─────オルガマリー・アニムスフィアは未熟である。
彼女は千年単位の歴史を持つアニムスフィア家の現当主である。
今は亡き父、マリスビリーの研究、そして事業である『人理保障機関フィニス・カルデア』を継いだ彼女は、しかし栄光とは程遠かった。
魔術回路は優秀で、努力を欠かさず研鑽を積んできた彼女は、しかしたった一つの才能の致命的な欠如によって当主となる前から時計塔の魔術師たちに揶揄され続けた。
サーヴァントの召喚、および契約に必要なマスター適性の決定的な欠如。
もとより心無い外聞に晒され続け、加えて『アニムスフィアの真の後継』と称えられるマリスビリーの弟子、キリシュタリア・ヴォーダイムの存在が彼女の劣等感を煽り続けていた。
そんな相対評価に苦しんでいた彼女を襲った、父マリスビリーの謎の突然死。
まだ二十そこいらの彼女には重すぎるカルデアと地位を継いだ彼女は精神的に不安定になっていった。
そして知らされる父親の闇である、デミ・サーヴァント計画によって生み出されたデザイナーズベビー。
唯一の成功例である英霊召喚例第二号、無垢なる少女マシュ・キリエライト。
オルガマリーは恐怖した。
非人道的な実験によって生み出された彼女の、彼女の中に宿る英霊の報復を。
外面では気高く高慢に振る舞って矮小な己を偽りながら、内心恐怖と不安で震えていた。
そうしてカルデアを継ぎ、マシュの存在を知って一年後、再び彼女を震わせる出来事が起こった。
マシュ以外に唯一生存していながら、何らかの不具合で意識不明で眠り続けていた英霊召喚失敗例が目を覚ました。
その力は、失敗例でありながらカプセルを内側から破壊するほどだそうだ。
オルガマリーが恐怖でヒステリーを起こす事も出来ずにいたところに、覚醒に立ち会った医療部門の主任であるロマニ・アーキマンから己の境遇とカルデアの事情を聴いた──────後にランス・キリエライトと名付けられる少年が突撃してきたのだ。
『酷い顔だ。キチンと休息は取れているか? 寝られないのならば、カウンセリングをお勧めするぞ』
殺されるのだと覚悟もまるで出来ていなかった彼女を見て、少年が口にしたのがそれだった。
そこからの少年の動きは怒涛の勢いだった。
オルガマリーの周囲を次々に改善するような意見を医療部門を始め周囲へと進言し、悪く言えば突然現れ次々に口出しをし始めたのだ。
そんな彼に対し、魔術師や倫理観を逸した研究者もいるカルデアで反発が生まれるのは当然だった。
失敗作の分際で何を、と。
そんな風に心無い言葉を吐く者もいた。
しかしそれらを、
『陰口を垂れ流さず面と向かって罵倒する、その心意気を買おう。故に殴り倒される覚悟があるのだろう? 無論、殴るから殴り返せ』
ロマニよりも細い腕から繰り出される拳でピンボールのように吹き飛ばされた職員に、反撃の気概など持てなかったのは言うまでもない。
本来精密検査やこまめな経過観察が必要な存在である彼が、そんな職員たちをしばき倒して黙らせていくのは、カルデアの保有する別部署から配属されたメンタルセラピストから治療を受けていたオルガマリーには痛快にさえ感じられた。
尚、反撃を行えた者は居なかったと付け加えさせて貰おう。
英霊召喚失敗例。
彼に与えられたその意味は、本来英霊が持つ逸話や伝説の象徴の具現である宝具の未所持。加えて英霊が持つ人を超えた膂力も持たないことが原因であった。
膂力云々は本当に無かったのだが、そこら辺は技術で何とかしたらしい。
彼自身からの言葉によって明かされた名から、召喚された英霊は間違いなく一級品。
しかし結果は、「英霊が脆弱な体を操縦している」というもの。
それ故に失敗作のレッテルを与えられ軽んじられかけた彼の評価を、彼の躰に宿り操る英雄は軽々と覆した。
彼は伝説で、仕えた王よりも支持を集めた程の人望があった。
『聞き上手なだけだ』
そう不思議そうに頭を傾げる彼に、いつの間にか彼らへの恐怖やストレスは薄れていった。
『頼って、いいのかしら』
『この躰の故郷は、家はこのカルデアだ。家主のお前を支えるのは当然だろう』
その言葉がどれだけ嬉しかったのか、きっと当たり前のように口にした少年には知る由もないだろう。
明確な味方の存在、またオルガマリーのカウンセリングを行う主治医のメンタルセラピストの手腕もあったのだろう。
数少ない味方のカルデアの顧問への依存も、デミ・サーヴァント計画の遺児への恐怖も薄れ、ヒステリーに陥ることもなくなった。
一人の英雄の出現によってオルガマリーは少しずつ変わっていった。
