横腹に命中し、ドスギアノスも煩わし気に顔を上げる。
「奴の気が逸れた! ここで仕掛けるぞ!」
その隙を、ヴァイスは見逃さない。ドスギアノスがアーヴィンに気が逸れた瞬間を見計らい、ヴァイスはここぞとばかりに肉薄し、斬撃を繰り出す。
ルナ、そしてノエルもヴァイスに続く。共にドスギアノスの懐に果敢に飛び込み、ルナはツインダガーを連閃し、ノエルは竜撃砲を叩き込んだ。
だが、三人の渾身の迫撃をまともに食らおうとも、ドスギアノスは倒れない。猛禽の如き鋭い眼光をぎらつかせ、こちらを目の敵として睨みつける。
「ちっ、押し切れないか!」
着実に痛手は与えている。だが、あともう一押し。その決定打がどうしても足りない。
ルナ。ノエル。アーヴィン。そしてヴァイス。誰もがそれを理解している。足りない一打を補う努力は、全員が身を粉にしてまで行っている。
それでも。そこまでしても届かない。
人の暮らしが及ばぬ壮絶な地で生きる生物。その執念を、四人はまざまざと痛感されられる。
ドスギアノスは尚も動く。果てしない怒りを双眸に湛え、激高する感情を咆哮に乗せて撒き散らす。
「来るぞ!」
すぐさまヴァイスが警告するが、それでもドスギアノスの後手に回ってしまう。
今までからは考えられない跳躍を見せたドスギアノスが、頭上から鉤爪を叩きつける。ドスギアノスの周囲に肉薄していた三人は咄嗟に散開するが、ドスギアノスは怒りに任せて更なる追撃を行い始める。
「クギャアァァァァァァッ!」
「ギャオオオ、ギャオオオオォォォッ!」
ドスギアノスの咆哮に反応したのか、どこからもなく出現したギアノスが、ドスギアノスの援護に回る。
「またギアノスたちを呼びつけたっていうの!?」
「そりゃこの様子見れば誰にでも分かるっての!」
驚愕するルナに対して、ノエルが相も変わらない口調で返すが、状況は一転してこちらが追い込まれる形になった。口ではこう言うノエルであっても、実際はかなりの焦燥に駆られていた。
ドスギアノスの呼び声に反応して現れたギアノスの総数は七匹。ドスギアノスを含めたその群れは、獲物を仕留めるが如く、こちらとの間合いをじりじりと詰めていく。後方で援護をしていたアーヴィンを含め、ヴァイスたちは袋の鼠状態に追い遣られた。
そして、群衆の堪忍袋の緒がぷつりと切れたのは突然のことだった。うち一匹のギアノスが飛び出したのを皮切りに、それまで今か今かとその瞬間を待ちわびていた他のギアノスたちも一斉に動き出す。
絶望する他ないようなこの状況下。しかし、その活路を切り開いたのは、後方で冷静に状況を分析していたアーヴィンであった。
「皆さん、目を瞑って──!」
刹那、降り積もった雪原をも塗り潰す閃光が爆散する。
焼けるような閃光がようやく治まった時、周囲を包囲していたドスギアノスとギアノスたちが苦し気に呻き声を上げていた。
このタイミングで、アーヴィンが残された最後の支給品閃光玉を投擲したのだ。その状況は先ほど閃光玉を使用した際と酷似していたが、どちらにせよこの状況を打破する決め手になったことは事実であった。
「今のうちです。ギアノスたちを仕留めましょう!」
既に狙撃を開始しながら、アーヴィンが声を張り上げる。
無論、ヴァイスたちもすぐさま行動に移す。近場にいたギアノスに目を付け、視力が回復する前に一気に畳み掛ける。そして、アーヴィンが残り最後のギアノスを撃ち抜いたとき、ドスギアノスの視力も回復したようであった。
視力を取り戻したドスギアノスは、有無を言わさぬ勢いでヴァイスたちに接近し、周囲を薙ぎ払う。
それを辛うじて回避したところで、ノエルが今一度アイアンガンランスを構え直した。
