────オークニーの潮騒が聞こえる。
何十年か何百年か以前に、滅びた街でしか聞こえない筈の音。
海に沿った廃街に近いとはいえ、聞こえるはずの無いソレが聞こえる。
それだけ此処が静かなのか、嘗て呪いと腐臭が満ちていた湖水に、二人の男女が二人きりで寄り添い合う。
「──ごめんなさい」
片割れが衰弱し口元に血痕さえなければ、逢引の一幕にでも見えていたのかもしれない。
悲劇があった。
あまりにも醜悪で、害悪による裏切りが。
努力は実る前に刈り落とされ、平和の象徴は竜の怒りで焼け落ちた。
逃げ延びた彼等にも、すぐ追手が迫るだろう。
竜の逆鱗を傷付けられた炎の厄災が、この地で待っている事を知らずに。
故にこの地を護る者達は、全て生き残った供回りの治療に当たる為、既にこの場を離れその最期の時を護っている。
「ごめんな、さい。ごめんなさい、ごめんなさいごめんなさいごめんなさい」
「何を謝る?」
死を前にして、その少年は欠片も顔色を変えなかった。
挙句、毒に倒れるまでに残った仲間を護る為に誰よりも早く血路を拓いたのはこの少年だった。
曰く、“死期を悟った英雄はひと暴れするもの”だそうだ。
「全て潰したと思っていた。悪の芽は、もうないと油断した。あいつ等があんな、あんなッ……!」
「【古今、暴君はその傲岸さ故に毒酒を煽る】。まさか、毒で倒れる身体だと忘れていたなど……度し難い失態だ。次は、必ずや払拭せねばならん」
理想は潰えた。使命感は尽き果てた。
和平など、平和的な歩み寄りなど考えなければ、この少年を喪う事など無かったのかもしれないというのに。
目の前の最愛の命が失われるのは、自身の罪だと少女は己を責め立てる。
人の善意の存在を疑うことはない。ただ、それを上回る邪悪が存在するだけなのだ。
だから少女は誓った。
最早救いなど与えはしない。
この少年を奪っておいて、今更救世など烏滸がましい。
そんな彼女を憎悪の褥から、少年の言葉が引き上げる。
「忘れるな、俺は必ず帰ってくる」
「……」
「時間は掛かるだろう。空想樹のシミュレーション内、だったか。ここの時間軸に上手く顕われる程、俺はこの手のものに馴染めていない。
俺にとっては短い時間でも、お前の主観では何れ程の時が流れるか解らん。
─────だが、約束は必ず果たそう」
「信じています。幾百幾千の年月を越えても、この望みは叶えてみせる。
全ての猶予は約束の時までに。それまでに私は、必ず私たちの居場所を作ってみせる」
それが、二人の約束。
その気になれば、この厄災の種であるこの世界を断つことは何時でも出来た。
それでも、契約などと云った猶予や余地を与えたのは、憐憫だったのだろうか。
彼女の名が、彼にとって育ての親と同じものだったからだろうか。
あるいは嘗て彼が仕えた少女に、その在り方を重ねたからだろうか。
「だから待っています、ロット。私の国に貴方を迎える、その時を」
「それは建前では無かったのか? それに、その偽名はもう無用だろうに────」
その日、妖精たちの王となる筈だった人間は倒れた。
それに時を同じくして、彼等を幾度も救った救世主は姿を隠し、その罪にまみれた世界は来るべき大厄災への備えを失った。
そして四百年後、冬の嵐と共に昏き女王がやって来た────後の『冬の戦争』。
そして罪の都がその象徴たる大穴に建設された事で、二千年後に滅びが決まった国が誕生した。
「マシュのお兄さん!?」
国連の調査団が訪れる数日前。
サーヴァント達の退去や移籍など、特異点攻略等と云った非常事態を除けば一年ぶりの大忙しなカルデアでは、それと同時に凍結処理を行っていたマスターの話をしていた。
カルデアの最後のマスター、藤丸立香。
七つの特異点と四つの亜種特異点、そして亜種並行世界を乗り越えた、元一般人。
そんな彼女も、もうすぐカルデアとはお別れである。