そんな中────半年前に起こったのが、惑星の複写による地球の疑似天体である『疑似地球環境モデル・カルデアス』の異常。
百年後までの文明の保障をするカルデアスの光が失われたという、人類存亡の危機である。
これの解決に、歴史上の異常である特異点の修復を行うためのレイシフト。
国連主導によるプロジェクトが行われようとしていた。
第一話 First Order
カルデアの所長室、その椅子の中でも小さく身を丸めるようにして震える両手を抑える女性が、入室を求める声に顔を挙げる。
「─────オルガマリー入るぞ」
「ランス。どうかしたのかしら」
銀の長髪を一束三つ編みにした髪型の女性、オルガマリーの緊張に強張っていた表情が、ランスの姿に明らかに解れる。
「報告だ。マスター候補生49番の藤丸立香が、レオナルドの調べで誤った難易度の霊子ダイブの模擬戦を受け昏倒した事が判明した。現在ロマニに診てもらっている。大事をとって彼女を今回のレイシフトからの除外を進言したい」
レギュレーション:
立香がカルデアの入館手続きの間に行われた霊子ダイブは、その難易度に相応しく訓練も受けていない不慣れな彼女を当然の様に昏倒させた。
それが、立香が廊下の只中で倒れていた原因である。
「49番……一般枠だったかしら。初めての霊子ダイブでそのレギュレーション、説明会も難しいわね。わかりました、こちらの不手際であるのならば是非もありません。レイシフト終了後、私も顔を出します。他の問題はありますか?」
テキパキとした受け答えに、三年前のオルガマリーしか知らない者は目を疑うだろう。
「いや……」
「? どうかしたの?」
珍しく口ごもる彼に、口調を崩して聞き直す。
「少し、な。オルガマリーにとって気持ちのいいものではない。それに魔術師にとってそう珍しいことではないかもしれないからな。それに一応レオナルドに最低限備えてもらっている。態々お前の耳に入れる程ではないだろう」
「そう……」
「今はレイシフト実験と特異点修復に専念した方がいい」
「えぇ、貴方の言う通りだわ」
今回の特異点修復に失敗は許されない。
人類に襲い掛かる未曾有の危機を、その原因を、世界中からかき集めた49人のレイシフト適正者を疑似時間旅行により送り込むことで、問題そのものの直接的な解決を図る。
その要となるのが、人類史に刻まれた英霊の一側面を抽出した存在────サーヴァント。そんな英雄たちが現世に留まる為の要石となる
中でも少年は特に優秀だと認定されたAチームの一人である。
マスター以前にその適性がゼロのオルガマリーと違って。
思わず意識が陰鬱なものになる。
オルガマリーにとって、その劣等感はどうしても拭い切れるものではない。
だが、それに喚き散らすことはもうない。
優劣は当たり前で、他人と自分が違うのは当然なのだ。
そんな小さなことで足踏み出来るほど、彼女は自身を上等だとは思っていない。
『大事なのは、自分の足りない部分をそれでもいいのだと認めてあげる事なのです。貴女自身こそが、最も認めてあげなければならないのですよ。「自信」とは、自分を信じることでつくものなのですから』
友人となってくれた、自分の主治医の言葉を思い出す。
柔和な笑顔で職員にも受けのいい彼女に、女性としても人としても憧れる処も多い。
彼女が自分に優しいのは職務だからというのも分かっている。
だけど、それだけでないことも知っているから。
「では、行きましょうか。レフを余り待たせたくないわ」
「あぁ、了解だ。オルガマリー所長」
胸と虚勢を張りながら、今回のミッションが成功させられればこの虚勢が本物になれると信じて歩き出す。
思い出すのは、今でも少し苦手意識がある薄紫の少女。
少年と良く傍に居る姿に嫉妬することもあるが、彼女の子犬の様な無垢な様子にそんな感情は途端に消える。
無垢が過ぎ、無表情で無機質だったデザイナーズベビーはもういない。
『親の因果が子に報うなど、愚かだと思わないのか?』
かつて向けられた、オルガマリーの後ろを歩く少年の言葉は、とても暖かった。
だがそれでも、カルデアを継いだ自分はそれを背負わなければならないのだろう。
「マシュとも、この実験を機に仲良くなりたいわね」
かつて恐怖した少女に対しそんなことを思えるほどに。
集められた多くのマスター候補生を前に立つ今の彼女は、紛れもなく充実していた。