「ヴァイス! ルナ! 俺とアーヴィンで奴の隙を作り出す。二人はその瞬間を狙って奴を
そう言うや否や、ノエルがドスギアノスに単騎突撃する。
何とも直球かつ大胆な提案に、ルナも癇癪する。
「ちょっと! あんだけ無茶するなって言われておきながら、どうしてここでバカな真似してんのよ!?」
かなり辛辣な言葉が投げかけられたが、そんなルナを至って冷静に制したのは、意外にもアーヴィンであった。
「ノエルの援護は僕に任せて下さい。大丈夫、ああ見えて土壇場の判断力はヴァイスをも凌ぎますから!」
苦楽を共にしてきた時間が長い間柄の二人だ。それだけ互いのことを信頼していることは理解出来る。だが、それとこれとは、また訳が違うだろうとルナも思わず食ってかかろうとする。
「アーヴィンまで何言ってるのよ──!?」
しかし、その瞬間には、アーヴィンは全神経をノエルの援護に集中させており、彼女の言葉に耳を貸す様子は無かった。代わりにルナを宥めたのは、それまで傍観を決め込んでいたヴァイスであった。
「二人が互いに信頼し合っているように、あいつらは俺たちを信頼している。だからこそ、俺たちもあいつらの信頼に応えやるんだ」
普段であったら、ヴァイスもノエルを止めに入っていただろう。
だが、今回だけは。これで“最後”になる今回だけは違った。
いや、ヴァイスの言うとおり、彼もまた二人を信頼していた。彼の二人が自分たちを信頼してそこまで言っているのだ。だから、その信頼を信じることは当然であり、また信頼で応えることが当然であろうと。
ならば、自分はどうする?
愚問だ。今更そんなことを考えるまでもなく、答えは一つに決まっている──。
「……えぇ、そうよね。二人も私たちのことを信頼してくれているのだものね。だったら、お望み通り、その期待に応えてやりましょう!」
ようやく腹を括ったルナに対して、ヴァイスは僅かに口角を上げる。
しかし、次の瞬間には狩るべき獲物を見据え、そして背中に携えた鉄刀の柄に手を掛けた。
「よし、行くぞ!」
「ええ!」
信頼には信頼で応えるべく、ヴァイスとルナもまた、ドスギアノスに向けて最後の攻勢に出る。
「うおぉぉぉぉりゃああああぁぁぁぁぁぁぁっ!」
アーヴィンの援護を背に、ノエルはドスギアノスの眼前に踊り出てアイアンガンランスを貫く。一方のアーヴィンも、残る火炎弾をありったけドスギアノスの頭部目掛けて撃ち込む。
ドスギアノスも抵抗しようと、力任せにノエルを押し退ける。
「ぐぉっ!?」
ドスギアノスに突き飛ばされる形となったノエルは、地面に尻餅をついて倒れてしまう。その際に運悪く足首辺りを捻ったのだろう、鈍い痛みが身体に走る。
「ノエル!」
だが、そんな痛みに、名前を呼ぶアーヴィンにすら構わず、ノエルは尚もアイアンガンランスの銃口をドスギアノスの頭部に突き付けた。体勢を崩したノエル目掛けて追撃を試みるドスギアノスに対し、ノエルは怯むことなく引き金に手を掛けた。
「ぶっ飛べ!!」
そして、ノエルが放った銃弾と、アーヴィンが撃ち出した火炎弾がドスギアノスの顔面に着弾したのは、全く同時であった。
二人の気迫が宿った砲撃と射撃の衝撃により、ドスギアノスが悲鳴を上げながら後方に吹き飛んだ。
「今です、二人とも!」
「これで最後だ、派手に行け!」
ノエルとアーヴィン。二人の信頼を背負ったヴァイスとルナが、ドスギアノスをその間合いに捉えた。
「ヴァイス!」
「あぁ、決めるぞ!」
互いに鉄刀、ツインダガーを振り抜き、ドスギアノスを挟撃する形で斬撃を一閃する。
身体に叩き込まれた知識と技術は、今この時発揮するために。
これまでの経験は、これより繰り出す業となるために。