彼女は特異点攻略のプロフェッショナルではあるものの、礼装無しでは魔術を一切使えない魔術的無能者である。
そんな彼女を政治的な問題から護るため、その功績を隠蔽した事によってカルデアから日本への帰国が決まっていた。
そんな彼女は、本来特異点を攻略する予定だった47人のマスター達が冷凍保存から解かれていっている際、後輩を自称する相棒達から、そんな彼等の話を聞かされていた。
即ち、立香のような急備えのマスター候補生ではない、選りすぐりのマスター達。
カドック・ゼムルプス。
オフェリア・ファムルソローネ。
芥ヒナコ。
スカンジナビア・ペペロンチーノ。
キリシュタリア・ヴォーダイム。
デイビット・ゼム・ヴォイド。
そして────ランス・キリエライト。
今まで自分を支え、護ってくれているマシュの兄という特大の話題に、立香は驚愕の声を上げていた。
「正直、迷っているんだ。果たしてランス君を冷凍措置から解凍して良いものか」
そう言って、レオナルド・ダ・ヴィンチは苦笑しながら眼を閉じる。
マシュは、そしてマシュの事情を知る立香は思わず口を閉ざした。
デザイナーズベビーという出自、そしてデミ・サーヴァント実験に人理焼却事件での各特異点での戦い。
その果てに、元より十八年しか生きられないマシュの活動限界を磨り潰した。
無論、今尚カルデアでマシュが存在している時点で、とある第四の獣の雛が奇跡を起こしたのだが────それを知る者はいない。
「彼はマシュとは違う。マシュがデミ・サーヴァント実験での英霊召喚成功例だとすれば、彼は英霊召喚失敗例。
彼の身に英霊を降ろした時点で、彼の肉体は死亡した。────した筈なんだ」
数値上のランスの肉体は死亡して、実際の彼もそうなっていなければならなかった。
にも拘らず、デミ・サーヴァント実験から13年間意識不明ながら存命し、マシュの呼びかけに答える様に覚醒した。
「マシュの様な『召喚された英霊が辛うじて存命させていた』訳ではない。
サーヴァントとしての能力が発現した訳ではなく、その自我は召喚されたサーヴァントのものではあるが、『何故生きているか分からない』────それが彼へのカルデアの下した結論だった」
とはいえ、その影響は凄まじいものだった。
御蔭でオルガマリーの残留思念はカルデアスに墜とされたものの本人は存命し、何より
「つまり────」
「そう。唯でさえ生きている事が奇跡だった彼が、爆破によってどの様な状態になったか想像したくも無いね。解凍直後に処置すらままならず死亡してまうかもしれない」
「……ッ」
ダ・ヴィンチの迷いに、立香は答えを持たない。
マシュの寿命が迫った時、彼女はマシュが戦う事を否定していたのだから。
マシュのように本人がそれを望むかどうかの判断を、カルデアは確認することが出来ない。
「ランス君って、どんな人なんですか?」
だからこそ、立香に出来ることは相棒の兄の人柄に思いを馳せる事だけだった。
「ランス・キリエライトという個人の自我は私が召喚された段階で消滅していたらしい。そのパーソナリティは召喚された英霊のものだった」
「英霊? マシュの御兄さんには、どんな英雄が?」
「それは────」
それを、ダ・ヴィンチは答えることが出来なかった。
その直後、国連の調査団と共にカルデアの新所長としてやって来たゴルドルフ・ムジーク。
その護衛としてカルデアにやってきたNFFサービスの秘書、コヤンスカヤ。
そして聖堂教会からの査問官と偽った言峰綺礼らの来訪によって、その会話は中断される。
そうしてカルデアは2017年12月31日のAチームの解凍作業終了直後、言峰綺礼及び、タマモヴィッチ・コヤンスカヤ、そして異聞帯のサーヴァントであるアナスタシア率いる
人類最後のマスター藤丸立香とそのデミ・サーヴァント、マシュ・キリエライトらを含めた既存スタッフ10名及びゴルドルフは、ダ・ヴィンチを含む重大な犠牲を払いながらもカルデアを脱出。