「────私はここカルデア所長、オルガマリー・アニムスフィア。まずは、貴殿方がカルデアの召集に応じてくれた事を感謝します。今回のミッションは貴殿方の協力無くしては困難であり、ミッションの成功がこの世界の未来を切り開く事に繋がるでしょう。
貴殿方は様々な家柄を持っているかと思いますが、今回それらは関係がありません。貴殿方が選ばれたのは、貴殿方自身の力によるもの。それを忘れないで下さい」
そうして彼女は、間違いなく正しき道へと一歩、足を踏み出した。
◇
『──────星を観て、未来を観て、わたしたちはどこへ向かうのですか?』
幼い
『明晰な未来とは、いったいなんなのでしょう?』
隣に立つ
レイシフト実験、その管制室。
あまりに唐突に足元から襲ってきた爆風に意識を奪われた時、彼女に浮かんだのはそんな過去の一幕だった。
◇
衝撃と共に意識を失った後、目が覚めた時には視界が赤く染まっていた。
煌々と炎が揺らめき、自分がコフィンの外にいるのだと知り、同時に自身の状態を認識する。
「あぁ……」
倒れ伏すマシュは、下半身の感覚がなかった。
血が流れているのか、炎に囲まれていながら冷たさが彼女を襲う。
振り返れば、爆発で崩壊した大岩に腰元から下半身が押し潰されていた。
致命傷であり、急いで処置しなければそのまま出血多量で死んでしまうだろう。
「兄、さんは」
しかしそんな状態でありながら、彼女は自分の家族の安否を案じていた。
ランス・キリエライト。
マシュと同様に今回のレイシフトを行おうとコフィンに入っていた。
となれば同様に、被害を受けていると考えるのが道理である。
「──────生きているか」
そんな心配を余所に、マシュへ言葉が投げ掛けられる。
そこにはマシュ同様コフィンという逃げ場のない牢獄で爆破を受けたにも拘らず、殆ど無傷のランスが居た。
道理とは一体なんだったのか。
「兄、さん……。無事、で……よかっ……」
「爆風は斬った。そんなことより、お前を助けるのが先だ」
度々視界と意識が揺れるマシュにはランスが行った挙動をハッキリ見る事が出来なかったが、パキンとガラスが割れるような音と共に下半身の圧迫感が消え失せる。
彼が何か行ったのだろう。巨大でとても人では持ち上げられない大きさの落石は無くなっていた。
マシュや他のレイシフトメンバーの体の線がハッキリ出るボディースーツの様な戦闘服と違い、ランスの礼装は魔術協会由来の制服の物。
攻撃的な戦闘服とは違い治癒や補助に特化したものだ。
彼は礼装の魔術を使用し傷口を塞ぐ。
無論それは尋常な魔術行使ではない。
下半身が潰されている傷を塞ぎ、短時間とはいえマシュの命を繋ぐなど、どれだけの魔力を注ぎ込めば出来るのか。
厳しい顔で丁寧に彼女は抱き上げられて、漸く彼の片腕がズタズタに傷付いている事に気付いた。
「兄さん……腕が──────ッ!」
「気にするな、この体で使うのが初めてだったから少しガタついただけだ。それよりも彼女に……」
「マシュ────―!」
名を叫ぶ声と共に、カルデアの白い制服を着た少女が走ってくる。
立香なのは、意識が薄れかかっているマシュにも解った。
「先、輩……」
「ランス君、マシュは……!?」
不謹慎だと思った。
二人が必死なのが伝わってくるのに、そのことがとても嬉しくて安心してしまうなんて。
だけれど、マシュには堪らなく嬉しかったのだ。
「まだ保つ。今は早く治療を……、ッ!」
『観測スタッフに警告。カルデアスの状態が変化しました』
そんな時に、レイシフトルームに機械的な声が響く。
『シバによる近未来観測データを書き換えます。近未来百年までの地球において 人類の痕跡は 発見 できません。人類の生存は 確認 できません。人類の未来は 保証 できません』
「カルデアスが、赤く─────」
「……」
「えっと……」
一人は満身創痍なため。一人は単純に知識が乏しく。一人はそもそも神経がオカシイ為か、その事態の深刻さにいまいち正しい反応が取れない。
『コフィン内マスターのバイタル 基準値に 達していません。レイシフト 定員に 達していません。該当マスターを検索中……発見しました。適応番号3、芥ヒナコ 適応番号9、ランス・キリエライト 適応番号48、藤丸立香 を マスターとして 再設定 します。アンサモンプログラム スタート。霊子変換を開始 します』
「……ギャラハッド、マシュを任せたぞ」
「───え?」
その名を、果たしてマシュは聞き取れたのか。
聞き直す前に、事態は進行した。
『レイシフト開始まで あと3、2、1 全工程
こうして余りにも凄惨な状況から、人類史上最初のレイシフトは行われた。