極限にまで研ぎ澄まされた感覚の中で、自分が持てる全ての力を振り絞る。
全身に漲った闘気は、肉体を伝い己が振るう獲物の刀身に宿り裂帛たる刃と成る。
身体を駆け巡る血液が沸騰するかのような感覚は、斯くも鬼人の気迫となり迅雷の如き剣閃は成る。
今ここに、烈々たる紅き剣戟と、万雷の如き連撃は繰り出される。
「はあああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
「りゃあああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!」
己が闘気の刃は具現し、彼の者を穿つ剣戟──気刃斬りと成り、鬼人の覇気を纏いて、彼の者を斬り刻む連撃──鬼人乱舞は成る。
「「これで、最後だああぁぁぁぁ―――――――――――――――――――――――ッ!!」」
ヴァイスが放った気刃斬りは、ルナの繰り出した鬼人乱舞は、ドスギアノスの身躯に閃き、その最後の一撃が一閃されると、ドスギアノスの身体が宙を舞った。そして、四人が固唾を呑む中、ドスギアノスが立ち上がってくることは二度となかった。
辺りに唐突に訪れた静寂。山間を吹き抜ける風音だけが横切る中、誰かの声が木霊する。
「お、終わっ、た……?」
誰がその言葉を発したのだろう。そんなことを理解する余裕も無い中で、骸と化したドスギアノスが起き上がってこないことを誰もが再度認識する。すると、ようやくその事実が実感出来るようになっていく。
「……」
こんな時、どんな言葉を発すればいいんだっけ?
それすらも曖昧に思えてしまう中で、ルナはがっくりとその場に崩れ落ちた。
ルナだけではない。狩猟を決するその瞬間を後方から見守っていたノエルとアーヴィンも、まるで放心しているかのように、未だに状況が飲み込めていない様子である。
そうして、何年とも思える一瞬が過ぎた時であった。今まで夢心地だった意識は、嘘のように現実に引き戻され、そして覚醒する。
「っしゃああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」
耳を劈くようなノエルの雄叫びは、幻相から目覚めるためのアラームには適任であった。一人高揚するノエルに釣られ、アーヴィンもまた徐々に喜びを露わにしていく。
「やりました! やりましたよ三人とも!」
「どうだ、俺の言ったとおりだったろ! おいルナ、どうだ! 見返しただろ!?」
二人はハイテンションになっているが、当のルナは未だにどうしていいか分からない状態だ。そんな彼女の元に、どこからもなく手が差し伸べられた。
「ほら、立てるか?」
その手の差出人であるヴァイスに答えることも出来ず、彼の成すがまま手を引き寄せられ、気付いた時には地に足が着いた状態であった。
「私たち、本当にやったの……?」
「ああ」
短く答えたヴァイスが「二人を見てみろよ」とそちらをしゃくる。
ヴァイスが示した方に今一度視線を向けてみれば、喜々とした様子で感情を曝け出すノエルとアーヴィンの姿があった。
「あの光景を見て、まだ夢だと疑うか?」
そう指摘されたルナの心の内にも、ようやく実感が湧いてくる。
ついに、ついに卒業試験を終えたのだと。長いようで短かったこのパーティーでの狩猟も、ここに幕を閉じたのだと。
それをようやく理解すると、嬉しさと同時に、今まで押し殺してきた寂しさも露呈しそうになってしまう。
だが、ヴァイスやノエル、アーヴィンの手前だ。自分の我が儘な感情は押し殺し、今は精一杯、この喜びを分かち合おうと心に決める。
「えぇ、そうね。本当に、本当にこれで終わりなのね……」