残るカルデアスタッフ及び査問官・傭兵達は
『────此方、ウェスタンサムライ。
スニーキング・
『此方、理想のお母さま。
人員の保護を確認、ウェスタンサムライに随時撤収を指示する。おーばー』
無人となったカルデアで、そんな遣り取りが成されていると知れば。
当時の誰もが『時系列がおかしい』と答えるだろうが、果たして。
◆
「─────と、いうのが私の計画だ」
カルデアが閉館して間もなく、白紙化された大地にて二人の男が相対する。
二人の男は対照的だった。
黒を基調とした者は感情が読めず、そもそも男と言うより少年と呼ぶ方が適切だった。
白を基調とした男は、黒い少年に対して不敵な笑みを浮かべる。
衝突すれば、白い男に勝ち目が無いという事だけが、はっきりしていた。
「理論自体は間違っていない、と思う。如何せん専門分野とは言えんので何だが、少なくとも『人類全体を次のステージに押し上げる』という意味では、お前の目的は第三魔法の意義と類似する」
「ほぅ」
机上の空論を現実に。
異星の神を自称する何者かに蘇生された白い男。
彼は自分以外にも蘇生の機会を求め、五度の試練を乗り越えてここに立っている。
異星の神とやらをも出し抜き、理想に手を届かせる為に。
白い男─────キリシュタリア・ヴォーダイムは信じる。
人は、常に頑張っている。
それでも人が正しく在れないのは、そも性能が足りないのだと。
だから、全人類を神の領域まで引き上げる。
そんな理想の最大の障害が、黒い少年─────
「驚いたな。君の口から第三魔法の事が出るとは」
「だが、前提問題が多すぎる」
平時ならば、ランスはキリシュタリアの理想に賛同しただろう。
人は母なる大地たる星が寿命を迎える前に、星から飛び立たなければならない。
それはランス自身の持論ではなく、そうしなければ人類が滅びてしまうから、という事実からなる結論だった。
だが、現在は平時とは程遠い。
地球白紙化現象。
その結果、地表の文明は七十億の人類ごと消え去った。
挙げ句、本来『可能性が無い』と切り捨てられた敗者の歴史、異聞帯が白紙化された地表に出力されている有り様だ。
進化される人類が、本来いるべき地表に存在しない。
有るのは異聞帯内の、その在り方を異にしてしまった歴史に在った人類だけだ。
流石にそれを、ランスは容認する訳にはいかない。
「そうか……残念だ。君の言い分も十二分に理解出来るし、そう言うだろう事も予想出来ていたが────やはり残念だよ」
人理保障機関カルデアの
そんな前所長マリスビリーに任命された7人ではなく、その後を継いだ娘オルガマリーが任命した『例外』。
あり得ざる、カルデア英霊召喚失敗例。
「では、私を殺すかい?」
「何故?」
敵対を宣戦した彼等だが、しかしそこに殺意は一切介在しなかった。
「お前は、異星の神とやらを出し抜く以外に選択肢が無いのだろう? 神や妖精のような存在に目を付けられた人間に、選択肢は多くない。そんな有り様の友を助けるのなら兎も角、殺す理由など何処にも無い」
「─────それ、は。……嬉しいな」
それはそれ、これはこれ。
友達が困っているのなら、それを助ける。
友達の理想はぶち壊すけど、命まで奪うつもりはない。
それが、彼のスタンスであった。
異星の神とかいうヤツを、ぶった斬ってから友達を殴ろう。
だから今は別にそういうのはない。
ここに、決裂した関係は即座に一時休戦された。
「休戦直後で何だが、頼みたい事がある」
「?」
『異星の神を出し抜くまでの共犯者』。
そんな関係になったキリシュタリアは、だからこそ一石二鳥の手を切った。
「君に一つの異聞帯を任せたい。実はこの異聞帯の空想樹を伐採して貰いたい」
「む?」
空想樹を育てる。