僅かに掠れた声色で、それでもルナは笑ってみせた。その笑顔からルナの言葉の真意を悟ったヴァイスは、そんな彼女をそっと引き寄せ、風に揺れる金髪の上に手を乗せる。
「ああ……。ありがとうな、ルナ」
「何よ、それ……っ」
自分の夢の実現に向けて大きな一歩を踏み出せた喜びと、いづれ来る別れの時を思ったときの悲しみ。二つの感情が交錯する中で、ルナの目頭が熱くなる。
しかし、どうあっても涙は見せまいと、ルナはヴァイスの胸に顔を埋めた。すると──、
「おいおい、そういうのは二人っきりの時にするもんだぜ~?」
外野から飛んできた野次に、ルナも堪らずヴァイスと一目散に距離を取った。いつの間にか、溢れかえそうであった涙も引っ込んでいた。
「う、うるさいわね! 一人で勝手に突っ込んで怪我したアンタに言われる筋合いはないわよ!」
自分でも何を言っているのだろう、と思いつつ、このやり取りにもどこか心地よさを覚えていることを実感してしまう。
改めて確認すると、ノエルはアーヴィンの肩を借りながらゆっくりと歩みを進めていた。
「大丈夫か?」
ヴァイスが問うと、ノエルはへらへらと笑いながら「平気平気」と答えてみせる。
「走ったりするのは無理だろうが、普通に歩く分なら別に大したことはねぇよ。心配すんな」
かく言うノエルに対し、ルナは不服そうな表情で睨み付けるが、ノエルにしてみればどこ吹く風の様子である。
そんな光景を目の前に、アーヴィンは苦笑し、ヴァイスも溜め息交じりに微笑を浮かべた。
「さて、剥ぎ取りをして早いところ帰還しよう。拠点に辿り着くまでは気を抜けないからな」
ヴァイスが促すと、四人はドスギアノスから剥ぎ取りを行う。
試験は無事に成功に終わった。あくまで狩猟の成功が試験の合否全てを左右するわけではないが、それでもこの結果ならば問題無いだろう。剥ぎ取りを行いつつ、四人は胸の内で確信していた。
先に剥ぎ取りを終えたヴァイスは、改めて周囲の様子を確認する。辺りにはドスギアノスと対峙している際にあれだけ出現したギアノスの姿さえ見えない。
手負いのノエルがいるため、ヴァイスとしては周囲の安全を確保した上で移動を開始したかった。丁度このエリアにはモンスターの姿はなく、拠点への最短ルートであるエリア5へ続く道もこのエリアから通じている。
「剥ぎ取りは終わったぜ」
ノエルの声にヴァイスが振り返ってみると、彼の言うとおり皆剥ぎ取りを終え、いつでも拠点へ出発できる支度が整っていた。
「よし。じゃあ、アーヴィンはノエルを連れて先行してくれ。後ろに俺とルナが付いていく」
アーヴィンは頷き返し、ノエルに肩を貸しながらゆっくりと歩み始める。その後ろから、ルナ、ヴァイスの順で続く。
やがて、エリア5に続く洞窟にもう少しで入るという、その時であった──。
エリア6全体が、暗い影に覆われた。だがそれはほんの一瞬のことであり、それこそ太陽の前を分厚い雲でも横切ったのだろう。それを確認しようとヴァイスが顔を上げ上空を仰いだとき、絶句した。
白く霞んだ上空の空。その中に、不自然な“黄色い物体”が紛れ込んでいる。その不純物の物影は次第に大きくなり、やがて激しい地響きを撒き散らしながら、それはエリア6の中央に舞い降りた。
「なっ──」
その姿を視界に捉えたとき、もはや言葉も出ない。
全身には色い外殻を身に纏い、所々に荒々しく走る青色の縞模様が見る者全てを戦慄させる。
前脚と“飛竜種”特有の巨大な翼は一体となっており、それは翼と言うよりも皮膜と表現するのが相応しい。
古代に生きたと謂われる、飛竜種の始祖──ワイバーンレックスの特徴を、その身体に色濃く残した
よもや、自分たちを獲物として捕らえに来たのではないか。