それが彼等を蘇生した『異星の神』が与えたクリプターの役割であり、クリプターではなく『異星の神』に蘇生されるまでも無く、レフの爆弾工作から生き延びていたランスにその義務は存在しない。
つまり一つ異聞帯が余り、フリーのAチームのマスターが一人宙ぶらりんになっている。
キリシュタリアをして「この異聞帯を元とした異星の神を誕生させてはならない」と断じた、厄ネタの土地─────ブリテン異聞帯。
その異聞帯を成立させている空想樹の伐採を、そんなキリシュタリアに敵対を宣言したランスに頼んだのだ。
空想樹の伐採は、ランスの望むところでもある。
両者の思惑は一致していたのだ。
在り得たかもしれない歴史では、ランスが殺した
しかしてそのクリプターは疾うの昔に死亡していた。それは在り得ぬ未来だったのだ。
なのだが、そんなランスがイギリスの異聞帯に赴き─────死亡した事で何もかも変わってしまう。
異邦の騎士がカルデア召喚式を持ち込んだ為、本来死ぬ筈の
その役割を放棄した一人目の楽園の妖精が、しかしロンディニウムの騎士となった者との契約により、その役割を果たすことを誓い。
しかして、騎士の望む終わりの為に
そうしてロンディニウムの騎士となった者が死亡した事により、その本体の獣が目を覚ます。
妖精達の愚かさによって、眼を覚ます。
◆
とある妖精の氏族の長が、一つの終わりを予言した。
多くの者が希望を期待し、冬の女王に従う者は怒りと共に予言を恐れた。
そして冬の女王は、己の権勢の危機を告げる予言に対し。
これまたおかしいことに「漸く来たか」と、珍しく一息ついたという。
果てさて、それでは鏡の氏族長エインセルが観た予言を語るとしよう────。
────斯くして、在り得ざる妖精の國は終わるだろう。
始まりは2600年前に異邦の剣士が、救世主の騎士になったこと。
彼がアルビオンの竜骸なんて面白いもの、見逃す訳がないだろうに。
結果は救世主の騎士の供回りに、小さな竜姫が加わった事だろうか。
御蔭で、彼が毒を盛られた戴冠式後のロンディニウムは火の海、瓦礫の山さ。
契機は妖精國成立から1600年後に、冬の女王が夫と養娘を迎えた事。
彼は、本気でタイミングに関しては神懸かっている。
とある吸血妖精が発生した場所に同じタイミングで顕現するなんて、女王が狂喜乱舞しながら玉座からスタンディングオベーションするタイミングの良さだ。
御蔭でボクも『
勿論、千里眼をこれでもかと酷使されたけどね。
汎人類史でモルガンが『ヴィヴィアン』として彼を拝み倒していたら、本気でブリテン獲れてたんじゃないかな?
そしてトドメは、予言通りに二人目の楽園の妖精が送り込まれ、その16年後に異邦の魔術師がやって来たこと。
勿論楽園からキャスターを乗せた船を、最初に発見したのは彼さ。
だからティンタジェルの村は女王の徴税で滅んだけど、まぁそのままだったらどうなるか幾らでも想像できたし。
黒騎士に予言の子を預けた、彼の判断は正解だったね。
どうやらキャスターがおかしな魔術を扱いだしたけど、あれが今代の暗躍なのかな。
まぁ今代の卑王の立場から、予言の子を支援するのは当然と言えるからね。
こうして救世主にして冬の女王の描いた絵本、その終幕。
妖精達にとって贖罪の、或いは一万四千年越しの裁定の時が来た。
だけど、その終わりはきっと穏やかになるだろう。
何せボクがここまで働かされたんだ。ハッピーエンドの別れにならないと、立香君たちは勿論
まぁ、流石の『奈落の虫』も名乗った名前と相手が悪かった。
アーサー王伝説の異説曰く────『卑王ヴォーティガーンは、駆け付けた湖の騎士の一刀によって斬り伏せられた』んだから。
後々後書きに補足解説を追記予定。
続きは描く予定無いです。
書くとしても第一部書いてからじゃないと話に成らないというか。
期待して下さった方には申し訳ない。