そんなことを頭の中で理解できる者は、今の四人の中には存在しなかった。
「ティガレックス──!?」
その名を、突如として現れたモンスターの名を、悲痛交じりに口にする。
飛竜種の中でも、特に気性が荒いと怖れられるティガレックス。そんなモンスターにこちらの存在が気が付かれれば、四人は成す術もなく蹂躙され、全滅するだろう。
「急げ。まだ奴は俺たちを見つけられてない。そのうちに……!」
普段は冷静であるヴァイスも、この時だけは例外だ。辛うじて紡いだ思考を、すぐさま行動に移す。
ティガレックスは、今し方討伐したドスギアノスの亡骸に意識を取られている様子である。この場から逃げる機会があるとすれば、それは今この瞬間でしかない。
足音を立てぬよう、なるべく息を殺し、エリア5に続く道を急ぐ。
もう少し。もう少し──。
そして、活路を切り開く扉に手を掛けようかというその瞬間、ヴァイスは首を動かさずに目線だけでティガレックスの姿を追った。
その刹那。ヴァイスとティガレックスの視線が交錯した。
「──っ!?」
身体の底から湧き上がる恐怖。確実に獲物を捕らえる狩人の眼光が、ヴァイスの身体を、思考を拘束した。
「ガアアアアアアアアァァァァァァァァァァァァァァッ!」
空間を歪めるような狂乱の咆哮がフラヒヤ山脈に轟く。そしてそれは、ヴァイスたちに死の宣告を突き付ける訃音でもあった。
こうなってしまえば、もう逃れられない。
せめて、ノエルが手負いでなければ。
せめて、閃光玉が手元に残っていれば。
たらればを上げればきりがない。だが、そんなものに縋ったところで、この絶望的な状況から脱却できるわけがない。
この状況から逃れ、尚且つ全員が生き残る選択肢。それは──。
「三人とも、先に行け! 俺が時間を稼ぐ!」
仲間の返答も静止も聞かず、ヴァイスが集団から外れるように飛び出した。
ティガレックスは、集団から孤立し、尚且つ眼前に踊り出たヴァイスを標的に定めた。その爆発的な脚力を生かしてヴァイスを捕らえに掛かる。
「ここはヴァイスを信じるしかありません! 行きましょう!」
アーヴィンも、もうこれしか逃れる道は無いのだと理解したのだろう。遣る瀬無い表情を浮かべ、しかしながら決して振り返らずに再度歩み始める。
ノエルも無言を貫き通したが、それでもアーヴィンに従い、連れ立ってエリア5に向かう。
だが、ルナは。ルナだけは。ヴァイスを置いていくことが出来なかった。
出発前に感じた違和感が、胸騒ぎが、再び身体を駆け巡り、全身が恐怖に支配される。
だがそれでも。もしここでヴァイスを置いて行けば、それこそ彼は“遠く”に行ってしまうのではないか。
この時ルナは、平静を保てるだけの冷静さを致命的なまでに欠如させていた。だが、彼女自身がそれに気付くことなどあるはずも無く──。
「ルナ!」
「あのバカ──!」
気付いた時には、ルナは雪原を駆け抜けていた。
ティガレックスとの距離はみるみるうちに縮まっていき、やがて間合いに踏み込むと、ツインダガーを構えて斬り込んだ。
しかし、ルナの刃はティガレックスの前にいとも容易く弾き返される。
すると、ティガレックスはルナのいる方向へ身体を向け、そして血走る双眸で睥睨した。
荒々しく乱れた息遣いは、自分のものなのか、それともティガレックスのものなのか。もはやそれすらも理解出来ない。
冷静さを欠いた思考の中で、咄嗟に理解出来たことがあるとすれば。
──殺される。
ただそれだけ。ルナは磔台に束縛された罪人の如く、身動き一つすら取れない。
ティガレックスが首を持ち上げ、大きく息を吸い込んだ。周囲諸共、持ち前の破壊的な咆哮で全てを吹き飛ばそうとする。
「あ、あ、あぁっ──」
これが現実なのか、夢なのか。その区別すら曖昧になっていく中で、その一部始終が妙に目に焼き付いた。
やがて、ティガレックスがその咆哮を解き放とうかというその瞬間、不意にルナの身体に衝撃が走り、視界が揺らいだ。
遅れてやってくるティガレックスの咆哮。その衝撃にルナの身体は吹き飛ばされ、情けなく雪原を転がる。
「う、ぐっ……」
この短時間の間に何が起こったのか。未だに理解が及ばない中、雪原にうつ伏せになった状態で顔を持ち上げ、辺りの様子を窺ってみた。
ティガレックスの姿は健在であるが、ルナに対して無防備なまでに背を向けている。不審に思いティガレックスの視線を追っていった時、ルナはその光景に目を疑った。
「えっ──」
二つの視線の先には、岩盤が剥き出しの岩肌が広がっている。その岩肌を背に、見慣れた人影が苦し気に蹲っている。周囲には“紅い滴”がぽつぽつと浮かび上がり、純白の雪原を無慈悲に、残酷なまでに染めていく。
その光景が視界に入った瞬間、今まで霞がかっていた意識が嘘のようにクリアになる。生々しいまでに身体から血の気が一気に引き、途端に呼吸が息苦しくなる。
──嘘。
──嘘だ。
──嘘だと言ってほしい。
どうして、ヴァイスがあんな場所にいるのだ。
どうして、痛みに表情を歪め、蹲っているのだ。
分かっている。分かっていた。途端に冷静さを取り戻した頭の中で、全てを理解していた。
ティガレックスに無謀に突っ込んだルナを助けようと、ヴァイスは策を講じた。
その結果がこれである。結果的にルナは大きな痛手を負わずに済んだが、ヴァイスは見ての通り致命傷である。
そのヴァイスに止めを刺そうと、ティガレックスがゆっくりとした動きでヴァイスとの距離を縮めていく。
だが、この状況で、ヴァイスは逃げようとしない。否、逃げられない。
吹き飛ばされた衝撃で、ヴァイスは後頭部から背中を強打した。身体を動かすことはおろか、意識さえ朦朧としている状態だ。そんな状態で、ティガレックスから逃れるなど、どう考えても不可能であった。
「どうして……。どうしてよ……」
震える声を上げながら、ルナが身体を起こそうとする。だが、身体が力が入らず、雪上をもがくだけに終わる。
「バカ正直に、無謀で愚かな真似をした私なんて、命懸けで助けないでよ……っ!」
せめて、あの時ヴァイスを信頼して、あの場でアーヴィンたちと共に後退していれば。こんな、こんなことは起こらなかった。
分かっている。悪いのは自分だ。そんなことを言う資格も無ければ、それが助けられた者の言う台詞でないことも承知している。
だが、例えそうだったとしても。仲間を、大切な人を一人残し、自分だけ逃げる真似だけはしたくなかった。
その強欲な意地を後悔しつつも、しかしながらルナは尚も身体を起こそうとする。
だが、それも叶わない。自分では、ヴァイスを助けられない。足手纏いにしか成りえない。
誰でもいい。せめて彼を。彼だけは助けてほしい。こんな愚かな自分ではなく、彼を──。
ヴァイスの眼前にまで迫ったティガレックスが、不気味なほどゆっくりと右前脚を動かし、上空に振り上げた。あれがヴァイスに叩き付けられれば、間違いなくヴァイスは絶命する。
どくん、どくんと、心臓がはち切れそうなまでに早い鼓動を刻む。
「ヴァイスゥゥゥ―――――――――――――――――――――――――ッ!!」
少女の絶叫が鼓膜を貫く中、ヴァイスは朦朧とした意識の中でも、今まさに自分を殺めようとするティガレックスの姿から目を逸らすことはなかった。
やがて、目に映る世界が紅く染まっていく中、ヴァイスの意識は深い闇の底に沈んでいった──。